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【12/5(土) 東京ワーク】 ~所感と解説~        

2020/12/10

◆12/5(土)東京にてワークを開催しました。

ワーク2 ワーク1



【足裏の感覚について】

参加者さんより感想と質問をいただきましたのでシェアします。


<質 疑>

翌朝の通勤で周りの景色が鮮やかでクリアに感じられて、今まで
気がつかなかった物に気がついたりと、何かが違う感じが凄かったです。

また、気のせいかも知れませんが、気絶しない様に気をつけていると、
ATPとかグリコーゲン以外のエネルギー源が体の外にある様に感じられ、
ランニング時などの疲労感が全く違う様に感じられます。

教えていただいた、足の裏を感じながら歩くワークですが、内部の目
(実際に教えていただいておりませんが)と感じられる視点から見ていると、
接触面に隙間が出てきて境界が曖昧になっていき、そこを注視していると
どんどん狭く小さくなっていく様に感じます。
(表皮の接触面はどこでもそれが感じられます。)

今後の自分の課題として、この接触面の境界の感覚は私のイメージ
なのかどうか?そこを詳細に観えるようにした方が良いのかどうか
教えていただききたく、メールを送りました。



<応 答>

接触のインパクトの瞬間は捉えられていると思いますが、見ているうちに
時間的な経過がまぎれこんでイメージに発展しているようです。

便宜上、足の裏を見てはいますが、接触面という面積のある実体が先に
存在するわけではないのです。

受動的に触れてくる接触の瞬間を脳内でつなぎ合わせたものが足の裏と
呼ばれている幻想です。

ここを理解しないと、身体との同化の幻想は見切れません。


また、 境界というのも概念です。

事象が移り変わっていくとき、ひとつの事象を選択し注視しようとすると
必ず自身の意向がまじったイメージに発展していきます。

具体的なポイントとしては「~していく」「~なっていく」という、時間的に
連続して変化していくイメージを追わないことです。

ひとつの事象に興味を持って個人的時間が経過するうちにも、気づかれない
無限の事象が起こり続けています。

感覚は前後の脈絡がなくていいのです。

例えば、ある瞬間、針の先ほどの感触が生まれたとして、次の瞬間にその
感触は宇宙の大きさに広がって感じられるかもしれないのです。


あらゆる事象を「こうであるはず」と決めつけず、ひたすらその瞬間に意識に
触れてきたことだけを正確に見ます。

ただその瞬間に触れた事象だけに気づいて、次の瞬間に連続させようと
意図しないでください。

連続させないといっても、次の瞬間を感じないようにするわけではありません。

ただし通常は集中力の甘さと脳内編集の癖で、イメージが連続してしまった後に
気づくことがほとんどですので、連続してしまったらただその事実に気づきます。

やっていることはシンプルですが、微細に見ていくうちに、このプロセスの中に
自身の反応パターンのすべてが含まれていることに気づくはずです。

その先に進まないとすれば、反応パターンが事象の見方を固定してしまって
いるからです。


感覚が曖昧になってきたら、爪楊枝のワークの能動と受動のあいだの感覚を
実際にやり直してみて、気づきをニュートラルな状態にリセットしてください。

内部の目の訓練は次回ワークで行う予定です。

ここが転換すると、肉体の目と気づきの癒着が剥がれて、より気づきが
鮮明になります。



【ハートの感覚について】

ハートの感覚と対象のない祈りは覚醒へ運んでいってくれる最大の鍵です。

ほぼ毎回、ワークでも取り入れているテーマです。

ハートの感覚と意味を体得すると、祈りが全体の中でどのように起こるかが
具体的に理解されます。

ところが、日常生活でハートの感覚を感じたことがないという人が多くて驚きます。

今回も、数名の参加者さんがハートの感覚がわからないとのことでした。

身体的な位置を指し示すことはできますが、感覚自体はまずは日常で発見して
いく必要があります。

以下、ハートに関して、以前のブログより転載します。


ハートは現象のすべての事象とメビウスの輪のように表裏一体につながっていて、
3次元においては無限に連なる膜のような面としてとらえられます。

現象面に連なる以前のハートと身体感覚が出会うポイントにおいては微細な
振動と響きがあります。


ハートというと感情やフィーリングとともに閉じたり開いたりするようなイメージがあるかもしれませ
んが、本来の機能としては弦のように振動してあらゆる現象と触れるためのポータルとしてあるの
であり、感情やフィーリングと結びついて認識されるのは個人としての人間の思考や身体感覚に
基づいた二次的な感覚です。

純粋なハート自体は閉じたり開いたり溢れ出たり傷ついたりするようなものではなく、相対的な
振動と響きが無限の織物のように紡ぎだされ広がっていることに直接触れています。
(ハートと名付けられた言葉にともなう甘酸っぱさのようなフィーリングの弊害があるとも
言えますが…)


また、ハート単体では個別の現象を区別して認識したり判断することはできません。

触れている面はとぎれのない無限の膜が波打ちながら全体として変化し続けているようなところ
だからです。


今回は、まず各自の感覚から自身で思うところのハートの位置を示していただいたのですが、
人によって思いのほか差異がありました。

個人的には、ハートの位置(具体的な位置については拙著参考)というのは誰しも自然に知っている
ものなのではないかと予想していたのですが、大幅にズレてはいないにしろ、深さや上下の位置の
差にバラつきがあったのです。

この差は、ふだん現象世界で様々な事象に触れたとき、人生を通してどのように認識し味わって
きたかの積み重ねの差であり、よく言えば各自の個性ということになります。


純粋なハート自体の機能に触れるためには個が落ちていることが必要になるのですが、まずは
個別の身体を通した二次的な感覚から遡っていくために、各自の経験からくるハートの感覚について
聞いていったところ、「なんとなくじわじわする」「痛みを感じる」「ふわっとあたたかくなる」といった
応えがでたものの、ボキャブラリーとしても感覚としてもあまり具体的なものではありませんでした。

今回の参加者が男性だけだったこともあるかもしれませんが、なにかハートの琴線に肉体的に
触れる事象(例えば何かに感動して胸がいっぱいになる、悲惨なものを見て胸が張り裂けそうに痛む、
愛しいものに触れて胸が爆発しそうになる、他人の優しさに触れて感謝が溢れだす、後悔の念で胸が
チクチクする、不安で胸が押しつぶされる、等)が起こったとしても、それをハートの位置にとどめて
味わうことなく、すぐさま思考と概念に転化して理性を保とうとする傾向があるのかもしれません。

(誤解しないでいただきたいのは、今回の参加者さんがハートで何も感じていないということではなく、
感じているもののそれを「ハートの経験としてハッキリとは認識していなかった」ということです。)


まずは、感情と感覚と思考を切り離し、それぞれを単体で具体的に感じ取れるようになることが必要です。

そして、感情を切り捨て「無だ空だ」と先を急ぐ前に、人間としての感情を存分に味わい経験することが
必要です。

そうしなければ、その奥に潜むハートの純粋に響く場を見つけ出すための感性と直観が養われない
からです。


何かが「わかる」ということは、具体的な衝撃を伴って核心に「響く」ことです。

これは「腕にナイフを突き刺したら痛さで飛び上がる」のと同じぐらい具体的・衝撃的なものです。

この「響く」場は、人間として何をどう経験し味わってきたかということに自覚的でなければ
形成されません。

ぼんやりとした経験からなる感性は緩んだ弦のようなもので、弾いても響かないのです。

だから、覚醒や悟りを求めても結局、人生をあらためてやり直すことになる人が多いのです。

人間としての日常を馬鹿にしてはいけないということです。

日常の一挙手一投足すべての経験の中に鋭い感性と直観を養う鍵があるからです。


ただ、人間の経験は思考・感情・欲求など様々なレベルが混線し、ひとかたまりのものとして
粗く雑に認識されています。

そのため、いったん経験し味わいつくした後に、それらの混線を解きほぐしていく必要があります。

瞑想とはいわば、この「解きほぐしていく作業」そのものです。




【信頼と祈りについて】

ワークの参加者さんが「飛び超える寸前の感覚が何度もくるけどなぜか止まってしまい、
何が止めているのかわからない」と質問されました。

この方の場合、内的な張力がまだ引き絞れる余地があるのと、内部の目の
不明瞭さはありますが、それらが途上でもタイミングによっては一瞥が起こるでしょう。

「遠慮せずに、飛び超えていいんですよ」とお伝えしたとき、エネルギー的な
促しと祝福を感じました。


あとは「信頼と祈り」が自動的に連れていきますが、信頼の確立のために一瞥が
先に来る場合もあります。

大切なのは純粋な信頼であって、智慧や技術は後からどうにでもなるのです。

タイミングはすべて決まっており、誰にもコントロールできません。

わたしはその方のタイミングを全面的に信頼し、自身の軸に重ねて祈るだけです。

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【12/5(土)14:00~17:30 、18:00~21:00「東京ワーク参加募集」】       

2020/11/19

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。


12/12開催予定でしたが、緊急事態宣言発令の可能性も見越して
12/5(土)に前倒しとなりました。

今後のコロナウイルスの状況によっては今回を最後にしばらく
開催できなくなる可能性もあります。

ウイルス自体はそれほど心配していないのですが、場所の確保
が難しくなるためです。

今回の開催も危ういところですが、今年最後ということもあり、
全開でお伝えしていきます。


12/5(土) 14:00~17:30 、18:00~21:00
定員に達したため締め切りました。
次回は1/9(土)を予定しています。 
※コロナウイルスの状況をふまえ、無期延期となりました。
再開が決定しましたら改めて告知します※


※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。
通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・全体の気づきと場のエネルギーの読み方
・肉体とイメージの境界を物理的に超える
・内部の目の確立と発火する気づき
・境界を越えた空間としての動きと意図
・あらゆる瞬間の中心に消えてあること
・定点が外れた非重力的な気づきへの移行

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

【11/7 (土) 東京ワーク】~所感と解説~
http://rubins-work.com/blog-entry-99.html
【10/18(日) 東京ワーク】~所感と解説~
http://rubins-work.com/blog-entry-95.html


※参加ご希望の方は、拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


⇒メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。

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【11/7(土) 東京ワーク】 ~所感と解説~        

2020/11/13

◆11/7(土)東京にてワークを開催しました。

ワーク
 「内部の目」のワーク


今回も身体や目の基本的な使い方や姿勢の調整などを基礎として行いましたが、
ワークの後半では基礎をベースにしながらも、テクニック云々よりも「存在」の
感覚をダイレクトに感じていただくことに主眼を置きました。


◆まず、以前行った糸を使ったワークで他者と自分とのバランスのあいだに消える
ことを体感していただきました。(前回のワーク参照)

前回は2人組で行いましたが、今回は4人組で4つの方向に糸を引っ張り合いながら
4人のバランスの中心を感じ、全員の意図の一致する方向へ動いていってもらいました。


<前回のワークの解説より抜粋>

糸

http://rubins-work.com/blog-entry-86.html


この、能動と受動のあいだというのは、どの位相のどの瞬間にも
全てにおいてあるものです。

このことをまずは3次元の物質を通して体感していただくために、
上記の爪楊枝のワークに加えて、今回はナイロンの糸を使ってみました。


まず、2人組になって糸の両端を指でつまんでもらいます。

そして、糸をピンと張って相手と自分のあいだで起こる微細な振動や
バランスが取れて一瞬止まっている状態を感じ取っていきます。


微細な振動を感じているときは、2人の間で糸の引っ張り合いの
駆け引きが起こっていますが、バランスが取れているときは、糸の
張りの感覚自体が消えて真ん中でふっと質量の消えているような
ところが見つかります。

ここは能動的に引っ張っても受動的に引っ張られてもいない
均衡なポイントです。

この真ん中にお互いの意識があるとき、その瞬間2人は同時
にそこに消えています。


次に、お互いの微細な振動を感じとりながら瞬間瞬間、糸の
バランスのとれる方向へ感覚をたよりに移動していきます。

すると、2人の身体が思いもよらない方向へどんどん勝手に
進んでいったり回転したり上下したりしはじめます。
(皆さんの動きは即興的なデュエットのダンスとして見ても
優雅で秀逸なものでした。)


このとき、糸の移動と運動のどの瞬間にも先ほどの「質量の
消えているところ」があることを見出せます。

見かけ上、止まっていても動いていても、どの瞬間にもそれが
あるのです。

この実験ではシンプルに2方向のバランスから起こる力学的な
消失点を体感していただきましたが、実はこの消失点は360度
どのバランスの中にもあって、どの方向のどの瞬間にもあるのです。

そしてまた、物質のみならず思考や感情や意図やエネルギーと
いったすべてのものに、このポイントが瞬間瞬間に無限にあるのです。
(これは、単純に物質的な力学に還元しているだけでは体感的に
見切ることが難しいですが、原理としては同じことです)


糸で例えるとイメージとしては、ひとつの思考の瞬間に360度すべての
方向に糸が引っ張られていてその瞬間のバランスをとっている感覚です。
(360度というのはあくまでも3次元で例えた場合です。多次元から
見れば別のベクトルが加わってきます。)

このように、あらゆるものが360度引っ張ったり引っ張られたりしながら
無限にバランスをとっていて、そのひとつひとつの「決定された」バラン
スの真ん中はそれ自体として消えているのです。

これは現象世界の極小から極大まですべてのものに共通しています。


ある意味、現象世界側の理解としては、このことがシンプルに腑に
落ちればよいといえます。

ただ、おそらくそれらの消失点をバラバラに見出すことができても、
運動の連続性や「わたし自身」の存在や認識との関係性が腑に
落ちないということがあると思います。

これは、サマタが高まっても対象と気づきが並行し続ける問題にも
関係していますが、認識とハートと丹田それぞれの明確な理解と、
軸に消えて存在に脱落してあることによって一気に解決します。



◆次に、この糸のバランスの感覚を持ったまま、2人組でボールを投げあって
もらいました。

ボール


このとき、自分の丹田と相手の丹田が糸でつながってバランスをとっている感覚で、
丹田からボールを投げ、丹田で受け取るようにします。

すると、投げあっているうちにだんだんと呼吸とリズムが合ってきて「相手を受け取る」
という直接的な感覚が生じてきます。

なぜならば、丹田というのは自分自身という存在の感覚につながっているからです。


丹田からボールを投げて受け取るというのは、自分を渡して相手を受け取ることに
つながっているのです。

ボールという物質を介してはいますが、より集中力が高まってボールが自身のハラと
一体化しているとき、ハラの中に相手の存在が直接入っている感覚が起こってきます。


ある参加者さんは
「ボールを受け渡していると、愛が生まれてくる感覚がします!」
と感想を漏らされましたが、自身の存在の中に相手をまるごと受け入れる感覚は、
この世界の創造原理である女性性の子宮の感覚なのです。

この愛は、自他の愛ではなく、存在の合一の愛です。


見性体験のレベルでは、受け入れる相手もいなくなって、ただひとつのところに
相手と自分がぴったりと重なって消えていますが、そこまで集中力が高まっていなくても、
自分の中に入っているという感覚はつかめるはずです。

子宮の中にまるごと世界が入っているという感覚は、マッチョな修行体系では切り捨て
られる部分ですが、この感覚の理解なくしては二元性の原理は悟れないのです。


ボールを投げあっていると循環のうねりが起こってきますが、女性性や愛の感覚と
いっても、そのエネルギーを単純な肉体のセクシャリティやエクスタシーに還元して
しまわずに、エネルギーの中心の醒めたところで見ていることが重要です。
(うねり自体は止めません)

今回は、エクスタシーに気絶しないための準備として、内部の目を立体的にして
肉体の目と気づきの癒着を切り離すワークを先に行っていたため、相手を受け入れ
つつ全体に飲み込まれずに見ているという感覚をつかんでいただけたと思います。

また、ボールを投げあうことによって、座禅による静的なワンネスから現象世界を
見切るための動的なワンネスへの移行訓練にもなります。

(本来は静的・動的といった区別はないのですが、一瞥体験がある人でも動的な
世界に戻るとエネルギーのうねりに巻き込まれてしまうことが多いため、意識的に
それらの差をとっていく訓練が必要になります)


この感覚は、存在のワンネスの感覚と直接つながっています。

拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
ではこれを「存在の座」のワンネスとして記しています。


<「3つのセンター」より抜粋 ③丹田(存在の座)を参照)>

r.jpg
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6. 3つのセンターにおけるワンネス体験


●3つのセンター

ひとくちにワンネスの体験といっても、実はその顕れかたにはバリエーションがある。

さまざまな覚者のいうことに微妙な相違があるのはそのせいである。

わたしはこの相違の理由が、実際に体験するまでわからなかった。


覚醒に帰還するとき、3Dに生まれ出てしまったわたしたちは、見かけ上の身体の
エネルギーと空間的位相を利用する。

このことはすべての3Dの存在が避けては通れないものである。

たとえ身体がなくなり意識だけが拡散したと感じたとしても、それは先に身体に同化
していた感覚ありきなのである。


覚醒側から身体を純粋な機能として見たとき、3つのセンターというものがある。

①頭(認識の座)
②ハート(振動の座)
③丹田(存在の座)

(これに加えて①~③を統合する④頭頂(消失の座)がある。
ちなみに④におけるホワイトアウトと認識の座の気絶とは消失の次元が異なる。)


これらは、現象側からひとつながりの身体としてみたときは、見かけ上、ひとつの
身体の枠の中に縦に順番に並んでいるように感じられるが、覚醒側からみたとき、
それぞれの機能は独立した位相にある。

3つの位相が現象側に顕れるときは、ホログラムのように別方向からの3つの機能
が並んだところに身体という枠の意識が創られるようなものといえる。


現象側の感覚からみたとき、

①頭(認識の座)の座標は、頭部の中心の松果体のあたりに位置する。
(名づけられた器官である松果体そのものではない)
通常の人間が「頭の中心」と感じる場所の、ほんの少し後ろにある。

②ハート(振動の座)の座標は、心臓の後ろの右端が触れるところと背骨
との間あたりにある。これも、人間が通常「ハート」と呼んでいる場所の位置
からほんの少し後ろにある。

③丹田(存在の座)の座標は、恥骨と尾てい骨のあいだにあり、女性の子宮の位置に近い。
これは人間が通常「丹田」と呼んでいる位置よりも少し下であり、たいての場合、
恥骨と尾てい骨の間の水平バランスがズレているので正確に感じることが難しい。


ここで注意が必要なのは、これら3つのセンターは、物理的な内臓などの位置では
ないということである。

センターそのものは、何も対象として触れていない空間のようなものとしてある。
そこは、物質と意識の境目の消失点のようなものとしてある。


しかし、人間は対象物がないとその存在を認識することができないため、便宜上、
身体の内臓や骨の位置の感覚をたよりにそれとの距離を探るしかない。

だがそれらは、身体の物質的な実感のある場所よりも、ほんの少しズレたところ、
「あいだ」にあるのだ。
 
逆にいえば通常、実感の感じられる場所というのは、すでに対象物に触れてしまった
後の現象世界の中の座標なのであり、その感覚をいくら強化していっても覚醒本体には
遡れない。


これら3つのセンターのそれぞれの消失点は覚醒に直接つながっている。

だが、「各センターはそれぞれ単体ではそれそのものを認識できない」。

覚醒の見え方のバリエーションは、これら3つのセンターの複合的なコンビネーション
による。
 

先に述べた、わたしの認識の座における体験は、認識の座が優位に立った覚醒の見え方
だったが、存在の座が背後のベースとしてあったうえで成り立っていた。

なぜなら、最後の瞬間にいたるときまで、現象世界における存在の座があったうえで、
そこから無限に後退していくという見切りのプロセスを利用していたからだ。

このとき、存在の座は消失の目的には利用されず、現象側の対象物として利用された。


●それぞれの機能とワンネスの見えかた

①認識の座は、純粋な観察者として機能しており、それ単体では対象物がないと認識できない。
すべてのワンネス体験のコンビネーションは、度合の差はあれ、認識の座を必要とする。
なぜなら、これがないとなにも見ることができないから。
認識の座は、それがそれそのものとしてあるとき、個人的な観察者としての意識は消えている。
だからワンネスの体験においては観察者としてのわたしはなくなっているかのように見え、
他のセンターの体験が全面にでてくるのだが、観察者の機能は、それらを体験するうえで背後
にまわっているだけで必ずベースとしてある。

②振動の座は、先に述べたように、覚醒との距離(の幻想)によって振動を変える、
現象との中間地点のようなものである。純粋に振動だけが抽出されたときは消失点に吸い込ま
れるような空間的座標のないもののように感じられるが、現象側に顕れでているときは現象
すべてに直接ふれてそれぞれの振動とともにあるかのように感じられる。
それは裏と表のすべてに触れて無限の空間に水平に飛び出していくような触覚のようなもの
としてある。
個別の魂の感覚や愛の感情といったものは、この機能にエゴ感覚が結びついた、二次的な
副産物である。
この感覚も、それ単体では認識できず、認識の座の観察者を必要とする。
「すべてが愛であった」という体験は、振動が、覚醒側ではなく現象側に触れている感覚の
度合のより強いときに起こる。「神の愛」を感じるというとき、それは「神」という対象物が
まだある、こちら側の話なのである。もし、覚醒側のハートに対応する振動に直接ふれたと
したら、愛を感じる間もなく、その莫大なエネルギーによって一瞬にして身体など吹き飛んで
しまうだろう。

③存在の座は、文字通り存在の感覚と結びついている。
「在る」という純粋な実態感、あるいは「わたし」という純粋な実態感はここから生じる。
(ここでいう「わたし」とはエゴ感覚とは異なる)この座において心身脱落するときは、
ダルマ落しのようにすとんと落ちて、丹田の器にパカっとハマると同時に個別のエゴ
の枠が抜け落ちる。
存在の座は、もともと内在的にすべての現象を包括していたのだが、存在の座に心身
が脱落したとき、「わたし」の感覚が占めていた場所が本来包括していたすべての現象
と置き換わる。
そのとき、わたしの中にすべてがあった、という体験が生じる。
こうして、このセンターで消失点に触れたとき、「わたしの中にすべてはあった」「わたしは在る」
という感覚とともにワンネスを見るが、このときもやはり、①の認識の座の純粋な観察者を
必要とする。
このとき重要なのは、①の観察者が③の代替としての「わたし」という個別感覚を持たずに、
背後の観察者として消えていられるかどうかである。
また、現象の対象物やストーリーに結びついた自我の実態感も、より物質に近い次元でこの
座を借りて起こるが、それと純粋な「わたし」の実態感を混同してしまうと「自分が悟った」
という的外れな感覚が生じることになる。
また、③に脱落したときに①の認識の鋭利さが弱いと、気づきの目が開いていないまま
暗闇の空間にはまりこんで何も動かない(触れてこない)無として在るように勘違いする
ことがある。


以上をふまえ、①~③の配合の割合でワンネスの体験の見え方のヴァリエーション
が決まってくる。

また、各種の覚醒のための修行体系というものも、①~③のどこにフォーカスして
いるかの度合で異なってくる。


最近のさまざまな覚醒の報告をみると、深さの差はあれ、②と③の配合率の高い
コンビネーションが多くみられるように感じる。

①と③は比較的、突発的に起こる可能性が高いように思われる。
(ただし、③は深さの差が出やすい)
このとき①は、「透明な気づき」という名のもと、うっすらとしたイメージとして背景に
ひっこんでしまっている。

しかし水を差すようだが、①の認識の座が確立されていないと、それらの体験は偶発的な
一瞥に終わり、体験の意味や構造の全体を理解することが難しい。


認識の座が確立されていないと、すぐに現象世界へ引っ張られて戻ってしまい、体験の
神秘を現象世界の論理で語るにとどまってしまうのだ。

優位なセンターの体験のひとつですべてが終わったと思ってしまう。

そして、いつのまに現象世界のうねりに飲み込まれて「すべてはわたし」「あるがまま」や
「愛」の名のもと、再び流転を続けることになる。


だから、最初に述べたように、①の認識が確立し、自動化される必要があるのである。

3つのセンターの体験は、認識されていないだけで、実はすで備わっている。

それらは、別の対象物に占有されている認識の瞬間において、ただ隠れているだけなのである。

つねにすべてのものがそれらに触れてあるのであって、すべての人間は覚醒を読み取ることが
可能なセンターをはじめから割り当てられている。


これら3つのセンターは必ずしも現象側においてひとつに統合される必要はない。

むしろ統合しようという試み自体が、身体への同化の強化と、現象側において
「いつか未来に統合されうるもの」という、意図のベクトルを発生させてしまう。

そもそも3つ同時に身体というひとつの入れ物に並んでいるというのが幻想なのだ。


逆にいえば、各センターという覚醒のポータルが現象側へそれぞれが司る機能を
顕すために、見かけ上身体という枠がつくられ、そのなかに配置されるというアイディア
が採用されたのだった。

現象側のわたしたちは、その配置にしたがって担当者意識として采配される。


それらは個々の機能であって見かけ上わかれているが、それぞれの消失点においては
ひとつの覚醒の場にある。

現象側においては、統合はされていなくても、上記のようにコンビネーションの形はとる。

そのときも、3つ同時に機能させようとこちら側から意図する必要はないのである。


3つの機能によるそれぞれのワンネス体験を経験することは、現象と覚醒の多元的な
理解に役立つ。

覚醒とは、3Dの現象側のひとつの側面だけですべて説明できるものではないのだ。

覚醒へ遡ろうとするとき、3つの機能が本来の純粋な機能としてそれぞれ自動的に
働いている状態を知っておくことは、帰還の確率を高めるといえる。

純粋な機能とは、それぞれのセンターの役割に人間側の意味やストーリーといった
不純物が混じっていない状態である。

すなわち、先の③であれば、存在のセンターの純粋な「わたし」とエゴを混同していない
ことであり、②であれば、純粋な振動とエゴの愛や感情を混同しないことであり、①であれば、
純粋な気づきとエゴの思考や判断を混同しないことである。


また、①②③相互のあいだの機能の取り違えと混同を避けることも重要である。

これらの混同を注意深く見切って、各センターの純粋な機能を自動的に働かせることが
できたとき、エゴに依っていたそれらの存在のコントロールを忘れて、手放しで任せて
しまうことに専念できるのだ。

混同を避けるためには、各センターに無自覚に混入していた不純物を注意深く無限に
見切っていく必要がある。

この作業はエゴにとっては面白くないし、自動化されるまでは強い意志と根気がいるだろう。

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【11/7(土)14:00~17:30 、18:00~21:00 「東京ワーク参加募集」】     

2020/10/22

※ Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。


11/7(土) 14:00~17:30 、18:00~21:00
募集締め切りました。次回は12/12 12/5(土)開催予定です。

※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。
通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・全体の気づきと場のエネルギーの読み方
・各ポータルを立体と動きでとらえる
・内部の目の確立と発火する気づき
・境界を越えた空間としての動きと意図
・純粋な意図だけが自動的に起こること

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。

・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者に新品マスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

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【10/18(日) 東京ワーク】 ~所感と解説~      

2020/10/22

10/18(日)東京にてワークを開催しました。

ワーク6

ワークブログ1


【今回のメニュー】

・存在の奥からベロを出す
・肉体の目の動体視力(意識の動体視力への準備)
・眼球運動の非連続性と盲点を見る
・前後左右の区別をなくす歩行
・丹田で風船を膨らます
・右脳と左脳の境界をなくすエクササイズ
・盆の窪の空間をつくって背骨をぶら下げる
・プリセットされた球の意識を瞬間で切る
・頭頂と尾てい骨の感覚を物質的につかむ
・頭頂から尾てい骨の引張り合いと軸
・軸だけの意識で尾てい骨から飛ぶ
・物体と重力に規定された軸の感覚をつかむ
・居座らない座法(姿勢の調整)
・居付かない立禅(姿勢の調整)
・丹田~胸~喉~目~頭頂、各部のあいだの具体的な感覚
・対象のある祈りから対象のない祈りへ
・肉体の目と内部の目の感覚の違いを見る
・内部の目の立体感覚と視界の変化
・内部の目を留意し気絶せずに寝落ちする
・内部の目の活性化と頭部の意識の調整(コーリング)
・呼吸の先をたどって存在の奥のもうひとつ下に潜る
・物質と肉体の境界を観察してひとつ先を見る
・スキャン&ダイブで肉体の限界点を突破する
・肉と骨を動かさずに境界のない空間から動く


【所感と解説】

今回は、身体の意識を組み替えるための基礎的なワークが中心
となりました。

ここが曖昧なまま瞑想しても、様々なレベルの「自分」という感覚
がごちゃごちゃなまま混在し、肉体の先へ入る集中を妨げます。

物質を超える前に、まず物質と肉体を具体的に意識したうえで
「そうではないもの」の領域に入っていくほうが明確なのです。

そのため、ワークではしばしば実際に周囲の物質や小道具などを
用います。



・存在の奥からベロを出す

丹田の奥の肉体の境目から慟哭するように息を吐き出しながら舌を出します。

背骨を整えて腸腰筋を上下にストレッチしないと舌は奥底から連動して出せません。

ここから出る声は重低音で響くオームと同じです。

基本的な体のラインと全体の拮抗関係のチェックになります。


・丹田で風船を膨らます

丹田から舌を出したときの感覚で息を奥から吐き出し、風船を膨らませます。

胸から息を吐かずに丹田の圧が直接風船に連動するようにします。

風船を膨らませるたびに丹田に気が貯まり骨盤が押し広げられている状態
になるとエネルギーが充足されます。


・肉体の目の動体視力(意識の動体視力への準備)

肉体に同化している意識では、気づきが眼球の動きと連動しています。

意識単体の気づきの動体視力へ移行する前の準備として、肉体の目の
動体視力を体感するためのエクササイズです。


・眼球運動の非連続性と盲点を見る

両手を広げて眼球を左右の手の間でゆっくり動かしていきます。

すると、日常で意識していないカクカクした非連続的な眼球の動きと
気づきの関係や、普段は脳内で編集され意識にあがってこない左右の
盲点に気づきます。

普段意識されないこれらの空白の瞬間に、一瞬の揺らぎとともに思考
の種が発生することを見ます。


・前後左右の区別をなくす歩行

私たちは普段、死角になっている背面を意識せずほとんど前面の意識
だけで生きています。

まずその自覚を持ったうえで背面を意識し、さらに前面と背面の区別を
身体的に無化するエクササイズです。

前に向かうときの感覚を細かくチェックし、次に後ろに向かうときの感覚
との差を観察します。

次に、前に歩くときとまったく同じ感覚で後ろへ歩いてみます。

体の各パーツの位置を意識して具体的に行うのがコツです。

同じく、左右も無化していき、前後左右が無化されたら回転します。

すると、自分が回転しているのではなく軸だけが回転している感覚になります。

ここにプラスして上下の区別もなくしたいのですが、逆立ちは若干難しいという
ことで、できれば水の中で前後左右上下がなくなるまで回転してみていただき
たいと思います。

(逆立ちをする場合は、壁を使ってもよいので手の平を足の裏、足の裏を手の平、
頭頂を尾てい骨、尾てい骨を頭頂と置き換えて宇宙空間に向かってグラウンディング
し、手の平で地球を持ち上げるようにします)


・右脳と左脳の境界をなくすエクササイズ

左右の手に別々の動きをさせることで脳の偏りをニュートラルにします。
ここが偏っていると軸がズレたまま、その傾きを自分だと思い込み続け
るのです。

最初は左右ともに簡単な動きから入って、徐々に複雑にしていき、最終的
に立体を描くところまでもっていくのが理想です。

また、左は平面、右は立体というように、左右で次元を異なるようにする
と効果的です。

はじめは脳が混乱してつっかえつっかえだったのが、ある瞬間ふとできる
ようになると、自転車に乗れた瞬間のように軽くなり脳の中心にシフトします。

個人の心身の癖を突破し、この中心から見ていたいのです。


・プリセットされた球の意識を瞬間で切る

膨らませた風船を持って表面をなぞって球体のイメージをつくります。

目をつぶっても球体のイメージと感触がはっきり出るようになったら、
次に、いったんイメージを捨てて瞬間瞬間を見ていきます。

このとき球体のイメージが出かかったらそこで気づいて像を結ぶ前に
切ります。

先に触覚、視覚、体感で創った球体のイメージを瞬間瞬間で崩していきます。

植え付けられた概念がどのように立ち上がってくるのかをつぶさに観察することで、
概念化のプロセスを見切ります。


・盆の窪の空間をつくって背骨をぶら下げる

頭蓋骨と頚椎の境目の窪みの周囲の強張りに気づき、空間を開けるように
すると、頚椎がしなやかに動き始め、頭蓋骨からぶら下がっているように
なります。

盆の窪周辺の感覚は、背面の意識や、意識のホワイトアウトに関係しています。

ここを開けると、内部の目の感覚がとらえやすくなります。

瞑想のポイントとなる「バカになる」ためには、ここと口腔内の空間をぽかんと
開けます。

合気上げもここを使うと一瞬のホワイトアウトのあいだに相手がふっとびます。


・頭頂と尾てい骨の感覚を物質的につかむ

まず頭頂のポイントを明確にします。

ここでいう頭頂とは、頭蓋骨の中央ではなく、背骨の延長上にある点です。

そのため、自分で思う頭頂よりもかなり後ろにある感覚がするはずです。

このポイントと背骨がピタっとそろうと容易に意識はホワイトアウトします。
(ホワイトアウト自体は目的ではなく、過程なのでここに気絶し続けないこと)

今回は頭頂にビー玉の袋をのせてゆっくり上に持ち上げ、押すでも引くでもない
あいだにふっと浮く瞬間を見てもらいました。

さらに頭頂のポイントを壁にグリグリ押し当てて、常に留意する感覚を物質
レベルで記憶させます。

尾てい骨の感覚も同じく物質から記憶させます。

床に座って膝を立てて足を開き、尾てい骨を床に押し付けて感覚をたしかめます。

感覚を保ったまま尾てい骨から連動させて足を動かしていきます。

尾てい骨の物理的な感覚とともに、そこから始まってエネルギーが派生していく
様子を観察します。


・頭頂から尾てい骨の引張り合いと軸

尾てい骨の感覚が記憶されたら、頭頂のポイントと連動させ、蛇腹のように動く
一本の軸の意識をつくります。

このとき、尾てい骨は地面に垂直に刺さっており、頭頂のポイントと軸を通して
引張りあう感覚にします。


・軸だけの意識で尾てい骨から飛ぶ

尾てい骨と頭頂が引張りあっている軸ができたら、軸だけが空間にぶら下がっている
イメージで、上下に軽くジャンプしてみます。

このとき実際には足の裏と地面の押し合いで飛び上がりますが、足の裏からではなく、
尾てい骨からジャンプが起こる感覚で飛びます。

(感覚がわかる人は、尾てい骨から起こるエネルギーを軸を通して頭頂に突き抜け
させることでジャンプします。尾てい骨から発火するイメージです。)

肉と骨を忘れて軸だけが上下にスライドしている感覚をつかみます。


・居付かない立禅(姿勢の調整)

軸だけが浮いている感覚がつかめたら、ジャンプする直前の感覚で足の裏を床に
置いておき、頭頂に留意しつつ直立します。

内臓と肉は骨盤内にどさっと落とさず、骨格の間の空間に浮いているようにします。

ここで、一人では気づきにくい各自の癖やバランスを調整しました。

この状態で立ったまま瞑想します。


・居座らない座法(姿勢の調整)

基本的に、居付かない立禅と同じ状態で座ります。

理想としては、立禅の状態からすとんと軸が尾てい骨から床に落ちて足が折り
たたまれ、その瞬間から座禅がいきなり始まる感覚になりたいのです。

座ったときは股関節の柔軟性や骨盤の傾きによって軸がズレるので、再度
調整していきます。

このときも、内臓と肉が骨盤内に落ち切らないようにし、いつでもパっと立ち上がれる
感覚を保ちます。

この感覚が瞑想の軽さのために必要なのです。


・丹田~胸~喉~目~頭頂、各部のあいだの具体的な感覚

輪ゴムを3~4本束ねて持ち、指で引っ張ったり緩めたりします。

次に引っ張ることと緩めることのどちらでもないあいだの感覚を
見つけます。

実際に身体のポータルとなるそれぞれのポイントの前で輪ゴムを
持ち、あいだの感覚と各ポイント内部の感覚を連動させていきます。

ゴムとの連動で物理的に空間を開け、ニュートラルかつ動的なあいだ
に浮いている感覚をつかみます。

頭頂のポイントではゴムの輪を開いてそこから軸が上空に飛び出していく
感覚をつかみます。


・対象のある祈りから対象のない祈りへ

軸をつくったうえで、ハートの奥のポイントから腕を平泳ぎのように繰り出します。

前・左右・上下に向かって吐く息と同時に胸から投げ出すようにします。

投げ出す感覚をつかむために、座布団などの上に五体投地のように胸から身体を
飛び込ませるのも効果的です。

この手の動きの延長で、すとんと自然に胸の前に落ちるところで合掌します。

合掌した手を頭の前に差し出して開いていきながら、首の後ろの急所を前方へ
差し出します。

このとき「殺されてもかまいません」といった感覚で自分を差し出すのです。

そこからニュートラルな直立姿勢に戻り、手を上に上げながらサードアイを天に
向かって開きます。

全天に意識を差し上げホワイトアウトする感覚で行います。

ここからさらに頭を後ろへ落として首の前面を天に差し出します。

「首を切られてもかまいません」という感覚です。

そこから再びニュートラルな直立姿勢と合掌に戻ります。

ここで合掌の手をほどき、直立のまま祈りの真ん中にいます。

これが対象のない祈りの基本の型です。

祈りは全体の運動と軸の中心で起こっているのです。

この祈りに、自分を捨ててぽかんと放下します。


・肉体の目と内部の目の感覚の違いを見る
・内部の目の立体感覚と視界の変化


気づきが肉体の目と連動していると、意識が肉体と癒着したまま
先に進めません。

次の段階に進むための具体的なエクササイズです。

内部の目は偶発的に引き剥がされることもありますが稀です。

このポイントだけは意識的に訓練する必要があります。

<過去のワーク参照>
http://rubins-work.com/blog-entry-43.html
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html
http://rubins-work.com/blog-entry-73.html


・内部の目を留意し気絶せずに寝落ちする

上記の内部の目の感覚がつかめたら、その感覚を軽く留意したまま
意識は丹田の奥へ落とします。

落とすときに留意も一緒に落ちないように、意識だけをするっと引きはがします。

意識を落としたときの感覚は熟睡しているときの感覚に近いですが、見ている
目は起きているように注意します。

内部の目の留意が強すぎても弱すぎてもうまくいきません。

この目を完全に置いておけるようになると、気づきが場所を離れて自動化します。

(「置いておく」感覚は、瞑想すべてにおいて重要ですが、目を置いておくのは
気づきと連動していて難しいため、手や足などの身体のわかりやすい部分から
感覚をつかむワークも別途行ったほうがよい)


・内部の目の活性化と頭部の意識の調整(コーリング)

内部の目の留意と丹田の意識を保ったまま床に寝てもらい、頭部の中の
位置と感覚を見ていきました。

具体的には、私が参加者さんの頭の下に手を置いて読み取り調整します。

明確な位置と機能はまだ曖昧なものの、気絶せずに寝落ちする感覚を
つかんでいただくために、呼吸によって頭蓋骨の中が収縮するタイミング
で気絶しないように都度、信号を出して意識化してもらいました。

(信号を出さない場合は経験上、ほとんどの人がそのまま寝てしまいます)

この感覚は、実際に認識がバリっと剥がれるときまで明確になりませんが、
本人の自覚とは関係なく、こちらの感覚と同調させることで未来に直接
「呼びかけておく(コーリング)」ことは可能なのです。

(こういう表現は誤解を生みやすいのであまり使いたくないのですが…
これは神秘的な何かではなく、具体的なものなのです)


・呼吸の先をたどって存在の奥のもうひとつ下に潜る
・物質と肉体の境界を観察してひとつ先を見る


丹田の奥に意識を落とすとき、肉体と意識が同化していると肉体の
境界より先に進めません。

この先に進むために、まず肉体の呼吸の境界を知っておきます。

まず、呼吸とともに意識がたどれる一番深いポイントをみつけてもらいます。

ポイントがみつかったら、呼吸が続く最後の苦しくなるところで一瞬、意識を
ふっと浮かせて細かく分散し、ポイントの裏側からもう一段奥へ滑りこみます。

(苦しくなるところで呼吸を肉体に戻さずに一瞬だけ置いて忘れた隙に意識で
潜り込む感覚です。苦しくなった瞬間に身体のテンションをすべて抜くのがコツ
です)

ここは、肉体とイメージの境目で、肉体の呼吸だけでは入っていけません。

意識の呼吸のような微細な波動で入っていき、そこで気絶しないように内部の
目で見続けます。

たいていの場合、このポイントから先に入れてもそこで意識が曖昧になり気絶して
しまうのですが、そこを突破してどこまでも見続けます。

この先は集中しようとしなくても、ただ見続けることで勝手に集中が起こります。

この感覚を具体的につかむために、水を飲んで感覚が消えるまでを観察してもらい
ました。

水が食道を通って冷たい感覚が霧のように消える瞬間までを正確に見ます。

消える瞬間までは肉体の感覚ですが、消えた瞬間の余韻のようなところまでを
観察し、肉体からイメージへと続くグラデーションを見ます。

この感覚がつかめたら、これを丹田の奥の呼吸に応用すればよいのです。


・スキャン&ダイブで肉体の限界点を突破する

丹田の奥に入っていくとき、なかなか肉体のレベルの呼吸から先の感覚が
つかめないことがあるため、参加者さんの呼吸の深さと意識をスキャンして
その奥へと進む感覚をナビゲーションしました。
(手に触れて一緒に「連れていく」感覚で行います)

みなさんかなり深く入れてはいましたが、やはりまだ肉体の限界で呼吸を
折り返しているため、まずは参加者さんの潜在意識に「この先、まだ進めるよ」
という呼びかけを刷り込みました。

顕在意識に呼びかけても意識化自体が呼吸を浅くするからです。

ただ、先の説明のように、ほんの少しだけポイントでの「抜き方」を知るだけで
突破は思いのほか容易なので、あくまでもナビゲーションは補助であり、
自身で感覚を見つけていただきたいと思います。


・肉と骨を動かさずに境界のない空間から動く

「足を上げてください」というと、足という肉と骨の物体を持ち上げる
イメージが浮かびますが、肉体ではないところから動きが起こる感覚を
具体的につかみます。

まず、股関節周辺の何もぶつからない空間のような感覚を見つけます。

そして、その空間だけを折りたたむようにすると、肉と骨が勝手に
ついてきて結果的に足を上げた形になります。

同じように、これを肘でも行ってみます。

肘の内側の空間をみつけ、その空間を肉体にぶつからないように折り
たたみます。

すると、肉を動かしている実感のないまま、肘は結果的に曲がった形
になります。

これは頭でも目でも耳でも内臓でも身体のどのパーツでも行えます。
(さらには思考や意識でも行えます)

このどこにも触れていない空間は、身体の枠を超えた周囲の空間と
まったく同じものです。

枠はあってないようなものなのです。

この感覚がつかめると、空間そのものがただ動いていて、そこにたまたま
身体の形のものが連動しているといった感覚になります。

身体の枠を超えようとしなくても、枠を置いておいたまま、私たちは
すでに内部も外部もない空間そのものなのです。

注意するのは、動かしているのは気功の気のようなものではなく、あくま
でもただ空間が境界なくそこにあるだけで、その空間に唐突に意図が起こって
身体の枠がついてくる感覚ということです。


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