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【9/5(土)18:30~21:30 「東京ワーク参加募集」 】          

2020/08/19

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

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⇒ Amazon 販売ページはこちら


9/5(土) 18:30~21:30 
定員に達したため締め切りました。次回は10/10頃に開催予定です。


場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにて
ご案内しております。


◆今回は、

・集中力の限界を突破するポイント
・「対象のある能動・受動のあいだ」から
「対象のないあいだ」へ
・無限に分割される重心と空
・呼吸の秘伝的ラインと気づきの発火
・一点集中から全方向開放の気づきへの移行
・インテンションから自我を抜く
・インテンション単体に触れるには

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる
場合があります)



◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。

・従来比で約2倍の広さの会場使用
・参加者間の十分な距離を確保
・窓2面および入口を開放
・息のあがる運動はしない
・参加者に新品マスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

【8/11 (月・祝) 東京ワーク】~所感と解説~
http://rubins-work.com/blog-entry-82.html

【1/12 (日) 東京ワーク】~所感と解説~ その1
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html

【1/12 (日) 東京ワーク】~所感と解説~ その2
http://rubins-work.com/blog-entry-69.html



※参加ご希望の方は、
拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガの
ご登録をお願いします。

⇒メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため
少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合が
ありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メール
が届いていない方がいらっしゃいましたら迷惑メールフォルダを
ご確認ください。


***************

※ツイッターはじめました※
@Rubins_work
https://twitter.com/Rubins_work


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【#あるがまま #無我 #テンセグリティ 覚醒からのつぶやき 1】        

2020/08/15

植物
宙に浮いて何年もうちにいるティランジア
(エアプランツ)


◆現象世界は音楽でありダンスである。
フィーリングに淫することなく実存で聴き、実存で弾もう。

◆3次元の悟りとは、音をハラの奥底で見ることである。
これは比喩ではない。

◆覚醒とは、常に「それそのもの」である。
それは音に例えるならば、響きの発生そのものとしてある。
響きを聴いてしまってからでは遅い。
聴いてしまった音とのズレが「この私」なのである。
音に触れて忽然と悟るとき、私が響きとしてあるのだ。

◆「聴いてしまった音」と「私」とのズレは、直列的な時間差を
縮めることでは解消できない。
そこにはアキレスと亀のように永遠に埋められない距離がある。
気づきだけに特化した瞑想はこのパラドックスに陥ることがある。
気づきと対象が並行線をたどり続けてしまうのだ。

◆怒りを決して消そうとしないこと。
思考による無執着は二元性を強化し気づきの感度を鈍くする。
怒りの出ない人格者になってから悟ろうとすればその意図自体
が手の届かない未来を生む。
覚醒は怒りそれ自体としてある。

◆怒っている自分を未熟と考え責めたくなるのは未だかつて
「怒りそのもの」との合一に出会っていないからだ。
純粋な怒りの中心は「意味」が落ちている。
合一においては「怒りそのもの」も「平安そのもの」も一瞬の
スパークとともに怖ろしい静寂に消え入る。

◆私たちは一定の同じ刺激が続きその刺激に網膜の細胞
が慣れてしまうと、見ていた対象物自体を認識できなくなって
しまうのです。
つまり、私たちは常に「動き続け」「刺激を受け取り続ける」こと
によって世界という顕れを持続させているということになります。

◆私たちをこの「動き続け」「刺激を受け取り続ける」ことによって
「何者かの意思によって」世界を成り立たせるための「盲目的な奴隷」
であると捉えるならば「この世は苦である」といえるかもしれません。
しかしそうではないのです。
「私たち」も「何者か」も擬人化されたイメージにすぎないのです。

◆△「神は(有限面の)サイコロをふらない」
〇「神は(無限面の)サイコロを『ふる=ふらない』」

◆瞑想は心を落ち着けるために行うのではなく、落ち着かない
どの瞬間にも落ち着きがあることを発見するためにある。

◆美学を持った瞬間、美は消える。

◆「美学」にすり替わった探求は、意識と自己イメージを固定化する。
探求は「生き様」や「センス」の主張ではない。

◆意識は変容しない。
意識はすべてをただ映しているだけだからだ。
認識は変容する。
制限が外されると、もともと映っていたものが新たな見え方
で掘り起こされ発見される。

◆「今ここ」という言葉の呪縛から解放されよう。
「今ここ」は「瞬間」ではない。
例えば、ある人が幻想に気絶したまま100年の一生を終えたとする。
そのとき、その人の「生まれてから死ぬまで」の100年の時間の
流れ自体が「今ここ」にある。
「今ここ」は無限に伸び縮みする。

◆テンセグリティ構造は3次元の覚醒感覚に近いものがあります。

◆3次元的な感覚としては無限の相似形のテンセグリティ構造
のどこか一辺が崩れるとパタパタパタッと全体が組み変わって
常に変化しつつ世界のテンションを保ち続けるといった感じです。
世界には支点がなく、無限の組み合わせからなるテンション
それ自体がバランスを保っています。

◆テンションには支点がないため独特の浮遊感覚があります。
多次元はこの構造だけでは説明できませんが、バックミンスター・フラー
は3次元的な覚醒に直観的に触れていたのだろうなと思います。

◆光速に近づいて進行方向以外の光が届かなくときの見え方
(暗闇の中に丸いのぞき窓のような光と景色)、現象世界の1コマ
に吸い込まれる一瞬前の見え方に似ています。
世界の速度に認識速度が同化したら「のぞき窓の枠」は消える。

◆ワークは「完璧に美しい無心のバカ」になってよい場です。

◆突発的に何らかの神秘体験が起こっても、衝動にまかせず
最低3年はあらゆる角度から検証し、日常レベルでのすり合わせ
を行っていくべきである。
一時の体験にアイデンティティを持てば、体験した自分を守るため
に例外なくヒステリックになっていく。

◆道の途中に顕われてくる共時性の奇妙さにオカルト的な興味
を持つべきではない。
それは夢において時系列がランダムに展開する仕組みと同じである。
夢に興味を持てば、夢にとりこまれる。

◆時間の幻想が見切れてくると、あり得ないような偶然や
シンクロニシティが頻発してくることがある。
(それらは脈絡のないものであって、いわゆる「引き寄せ」のように
自身の望みどおりの展開になるわけではない)
これは直列的時間を采配していた引力に緩みが出てくるために起こる。

◆宗教性を取り除いたマインドフルネスは、核心部分が
抜け落ちている。
宗教性を嫌うのはその背後の実理性を見抜けていないからだ。
とはいえ多くの場合、宗教は宗教性の集団幻想によって
成り立っているのもまた事実である。

◆いかなる経典や教義にも自身の体験を「寄せて」いってはならない。
もちろん、それらは発心の縁となる場合もある。
しかし、いったん縁がついたら忘れたほうがよい。
それらは、体験の後から「答え合わせ」に使うべきである。

◆もし伝統的な修行体系で何かを悟ろうとするなら、メソッドの
「つまみ食い」はしないほうがよい。
エゴによるつまみ食いは、エゴを太らす餌となる。

◆一瞥体験者であっても、鋭利な認識は自覚的に磨く必要があります。

◆「幸せ」を時間の流れにおいてつかんだとしても、そこでは幸せな
状態を引き延ばそうとする貪りと、消えてしまうのではないかという
不安と、手に入れてしまったという慣れと退屈が起こる。
こうして人間は次から次へと新しい幸せを強迫的に求め続ける。
この欲求が世界の夢を存続させているのだ。

◆「この世は苦である」という教義は特定の共通認識へ向けた
方便である。

◆苦を心理的な「私(たち)の苦」ととらえれば「私の思い通りにならない」
ことのすべてが苦になるが、例えば今ここに「石ころがあることそのもの」
と「世界が思い通りにならないことそのもの」の本質としての空はまったく
同じものであってそこに対象化された苦はないのだ。

◆「苦そのもの」が私であるとき、苦も私も存在しえない。
その本質を見抜くことが覚醒である。

◆「無我」が先か?
「合一」が先か?
そんなことは些末な問いにすぎない。
どちらにしても先も後もないのだから。

◆あるがままの世界を本当に見たら発狂する。
この認識の鈍さは発狂しないための慈悲による。

◆純粋な慈悲は覚醒側からしか起こらない。
慈悲は現象側の個対個で起こるものではない。
見かけ上エゴ感覚が少なくなったときに慈悲に近い意識に
アクセスはできるが、本当の慈悲そのものではない。 

◆ 覚醒側の慈悲は、人間から見て必ずしも「慈悲的」ではない
場合もある。
人間が、すべて思い通りにいかないのもその理由である。

◆たとえば瞑想において最後の通過点を目の前にして慈悲が
手助けするかしないか、しない場合もそれは慈悲ゆえなのである。
覚醒側からの慈悲はいまこの瞬間も常にすべてにおいて働いている。 

◆今、世界が生まれた。
あなたがいなければ世界は生まれなかった。
あなたがあなたという存在を引き受けてくれたから世界は生まれた。
あなたが寸分違わずあなたであったから、たった今、世界は生まれた。
その奇跡を見せてくれて、ありがとう。

石
デザートローズ(砂漠の薔薇)という名の石


関連記事 
⇒【#自我とメタ認知 #人格と霊格 #宇宙 覚醒からのつぶやき 26】
⇒ 【#魂の合格 #高次の自己 #発心とは 覚醒からのつぶやき 70】


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【直接知覚の世界とは? ~ 0.2秒の気づきの壁 ~】      

2020/08/14

【気づきの限界を知るためのイントロダクション】

肉体の目には左右それぞれ盲点(マリオット暗点)があります。

眼球の裏側に視神経の束があって、この部分に集まった光の信号
は脳に届きません。

images.jpg



【実際に盲点を探そう】

左目をつぶり右目で左側の●を見続けます。
動いている右側の●が消える位置が盲点です。

gif 506


ちなみに脊柱動物には盲点がありますが、タコやイカ
などの軟体動物には盲点がありません。



【脳による盲点の空白の補完】

左目をつぶり右目で+を見続けます。
+に向かって頭の位置を近づけたり遠ざけたりすると
■と■の間の空白がなくなる位置があります。

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【サッケード※による視界の暗点ポイントを探そう】

※不随意の眼球運動(固視微動)における断続的な飛躍運動

images.png

人差し指を立て、左右の視界に入るギリギリまで両腕を広げます。
頭を動かさずに左右の人差し指を交互に見ます。
すると一瞬、目の前が真っ暗になるポイントが見つかります。


私たちが自覚しないうちに、この1/10秒ほどの暗点がなんと一日
に数十万回繰り返されています。

私たちが認識しているのは、盲点の空白やサッケードの暗点を
脳が編集・補完した世界なのです。


また、私たちは何か特定の対象に注意を向けた瞬間、対象以外
の知覚が0.2~0.5秒ほど低下します。

この間に認識に空白とゆらぎが生じるのですが、この空白も脳が
即座に編集・補完することで無視されます。


注意が肉体の目と無意識に連動していると、視覚的な世界のみ
ならず、五感に触れるあらゆる認識が自動的に編集・補完されて
いることに気づけません。

そのために、意識が特定の注意にひっぱられずに内部の目に
ただ「映っている」認識にシフトしたいのです。

シフトした認識は、0.2秒の手前の世界を映しています。



【脳のパルスと0.2秒の気づきの壁】

脳は1/4秒毎にパルス(拍動)を出しておりその都度、何に集中(注意)
するかを切り替えているという研究結果があります。

人間はパルスとパルスの間の知覚していない空白を脳内で編集して
つなぎ合わせています。

これは進化の過程で、一つのものだけに注意が集中すると敵の
存在に気づかず襲われる可能性が高いため、パルスによって
注意の優先順位を1/4秒毎に切り替える仕組みになったと考えら
れています。


ヴィパッサナー瞑想において、集中力が高まると気づき(サティ)は
自動的に0.2秒毎程度まで分割されパラパラと断続的に細かく入る
ようになります。

0.2秒毎というのは、目と脳の編集機能や注意のパルスの理論から
みても、人間にとって認知できる最小単位ということができます。
(「人間の認知は0.1~0.2秒、実際の世界から遅れて起こっている」
というのはまた別の話です)

実際、このレベルになると確かに非日常のありえない世界と、認識発生
のはじまりの現場が見えてきます。

ただし、0.2秒に分割された認知はあくまでも3次元の直列的時間上の
人間としての体験であって、未だ気づきと対象物が高速で交互に顕われ
ているにすぎず、この見え方自体が現象世界の直接知覚というわけでは
ありません。

例えば昆虫は0.2秒以前のさらに細かく分割された世界を知覚しています。

※参照「ハエをなかなか仕留められないのはなぜか?」



現象世界は無限に分割されているため結局のところ、認識以前の
気づきのベースそのものに「映っている」ことだけがある意味、
すでにして直接知覚といえるのです。



【遠隔透視で読み取る0.2秒前の世界】

10年ほど前、遊びでリモートヴューイング(遠隔透視)の練習をして
いたことがあるのですが、これが意外なほど気づきの瞑想の高度な
レベルの意識状態に近いものがあって面白いのです。
(真面目な修行者からは怒られそうですが…)

※イデオグラム例
ダウンロード


基本的な方法として、透視するターゲットの情報をイデオグラム
といわれる線を描いて読み取るのですが、この線はターゲットに
割り振られた番号が読み上げられた瞬間、思考やイメージが認識
にのぼる前(すなわち0.2秒前)に自動書記のように素早く描きあげます。

※イデオグラムを描く様子 (0:55~)



この線には0.2秒以前に直接取得した情報が含まれているので、描いた後
から線の上をペンで細かくたどっていきつつ直観的に脳裏に映し出された
ヴィジョンや情報を読み取っていきます。

この直観自体にも一切思考を働かせません。
思考を伴ったイメージが出てきたら厳密に排除します。

自分自身の想像力からくる連想もすべて切り捨てます。
そうなるともはや「自分がやっている」感覚はほとんどありません。

結果として、コンディションによってはびっくりするほどターゲットと近い
ものが読み取れたりするので、私たちの認識下では膨大な情報が
認識されないまま流れていっていることが実感できます。

ここには何か神秘的な能力というものではなく、普遍的な意識の
メカニズムが働いていると感じられます。


リモートヴューイングはもともと軍事目的で開発されたものですが、
初期メンバーのマクモニーグルは日本での超能力捜査官としての
キワモノ的扱いとは異なり、著書「遠隔透視ハンドブック」によると
「リモートヴューイング道」ともいうべき、思考をはさまず純粋な状態
であるための厳格な瞑想修行者のような境地で臨んでいるようです。

⇒「遠隔透視ハンドブック」
HON.jpg



関連記事 ⇒ #内部の目の開発 【10/20(日)東京ワーク ~所感と解説 その2~】

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#ニュートラルポジション 【8/11(月・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】    

2020/08/12

8/11(月・祝)東京にてワークを開催しました。


FullSizeRender2.jpeg
<姿勢調整の様子>


今回は半年ぶりのワーク再開ということと、ウィルスにより今後の
開催状況が読めないこともあって、時間を延長して8時間の長丁場
となりました。

長丁場にもかかわらず参加者の皆さん全員、集中力がとぎれず
最後まで熱心に取り組んでいただきました。

プログラムとしては初参加のも方々もいらっしゃったため、基礎の復習
も兼ねて「何をどう気づいていくのか」「一歩先の集中力と気づき」
ということに焦点を合わせました。


*****************
【今回の主なメニュー】

※それぞれのワークの方法と解説については
下記にある過去記事を参照してください。


・軸に消えてあるためのエクササイズ
http://rubins-work.com/blog-entry-60.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html

・型と放心が両立してある状態になる
http://rubins-work.com/blog-entry-60.html

・意識を点にする居座らない座法
http://rubins-work.com/blog-entry-60.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html

・呼吸とともに丹田の奥底の抜け道を見つける
http://rubins-work.com/blog-entry-66.html

・肉体の目と内部の目の見え方の違い
http://rubins-work.com/blog-entry-43.html
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html

・内部の目で全体と局所を同時に映す
http://rubins-work.com/blog-entry-43.html
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html
http://rubins-work.com/blog-entry-73.html

・インテンションのベクトルとはじまりを見切る
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html

・意図が落ちたインテンションの感覚を知る
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html

・能動と受動のあいだにあること
http://rubins-work.com/blog-entry-69.html
http://rubins-work.com/blog-entry-72.html

・ハートの振動の発生と触覚
http://rubins-work.com/blog-entry-38.html
http://rubins-work.com/blog-entry-52.html

・対象のない祈りの型と放下
http://rubins-work.com/blog-entry-39.html

・ダイブ&スキャンで集中レベルと行き止まりを探る
http://rubins-work.com/blog-entry-73.html



*****************
【所感と解説】


今回は、これまでより時間が長くとれたこともあって、
参加者さん一人一人の心身の状態をより細かく把握し
各自の突破口を見つけることに注力しました。


上記メニュー最後の
「ダイブ&スキャンで集中レベルと行き止まりを探る」
というのは以前ワークでちらっと行ったことのある「禁じ手」
的な手法です。

参加者さんがどのレベルで集中し、どのレベルで肉体と同化
し、何がその先へ深く入ることを妨げているのかを、意識と身体
に私が直接アクセス(意識にダイブしてベクトルと行き止まりの
位置をスキャンする)して把握していきます。


本来の修行体系であれば、意識の限界ポイントと突破口は自身で
気づいていくべきところなのであまり大っぴらにはできないのですが、
皆さん限界ポイントの感覚まではご自身で把握できるレベルだった
ので、この段階ならば害はないだろうとの判断で行いました。

いつも同じポイントでもやもやと気絶してしまって先に進めない
ことで諦めてほしくないからです。

この限界のポイントにはメカニズム的に明確な理由があるのにも
かかわらず、その先に進めないことを「カルマが悪い」「才能がない」
と短絡的に結論づけないでいただきたいのです。

もちろん、集中の微細な糸をたどっていくのは本人自身です。


ちなみにこれはスピリチュアル的な神秘の力や霊能力のようなもの
ではなく、あくまでも心身のメカニズムに沿った微細な意識によって
バランスとベクトルを直接感じとっています。

存在に落ちて相手がハラに在れば、行き止まりになっているポイントに
達したときの感覚や、その時の意識状態というのははっきりと自身の
ものとして感じ取れる(スキャンできる)のです。

そのとき相手は私の中で直接、呼吸しているからです。

これは、存在の覚醒が起これば誰でもできるようになります。


今回は参加者さんが呼吸とともに丹田の奥の「場所のないところ」
に深く入っていくプロセスを肉体側に近いレベルでスキャンし、各自
のエネルギー量や呼吸の深さと微細さ、肉体感覚の先まで意識が
入っていけているかを把握し「今、そこでふらふらっと迷った」
「この位置で集中がとぎれた」「この先でもう一歩奥へ入ってください」
「ここで気絶した」といったことを直接お伝えしていったのですが、
参加者さん自身が丹田に集中しつつ同時に即座に修正することは
未だ難しかったようでした。

なぜ難しいかというと、丹田への集中がサマタ瞑想単体になって
いるレベルだからです。


この段階では一点集中のサマタ瞑想で構わないのですが、内部
の目の確立と鋭利な気づきが自動的に発動している状態でないと
「アドヴァイスを聞いて修正しよう」と意図したとたん、一点集中が
崩れてしまって肉体の呼吸に戻ってしまうのです。

それでも、日常の肉体レベルに同化した意識ではなく、より深い
レベルでお伝えしようとしているポイントは直接伝わった感触は
得られました。


次回、機会があればさらに微細なレベルで各自がどのように限界
を突破しどのように存在そのものへの抜け道を通り抜けるかを
ダイブ&スキャンでナビゲーションしたいと思います。
(あくまでも禁じ手なので依存に気をつけつつ)



参加者のSさんはもともと繊細な観察力と集中力を持っている方
なのですが、植物のように繊細すぎて「限界まで見続ける」ため
のエネルギー量が不足しているのと、かなり深いレベルとはいえ、
あるポイントにくると意識がふわっと曖昧になり気絶していってし
まう様子が見て取れました。

この方の場合は通常とは逆に、エネルギー不足による肉体感覚の
希薄さがネックになって丹田の奥を見るときに早い段階で肉体と
イメージの境界線に達してしまうことと、境界線上で起こってくる現象
にある意味、誠実に集中=同一化したまま意識が消えていってしまう
というパターンです。

この状態はご本人も正確に把握できています。


それに対するアドバイスとしては、丹田を見るときの一点集中のサマタ
に加えて、内部の目に軽く留意を残しておき、最後の最後に起こってくる
イメージに100%同化せずに数%の気づきの留意を発動させておくように
とお伝えしました。

最終的な存在の覚醒においては気づきと対象の分離はなくなるのですが、
合一するポイントはこの段階ではないのです。

この段階で対象と合一すれば、気づきの伴わない「自他『未分』」の赤ちゃん
のような状態のまま気絶してしまいます。


そうではなく、この段階ではどの対象にもくっついていないホバークラフトのよう
な気づきの自動化を発動させたいのです。

そして、この発動には重力を引きはがすようなエネルギーを必要とするのです。



また、Fさんは武道をやられていることもあって丹田のエネルギーは強いのですが、
肋間筋が固いため胸呼吸になりやすく、無理やり丹田に集中しようとすると肉体
の意識にぶつかってしまい、肉体と意識の境界線の抜け道を見つけづらい状態
でした。

ただ、もともと瞬発的な集中力はある方なので、ダイブ&スキャンによる心身の
多少の調整と、ご本人の純粋な取り組みによってワークの最後にはかなり高度
なバランスの状態に入ることができました。


この状態にはちょっと目を見張るものがありました。

というのは、丹田の奥への集中がまだ若干不足気味なのと、サードアイの表面
方向への意識が強めなことをのぞけば、自動的に気づきのセンターが発動
してGがかかって「連れていかれる」手前の状態まで一瞬入っていたからです。

これは非常に際どいバランスでしか起こらないことです。

この状態に加えて内部の目を明確に「置いておく」感覚が身につけば
次の段階に進むことが可能ですので、単なる偶然の産物に終わらせない
でいただきたいと思います。


後日、Fさんから
「瞑想中に理由なく不安が出てくる感じ、未知なるものへの恐怖が出てくる
頻度が増してきました」
との報告をいただきました。

これに対して私は「ああ、正確に進んでいるな」と思い、次のように
アドバイスしました。


「どこにもつかまるところのないところへ入っていくときには
必ずエゴの不安がでてきます。

これまで信じてきた自分の目的や信念が外れて、
自分がどこへ向かっているのか、
何を頼りに存在していいのかわからなくなるからです。

そのようなときは、瞑想の前後に『対象のない祈り』
の状態に入ってニュートラルポジションにリセット
してください。

先日、最後のほうで非常によい状態に入っていたときは
不安はなかったはずです。

あの状態に加えて、内部の目のポジションがもう少し
明確になれば、感情や感覚にひっぱられずに自動的に
気づきが続く状態へと飛躍します。」



Kさんは、ダイブ&スキャンの感想としてナビゲーション中に
「エクスタシー状態になりました」とのことですが、これはヒーリング
とは違うのです。

事前に予備知識を一切あたえないまま行ったので、そのとき起こった
状態を素直に表現されたことはよいのですが(Kさんは長年、禅の修行
をされてきましたが、ワークの回を重ねるごとに概念を捨ててその時
起こったことを純粋に見る感覚が増してきたことは賞賛すべきことです)
極限まで起こっていることを見続けるのは本人自身の強い意志が必要
です。


このとき集中から逸れてエクスタシーにひっぱられたのは、どこかに常に
「心地よい状態に早く安らぎたい」という想いがあるからです。

瞑想においては、隠れているものがすべて顕わになるのです。

この想い自体が悪いのではなく、想いが起きたらそれはそれでただ
見ていく覚悟が必要です。



初参加の方々は、一見わけのわからないようなワーク(小道具を使ったり等)
にも真摯に取り組んでくださり、特に、バカになって放下したときのそれぞれの
純粋無垢な美しさには、ちょっと感動してしまいました。

その美しさは、私たちを自動的に運んでいってくれる「対象のない祈り」
に直接通じるものなのです。


関連記事 ⇒ #主客合一の一瞥 【4/29(月) 東京ワーク ~ご感想と所感】

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