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【神の視点とコロナウイルス】 ~リアル氏の動画から考える~     

2020/03/18

前回のブログ「ワーク開催中止」記事から約2週間が経ち
ましたが、その間にも情勢は悪化しついにパンデミック宣言
が出されました。

私は前回この騒動に対して
「個人的にはそれほど心配はしていない」
と綴りました。

この言葉は
「すべては完全に自動的に起こっていて
自身で行っていることは1mmたりともない」
という、私自身の経験からなる基本的スタンスから
発せられたものです。

究極的には心配しようがしまいが、自身でできることは
一切ないのでただ傍観するしかない、ということです。

(本当に笑ってしまうほど何もしていないし、圧倒的な力と
速度の「エネルギーの多次元的ジグソーパズル」において
この私たちは何かできうるはずもないのです!)


この時世にこのような物言いをすると世捨て人的な無責任さ
を感じるかもしれませんが、傍観といってもこの世界における
現象に無関心になったり投げやりになったりするわけではあり
ません。
(この辺りは、修行体系によっては「無執着」という
名の「無関心」に陥りやすく注意が必要なところです)

傍観とは、この私の「態度」ではなく「構造」なのです。


そしてまた、「起こることが起こっている」という現象世界
において、「この私」にはやはり「心配」が起こったり、
目の前の物事に対処しようという「意思」が起こります。

「起こることが起こっていること」と「この私が何かを思い
行動すること」、この2つに矛盾はありません。
(ワークでお伝えし体験していただきたいのはこの核心です)

なぜならば、現象に顕われた私と傍観する私とすべてを
起こしている私は、同一のものであり単にフォーカスの
違いにすぎないからです。


その意味において、この私はどのフォーカスの層においても
そこで起こっていることに対してアプリオリに受容し、すでに
してすべてを信頼してしまっているのです。

「信頼してしまっている」から「存在している」のです。


そこには起こっている現象に対する文句を言う相手も
怒りをぶつける相手もおらず、すべてが自分自身から
はじまり自分自身に還ってきます。

仮に「別の層の私」に対して怒りをぶつけたとしても、
ひとたび現象の顕れの構造を知れば、それは完全なる
「独り相撲」であって他者という亡霊を相手に独り相撲を
続けることは「この層の私」にとってはエネルギーを消耗
させるだけだということを知ります。

それは自分自身を分裂させ痛めつけることです。


もちろん、この「痛めつけられている」という感覚自体も
幻想です。

すべての私はそのことを知っているのに、痛めつけられている
この私だけが、分離した幻想に産まれ、幻想に生きているのです。


かといって、これも誤解しやすいのですが「すべての私を統合しな
ければならない」という思い込みはますます分離の幻想を強めます。

「この私」が「すべての私」と合一し、究極的な意思を知ろうと
などとゆめゆめ思わないことです。

「この私」は「この私」の知りうることのなかで自身を信頼し、
ただ存在しているだけですでにして「すべての私」の顕われ
なのです。


この視点をふまえたうえで、今回のウイルス騒動に
関してパートナーのリアル氏( ⇒「リアルワールド」 ブログ
が動画で語っているのでご覧ください。




この動画を出すときにリアル氏は「これは少し難しいかも
しれないな」と漏らしていました。

なぜなら、これを語るときのメタ的視点が理解されていないと
ウイルス騒動をスピリチュアル的にお気楽かつ人ごとのごとく
傍観しているような誤解を生むかもしれないからです。


リアル氏はここで「神」という言葉を使っていますが、これは
上記の「すべての私」の最上位概念にあたります。

「神」を現象側からとらえて擬人化するならば、動画で語って
いる「進化」とは神の意思であり計画であるともいえます。


進化とはなんでしょうか?

現象世界における進化は運動の法則のなかで起こります。

リアル氏が動画の中でいっている慣性の法則も3次元的な
顕われのひとつです。

すべての次元において進化とは「〇〇し続ける」という
前提のもとに起こっていきます。

(当たり前といえば当たり前の話ですが…動き続ける
ものがなければ何も認識されえないという意味では、
進化とは世界の存続そのものともいえるでしょう。
また、「止まり”続ける”」ことは無ではなく、動き続けて
いることと同義であることに注意してください。
ただし、直線的でない時間の次元においては「続く」という
概念と認識は全く異なってきます)


進化の純粋なエッセンスとは、生物的な形態や知性の発達の歴史を
包括したうえでの漸近的な「視点のシフト」です。
(なぜ「漸近的」なのか…それは限りなく近づいても永遠にそれ
そのものには到達できないからです)

この3次元の世界において神という概念を立てるとき、
視点のシフトとは、この私はすべての私の意思と連動している
者であり、私が存在していることが即、すべての私=神の意思
であることを知ることです。

これを知ったとき、私の見ているものは即、すべての私が同時
に見ているものであり、すべての意思が同時に発動している
ものであることを理解します。


リアル氏が動画で言わんとしていることは、現象世界の私たちは今、
進化のプロセスの過渡期にありながら、 ウイルス騒動という
ひとつのテキストによって、神への信頼と態度が問われている
ということではないでしょうか。
(これを、魂の霊的進化を基本とするスピリチュアリズム的にいえば
「お試し」ということになります)


とはいえ「私たちは人類の進化のため奉仕しなくてはならない」
などと焦燥感や使命感に駆られる必要はありません。

それどころか、「進化しなければならない」という強迫観念は
その想いが強ければ強いほど視点を固定化し、想定内の限定された
結果しか生みません。


そうではなく、ただシンプルに一人の存在としてそこにありつつ
信頼と自己受容が起こればそれが結果的に奉仕となり、進化に
つながると思うのです。

自身であることへの信頼なくして幻想の大局に奉仕しようと試み
ても、その熱意は渇望感のすりかえと依存であり続けます。


私自身は神や魂という言葉はあまり使わないようにしているの
ですが、「信頼」という態度は最重要視しているものです。

その意味で私自身にも現象世界においては日々、大小様々な「お試し」
が起こり、そのつど信頼を問われ続けています。


************

先日、近所の小さな神社の前を通りすがったとき、年配の女性2人
が境内の掃除をしているのを見かけました。

普段は誰も見向きもしないような裏寂しい気配の神社で腰を屈めて
隅々まで手入れをしながら
「こういうときこそ感謝、感謝よ、チャンスなのよ!」
と声を掛け合って笑っていたのです。


私はそこに、その女性たちの素朴な形の精神の表現を見出だして
思わず一緒に笑いたくなりました。

表層的なスピリチュアリズムからすれば、神社・掃除・感謝が揃うと
ああいかにも…といった感じがするかもしれませんが、そのとき
その行為には他意や屈託が微塵もなかったのです。



関連記事 ⇒ 「神の通訳者」 ショーン・ボルツと神の愛の証明

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「3月のワーク開催中止」と「メール個人セッション」について     

2020/03/05

【3月のワーク開催中止】

※3/21(土)に予定していました東京ワークは
新型コロナウイルスの状況を考慮し開催中止と
なりました。

個人的にはそれほど心配はしていないのですが、
ここ1か月ぐらいは様子を見たほうがよいと
判断しました。

次回は4/11(土)頃 5月初旬頃の開催を予定しており
ますが、今後の状況によって日程が変更となる場合があります。


****************

【メール個人セッションについて】

※ワーク中止の代替として、ご希望の方へメールでの
個人セッションを行うことにしました。

いただいた質問に基づき、参加者さんの心身やエネルギー
の状態を具体的に見ていったうえで、各自の停滞しやすい
パターンやポイント、どこをどのように取り組んでいけば
よいのかをお伝えします。


【参加条件】

・過去にRubin's work のワークに参加したことのある方
(今後も不定期でメールセッションを開催する場合があり
ますが、参加希望の場合はまずはワークにご参加ください)


【メール受付期間】

3/9(金)~3/20(金) 3/20(金)~ 4/30(木) まで期間延長しました


【参加要項】

・メルマガにて詳細をお知らせしております。

⇒メルマガ登録はこちらから


【質問内容について】

・メール内容は曖昧な質問、抽象的な質問、学術的な質問、
哲学的な質問、興味本位の質問等を避け、ご自身の今現在の
状態に即して本心から本当に知りたいことを具体的に質問
してください。


・日常での気づきや体験についてレポートしていただいても
構いませんが、単なる感想ではなくそのことがご自身の存在
と意識にどのように響きフィードバックされたかにフォーカス
してください。


・過去の経験や心理的な問題などについて記載していただく
場合はそれらが今この瞬間にとってどのように影響しているの
かをご自身でいちど熟考してみたうえで対処法についてご質問
ください。


・質問例:
ご自身の日常や瞑想、これまでのワーク参加の体験
に基づいて、
「意識のこの部分のここがわからない」
「ワークをやってみた結果このポイントから先に進めない」
「このポイントにくると意識が曖昧になってしまうがその理由
が自分ではつかめない」
「繰り返し顕われる思考や心理的パターンが集中力の邪魔を
しているようだがどのように対処したらよいのかわからない」
「このワークをやってみた結果、エネルギー感覚や身体感覚が
曖昧だがどのように進めていったらよいか」
「対象のない祈りの状態でこのような直観が起こったがそれに
従うべきかどうかわからない」
「自分ではこの方向へ進んでいけばよい気がするがなかなか
進展しないので確信がもてないのでどうすればよいか」
等、具体的に質問してください。


・「覚醒とは何か」「覚醒とはどのような状態か」といった
概念的な質問については拙著を各自でご参照ください。

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* このブログの過去の記事でも読むことができます 
⇒無料全文掲載はこちらから


・拙著の内容についての質問でも構いませんが、その場合は
必ずご自身の体験に基づいたうえで自身の感覚と照らし合わ
せてどこがどのようにわからないのかを具体的に質問して
ください。


・上記を読んで具体的な質問が何かがわからない場合は無理
に質問する必要はありませんが、今まさにこの瞬間、ご自身
の核心にとって具体性とは何かをこの機会に考えてみていた
だければと思います。
ワークの基本スタンスは徹底的に「今、自身そのものがどう
であるか?」を核心から問いつづける(気づきつづける)
ことであって、自身の物語やイメージを外側から語り他者
からの承認を求めることではありません。


・リピーターの方は、これまでワークで行った「対象のない祈り」
「丹田の奥の意識と肉体のあいだ」「居座らない座法」
「ニュートラルな姿勢」の状態を整えたうえで質問が存在の
奥底から直観的にでてくるのが理想です。
この直観による問いが存在から直接発動するようになると、
どこをどのように具体的にしていけばよいのかを自ら気づける
ようになり瞑想が勝手に進んでいくようになります。
今回のメールセッションはその前段階としてまずは意識的
に問いを起こすワークとして活用していただければと思います。



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