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Author:AYA
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出生時、予定を過ぎてもなかなか子宮から出てこなかった。
暖かいところでぬくぬくと、ずっと寝ていたくてギリギリまで抵抗したらしい。
1歳のときに喘息の発作で死にかける。
病院のベッドと医者の措置を部屋の左上から見下ろしているヴィジョンが刻まれている。
自我の芽生えと自覚は2歳ごろからあった。
親との関係性をきっかけに主体と客体の意識が芽生え、分離の根源的な不安を抱えることになる。
3歳からバレエをはじめる。
最初の1年はほとんど教室の机の下に隠れてみんなが踊っているのを覗いていた。
いつも世界を、身をひそめながら覗いていた。
幼いころからいつも世界を「ひいて見て」いて、大人たちによく「じっと止まって見ている存在感が怖い」「見られていると不安になる」といわれることがあった。
世界から逃げるために、誰にも気づかれずにひっそりと存在する虫や植物や石の微細な造形を顕微鏡をのぞくように延々と観察していた。
5歳のときに自宅のベランダに干された布団の上で布の感触や縫製をぼんやりと観察しながらまどろんでいると突然「カチッ」という瞬間とともに風景全体と一体化して在るという最初のワンネスの体験をするも、自我と概念が確立しておらず、体験の驚愕を意味づけすることができないまま誰にもいわずに封印する。
6歳のとき自室で立ち上がった瞬間、目の前に突然「ザーーー!」っと無限の空間が広がりすべてのものがネットワークの網目としてつながり相互に干渉しあってひとつの有機体のように変化していく様をはっきりと見る(直接触る)。
このときは、体験を概念化できないものの「ああ、わかった!わかった!」というハートの強烈な納得が起こる。
7歳のとき近所の子供とケンカをして30センチ四方のアスファルトの塊を頭にぶつけられた瞬間、血が多量に噴出しているのにもかかわらず痛みもまったく感じないまま、意識がカメラそのものになり、傾いて倒れるまでの数秒、自分がなくなり周囲の景色をただシャッターのように断続的に切り取っていく体験をする。
その後、自我が確立するまでの数年、現象世界に顕れてくる事象やルールやしくみの不可解さに対して不安と恐怖をつのらせ気管支ぜんそくやアトピーが悪化するも、日常的にたびたび「そちらがわ」からの呼びかけがあったり、過去世の生々しいヤントラのようなものをみたり、失神するような無限のヴィジョンに圧倒されるようなことが起こっていた。
授業中に突然、前方の黒板と先生が彼方へ遠ざかり頭上に巨大な母船の船腹の存在を感じて気が遠くなったり、数字のカードを1から100まで並べているうちにゲシュタルト崩壊を起こし意識が変性してパニックになったり、教室の濡れた床を走って転び意識のカメラのシャッターの切り取りの再体験をしたり、天国と地獄のリアルな絵のすごろく(天国があがり)を自作して地獄絵のあまりの残忍さにショックを受けた親に殴られたり、といった子供時代を過ごす。
いつも現実に入り込まず、あちらとこちらの狭間で目を見開いて固まっているような子だったため、「現実的な」子供たちから下校時にランドセルに石を入れられるような嫌がらせを受けたりすることも度々あった。
嫌がらせを受けても、それを不可解な現実における他人事のようにじっと見ていて、なんの感情も湧き起こらなかった。
10歳より親の仕事の関係で4年間、南米に滞在。
まぶしい太陽の光と日常に溶け込むあちらとこちらの境目のないマジックリアリズムの世界の中ではじめて安堵感と現象世界の美しさ愛おしさと畏敬の念を知る。
同時に喘息とアトピーも寛解。
13歳のとき、強烈な光と流れていく雲とどこまでも続くサトウキビ畑の前で立ち尽くし、5歳のときの再体験をする。
14歳のとき帰国。
日本の管理教育の息苦しさのなかで急速に無邪気さを抑圧し、エゴの強化と概念を再構築していく。
この後、30代前半に至るまでエゴの暗黒の時代を過ごすことになる。
19歳、大学入学と同時に、ダンスや舞踏、および各種ボディワークを習得しはじめる。
卒業直前、すでに決定していた奨学金助成つきの留学のチャンスを捨て、舞台活動を志し、20代半ばより作品を創作しはじめる。
未熟ながらも助成金を得て海外で作品を発表する機会を得たこともあった。
28歳のとき、エゴの袋小路に行きつき、アトピーが再発、かつてないほどに悪化し数ヶ月の社会生活の停止と沈黙を余儀なくされる。
31歳のとき、自己の存在意義を公の場で徹底的に批判されることがあり絶望、それをきっかけに身体と意識とエゴの関係を探るために、文字どおり取り憑かれたように瞑想をはじめる。
(このときまで「覚醒」「悟り」「カルマ」「解脱」という概念をほとんど知らなかったのだが、それがむしろ幸いした)
33歳のとき、とある瞑想のリトリート中に認識の衝撃的な転換の体験が起こり、それ以後、まったく新しい世界の認識が確定される。
このとき出家を考えるも、瞑想で見た「認識の分岐点」のその先を知る前に、現象世界におけるエゴの自立と未消化の各種体験の補完、カルマ的な借りを清算する必要を切実に感じ、なにかに突き動かされるように意識的に体験・整理しはじめる。
並行してエネルギーや認識のしくみの理解や体験、ヴィジョンがおりてくるようになる。
この頃、心身の各センター(頭・胸・腹)それぞれにおける存在の明確な体験と理解が起こる。
30代でひととおりの整理をおえ、40歳のときに現象のエネルギーと二元の理解、およびハートの理解が生じ、認識の体験の後にちらちらと残り続けた「一元と二元が並行する矛盾」が解決する。
その後、カルマ的な怒涛の展開で現在のパートナーと出会い、徹底的に無為に遊ぶ数年を経て、瞑想の教えのアシストをはじめる。
そのなかで、クリアな認識の確立や身体的アプローチの必要性において自分なりに補完できる役割があるのではと感じはじめ、認識転換のためのワーク開催に至る。
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2018年秋より、認識転換のためのワークショップ “Rubin’s work(ルビンズワーク)”を主に都内にて開催しています。
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