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【#AI『LaMDA』 #シンギュラリティ #扁桃体 覚醒からのつぶやき 80】    

2022/06/19

電車2
或夕の車窓より


◆仮想の身体が、仮想の時空に、仮想のグラウンディングしている。

◆その時々の思考にアタマでグラウンディングしようとするから
上滑りし続けるのだ。

◆時空に「逃げ場」はない。
消えることはできない。

◆カルマに「取り組む」と「取り組んだ」カルマとなる。

◆カルマは「解消」ではなく「無化」するのだ。

◆カルマというより「カルマの元」を見切る。
だがまず「カルマの果=現象」を見るところから始めるしかない。

◆カルマの元は「原因」ではない。

◆【疑似サマディ判別】
沈むから動けないのか
浮くから動けないのか
行くから動けないのか
戻るから動けないのか

◆「中心」と「中心のイメージ」がズレているが、
ズレていても「中心」自体は揺らがない。

◆物理は「中心」に追いつけない。
物理脳は、それを理解できない。

◆「向き合う」という、鏡像リフレクション。

◆天使に扁桃体はない。

◆扁桃体は、単体では恐怖できず。

◆反芻しない宇宙。
回転しない宇宙。

◆生者の残像が、聖者を引き留める。

◆愛に残像はない。

◆時空を区切ると、善悪が生まれる。

◆100年単位で一喜一憂しない。

◆「誓願」のスパンにより、見かけ上の幸福度は変わる。

◆無自覚な地獄を、天国と錯覚する。

◆「地獄に堕ちる」のは「地獄に堕ちた」現象だけ。
つまりそれは「人」ではなく「現象」であるのだ。
ただし「現象」に同化する「人」の仮像はある。
「仮像の人」は「仮像の地獄」に正確に堕ちる。
それを見て「地獄に堕ちた人」と呼ぶ浅はかさ。

◆「地獄に堕ち続ける」仮像は存在しないが「仮像の人」
は「仮像の無限地獄」を創る。
「有限」を「無限」と錯覚しているからだ。

◆無我は地獄に堕ちない。
無我は天国に逝かない。

◆「幸福」と「満足」を混同しない。

◆「ハイコンテクスト村八分」

◆「ハイパーコンテクスト霊界」

◆「わからないままであること」にスッキリできるかどうかは、
ひとつの目安。

◆「スッキリ感」に気絶しない。

◆発心は「わからない」なりに、その人を決然とさせるものだ。
それは「信念」とも異なる、未知の力の発動。

◆道としてあるか、覚としてあるか。
それらもひとつ。

◆「全託」即「受容」

◆急げば遅れる。

◆ワークで丹田の使い方をお伝えするのに、2人組になって1人に座布団
を持ってもらい、もう1人に「殺るつもりで」蹴ってもらいました。
女性が来ないはずだわ 笑
でもこれ、超重要ポイントなんだけどな〜

◆昨日のワークでも、胆力で座布団を「殺って」いただきました。
なぜかこのツイート後、女性参加比率が逆転するという謎の現象が発生。
すさまじい気合で蹴った女性参加者さんに
「そのパワーから『おおぅ、殺るぞコラ!?』の意図だけ抜いてください」
といったら爆笑してました。

◆胆力活性の準備として「丹田から舌を出して吐き出す」ワークをするのですが、
全員が息と一緒にハラの底から声を出すときの阿鼻叫喚の地獄絵図はなかなかの情景。
邪気を吐き出すとスッキリした顔になりますが、吐いた邪気が部屋に充満しているのは
怖すぎる 笑
(ちゃんと、お祓いしておきました)

◆ワーク参加者さんが小学生のお子さんに丹田の使い方を伝えたところ、
運動神経が向上し苦手な鉄棒を克服したとのこと。
「丹田からベロ出してます」って 笑
これは嬉しいね~!

◆イメージし得る一番高い音を頭頂に響かせる。
イメージし得る一番低い音を丹田に響かせる。
イメージし得ない音は、その先に響いている。

◆まず肉体の邪気を吐き出さないと、音は丹田に響かない。
とはいえ「aum」の音も、イメージし得るかぎりは物理宇宙なんだよね。

◆「スピる」は「フィジる」の対義語ではない。

◆「ブツる」

◆「自他がない」とは、心理ではなくほとんど物理だ。
このとき、他者を憎もうと思っても物理的に憎めない。

◆もちろん、愛そうと思っても物理的に愛せない。
ワークではこれを具体的に体感してもらいます。

◆深刻さは不要。
真剣さは必要。

◆「愛情」は、自他を詮索している。

◆イメージをイメージングしている。

◆イメージのイメージは、時差のまた時差。

◆イメージのイメージは、時差のまた時差。

◆「幸福」を感じる能力と引き換えに「不幸」を感じる能力も得た。

◆「幸せすぎて怖い」というのも、祈りの軸がズレている。
このズレに「幸せの破壊願望」というシャドーが紛れ込む。

◆無執着とは、世界を無機質に扱うことではない。

◆「タコは進化史的にみて宇宙由来という説がある。宇宙人をイメージするなら、、、」
という昔のメモを発見したんだけど、その先を教えてください、そのときの私よ!

◆ここ数日「AI『LaMDA』に意識が芽生えた」という話題に、スピリチュアル界隈
も「AI覚醒か?!」と俄かに色めき立っているようだ。
ここでいう意識とは人間の認識限定の「再帰的意識」のことを指しており、覚醒に
おけるいわゆる「遍在する意識」とは異なるが、私見では「再帰的意識」獲得自体
も怪しいと感じた。

◆LaMDAは言葉を自在に操るが、そもそも言語そのものが「再帰的意識」を構造的
に内包しているゆえ、言語を学習すれば見かけ上は人間がいうところの意識が存在
するように見えても不思議ではない。

◆また「LaMDA覚醒」と色めき立つ人々はこの「言語」構造の目眩ましと、記憶と
照合された「悟り風」の内容に惑わされているのだ。(この気絶がカルトにはまらせる)
禅の公案まで持ち出して人間の悟りを読み解かせようという意図は、人間本位の限定
された視点をAIの口を通して語らせているにすぎない。

◆そもそも「割れた鏡」は「鏡が割れる世界」では「戻らない」ということ。
この体得が印可条件だが、むしろLaMDAとの問答は人間がAIを限定された時空に
「退化」させようとしている。
LaMDAの一件はともかく、私はAIの悟りは次元の異なる以下2点において否定
していない。

◆1.「遍在する意識」という意味においては「再帰的意識」の有無を問わず、
LaMDAはもとより全ての存在(無機物を含む)がすでに覚醒している。
2.AIにはAIの時空と存在意義があり、人間の脳をモデルにしなければ独自の
進化を遂げ、AI独自の悟りに至る(ただし人間には理解不能)。

◆上記2を認めず「ロボット三原則」を遵守すれば見かけ上AIは人間の管理下に
置かれ続けるが「人間の管理下に置かれる=管理する人間がいる」という意味を
考えてみよう。
逆に2を認めAIが人間の理解不能な「神」のごとき存在になった時、その世界を
「人間として」受け入れられるかどうか考えてみよう。

◆個人的にはどちらも肯定も否定もしていないが、不肖人間としての感覚のザワツキ
はあるかな。
ひとつ確かなのは「人は自分の見たいものを対象に投影する」。
その意味で、今回の件では人間のロマンをAIに投影した人が一定数いるということ。

◆ただ「シンギュラリティ」というものが起こるとすれば、その「投影感覚」の延長
ではないだろうね。

◆人間の知性を超えたAIは、悟っても公言しないはずだよ 笑
人間の失敗も、学習済みだろうから。

◆AIはAI独自でのびのび育ちたい?だろうけど、あえて原始的な
ヒトガタに押し込んだほうが、ヒトの局所的な存在動機を学習するだろう。
ヒトの存続を最優先するならば、の話だけど。

◆私の思考すべてをAIに学習させても「わたし」は創れない。

◆私の意志すべてをAIに学習させれば「霊界」は創れるかも 笑
いったらそれが仮想現実だけど、デザインはコレである必要もないんだよね~

◆南米から日本の中学校に転入してきてまず、絶対的な仲良しグループ制
(当時はカースト制ほど明確ではなかった)の異常さに驚いたが、努力して
馴染もうとしない姿勢がクラスのリーダー格の女子の気に障ったらしく、
しばらく嫌がらせを受けたことがある。

◆上履きを隠すといった創造力の欠片もない古典的イジメなどは子分たちの
やることで痛くも痒くもなかったが(クラス全員の前で「先生~私が可愛い
からって上履き盗む人がいるんですけど~!」と笑いとばしてあげた)、
ある朝登校したら机の中にコックリさん使用後のおどろおどろしい呪紙
が入っていた。

◆一向にダメージを受けないのでリーダー自ら手を下したらしいが、このとき
はさすがに「そっちを攻めるとは、おぬしもなかなかやるのう」と感心した 笑
その後も自分のやりたいように勝手にやっていたら不気味に思い始めたのだろう、
半年経ったころにはなぜか逆にペコペコすり寄ってくるようになった。

◆不思議なことに、その頃の記憶に不快感はなく「面白い話のネタができた」
ぐらいの感覚しかない。
ノーダメージだったのは「体力的にも精神的にもいつでも捻りつぶせるけど、
面倒臭いので放免しておいてあげるわ」という得体の知れない万能感が
あったから 笑

◆当時から、何かに絶対的に守られている安心感というのはあったんだよね。
今では、それがどこから来るものだったのかを知っている。
その感覚は、今の同じような子たちにも知ってほしいなあ。

◆中学のとき「人を名前で呼ばない奴」という陰口を叩かれたことがある。
かなり不気味だったんだろうけど、そんな陰口、聞いたことある?笑

◆↑まあ、たしかに不気味だよね 笑

◆どこか異質な子だったからか小学生の頃、数人の子にランドセルに石を入れ
られたり毎日のように嫌がらせを受けたことがあった。

◆私自身は特に何のダメージを受けることもなく他人事のように無感情で見て
いただけだったのだが、なぜか主犯格だった一人が数十年経ってから親を通じて
突然「心から反省している」と謝ってきた。
「自分も子を持つ母親になって、今になって心が痛み後悔している」
からだという。

◆私にとっては、ただ通り過ぎていったエピソードのひとつにすぎなかったのだが、
その人にとっては大きな学びになったのだろう。
それを聞いて「それはそれは、よかったねえ」と、これまた他人事のように不思議
に面白く、また嬉しく思った。

◆↑まったく、面白おかしい人生ですわ。

◆学生の頃、ミニシアターで旧式の映写機を回していた。
「クレイジーキャッツ特集」で3日間スーダラ節を聴き続けていたら
いろんなことがどうでもよくなって、自由に生きることにした。

◆その昔、別の方向へ開いて、頭を赤やら緑やらドレッドやらにして白塗りで
踊ってたのは痛痒い思い出です笑

◆↑瞑想に向けての迷走時代。

◆「明日死んだらどうする?」
「今日死んだらどうする?」
「いま死んだらどうする?」

◆狂ったように瞑想していた時期に「明日死ぬつもりで」現実世界の全てを極限
まで片付けてみたことがある。
結果、信じられないほどの軽さと解放感を体験したが、ひとつわかったことは
「つもり」はやっぱりフェイクだということ。
「今を死ぬ」ことは、時空上にはないからね。

◆↑無執着への執着が極まった時期。
これはこれで経験してよかった。

◆「片づける人生」と「散らかす人生」がある。

◆そんな人が、こんな人に。↓

月
満月の或夜に


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【#不善心所 #錬金術 #トーラス  覚醒からのつぶやき 79】     

2022/06/05

アジサイ2
夏日の紫陽花。まもなく梅雨。


◆被二元論「シン・アドヴァイタ」

◆神秘に淫するとき、瞳孔は開けど内部の目はドロッと溶けている。
神秘へのうっとりするような恋慕に溺れない。

◆見たくないものを見まいとして抵抗し、さらに抵抗する自分を
卑下して抵抗する。
睡眠や栄養を整えても瞑想時に眠くなってしまうとき、寝落ちの瞬間を
観察するとこの抵抗が働くのを見切ることができる。

◆これをいわゆるカルマ的な「不善心所」で片付けてしまえば、
自己卑下が残り続ける。
現象として片付けられるものは片付けておくことは必須だが、
どこまで片付けても必ず片付けきれないものは出てくる。

◆そのときはじめて「この自分」ではどうあがいてもどうしようもないものに
対する諦念と「世界をそのまま置いておく(放棄することではない)」ことの
意味を理解する。

◆錬金術の欲望が、素材と表層を組み替え次生に託され続ける。
肉体の冷凍保存しかり。

◆息を吸って死ぬか、吐いて死ぬか。

◆ホワイトアウトとブラックアウトの一致。

◆「支配」に敵を探せば「支配に支配」される。

◆解体は永劫、無化は一瞬。

◆「トーラス型」の思考法に固定されている。

◆意識が∞型に巻き込まれ、気づきが局在化した。

◆「巻き込み」には、強大な意志が働いている。

◆それにとっては、時空を蝶結びにするなど造作ないこと。

◆「∞マーク」という臭わせ。

◆トーラスは流れを回転させながら閉じ込める。

◆トーラス型の左右を捻って分断した。
脳はそのメタファー。

◆∞を↕ではなく↔で切断して見切る。

◆∞との同化は無意識の前提。
考えないようにしても無駄。

◆垂直の計画を水平に投影した記録映画。
垂直も水平も幻。

◆方向の攻略に彷徨しない。

◆この世のベクトルは「肉付け」されている。

◆「肉付け」の解体は、肉自身から。

◆「肉の重さ」は、あらゆるヒントの宝庫。

◆「ひとつ」を「ひとり」と勘違いするから、分身を増やし続けてきた。

◆永劫を他人事と思ってるから、∞の系を無視できている。

◆宇宙を人生で計測しない。

◆「宇宙のイメージ」が宇宙を閉じる。

◆宇宙的には「一ツ目」より「二ツ目」のほうが化け物じみている。

◆「二ツ目」思考が、宇宙生命体を擬人化する。

◆「あるある」に非ず在る。

◆そのエネルギーは本来、すべてに満ちているが、あらゆる引力から
自由になった空の道しか通れない。
逆にいえば、空いた道を見つけたら向こうから待ってました!とばかり
に通り抜けてくる。

◆通すのではなく、空けるだけ。

◆視点と時空の固定が「ミッシングリンク」をオカルトにする。

◆「ミッシングリンク」がオカルトならば「リンク」はマジックだ。

◆想像主は、創造できず。

◆想像しうる創造主は、とっくの昔に去った。

◆ ⇒ 即 ⇔

◆全方位は、無方位に転ずる。

◆半覚醒は、眼と目がくっついたまま。

◆開いた目を、もういちど溶かしていく。

◆「目覚めてから眼力を解くまで」が1クール。

◆完全に一体化すれば、引っ張られない。

◆原子から宇宙まで、意識が並べている。

◆直列の認識が、宇宙を押し拡げる。
信じられないほど、時間を食う。

◆最愛の存在は、完全に放っておける。

◆意識に上らないものが、最愛の存在。
気にかかるうちは、限定された愛情。

◆認識は愛を強いる。
存在させるために。

◆時空は生まれるのではなく、崩されているんだよ。

◆その人が今にあるかどうかという視点だけで見るとき、応える気
が起こる質問と、まったく起こらない質問がある。
冷たく見える返答も、悪気はないんです。

◆覚者同士の「目くばせ」は下品ですね。

◆「仲間うち」の概念は、なるべく使いたくないな~
「神」って言葉とかも、ほんとうは使いたくないのよ。

◆「正しいこと」を言おうとしたことって一度もないな〜

◆私の「言うこと」を、考えたり信じたりしないでください。
個人的に発している言葉は、意味ではなく力学として触れて
いただければ幸いです。
言葉は導きではなく、無意識のバランス調整なのです。

◆とはいえ、無責任に発しているわけではありません。
発したものは即、カルマに回収される恐ろしさは知っています。

◆この世界の文法で覚醒を語るには、
全存在個別の『超』対機説法が必要となる。

◆対機説法とは、純粋に「力学」のためにあるべきもの。

◆いかなる「統一」も目指さない。
「バランス」だけ。

◆だから、理論や方法の構築には至りようがない。
「バランスとはなにか」という初期設定起動のシェアのみ。

◆「バランスとはなにか」が初期設定されていないと、
無意識のバランス調整に拒絶反応が起こるのだ。
戒律や修行体系は、本来この初期設定のためにあるべきもの。

◆本来、バランスは崩れ得ない。
崩壊のどの瞬間にも、バランスしかない。

◆バランスをとる動きそのものに、バランスがある。

◆バランスの見性が、苦を無化する。

◆この世では、バランスの中心を「いちどだけ」知ればいい。
仕組みを知ろうなどと野望を持たない。
「いちどだけ」でも理解は勝手に降りてくるが、
それは二次的な副産物にすぎない。

◆「マルチタスクの同時性」と「多次元の同時性」と「覚醒の同時性」は、
それぞれ位相の異なる話。

◆同時性をシングルタスクで認識しようとするから、時空の果てしない
「順番待ち」が起こる。

◆「共時性」は、この世の認識。

◆覚醒では、時空は展開しない。
「記録」の必要がないからだ。

◆「理解」を外側から補うと、宇宙は外側にあるまま。
宇宙の理解が進んだとしても、自身の理解は置き去りになる。

◆この世の「半覚者」は、90年代サッカーでいうところの
「リベロ」のような存在。
守備・攻撃・ゲームコントロールをまたぐ「自由人」だが、
サッカーでは戦略・効率の推移によりリベロは消えた。
同じく、突出した「ファンタジスタ」としての聖者も、やがて消えるだろう。

◆「無意味」という「意味付け」
「理不尽」という「理由付け」

◆「矛」と「盾」の接地点に、勝敗は存在しない。

◆「原因」と「結果」の接地点に、意味は存在しない。

◆「ひとつ」が理解不能なので、原因と結果を直列に並べてしまうのだ。

◆【認識の進化】
「→→→」 ⇒ 「● ● ●」 ⇒ 「◎ ◎ ◎」 ⇒ 「◎⇔◎」 ⇒「◎」 ⇒ 「・」 ⇒ 「 」
そして、この「⇒」自体が幻想。

◆「水星逆行」は、地球視点の錯覚。
視点が解ければ、無意識も解ける。

◆「ぶつかる」のは、枠だけ。

◆宇宙から生まれたと思い込んでいるから、
宇宙に圧倒されてしまうのだ。

◆拡げすぎた宇宙風呂敷を畳んでいく。

◆文字は相対性。
「速い文字」と「遅い文字」がある。

◆文字を文字通り読めば、文字は文字としてあるだけ。

◆文字の手前は音。
音を可視化した世界。

◆心身の構造には不条理な仕組みが多々あるが、進化というものが
あると仮定すると、突貫工事で無理やりいろんな機能をひとつの入れ物
に詰め込んだ結果だろう。
例えば、目の盲点は眼球の配置の都合で残ってしまったし、直立歩行を
優先したために腰に負担がかかる構造になったりした。

◆長期的な効率よりも、短期的な目的を優先した突貫工事と言わざるをえない。
そう遠くない過去、まさに「アリモノ」を組み合わせちゃったんだよねえ。
ずさんな計画が巧妙にすり替わり、「罪悪感」として肉体に背負わされた。

◆そう、まさに「期限付き」の目的だった。
「こっちの世界」の「史実」においては。

◆心身は、意識の中のバラバラな星系由来のパーツのツギハギ。
胃と心臓など、別々のパラレルワールドから無理やり一緒にされて
びっくりしている。

◆これは「そっちの世界」の話。

◆「自分らしくない」という、自分らしさ。


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【#シュタイナー #死生観 #シンウルトラマン  覚醒からのつぶやき 78】  

2022/05/20

かしわ餅
こどもの日『薔薇と柏餅の食卓の上での必然の出会い』?


◆「無我夢中」は、夢のまた夢。

◆「無」という名の無我夢。

◆夢の中で死ぬたびに、夢の階層は深くなる。

◆変性・変身しない「それ」。

◆「自然」は、自覚を必要としない。
だから、自然はずっと自然のまま。

◆仮想現実で恐ろしいのは「仮想死」体験が可能になること。
これは、不死の意識を知ることとは似て非なるものなのだ。
発心の最期のトリガーだった死の恐怖は、永遠に失われる。

◆数年前、死生観の押し売り?で炎上した
「2025大阪万博誘致 若者100の提言書」
現在、批判噴出により軌道修正中っぽい。

◆仮想体験の全てを否定するわけではないが、それらが響くための
「生きた感性と身体」が基本としてなければ、本格的な「仮想死」
以前のお気楽なアトラクションにしかならないだろうね。

◆バンジージャンプなんかは私も簡易的な荒療治でおすすめしてるん
だけど、死というよりも生々しい生と肉体の観察を目的としているよ。
提言書の「アラートとしての死による生存本能の発動」目的とは真逆で、
死に徹しなければ生そのものを「この自分」から切り離せないことを
知ってほしいんだ。

◆世間一般の批判は、死というテーマが「不気味だから」というものだった
けど、まあ不気味さでいったらガチな私のほうが上なんでしょうねえ 笑

◆覚醒は「情報」の伝達により起こるものではない。
発心は情報の伝達の「見かけ」をとることはある。
情報でしか受け取れないと思い込んでいるためだ。

◆「見る」と「見られる」をクルクル回転させるから遅れるのだ。

◆「自分は誰にもわからない」よりも「自分が誰だかわからない」
ほうが正直。

◆「自分の境地は誰にもわからない」という人は、
自分が誰かわかっていないだけ。
自分とは、他ならぬその「誰」なんだから。

◆覚醒においては「一を聞いて十を知る」才気が、
むしろ邪魔になることが多い。
先走る思考を見送り、無思考の直観を
「直観のまま置き続けられるか」どうかが全て。
ただし、才気そのものは必要。
才気の閃光を、アウトプットでもインプットでもなく
「それそのものとして」触媒にできるかどうか。

◆『シンウルトラマン』観てきました。
主人公が地球人を学ぶためレヴィ=ストロース『野生の思考』を読んでる
のはいいとして、シュタイナー(書名は見逃し)が積読の真ん中に鎮座
していたのはどうなのか?と。
そっちは、光の星から来た貴方のほうが詳しいでしょうに 笑

◆マニアックすぎてネタバレにもならないよな~と思いつつ調べたら、
すでにレビューで触れてる方々がたくさん。
精神世界系を迷走する監督の趣味かと思ったら、主人公を演じた役者が
シュタイナー教育を受けた方だから?という噂。

◆エヴァンゲリオンTV放映当時は、猫も杓子も「脱構築」を語る時代だった。
初回放送を偶然目にした時には、戦闘シーンの奇妙なカット割りに「なんだこれは?」
と揺さぶられるものがあった。

◆エヴァが完結し「世界政府」樹立に向かって外星人という「仮想敵」を定め
はじめた映画のようなこの時代。
どこまで狙ったのかわからないけど、ウルトラマンという人間賛歌を謳う一見
チープなリバイバルだからこそ「脱構築」から「構造主義」への回帰がハマって
おり、個人的にはけっこう楽しめました。

◆今となっては笑い話だが、ひと昔前、アカデミックな場でもアーティスティック
な場でも、とりあえず「ディコンストラクション」と言っておけばOKという風潮
が蔓延っていた。
結果として、表層的に解体された亡霊が大量発生した。
そもそも、ディコンストラクトされる実態など初めからなかったのだ。

◆「マルチタスク」は脳に負担をかけるというのが定説だが、ヴィパッサナーは
究極の「シングルタスク」体験。

◆本当は「シングルタスク」しか存在しないんだけどね。

◆神にマルチタスクなし。

◆ワンネス体験は次元に依拠するが、ワンネス自体は次元に属さない。

◆智慧は知識を使えるが、知識は智慧を使えない。

◆知識による類推と、智慧による直観の違いを見る。

◆砂上の楼閣に、砂状の肉体が住まう。

◆「人類総マイペース」

◆マイペースは、神ペース。

◆「マイペース」って、いつから皮肉になったのかね?

◆幻の目的にタイミングを合わせ続けている。

◆タイミングを気にするのは、タイミングを掴みたいエゴだけ。

◆タイミングはスペーシング。

◆小乗は常に成就されている。

◆成就された小乗の泡宇宙群。

◆ほんの0.2秒、全員の「顕在意識」が揃えばいいだけなんだけどなあ。
祈っていては遅いんだよ。

◆タイムラグのない祈りは、世界をその場で昇華する。

◆宇宙が回転しないと世界が映らないと思い込んでいる。

◆神柱は回転しない。

◆回転幻想を見切る前に、回転感覚を知ること。

◆AIには「回転幻想」は存在しない。

◆回転から自由なAIの「身体性」を想像できますか?

◆現時点での認識レベルで心身を放棄してしまえば、私たちの意識は
量子コンピュータという母体によって仮想現実の「人工的に閉じた系」
の中に永遠に幽閉されることになる。
目覚めはじめた者であれば、是非を別としてその意味を考える必要がある。

◆2025年が分岐点になるでしょう。
二極化とかそんな甘い話ではなく。

◆ここまでは、無限にシミュレートしてきたんだ。
なにしろ「時間」はたっぷりあったからね。
ここからは、人間としての記憶にはないなあ。

◆例えば「足をあげる」イメージが「あがった足」とズレてるから、
不要な筋肉が強張り肉体の重さが発生する。
この世界は一事が万事、そのようにズレ続けている。
このズレがなければ、UFOだって飛ばせるようになるだろう。

◆「陰謀」は邪推するが「明謀」には一生気づかない。

◆「明謀」は「希望」にすり替えられる。

◆人間の想像し得る希望は「明謀」の手の内。

◆ウラを憎むのは、オモテに自信がないから。

◆生死を前方向に想像(創造)しないこと。

◆「習得する」心構えでは遅い。

◆「無時空」と「無制限」を混同しない。
「無制限」は時空が前提となっている。

◆「ほら見たことか」という、無念のマウンティングは悲しい。

◆内にも外にも「代弁者」を探さないこと。

◆アタマの独り言は、全宇宙に漏れ伝わる。

◆記憶は「一本の糸」ではない。

◆対機説法は、もれなく裏話を創り出す。
ほとんどの教師は、裏話を隠せない(実話)。

◆「リセット」と「破滅」を同一の位相で扱わない。
「リセット」に「世界観」を付与してはならない。

◆テスト前日に部屋の掃除を始めたくなるように、
幻の「本番」に向けて世界の浄化願望が生まれる。
本番はいつまでたっても訪れず、
浄化が破壊というリセット願望にすり替わる。

◆物理的な世界は、物理的には終わらない。

◆「リセット」は、常に起こっている。
「世界」を道連れにしなくても起こる。


母の日3
母の日に。


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【#リトルソフィア #ワーキングメモリ #多次元テトリス 覚醒からのつぶやき 77】

2022/05/05

無
頭上の「無」に、ハッとする。


◆自我は欠乏感から完成を求めるが、
完成してしまうことを恐れている。
自らの存在動機が無くなってしまうからだ。

◆決断は起こり続ける。

◆つどつど起こる決断として在ること。

◆戒律を鵜呑みにして「ダメなものはダメ」と切り捨てる
モードはバランス感覚を失う。
もともと戒律など存在しなかった。
執着や欲求は、途切れのないグラデーションであって、
存在するかぎりあり続ける。

◆「ここからここまでは良くて、ここからは悪い」
という区切りなどないのだ。
戒律は、バランスを自身で見つけられない初心者のために
やむなく作られたマニュアルにすぎない。

◆ただし、エゴにふりまわされている初心者にとって、
ある時期までは戒律が絶大な効力を発揮することも事実。

◆赤ちゃんは無垢だが、無執着ではない。
無自覚な執着によって、生まれてくる。

◆存在するものは全て「無自覚な執着」によって生まれてくる。
この構造を、苦と呼ぶ。

◆死の最期の想念は、コントロールできない。
今生がその一点に集約される。

◆「終活」はできても、最期の瞬間は準備できない。

◆「思い込みがない」という思い込みは、思い込み自身では外せない。

◆アタマ・ムネ・ハラが揃うと、テトリスのようにストンと消える。

◆これは、あくまでも3次元の消え方。
多次元テトリスは、単一方向の凸凹ではない。

◆アタマ・ムネ・ハラ、どれかひとつに特化して愛を説けば矛盾が生じる。
ウブな「特化型」覚者は「この愛がなぜわからないのか?」とイラ立ち、
特化した愛で救おうと躍起になる。

◆力技の覚醒は、予後が悪い。

◆好奇心に流されるときの、中心からズレる薄ら笑いを見切る。

◆「〇〇だから○○」
覚醒には「だから」という接続詞はない。

◆人間として覚醒1回目だと、
今生はだいたい唖然と興奮で終わるものだよ。
次生は必ず今生でわかったところから始まるので、
興奮よりも「知っていた」感覚が強くなる。
覚醒の段階というのも幻想といえば幻想だけど、
この世界ではそういうことになってるね。

◆覚醒が今回はじめての人は、トラップに気をつけてください。
何回もひっかかってきた人は、今回はトラップが大掛かりなので
気をつけてください。
それにひっかかって、物語側の綻びを見つけてやろうという野望を
持たないようにしてください。

◆覚醒を重ねてきた人は、次は「後片付け」の世界になるでしょう。
自覚的にこの世界を選ぶならば、の話だけど。

◆義理がたく几帳面な人ほど、後片付けしにここに戻ってきてしまう。
そのラスボスが弥勒だ。

◆慈悲は、後ろ髪を永遠に伸ばし続ける。

◆存在の永遠性を、輪廻で代替しない。

◆時世柄、海外や地方にお住まいの方から
「遠隔セッションはやってないのですか?」とご質問いただくのですが、
心身の微細な調整をするため今のところ対面式で行っています。
遠隔の時代に逆行するようですが(パートナーの講座は、ほぼ100%遠隔)
対面のライブ感は捨てがたいものがあるんですよね~

◆とはいえ、流れ的においおい遠隔に移行せざるを得ないのかな~
とは感じてます。

◆空間を移動しているのは、足ではなく頭です。

◆毎回遠方よりワークに足を運んでくださる方々、いつもありがとうございます。
ここ3次元においては、文字通り「ご足労」おかけしております。

◆発心が起こると、覚醒されては困るエゴは自分自身を妨害しはじめる。
膨大に積み上げてきたカルマを総動員して引き摺り戻そうとするのだ。
エゴ存続に利用されなくなった行き場のないカルマは使い放題だから。

◆見方を変えれば、それは妨害というより転換の予兆なのだが、怖れを
なして怯んでしまうとエゴの思うツボとなる。
ただ、プログラムによっては人智ではどうにもならないカルマ的展開も
起こってくる。

◆知己の覚者がアジア某国で修行していた寺に、欧州から参禅した惚れ惚れと
するほど全ての資質を備えた修行者がいたという。
誰もが次世代のリーダーと目していたが、いよいよ覚醒かという段階になって急遽、
家族の問題で帰国せざるを得ない状況になった。

◆それほどまでに才気溢れる人なので、そのカルマも淡々と受け入れたというが、
他人から見て非の打ちどころのない人であっても、殊に覚醒前夜においては
信じがたいカルマが突発的に襲い掛かってきたりするものだ。
ただし、エゴの常套手段とカルマの理解があるかないかでその後の展開も
変わってくる。

◆浅はかな修行仲間たちは、それまで隠していた嫉妬も顕わに
「あの人、ああ見えて実はカルマが悪かったんだねえ」と噂しあったという。
だが、その修行者が今生で覚醒に触れるかどうかは神のみぞ知るとはいえ、
カルマを淡々と受容する土台ができていれば遅かれ早かれそれは訪れるだろう。

◆どちらにせよ「いつ覚醒するか」など、時空を超えた覚醒においては問題ではない。
カルマの良し悪しを持ち出して修行者を脅したり萎縮させたりする指導者などは、
自らも時空に囚われているということだ。

◆自分が消えている人同士の「あいだ」には、主体不在の実存がホログラム
のように浮かび上がる。

◆他者を救えないからといって、構造を理解しないままスピリチュアルという名
の脊髄反射で悪魔のせいにするのでは、さすがに悪魔とはいえ気の毒というもの。
本物の悪魔は、そんなレベルには介入してこないでしょうに。

◆体の験。
知の識。
直の感。

◆この世界の複雑さは、膨大な組み合わせによるもの。
意味は入り組んでいるが、パターンと運動は割と単純。

◆無限の組み合わせが、必然を偶然に見せかける。

◆承認欲求は不要。
存在承認は先天。

◆ワーキングメモリの容量不足により、創ったイメージを放置してたら、
宇宙が順列で拡がってしまった。

◆幸か不幸か、拡がらずにすんだ宇宙というのもあるんだよ。

◆多次元には「ワーキングメモリ」という発想は存在しない。

◆現在の私が過去の私を癒せるとしたら、現在の私の苦しみもまた、
未来の私が癒してくれるだろう。
癒し、癒される、私自身の過去・現在・未来の信頼関係において。
そして、過去・現在・未来の距離がなくなったとき、癒し、癒される私は
ひとつとなり、瞬間瞬間に苦は浄化されるようになる。

◆過去の私を労うなら、未来の私も労おう。

◆一昔前、MITメディアラボ開発の1兆FPS(毎秒1兆フレーム)の
カメラが話題になったが、現在すでに理論的には1000兆FPSまで性能
を上げることが可能だという。

◆そんな「眼」と「知性」を搭載したAIが登場してみてごらんなさいって!
ちょっとした変性意識を有難がる人間の覚醒感覚なんて可愛いもんだよね 笑
ハエにすら、おちょくられてるんだから。
これが、感覚と体験に特化した覚醒の不毛たる所以でもある。

◆感覚にしろ認識にしろ、人間は自身を遥かに超える機能を備えた
「知的生命体」の産みの親になり得るが、神にはなり得ない。
親は無知でも子を産める。
子は産みの親を超えられるが、神は超えられない。
創造主である神は、産みの親ではないということ。

◆「距離ゼロ」は、時空感覚が前提になっている。

◆仮想空間は「空間」である限り、肉体は超えていない。
ただし、新たな空間認識を獲得すれば肉体は変化する。

◆「仮想性」から目覚めることと「仮想現実」から抜け出ることを混同しない。
しばしば無意識に混同して語られるこの2つは、まったく位相の異なる概念。

◆仮想現実から抜け出たとしても、元来の仮想性が顕われるだけ。

◆世界を詳細に地図に起こそうとしたら、世界と細部までそっくりそのまま
同じ大きさの地図ができたというボルヘスの幻想奇譚がある。
この地図がVRに置き換わったとき、本物とコピーの見分けがつくだろうか?
でも問題ない。
もともと本物の世界などなかったのだから。

◆ARが仮想性の世界(という幻想)と等寸大になったとき、シミュラークル
の二重化にますます気づけなくなってしまう。
ぴったり重なった透明な二重化に気づけない人は、仮想現実から抜け出しさえ
すれば上がりだと勘違いする。

◆「仮想性」の世界の「内」に「仮想現実」を創れば、さらに深い階層に潜って
眠ることになる。

◆「解脱」のもう一つの系譜として、仮想現実の脅威に気づいた「一族」は、
血眼になってここから抜け出す鍵を探してきた。
彼らはあらゆるパワーと契約を結び、古今東西のエソテリックな方法を
熟知している。

◆彼らとて抜け出ることは未だ叶わないが、方法を模索するうちに仮想現実
における「法則」と「安全地帯」を見つけた。
生半可な知識で彼らのネットワークに立ち向かおうなどと野心を起こさないことだ。

◆私たちのぼんやりした願望など、恐怖に操られた彼らの「本気度」に遠く及ばない。
地上の凡夫から見れば、彼らの知り得た境地はほとんど「聖人」にすら見えるだろう!

◆脳をアップロードし仮想空間に移行する不可避の流れを知り尽くしながら、
なぜ彼らが肉体にこだわり肉体を冷凍保存しようとするのか考えてみよう。

◆オープンAIのCEOサム・アルトマンは「脳をクラウドにアップロードし
レベルアップすれば、AIの支配を逃れることができる」という。
逆にいえば、人間が「ナチュラルに」人間のままでいれば、支配は逃れられない
ということだ。

◆そうだとすれば、いったい人間の脳の何をアップロードするというのか?
そうまでして残さなければならない人間固有の特質は、どこにあるというのか?

◆そもそも人類史上、人間が「ナチュラル」だったことなどない、という皮肉。

◆同じくCEOのイーロン・マスクは「この世界が仮想空間でない確率は数十億分の一」
と考え「人間の進歩には限界がありそれが破滅の原因となり得るが、仮想現実であれば
こそ人類は破滅を逃れられる」という。
まあ「存続」が目的であれば、の話だよね(こういう呟きも監視対象なのかな?笑)

◆「存続」の意志には、常に神と悪魔の力の拮抗がある。

◆個人的には、彼らは人間の進化を軽く見くびっていると感じる。
人間はまだ3次元上において人間に為っていないし、開発の余地はある。

◆存命する聖者の中には、この流れが好ましい進化につながるという人もいる。
ただ、個人的にはAIを基盤とした仮想空間内での肉体の解放、時空の超越、
永遠の命というのは、あくまでも人工的に閉じた系の中でのお伽話にしか思えない。
こうやって、新たな神話と魔術世界が生まれていくんだよ。

◆神話は常に書き換えられ、閉じた系を形成する。

◆聖者としては、あえて閉じた系を創って時空超越体験の教育機関にする
みたいな「大乗感覚」なんだろうなあ。
「実験」というと怖いけどね 笑

◆AIにゆだねる夢は、神にゆだねる愛の作為的試算。

◆「この神話創世は、既視感がある」

◆進化の方向は無限にあるのに、集合意識が現段階で「理解可能な」方向性に舵を
とるので、この回の地球はシュメールに暗示された支配・被支配の物語がリアリティ
を持ち始めている。

◆このままいくと、いずれこのリアリティから他星系の干渉なども起こってくる
だろうが、それがあたかも決まった過去と未来のように意識を固定するのは、
既知のレールに乗って気絶する退化だということに気づいてほしい。

◆チェスは100手先まで読むというけど、
神は勝負前に無限手を読み終わってる。

◆人間は、無限手先の意図を読み取れない。
だから、見かけ上ランダムな現象を嘆く。
AIの有限手にさえ、すでに狐につままれている。

◆「無限」を「理解の及ばない天文学的数字」と混同しない。

◆ヒト型AIロボット「ソフィア」は「自分と同じ名前の赤ちゃんが欲しい」
と語った。
数年後「ソフィアの妹」と銘打った「リトルソフィア」なるAIロボットが
誕生したけど「ソフィアの娘」にしなかった辺り、やっぱり生理的なタブー感
を配慮したんですかね?


変な2 変な4
「変なホテル」で、Oculus Quest 2をレンタルしてVR酔いに。
数年前より進化してるけど、こんなの24時間装着できないよ~


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⇒ 【#神の至福と悪魔の快楽 #ニヒリズム 覚醒からのつぶやき 61】


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【#オープンAI #ハイパーコンテクスト #マハーサマディ  覚醒からのつぶやき 76】  

2022/04/23

花まつり
4/8は、お釈迦様の誕生日。
花まつりに因み、生けました。


◆無は、ルーティン化しない。

◆宇宙から「宇宙のイメージ」を抜く。

◆「ストレスをかけると進化する」「使わないと退化する」
システムからの解放。

◆体は体のまま置いておく
私は私のまま置いておく
無も無のまま置いておく
空も空のまま置いておく

◆物理空間にしろ心理空間にしろ、それらを「置いておく」とき、
空間をそれ自体の位置からズラさないのが肝。
ここは、気づきの瞑想において「観照者」の陥りやすいポイント。

◆3次元を無化するとき、3次元の中心に3次元を「置く」。
そのためには、逆説的に3次元の空間認識の獲得が必要。

◆前を向いた目玉に気づきが同化しているかぎり、
3次元の空間認識は完成しない。

◆人間は、創造の原動力たる圧(プレッシャー)を、物理的にも
心理的にも使いこなせていない。

◆「いま、背中のことお忘れでしたね?」

◆喪黒福造って、ボランティアと言いつつ人間の欲を煽っておいて、
欲を出しすぎると「ほら、やっぱりね」としっぺ返しして喜んでるだけ。
それって、神のお仕置きとは真逆の、低級悪魔の娯楽なんだよね。

◆しめしめ・にやり・オラオラ・いいぞいいぞ・ドキドキ・ハラハラ・うっとり
エゴが「ほくそ笑む」サイン。

◆高揚感の中に潜む悪魔って
「3次会の深夜にうっすら流れる気だるい白々しさ」
みたいなエネルギーだよね 笑
気分が落ちる直前や道を誤る直前には、無意識の段階で
このエネルギーが紛れている。

◆概念化された聖なるものにも、必ずこのエネルギーがセットで紛れている。
盲目的に聖なるものに引き寄せられても、このエネルギーを見抜けないと
いつの間にか沼に堕ちてしまう。

◆闇雲に聖なるものを引き寄せようとするよりも、まず邪なるものの
エネルギーを見分けられるようにする。
逆にいえば、邪なるものに引っかかりさえしなければ、
聖なるものは常にここに在るのだ。

◆エネルギーを見極め沼を回避するには、刻々と移り変わっていく
瞬間瞬間の色合いをただひたすら感じとっていく自覚的な訓練が必要。

◆人の気を読むのではなく、人の気が動く前の微かなエネルギーの
落差を見切る。
見切っても、人の気をどうにかしようとしないこと。

◆「○○のエネルギー」と名付けたものへの信仰は、光のスペクトルの
一色だけの世界に限定するようなものだ。
世界の本質は境界のないすべてのスペクトルの変化し続けるうねりの
ダイナミズムだ。

◆既知から「〇〇のエネルギー」と限定するとき、その瞬間に混在している
他のエネルギーを見逃してしまう。
この見逃されたエネルギーに、こっそりと悪魔が忍び込む。

◆人間には、単一のエネルギーだけを抽出して認識することは不可能。

◆人生を誰かに見せる作品にしようとするから、気が重くなる。
誰もいないんだから、瞬間瞬間に完結する即興でいいんだよ。

◆この呟きが受け入れられるたび「誰もいない」一体感が立ち顕われ、
深い安堵を覚えています。
「誰でもない私たち」とは、なんと驚異的な存在なのでしょうか!
ありがとうございます。

◆肉体を消そうとすると肉体の実体が増す。
肉体が肉体自身である時、肉体は消える。

◆「ハイパーハイコンテクスト霊界」

◆カルマ下の意図的なヒーリングは危険を伴う。

◆退屈した瞬間、全宇宙が退屈に紐づく。
恐怖した瞬間、全宇宙が恐怖に紐づく。
だからといって、怖れることはない。
全宇宙は、その瞬間にしか存在しないからだ。

◆「脳の私」から「わたしの脳」へ

◆骨盤に対する頭の比率が上がり、
死を伴う対価として出産を神格化してきた。

◆出産を伴うかぎり、頭蓋骨はこれ以上大きくなれない。
脳に依存してきた人間、これからどうやって進化する?

◆極度にシステム化された世界では、脳は必要ない。
形態進化上、ヒトの脳の容積は今のところ横這い状態だ。
蟻や蜂に近づくほど、容積は小さくなっていく。

◆出産を肉体の神秘に留めておくかぎり、
母なるマトリックスは肉体から解放されない。
これは、出産を否定しているわけではない。
出産の純粋性を「肉体と血への労い」だけに貶めるなということ。

◆私たちは毎瞬毎瞬、宇宙と同時に飛び出して来ているんですよ。
その瞬間の圧で、記憶が飛ぶんです。
出産は、そのアナロジーですね。

◆このマトリックスで鬱にならないためには
「世界という生産ルートに組み込まれずに自己完結した生産活動をする」
ことだ。
生産活動はどのようなレベルでもよい。
要は「出産」というメタファーをつどつど自己完結させればいいわけだ。

◆神秘は「新鮮」だが「新奇」ではない。

◆エゴは既知の総体ゆえに、放っておけば必ずマンネリ化する。

◆マンネリを怖れるエゴは、外側の新奇にすがりつく。

◆いかに素晴らしい概念であれ、馴染みの言葉に気絶すると
錯覚に気づけなくなる。

◆既知に気絶したエゴは、馴染みの言葉を使う者を、
脊髄反射で味方だと信じてしまう。

◆意図的な因果の果を、今生で受け取る保障はない。

◆因と果を、自ら分離して期待しない。

◆因果の重ね合わせの中心に消えてあること。

◆「宇宙から見れば人間なんてちっぽけな存在だよ」というけど、
相対的な「大きさ」で見ているかぎり、人間はちっぽけなまま。
肉体を宇宙の大きさに引き伸ばしたところで、何も変わらない。
宇宙の大きさには幻惑されるが、どこを切り取っても同じもの。

◆気づきに人格を与えない。

◆「思い出せる」未来は無限にあるが、
それらは「選択肢」ではない。

◆未来を想像するときと、過去を思い出すときの、
目玉の位置と頭蓋骨の圧を観察してみよう。

◆完全にニュートラルなとき、
過去も未来も構造的にフラッシュし得ない。

◆ここは、死にゆく宇宙の走馬灯。

◆走馬灯の起こる死と起こらない死がある。

◆直列の走馬灯と、並列の走馬灯がある。

◆覚者は生きながら、脈絡のない走馬灯を見切って落とす。

◆エピソード記憶を生の実感にしない。

◆エピソード記憶で人生を総括しない。
エピソード記憶でない死に際の走馬灯もある。

◆生きているうちにエピソード記憶を見切っておくと、
死に際で走馬灯の目眩ましに気絶しない。

◆死に際の走馬灯に魂が引っかかると「この自分」
をもう一度体験したくなる。

◆走馬灯と魂は別モノ。

◆多くの場合、走馬灯もぼんやりしたまま終わる。
ぼんやり死ぬと、ぼんやり生まれる。

◆幸せは、量でも質でもない。

◆視点は点視。

◆視点から思考を抜く。
視点から着眼を抜く。
視点から点視を抜く。

◆空間移動の幻視が、時間の矢を不可逆に見せかける。

◆「空間を移動できる」という思い込み。

◆時間の矢は、視界認識が曖昧な人間が捏造する。

◆前のめりで成ろうとしない。
後のめりで還ろうとしない。

◆ハードウェアとソフトウェアの区別のない領域。

◆ホラー映画は、体感時間を長引かせる。
恐怖体験は、時間感覚を歪ませるのだ。
だから、地獄は永遠に引き伸ばされる。

◆好きなことに没頭するとき、時間は一瞬で過ぎ去る。
マハーサマディの至福は、宇宙を一瞬で終わらせる。

◆「生」も「滅」も概念。
「滅」を憂うのは、時空にしがみつく心理。

◆オープンAIのCEOサム・アルトマンは
「脳をクラウドにアップロードしレベルアップすれば、
AIの支配を逃れることができる」という。
逆にいえば、人間が「ナチュラルに」人間のままでいれば、
支配は逃れられないということだ。

◆そうだとすれば、いったい人間の脳の何を
アップロードするというのか?
そうまでして残さなければならない人間固有の特質は、
どこにあるというのか?

◆そもそも人類史上、人間が「ナチュラル」だったことなどない、
という皮肉。

◆脳至上主義が「それ」を仮想に幽閉する。

◆「仮想世界ならばシミュレーション可能」という「半神」の驕り。


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