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【#黒鏡 #ジャーキング #脳内麻薬  覚醒からのつぶやき 89】   

2022/09/24

十五夜
十五夜の「テラ見団子」


◆地球から見た月が満月のとき、月から見た地球は新月(新地?)になる。

◆地球を「丸くする」のも「平らにする」のも、愛すべき素朴な想念。

◆地球が平らだと言い張る人たちを笑うけれど、地球がひとつの球体だと
思い込んでる私たちも、上の人に笑われているのです。

◆月は私たちをなかなか手放してくれない。
だったら私たち自身が月を手放せばいい。
手放すには、まず「月になる」ことから。

◆認識を小細工しない。
時空を小細工しない。

◆認識の継ぎ目は放っておく。
時空の継ぎ目は放っておく。

◆瞑想に「偶然」は存在しないが「必然」と見てもエゴを強化する。

◆カーボンナノチューブから構成される「ベンタブラック」は可視光の
99.965%を吸収するが、これが100%になれば黒色はおろか、その存在
すら認識不可能になる。
光を反射しなければ、錐体細胞が反応しないからだ。

◆つまり、肉体の眼は「100%の闇」には気づけないということ。
「闇=黒」とは、光ありきの肉体感覚なのだ。

◆だが肉体の眼を超えれば、不可視の闇の一端に触れることが可能だ。
逆に、肉体の眼の耐えられない輝度の光に触れることも可能なのだ。
認識の極限に吸い込まれつつ触れる闇は漆黒だが、漆黒が無限後退していく
先に色は存在しない。

◆黒鏡よりもベンタブラックの球を眺めてるほうが変性意識に入るね。

◆赤ちゃんは、子宮の中を暗闇だとは認識していない。

◆盲目の人は闇を「暗い」と認識していないが、メタファーとしての闇は
知っている。

◆存在の始原は「暗闇」ではない。

◆「気づきの光」という言葉を無自覚に使わない。

◆創出の「発火」は、境界線上の話。

◆「唯唯論」

◆理解不能は、理解の可能性がある。
本当に不能なら、認識に上らない。

◆「テストステロンの愛」 ⇒ 「オキシトシンの愛 」⇒ 「エンドルフィンの愛」
「ヒト科ヒト属ヒト」の愛。

◆記憶は「記憶的」に気づかれる。

◆「悟り」という言葉を使うと、悟り警察が飛んでくる。
「覚醒」という言葉を使うと「ああ、そっち系ね」と、見逃してくれる 笑

◆最近「覚醒」という言葉を使うと「あっち系」の方々が飛んでくる 笑
そもそも、私は「どっち系」でもないです。

◆「青い空」があるのではない。
「青く見える空」が生じたのだ。
ここに「青い空がある」がある。

◆「無執着」と「非執着」の浮力の違い。

◆一瞥は過去世からのボーナス。
生かすも殺すも、自覚次第だ。

◆存在に証拠はいらない。

◆アタマの機能が良い人は、機能的に「取り組みがい」のある問いに走る。

◆人間は、機能を機能のままに遊ばせておけない生き物。

◆至福感で真偽は測れない。
悪人も悪の至福感に酔う。

◆これは裏ワザですが、電車に揺られながら座って眠るか眠らないかぐらい
のところで観察していると、突如としてブラックアウトすると同時に境目の
瞬間が見切れることがあるので試してみてください。
認識の座が開発されると、この見切りが自動的に発動する確率が高まります。

◆脳幹網様体の誤作動「ジャーキング」(入眠時ミオクローヌス)の
落下感覚は、ビクッとなる不随意運動に引っ張られずに気づきを保ち
続けられれば裏ワザ的に使える。
パートナーは、落下の前に体脱してしまうようですが。

◆ただし、ジャーキングは肉体ありきの随意と不随意の境界であって、
ハラの底までは落とせない。(その前に肉体の足が浮いてしまう)
裏ワザはあくまでも裏ワザにすぎないが、ぼんやりした意識と肉体には、
とっかかりとしての実感が必要な場合もある。

◆女性は、落下による創造を体感的に理解している。
エクスタシーの中心に「落ちて」子宮に世界が内包される感覚を知っているからだ。
女性原理は、この世界の鋳型なのだ。

◆女性はエクスタシーの落下感覚を潜在的に知っているが、落下しきってしまうと
ブラックアウトしてしまう。
それはそれで存在の安らぎだが、落下時に相反する背骨側のエネルギーを拮抗
させれば、ひとつのマトリックスが自己完結する。
ただし、それを見切るには内部の目が確立している必要がある。

◆女性は、性エネルギーを直接利用することができる。
受動的に発生したエネルギーを脳天まで垂直に突き抜けさせればよいのだ。
男性は、能動的に発生したエネルギーを、放出せずに一瞬引き戻して受動に
転化するプロセスが加わるので、難易度があがる。
だから、男女の能動受動の円環が利用される。

◆落下だけでは底がないが、下から突き上げるエネルギーが融合すれば世界
が回り始める。
これは男性原理のエネルギーだ。
ただし、男性エネルギーは偶発的(神から見れば意図的)な一石で(見かけ上)
唐突に発生し、その都度世界は生まれたり生まれなかったりする。

◆見かけ上の偶発的創発は、擬人化して言うならば、女性原理がそれを
受け入れるか入れないかによって受胎が決まる。
その相似形が、生殖だ。
創造の基本は拡大なので、受胎の準備が整った瞬間はすべて利用される。

◆融合による回転のエネルギーは二元性の見かけ上、トーラス状になる。
3次元のトーラスの断面は、形も機能も世界の「会陰」そのものといえる。
だが、これらの二元性の創発は宇宙ではごく原始的な形態にすぎない。

◆落下の方向性は、自我を落とすときにも利用される。
この時には、上方向のエネルギーに結び付けず(意図が働くとエネルギーと
結びついてしまう。この意図を落とすのが修行の目的)に底なしの真空に
「送り返す」。

◆落下は、次の子宮に入るときにも利用される。
ただし、落下の直前まで上下という区別はない。
ここを見切っていないと、進化を上方向の階層に見出そうとして円環にはまる。

◆性エネルギーは体表でバラバラに放出させずに、背骨の際を通らせる。
通り道がついたら、エネルギー単体で認識できるようにエクスタシー感を切り離す。
このエネルギーは認識の座の確立に利用されるが、その場合は頭頂に突き抜けさせずに、
松果体の裏付近の気づきの極限の場でスパークさせる。

◆感覚としては、能動的にスパークさせるのではなく、気づきの精度が極まって
高密度の磁場のようなものが発生しているところに、垂直に昇ってきたエネルギー
がゴゴゴッと吸い寄せられていく衝撃。
そこでバリバリと音がするように認識の座が引き剥がされて宙に浮く。
ここで現象発生の場に立ち会う。

◆ただし、これは認識の座の確立にすぎず、覚醒の全体ではない。
だが、ここが確立しないかぎり、すべての体験は不明瞭なままなのだ。
ここだけは、エネルギーが使えるうちに意識的に取り組む必要がある。

◆認識の座は場所ではない。
松果体のように活性化すればよいものでもない。
ほとんど物理的といっていい力で、引き剥がすのだ。
無意識に剥がれかけている人もたまにいるが、そのことに気づいていない。
それ単体で意識することを知らないからだ。

◆もちろん、これらはマトリックス内の話です。

◆「関係性」は放棄できない。
放棄自体が関係性だからだ。

◆生まれては死ぬ見かけ上のサイクルで、ギリギリ逃げ切った
つもりになれてしまうシステムが、目覚めを留保し続ける。

◆信頼とともに脳内麻薬は勝手に出るようになるが、
酔いはトラップにもテキストにもなる。
酔いを観察し、酔いながら醒めている状態を知れば、
酔いへの執着がなくなる。

◆酔っていることと醒めていることの、並行でも間でもない
「第3の位相」というべきものがある。

◆無限の留保は、感覚世界においては「それそのもの」と「ほぼ」同義。

◆空白を埋める行為が、空白を生む。

◆「直列から並列へ」「平面から立体へ」転換するには、
物理的なエネルギーが利用されるが、覚醒そのものには
必ずしもこのプロセスが必要というわけではない。
ただ「仕組み」への疑念が晴れない人には有効だろう。

◆自重(じじゅう)から触発される3次元的な思考に気づこう。

◆昔、ふと誰かを見たときに「この人、将来どうなるのかな」と思うことが度々あった。
たいてい顔見知り程度の関係の人が多かったが、その人の将来のヴィジョンがまったく
見えない、一種独特の感覚が起こるのだ。

◆その人たちは皆、社会人として健康的な生活を全うしていたので「人生が破綻して
いるから将来が見えない」という訳でもなかった。
そして突然、半年以内にそのうちの2人が相次いで急死し、狐につままれたような感覚
と同時に「そういうことだったのか」と腑に落ちた。

◆生前は個人的に興味を引くタイプの人たちではなかったのだが、その一件により死後
になってから存在感を増したのだった。
私という認識の内では、ただの通行人から家族まで、様々な人々が通り過ぎていく。
これまで登場した人々のほとんどは、私の知らないうちに消えていった。

◆それでもふとした瞬間、その人たちは「私はあなたの内にいたんだよ」とリマインド
してくる。
路傍の石が「まだここにいるからね」と存在を訴えかけてくるように。
この「余剰世界」は、私たちから私たちへのリマインドなのだ。

◆今の私は、人の人生に殊更に意識を合わせることがほとんどない。
ワークの参加者さんであっても、それぞれの人生を必要以上に詮索することもないし、
何をやってる人なのかも知らなかったりする。
特にワークの最中には、その人の肩書や人生や名前なども忘れてしまう。

◆その時その瞬間の、その存在だけを直接見たいからだ。
人によっては冷たいと感じるだろうが、私としてはそれが「余剰世界のリマインド」へ
応える最大限の尊重なのだ。

◆「ノーカウント」の人生もある。
それはそれで、静かで美しい。

◆「気づかれてないもの」などない。

◆通りがかった某高校の文化祭ポスターの標語
”Don't be silly, be silly!”
ハートで「いいね」を100回押しました。

◆「挑む」人は、硬く強張る。
輪郭は微細に、中心は真空に。

◆ハラは練っても固めない。
輪郭のない圧だけを練る。

◆アタマに侵犯されたハート。
ハートに蔑視されたハラ。
ハラに埋葬されたアタマ。

カモミール
重陽に因み、菊酒ならぬ菊茶を。


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⇒ 【#啓示 #地球を卒業? #真空と恩寵 覚醒からのつぶやき 65】


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【#法脈 #ゼロの発見 #他力本願  覚醒からのつぶやき 88】     

2022/09/04

秋桜2
秋桜の季節です。


◆信は自律して在るが、信仰には依存が忍び込む。

◆「従ってさえいればよい」という思考停止では信者にもなれない。

◆盲信とは、掃除もせずに開運グッズを置きまくる心理に近い。

◆真の「他力本願」ほど過酷なものはない。

◆占術は否定はしないが、その結果は(ほとんどの場合)
エゴの想定範囲にしかない。
預言や神託もしかり。
たとえそれらに真実が含まれていたとしても、エゴは自身の
理解可能な結果のみを受け取るからだ。

◆同じ神託を受けても、受け取る位相は異なるということ。

◆「あるがまま」という言葉を知ってしまった人は、ある意味不幸だ。

◆自分の信じる「あるがまま」に居座らない。

◆「あるがまま」を強調する人は、自身の「あるがまま」を疑っているのだ。

◆効果の出ない「ながらダイエット」のように四六時中
「~しながら」生きている。

◆アタマで「カタワレ」を探さない。
アタマは「カタワレ」を認めない。
ハートで「カタワレ」を探さない。
ハートに「カタワレ」は見えない。
ハラで「カタワレ」を探さない。
ハラは「カタワレ」を生むところ。

◆「金は人を変えてしまう」というけど、金が悪いわけじゃない。
金がないので抑えていた、その人本来の性質が浮上してきただけ。

◆ベーシックインカムを「一生遊んで暮らせる額」にすれば、
最後の審判なしで効率的に地球人の本性を暴けるよね。

◆本当はすでに意識は完全に自由なんだから、貧乏は貧乏の本性、
金持は金持の本性が炙り出されてるんだけどね。

◆裏口から極楽に入っても、極楽のシステムを理解できない。

◆ハラから沸き起こる存在の笑いは、表層筋を使いません。

◆肉体を通すと感情は昇華しきれない。
エクスタシーしかり。

◆腹筋は「笑い切る」ことを許さない。

◆肉体のない笑いは、炎のように一瞬で昇華する。

◆人間は成長期が終わると成長の代替を探し始める。
このマトリックスでの存在意義を保ち続けるために。

◆自説を揶揄されキレるのが野狐。
師匠を揶揄されキレるのが行者。
聖典を揶揄されキレるのが学者。
法脈を揶揄されキレるのが教師。

◆法脈を揶揄されキレる教師は、その瞬間「聖なる使命」
に気絶している。

◆「悪」の中心は「邪」ではない。

◆「成りたい私」と「在りたい私」の果てしないズレ。

◆覚醒は「心身の癒し」の延長にはない。

◆即席の癒しは、時に感性を愚鈍にする。

◆「物分かりの良さ」は、モノを超えれば仇となる。

◆自他未分の人ほど、独り言を声に出す。

◆一如の独り言は、ハラの底で蒸発する。
焼石に水を垂らしたように消えるのだ。

◆独り言の響く「位置」を観察する。
その位置に「私」を仮設している。

◆アタマの独り言は、全宇宙に漏れ伝わる。

◆すべての事象は、壮大な独り言である。

◆私たちの壮大な独り言は、信頼において消える。

◆肉体との同化は、世界を自他未分の有機物と錯覚させる。

◆自他未分のまま覚醒している状態もあるが、自覚は生じない。

◆パラレルにインプットするも、アンパラレルにアウトプットしている。

◆アタマを空っぽにするのに「空っぽなアタマ」をイメージしない。

◆宇宙・世界・空間・身体の「容れ物」感覚を外す。

◆立体は視覚ではなく運動でとらえる。

◆優しい邪推の世界。

◆気づきをリズムにしない。

◆ノリに乗らずにノリに為る。

◆「流れに逆らうな」というけれど、死んだ魚は流されて行き、
生きた魚は流れに乗る。

◆死んだ魚のように流されて行くのではなく、生きた魚のように
流れの中心に浮いてあること。

◆どうせ仮想現実だからといって「仮想的」に生きると、
疑似仮想現実に堕ちるというジレンマ。

◆瞬間の中心も、永遠の中心も、同じもの。

◆両端を探せば中心から遅れる。

◆「気持ちに体が追い付かない」というけれど
「気づきが体に追いついてない」のだ。

◆老体には老体の、完璧な速度というものがある。
体の中心にある時、その動きは遅くも速くもない。

◆自分の体の速度に学ぶ。

◆止まっている電車に乗っていて隣の電車が動き始めると、
乗っている電車が動き出した感覚がする。
隣の電車と並走していて乗っている電車が減速すると、
後ろに進んでいく感覚がする。
乗っている電車と同じ速度の電車が並走していると、
止まって見える。

◆【公案】電車の中で「熟睡している人」は、
動いているのか止まっているのか?

◆極論すれば、肉体・精神・魂・霊を問わず人間の問題はほぼ全て、
相対的な速度と質量の調整のみで解決する。
逆に言えば、速度と質量の異なる位相を「ひとつの世界」に押し込めよう
とするから、問題があるように見えているのだ。

◆世界を救う使命に駆り立てられる人は、救われるべき世界の時空を、
その人の認識速度で「引き伸ばしている」。

◆もともと「世」は時間、「界」は空間を意味していたが、なぜ
「世界」は銀河の片隅の世間話に成り下がったのか?

◆「ゼロ」の発見が、世界を概念に幽閉した。

◆必要なことだけ覚えてればいい?
じゃあ、全て忘れて大丈夫だね!

◆「80億人乗っても大丈夫!」

◆「もったいない」と「むさぼらない」のエコ意識の違い。

◆「ありのままのエゴ」は「ありのままの自己」を認めないが、
そのコト自体は「ありのまま」である。

◆物理的に打っても、物理的にしか強くならない。

◆打って強くなる精神力は、物理の一部。

◆「全て嘘」という言葉に惑わされない。

◆「全て」「必ず」「真の」という二元的ペテン。

◆「修行は時間がかかるもの」
「修行に時間はかからない」
どちらも時空に胡坐をかく。

◆小泉構文「A=A」を笑うが、私たちは「A」を見るときアタマで
「A=A」を反芻している。

◆悟りとは「A」を「A=A」から救うこと。
それ以上でも、それ以下でもないのです。

◆「A=A」のコピーエラーは、密に分岐し続ける。

◆自然から式を読み取らなければ、自然は自然のままにある。

◆記号と文字の時空的密約を解除する。

◆記号は宇宙を論理に限定する。

◆高次元の式は、記号そのものが異なる。
「置き換え」の必要がないからだ。

◆運動を運動のまま、立体的に計算する。

◆高次元ほど、式と解の自由度は増す。

◆3次元の式は、次元で辻褄合わせする。

◆真偽不在のディベートを繰り返すうちに、
便宜上の真偽を信じてしまった人々。

◆「神秘和音」は「神秘的」に奏でる必要はない。

◆思考の虚は、世界の虚を構造的に見過ごす。
構造を見抜いた者が、虚を利用し始める。


桔梗2


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⇒ 【#坐禅と動禅 #ジェンダーレス #多様性 覚醒からのつぶやき 64】


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【#パラレルシフト #第六感 #シッディ  覚醒からのつぶやき 87】    

2022/08/28

脳1 1
🧠脳味噌っぽい鶏頭🧠


◆ムネから「は~」と吐くと溜息になる。
ハラから「ほ~」と吐くと安息になる。

◆五臓六腑の表面で力まない。
内臓を裏面から見てみよう。

◆背後霊はいても腹前霊はいない。

◆ウォークインは、背後から入る。

◆「この私」は、裏から飛び出す。

◆「私」と「わたし」を背骨で重ねて寛ごう。

◆「この私」という外人。

◆理解者でもなく共感者でもなく、
私はわたしの当事者としてあること。

◆客観は主観の空間的亜種。

◆認識の転換とは、主観と客観の反転ではない。

◆こんがらがった思考は、知恵の輪みたいに立体的に外そう。

◆多次元の知恵の輪のほうが簡単。
なにも「交差」してないからね。

◆直観を概念化すると認識は進化しない。
「神」という概念が、その最たる証拠。

◆「病気」は在っても「病人」は存在しない。

◆世界はSNS(ソーシャルネットワークサービス)
意識はPNS(パーソナルネットワークサービス)

◆忘却のプロセスを一瞬一瞬、辿れる者はいない。
忘却は忘却してしまった後に気づかれるのみだ。

◆ふと訪れる「忘却の空白」に気づくことから始めよう。

◆忘却の瞬間、何がどこにどう消えるのかを見切るのだ。
それは、忘却の対象物に意識を向けていては観察できない。

◆忘却は、忘却する者にとってのみ「忘却」と呼ばれる。

◆諦念による「消滅」と「忘却」は、似て非なるもの。

◆「忘却」は意識の気絶。
「消滅」は意識の活性。

◆生と死とは、私だけが知らない密約である。

◆「間違えて」生まれることなど絶対にない。
「ぼんやりして」生まれることだけがある。

◆純粋な空白には「有益な情報」など降りてこない。

◆修行者に必要なのは「空白」をどこにも落とし込まない諦念。

◆空白は記録できない。

◆アレッ?アレッ?という空白の間に世界が切り替わっていく。
雪崩れに巻き込まれたくなければ「ッ?」で瞬きしないことだ。

◆「時空の爆発」を孕むエネルギーの空白は、すでに現象世界の話です。

◆空白それ自体は認識され得ませんが、次の瞬間に何かが生まれ出ようとする
ときの「並列的な無限の瞬間が同時に圧縮された何か」であって、すさまじい
エネルギーの生成点であり消失点でもあります。

◆私たちは、エネルギー最大の瞬間に常に気絶しているのです。
このことは、生のパラドックスとしか言いようがありません。

◆「無」は「エネルギーゼロの地点」ではありません。

◆↓ここに「ひとつの白」を見ることができるか?
白色
◆↑「絶対的な白」を注視し得る目は存在しない。

◆五感「を」観察しても、五感「で」観察しない。

◆五感の中心は、五感ではない。

◆第六感と覚醒は無関係。

◆「五感」も「一感」も「百感」も、違いはない。

◆覚醒体験は「無感」でも「六感」でもない。

◆第六感は、五感の延長。

◆ハートには、五感では言い表せない共感覚が搭載されている。
それは第六感とも異なる、鮮烈なリアリティだ。

◆顕微鏡と望遠鏡が、宇宙を五感に閉じ込める。

◆差異が五感に振り分けられる。

◆音を聴くのか見るのか、色を見るのか聴くのか。

◆共感覚的に五感の分岐点に張り付いて在ること。

◆事象は相対するが、相対それ自体は相対しない。

◆あなたが『それ』であるならば、あなたは『それ』に酔うはずがない。

◆「正義」を免罪符にしない。

◆時空は時空を超えられない。

◆時空を利便で圧縮しない。

◆圧縮を超越と勘違いしている。

◆数式は圧縮ではなく展開。
「数」をそのまま見ること。

◆支点のない均衡は、圧縮も膨張もしない。

◆直列的認識による不自由さ・抵抗・摩擦とその回避のパターンが、
世界の可能性を分岐させていく。
分岐が分岐を呼び、無限の分岐が世界を拡散させる。

◆認識が分岐を生むが、分岐の認識はできない。

◆分岐はマーヤ。

◆闇は隠れていない。
目が闇を隠すのだ。

◆光は顕われていない。
目が光を顕すのだ。

◆本番から逃げるためのトレーニングとコンディショニング。

◆肉体の瞬きが、無限に待機する本番を隠す。

◆物質から離れれば離れるほど強烈なリアリティがあるのは、3次元特有
のパラドックス。
本当は離れているのでなく、全てを「含んでいる」から超高密度なんだけどね。

◆物質から離れれば離れるほどリアリティが希薄になるなら、
まだ物質の眼で見ている。

◆今朝、明晰夢で数回パラレルシフトした。
完全に別世界に飛ぶのではなく、日常が次の瞬間ズレる(関係性が
変わったり風景が僅かに変化したりする)のがリアルだった。
テレビみたいに一瞬で切り替わるので面白いといえば面白いけど
「パラレルシフト体験」自体は3次元的なんだよね。

◆見ている眼はすでに「切り替わりの面」に張り付いちゃってるから。
極まった瞑想では、眼は立体の奥からランダムなシフト群そのものを眺めていて、
自身はシフトに巻き込まれないのだ。
パラレルシフトは認識と世界の一対一対応で「類推可能な別世界」に飛ぶけど、
ランダムなシフト群では「類推によらない全ての世界」が待機している。

◆パラレルシフト時の眼の感覚を利用すれば、シフト群から世界を選択し得る
予感はあるけど、その能力を開発する食指は全く動かない。
そもそも、そんな能力に興味を持ったままではシフト群を奥から眺められないからね。

◆ある意味、私たちは瞬間瞬間にパラレルシフトしているが、瞬間と瞬間の変化
が小さすぎて気づいていない。
その僅かな変化を、当たり前のように「時間」に転化して納得してしまっているのだ。

◆「自己同一性」の引力が、見かけ上の瞬間と瞬間の変化を最小に保っているのです。

◆「意図なきシッディ」は宇宙を探訪し得るが、その能力は必須ではない。
宇宙の解明と覚醒は無関係だからだ。

◆肉体が3次元を超えられないのではなく「肉体というアイディア」が
「3次元というアイディア」に固定されている。

◆意識の粘性が肉体を固形化する。

◆私たちは「動き」を時間で測りますが、分割されない「動き」それ自体が
「ひとつの影」なのです。
このことを知るために時間を停止させる必要はありません。

◆時空内に完全な停止は存在しない。

◆摩擦による停止は、地上の錯覚。

◆停止は「停止」している。

◆動きを時間でとらえなければ、動きは無限の停止としてある。


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⇒ 【#不善心所 #錬金術 #トーラス  覚醒からのつぶやき 79】


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【#タイムマシン #クエーサー #先延ばし癖  覚醒からのつぶやき 86】   

2022/08/18

スイカ2
バリ島の鏡と西瓜


◆一切の制限がない時、何をするか?
それが、創造主の境地というもの。

◆「一切の制限がない」こと自体が、
すでに「制限ありき」なんだけどね。

◆人間は真の「無制限」を想像し得ない。

◆言葉を探して、言葉を超える。

◆言葉は、言葉のまま、言葉を超える。

◆言葉を超えると、言葉そのものとなる。

◆言葉を使わず、置いておけるかどうか。

◆「言葉探し」と「形探し」は同じこと。

◆言葉を音で胡麻化さないこと。

◆言霊と音霊の癒着に気づく。
癒着は神秘という名の魔術。

◆神の言葉は、発声不可能。

◆言葉の多義性を、存在の言い訳にしない。

◆言葉の配列は、物理的な領域を実際に動かす。
禍々しい言霊的な意味ではなく。

◆人称は人間の文法。

◆仮称代名詞の世界。

◆私を巡る忘却と追憶の運動会。

◆言語脳に言論の自由はない。

◆世に言論の自由を問う前に、自身の言語脳の不自由を見る。

◆世界化された言語脳が、世界に言論を問う不毛。

◆いかなるイメージも触発しないコトバとカタチになる。

◆言葉がピタッとハマったときは、言葉を超えてビビビッとくるもの。
これが、二元性の醍醐味。

◆言葉そのものは、もともとピタッとハマっているんだけどね。

◆私が私にピタッとハマったときも、私を超えてビビビッとくるものだよ。

◆「ビビビッ」に気をとられると、一瞥にとどまる。

◆「一瞥の振戦」は、肉体感覚と心得る。

◆「この私」は、わたしのサーキットブレーカー。

◆思考は、思考自身に「まだ見ぬ深淵」があるように見せかける。

◆思考そのものに奥行きはない。

◆執行猶予付きの無知に、ニヤニヤ居座らない。

◆「この私」という「踏み絵」

◆「踏む私」は絵の中にしかいない。

◆タイムマシンに乗るなら、過去でも未来でもなく「今」に還りましょう。
といっても、過去に行っても未来に行っても「今」しかないんだけどね。

◆「現在」から「今」に帰還する。

◆ひとつなのは意識であって、「世界をひとつにする」妄想は狂気の沙汰。
世界とは、もともと無限に分岐してあるもの。

◆「世界」をひとつの「有機物」に見立てない。
(「無機質に生きよ」という意味ではない)

◆肉体との同化は、世界を自他未分の有機物と錯覚させる。

◆超光速・無限「いないいないばあ」地獄

◆「心の痛風」という贅沢病。

◆解は一瞬
解読は一劫

◆「解読マニュアル」が、無限に増え続ける。

◆「マニュアルのマニュアルのマニュアル」

◆「引き寄せ」は、カルマのプラスチック・サージェリー。

◆「A-T-G-C」が私なら「A」「T」「G」「C」は誰なのか?

◆分離の不安が、崇高なものを宗教に貶めてきた。

◆崇めれば、崇高は隠れる。

◆崇高は、ただ創発の一点において知られる。

◆時空の反転のみでは自他は消えない。

◆宇宙は「先延ばし癖」の産物。

◆人生を誰かに見せる作品にしようとするから、気が重くなる。
誰もいないんだから、瞬間瞬間に完結する即興でいいんだよ。

◆「即興」とは「気まぐれ」ではない。

◆「即興」に徹するほど「今」は厳密さを増す。

◆「スピをやる」って「悟りをやる」ぐらい、奇妙な言葉だよね。

◆「スピをやめる」とかってもっと奇妙。
やったりやめたりするものじゃないし。

◆「宇宙から見れば人間なんてちっぽけな存在だよ」というけど、
相対的な「大きさ」で見ているかぎり、人間はちっぽけなまま。
肉体を宇宙の大きさに引き伸ばしたところで、何も変わらない。
宇宙の大きさには幻惑されるが、どこを切り取っても同じもの。

◆人間を「ちっぽけ」と卑下する無知は
「『空間的』に俯瞰した近視眼」ゆえ。

◆3次元における「俯瞰」は、転換以前の暫定措置にすぎない。

◆「近視眼的」俯瞰と「遠視眼的」俯瞰がある。
そのどちらも、肉体の眼に囚われた視点。

◆神は「巨人」ではない。
人間は「小人」ではない。

◆肉体が重荷のように思ってるけど、本当は肉体のほうが多次元的な知性の顕れ。
原始的なのは、私たちの認識のほうなのだ。
私たちは、ハイスペックな競走馬を乗りこなせない三流騎手のようなもの。

◆今は未だ、肉体を捨てる段階ではない。
肉体に学ぶ前に肉体を捨てれば、認識の進化はそこで打ち止めになる。

◆人間は「アタマ」「ムネ」「ハラ」の意志がバラバラだからエネルギーを
消耗するのだ。
本来「アタマ」「ムネ」「ハラ」それぞれの機能は独立しているのでバラバラ
でも構わないが、「ひとつの身体」の中で「この私」がそれらの意志を統治
しているという幻想がある限り、私の心身は疲労し続ける。

◆「アタマ」「ムネ」「ハラ」の独立性に任せずに、感覚と感情と思考が
混線した「統一体」を練り上げようとするから疲れるのだ。
例えば、各内臓は機能が独立しているが、それぞれの働きに任せているとき、
勝手に協調している。
「アタマ」「ムネ」「ハラ」も、そのように協調してもらえばいいのだ。

◆脳が知覚し得る闇と光は、もどかしいほど薄ぼんやりしている。
存在を射抜くような闇と光を、私たちは確かに記憶していた。

◆準恒星状天体「クエーサー」は、太陽の数百兆倍の明るさで輝いているという。
「イメージに限界はない」というけれど、その明るさを想像できないのは、
私たちのイメージが肉体の記憶に限定されているから。

◆限界のないイメージは、五感を超えた「インパクト」として響くもの。

◆イメージを物理に落とし込むとき、世界は五感の閾値に補正されるのだ。

◆サマタのヴィジョンは主観的に「現実世界」の解像度を超えているが、
解像度と解輝度が上がりすぎると、脳による認識は役目を終える。


ドラゴン5
ドラゴンフルーツ(火龍果)
柱サボテンの果実。
花言葉「永遠の星」


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【#スターシップ #炎上生法 #ルーティン 覚醒からのつぶやき 85】     

2022/07/30

初雪草3
夏が旬の「初雪草」
花言葉は「好奇心」
英名だと「幽霊草」
乳液に強毒性あり。
やっぱり夏が旬だ!


◆凡夫の「記憶力」
覚者の「忘却力」

◆「自分軸」という名の「自分自苦」

◆「自分軸」は自分が消えるところにある。
自分のイメージする自分軸を自分で作れば、
自分軸自体にがんじがらめになる。

◆完全に自分軸そのものになったら、
何も認識されない。

◆その自分軸は、世間軸です。

◆「あってもなくてもいい」とき「あってもいい」をとるか
「なくてもいい」をとるか「あってもなくてもいい」をとるか、
それが私たちの分かれ道。

◆100%思い通りになっても100%思い通りにならなくても
同じ理解に至るが、99%になったとたん疑いはじめる。

◆「五感」も「一感」も「百感」も、違いはない。

◆覚醒体験は「無感」でも「六感」でもない。

◆「世界の行方」と「自己の行方」を同一視しない。

◆「私の世界」を統治しない。

◆「創造主」とは「創造」が前提の「主」であるということ。

◆「主」は、君臨を余儀なくされる。

◆「この私」は、世界の特級呪物。

◆「俯瞰」は視点の暫定措置。

◆全方位俯瞰は、空に収まる。

◆空間に麻痺し、時間に気絶する。

◆言語同様、認識の「リエゾン(連結)」「アシミレーション(同化)」
「フラッピング(弾化)」「リダクション(脱落)」「ウィークニング(弱化)」
に気づこう。

◆「真我」に対して「偽我」があるわけではない。

◆「真我」は「我の真」ではない。

◆「真我」は「我」の上位次元にない。

◆「真我」と「潜在意識」は無関係。

◆「潜在意識」は二元性の幻想。

◆覚醒に顕在意識と潜在意識の区別はない。

◆個人的に「真我」という言葉は使わない。
誤解を招きやすいので。

◆「虚」と「無」を混同しない。

◆「この私」は世界の「出オチ」に気づいていない。

◆記憶の圧縮と解凍で、飛び飛びにフリーズしている。

◆「複雑=混沌」ではない。

◆「複雑=雑然」ではない。

◆複雑性そのものは、シンプルなパターン。

◆世界の混沌とアタマの混乱を同一視しない。

◆3つまでしか数えられない原始人は「頭が悪い」わけではない。

◆原始人は、4つ以上のものを見て混乱するわけではない。

◆「一なるもの」は単一ではない。

◆「いまここ」を念仏にしない。

◆「さっきそこ」が「いまここ」を唱えている。

◆「いまここ」の迷子「いまどこ」

◆「いまここ」教の弊害。

◆「バカ」は愛しい。
「バカな人」は哀しい。

◆「バカな人」にならない。
ただ「バカ」であること。

◆人は数に叡智を見る。
神は数に自然を見る。

◆大乗は、衆生をどこかへ「運ぶ」わけではない。
植え付けられた「スターシップ」幻想を解こう。

◆「直観」は「時間短縮」のツールではない。

◆「直観」と「スピード」は比例しない。

◆「0.1秒の直観」も「1億年の直観」も同じだが、思考は1億年を
「1億年かけて」長考してしまう。

◆人は1秒を「1秒」に当てはめる。
だから、個々のリズムが狂うのだ。

◆「世界をわかりたい」期待か「自分をわかりたい」期待か。
「世界がわからない」後悔か「自分がわからない」後悔か。

◆名もなき者にも名前はある。
そこに矛盾などない。

◆当然、名もなき著名人もいる。

◆「何者でもない者」を「何業者でもない者」と混同しない。

◆自なき「尊心」

◆蜻蛉が浮くように
水黽が浮くように
ただ浮いている。

◆肉で浮こうと藻掻かない。

◆「実感」を固形化しない。

◆「この私」は「どの私」を愛すべきか探し続ける。
「どの私」なる問いは「この私」を分割していく。

◆愛に指示代名詞はない。

◆私は「生みたての自分」を尊敬する。
私は「死にたての自分」を祝福する。

◆過去をやり直したいと思ったことは一度もない。
未来を選び直したいと思ったことは一度もない。
過去と未来に対して、触手が1ミリも動かない。

◆「共感」は求めない。
「感」だけがある。
「理解」は求めない。
「解」だけがある。

◆疑似進化は「時空の超越」ではなく「時空の効率」を求めている。

◆疑似進化は、心身を利己的に形骸化させる。

◆「規則正しさ」は、均一ではない。

◆“123123123”という、宇宙Aがある。
“948925375”という、宇宙Bがある。
有限の存在に、Bの法則は見えない。

◆呼吸はルーティンではない。
鼓動はルーティンではない。

◆生死はルーティンではない。
生滅はルーティンではない。

◆圧縮と誕生はセットだが、誕生に爆発は必ずしも必要ではない。

◆圧縮を緊張で代替しない。

◆緊張を生の起爆剤にしない。

◆「ストレスをかけると進化する」「使わないと退化する」
システムからの解放。

◆「モノを見る目」と「コトを見る目」の癒着を剥がす。

◆ウラを見る人は、鼻は利くが目は悪い。
そして、耳はまったく聴こえていない。

◆「ウラを知る人」と「ウラを見る人」は、目の奥行きが異なる。

◆「世界のウラ」と「自己のウラ」を混同しない。

◆「ウラオモテ」は完全なる肉体感覚。

◆二元性は「超える」というより「抜ける」。

◆「抜けた」目の奥に「ウラ」はない!

◆「他人」とは、意識が物質化したもの。
肉体のない死人でさえ物質化している。

◆幽霊は、肉体に属する。

◆「他人がいる感覚」の源は「自分がいる感覚」の源と同一。

◆「自他」という「炎上生法」


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