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【Rubin's work ~ 覚醒・瞑想・気づきのワーク ~】          

2018/07/14

覚醒を具体的に体感・定着するワークを、東京・大阪 で開催しています。

5歳で最初の覚醒体験→過敏な幼少期→南米滞在での 目覚め→
エゴの暗黒期→瞑想による認識の転換→カルマ の清算→
一元と二元の矛盾の決着

といった自身のプロセスをふまえ、一瞥体験を超えた認識転換のポイントを
微細な領域まで踏み込んでお伝えします。


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関連記事 ⇒ <0.はじめに> Rubin ―覚 醒― 認識の転換のために 【全文掲載】

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#二元的「出産=創造」と循環 【1/20(土) 東京ワーク ~所感と解説~】  

2024/05/19

5/18(土)東京にてワーク開催しました。

バルーン2


【グラウンディングの土台づくり】

今回は初参加の方が多かったので、基礎的なワークが中心になりました。

毎回ワークで参加者さんを見ていて感じるのは、グラウンディングのズレとハラの内圧の弱さです。

この2つは肉体をそこに「置いて」おき、肉体との同化を解くための土台となります。

グラウンディングはよく「足の裏を地面にぴったり付けて尾てい骨を地球の中心にアンカリングして…」といわれますが、
曖昧なイメージで行っても具体的な実感と上下に拮抗し軸を突き通すようなエネルギーは体感できません。

グラウンディングがピタッとはまると、強力な磁石で地球の中心に引っ張られながら中心が下から突き上げられながら
浮いているような感覚が生まれます。

これを実感していただくために、まず基本となる直立姿勢の軸を作りました。

(尾てい骨~仙骨~腰椎~胸椎~頚椎~盆の窪~頭頂のラインを整え、身体前面に偏った意識をニュートラルポジション
へ修正するのですが、詳しい方法についてはこれまでも説明してきたのでここでは割愛します)


基本の軸ができたら、左右の足幅を広げて股関節と膝裏を軽く脱力(空白を開ける感覚)すると、自然と四股を踏むような
体勢(バレエでいう2番ポジションのグランプリエ)になり、軸が下方向へそのままストンとスライドします。

このとき、股関節と膝裏の中心は脱力しても、軸をつくったときの上下に拮抗して引っ張りあう感覚と身体後面の拮抗する
筋肉群(ハムストリングスや脊柱起立筋など)の張りは抜かないようにします。

(ここを抜いてしまうと昔のヤンキーの「うんこ座り」になってしまいます。内臓をどさっと重力に任せてしゃがんでしまうと
気力が抜けてふてぶてしい溜息がでるような体感になりますが、ヤンキーの場合そのまま地面に尻もちをつかないように
「気合」と「面子」で無理やり上体を引き上げています。これも上体をある程度引き上げはしますが、身体と感情がアンバランス
なため常にハラから苛立ちが生じ、顔を斜めに傾けて斜め上方向を睨んだ形勢になります。ただし、総長クラス?の
気合と責任感と面倒見のよさと覚悟が備わっていれば偶発的なバランスでベストポジションにはまる場合もあるでしょうが、
形の動機が創造と慈悲ではなく反抗であるかぎり本人の自覚は伴いません)

この状態で尾てい骨を下方向へ引っ張りながら、大便を排出するときの内圧の高まりと外へ押し出すベクトルを具体的
に再現してみます。

次に、恥骨を意識して尿を排出するときの内圧の高まりと外へ押し出すベクトルを具体的に再現してみます。
(これらは和式トイレで用を足すときの感覚を思い出すとよいでしょう)

これらの感覚がつかめたら、こんどは尾てい骨と恥骨の間の会陰の中心を上記と同じような感覚で下方向へ押し出してみます。

これは女性の身体のほうが具体的に体感しやすいのですが、出産時にいきんで赤ちゃんを生み出すときの感覚を赤ちゃん
が出てこない程度の圧で痛みを抜いたような感じといえばよいかもしれません。

ワークでは呼気で風船を膨らませるのと同じ感覚で会陰の中心から風船を膨らませる感覚とお伝えしました。

風船


【地球の出産とアンカリング】

次に、会陰と床面の感覚をリンクさせます。

この体勢だと会陰と床面は離れていますが、空間的に離れていても直接触れているような触覚と視覚の在り方は
別途お伝えしていたので、皆さんスムーズにリンクされていました。

床面を感じられたら、水平方向へ意識を広げ、会陰とリンクした床面積をさらに広げていき、水平線から弧を描いて
落ちていく球面を会陰の中心で感じ取ります。
(欲を言えば最終的に球面が繋がって地球サイズの球体を意識できればよいのですが、地球の裏側の見えない部分
のイメージが曖昧になるようであれば水平面の際までの意識で構いません)

ここまで具体的にイメージできたら、先ほどの会陰で風船を膨らませる(押し出すときの内圧とベクトル)感覚を、地球
に置き換えます。

このときすべてのバランスがピタッとはまると、会陰から直接地球を押し出しているような感覚が生まれます。

さらにこの押し出す感覚が先の出産の感覚とリンクすると、丹田(=子宮)の内圧が会陰を通り抜けて地球を生み出して
いるような感覚が生じるでしょう。

この状態で尾てい骨の先(一番下は通常は無感覚でフワフワしている)を斜め前方向へ若干丸め込みながら下へ引っ張り、
地球の中心にアンカリングします。

ここで注意が必要なのは「地球の中心」といわれると頭で球体をイメージしてその球体の中心を設定してからイメージで
アンカリングしようとしてしまうことです。

その場合、頭でイメージした瞬間に意識が上に昇るので、本来の身体構造と重力に忠実に従ったアンカリングとはズレて
しまうのです。

(スピリチュアル的な概念を使うならば、物体の地球とアストラル体の地球とコーザル体の地球とエーテル体の地球それぞれ
の中心のアンカリングがありますが、例えば本人はアストラル体を認識できていないのにアストラル領域の地球に物体領域
の尾てい骨をアンカリングしようとするような次元のズレが生じているのです。といっても、それらの次元は本来別個の領域
ではなくひとつに重なっているのでワンネスの感覚をもって正確なポジションで行えば同じポイントに収まるはずですが、
自覚がズレていれば次元も別々の時空に存在しているようにイメージされてしまうのです)

逆に、身体のポジションが正確であれば、上記の体勢を整えると意図的にイメージしなくても自然に地球の中心に直接
引っ張られている感覚が生じます。

ただ、肉体は中心へ自然に引っ張られるのですが、通常は「地球の中心」の深さの感覚が実感できないので、アンカリング
は本人が経験的に認識し得る深さの座標に留まります。

ワークでよく行うのですが、自分で想像し得る一番低い音(声帯が震えてからでは肉体の可動域に留まってしまうので声帯
が震える前に存在する”aum“のはじまりのような音)に乗ってエレベーターで降りるように丹田の底の中心から自分の想像
を超えた領域まで深く潜っていき、そこから現象界の地獄を引っ張り上げて口から吐き出してくださいと指示します。

すると、たいていの場合は自分の認識の限界を超えられずに深さが肉体意識でとどまってしまい、下半身と上半身が分断
しているので「オエッ」と嗚咽する程度になってしまいます。

これでは自分自身の地獄すらも吐き出せませんし、地獄の存在にも気づかないでしょう。


【二元的「出産=創造」と循環】

ある参加者さんは、上記のポジションを正確にとったときに「会陰から押し出すと同時に中心からも押し上げられている感覚がする」
といわれました。

これはまさにその通りで、この方は感覚が鋭くポジショニングが正確だったので自然とそれを体感できたのです。

この感覚が自動的に生じるためには、まず物質界の私たちは常に対象物を主体と客体の中心で「押しながら引いている」
あるいは重力に従って「落ちながら昇っている」という体感が必要なのです。(このとき、中心は空白ですが、対象との接地面
では磁石の反発のような力を感じます)

このことを上記のポジションで体感するには、まず足の裏を床に接地している段階でジャンプする直前のように床を押しながら
床から押されている感覚を認識しておくことです。

この感覚が抜けていると前述の「うんこ座り」のように、ただ重力に無気力に引っ張られてふてぶてしく現象世界に居座って
しまうのです。

座禅にしても立禅にしても、まずこの重力に無自覚に依存した「居座り」に気づくことが重要です。


これが認識できるようになると「出産=創造」という二元的な現象界のメタファーを自身の肉体をもって実感できるようになります。

(身体構造的には女性のほうが実感しやすいとも言えますが、この仕組みは生物学的な性差関係なく生じ得るものです。
むしろ男性のほうがこの体感を理解したときに未知の至福と恩寵を感じることでしょう。事実このワーク時、ある男性の
参加者さんはまだ未完成で本人の自覚が薄いとはいえ、地球に吸い付くように力強くピタッと立って目が開き、下から
吸い上げたエネルギーが輪郭から漏れ出てキラキラと光っていました)

つまり、この現象界は私たち自身が身をもって産み出しながら、同時に現象の中心からエネルギーを吸い上げて自動的に
循環させているのです。

この感覚が生じてはじめて「グラウンディング」といえます。
(自分自身の軸に消えた「対象のない祈り」はこのグラウンディングありきです)


このとき、丹田に心身脱落していれば、地球からニョキッと飛び出して立っている「自分」は存在せず子宮=自分自身の中に
直接世界が入って循環している感覚が生じるでしょう。

ただし、自分が消えるためには逆に自分の身体がまず直立していなければいけません。

時間の直列する現象界においては、それを知るために私たちは進化の過程で直立姿勢を獲得してきたともいえます。

直立姿勢で軸に消えるためには、上記のポジショニングに加えて頭頂の意識も必要です。


【現象界のラインと出世間のライン】

UMA.jpg
これ↑は「出世間ライン」の開発ワークのため風船の位置は尾てい骨寄りになっています。
「現象界ライン」のワークではこれより前方の会陰の位置で風船を膨らませる感覚です。


秘儀的なポイントとしては「出産=創造」という現象界のメタファーとしての会陰⇒子宮⇒現象側のハートセンター⇒喉⇒
内部の目⇒頭頂のラインは、尾てい骨⇒仙骨⇒腰椎⇒胸椎⇒頚椎⇒盆の窪⇒頭頂のクンダリーニのライン(実際は骨
ではなく骨より内側に通る架空の管)とは異なるということです。

現象界のラインの頭頂は頭部の中央、クンダリーニの頭頂はそれよりも後方の頚椎の延長上のポイントにあります。

クンダリーニのラインは、いわば「出世間」の道で、現象界の創造から離れているのです。

そのため、このラインだけを開発していても現象界の仕組みは実感できません。

実際、垂直に並ぶハラ・ムネ・アタマのうちムネ・アタマのセンターが開くときには、クンダリーニのエネルギーは頭頂へ直接
抜け出る前に、現象界の創造のライン側に引き込まれ利用されます。

しかし、現象界の各センターとそれらの源の真空のような消失点が認識されなければ、クンダリーニはただ出世間のライン
を素通りするのみで、常に世界を置き去りにしてしまうのです。


ここで現象界の頭頂の位置が特定できたら、まず頭頂を壁にグリグリ押し付けて物理的な感覚を確かめます。

そして、頭頂部と壁の接地面の感覚を観察し「接地しているけれど空白」の中心のポイントを見つけます。
(説明は割愛しますが、ワークで毎回行う壁に指を押し当てて中心の空を見つける感覚と同じです)

ポイントが見つかったら直立姿勢に戻り、壁に押し当てていた物理的な実感の余韻を頼りに天井を見上げ、どこか一点
(ビスでもシミでもよい)を定めて内部の目に映します。

見上げた顔を正面に戻したら、頭頂のポイントと定めた一点をリンクさせます。
(このときも前述の離れていても接している感覚を使います)

リンクできたら、壁にグリグリ押し付けながら中心の空を見つけたのと同じく、定めた一点と頭頂の接地面の中心の
空を見つけます。

リンクが密接であれば、頭頂が天井の一点の空と一致して物理的な天井から上へ抜けていく感覚が生じるでしょう。

すると、頭頂から上の全天への開放が起こり、下方の地球へのグラウンディングと上下で対になります。

下方と同じく、頭頂もエネルギーを放出しつつ吸い込んでいますが、頭上に手を伸ばしてとどく位置までを肉体と考えて
エネルギー感覚を磨いておくと実感が得られ易くなります。


そして、上下対になった2つのバランスが取れているとき、はじめて現象界のラインが通り、水平から垂直に重ね合わせて
脱落させる素地ができます。

つまり、ここまではすべて3次元の現象界の話だったということなのです。

ある程度、参加者さんの素地が出来上がった段階で次へ移行していく予定ですが、最初に述べたように、グラウンディング
とハラが弱いままで先へ進んでも途中で引き戻されるだけなので、まずは参加者さん本人の自覚を促しつつ時機を待ちたい
と思います。

会場の道すがら
会場への道すがら


関連記事
⇒ #空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


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【4/29(月) Rubin’s work 5冊目新刊(英訳本)出版 / 無料キャンペーン】  

2024/04/29

●電子書籍(英訳本)5冊目出版●


”Rubin – Awakening – For Transformation of Perception”

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★4/29(月) 16:00 ~ 5/4(土) 15:59 無料キャンペーン実施中です★

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本作は、第一作『Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために』の英訳版です。

英語で読んでみたい方、日本語より英語が得意な方、英語圏の知人にお勧めしたい方、
翻訳出版の参考にしたい方など、この機会にどうぞ!

今回の翻訳にあたり日本語版を改めて読み直してみたのですが、我ながら日本語で
読んでも分かりづらい表現が多かったですね…

英語の場合はロジカルかつ平易でないと伝わらないため、もしかしたら英語で読んだほう
が分かりやすい方もいらっしゃるかもしれません。(内容は基本的に全文同じです)

★無料キャンペーン時に「おひねり感覚」でダウンロードしてくださる方や、レビュー
(英語でも日本語でもOK)を投稿して下さる方は大歓迎です!



<本書より転載>

“Rubin – Awakening – For Transformation of Perception”

This book was written as an experiment in instruction for "you," who seek to get enlightened,
and for "us," who are stranded at a glimpse of realization.

"You" already exists as the synchronic presence of "us" writing this book.
Though I do not yet know the face of the "you" whom I could see someday.

The moment of now already exists, in which the "you" who is now scrolling this page is "I."

When I was writing this book, you were reading it.

I sincerely hope that all of "us" unravel such dizzying intersections of space-time and
fluctuations of the subject with clarity without fainting or dizziness.


◆CONTENTS

0. Prologue
1. Rubin's Vase and "Between"
2. What is Awakening?
3. The Site of Phenomena Occurrence and the Impact
4. Time, Space, and Form
5. Love, Trust, Prayer, Selflessness, Good and Evil, Keys to Awakening
6. Oneness Experience on the Three seats
7. Death, Birth, Destiny, and Karma
8. Phenomena, Magic, Pressure Points, and Substances
9. Meditation, Perception, Intoxication, and Surge
10. What You Will Know by Awakening
11. Common Mistakes, Cautions, and Tips
12. About the Workshops I Provide
13. Epilogue


◆Rubin's work - The Work for Enlightenment, Meditation, Awareness –


******************

【4/30(火)追記】

おかげ様で、Amazon Kindle 洋書 Spirituality 部門で1位になりました!
たくさんのダウンロード、ありがとうございました。

ランキング1位

******************


◆X (旧ツイッター) 英語版を開設しました。

英語版 @Rubins_work_2nd
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【5/18(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」】  

2024/04/27

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

バルーン2 ワーク 指


◆5/18(土) 18:30~22:00
※今回は夜間のみの開催となります。

募集締め切りました。次回は東京にて6/15(土)18:30~22:00開催予定です。
参加ご希望の方は、まずはメルマガご登録をお願いします。(参加条件あり)


⇒ メルマガ登録はこちらから

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・三つ目と一つ目の統合
・3センターの垂直落とし
・垂直のワンネスポイント
・五感の共感覚と無化

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #水平のワンネス/垂直のワンネス 【4/20(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #「慈悲の瞑想」と祈りの対象 【3/16(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その1】

⇒ #ハート覚醒と余剰エネルギー 【3/16(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その2】


↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】


【拮抗するポイントで空に浮くには】



※参加ご希望の方は、拙著 ⇒ 「Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


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追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


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【「徳」についての覚書き ~すべての探求者へ~】  

2024/04/25

【陰徳と紋白蝶】

ワーク当日、朝起きて窓のカーテンを開けると、トング片手にゴミ拾いをする人の姿が飛び込んできた。

真っ白なトレーナーを着た20代半ばぐらいの男性が淡々とゴミを拾い集めていると、どこからともなく紋白蝶が飛んできて男性の周囲をヒラヒラと旋回しはじめた。

思わずベランダから身を乗り出し「ありがとうございます」と声を掛けようとしかけたが、男性の無心の表情にハッとして言葉を飲み込んだ。

その表情と佇まいから「この御方の陰徳を穢してはならない」と察したからだ。

周辺のゴミが綺麗になくなると、男性は無心の足取りで去っていった。

紋白蝶


【徳のポイントゲッターと天使】

20年以上前、決死の覚悟で瞑想に取り組んでいたとき「徳を積まねばここで打ち止めになる」との強迫観念から、夢遊病のように徳積みの機会を伺い彷徨っていた時期があった。

とにかく目に付くかぎり、陽徳でも陰徳でも手当たり次第に何でもやった。

当時の表情は無心とは程遠く、端から見れば鬼のような様相だっただろう。

それでも「徳のない者は徳を積めない」との言葉を痛感し、たとえ劣善といわれようが、徳の車輪を回し続ける強い意志に突き動かされていた。

ある深夜、誰もいない公園の薄暗い電灯の下で、それこそ夢遊病者のようにゴミを拾っていた。

治安のよくない地域の荒涼とした公園には、そこかしこに吸い殻や食べ残しや吐瀉物のようなものが点々と散っていた。

私はむしろそれらを「有難い」と思って拾い続けた。

汚ければ汚いほど、誰も見ていないところで拾えば自身の「徳のポイント」になると盲信していたからだ。

暗い茂みの陰にしゃがんで一心不乱に拾っていると、背後から「よぉ、姉ちゃん、何してるんだい?」と声を掛けられた。

ビクッと振り返ると、ニッカポッカ姿の初老の男性2人がワンカップ片手にニヤニヤしながらこちらを見ていた。

その瞬間、咄嗟に「私の陰徳を邪魔する奴らが現れた」と感じ、引き攣り笑いを浮かべながらその場を立ち去ろうとした。

ゴミ袋を見た男性たちは「姉ちゃん、ゴミ拾いしてたんか、感心した。えらいなあ、えらいえらい」と言いながら近寄ってきた。

私は「いえ…」と引き攣りながらも、その男性たちの屈託のない声かけにフッと心が緩むのを感じた。

すると私の気の緩みを察したのか、男性たちはいっそうニヤニヤしながら「よぉ、姉ちゃん、独りもんなのかい?若い女が深夜にご苦労さん。なんか訳ありなんだろ?」と詮索しはじめた。

そのとき私は、エゴイスティックな徳のポイントゲッターの正体を見透かされた気がして恥ずかしさでいっぱいになり、そそくさと一礼してその場を後にした。

今思えば、あの酔っ払い男性たちは天使だったのかもしれない。

菊政宗


【行者と徳の車輪】

先日、パートナーのリアル氏(⇒ リアルワールド)の講座で、とあるヴィパッサナー行者の方と出会った。

謙虚な方でご自身の体験はひけらかさないけれど、熱心に修行されタイで短期出家された経験もあるとのことだった。

ご結婚もされているが、奥様の全面的な協力の下で修行に専念できる環境にあると伺い「それは得難いカルマですねえ」と、リアル氏ともども感心していた。

帰り道が一緒になり話しながら歩いていると、駅前で数名の若い男性たちが声を荒げて取っ組み合いの喧嘩をしていた。

それを見た行者の方は一瞬、男性たちの方へ向かおうとされたが、直観的に問題ないと判断した私が呑気に「まあ、すぐ隣に交番もあるしあの感じだと大丈夫でしょう」と言うと、胸が痛んだような表情を浮かべ何度も男性たちを振り返りながらしぶしぶ私の後をついて来られた。

そして、改札前で別れ際に「これから能登へボランティアに向かいます」と一点の曇りもない笑顔で言われ、手を振り去っていった。

その後ろ姿を見送りながら「ああ、生まれながらに徳の車輪が回っている方もいらっしゃるんだなあ」としばし感じ入ったのだった。


【徳積みは可能か】

昔、とある覚者に「徳って積めるものなんでしょうか?」と質問したことがあった。

すると、それまでにこやかに話していた覚者の顔が一瞬にして強張り無言になった。

「これはまずい質問だったのか」と思っていたら、天井の方を指さしながら重い口を開き「それに関しては…どうも『上』から言うなっていわれてるんだよ…」と、それだけ応えて質疑は終了した。

その覚者はタントラの系譜から派生して独自の覚醒に到った方だったが、絶対的なバクティからなるエネルギー感覚によって『上』の言葉を読み取り全託されていた。

その頃すでに、自分なりの実体験から徳の仕組みや因果応報の感覚を知ったつもりになっていたが、その時は「ああ、系譜が異なれば徳の扱いも異なるのだな」という程度の浅い理解に留まっていた。

ところが、いざ自分が人様に教える立場になってみると、改めてその覚者が口を噤まざるを得なかったデリケートな感覚が、身に染みて理解できるようになった。

結局のところ、徳を語るためには「どの認識から」「どの時空で」「どの覚醒レベルを教え」「どのスパンで生徒のカルマを請け負うか」といったシビアかつトータルな自覚が求められるのだ。

おそらく、その覚者はパッと来たばかりの一見の私にその場のノリでペラペラと徳を語ることを『上』から止められたのだろう。

私自身も、ワークを始めるにあたり徳を語ることには慎重になっていた。

なにより、徳という言葉の抹香臭さを匂わせないように気を配っていた。

実体験からカルマと徳の理解は絶対に外せない項目ではあったが、初めての参加者さんには極力匂わせなかったし、必要がある場合にのみ準備の整ったリピーターさんにお伝えするに留めていた。

しかしワークを重ねるにつれ、どうしても徳について語らざるを得ないシーンが出てくるようになった。

自分の体験を元に語るとき、カルマと徳の話抜きには語れないからだ。

そして、ある時期から初回の参加者さんへお送りする「参加要項」の中(それまでは2回目以降の方への要項にのみ記載していた)にも、徳という言葉を慎重に避けつつも仕組みは同義の<現象世界におけるエネルギー還元について>という項目を追加するようになった。

ワークには様々なバックグラウンドの参加者さんがいらっしゃるが、この仕組みの理解はどの参加者さんにとっても重要であり、それこそが恩寵を受け取る鍵だからだ。

これは、ワーク参加者さん以外であっても、どの探求者にとっても重要であるとの考えから、以下に参加要項からの抜粋を記載したいと思う。

~以下、抜粋~

<現象世界におけるエネルギー還元について>

私自身の経験上、覚醒を志向するときにはそれに見合うエネルギーを意識的に現象世界に還元・循環させることは必須となります。

具体的には、エネルギーの象徴としての金銭や人力等を日常のあらゆる場面でできるかぎり意識的に提供していくことです。

このときのポイントは「提供してあげている」という立場ではなく、「提供させていただいている」という感謝の感覚で行うことです。

なぜならそれは、すべて再び自身に戻ってくる還元の流れを意識的に利用させていただいているからです。

覚醒は現象世界のエネルギーを無視しては起こりません。

それは、壮大な時空の流れのなかで今この瞬間、創造の源との表裏一体の協力体制のもとに起こるのです。

突発的に見える一瞥体験も実は、過去に放ったエネルギーの循環のなかでの結果です。

最初は難しく考える必要はありません。

「自分にとって大切なものを受け取ったとき(受け取りたいとき)には、それに見合うエネルギーを感謝とともに現象世界へお返しする」と考えてください。

エネルギー還元(循環)が無意識のレベルまで癖づいてくると、瞑想や気づきの深まりとともに「その先」へ進むためにはどの方向のエネルギーがどのように還元されフィードバックされているのか具体的な意識の触覚を伴ってわかってきます。

~抜粋ここまで~


人によっては、これを読んで「なんだ、その辺の引き寄せ本で言ってることと大して変わらないし、そんなにデリケートな話なのか」と思うかもしれない。

しかし、いわゆる引き寄せの類と異なるのは、そこにエゴ感覚があるかないかなのだ。

ここが厳然たる覚悟を必要とする所以であり、その覚悟を一見の参加者さんへ問うことは、ともすれば宗教的な強要ととられる可能性があるのだ。

とはいえ、これもある時期から参加条件として「なぜ覚醒したいのか」を800字以上にまとめたレポートの提出をお願いするようになったことで、参加決定された方については覚悟とはいわないまでもエネルギー還元の意味についてお伝えしてよいかどうかを迷うことはなくなった。

ここで、なぜ長々と徳について語ったかというと、先日のワーク当日の朝に自宅の前でゴミ拾いをされている方を見かけたことを発端とし、会場へ向かう電車の中では遠くのほうからす~っとこちらへ引き寄せられてきた外国人観光客に道案内する機会が生じ、ワークではなぜかかなり早い時間に会場入りされた初参加の方がいて(開始時間を間違って記憶していたとのこと)、その場の流れで上記の参加要項の【現象世界におけるエネルギー還元について】の話題となったという一連の経緯があった。

この方は修験道の行者さんなのだが、ヴィパッサナー瞑想も経験されており、もともとカルマや徳についての理解はあったが「今回の参加要項を見て、意識的に善行に取り組んでみたことでその意味を再認し、慈悲の瞑想の理解にもつながっています」と報告された。

この方にはカルマや徳や善行といった言葉がそのまますっと入っていくので、具体的な因果応報の事例を交えてお話することができ、開始時間の記憶違いから起こったこの必然の時間が与えられたことを嬉しく思った。

「善行というのは、最初は意図的な劣善から始まっても、それがその人にとって必要な道であれば、ある時から自分で意図しなくても雪崩れのように徳を積む機会が向こうからやってくるようになるんですよ。その始まりの最初のサインは、電車に乗るとなぜか妊婦さんやお年寄りやご病気の方がす~っと引き寄せられるように自分の前に立つようになることですね」と言ったら、後から来たもう一人の僧侶の方と一緒にうんうんと頷きながら笑ってくれたのだった。

電車で


【一瞥体験と徳の枯渇】

一瞥体験というのは、往々にして過去世からの徳をその瞬間使い切ってしまうのです。 だからこそ、一瞥体験者はそこで気を抜かずに改めて徳を積み直す必要があるのです。

カルマと徳の理解のない一瞥体験者は、なぜその後同じ体験が起こらないのか、なぜ無明の苦しみに引き戻されるのか、体験の仕組みが理解できないまま、体験の記憶に執着し続けます。

もちろん、時空を超えたところではカルマも徳も幻想です。

しかし、その仕組みを知らなければ幻想も解けないのです。

徳の理解と運用には、実体験に基づく検証とセンスと直観力が必要です。

「公共のトイレを素手で磨けば運がよくなる」と聞き、仕組みはわからないけどなぜか気分がいいと喜んでいるレベルでは、いつまでたっても徳積みはブラックボックスのおまじないの域を出ません。


【徳積みのセンスと現報の果】

接心に参禅する時期になると、市場で生きた魚介類を見つけるたびにバケツごと買い取って近くの川や海に放流している行者がいた。

その行者は、生きとし生けるものへの慈悲から命を救う善行をなし、徳を積んでいると信じ至福感に浸っていた。

この行為は一見すると美談に見えるが、放流するのであれば魚介それぞれの生息地を詳細に調べ、それぞれに適応した水辺を探すか、自宅に水槽を用意したうえで引き取るべきだろう。

そうでなければ、逆に生態系を乱したり、生態系外の敵に捕食される可能性があるからだ。

とはいえ、即効的な現報という意味では、この行為が100%無意味というわけでもない。

少なくとも、その行為によって一時的にでも心が軽くなるのであれば、瞑想中になんらかの果はあるかもしれないのだ。

しかし、その楽果は限定的なものに留まり、やがて想定外の因は、巡り巡って行者へ返ってくるだろう。

そのとき行者は、返って来た原因不明の苦果に悩まされたとしても、その因果を解くことができない。

それ以前に、因果の連鎖を待つまでもなく、短絡的に善を強行する自身の性質に気づけないのであれば、その性質はそっくりそのまま瞑想の質に直結し、遅かれ早かれ瞑想は打ち止めになるだろう。

だから、徳積みにはセンスと直観力が必要だというのだ。

因果は全て瞑想の微細な領域にまで直結している。

微細になればなるほど、因果のベクトルを直観的に感知しなければ、知らぬ間に見当違いの方向へ逸れていってしまうのだ。

方向が逸れているかどうかは、意識のバランスの中心を知っている必要がある。

中心の空を知っていれば、そこから逸れるベクトルを瞬時に感知できるからだ。

デリケートな話になるが、ベクトルを見切る精度が極まれば、善行は世間一般の善悪や道徳や規律によっては図れないような行為へと促され、それに全託せざるを得なくなる。

全託者の行為は、凡夫から見ればもはや何の行動原理をもって成しているか意味不明になるだろう。

因果を折り重ねて直接行為する様は、脈絡のない儀式か魔術のように見えるかもしれない。
(拙著 『Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために』 では、これを「覚醒へのフィードバック」という言葉で表現した)

全託が即、行為と一致するようになれば「善行」と呼ばれていたものは、相対的な「善」が剥がれて無為の「行」となる。

そこにはすでに、行する者は存在しない。

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【聖なるエゴの麻酔と学習】

前述の覚者は、覚醒間もない頃には来るもの拒まずで早朝から深夜まで毎日、ありとあらゆる相談を受け付けていたという。

真っ新なハートは疑いを知らず、他者との境界がなかったのだ。

だがしばらくすると、それを聞きつけた心の弱い者たちが次々とやって来るようになり、一晩中電話をかけてきたり自傷をほのめかして呼びつけようとしたりするので、心身がすり減り、ついにはエネルギーが枯渇してしまった。

その経験を経てはじめて全託を問い直したところ「覚醒を伝える者の心構えと、それぞれのカルマとの中庸な距離」について学習させられていたことに気づいたそうだ。

このような経験は、今世ではじめて一瞥体験しハートセンターだけが暴走した場合に起こりがちだ。

自身のハートに従っているつもりが、そこに紛れ込んだ「聖なるエゴ」に酔ってしまうのだ。

最初のうちは酔いが麻酔となり、他者の痛みや依存をどんどん受け入れてしまうが、痛みに正直な心身は悲鳴をあげ始める。

なんらかの系譜に属していたり、絶対的なバクティが発動している場合は経験の意味に気づけるが、気づかない場合は往々にして「こんなにやってあげたのにわからないのか」と怒りはじめたり「やはり人間は救いようがない」と吐き捨て隠遁してしまったりする。

私自身は、昔からそういったパターンをたびたび目にしてきたことで、人の心の弱さと依存に対するスタンスは初期の頃から一貫していた。

以下は、先日出版した拙著『Rubin ~ルビン~ -ワーク実践篇-』のまえがきからの抜粋である。

~以下、抜粋~

また、ワーク参加にあたってはいくつかの参加条件を掲げています。

条件を目にして「覚醒は誰しも平等に起こり、誰をも平等に受け入れるべきではないか」と不快に思われる方がいらっしゃるであろうことも承知です。

ただ先にも述べたとおり、3次元の私がわたしとカチッと一致しないかぎり、私と肉体は癒着し続け「いつどの瞬間でも覚醒のポータルになる」という信は定まりません。

その意味で、肉体と癒着した段階において「自分自身を信じる」ためにはまず、3次元の人生において3次元の心身に自己納得していただきたいのです。

意識的であろうが無意識的であろうが、これを無視して覚醒の道をショートカットしようとしても、無視したレベルに「正確無比に」引き戻されることになります。

とはいえ、全てが完璧に整う必要はありません。

鍵となるのは、その人その人の「自己納得」なのですから。

~抜粋ここまで~


私の中には、人を「救う」という感覚はない。

もし「救う」人がいるならば、それは私自身が救われていないからだ。

それでも、時おり救いを求める人がやってくると、私の中の未浄化なものに気づかされる。

そのときは正直に上述のスタンスをお伝えし、それぞれの生の全うを信じることしかできない。

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【阿闍梨と餓鬼】

霊力に優れた知己の阿闍梨は、大震災直後に施餓鬼会を行ったところ、かつて見たこともないほど無数の餓鬼が押し寄せてきたと語っていた。

震災で亡くなった方々への供養に乗じて、我も我もと救いを求めてきたのだという。

それはそれは凄まじい光景だったそうだが、押しつぶされそうになりながらもそれらの想念を丁寧に浄化していったそうだ。

これができるのは専門家の中でも選ばれた者のみだが、その供養も「救う」という意識では救われようとする想念の依存に巻き込まれてしまうのであって、自己を浄化しながら想念を「解いていく」ことが、本当の意味での成仏を促すのであろう。


【徳の自転車操業と信頼】

私は20代後半でピタッと前世からの徳を使い切った自覚があった。

それまでさんざん好き勝手なことをしてきて人様に迷惑をかけてきたので「もうここまでか」とそんな自分を見限っていたのだが、せめてこの私をダメにした自意識の正体だけでも見切ってやりたいという怒りにも近い想いだけはフツフツと湧き起こり続けていた。

だが、当時はそれを見切る術を知らなかったのだ。

そんなある日、学生の頃にフラッと立ち寄った本屋のことを思い出した。

ミニシアターでのバイト帰りに高田馬場駅前にあった本屋に立ち寄り、アート崩れの若造よろしく思想コーナーの「ユリイカ」を立ち読みしていたら、ふと隣のコーナーに目がいった。

30年前は精神世界というジャンルは手薄で、たしか認知心理学かなにかの並びだったように思う。(当時毛嫌いしていた宗教コーナーであれば完全に無視していただろう)

そこにあった心理学関係の様々なワークを紹介するムック本をなんとなく手に取り、パラパラめくっていると「ヴィパッサナー瞑想」という文字が飛び込んできた。

その時は「瞑想?ヴィパッサナー?なんだ宗教か」と思って閉じようとしたが、なぜか気になってその効果効能や体験談などをひととおり斜め読みしたのだった。

だが、その時はまだ20歳そこそこで自己表現への野心と希望に満ちており、瞑想にはまったく食指が動かなかった。

それから10年の月日がたったある日、突然その時の本屋の一角の映像と「ヴィパッサナー瞑想」という言葉がフラッシュしたのだ。

すぐにネット検索で引っ掛かった団体へメールし、2週間後には瞑想会へ参加していた。

「これを絶対にやらなくてはならない、絶対に」という異様な意志に突き動かされていたのだ。

私の徳は風前の灯だったが、ギリギリ残っていた最後の徳の燃え残りが、次の世界へと進ませてくれた。

瞑想を始めてからは、ギリギリの徳を使っては積み使っては積み、自転車操業で回していた。

はじめは徳やカルマや悟りなどという言葉すら知らなかったのが、瞑想と並行していくうちにそれらの意味を痛切に理解した。

「私には徳が足りないのだ、徳を積まなければここで終わりだ」

それが、前述の「深夜の公園」の徳積みの話につながっている。

徳のポイントゲッターというエゴが外れ、無心の行為を知るようになったある時、瞑想中にバチン!と音がするように全ての徳が一点に集中し「それ」が起こった。

ここで再び一瞬にして徳を使い切ってしまったが、昔と違ってこんどは現象世界で強制的に徳を積まされるカルマ的な怒涛の展開が起こっていった。

今思えば、完全に腐っていたあの時ギリギリ残っていた徳が作動したのは、絶望しながらもどこかで「それ」への信頼があったからだ。

それは、徳が尽きる前に徳が出会わせてくれた様々な出来事や人々の無条件の愛と慈悲への信頼が記憶の彼方に残っていたからなのだ。

私はよく、行き詰ってしまったと訴える人に対して「どんなに小さなことでもいいから自分が過去に受けた善意や一瞬の至福感を思い出してください。それはなぜこの自分に起こったと思いますか?」と問う。

そういったひとつひとつの瞬間を無視して嘆いていては信頼は育たないからだ。

この辺りは内観にもつながってくるが、自分は誰からも愛されない、不幸しかない、と思い込んでいても、生まれてこのかたほんの一瞬でも気持ちが軽くなった瞬間がなかったかどうか、自分の記憶を詳細に調べてほしい。

そこに一瞬でも至福があったなら、それへの信頼を取り戻していけるのだ。

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【徳についての覚書き】

~Rubin's work Xより転載~

◆徳という言葉はエゴを強化しやすいのであまり使いたくはないのですが、ことに修行においてはカルマや徳が直接作用してきて、起こってくる現象の意味を解かないかぎり先に進むことはできません。
そこに気づけるか気づけないかは徳に左右されます。

◆エネルギーとして貯まるというよりも、瞬間瞬間の反応パターンが組み変わるんですよね。
その結果、エネルギーが変化して軽くなる。
徳という考え方は一長一短で、自分が徳の貯蔵庫であると考えるとエゴが肥大しますね。

◆善行の果を今生の自分が受け取るという保証はない。
「自分が受け取る」という自分がないとき、善行は善行としての目的を果たし、善が剥がれて行となる。

◆徳という概念は誤解を生みやすいのであまり使いたくないが、あえていえば一瞬のタイミングを全カルマの果として合わせられるかどうかが徳だ。
本気ならここは常に意識する。
リトリート前は断食必須で、復食期から入る。
能動的にタイミングを合わせるのは、見かけ上とはいえこの私なのだ。

◆徳っていうのは、優劣じゃないんだ。
徳は因果であって、すなわち時間の幻想なんだけどね。

◆「徳のポイント10倍還元セール」に群がる鬼の形相。

◆徳を知る者のみが、不徳を詫びられる。

◆得しようと思えばさもしい。
徳つもうと思えばさかしい。


花と手


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⇒ 質疑応答 【禅とヴィパッサナーの相違と方便について】


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