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【「啓示」「地球を卒業?」「真空と恩寵」 覚醒からのつぶやき 65】            

2022/01/18

つぶやきをランダムにまとめました。

御苑
御苑で雪だるま作り。賽の河原?


◆世界は「ガチャ」ガチャ。

◆カルマはガチャに非ず。

◆神にマルチタスクなし。

◆無限手先を読むために、
無限に分離する私たち。

◆覚醒とは、悦びのコスパが最強の状態。

◆臨在に色なし。

◆ワンネス体験は次元に依拠するが、
ワンネス自体は次元に属さない。

◆認識が次元を固定するとき、
矛盾の辻褄合わせで分離が派生する。

◆本来、次元は固定されていない。
次元の棲み分けは幻想。

◆真空に貼りつき、無音の運動に慄く。

◆無音のハートは、宇宙でただひとり震えて在る。

◆鼓膜は、振幅を「見る」。

◆神は振動にあらず。

◆「全方位のグラウンディング」=「無方位のフローティング」

◆底のある「存在感」から、底のない「存在」へ。

◆実体を密度で実感しない。

◆心身が世界にぶつかっている。
ぶつかったものだけ見ている。

◆時空をくぐり抜けようとしない。

◆「くぐり抜け」は、通過「偽」礼。

◆肉体と魂に刻印された「通過」の強迫観念に気づく。

◆「非感覚」≠「無感覚」

◆極論すれば、肉体・精神・魂・霊を問わず人間の問題は
ほぼ全て、相対的な速度と質量の調整のみで解決する。
逆に言えば、速度と質量の異なる位相を「ひとつの世界」に
押し込めようとするから、問題があるように見えているのだ。

◆寝入りばなに「神っぽい啓示」が聴こえるのに味を占め、
一生うとうとしているのが「宗教家」といわれる人々。

◆この世は睡眠学習。
学習成果は夢の中。

◆入浴中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、風呂場で閃いた。
「そうか、ずっと風呂入ってればいいんだ!」

◆睡眠中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、睡眠中に閃いた。
「そうか、ずっと眠っていればいいんだ!」

◆好き嫌いにプライドを持たない。

◆自分の好き嫌いを面白がる。
他人の好き嫌いも面白がる。

◆「ノンフィクション」というフィクション。

◆考えるのが「面倒臭い」人に、無思考は訪れない。

◆怠惰な脳ほど「勤勉に」思考し続ける。

◆囚われているのは思考ではなく、感覚と感情と記憶のキメラ。

◆「この世はジョーク」というけど、神自身は構造的に
ジョークは言わない(言えない)。

◆赤ちゃんは、ふざけない。

◆ギャル「神みw」
神み(かむろみ)「その『み』じゃない」

◆【明るい緑化運動】
「笑えば、草生える」

◆「インセンシティブな内容が含まれている
可能性のあるツイートです」

◆こんがらがった思考は、
知恵の輪みたいに立体的に外そう。

◆多次元の知恵の輪のほうが簡単。
なにも「交差」してないからね。

◆聖徳太子は一度に10人の聴聞は出来ても、
一度に10個の発話は出来ない。
ヒトの形態と物理的時空の限界。

◆10人の話を聞くのは難しいが、
10人の姿を見るのは易しい。
10人ひとりひとりを区別しなければ。

◆聖者は一言に含まれる倍音で対機説法する。
万人に響くので、言葉はシンプルになる。

◆それにつけても、私めの言葉の多さよ 笑
言いたいことは一音だけなんだけどねえ。

◆背骨を直立させて、存在にバンジージャンプする。

◆実際にバンジージャンプしてみると、
意図なき声が身体を貫く感覚がわかるよ。
それは「遺体から声が出る物理的珍現象」とは
似て非なる、生きた現象なんだ。

◆やることがないと寝てしまうのが人間。
やることがなくても起きているのが神。

◆「睡眠」という肉体現象が「目覚め」を複雑にしている。
だから、いったん肉体を置いておこうと言うのだ。
ただし「わかる」には、やはり肉体の目との一致が必要。

◆「愛」という言葉に気絶しない。

◆この世のタブーを解くには、肉体と神話の癒着を剥がすこと。

◆「神話」は、あくまでも「話」なんです。

◆「肉体のカタチで死にたい」という
「人間的」なプログラミングの呪縛。

◆魂という名の形状記憶。

◆「人間としての完全体」への野心と郷愁を解く。

◆「地球を卒業」っていえば聞こえはいいけど、
問題児が体よく放校される場合もあるからねえ。
学校っていうのは、勉強しなくても卒業できちゃうし。

◆「この世=学校」という発想は、新たなる時空の呪縛。

◆とはいえ「だるま落とし」は、地球でこそ。
「だるま」は「ダンマ」なんて高尚なこと言ってないで、
重力のあるうちに肉体という「だるま」を愚直に落とそう。

◆修行者に必要なのは「空白」をどこにも落とし込まない諦念。

◆空白は記録できない。

◆覚醒に「多角的視点」はない。
「多角」「視点」は、3次元的発想。

◆覚醒に「対偶・逆・裏」はない。
真偽がないからね。

◆波動の真ん中に浮かび上がる「線」は、時空の亡霊。

◆通過「点」は、実存し得ない。

◆「正しいこと」を言おうとしたことって一度もないな〜

◆【相手が区別できない感じ】
この世界ではやっぱり、体とモノがあったほうが
「どこにもぶつからない意識」には気づきやすいね。
力と意図でぶつからなければ、棒の延長の相手も力まず一体化
してるので「倒される」というより自然に「釣られる」。

◆【一筆書きの様なもの】
意図を外して、予備動作の力みと方向を相手に悟らせない。
実際に外せてるかどうか、目に見えるから分かりやすい。
武道だから「目的」は残ってるけどね。

◆【ワンネスポイント】
△「脳が」創造する。 ○「脳も」創造する。
△「脳は」投影装置。 ○「脳も」投影装置。

◆空間的な「ひとつづき」は、ワンネスではない。

◆「それは指一本でわかるんだよ」と言うと
「それじゃ何も変わらないじゃん」と言われる。
「変わること」に真実を求めるかぎり
「変わらないそれ」には気づけない。

◆「絶対的に混ざりけのない注意が、祈りである。」
シモーヌ・ヴェイユ

◆仏語だと
L'attention absolument sans mélange est prière.
英語だと
Absolutely unmixed attention is prayer.
どっちも”attention”だけど「注意」という訳が
引っかかる。
かといって「注視」でも「留意」でもないしなあ。
でも、ヴェイユのattentionの指し示すものは直に伝わってくる。

◆ヴェイユは「注意とは放棄である」と言う。
"attention"が指し示すものは、純粋な宗教体験の核心なんだよなあ。

◆「気づき」と「注意」は異なる。
注意はコーヒーをこぼさないように見張るが、
気づきはコーヒーをこぼすのを明晰に見ている。

◆ヴェイユの"attention”は、上記でいう「注意」と「気づき」
とも異なる。

◆「対象のない祈り」は、宇宙の軌跡とハートの空
が重なって意図が手放され続けている状態です。
この「祈りの原型」が起こることが、覚醒それ自体からの
コミットメントとなります。(Rubin’s workブログより)

◆ヴェイユのいう「注意」は「対象のない祈り」に近いんだけど、
神を置くので「専心」の求心力みたいな感覚が加わる。
それはまさに「真空」がポイントなんだ。

◆「真空」と「恩寵」
ああ!貴方はそれを知っていたのですね!

◆「恩寵は、真空にしか入っていかない」
シモーヌ・ヴェイユ

◆真空は、比喩ではないんです。
実際に、真空を見るんです。

◆【相手が区別できない感じ】
この世界ではやっぱり、体とモノがあったほうが
「どこにもぶつからない意識」には気づきやすいね。
力と意図でぶつからなければ、棒の延長の相手も力まず一体化
してるので「倒される」というより自然に「釣られる」。

◆【一筆書きの様なもの】
意図を外して、予備動作の力みと方向を相手に悟らせない。
実際に外せてるかどうか、目に見えるから分かりやすい。
武道だから「目的」は残ってるけどね。

◆【ワンネスポイント】
△「脳が」創造する。 ○「脳も」創造する。
△「脳は」投影装置。 ○「脳も」投影装置。

◆空間的な「ひとつづき」は、ワンネスではない。


関連記事 ⇒ 【「ワンネス」「3次元とは」「神の降臨」覚醒からのつぶやき 36】


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【「坐禅と動禅」「ジェンダーレス」「多様性」 覚醒からのつぶやき 64】        

2022/01/08

つぶやきをランダムにまとめました。

2022ゼラニウム
毎年、なぜか真冬に咲き続けるゼラニウム


◆想念の足跡を残さず歩く。

◆「途上感」は、進化の幻想。

◆「予感された未来」に流されない。
生は「未知の切先」にしかない。

◆「未知の切先」は、底の見えない崖っぷちのようだが、
恐怖ではなく喜悦しかない。

◆時空から解放されるとき「時空の最先端」
で垂直に串刺しになる。

◆覚醒と輪廻は、時空の同一線上にはない。
「輪廻から脱する」という言葉は的外れ。

◆「しんねん」と打ったら「信念」になった。
信念、空けましておめでとうございます 笑

◆覚者は「明ける年などない」と嘯くけど、
そこは「明ける体(てい)」でもよくない?
人間だもの 笑

◆意識自体には偏りはありません。
また、肉体の形にも偏りはありません。
偏りではなく想念の相対的なズレはあります。
肉体とは瞬間瞬間、断片的に切り取られたイメージを
時系列で編集した概念であり、肉体そのものの完璧な総体
をその瞬間に認識できる人は存在しません。

◆以前、ワークの場所を探していて、とある教会が貸し出して
いる集会室を下見に行ったところ
「おたく、何やってる団体?ウチに相応しくないとねえ。相応しいのかい?」
と牧師さんにジロジロ見られた。
話がややこしくなりそうなので退散したけど、相応しいのか相応しくないのか
未だにわからない 笑

◆遅ればせながら『マトリックス・レザレクションズ』観ました。
「ゲーム」というメタ設定と「二元性縛り」の認識をベースにするかぎり、
覚醒パターンのマンネリ感が否めず。
未だに「戦い=銃&拳法」って、イメージが素朴すぎない?
その想像力のままじゃ、世界を何回やり直しても同じだよね。

◆いい加減、創造の内的拮抗を「戦い」に置き換えなくてもよくない?

◆とはいえ、エンドロール最後の自虐にすべて回収されちゃってる意味
では確信犯なのかも、と思い直すなど。

◆マトリックスでおなじみの「弾丸を避けるシーン」について。
意識はどの瞬間を切り取っても、飛んでくる弾丸の軌跡と同時にある。
認識速度を上げてコマ割りすれば弾丸は見切れるだろうが
「その認識速度は肉体とは同化できない」
ので結局、肉体には弾丸が当たる。

◆事故等で自分の肉体が吹っ飛ぶのをスローモーションで見ていても、
その瞬間の肉体を操作できないのと同じ。
操作する方法もありそうだけど、個人的にはそこまで肉体に執着がないな~笑

◆「心の目で見ろ」というときの「心」は、その位置じゃない。

◆細胞にしろ時空にしろ、コピーにコピーを重ねれば、
必ずエラーが起こる。
それこそが、世界の救いだ。

◆「多様性」は「他様性」。
「多」の前に「他」を認める。

◆多様性とは「ひとつ」である「それ」から分化した結果ではない。

◆「ひとつ」と「多(他)」を同一次元で補完しようとするから
「後ろめたさ」と「エクスキューズ」が付きまとうのだ。

◆3次元の御神体は「対面式」

◆5次元の御神体は、鏡ではない。

◆「闇の中で鏡に映っているものを見よ」

◆「ひたむき」な人は「額の向き」が固定した人。

◆微細な直観は、粗雑な行為に阻まれる。

◆直観をカタチにするって、ある種の共感覚だよね。

◆「金は人を変えてしまう」というけど、金が悪いわけじゃない。
金がないので抑えていた、その人本来の性質が浮上してきただけ。

◆日本の学校のテストは消しゴム使用可だけど、使用不可の国も多い。
良くも悪くも、消しゴムって現代の日本人の精神を象徴してるよね。
墨で書いてた頃は、今よりも決然としてたはず。

◆ちなみに、消しゴムで消す意識ではエゴは消せない。

◆この世の言葉で「真実だけ」を抽出して語ることはできない。

◆「真実が伝わらない」と嘆く覚者は、世界の半分しか知らない。

◆言葉は、常にフィクションを含む。

◆「真実」を探さない。
「事実」を見るだけ。

◆感覚を書き換えるよりも、物語を書き換えるほうが簡単。
だから、取りあえず物語だけ書き換えてきた結果がこれ。

◆苦の報酬としての幸せを求めない。
これは、地球人に染み付いた悪癖。

◆神は無垢に遍在するが、悪魔は巧妙に遍在する。

◆神は完全なジェンダーレス。
人はすぐそのことを忘れる。

◆相対性をグラデーションでイメージしない。

◆「苦」は、苦しんでいない。

◆対義語のない「幸」
対義語のない「苦」

◆「対義語のない言語体系が存在できないのは何故ですか?」

◆「苦」は「幸」の対であるかぎり「意味において」救われ得る。
ただし、その救いは永遠ではない。

◆意味の中心は、無意味でも非意味でもない。

◆意味の中心と無意味の中心は同じもの。

◆「中心にあること」は、心の技術でも体の技術でもない。
だがしかし、それはやっぱりこの世界限定の技術なのだ。

◆中道には支点がない。

◆「無為」と「無意味」を混同しない。

◆坐禅でわかっても動禅でわからなくなる人は、
空を肉体(時空)でとらえてしまっている。

◆「止」の「空」を球にしない。
「動」の「空」を筒にしない。
「無」の「空」を点にしない。

◆カタチを象徴化しない。

◆時差がなければシンボルは不要になる。
記憶を読み解く必要がなくなるからだ。

◆見たことのないものは、見ることができない。
知らなかったものは、知ることができない。

◆知っていることを信じている。

◆完全にオリジナルなものは存在しない。

◆「関係性」とワンネスは無関係。

◆ワンネスはワンパターンではない。

◆イメージ抜きで世界を見る。
イメージ抜きで他人を見る。
イメージ抜きで自分を見る。

◆イメージではなく、イメージの触発を見切る。

◆イメージを見てしまうから、世界から遅れるのだ。

◆まず、他人が存在するイリュージョンにショックを受けないと、
多次元なんてわかりませんね。

◆源に「還る」感覚は、認識の時差から起こる。

◆非効率な運動は存在しない。

◆背骨を直立させて、存在にバンジージャンプする。

◆自我が怖れているのは、無ではなく虚。

◆虚は、肉体という器ありき。


関連記事 ⇒ 【「ワンネス」「3次元とは」「神の降臨」覚醒からのつぶやき 36】


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【「観音菩薩」「涅槃」「阿闍梨」 覚醒からのつぶやき 63】        

2021/12/30

つぶやきをランダムにまとめました。

シクラメン
家に来た紫のシクラメン
花言葉「想いが響き合う」


◆「手放すこと」は「所有しないこと」ではない。
もともと、何も「所有し得ない」。

◆手放す「手」も無い。

◆こんがらがっていたものが「解ける」感覚はあるが、
こんがらがっていたのは自分という思考だけ。
もともと、何もこんがらがってない。

◆好悪は主観だけど、相性は事実。
エネルギーだから当たり前。

◆アタマ・ムネ・ハラがズレると、
好悪と相性のズレに気づけなくなる。
「こんなはずじゃなかったのに」
という人間関係は、このズレによる。

◆神は「存在」に属さない。

◆「神が存在する」というとき「存在する神」
が存在するのだ。

◆「この世は幻」といっても、どこかに
「ホンモノの世界」があるわけじゃない。

◆「ホンモノの世界」を見る目は、どこにも存在しない。

◆「ホンモノ」も「ニセモノ」も存在しない。

◆徹頭徹尾、実体がない。

◆実体がなくても「実体感」は起こる。
「実体感」を「実体」と呼んでいる。

◆実体を証明するために、幻を創り続ける。
幻しかないとき、幻は幻と定義されない。

◆目の前の現実にホワイトインすると、
目の後の現実がブラックアウトする。

◆「それ」は、光を介さない。

◆公転する主星を持たない「自由浮遊惑星」に生命が存在するか
どうかって、面白いテーマだな~
どんな知性が育つんだろうね。
未知の占星術が生まれそう 笑

◆2024年予定だったスペースライフ・オリジン社の無重力出産実験は、
倫理その他の問題で現在保留になってるらしい。
興味はあるけど、そもそも肉体を宇宙に持っていくっていう発想自体
が古くない?

◆願いがひとつもない。
幸せ。

◆意図のない意志に気づく。

◆意識体の世界は、整理整頓が必要ない。
人から見ると混沌だが、乱雑ではない。

◆このマトリックスでは、お母さんが綺麗で機嫌がよければ平和。
それだけでいいのに、世界はなぜそんなに難しいんでしょうね?

◆子供の頃に読んだ法話。
『寺の庭で、一心不乱に米を研いでいる女がいた。
研いだ米をザルに開けるたびに、いつのまにか次に研ぐ米が増えている。
好奇心に駆られた坊主のひとりが、女に石を投げた。
振り返った女は、皺くちゃの老婆だった。
「なんだ、婆さんか」と笑っていると、通りかかった和尚が一喝した。
「あちらに御座すのは、世を憐み心を痛めた観音菩薩様だぞ!」
それを聞いた坊主たちは、一斉に手を合わせて涙した。』

◆「今にありなさい」というのも、妙な話なんだよ。
すでに「今にある」ので、存在できてるんだから。
だから「今にあらねば」という強迫観念は的外れ。
その観念の一瞬が「今」を見えなくしているだけ。

◆美意識が、美を殺す。

◆安心して世界を忘れる。

◆機械に向かって怒る人は、物質である脳に向かっても怒る。
気質や情動の「ほとんど」が、物質としての脳から起こる。
他人に怒る人は、機械に怒るように他人の脳に怒っている。
自分に怒る人も、自分の脳に怒っている。
当の脳自体は「我関せず」なのにね。

◆脳ではなく魂から起こる歪みには、
怒りではなく哀しみが起こるもの。

◆運命に怒っても不毛だ。
怒るのは勝手だが、その怒りは運命の仕組みとは位相が異なるから。
怒っても怒っても運命には届かず、肉体の位相を痛めつけるだけ。

◆神はつどつど「怒る人」を創り、正確に怒らせる。

◆とかく思考を悪者にしがちだけど「思考力」は必要。
思考力がないと、自分と同化した思考に使われ続ける。

◆思考との同化を見切ればいいのであって、
闇雲に「考えを捨てる」わけじゃない。
考えない脳は、萎縮の道を辿る。
それはそれで、別のシステムが生まれるけどね。

◆極度にシステム化された世界では、脳は必要ない。
形態進化上、ヒトの脳の容積は今のところ横這い状態だ。
蟻や蜂に近づくほど、容積は小さくなっていく。

◆AIの管理する世界では、脳を「自分の」頭蓋骨に
閉じ込めておく必要はなくなる。
そうなると、あとは幸せの定義と趣向の問題だよね。
次回は、どういった世界を創りましょう?

◆脳も生殖も必要なくなった時に残るものを想像(創造)できますか?

◆働き蟻や蜂は、女王の「奴隷」ではない。

◆女王蜂の脳は、働き蜂や雄蜂より小さい。
示唆的な事実。

◆天使って人間より蜂に近いよね

◆脳の有無と「それ」は無関係。
でも、脳がなければ「それ」を認識できない。
でも、脳がなければ「それ」は問題ではない。

◆ヒトは、水がないと干乾びる。
エゴは、思考がないと干乾びる。

◆完全に自律したものは存在しえない。
神でさえも(いや、神だからこそ)。

◆ふと、テレパシーによる「テレッター」って思いついたけど、
つぶやく前に読まれちゃうので需要ないな 笑

◆ASMRは覚醒感覚にちょっとだけ近いけど、
もっと中心そのものから触れてるんだよね。

◆神のASMRは、ムネがゾワる。

◆「思考を垂れ流す」ワークで参加者さんがモジモジしてたので
「ここに来てる時点ですでに狂ってるんだから、恥ずかしいこと
なんてひとつもないですよ」
と言ったら失笑してました 笑

◆時空って「無限引用リツイート」みたいなもんだよね。

◆アタマで割り切れなくていい。
覚醒に割り算はないんだから。

◆「夢も希望もない」って嘆いてるのは、まだ夢を見てるから。
完全に夢も希望もなかったら、それはすでに涅槃じゃないか。

◆ふと降りてきた言葉「涅槃ジェネリック」
病んだバンドっぽいね 笑

◆「ファイア FIRE(Financial Independence, Retire Early)」
ならぬ
「サイア SIRE(Spiritual Independence, Retire Early)」
しよう。

◆誰ひとりとして、足したり引いたりするものが見当たらない。
宇宙が足したり引いたりした結果が、その時のその人だから。

◆足し引きは必要ないけど、傾きの調整は有効。
肉体と同化しているとき、重力に見合った立ち方はある。
それも絶対必要な条件ではないけどね。

◆「神のエビデンスはラビリンス」

◆半覚者は、中途半端に誓願を立てないほうがいいよ。
契約解除するのに、何生か費やすことになるからね。

◆音の中心に余韻はない。

◆「聴いてしまった音」は、永遠に消せない。

◆人型と重力は、神に「足を向ける」ことをタブーにする。

◆神は、上にも下にもいない。

◆「なんとなく畏れ多い」というときの「なんとなく」
に、この宇宙の呪縛があるんだよ。

◆知己の阿闍梨に聞いた実話。
寺に「いわく付き」の秘仏があったのだが、煤を払おうにもヘタに
そのパワーが見えてしまう行者たちは畏ろしくて誰も近づけなかった。
そこで、とある覚者を連れてきたところ、鼻歌まじりであっという間
に煤を払ってのけた。

◆「畏ろしくないんですか?」と聞くと「な~に、こんなの幻ですから」
と笑っていたという。
「あのお方はホンモノですよ」と、阿闍梨も唸っていた。
まあ猫なんかは、お構いなしに仏像で爪研いだりするけどね 笑

◆とはいえヒトガタに同化してる人は、やっぱりこの世の不敬の報い
は受け取っちゃうから気をつけてね。
「こんなの幻だよ」とアタマで笑ってても、タマシイが畏れちゃってるから。

◆お天道様は、足の下にある時もあるんだけどね。


関連記事 ⇒ 【「非重力」「神の姿」「カルマの磁力」覚醒からのつぶやき 12】


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【「エンパス」「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ」「レザレクションズ」覚醒からのつぶやき 62】

2021/12/26

つぶやきをランダムにまとめました。

カクタス
今年もクリスマスカクタスが咲いた
毎年ありがとう~


◆覚醒は「魂が震えながら祝っているけど、
それ自体に一切興味がない」状態。
この表現、我ながらピッタリすぎて笑っちゃう。

◆ここで魂の震えに自己陶酔してしまうと、
それを「持続」させたくなってしまうよ。

◆「興味がない」といっても、存在を見放してるわけじゃない。
ひとつであるところでは、見放すものがないんだから。
「興味」というのは、時空の「持続」なんだ。

◆人間としては「他人が何をしようがまったく興味がないんだけど、
他人の悦びが死ぬほど嬉しくて一緒に震えてる」って感じだよね。
これって、人として冷たいのか熱いのかわからないね笑

◆魂という概念は、粘度が高い。

◆人間としての覚醒って、感覚的には時空が「べたべたの餅」
から「歯切れのいい餅」になることだね笑
意識が形成している肉体って、硬度というより
「結合の粘度」が高いのよ。

◆人間の愛は、本能と欠乏感と興味に突き動かされた
「疑似恋愛」のようなもの。
ほとんど意識されない「空気のような関係性」のほうが、
ある意味ワンネス的。

◆人間として「額から」昇天すると
「後頭部」の神秘は隠されたまま。

◆「わからないこと」をアタマで補うと
「わかっていた」魂が分離する。
その魂の悲哀を、アタマは知らない。

◆半覚者は、使われていた思考から解放され、思考を使うようになるが、
阿羅漢は思考という道具も使わない。
「思考を永遠に使わない」ことを「それ自身で」決定できるのは、
阿羅漢だけなのだ。

◆意識的な死は、畏ろしい静寂に「!?」と刮目して在るのみだよ。

◆人は、概念としての「・」しか認識できない。
「・」そのものには、質量も中心もない。
だから「・」に没入することも一体化することも、疑似体験なんだよ。

◆ただ見ること自体の中心にあればいいだけ。
そのことに一切の努力はいらない(できない)。
今この瞬間、中心にない人など存在しないのだから。
これは本当に、当たり前のこととしか言いようがない。

◆瞑想に睡眠の仕組みを疑似的に利用することはあるが、
人間の睡眠では完全にはブラックアウトできない。
肉体の目が邪魔して、存在に落ち切れないのだ。
死ですら、目に邪魔されて死に切れない!

◆完全に起きられなければ、完全に寝ることもできない。
完全に生きられなければ、完全に死ぬこともできない。

◆明晰夢は眠ったまま起きているけど、起きたまま熟睡もできるんですよ。

◆「自然は真空を嫌う」アリストテレス
真空自体は、真空を嫌いようがない。
真空が自然を好むかどうかは、神に聞いてね笑

◆自我自身は気づいていませんが、人間は自我という幻想を保つことと、
自分と分離した対象物を設定すること自体に毎日毎日、莫大なエネルギー
を使ってクタクタに疲れています。
このことは自我を維持していたストッパーがはずれて脱落したときに
はっきりとわかります。

◆クタクタに疲労した自我は、生のルーティン化に気絶して休もうとする。
それがさらなる疲労の元になるとも知らずに。

◆自分自身と阿吽の呼吸であるとき、阿と吽の時差は最小となる。

◆人生を総括しない。

◆死に際で総括されるのは「人生」ではなく「生」だ。

◆「食べると重くなる」というのは、固形物にとらわれた感覚だ。
私たちは24時間、なにかしら固形物を胃腸に入れて消化し続けている。
その重さと熱を、自分だと勘違いしているのだ。
肉体が固形物を摂るとき、消化にかかる時間とその感覚の推移、
これが時空を生んでいるといっても過言ではない。

◆生体としての修行って、生理機能に振り回されず、消化・吸収・排出
の「ウラをかく」ことなんだよね。

◆心理的にも肉体的にも、病気にアイデンティティを持たせないこと。
病気は病気としてあることを、ただ認める。

◆巻き込まれている時にはいったん対象化するが、完全に認めるには
対象化せずに中心自体であること。

◆中心からズレているから巻き込まれるのだ。

◆「中心にある」ことは「同化」していることではない。
中心にあるとき、同化する対象はない。

◆生死がかかると本気になるプログラム。
バレちゃったら、そのコマンドはもう使えないね。
だからといって、思考で生死を軽んじるのは、生体として得策じゃないよ。

◆無執着は、心理だけでは決着がつかない。
「中心にあること」は物理に近いが、物理に胡坐をかいても
核心のスイッチが入らない。
やっぱり生死をかけるくらいの心理的な真剣味は必要になってくる。
人間のシステムって、面倒くさいのよ。

◆生まれ変わりの印に前世と同じところに痣があるとか、臨死体験者が
過去を見てきた記録として建造物に印をつけておく、などという話は
心情的にわからないでもない。

◆肉体の死を迎えて意識のフォーカスのチャンネルが変わるとき、前回
のチャンネルで理解したところから始められれば効率がいいので自分自身
にヒントを残しておきたいのだ。

◆ただ、そうそう思惑通りにいくものではなく、前回理解したところまで
辿り着くのに紆余曲折する場合があるが、紆余曲折の中に前世で取りこぼした
新しい発見があったりもする。

◆私自身、散りばめられたヒントに子供の頃から要所要所で出会ってきた。
(ヒントなしで唐突にフラッシュバックが起こり困惑することもしばしばあったが)
直線的時間で理解しようとするとオカルトにしか聞こえないが、
過去の私からのヒントも、未来の私からのヒントも、現在に散りばめられている。

◆時には積極的に直接呼びかけられることすらある。
また、現在の私が過去の私や未来の私に呼びかけることもできる。
例えば今、過去に直接呼びかけられたときの私の記憶を想起してみる。
すると、呼びかけた声は他ならぬ私自身だったことに気づく。
(これは声の響きと安心感の有無で判断できる)

◆また、現在の私が同じ声に呼びかけられるとき、未来の私がこちらに目を
向けていることが経験的に理解できる。
ただ、過去現在未来というのはあくまでも直線的時間における私の記憶の分裂だ。
私が私に呼びかける声がひとつのところにあるとき、時間は消える。

◆でも「そっちは危ないぞ!」って(現在の私が)話しかけても、過去の私は
たいてい聞く耳持たないんだよね~
たまに「ハッ」と気づかせられることもあるけど、だいたいその瞬間、
自分自身に気絶しちゃってるから。
人間を見守ってる天使の歯痒さが分るというものだよね 笑

◆過去の私に伝わらない時ってある意味、現在の私が過去の悪魔に「力負け」
するようなものなんだよな~
この感覚、伝わります?

◆二元の世界の他人とは、私の知らないことを知っていてくれる有難い存在。
だから全て知らなくても、世界は安心して私たち自身に任せておけるのだ。

◆この世界は全員バラバラのように見えても、全員の信念が「いっせいのせ!」
で揃ったから対面できているんですよ。
これは奇跡的なこと。

◆この次元で対面できている時点で、聖者も愚者も平等な「共同責任者」。

◆「創造主」の自覚から「創造」それ自体へ還る。
それは、主体でも客体でもないのだから。

◆この世界の奇跡はバグなので、あまり頻繁に起こるとシステムエンジニアが
異動になる。
奇跡が当たり前になると有り難みを忘れるので。

◆『マトリックス レザレクションズ』まだ見てないけど、
予告篇にあった「デジャヴはマトリックスがバグを起こした時に起こる」
って言葉はそのとおりよね。
でも、この原始的世界のバグ管理者は創造主じゃなくて下っ端の
エンジニアでしょう 笑

◆ヴィギャン・バイラヴ・タントラはOSHOの本で有名ですが、ヒンドゥー教
の聖典でシヴァとデヴィの対話からなる112の瞑想技法。
この聖典はシンプルながら非常にヴァイブレーションが高く読むだけで意識が
飛ぶほどなのですが、シヴァの意識が体得されていないと表面的な知識にとどま
ってしまいます。

◆「あくびをして涙がこぼれる、そのとき」
ヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラの113番目に加えてほしい。
「ギリギリまでガマンして出す、そのとき」
これも、番外に加えてほしい 笑

◆「刹那に生きる」ことは「刹那的に生きる」ことではない。

◆私たちは「進化の意志」に常に急かされている。
進化をサボるとすぐに「お上(神)」にバレるけど、実は現象の
「中心にある」とき最大限サボれるのだ!!
中心にあれば「やっているように見せかけて何もやっていない」からね。
これなら、日々の仕事でも上司にバレずにサボれるよ 笑

◆エンパスで辛いというけど、共感力が高いなら他人の幸せだけに
共感すればいい。
他人の不幸にだけ共感してしまうのは、軸とハラがブレてるから。
即効性があるのは、呼吸とともに肋間筋をストレッチし肋骨を上下に広げ、
太陽神経叢のハリとエネルギーを高めること。
肉体から変えたほうが速い。

◆覚醒体験の非個人性は、逆にその人の独自性を浮上させる。
なんらかの体験が起こったら、既存の言葉に当てはめずにしばらくの間、
それそのものに深くとどまってみよう。
そうすると、堰き止めていたエネルギーが溢れでてくる。

◆オリジナリティとユニークさは、その人自身の核心から生まれる。
個人的に人の覚醒レベルとか印可証明とかまったく興味ないけど、
あえて言えばこの点は判断のひとつになるかな。

◆リモートヴューイングでは自分の思考や判断が出るたび、
ペンを置いてリセットする。
思考を見切る訓練が甘いと、いつの間にか類推や編集が結果に
紛れ込んでくるのだ。
このペンもターゲットも目的もないのが、ヴィパッサナー瞑想の感覚に近い。

◆「自分が与え得るエネルギーと同等のエネルギーしか受け取れない」
というのは「自分=身体(のエネルギー)」という限定から来る発想だ。
身体との同化を外せば、この世界のあらゆる「等価交換」の限定は幻想
であると気づく。

◆人間は等価交換に隷属する。
悪魔は非等価交換に利する。
覚者は交換を無化する。
神は何も交換しえない。

◆私たちは、現実という名の水槽にアタマを突っ込んでいる。
水槽の中は安心だけど、感覚も動きもモゴモゴもっさり遅い。
水槽からアタマを出すと世界の全てが鮮明に迫ってくるが、
悲しいかな、私たちの脳は水の中じゃないと干乾びてしまう。

◆夢の中の動きは遅い。
夢から覚めてもやっぱり遅い。

◆肉体として実を結ぶものも結ばないものも、
肉体以前の私としてある。

◆17時になると町内放送で流れてくるドヴォルザーク「新世界」は、
歯医者の待合室に流れるヒーリングミュージックとはまた別種の怖さがある。
安き御手に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん
夢を見ん

◆2,800万円払って「5億年取り消しボタン」28回押したら、
神が闇鍋を仕込んでました。

◆源泉が曖昧な人間は、曖昧な存在意義を捏造し続ける。

◆太陽系的思考は、3以上を「たくさん」と呼ぶ原始人を笑えない。

◆身体を離れた祈りは存在するが、身体を離れたアートに祈りは宿らない。



関連記事 ⇒ 【「カタチの叡智」「禅の悟り」「タイムリープ」覚醒からのつぶやき 59】


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【「神の至福と悪魔の快楽」「ニヒリズム」 覚醒からのつぶやき 61】      

2021/12/19

つぶやきをランダムにまとめました。

イエロー


◆ワークでは一見シンプルながら、秘伝的な内容を
ピンポイントで直接お伝えしています。
その時その方の条件が整えば、カチッとはまった瞬間
「わかる」ことは実際に起こります。

◆今回ある方が「あっ!」と、ストレートに「それに響く」
瞬間に立ち会うことができ、小躍りしたくなりました
(実際小躍りしました)。
その時、その方の目は「実感した」目だったのです。
ありがとうございました。

◆今日のワークでは、すべての基本となる「対象のない祈り」
をお伝えしたのですが、そのとき参加者さん全員の美しい無心
の姿がそこに在りました。

◆意図の遥か以前に、意志は起こっている。

◆神の至福と悪魔の快楽は、常に紙一重。

◆パートナーは毎日、一学期が終わって「明日から夏休みだ!」
とテンションMAXでワーワーキャーキャー下校する小学生
のように幸せそうだ。
これが本来の人間の状態なのだ。

◆とんでもなく嬉しいことがあって「いいよいいよ!」
と全てに対して大きな気持ちになる時ってありますよね。
全員、それがデフォルトでいいんですよ。
悩まないと進化しないって、誰が決めた?

◆「あるがまま」は、自然でも不自然でもない。
自我にとって受け入れられない苦もまた「あるがまま」にある。

◆「あるがまま」を目指すのは、苦を「あるがまま」
と受け入れられない自我だけ。
それを受け入れられない自我もまた「あるがまま」にある。
だから、何がどうあっても「あるがまま」でしかない。

◆仮想現実は「仮の現実」ではない。

◆皮肉にも、修行によって世界を自ら分離し続けてしまう
ことがある。
悟りという本番を目指してこの世を「仮に」生きていると、
どこにもグラウンディングできなくなった不安定な心身に
ますます引っ張られ、目指す世界と仮の世界が分離していく。

◆浮足立って仮に生きていると「本番」はいつまで経っても
訪れない。
本番とは、その瞬間の実在の一致なのだから。

◆この世の便宜上、チャクラという見方をするならば、
頭上に手を伸ばして触れられる部分までは肉体の延長で開発
できるでしょうね。
でも、もう15センチほど後ろに視点を置いた方がいいです。
そこは、肉体と空間の延長じゃないので。

◆先日のワークでも触れたのですが、頭蓋骨の中から外を
覗いているという思い込みを外すだけで、実際に頭上のプラーナ
が上方向へ延びるのが確認できます。
何かやろうとしなくても、意識しただけで境界は簡単に外れます。

◆境界と視点の位置は、本人が気づこうが気づくまいが
刻々と変動しています。
プラーナというのはあくまでも身体ありきの概念
(といっても実際に見える)ですが、3次元における
私たちの身体の境界は骨でも皮膚でもないのです。

◆原因と結果は即時決定され、時間差は存在しない。
原因と結果を定点から解釈するとき、時空が引き伸ばされる。
偶然に思える現象の裏に「解釈されなかった」原因と
結果が無限に存在する。

◆むやみやたらと多次元に移行したがるけど、
まず3次元を3次元として見ていることに強烈なショックを受け
ないかぎり、多次元は3次元以下の平面的な妄想のままです。

◆創造力と想像力を混同しない。

◆直観において、想像力は邪魔になる。

◆一を聞いて十を知ろうとしない。
ただただ、直観に愚直であること。

◆直観が脊髄反射に流れる前に放下する。

◆全てが同時に在るところでは、回転という運動の軌跡は認識されない。
輪廻の円環もしかり。
まったくもって、笑えるほど当たり前の話。

◆主客がなければ、引き寄せたり引っ張りあったりできない。

◆ニヒリズムは覚醒の手前で力尽きた者の墓場。
まだ手足が動くニヒリストは、墓土の下から自力で出てきてください。
筋金入りのニヒリストだった私の阿保面を見に来てください。

◆近代の陰気なニヒリズムに対し
「この世に意味なんてないから刹那的に楽しもう」という
「陽気なニヒリズム」が若年層に広がっているという。
日本においては年代的に、いわゆる「さとり世代」ともリンクしているようだ。

◆「世界に意味がない」のは真実といえば真実だが
「意味がない」ことをフィーリングで捉えているかぎり、
陽気は潜在的に陰気を孕む。
時代に去勢された「さとり世代」の無欲もしかり。

◆能面のような修行者となるなかれ。

◆肉体に同化した人間は「完全性」と「完全体」を混同している。
(「完全体=完全な身体」という意味ではない)
人間は潜在的に「完全体」へ向かって進化しようと促されるが、
「完全体」は永遠に達成されない幻想。

◆一瞬とは、瞼のない気づきの瞬き。

◆この世のスピードでは、絶対に運命を追い越せない。
ならば、運命が待っていられないほどスピードを落とす。
(「ゆっくり動く」という意味ではない)
結局、それが最速なのだ。

◆人が目覚めるのではない。
目覚めが目覚めるのだ。

◆流れるままに「置いておく」。

◆流れているから、カタチが保たれる。

◆移動のない流れを、アタマで型抜きしている。

◆時空が伸び縮みするから、いくらでも辻褄が合い続ける。
これを有難いと思うか、恐ろしいと思うか。

◆「滅亡」と「消滅」を混同しているから、
存在の不安が絶えないのだ。

◆「滅」と「生」はワンセット。

◆無欲と諦念を混同しない。

◆私たちは文字通り、自我の「落とし前」をつけるために
何度も生まれてくる。

◆内臓の重さをエゴの実体感に転用していると、
軽くならないように食べ続ける。

◆家族とのつながりは「自他未分」の延長になりやすい。
未成熟な自我が自他未分のまま世界とつながろうとすると、
事あるごとに我儘な子供が顔を出し「世界=親」に
ヒステリーをぶつけ続ける。

◆二元性は「両義性」によっては無化できない。
ここは、無意識に勘違いしやすい点。


関連記事 ⇒【「ヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラ」「悟りのトリガー」覚醒からのつぶやき 24】


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