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【6/17(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」】     

2023/05/24

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ワーク 体操 ワーク 指2



◆6/17(土) 18:30~22:00
※今回は夜間のみの開催となります。

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・インテンションの中心を突き抜ける
・力学から解放された非連続的な中心
・分離した中心を重ね合わせるには
・動きながら止まっている中心感覚


をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


ワーク 指


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #ニミッタ(丹光)の位相 #構造的な無執着 【4/15(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



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#空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】  

2023/05/06

◆5/5(金・祝)、東京にてワーク開催しました。

ワーク 体操
秘伝あり、笑いあり、マニアックな内容に取り組んで下さった参加者さんに感謝。


ワーク 指 ワーク 指2
「指一本で空に触れる」 ここに全てが集約されています。


~Rubin's work ツイッターより~

◆「それは指一本でわかるんだよ」と言うと「それじゃ何も変わらないじゃん」と言われる。
「変わること」に真実を求めるかぎり「変わらないそれ」には気づけない。

◆【壁抜けの方法】
①壁を指で押します ②限界まで押し続けます ③押している中心を見ます
④中心に意識を合わせます ⑤中心の空になります
これで壁を抜けました! ※体は別途、運んでください。

↑冗談に見えるかもしれませんが、実はここに本質がすべてあるといっても過言ではないのです。
今回、ワークで指一本の壁抜けならぬ「壁押し」をやりました。

指で壁を押したり押し戻されたりをしばらく繰り返していると、物理的な押し引きの運動の中心に、
不動の空白のようなものがあることを発見します。
指と壁という概念をただそこに「置いて」おき、能動でも受動でもない中心と自分の中心を合わせて
見続けていくと、相対的な動きに左右されない何かが、生々しい感触で立ち顕われてくるのです。

集中力が途切れて、ある瞬間が切り取られたときには、そこは指と壁の物理的な間の中心点なのですが、
ひたすら中心を見続けていくときには、どこまでいっても座標のない空白です。(空白は空間ではありません)

ある参加者さん(集中力に恵まれた方)は、見続けていくうちに「妙な感覚になってくる」と漏らされました。
確かにそれは奇妙な感覚です。
自分がどこにいるかわからなくなって、中心がうねりを伴って次々に迫ってくるからです。
このうねりは一瞬一瞬、断続的な認識のゆらぎが引き起こすノイズであって、中心自体はゆらぎません。

この一見、単純なことが実はすべてに通底しています。
物質・思考・感情・原子の区別なく、どこを切り取っても無限にそれがあります。 壁の押し引きは、
見かけ上は物理的な力学ですが、力学を超えたそれが同時にあるのです。

◆指一本からの応用で、こんどは手の平で拳を握り、どれほど強く握っても握りきれない中心の
空白を見つけます。 この空白は、すべての現象、すべての瞬間、どこを切り取っても在るものです。



ナイロン糸


【バランスの中心と空】

今回も「指一本を壁に押し当て、空に触れる」ワークの後、2人組で糸の両端を持ち、引っ張り合いの
バランスの真ん中の空を見ていきました。

「壁を押す」「糸を引く」という力のベクトルの違いはあっても、バランスの中心は同じものです。

壁押しにしても、糸引きにしても、肉体のゆらぎとともにバランスは刻々と変化していきます。


2人のバランスが釣り合った瞬間には、糸の真ん中がふっと軽くなり、押しても引いてもいない
感覚になります。(無重力の感覚にも近いものです)

このとき、中心の空の座標や感覚を固定しないことがポイントです。

固定してしまうと「空のイメージ」に気絶してしまうからです。

刻々と消えては顕われる瞬間瞬間のバランスの中心を、能動と受動の真ん中で見続けるようにします。


次に、交差させた複数の糸を数名で引っ張り合います。

このときも、バランスの中心は刻々と変化していきますが、2人で引っ張っていたときよりも複雑な
偶発性が加わってきます。

自分で押し引きせずとも、糸が勝手にバランスを取りつつ中心が決定していく奇妙な感覚が起こってくるのです。


【エネルギー酔いのうねり】

白紙のアタマでこの感覚に身をまかせているとき、能動的な自分の意図は消えています。

ここで完全にホワイトアウトし、受動的に動いていくうねりの感覚に没入すると「エネルギー酔い」の具体的
な感覚がつかめてくるでしょう。

エネルギー酔いは現象世界のものであり覚醒そのものではありませんが、受動的に自分が消える感覚
を知る意味で体感しておくと次のステップの理解が深まります。


糸の引っ張り合いは、現象世界の複雑な押し引きを単純化したモデルであって、実際には無限の糸が
あらゆるベクトルに張り巡らされ瞬間瞬間の押し引きによって世界が決定されていっているのです。

世界全体の押し引きには端と端はなく、始まりと終わりもありません。

全ての押し引きが連動しつつ、主体はどこにも存在しないのです。


エネルギー酔いのうねりは、この押し引きが決定される瞬間そのものではなく、一瞬の空白の気絶の後に
現象を生み出すフォースとフォースの落差(という錯覚)から起こります。

落差(の錯覚)の非連続的な瞬間瞬間に、ジェットコースターのマイナスGのようなフワッとした浮力に気絶
しているのですが、気絶していない瞬間だけを連続した自己として編集することによって酔いの感覚だけ
を感じているのです。


【対象のない空と錯覚の管】

中心の空の感覚がつかめたら、こんどは鼻から息を吸ってみます。

通常、意図的な呼吸で意識するのは空気そのものではなく、空気がぶつかる鼻腔の触覚や、肋骨の
拡がりなどであって、それ自体は呼吸に付随する現象にすぎません。


このときも、指で壁を押したときや糸を引っ張り合ったときと同じように、対象物を頼りにしつつ対象化
されない空を見つけていきます。

対象物とぶつからない空を見ていくとき、呼気の流れの連続性が空の連続性を錯覚させ、空の管の
ようなものが実体化されてくることがありますが、この錯覚に気絶しないようにします。


このとき注意するのは、対象化されない空を見つけるために「対象物を排除しようとしない」ことです。

対象物を排除すると「排除する私」が残るからです。

排除するのではなく、先ほどの壁押しのときのように、壁と指の能動でも受動でもない押し引きの
「あいだ=空」だけを見ていくのです。

「あいだ」を見ていくと、肉体と集中力のゆらぎから生まれる対象物が触れては去っていくのが見切られる
ようになります。


【「あいだ=空」と五感】

「あいだ=空」を見る感覚は、他の五感全てにつながっています。

壁押しは「触覚」でしたが、例えば「嗅覚」で見る場合、今回はお香を利用しました。

パロサント パロサント2
(香の銘柄に意味はありません)

香を鼻に近づけると通常は芳香の印象に没入してしまうのですが、芳香という対象物に触れる瞬間
の「あいだ」を見ていくと、そこにはやはりどこにも触れていない空が見つかるのです。
(ただし、触覚より嗅覚のほうが難易度が高い)

また「聴覚」の場合、例えば空調の音に没入するのではなく、音に触れた瞬間の「あいだ」を「聴く」の
ではなく「見る(←ここがポイント!)」のです。


「視覚」の場合、今回は折り紙の色を利用してみました。

折り紙

例えば黄色とピンクの紙を見たとき、通常は無意識に思考で「黄色」「ピンク」と名づけていますが、
色に触れた瞬間の「あいだ=空」を「見る」とき、名づけられる以前の「視神経の興奮状態」に触れる
感覚が見切られるようになります。

この感覚においては、目の前に黄色の紙があってピンクの紙にすり替わったときに、色の変化は認識
しますが「何色かどうか」という思考が連続しないのです。


実際やってみるとわかりますが、これは思ったより容易に誰でも体感できるものです。

ヴィパッサナー瞑想などの気づきの瞑想で思考が切れないという方は、いちど試してみてください。

思考の連続が切れる速度が格段に上がるはずです。


「じゃあ、なんでいま黄色とかピンクとか名付けて説明しているのか?」と疑問に思うかもしれませんが、
いちどこの気づきの在り方が完全に腑におちれば「黄色」「ピンク」という分類を、思考に巻き込まれずに
意識的に「使う」ことができるようになるのです。

思考に巻き込まれないということは「黄色」「ピンク」がぼんやり混ざって曖昧になるということではないのです。
(対象物を曖昧に消そうとするのも、気づきの瞑想で勘違いしやすいポイントです)


今回ワークでの五感のハイライトは「味覚」です。

岩塩
(妖しいモノではございません 笑)

ひとりひとりに岩塩の粒を配って舌の上にのせてもらいました。

舌にのせると塩分が刺すような刺激の後にじわっと溶け出して広がっていきます。

通常、この拡がる塩味に曖昧に意識が同化していき「しょっぱい」と感じるのですが、粒が触れた瞬間に
集中し続けると、拡がりに気絶する前に「あいだ=空」が見つかります。

(「感覚の面積を小さくすること」=「空をみつけること」ではないのですが、肉体と意識が同化しているうちは、
感覚を広げるとイメージに気絶しやすくなるため、見るポイントを絞ったほうがよいのです)


【意識単体の「あいだ=空」を見切る】

塩味に限らず、甘味や辛味でも試してみてください。

特に辛味は広い面積で感じようとすると、刺激に弱い人は耐え難いものですが、辛味が触れた瞬間の
「あいだ=空」には刺激が存在しないのです!

~Rubin's work ツイッターより~

◆激辛のものを食べると辛さに悶絶する。
これは身体が危険信号を発しているからだが、危険信号に意識をあわせず衝撃の
中心を見てみると、辛さに触れていないすっと醒めた何もないところがあるのを発見する。
苦行に何か意味があるとすれば、ここだろう。

唐辛子
世界最辛唐辛子「ドラゴンズ・ブレス」

◆唐辛子を食べても、水を飲んでも、中心は同じものだ。 空気を飲んでも同じだが、
それが分らなくなっている。 そして、刺激に反応しない心が無だと勘違いしている。



同様に、熱いものを口に入れた時にも、その瞬間には熱さは存在しません。

(とはいえ、次の瞬間には肉体は肉体で「正直に」火傷するのですが 笑 鋭い気づきは「熱っ!」と感じる
一瞬前の「あいだ」を見切ることが可能なのです)

~Rubin's work ツイッターより~

◆熱したフライパンに触れてしまったとき、反射的に「アチッ!」と指を離す前の刹那にパパパパッと
様々なイメージが流れていくのを見切れることがある。
そのとき、指は熱さの中心の何もないところにあって、のんびりと「脳って反応するの遅いな~」
などと眺めていたりする。

やっと指が離れた後にじわじわと痛みが広がり水膨れができているのを見てびっくりする。
熱々のものを飲み込んだときや、硬いものがぶつかった瞬間などにも同じようなことが起こる。
ふと時計を見たときに秒針がカチっと動くまでの時間が異様に長く感じられる脳の仕組みと同じかもしれない。



肉体の五感の「あいだ=空」が見切られるようになってくると、最終的には物理的な対象物が存在しなくても
意識単体で「あいだ=空」が見えるようになってきます。

(ここで言う「意識」とは、究極の純粋意識ではなく「気づきに気づいている」再帰的な意識であり、その意味
では未だ意識そのものという「対象物」は存在します)

このレベルで気づきが自動化することが「意図的な瞑想」の第一関門といえるでしょう。


~Rubin's work ツイッターより~

◆味覚も触覚も嗅覚も、名付けられない何かが触れた瞬間、電撃的に世界と出会っている。
食事中に覚醒に触れる人が多いというのも頷ける話だ。

◆感動するほど美味しい物って、口に入れた瞬間、舌の上でふわっと宙に浮く。
むこうからも、こっちからも、くっつかない。 そのとき、味覚は食欲と切り離されてるんだよね。

◆腕利きのシェフの料理は、素材のひとつひとつが喧嘩せずに「立っている」。
舌の上で素材が「あいだ」から鮮明に立ち上がり、ふわっと浮いているのだ。



ワーク 座禅
ただ、私たちのタイミングに任せてるだけ。


関連記事
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【5/5(金・祝)13:30~17:00 「東京ワーク参加募集」】     

2023/04/20

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ポーズ4 かべ 全体


5/5(金・祝) 13:30~17:00
※今回は午後のみの開催となります。

募集締め切りました。
次回は東京にて、6/17(土)18:30~22:00(夜間のみ)開催予定です。
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◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・落下と脱落と上昇のライン
・アタマ・ムネ・ハラの悟り
・祈りの軸に放下すること
・放心と放下の位相の違い


をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #ニミッタ(丹光)の位相 #構造的な無執着 【4/15(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


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#ニミッタ(丹光)の位相 #構造的な無執着 【4/15(土) 東京ワーク ~所感と解説~】 

2023/04/16

4/15(土)東京にてワーク開催しました。


頭蓋骨
【頭部ベクトルの拮抗バランス】

↑ コレの土台造りで、貧血になった方がいました。

クンダリーニもそうですが、偏差が起こりやすい方にとっては、バランスが整うまでは不自然な
感覚が出てくることがあります。

心身の慣れ親しんだバランスを組み換えるのは、必ずしも自然な感覚ではないです。

(もちろん、このような場合はいったん休んでいただきます)



【ニミッタ(丹光)の位相】

今回は、ニミッタ(丹光)の扱い方と位相を体験していただきました。

サマタ瞑想の導入として人工的な光の残像を利用し、どの位置からどのように見るのかをお伝え
したのですが、光を見ること自体は目的ではありません。

光は瞑想の集中度合いによって座標のない虚空に唐突に顕われてきますが、それ自体にひっぱ
られずに完全に「置いておく」ための「見る位置=内部の目」が具体的にあるのです。

このポイントを具体的に知っているかどうかで、瞑想の進み方はまったく違ってきます。

丹光を練って利用する流派もありますが、その場合でも「内部の目」が確立していないと上手く扱えません。


深い瞑想におけるニミッタは内部の目の前方のスクリーンではなく目そのものと距離なく発火しますが、
厳密にいえば光として見えているものは現象としてすでに起こってしまっているものであり、認識の空白で
スパークする現象発生の始原のフラッシュとは位相がズレています。

とはいえ、まずは瞑想の初期段階で引っ掛かりやすい現象としての光の位相について知っておくことは重要です。


~Rubin's work ツイッターより~

<質疑>
「瞑想中に光がみえて眩しくなるのですが?」

<応答>
眩しく感じるのは、集中が浅く肉体の目に意識があるからです。
目をつぶっているときは眼圧が前にかからないようにし、
サードアイ周辺を前に押し出さないように気を付けます。

眼圧がかかって前方向の意識が強くなると、様々な光が前面のスクリーンに映って
まぶしくなったりしますが、深い瞑想における閃光(ニミッタ)は場所のない中心のような
ところに出るものであり、そのとき目という肉体の意識は伴っていません。

眩しくなったときは、一歩後ろに引くようなニュートラルポジションに意識を戻します。
このとき眼球は、後ろ側に空間を開けて裏側から引っ張っぱりながら浮かせるようにします。

この段階でのニュートラルポジションはあくまでも暫定的な場です。
本来の意識のポジションは気づきの自動化とともに立ち顕れてくるものであり、
自身で設定するものではありません。

ただ、気づきが自動化するレベルになる前は、眠りにおちるときに目の奥の松果体の
あたりから意識が消え入る瞬間に微妙に下方向へカーブして落ちるか落ちないかぐらい
の位置ととらえていて結構です。

光が出た時、それを見ようとする意志は前へのベクトルを生み出すので、意識が
引っ張られる前に見送るようにします。




【肉体の目から構造的な無執着へのシフト】

これを知るためには、いったん肉体の目に戻り、肉体がどのように光を見ているかを観察してみます。

そこでよく使うのが、補色を利用した方法です。

まる
目線の高さの壁に貼付け使用。

中央の黒い点を「肉体の目」で見ていると、点以外の背景はぼんやりと映りますが、黒い点をその位置
に置いたまま見る意識を眼窩の空間に引くようにすると青い丸の周辺に補色のオレンジの光が見えてきます。

このとき、意識が円周の光にフォーカスしてしまうと眼球が動いて光の形が変わったり、消えてしまったりします。


また、眼球は放っておいても生理機能(サッケード)としてチラチラ動き続けるのですが、チラッと動いた一瞬
の空白に思考が発生し、気絶している間に意識が引っ張られ、対象物とのフォーカスの位相が変化した結果、
光が歪んだり消えたりします。

ところが「内部の目」に黒い点と青い丸を同時に映しているときには、オレンジの光をそのままそこに置いて
おけるのです。(肉体レベルのオーラであればこの状態で可視化できます)

そのまま置いておけるということは、すなわちフォーカスがグラグラ動いていないということなのですが、
内部の目のバランスがカチッとはまっているときには逆に、フォーカスを動かそうとしても動かないのです。


これはいってみれば「心理的な無執着」ではなく「構造的な無執着」状態ということなのです。

思考に癒着した気づきのまま無執着であろうとすると、思考を対象物として切り離そうと努力しつつ、
意図的な努力がさらに思考を発生させるイタチごっこに陥りますが(これが瞑想が進まない大きな理由
のひとつです)まずは構造的にニュートラルな無執着状態を体験した上で、そこからチラチラ顕われて
くるズレを見切る方法のほうが瞑想の進み方は圧倒的に速いのです。
(これはこれで注意点はありますが)


~Rubin's work ツイッターより~

個人的には、アナパナは気が昇りやすく、意識が身体の前面に偏りやすいので、初心者は
丹田をつくって気を落とせるようになってから移行するほうが身体の構造としては自然という考えです。

アナパナで意識が前面に偏ると、光やヴィジョンなどのニミッタが出やすくなりますが、サードアイ
付近前方にみえるニミッタは集中の度合いとしては浅く、気づきが肉体の目を伴ってしまっています。

ニミッタの光をまぶしく感じるならば、肉体の目に囚われている証拠です。

それに対し、場所のない虚空のようなところに唐突にフラッシュするニミッタは集中力が高まってきた
証拠になりますが、ニミッタ自体には囚われず手放していく必要があります。




【自他の分離と遠近感】

上記の「内部の目」の見方で、こんどは全身鏡に姿を映してみます。

肉体の目で鏡に映った姿を見るときは「ここに映っているのは自分の身体だ」という認識が自動的
に生まれますが、内部の目から映しているときには、映っている色形はくっきり見えているのに、
それが自分なのか他人なのかわからないのです。
(わからないというより、自他の判別の認識にフォーカスがまったく動かないという感覚が近い)


この感覚は、幽体離脱とも離人症とも異なり、非常に奇妙な感覚です。

例えば、見ている鏡の中に他人が映り込んできたとしても、内部の目が完全にバランスが取れて
いるときには、それが自分なのか他人なのかという思考が動きません。

この状態で、こんどは鏡に近づいてみたり離れてみたりしてみます。

このとき、映っている像は遠近によって小さくなったり大きくなったりしますが、像の大小にフォーカス
していないとき「映しているもの」それ自体は不動のまま在ります。
(不動といっても空間座標が固定されているわけではない)

逆に、身体の位置を固定したまま鏡のほうを近づけたり遠ざけたりしてみても、同じく像の遠近に
左右されない「不動のそれ」が立ち顕われてきます。


極まったワンネスの認知状態においては、例えば動いている車が止まっている私に向かってきたのか、
動いている私が止まっている車に向かっているのか、区別がつかなくなってしまうということも起こって
きますが、この鏡のワークもその体験に近いものです。

ただし、集中力が高まっていない状態だと「見ている私」という感覚がチラチラ顕われてきた瞬間に
「私の身体」の座標が認識され、自他の距離と分離に引き戻されてしまいます。



【自他の戦略的区別と苦の幻想】

「で、この見え方がなんの役に立つの?」と思われるかもしれません。

たしかに、このような奇妙な認識は、生体としては戦略的に不利だといえるでしょう。

自他の区別がつかなければ「敵」が近づいてきても逃げようという気も起こらないからです。


もちろん、生体として自他の区別はあっていいのですが、問題なのは自他の区別に思考が癒着し、
他者を排除し自分中心に生きていると、結果として「思い通りにならない」という人間特有の苦を
生むということです。

そもそも、この根本的な人間の苦が問題でなければ覚醒や悟りといった概念も必要ないのです。


ただ、自他のない状態をずっとキープし続けなければならないということではなく、一度でも雷に
打たれたように認識の転換が腑に落ちきれば、逆に「現象の見え方」の違いに囚われなくなり
「苦」だと思い込んでいたことは単に認識のひとつの仕様から発生する局所的な概念であったこと
に気づくのです。


聖路加2
ワーク会場へ、春時雨の道すがら


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【4/15(土)18:30~22:00「東京ワーク参加募集」(夜間開催)】     

2023/03/30

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ワーク321 頭頂ポイント


4/15(土) 18:30~22:00
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・方向から自由になった目
・開きつつ密度を高める秘伝
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◆直近に開催したワークの様子

⇒ #超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #強制覚醒 #トーラス #自我脱落 【2/25(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


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