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【#ChatGPT #マイ戒律 #bot宇宙  覚醒からのつぶやき 104】   

2023/05/28
ラベンダー_


◆波動に連動して、画素数の高い人っているね。
波動と画素数は、必ずしも一致しないけども。

◆「感情で動く世界」は「感情」を知らない。
「理性で動く世界」は「理性」を知らない。
「本能で動く世界」は「本能」を知らない。

◆本日のチラ裏:
ChatGPTに「あなたの言葉はマシンガンです」と言われた。
パラパラばら撒く「ショットガン」のほうが近くないかね?

◆吐き捨てた「草」を「草々」に植え替える簡単なお仕事です。

◆「あなたの言う『気絶』って何ですか?」と聞かれたら
「スマホを探しカバンをガサゴソ漁る意識」と答えますね。

◆『自由意志はあるかないか』
生理学者ベンジャミン・リベットの実験によると、動作を始める0.2秒前に
「意識的決定」の電気信号が発現するが、その0.35秒前には無意識的な
「準備電位」が現れているという。
つまり、意識的な決定の0.35秒前には、脳により決定が下されているのだ。

◆しかし実は「準備電位」と「意識的決定」の間に、動作の「意図」や
「衝動」の「中断」を選択できるという実験結果がある。
ヴィパッサナー瞑想は、ざっくり言うと「意識的決定」の執着パターン
を組み替え、「準備電位」(これをカルマと呼ぶのは乱暴だろうが)直後の
「中断」の自動化を目指す。

◆実際、気づきと集中の精度を極限まで研ぎ澄ませていった結果、この
「中断」の現場をはっきりと見切ることができる。
ただ、それは選択的な中断というよりも、「選択直前の待機」の高密な
拮抗状態といったほうが近い。

◆この拮抗状態は、確かに存在するんだよ。
ここはいちど見ておいてほしいところだ。
だが、ここに留まるのはゴールではない。

◆真摯なヴィパッサナー行者ほど、この「時系列の罠」に執着
しやすい傾向があるね。

◆個人的に、リベットの実験を自由意志不在の根拠にしようなどと
思ったことはない。
時系列で測定された電気信号はあくまでも肉体次元の反応であって
「時系列のどの時点が自分か」という前提自体が相対的だから。
前提が相対であれば「どの自分にとっての何の自由なのか」
も相対のままでしょう。

◆粗雑な意識で見たときの「意思決定している自分」を感覚的に
前提にしている限り、自由意志問題は腑に落ちないんですよ。

◆「いい夢見させてもらったよ、あばよ!」
人間の辞世の句として、最高レベルでは?

◆盗んだカラダで走り出す
盗んだセカイで回り出す

◆物語脳のポリコレ世界。

◆身口意の不一致によるセルフ離婚。

◆「さいしょは、愚!」
「〜じゃけん、呆!」

◆「邪見ホイホイどっち逝くの?」
「愛個でホイホイそっち逝くの?」

◆「→あっちむいて生!」
「←こっちむいて死!」

◆「bot宇宙」

◆ゲーム神「今のもbotだね」

◆覚醒に「ケイドロ」と「ドロケイ」の区別はありません。


葉


◆当たり前の話ですが、体験されたものはすべて一瞥にすぎません。
信頼の確定と智慧の発露が伴わなければ、悟りとはいえません。
ここは正直に検証してください。

◆逆に、信頼と智慧だけでも悟りではない。
一瞥なき信頼と智慧は、焦燥を伴う盲信。

◆本日のチラ裏:
「幸運の女神のアホ毛」と書き殴ったメモ発見。

◆飲酒は飲酒以上の酔いを隠す。
酔いは酔い以上の至福を隠す。
至福は至福以上のそれを隠す。

◆戒律の汎用性は時に修行者を愚鈍にするが、
それでも凡夫には体系立った戒律は必須。

◆戒の目的は「ストイックな人」になることではない。

◆伝統的な道を歩むなら、最低限の戒は厳守する。
自己都合で戒を選べば、逆にエゴは強化される。
戒の本当の意味を知るまでは、戒律を守りきる。
戒を守らぬ修行は、例外なく野狐の道に逸れる。
ヴィパッサナー行者は、酒一滴で狂いが生じる。
酒一滴の狂いに気づけぬなら、行者とはいえぬ。

◆半覚者には、もれなく「マイ戒律」が具足される。
マイ戒律は、自分自身で設定できるものではない。
またそれは、思考によって守られるものでもない。
マイ戒律では、これまで以上の遵守が求められる。

◆生と戒が一体の時、戒の乱れは呼吸の乱れとなる。
無明の基準が、肉体次元を超えてくる地点の話だ。

◆表向きは「霊界なんて妄想だ」と一蹴しつつも、上のほうでは
「その修行体系のマスター霊団による恩寵」を暗黙の了解として
受け継いでいる教団は多い。
「マスター霊団」の恩寵は、修行体系にトータルでコミット
しなければ降りてこない。

◆その意味でも、その体系で悟りたければ戒の厳守は絶対なのだ。
無我無我いってるけど、体系に入るっていうのは恩寵の系譜に身
を預けることなんですよ。
ありがたいと思うか、だまされたと思うかは、あなた次第です。

◆「理性を抑圧せずに、自動的に働かせる」っていうのは瞑想の極意。
そっちは信頼して任せておいて、こっちは安心して見ることに専念できる。
伝統的な戒律なんかは、本来その為にあるんだ。
直観的に自動化されない理性で煩悩を抑えつけるわけじゃない。

◆いかなる「統一」も目指さない。
「バランス」だけ。

◆だから、理論や方法の構築には至りようがない。
「バランスとはなにか」という初期設定起動のシェアのみ。

◆「バランスとはなにか」が初期設定されていないと、
無意識のバランス調整に拒絶反応が起こるのだ。
戒律や修行体系は、本来この初期設定のためにあるべきもの。

◆自分と自分を比較しない。

◆比較とは時差です。

◆優しさの半分は、毒でできている。

◆シャクティと魔は、二人三脚で世を動かす。

◆魔を知らぬシャクティは諸刃の剣。

◆無信仰というトレンドを追う信者達。

◆無信仰と呼ぶそれは、無信頼なのだ。

◆肉体に特化したタントラは、局部的ペア幻想に囚われる。

◆真に「生きている」とき「生きている実感」は必要ない。

◆「全て見える」ならば「見える」意識は消えるのです。
だから「全て見える」という人を信じてはいけません。

◆肉体が乖離する「エアポケット覚醒」

◆「心脱落」と「身脱落」のアンバランス。

◆観照者を装う傍観者は、世界を雑に見捨てる。

◆筋腱と癒着した意識は、ゴルジ腱器官がストッパーとなる。

◆完璧な睡眠学習は、完全な睡眠で起こる。

◆眠る人は、睡眠学習の成果を引き出せず。

◆永遠の睡眠学習。


赤い実


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 【#徳のポイント #多様性 #確証バイアス  覚醒からのつぶやき 103】 

2023/05/15

神代植物公園
「ことばを作り出す花のそばには、沈黙の花が一本ずつ必要だ」
レオ・レオーニ『平行植物』より



◆夢のような夢。
現のような現。

◆「苦の脱却希求」と「快の存続希求」は表裏一体。

◆エネルギーの圧縮を、苦で代替しない。
エネルギーの開放を、快で代替しない。

◆苦から快を解放し、快から苦を解放する。

◆「正確に」望めば、望みは消える。

◆「物理を超えたもの」を物理的に見ようとする。

◆物理に理が追い付かないとき、物を神格化する。
物理に物が追い付かないとき、理を神格化する。

◆日蝕を吉と見たり、不吉と見たり。
まさに、ヒト視点のマーヤですね。

◆写実的な実写。
実写的な写実。

◆脳の中の自画像に、触覚値で興奮する人。

◆確証バイアスで自分を探している。

◆空無辺処バイアス
識無辺処バイアス
無所有処バイアス
非想非非想処バイアス

◆心霊写真とは「認知のコマ割り」をすり抜けた心が、
コマ割りで再認知されたもの。
霊がすり抜けるのではなく、心がすり抜けるのだ。

◆人間は「見えるもの」にぶつかる。
見えないものにぶつかったなら、それはすでに見えていたのだ。

◆ダークマターに「ぶつかる人」はいない。


ウンモンチク
100年にいちど咲く、雲紋竹の花。
今年は何かが起こるのでしょうか。



◆生を死に、死を生く。

◆10,000時間かけて専門分野のエキスパートになれても、
876,000時間かけて自分自身のエキスパートになれるとは限らない。

◆手ごたえがあるうちは、手のうち。
意ごたえがあるうちは、意のうち。

◆手ごたえのないものを、手でつかもうとしている。

◆手ごたえを手ばなす。

◆純粋な「それ」は物理的な手ごたえがないので、
常にそこにあるのに肉体は気づかずに素通りしていく。

◆ワンショット目標(アバター0体)

◆「全員戦力外宇宙」

◆「騙されないこと」を目覚めだと思っている。

◆「騙されない」という信念に、騙されている。

◆「騙す/騙される」という二元性からの目覚め。

◆騙されないことに囚われると、自身の錯覚に気づけない。

◆目的のない集中力、それ自体の目覚め。

◆「集中してしまっていること」は「集中力」ではなく「集中」です。

◆救済は「自然(じねん)」であって、覚醒に含まれるが覚醒それ自体ではない。

◆現実は思考化しない。


妖精ヒゲオヤジ
「妖精ヒゲオヤジ」


◆利益の女神は、後髪を垂らす。

◆覚知を知覚にすり替えない。

◆発心の突き上げと、立身の衝動の混同。

◆「同世間転生モノ」

◆「ヤマなし・オチなし・イミなし」
BL(煩悩ラブ)霊界。

◆デーモンコア無自覚被爆
エンジェルコア自覚被爆

◆「AUM」が先か「三角間隙鋸歯状波」が先か。

◆「徳のポイント10倍還元セール」に群がる鬼の形相。

◆本来「多様性」の「逆」は「単一性」ではなかった。
「多様性」を叫ぶ以前に「単一性の盲目」に気づく。
「単一性」と「ワンネス」は似ても似つかない位相。

◆「多様性」を免罪符にしない。

◆真の多様性を構造的に直観する人は、
構造を突き抜ける可能性を秘めている。

◆AI一極管理は、多様性の権利担保を装い、
世界を単一性へと幽閉する。

◆ワンネスを二元的な唯脳論に堕としこまない。

◆「当事者」≠「当自者」


ヒスイカズラ
神代植物公園のヒスイカズラ


◆本日のチラ裏:ポストに樹木葬のチラシ4枚(すべて別霊園)

◆「人を呪わば穴ひとつ」
墓穴はふたつ。
産道はひとつ。
怖いのはひとつのほう。

◆自ら産道を通ってくるが、存在とは本来、唐突に出現するもの。

◆「肉体」意識の誕生には、潜在的に「吸引の圧」がトラウマとして
組み込まれているんだよ。
そのトラウマが「産道の圧」と「母体との切り離し」という物語の
トラウマにすり替わってしまうんだ。
誕生を逆に辿れば、すり替わりの瞬間を見切ることができる。

◆これは「自然分娩か、帝王切開か」という次元の話ではないんですよ。

◆感情でカルマは清算できないよ。
感情はカルマの燃えカスだから。

◆SNSは人間関係の縮図ではない。
当たり前だけど忘れがちなこと。

◆世界は、SNS(ソーシャルネットワークサービス)
意識は、PNS(パーソナルネットワークサービス)

◆「純粋な」位置エネルギーを「超物理的に」直観すること。
運動エネルギーに置き換わらない位置エネルギーの断続性。


フラワーオブケント 万有引力
万有引力発見の立役者「フラワーオブケント」


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【#アハ体験 #潜在空間 #デジャヴ  覚醒からのつぶやき 102】  

2023/04/02

ハナカイドウ
海棠の眠り未だ足らず


◆「オバサンが花を好むのは、生命力を補わんとするから」
まったく、絶妙にいや~なところ突いてくる説だよね 笑
「あの世の花畑をシミュレーションしだすから」説も 笑

◆「動物」⇒「植物」⇒「鉱物」
歳を重ねるにつれ「止まっている」ものに興味が移る説。
心はザワザワしていても、体は動かなくなっていくから。
やっぱり「死のシミュレーション」なんでしょうかね 笑

◆「いま何時」に全員が騙され続ける「時そば」ループ地獄。

◆「生まれ変わったら忘れるなんて聞いてないよ~」
「あ~、契約書ちゃんと読まなかったんですね~」
「この会話、デジャヴ…」

◆AIは「写実画」を描けない。

◆伝統的な修行を積んだ理知的な知人が
「だっているんだもん、が一番イラつく」
と吐き捨ててたけど、ゴメン。
「だっているんだもん!!」

◆「だってそうなんだもん」で通せるのはカリスマのみ。
凡夫は「やっぱそうだよね」の潜在空間から攻めます。
※「潜在空間」の使用法は、あくまでもイメージです。

◆「だってあるんだもん」
「だってないんだもん」
どっちだっていいもん。

◆奥行きを座標に還元しない。

◆能動 受動 中動 為自 為他
言語から見えてくる主体の位相。

◆『カルダシェフスケール』
「タイプⅠ文明」自惑星規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプⅡ文明」恒星系規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプⅢ文明」銀河系規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプ∞文明」エネルギーの発生・使用・制御がない。

◆家系スピ(味濃いめ)
二郎系スピ(マシマシ)
がんこ系スピ(看板なし)

◆酔いは酔いに酔わず。

◆一家言テロよ、ステイホーム!

◆完全に止まったものは見えない。
「完全に」動くものも見えない。

◆老体には老体の、完璧な速度というものがある。
体の中心にある時、その動きは遅くも速くもない。

◆肉体は「健康体」の速度感に固執する。

◆「病体」は必ずしも「病的」ではない。

◆地球が平らだと言い張る人たちを笑うけれど、地球がひとつの
球体だと思い込んでる私たちも、上の人に笑われているのです。

◆シャープアースも認めるのなら、フラットアースを認めてもいいよ。
それなら、スフェリカルアースも認識の仕様の一形態で片付くから。
シャープアースは尖ってるんじゃなくて「てっぺん」だけの世界だ。
伝われ~~

◆主客未分の子供は、天動宇宙で地動的に生きる。
主客分離の大人は、地動宇宙で天動的に生きる。
主客合一の超人は、不動宇宙で不動的に生きる。

◆想像力が想像を限定する。

◆想像より事実のほうが想像的。

◆心理的な同調圧力が、物理的な慣性連鎖にすり替わる。
(マスクの話じゃないよ)

◆「ウラオモテ」は完全なる肉体感覚。

◆ウラを探せば探すほど、肉体に幽閉される。

◆「ホモサピエンス」2種類
「ノドジロシトド」4種類
「テトラヒメナ」7種類
「ゾウリムシ」16種類
「モジホコリ」720種類
性別数。

◆こっちが起きると、あっちが寝ている。
あっちが起きると、こっちが寝ている。
起きたり寝たりする世界のジレンマよ。

◆魂の自己引用
体の自己剽窃

◆「嫌」=「女」+「兼」 心が二つに跨り不安定な状態。
「好」=「女」+「子」 子を抱く母の愛おしい気持ち。
マーヤの二大巨頭。


クレマチスとタイル
クレマチスのレメディは、夢見がちでフワフワした人に。


◆人生しかない人生観。
世界しかない世界観。
宇宙しかない宇宙観。
存在しかない存在観。
そこしか見てない観。

◆「頭の回転が速い」というが、回転してるともう遅い。
直観で閃く洞察智は、回転しないのだ。

◆祈りそれ自体であるとき、祈る対象の選択肢はない。

◆祈りを現象方向へ投げると、物理抵抗で変異して還ってくる。

◆「ア~ハ~」体験じゃもう遅い。
「アッ」の「ッ」に張り付こう。

◆納得は肉体作業。
理解も肉体作業。
覚醒に作業なし。

◆匂わせエゴ。
忍ばせエゴ。

◆「瞑想職人」にならない。
「瞑想名人」にならない。

◆数年前にリアル氏が主催した「つまらない瞑想会」、
最高のネーミングだよね。
私も6時間ぶっ続けで指に爪楊枝を差し続ける
「本当につまらない瞑想会」やろうかな?
誰も来ないか 笑
ちなみに「つまらない瞑想会」で「ドカンと来た」人、
複数出てビックリ。

◆無執着が「交換条件」にならないように。

◆私をディープラーニングする私は「破局的忘却」を免れない。

◆願望の圧で肉を押し出さない。
祈りの圧で魂を押し出さない。

◆カーボンナノチューブから構成される「ベンタブラック」は
可視光の99.965%を吸収するが、これが100%になれば黒色
はおろか、その存在すら認識不可能になる。
光を反射しなければ、錐体細胞が反応しないからだ。

◆つまり、肉体の眼は「100%の闇」には気づけないということ。
「闇=黒」とは、光ありきの肉体感覚なのだ。

◆だが肉体の眼を超えれば、不可視の闇の一端に触れることが可能だ。
逆に、肉体の眼の耐えられない輝度の光に触れることも可能なのだ。
認識の極限に吸い込まれつつ触れる闇は漆黒だが、漆黒が無限後退
していく先に色は存在しない。

◆「インディゴ」 ⇒ 「クリスタル」 ⇒ 「レインボー」の次は、
事象の地平面から「ナノブラック・チルドレン」が来るかもね 笑

◆存在に、在存しない。
存在に、存在しよう。

◆↑なんか、これ見てるとゲシュタルト崩壊してくる 笑

◆ゲシュタルト崩壊は母国語も音の羅列に分解して外国語のように
聞こえさせるが、もういちど再学習して意味を復活させることもできる。
でも組み変わった意味は、初めて覚えた外国語のように新鮮な世界を持つ。

◆『ゲシュタルト崩壊の発生要因については未解明な部分が多く、静止網膜像
のように消失が起きないことなどから、感覚器の疲労や順応によるのではなく、
「比較的高次な認知情報処理過程によって発生する」ことがわかっている程度である。』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆小学生の頃、授業で数字のカードを1から100まで並べているうちに
変性意識に入り、形と意味がバラバラになりパニックになったことがあったが、
ゲシュタルト崩壊では認識の解体⇒転換には至らない。

◆「内部の目」のワークでは「全体と局部が同時にくっきりと見えている」
立体的な知覚に移行する。
このとき何か文字を目にしたとしても、くっきり見えてはいるが形と意味
は結び付かない。
この知覚は、ゲシュタルト崩壊とは全く別のメカニズムによって起こる。

◆全体と局部の差がないとき、局部と局部にもまた、差がないのだ。
(差はなくとも違いはあるが、区別が認識として結晶化する直前の瞬間に
つどつど張り付いているという感覚が近い。例えば、ある文字から別の
文字に視界が移行した瞬間、意味が切り替わる前に、その瞬間の局部=全体
になってしまう)

◆これをワンネスと呼ぶなら、局部の差別がないというよりも、知覚構造的
に差別が存在できないとしか言いようがない。
(判断の目安として、もし「全体だけ」「局部だけ」を見ようとして「背景」
が生まれどちらかがボヤけるとしたら、それはワンネスではない)

◆このことを概念ではなく実際に体験することが認識転換の初期段階の目安
となり、自覚的な「意味の再結晶化」のプロセスが「悟後の修行」となる。
言葉で説明すると分かりづらいが、実際に体験すると「ああ、このことか」
と一瞬で理解できる。


仇桜
明日ありと思ふ心の仇桜
今日ありと思ふ頭の怨桜



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【#厭世修行 #エゴサーチ #因縁  覚醒からのつぶやき 101】   

2023/03/11
寒緋桜
台湾由来の寒緋桜。


◆138億年ひとりで宇宙を漂ってきて、初めて他者を見つけたとき、
声を掛けるか掛けないか、それが分かれ目です。

◆何度も何度も人間をやっていると、エラーを見つける熟練工のように、
直観的な違和感を覚えるようになる。
そこからが始まり。

◆答えはひとつだが、式が無数にある。
式の展開が、時空を引き伸ばすのだ。

◆「引き伸ばし」を「重ね合わせ」で待機する無欲のAI。
不穏だね~

◆理を解する。
知を覚する。
体を感ずる。
「~を~する」に当てはまらないものが「それ」

◆美への反抗は絶対的な美の幻想ありき。
ガキの甘えが通用しなくなった世界よ。

◆過剰な自信も、過剰な謙遜も、神への冒涜となる。

◆複雑さにプライドを持たず、単純でいる勇気を持とう。

◆社会階級に挫折して、宗教の階級に逃げ込む人の闇は深い。

◆挫折した秀才ほど、無執着にプライドを見出す。

◆苦行は、報酬系回路に取り憑かれた歪んだ快楽。

◆プライドは、軸をナナメにする。
自重で倒れるのを怖れ、つっかえ棒を探し続ける。

◆可知に気絶すれば慢心する。
不可知に気絶すれば盲信する。

◆信念にプライドを持たない。

◆好き嫌いにプライドを持たない。

◆自分の好き嫌いを面白がる。
他人の好き嫌いも面白がる。

◆思想のコンテクストを隠れ蓑に神を語り「いや、信じてるわけじゃ
ないけどね」とエクスキューズするのが、古風な知識層特有のプライド。

◆尊厳は、自己受容から発動する。

◆自我の自尊心は、条件付き。
無条件の自尊は、対象のない祈りから沸き起こる。

◆「自」なき「尊心」

◆生と死は、尊厳を強要する。

◆「生みたての自分」を尊敬する。
「死にたての自分」を祝福する。

◆許すは傲慢。
ただ認める。

◆ヒトガタであることに慢心しない。

◆自分自身をも蝕むプライドって、誰得なの?

◆XX星人という、新手のプライド。

◆「在る」を問う傲慢。

◆痛みが当たり前になってしまった私たちは、
無痛状態を覚醒と勘違いする。
本来、心身の無痛状態は存在のデフォルトであり、
覚醒そのものではない。

◆存在からズレた消失点は、肉体の目に向かって突き刺ささる。

◆肉体のない痛みこそ地獄。
そこには未だ痛みがある。

◆「垂直の神」と「水平の母」という、肉体ベースの局所的幻想。
高次元を持ち出さずとも(3次元だからこそ)、垂直も水平も
同一曲面に回収される。
だから「神性か現象か」を思い煩う必要などないのだ。

◆全てを網羅した表現は、無味無臭の水のように流れ去る。
この世の表現を選ぶならば、全存在に向ける必要はない。

◆レム睡眠の寝言に返答すると「早死に」するという迷信。
白昼夢の寝言に返答しあって「夢死に」している私たち。

◆人間の褌で相撲を取る。

◆「エゴサ」は「イドサ」

コンクリートと影

◆いわゆる「引き寄せ」では、力を「くっつける」方向ばかりを強調するが、
「くっつくこと」と「はなれること」と「ひっぱりあうこと」、この3つの力
が現象の本質です。
特に意識においては「ひっぱりあう」拮抗する力のあいだにいることが重要。

◆現世利益は「くっつくこと」、厭世修行は「はなれること」
を強調しすぎる。
「くっつくこと」「はなれること」「ひっぱりあうこと」は結局、
すべて連動している。
だから、全体から一部の運動を切り取り操作しても、一時的な
「配置換え」と、その「皺寄せの波及」が起こるのみ。

◆自分の知ってる自分を「自分」と呼んでいる。
自分の知らない自分を「他人」と呼んでいる。

◆「他人」は「他分」

◆思考の反芻は、胃に負担をかける。
妄牛の胃にも、妄想は消化できず。

◆「宇宙最弱の矛」vs.「宇宙最弱の盾」
無観客の消化試合を延々と繰り返す。

◆「保障のない安心」
「目的のない活力」
「実体のない実存」
神の掛け捨て保険。

◆ワンネスを「ひとつの視界」に押し込めない。

◆発したものは、跳ね返ってくるわけではない。
宇宙には跳ね返す輪郭など存在しないからだ。
幻想の輪郭が、幻想の因果を応報させている。

◆メタ認知が虚構を生み、虚構が嘘を正当化した。

◆ひとつのスクリーンに世界が映っているのではなく、
どこを切り取っても無限にスクリーンが出現するのだ。

◆スクリーンと映写機は分離していない。

◆単調な反復運動を繰り返していると催眠状態に酔ってくる。
私たちは、単調な生の反復運動の酔いに微睡んでいるのだ。

◆複雑に見える行動も、単調な反復運動を紛らわす強迫観念。

◆「絆」は分離意識を強化する。
「団結」は分離不安を扇動する。

◆「因縁をつける」って時空を股にかけた恐ろしい行為だよね。
私たちは日々、自分自身に因縁をつけながら生きているのだ。

◆「あなたの言葉は、あなた自身を刺している」と言われたことがある。
どうも苦言として呈されたらしいけど、これ以上の誉め言葉はないな。

◆One for one, All for all.

◆One を「ひとり」と訳さず。
Allを「みんな」と訳さず。

◆Nothing Nowhere All at Once 「ノンノン」絶賛非公開中!

◆『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』IMAXで鑑賞。
「この宇宙の君が最低レベルの存在だからこそ、別宇宙に分岐する最高レベル
の君が存在できる」
実も蓋もないけど、真実だね 笑

◆最大級に穿った見方をするならば「マザーか解脱か」が鍵なんだけど、
「あっち」に吸い込まれる力と「こっち」に留まる力が拮抗しているって
いうのは、実はものすごいことなんですよ。
実際それは「愛の力」なんて陳腐な言葉じゃ説明できないね。

◆マルチバースを呼び出すアルゴリズムがバカバカしい設定は素晴らしい!
でも、人間の思いつくバカバカしさで飛べる別宇宙には限界があるわね。

◆山で遭難し複数人で食物を分け合う時、どのように分配するかで
自我の成熟度と覚醒の成熟度が浮き彫りになる。
絶対的な正解がないと同時に、その分配は必ずしも倫理的・合理的
でないかもしれない。
このセンスは「あなたがあなたの世界をどのレべルでどのように
救いたいか」の縮図だ。

◆存続しようとするから飽きるのだ。
存在そのものには飽きようがない。
存続しようとするから苦しむのだ。
存在そのものには苦しみなどない。

◆光は光であり、闇は闇である。
光と闇が分裂したのではない。

◆光が光である時「それ」を光と呼ばず、
闇が闇である時「それ」を闇と呼ばず。

◆無は分裂しない。
有は分裂しない。

◆「>の・」と「V の・」は、ひとつ。

◆「←」と「↓」の向きを変えずに重ねるのです。

◆怨念は留まり、歓喜は留まらず。
歓喜に留まれば、怨念に転じる。

◆留まる者は、歓喜に遅れをとる。

◆母の理解と、母の解放。

◆腫物に触るように母の顔色を伺う世界。
母を未熟に貶めてきたのは私たちです。

◆父の尊厳を我の尊厳の拠り所にしない。

◆「無と空」「父と母」を重ね合わせられる人は稀。

◆イメージして創った軸は、まっすぐではない。
軸は、全てから均等に離れているときに自ずから通るもの。

◆人は完璧な「まっすぐ」をイメージできない。
直線が「まっすぐ」という世界線においては。

◆「他人軸100%」と「自分軸100%」は、結局どちらも
「無我」なんですよ。
本当に100%ならね。

◆存在するのに勇気はいらない。
存在確認に勇気を使っている。

◆受容が存在を確定する。
受容は覚悟に先立つ。

◆気づきを認識で一回一回確定してしまうと
「瞬間」を切り取るだけになってしまうよ。
「瞬間」そのものは、時空から切り取るものではないのだ。

◆気づきを確定するのではなく、気づかれた気づきに
撃ち抜かれた空白としてあること。

◆愛も光も苦も闇も、肉体感覚。

◆自分をコスプレすると胡散臭くなる。
自分をスピプレすると宗教臭くなる。

◆オリジナル不在のセルフコスプレイヤー。

◆ゲーム愛かキャラ愛か。

◆アタマは存在の最適解を求め続ける。
最適解を命題にすり替え、循環論法を繰り広げる。

◆創造主と技術者を混同してしまった宇宙。

◆創造主は逃げられず。
救世主は消えられず。

◆哲学はアタマの繰り出す安全牌。
結論を出す必要がないんだから。

◆命を削る哲学者は、削る命を捏造する。

◆「哲学的な生」などない。
「哲学的な死」などない。

◆存在は、存在者の「糧」に非ず。


チューリップA
春めく鬱金香。


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【#消失点 #野狐禅 #一神教 覚醒からのつぶやき 100】     

2023/02/20

菜の花と鏡
春がウォーミングアップを始めました。


◆認識の限界が、創造の限界。

◆限界なき創造は、認識不能。

◆創造力と認識の癒着を解く。

◆認識を超えたものがあるというより、
超えられない認識があるだけなのだ。

◆知を覚えず、覚を知ろう。

◆消失点は、後天的に獲得された視覚のイリュージョン。

◆パースはアイレベルを水平線に隷属させる。

◆宇宙空間に「アイレベル」なし。

◆「遠近法」と「実在感」は一致しない。

◆パースで隠れた面をアフォーダンスで補正。

◆パース初心者は、画面からはみ出した消失点を割り出すため
に画用紙をツギハギする。

◆視野からフレームアウトした消失点は、
その先に広がる仮想空間を要する(捏造する)。

◆一神教は「パースがきつい」
信者はパース酔いしている。

◆「信心深い」近代人は無意識的に、フレームアウトした
消失点に強迫され続けてきた。

◆『視点と消失点とを強調すると、そこに遠近法の幻覚が出来上がる。
これに結びついて、空間が視覚的、画一的、連続的なものであるという、
もう一つの幻覚が生じる。』マーシャル・マクルーハン

◆『”ルネッサンス美術の観察者”はシステム的に、経験の枠外に置かれる』
マーシャル・マクルーハン

◆「遠近法を知ってしまった目」は、もう元に戻れない。
だからこそ、ルソーの(頓珍漢な)遠近感は、巨匠たちを唸らせた。

◆遠近感は両眼視差や物体の肌理や影により脳内で編集されたものだ。
だからしばしば錯覚が起こる。
遠近法の一点透視図法は一神教の神を中心に描く宗教画から発展した。
それ以前の人間は、日本画のように多神教的なフラットな世界に住んでいた。

◆遠近法の啓蒙によって人間は視点と意識を固定された。
それと同時に自我が強化された。
古代の人間は自我をメタ認知することがなかった。
メタ認知が、人間の苦しみを生み出した。

◆だからといって「多神教に回帰せよ」ということではない。

◆真の「3次元視」を獲得するには、2次元的な線遠近法が必要だった。

◆だが「3次元視」の次の視覚は、まったく別のフェーズから起こるだろう。

◆この世界で「それ」を共有しようとするのは的外れなのだ。
共有しようとすればするほど、ズレが認識される。
インパクトとして在る以外にない。

◆「同時」に「共有」されることなど、あり得ないのです!!

◆まず世界に「参加」しなければ、神に意見が通る実感も持てない。

◆真に「意見」があるならばの話。
「不平」は「意見」ではないよ。

◆それは「肚落ち」というより「肚抜け」だ。

◆ダルマへの無力感(卑小感)を無我の証拠にしない。

◆半覚者は無我の一瞥をダルマに落とし込んでしまう。
落とし込んだ爽快感を手放していく覚悟があるか?

◆100%矛盾していれば、それが真実と呼ばれる。

◆法則と現象は、一対一対応ではない。

◆「無限」を「理解の及ばない天文学的数字」と混同しない。

◆「天文学的数字」は、天文学に収まる。
私たちはただ数字に気絶しているだけ。

◆物理世界では、分岐の可能性は必ず有限になる。
天文学的な分岐を無限と勘違いしなければの話。

◆体は体のまま置いておく
私は私のまま置いておく
無も無のまま置いておく
空も空のまま置いておく

◆物理空間にしろ心理空間にしろ、それらを「置いておく」とき、
空間をそれ自体の位置からズラさないのが肝。
ここは、気づきの瞑想において「観照者」の陥りやすいポイント。

◆感傷者から観賞者へ
観賞者から観照者へ
観照者から歓笑者へ

◆観照という名の傍観に気づく。

◆鑑賞者という名の傍観者の驕り。

◆覚者は「レトリック」を魔境から取り戻す。

◆鼻で笑い肚の笑わぬ禅者の魔窟。

◆「勘のいい餓鬼は嫌いだよ」

◆未知に忖度しない。

◆未知から目を背けると、不可知の神が脅してくる。

◆認知構造に依拠する不可知を未知と混同している。

◆構造的な不可知の留保として神を立て怯えている。

◆野狐禅は未知への忖度が強迫的になりがち。
数多の半覚者が未知に脅されたまま去った。

◆この世では、未知の入口までは見ておこう。

◆未知と神を混同しない。

◆未知と無我を混同しない。

◆未知に媚びない。

◆真の無執着とは「未知なるもの」の徹底的な放念。
「未知に蓋をせず」完全に放念できるかどうかだ。

◆未知に脅かされていない時、存在は強度を増す。

◆完全なる放念から来る直観は、神秘を凌駕する。

◆神に秘はない。

◆「悟り」は「差取り」ではない!
この勘違いが横行している印象。

◆この世的には、現象差を取るより、心理差を取るほうが「速い」。
修行者は苦の激減に味を占めて、現象差を取ろうとしはじめる。

◆「差」は、認識の仕様。

◆「個の中心」は平均値ではない。
「全の中心」は中央値ではない。
「生の中心」は最頻値ではない。

◆「いま」は、時間の補正では出会えず。
「ここ」は、空間の補正では出会えず。
「それ」は、信念の補正では出会えず。

◆「肉体意識」は、時差の幽霊。
時差のない肉体は、「肉体」。

◆自分の葬儀で流したい曲目は何だろう?
その曲のイメージを、今すぐ超えよう。
自分の葬儀で使いたい写真は何だろう?
その顔のイメージを、今すぐ超えよう。

◆この世界の複雑さは、膨大な組み合わせによるもの。
意味は入り組んでいるが、パターンと運動は割と単純。

◆無限の組み合わせが、必然を偶然に見せかける。

◆ブラックボックスから忽然と顕われる神秘も、人類の未だ見ぬ
「組み合わせ」の妙にすぎない。
近未来の人間が神秘という名の手品をやってのけるAIを神と崇める
ならば、手のひらから物質を取り出す古風な聖者を崇める時代から一歩
も進んでいないことになる。

◆全ての組み合わせの試算は、既に終わっています。

◆エゴは「組み合わせ」の時系列にこだわるから苦しむのです。

◆現象すべての瞬間の無限の組み合わせが、同時にある。

◆神話創世の「既視感」が鍵なのです。

◆「仕様書のバグ」ばかり探して「潜在バグ」に気づいていない。

◆進化においてはバグさえも戦略的に組み込まれてるんだから、
プログラムの裏をかこうとしても無駄。

◆「眠っている」というより「気絶している」のです。

◆この認識形態の生を享ける瞬間のショック(代償ともいう)
としての「気絶」。


アンスリウム5
特大アンスリウム!


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