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【覚醒からのつぶやき 22】        

2021/01/23

ツイッターのつぶやきをランダムにまとめました。
タワシ2
◆【写真でひとこと】 ↑
「ワタシは在る、アナグラム的に」

◆気が急くのは肉体の焦りです。
気は焦りません。
気は光の速さを超えています。
気に追いついたら、体は消えます。

◆体を消す修行なんかしなくても、
体はいつも消えているんですよ!

◆オンタイムで体が消えてあること。

◆「覚醒バイアスはトリッキーなので気をつけろ!」

◆覚醒を語る「人」は覚醒していないけど覚醒の顕れ。

◆寄っても引いても逃げていく。
逃げていくのも自分。
それは、逃げも隠れもしない。

◆私たちは、世界に入れられたマイクロチップです。

◆マイクロチップにマイクロチップを入れられる今さら感。

◆「怒ることは起こっているのです」
と言いながら怒っている人を、怒らないであげましょう。

◆すでに願いが叶った世界が、これです。
願ったことは、後から気づかれるのです。

◆「ありのまま」という名の放逸。

◆【ヤホー!知恵袋】
質問「アブダクションでチップ埋め込まれたんですけど、
地球のチップと干渉しないでしょうか?」
回答「大丈夫、一日中ヨーデルが聞こえるようになるだけですよ」

◆瞑想とは、100m走のスタート0.1秒前が
永遠にピン留めされたようなもの。

◆この私は、未知と既知のあいだのゆらぎ。

◆この世界は、個我の存続がベースにあるかぎり、
認識を鈍くしないと正気を保てないように出来ています。

◆未だに天動説感覚が抜けないことに気づきましょう。
それができたら、天動説も地動説も外しましょう。

◆綿毛を摘まむのに、上腕二頭筋を緊張させたりしないでしょう。
意識だって、瞬間瞬間にぴったりのバランスにあればいいだけなんですよ。

◆数字を123456789と並べたのが、この世界です。
数字は、ただの記号です。
数字を順番に並べる引力が、創造主の意志です。
この順番は、この世界だけで通用します。

◆体の輪郭が、世界の枠をつくる。

◆意識では、輪郭はすでにバラバラなのです。
毎瞬毎瞬、人型をイメージしてないでしょう?

◆「世界は幻想です」という、ひとかたまりの気絶。

◆○ ⇒ ○○○ ⇒ ①②③
世界はこのように認識されますが、
矢印を逆にたどっても元には戻れません。

◆自ら取り残してしまった「悲しみ」を救うために、
慈悲というアイディアが生まれた。
ウロボロスの慈悲は、悲しみを幽閉し、自己憐憫に陶酔し続ける。

◆「この世界は幻想です」と言うけれど、
幻想じゃない別の世界があるわけじゃないんですよ。
どこかの世界にいる自分、という観念自体をまるごと外さないと。

◆マーヤのうねりは、かくも人を気絶させるという、昨今の狂騒。
私たちはいったい、何を望んで生まれてきたというのか。
私たちが、このうねりにパワーを与え続けているのだ。

◆隠されていたシナリオは、今、自分が書いたのです。
自分が書いたかどうか、疑心暗鬼になっているのです。
そこに気づくしか、疑念は解けません。

◆「覚醒したい。でも…」
「覚醒したい。だって…」
まず「でも」と「だって」を落とす。
そして「したい」も落とす。
さらに「覚醒」も落とす。
さいごに「落とす」を落とす。
そうすれば「 」が落ちる。

◆「私は何もやっていない」ことを悟った人は、
本来の身の丈に沿って肉体を全うするようになります。
身の丈を超えたエネルギーを放てば、不均衡なゆらぎが
「世界を動かしてしまう」ことを知っているからです。
名も知れぬ覚者たちが、世界をただこのままそっと愛でています。

◆子供たちが描かされた標語ポスターは、
この世でいちばん悲しいもの。

◆不自然な自然
自然な不自然
どちらも「ありのまま」

◆本能と野心が、不気味の谷のパラメータ。

◆時間を使っても、時間に使われても、時間の綱引き遊び。

◆AIにゆだねる夢は、神にゆだねる愛の作為的試算。

◆覚醒願望にしても陰謀論にしても
「使われているのか?いないのか?」
という疑念が根底にある。

◆【ワンポイント・ボディハック】
脇の下を引き上げると、肘を張るエゴが引っ込みます。
(肩は上げない)

◆ヒト型は、品種改良された愛玩動物になっていく運命。
幸か不幸かは、あなた次第です。

◆使っている者も、使われているのです。
そして真理は「使う/使わない」とは、
まったく関係ありません。

◆器官が響きに震えるのではなく、
震えたい響きがつどつど器官を組み立てる。

◆音を耳で聴きにいかない。

◆人間は首の尾をつけて羊空に浮いている。

◆体は脳のトーテムポール

◆体は私とかくれんぼしている。
世界は私と鬼ごっこしている。

◆体は時差の幽霊

◆存在は、原因と結果の時差がゼロ。

◆私が老いるのではなく、老いが私を間借りする。

◆覚醒は視点が固定されないからこそ、
成長は勝手に起こるんですよ。
もちろん「この私」が行動し、成長します。
時には、自覚的に視点を固定します。
無我と能動的行為は、なんら矛盾しません。

◆意見がぶつかるのではない。
執念がぶつかっているのだ。

◆正誤に固執する前に、
この瞬間のエネルギーに気づく。

◆この神は、言葉と同時に生まれ、
その神は、言葉と同時に死んだ。

◆この世の神は、タブーを植えつける。
世界は、この神にびくびくしている。

◆認識のアクロバティックな転換を、
既知の感覚に回収しないこと。

◆世界が私をトコトコ駆け巡る。

◆生は♫
死は♪
今を切り裂くリズムになろう。

◆私たちは、木の中にいる仏像。
仏師には、その姿が見えてる。

◆生まれた時から覚醒に基づく言語で育てば、
みんな自然に悟れる。
地球上にはないけど、
何となく創れそうな触覚はある。

◆宇宙人から見たら、
地球の言語はすべて似たり寄ったりだろう。
人間の身体と認識の構造が同じだからだ。
主語や時制はもちろん、モノを指し示すという感覚や、
一語ずつ順番に並べるルール自体が不思議に見えるはずだ。
覚者はこの辺りの感覚に敏感になる。

◆この瞬間は、一切のルールから解放されている。
そこに存在の慣れ合いはない。

◆猫の香箱座りとかオッサン座りとか笑えるけど、
人の椅子座りも膝や股関節を器用にカクカク曲げてて
可愛いんだよね。
椅子に座るたびに、人類を感じてフフッてなる。

◆その点、結跏趺坐の足なんかは、
ネジネジ必死すぎて可愛くはないね 笑

◆例えば、膝が一方向にしか曲がらないっていうのも、
まったく当たり前じゃないんですよ。
無意識にとってるカタチが、
いかに私たちの認識を規定しているか気づこう。
覚醒は毎瞬が、規定の再発見と驚きなのだ。

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【覚醒からのつぶやき 21】        

2021/01/16

ツイッターのつぶやきをランダムにまとめました。

プランツ


◆「生と死ぐらい、ケチケチすんなよ」

◆進化するのは「この私」ではありません。
進化したわたしはすでに存在し、私と一体化しています。
そのことに気づいたら、この私はわたしを信頼し、
無心で今を全うするだけです。
今を全うできていないと、頭でスピリチュアル的な
使命を探し始めます。

◆いつ食べても、いつ寝てもいい。
頭を捨て、勘と信頼を取り戻せば。
ただし、信頼なくやれば鬱になる。
太陽系のバイオリズムの慈悲と束縛。

◆覚醒っていうのは、ある意味「0.2秒後の預言者」
になることなんですよね。
この感覚、伝われ〜!

◆息してるの、楽しすぎる。

◆息してるひと、みんな可愛い。

◆息してるだけで全員、世界貢献してる。

◆生活は尊い。
生の活動!

◆「死んだら終わり」も
「死んだら生まれる」も
生を条件付けする幻想。

◆無条件の生は、生存本能を超えたもの。

◆本能は個我のルーツ。

◆個我を敵視しない。

◆思考は軽症
情念は重症

◆霊格の概念は卑屈の極み

◆先祖が偉人
前世が偉人
私は偉人?

◆他人の目は自分の目

◆この世界は、本番の来ない予行演習。

◆毎瞬毎瞬、本番が終わった後に緊張している私たち。

◆スムーズにいかないことのスムーズさは笑える。

◆生は、ミニマルアートでも、コンセプチュアルアートでも、
パフォーマンスアートでもありません。

◆人生という名のアーティスティックインプレッションを狙わない。

◆耳の裏側で周囲の音を聴いてみると、
身体前面に偏った意識が真ん中に戻ります。

◆「え〜、まだ太陽が昇ったり沈んだりしてるの?」

◆宇宙人「地球人に人って呼ばれるんですけど〜」

◆宇宙人「ワレワレハの我って何のこと?」

◆「ワレワレハウチュウジンダ」だと侵略されそうだけど
「ウィアーザエイリアン」だと肩組んで歌いそう。

◆私は、100m9秒で走れます。
100m9秒で走れる体を貸してくれれば。

◆人間とは、自らを擬人化する生き物。

◆動物「擬人化しないでくれる?」

◆神「擬神化しないでくれる?」

◆「私はいない」という私視点。

◆非二元くん「地球の文法で話せない!」

◆先生「出席を取ります。非二元くん!」
非二元くん「私はいない」

◆非二元ちゃん「先生、私もいません!」

◆非二元あるある「ないない」

◆非二元イタコ「何もおろせませんでしたが、代金は頂戴します」

◆監督・脚本・製作・撮影・編集・主演・助演・美術・
音楽・衣装・音響・メイク・特殊効果・字幕・協賛 : わたし

スペシャルサンクス : わたし

レビュー : 私
評価 : ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
「ハラハラドキドキ最高でした」

◆【壁抜けの方法】

①壁を指で押します
②限界まで押し続けます
③押している中心を見ます
④中心に意識を合わせます
⑤中心の空になります

これで壁を抜けました!

※体は別途、運んでください。

◆エネルギーを外側に発散するだけが生の昇華
だと勘違いしています。
エネルギーの中心で一瞬で燃焼すればいいのです。
そのためには、いま発生したエネルギーを誤魔化したり、
すり替えたりしないことです。

◆覚醒に関する目新しい表現は、
すべてエンターテインメントです。

◆この世の覚醒は、生と死の喜びと悲しみの爆発です。
爆発の瞬間は、真っ白な真空です。
それを「体験した」という人は、嘘つきです。

◆ガスが充満している部屋で火をつけると爆発する。
この世の創造は、着火の連鎖につぐ連鎖。

◆自己イメージは自己の分離

◆自己イメージの補完に他者を使うから、
他者が分離し続けるのです。

◆【チャート診断】
「イメージが現実をつくる」
「すばらしい!」⇒ スピリチュアリスト
「おそろしい!」⇒ ブッディスト

◆私は、ベビーカーに乗っている赤ちゃんです。
泣いても笑っても、視界は勝手に流れていきます。
ベビーカーを押しているのは、未来の私です。

◆不足感は、進化の原動力。
「足るを知る」は進化を目指すエゴの痩せ我慢。
「足らぬを知る」を、そのまま受け入れよう。

◆「目玉を外して、頭の後ろから見てごらん」

◆無自覚に生きるのは、冬眠中のリスが
どんぐりの在りかを忘れるようなもの。

◆自分に置き土産して、置き場所を忘れ、新たな土産を探す。
この世界は、忘れ去られた置き土産のゴミ箱。

◆テトリスのように、凸凹が合えば消えるのです。
凸と凸をグラグラ積み上げるのはやめましょう。

◆自分に置き土産して、置き場所を忘れ、新たな土産を探す。
この世界は、忘れ去られた置き土産のゴミ箱。

◆「それ」が響く鐘は、空にぶら下がっていないと鳴りません。

◆時間とは「体に刻まれたクセ」である。

◆自他の解消は、時差の解消。
時間の中では時差は縮まらない。

◆自分をいったん外に出して確認するから時間差があるのです。
即、中心で確認すれば、確認そのものがいらなくなります。

◆ワンレスの社会

◆ワンネス=∞レス

◆ワンネスは3次元の感覚です。

◆体はそこに置いておけばよい。
置くときに体と自分が分離しないように。

◆空間を広げようとしない。
広がりはすでにある。

◆毎瞬毎瞬、在ることにびっくりする。

◆「それ」は、笑いながら失神させる何か。

◆「言語の時間性に気絶した説法は聞き飽きた」

◆一瞬前の自分が自分であったと信じているのは、
この瞬間の自分を信じていないからです。

◆物質は記憶の忘れ形見。

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【覚醒からのつぶやき 20】        

2021/01/10

ツイッターのつぶやきをランダムにまとめました。

ガーベラ


◆「眠っているから夢を見ている」のではない。
眠っている連続した本体は存在しない。
眠りと夢が同時に生滅しているのだ。

◆「夢を見ている上位次元の私」が目覚めるのではないのです。
「起きたら私がいる」という、肉体の睡眠と夢の概念にとらわれないでください。

◆目が先にあって世界を読み取るのではない。
世界が先にあって目が読み取るのでもない。
世界と目は同時に発生する。

◆開いた目は、瞑る定め。

◆ブツ切れの刹那は、認識の手前で、磁石にくっつく砂鉄のように
集積し、見かけ上の連続性を生み出します。
砂の一粒一粒には、まったく連続性はありません。
磁力が、似た性質の砂をくっつけ、認識がそれを直列的に「押し出す」のです。

◆重心=中心と錯覚しないこと。

◆削減と収縮を進める「エシカルな」世界。
シナリオどおりに進んでいく。
シナリオを書いたのは、私たちの呪い。

◆裏と表は融合しない。
不毛な格闘はやめる。
裏と表を生むのは私。

◆私たちは、歩くブラックホール。

◆私が私の顔を直接見ることができないように、
私は私自身の存在を直接見ることはできない。
直接見ることができない空白が、神秘の源泉。

◆平面の反射から立体の反射へ。

◆表も裏もない、即時全方向の反射と反復。
どの瞬間にも、無限にわたしが映っている。
全部のわたしを全部のわたしが見ている。
すべてが自覚していて、どの自覚もわたし。
わたしはどこにでもいる。
そんな世界がある。

◆3次元の認識のデフォルメは、あまりにも素朴。
素朴さを象徴で補おうとするから魔術と宗教が蔓延る。

◆この世界はどの瞬間を切り取っても、めくるめく無限の
複雑さを内包している。
すべてが見えてしまうと、ひとつの瞬間に永遠に入り込んで
しまうので、ごく表面しか見えないように調整されている。
だから、複雑性を見ようとするのではなく、
構造とエネルギーに内部から直接触れよう。

◆円環の世界では、生まれてくる子供は、私たちより先輩。
そのことを思い出せば、円環の利点も生かされる。

◆口に食物を入れるのと、手に食物を乗せるのは、
食物が視界から消えるか消えないかだけの違い。

◆認識できない世界は存在できない。
この世界は、認識できている世界。
当たり前だけど、忘れていること。

◆嬉しい時には嬉しさが時差なくある。
悲しい時には悲しさが時差なくある。
その時、嬉しい人も悲しい人もいない。

◆私たちは、世界をギリギリで保っている表面張力です。

◆目玉の裏を浮かせてみよう。

◆「生」を「生きる」と動詞にしない。
「死」を「死ぬ」と動詞にしない。

◆生死を裏表にしない。

◆上を見ろと言われて上を見る弟子は、体を切り落とされる。
上を見ろと言われて下を見る弟子は、頭を切り落とされる。
上を見ろと言われて師を見る弟子は、心を切り落とされる。

◆私たちは、仙人になる前から霞を食べて生きている。

◆地球の山は、宇宙の谷。
宇宙の山は、地球の谷。

◆覚者の姿をしたものは、象徴です。
私たちは決して「覚者本人」に出会うことはできません。

◆象徴としての覚者、あるいは高次元の存在といわれるもの
に出会えるのは、私たちの認識の「象徴化能力」が進化したからです。
ただし、能力が進化しても、それそのものを見ることはできないのです。
象徴化されたものはいかに神秘的であれ、私たちの認識の許容範囲を超えません。

◆覚者は何も表現しません。
表現する者がいないからです。
表現されたものは、読み取る者が創ります。

◆表現は常に二元性によって顕われます。
いかに聖なる表現であっても、邪悪な内圧とセットで流通します。
象徴としての覚者はそのことを自覚しつつ二元性を「使う役割」を担います。
自覚なく表現する者は「半覚者」です。
また、役割の途上で内圧に気絶してしまう者は、もともと覚醒していません。

◆人は水平の差別を脱しようとして、垂直の進化を求めますが、
そこでもふたたび垂直の差別を設定します。
差別は「進化し続ける」という強迫観念から、自ら設定しているのです。
水平と垂直の交点に消えて在るとき、どの座標においても即時に
強迫観念から解放されうることを思い出してください。

◆望まれた聖性には限界があります。
願望が、世界の限界を設定します。

◆世界は望まれたとおりに創られます。
根源的な望みは「動き続けること」です。
そのため一見、望ましくない現象も起こり続けます。
天変地異や戦争も、潜在的な願望が創り出します。
創造力の幼い私たちは「動き続けるため」に、
それらの選択肢しかないと思い込んでいます。

◆現象として現れてしまったものをモグラ叩きのように叩き続けても、
ひとりひとりが根本的な原理を自らの内に発見しないかぎり、
世界はこのままです。
創造は、天変地異や戦争や疫病といった刺激によってではなく、
別次元の原理によっても為されうるのです。

◆世界平和やエコロジーといった理念も、すでにこの世界の原理
に取り込まれています。
自分の発想や感覚だと思っているものすべては
「そのように行動するように」仕組まれたものです。
「自然な感性」は、すでに不自然なのです。
そのことを前提としたうえで自らの立ち位置を自覚する必要があります。

◆「わたし」というひとつの在り方を体験的に理解しないかぎり
「私」の突破口を、象徴と上位次元に求め続ける。

◆過去の歴史は「今」創られます。
そのことを知れば、私たちのルーツも組み変わり得ます。
私たち自身が、存在を過去の神話に縛り付けているのです。

◆閉じた瞬間から、開いた瞬間へ。

◆「それ」とは、収縮と開放の「あいだ」です。
「あいだ」は「間」ではありません。

◆思考の正誤よりも、情念の粘度に気づいてください。

◆たとえば、東京から大阪へ行くとき「大阪はひとつ」ではないのです。
すでに大阪に行った無数の私から、ひとつの大阪が今、決定されます。
同じく、ひとつの私も今、決定されます。

◆覚醒の悟りは「~だから~だ」という構文には当てはまりません。
それはただ「~」なのです。

◆ハミガキするとき、ハブラシを固定して歯のほうを動かしてみてください。
ハブラシは私を、そのように感じているのです。
これが悟りです。

◆あらゆる怖れは、無知からくる。
無知を思考で補えば、怖れに鈍感になる。
鈍感な私は、無知に気づけない。

◆私と「ぶつかる」ものが物体、「ぶつからない」ものが空間
だと認識しているかぎり、肉体は私を手放しません。

◆私が存続させたいのは、肉体ではなく個我体です。
粗末にされた肉体は、悲鳴をあげています。

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【覚醒からのつぶやき 19】        

2021/01/05

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薔薇2
一ヶ月以上、咲きつづけた薔薇


◆6歳の時にはじめて世界の構造に「触れた」のですが、
その時は内部の目が確立していなかったので、
触覚は立体的な浮遊感、視覚は半立体的な展開図のような
アンバランスな体験でした。

◆33歳のときに瞑想によって内部の目が確立し、幼少期の頃の様々な体験は、
その時点の未開発な認識レベルで像を結んだものだったことを理解しました。
一瞥体験があっても、内部の目だけは自覚的に開発しなければ、まず転換しません。

◆「心と体はひとつ」は、納得できる。
「心と世界はひとつ」も、まあ納得。
ならば、 「体と世界はひとつ」も納得しよう。

◆世界は、アタマ・ムネ・ハラ、3つの意識のホログラム。

◆神秘の中心は、神秘ではない。

◆法則が先にあったのではなく、見てみたい世界のために、法則が創発された。

◆わたしは、回転する私を創った。
回転は、当時としては斬新だったので。

◆3次元のわたしは回転の中心で生まれては消える意識。
回転の軌道に放りこまれた私は、わたしに引っ張られてぐるぐる回っている。

◆今を分裂させる遠心力を逆手にとって、回転の中心に還ろう。

◆回転は3次元的な運動ですが、回転のダイナミズムと力の拮抗を
この身体で体験することなく多次元に移行することはできません。

◆個人的な経験からいうと、いったん身体を取り戻したほうが圧倒的に速いです。
観念に観念を重ねても、常に身体に引き戻されます。

◆「導かれている」うちは、距離があります。
どこかに連れて行ってもらおうという依存があるのです。
「それ」は、中心から直接えぐりこんできて、断りもなく爆発するものです。
まったく優しさなんてないです 笑

◆世間に責任を持つのではなく、存在の責任を自覚しよう。

◆死体は重いけど、死人は重さを感じていない。
生きたまま、これがわかればいいのです。

◆肉を持ち上げようとするから重いのだ。
肉の中心に消えてあるとき、エネルギーの内圧が勝手に持ち上げてくれる。
その軽さを知ってほしい。

◆もし他星から転生してきたのなら、物質の色と重さをはじめ、
五感に雪崩れ込む情報にびっくりして生まれた瞬間、気が狂うだろう。
人生という心理的な違和感にとどまっている人は、前世も来世も地球人です。

◆「隣人を愛せ」というとき、水平方向だけでなく垂直方向にも
受け入れてあげてください。
そのとき隣人は、いるのだけど、いないのです。

◆存在は、完全な暗闇で目を覚ます。
暗闇の目には、瞑る瞼がない。
瞑ってしまえば、原初の閃光が走り、世界がはじまる。

◆迷いの中心も覚醒しています。
迷いを取り除こうとすれば「迷いの覚醒」は失敗します。
失敗しても、失敗の中心も覚醒しています。
失敗を取り除こうとすれば「失敗の覚醒」は失敗します。
それに気づけば、失敗は失敗でなくなります。

◆エネルギーを単体でとらえにくい人は「関係性の粘度」に着目してみてください。
皮膚感覚でエネルギーがわかってきます。

◆肉体と魂のコネクションコードというのも概念ですが、
この世界のエネルギーの粘度をうまく表現していますね。

◆表現は表現としてあっていいのですが「コネクションコードが~」と、
あたかも共通認識が確立しているかのごとく話し始める意識もまた、
エネルギーとして記号化された世界に気絶しています。

◆神は隠れない。
私が神を隠す。

◆これからの時代「DNA=自分」という発想のままでは、もはや正気は保てません。
これはある意味、福音です。

◆結局のところ、どちらを選択するのかはすでに決まっていますが
「すでに決まっている」という自覚と信頼を再確認しておかないと、
今後の世界にはとても耐えられないでしょう。
シナリオは変えられません。
正気を保つには「在り方」を変えるしかありません。
そうすれば、悲観することはありません。

◆気絶したままでは、自分が正気かどうかも、わからなくなってしまう時代に入りました。
甘美な夢と引き換えに、ますます眠りは深くなっていきます。

◆愛は与えられない。
すでにあった愛に気づくだけ。

◆愛を確かめたいのは、永遠を信じたいから。
本当は永遠はすでに在るのに、疑っている。

◆「目覚めた私」という夢が一番やっかいです。

◆身体は、ヒト型の着ぐるみではありません。

◆世界は夢というけれど、いま私たちが見ているのは、
自然な夢じゃなくて人工的な夢です。

◆存在に、前後左右上下はありません。
「だから」存在は生まれもしないし、死にもしないのです。
なぜ「だから」なのか、全身全霊で汲み取ってください。
ヒント:全身全霊は、前後左右上下です。

◆「目が覚める」という表現も、認識だけに特化されているんですよね。
この表現が弊害になることもある。
本来、存在に目などないので、寝たり起きたりするものではないのです。
あえて言うと、ず~~~~っと、在るもの。

◆肉体が「産み落とされた」ことを「切り離された」と勘違いしているので、
ひとつに還りたいと希求するのです。
これは、人間の構造的なトラウマ。
還るのは、肉体ではないのです。

◆だから、まず肉体と世界が切り離されていないことを全身で思い出して、
トラウマを癒してください。
そこを無視してどんなに瞑想しても、必ず行き詰ります。

◆「お母さん食堂」が炎上する時代ですが、「創造の母体」に性別はありません。
この世界では「生みだす」ことが「子宮」と神話的に結び付いていますが、
全体からみれば、肉体幻想に基づいた局所的なシステムです。
とはいえ、この神話に疑問を抱くことは今なお、タブーとされています。

◆個人的に、この神話と魔術の世界に産まれたのは、タイムスリップ
してきたかのような幻惑を感じます。
「まだ、ここ!?」という。
テクノロジーは進化しても、構造はまったく変わっていません。
それほどまでに、根深い闇とタブーがあります。

◆3歳ぐらいのとき、父から「未来は、火星人みたいに頭が大きくなって、
みんなピピピッとテレパシーで会話するようになるよ」と刷り込まれ、
ワクワクしていました。
今わかるのは、テレパシーで筒抜けになるのは、その人の言葉や思考
ではなくて、潜在的な想念のエネルギーそれ自体だということです。

◆その人が相対的に善人であれ悪人であれ「裏の裏」は表です。
それは、本当の意味で「あるがまま」なので、筒抜けになっても何も怖くないのです。
すべてが表であれば、人を認める、認めないという判断自体も無効になります。

◆私たちが怖れているのは「情報」としての自分が一方的に筒抜けになって
価値判断されることです。
その意味で、世界の「情報の非個人化」の方向性はテレパシーのユートピアとは真逆といえます。
つながるべきは、そっちではないのです。

◆しかし、強制的にでもそちらの方向を推し進めなくてはならない原因を、
私たち自身が創ってきたのも事実です。
即物的に目に見える形で「ひとつ」にしたうえで、どちらの方向へ向かうのかも、
すでに決まっています。
数十年後には答えが出ているでしょう。

◆テレパシーの発動を阻害しているのは「読まれては困る自分(=世界)」
を保ちたいがために、私たち自身が脳と身体をそのような個体として
設定しているともいえます。
まあ、本当にすべてが表になったら、この世界は消えてしまいますからね…

◆子供が比較的テレパシーを発動しやすいのは、ストッパーが外れているからでしょう。
(設定のバグともいう)
これは、そう非科学的な話でもないんですよね。

◆それにしても、情報や思考を読まれるのは怖いくせに
「私を読んでください」とホイホイ霊能者にひっかかる私たちというのも、
魔訶不可思議な生命体ですよね 笑

◆完全にすべてが表になれば、肉体も認識も形成できないのです。
二元性の世界なので、当たり前といえば当たり前の話ですね。

◆完全に表だけになれば、言葉もコミュニケーションもなくなります。
でも、私たちが「表だけの世界」を見ることはできません。
なぜなら、見ることは二元性によって成り立っているからです。

◆タイムラグのない世界は、消える。

◆この世界にフォーカスしているのは、私たちの想像力がまだ幼かったから。
でも脱出の鍵は、想像力の進化にあるのではない。
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【覚醒からのつぶやき 18】        

2020/12/30

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薔薇


◆言葉にした瞬間、知性は遅く重くなる。
閃きの瞬間だけが天国だ。

◆電話しながら無意識に、手元の紙に意味不明の
落書きをしていることがある。
ぐちゃぐちゃの線だったり、よくわからない形だったり、
解読不明の文字だったりする。
世界はこうやって顕われるのだ。

◆私たちは、どうでもいいことばかり覚えている。
なぜか昨日の自分がいたことを忘れない。
でも、本当にすごいことにかぎって忘れてしまう。
生まれる前に自分がいたことを忘れてる。

◆数年前にちょっと流行ったQEという願望実現の方法がある。
3点法という技法は、物質と意識の三すくみ状態のあいだで
一瞬だけ無になって願望を手放した瞬間にそれが叶うというもので、
意識の本質を利用した画期的なものだった。
この方法ならば、誰でも一瞬だけだが無に入れる。

◆創案者はTM瞑想の体験から、純粋意識からどのように現象が
立ち上がるのかという仕組みをベースにこの方法を開発した。
いちばん面白いと思ったのは、創案者がこの方法を「願望実現」という
ジャンルで人々に浸透させようと狙った点だ。
「願望が叶う」と言われれば、人は動くからだ。

◆ところが、実際に3点法をやってみると当然、
願望は叶ったり叶わなかったりする。
その不満も創案者は最初から織り込み済みで、何冊目かの著作では
「叶う/叶わないといった結果すらも手放しましょう」
とぶっちゃけてしまった。
願望を手放せない人々は、あっという間にQEから離れていった。

◆人は引き寄せを100%信じているわけではない。
引き寄せという希望の魔力に引き寄せられている。

◆巷でいう「気分があがる方向だけに進もう」というのは、軽薄に見えるが
間違っているわけでもない。
「それ」との一体化は実際、気分があがった状態だ。
ただし「気分があがる」のが自我感覚に基づいていれば、
想定内の方向にしか進まない。

◆見たくないことを「なかったこと」にし続ければ、
宙に浮いたエネルギーが、わたしたちのうちのどこかに分配される。
私に見えなくなりさえすればラッキーだろうか?
「あってしまったもの」は絶対になくならない。
それを知っていたら、私自身がエネルギーを全うさせてあげるのが
慈悲というもの。

◆自我にとって「気分がさがる」ことが実は「それ」にとっての
真実だということもある。
例えば、瞑想は自我が嫌がるが「それ」は喜ぶ。
刹那的に気分だけで動く前に、最初のラインは突破しておこう。

◆ボールを投げると落下する。
結果だけを見れば「落ちた」ことになるが放物線のどの瞬間をとっても、
ボールの中心は「浮いている」。
地面に触れた瞬間すらも。
そのことさえわかれば、3次元は上がり。

◆戒律を鵜呑みにして「ダメなものはダメ」と切り捨てるモードは
バランス感覚を失う。
もともと戒律など存在しなかった。
執着や欲求は、途切れのないグラデーションであって、
存在するかぎりあり続ける。

◆「ここからここまでは良くて、ここからは悪い」という区切りなどないのだ。
戒律は、バランスを自身で見つけられない初心者のためにやむなく
作られたマニュアルにすぎない。

◆神にお願いするのは、神を信じてないからだ。
神がやってることに、ケチをつけているのだ。
願いごとがなくなったとき、神は微笑む。

◆「この世界では、願望は思った通りに叶わないらしい」
と気づき始めると、まだ見ぬ高次元の世界やら理想の天国やら
を設定し、物語を創りはじめる。
「世界は悲惨だけど、それは素晴らしいステージへの試練なの!」
と納得しようとする。
願望そのものを手放せば、この世界が天国になるのに。

◆慈悲とは、重さも軽さも引き受けるもの。
それは存在の底を見てこないとわからない。

◆軽さだけにフォーカスする人は、例外なく闇を隠している。

◆近づくと広がる。
遠のくと狭まる。
それが私の宇宙。
近づくと狭まる。
遠のくと広がる。
それが宇宙の私。

◆分離が愛を創った。
愛そのものはない。

◆人は花を愛すが、 花は人を愛さない。
愛が人と花を分ける。

◆花に愛を見出すのは、 花に愛してほしいから。
そのとき花は、花でなくなる。

◆自己愛は自己と自我の分離。

◆自己は、愛する前に在る。

◆人は殺せない。
殺せる人はない。

◆神は語る。
人は語られる。
それは語れない。

◆私が祈るのか
それが祈るのか

◆物語から覚めるという物語を創らないでください。
物語がますますややこしくなってしまいます。

◆周波数を考えるよりも、まず、呼吸数を自覚してほしい。
「呼吸の早い死体」だらけ。
これだけで世界は変わる。
本当に。

◆平面的な複雑さから、立体的な単純さへ移行しよう。

◆立体は立体として直観する。
意味の多重性は平面的展開。

◆思考は単音
直観は和音
発話は単音
発声は和音
文字は単音
意味は和音

◆覚醒から見れば、人間の自由意志は1mmたりともありません。
笑うしかないほど、厳密にすべてが決まっています。
ただし「自由意志がないこと=自由がないこと」ではありません。
この事実を受け入れるとき、私たちは驕りを捨て、
自由に生きることができるようになります。

◆1mmたりとも自由意志がないことを、
ぜひ自身で見てきていただきたいのです。
本当にないのです。
そして自由意志がないことが、どれほど清々しい自由
であるかを知っていただきたいと思います。
自由意志は、この世界に縛り付けておくために装着された、
尊厳という名の足枷なのです。

◆絵具を全色混ぜると濁った灰色になる。
光を全色混ぜると透明な白色になる。
全体主義は世界が灰色になる。
ワンネスは世界が白色になる。

◆「風の時代」という新しい幻想が200年以上続くことになりました。
世界の夢は、進化という名のもとに巧妙になり、ますます手強くなっていきます。

◆個人的には、占星術は夢のルールとしては面白いと思っているんです。
ただ、夢の意識のマッピングを信じ込めば、夢は夢の中で具現化
されてはいきますが、ますます深い夢に入っていきます。

◆占星術を扱うときには、明晰夢を見ているときの意識的な視点が必要です。
星が先にあって私を規定するのではなく、
わたしたちが夢の中で星を配置していることを思い出してください。

◆私たちが「聖なる至福」と呼んでいる感覚は、
世界の構造にすでに組み込まれているものです。
私がいるかぎり、至福は限定され、微妙な不足感を伴います。
至福ジャンキーは、さらなる至福を求めて彷徨い続けます。
それが、この世界を存続させる甘美さであり、恐ろしさです。

◆個人的には、最近流行りの神聖幾何学模型よりも、
テンセグリティ模型のほうが直接的に「それ」に触れる感覚がある。
前者は鋳型、後者は運動。

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