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【「洞窟の聖者」「神は自明」「タイミング」 覚醒からのつぶやき 45】    

2021/05/30

つぶやきをランダムにまとめました。

百合


◆見えないものがあるから、見ていることが意識できる。
気づけないものがあるから、気づいていることが意識できる。

◆死はグラデーションではない。

◆私たちは、観念で引き伸ばされた
「死に際」を漫然と生きている。

◆瞑想はタイミングが全て。
全宇宙の運行を、この瞬間に合わせるつもりで。

◆「タイミングを合わせるのは、自分じゃないから」
と言っていると、タイミングは「この自分」ではなく
「あの自分」に割り当てられる。
宇宙からみたら、どの自分に割り当てても同じだから。

◆「見ること」と「見られること」の分離がないとき、
「見る」という動詞は成立しない。

◆ファストフード店で
「祈りだけがある…祈りだけがある…祈りだけがある
…祈りだけがある…祈りだけが!!」
と流れてきて「!?」となった。
「春ねむり」の「祈りだけがある」という曲だった。
強い。

◆「永遠」には「記憶」は存在しない。
記憶でつなぐ必要がないからだ。
記憶をベースにした疑似永遠は、
アップデートに急き立てられる地獄だよ。
たとえ肉体を切り捨てたとしても。
これが今、私たちが目指してしまっている
仮想現実の限界なのだ。

◆これ言うと怒るかもしれないけど、
世界はこの瞬間の「思いつき」なんだ。
行き当たりばったりの思いつきなんて、
とても信じられないだろうけど、私たちが
信じている世界は、まさに信じられない世界なのだ。

◆著名な某投資家は、仮想通貨の秘密鍵を
「紙に手書き」で書いてスイス銀行に保管しているという。
「現物」の信用が勝っているうちは、
物質世界はなくならないってこと。

◆引き寄せの極意を知っても、引き寄せようという
意図がある限り、引き寄せるものには限界がある。
想像の及ばないことは、引き寄せられない。
すなわち、神は引き寄せられない。

◆昔は「しょうがない」と諦めていたことも、
技術と情報と想像の進化によって
「やればできる」世界になってしまった。
やればできるが、できなければやっていないのが
バレてしまうのだ。
「やればできる」に急き立てられ、絶えず
スピードアップとアップデートを強いられる。
これって幸せなの?

◆存在のアップデートは本来、自動更新されるものなんだ。
造られたシステムに合わせて手動でアップデート
し続けなくちゃいけない世界は、自然じゃない。

◆直列的な思考よりも、現象の意志のほうが遥かに
微細で素早いので、意志の初動が見切れるようになると、
重くて遅い思考に支配されているなんてまあ、
有り得ない話ということになってくる。

◆「永遠の意識」と「肉体を捨てた不死の意識」は異なる。

◆死とは肉体を「離れる」ことだと
思っていないだろうか?
肉体を包括する死と、肉体から切り離される死がある。
無自覚に切り離された魂は、再び肉体を形成する。
肉体を包括した死は、肉体と魂を分離しない。
このとき、ひとつの世界が完結する。

◆同じく、この次元は切り離すのではなく、
包括されたときに完結する。

◆「この私」と「宇宙」を比較しない。
この私と比べてしまえば、宇宙はあまりにも壮大なので、
宇宙が自分であることを忘れて気絶してしまうのだ。

◆本来、エネルギーは無尽蔵だが、限定的な意識
が総量を見積もり、限定されたエネルギーを奪い合う。

◆私たち自身が、神と悪魔を分離する。

◆類推と分類と編集を介さない直観は、
存在に直接落とし込まれる。
それはそれは、至福の瞬間だ。

◆全体を「知っている」とき、全体に
「入っている」感覚は生じない。
「私=全体」であるとき、
全体という枠は存在しないのだ。
それに対して肉体は、全体に「入っている」。
全体は、肉体にとっての子宮だからだ。

◆昨今、聖者もおちおち洞窟に籠っていられなくなった。
どこにいてもグーグルアースに見つかってしまう。
世界は良きにつけ悪しきにつけ、
どんどん隠れ場所がなくなっていく。

◆身体の背面は、常に意識しよう。
背面の意識から歩くようにする。
前面に偏った意識は、世界を限定するよ。

◆睡眠は、肉体と肉体に同化した私のためのもの。
睡眠は死と同じく、世界を不可知のものにする。

◆毎瞬毎瞬、気絶する度に世界が組み変わる。
睡眠の瞬間にも、死の瞬間にも、思考の瞬間にも、
組み変わる。

◆「代謝」というアイディアは、疑似永遠の車輪である。

◆ワンネスとは、単一性ではありません。

◆宇宙とは、名づけられた枠。

◆わかっていないのは「わからない」
という思考だけ。

◆「わからない」は、ただ「わからない」
であるとき、問題にならない。
「わからない」が「わからなくてはならない」
と分離しているとき、問題になる。

◆自分の消えた感情は、ただ音楽のように宇宙に響く。

◆直観を「直観」と名づけるとき、
すでに思考に侵食されはじめている。

◆パッと直観でわかるときと、
じわじわ理解が進むときがある。
一見、瞬間的な直観のほうが真理に近いように
感じるが、直観と同じ回路を開き続ければ、
じわじわ進む理解にも思考が介入しない。
その理解は、まるで長時間露光の天体写真のように、
真理の全景を映し出す。

◆この呟きは、表現ではなく呼吸。
呼吸は、この私以前にある。

◆アタマは直観を印字する。
ハートは直観を打刻する。

◆直観は、文字にすると逃げる。
文字と直観が完全一致すれば直観は逃げないが、
それは現象世界における魔術の領域になってくる。

◆直観は「開こう」としない。
ただ「閉じよう」としなければいいだけ。
誰もが、どの瞬間にも全てを見ているんだから。

◆「直観に開いた状態が100%維持されなければならない」
というのもエゴイスティック。
これは、一瞥体験者によくある思い込みなのだ。
神を一度でも知る者は、逆に神の不在感が際立つものだが、
神が「この私」ごときに常に臨在してくれるとでも?

◆誰もがどの瞬間にも全てを見ているが、
選択された時点でそれ以外は隠れる。
誰もが潜在的な「預言者」だが、意図された
「預言」は構造的に当たらない。

◆地震の預言は、ほぼほぼ当たらないが、
日常の次の瞬間の預言は、ほぼほぼ当たる。
人は「ほぼほぼ」の「セルフ預言」を
経験的に信じて生きている。

◆「預言」が「救済」の役目から解放されれば、
当たる確率は上がるだろう。

◆情報は世界を「既視感」で覆いつくしていく。
私たちは「既視感」の後追いに駆り立てられ、
どんどん世界に不感症になっていく。
その「既視感」は、まさに情報によって
操作されたものなのに。

◆子供のように未知に感動できるならば、
未だ人間には救いがある。

◆神は感動もしないが、退屈もしない。

◆神に未知はないが、既知もない。
時間を介する知は、存在しない。

◆「伝える」には、エネルギーがいる。
この世界は未だ、媒体が必要だからだ。
「自分自身が既に知っている」ことに気づけば、
伝達と媒体は不要になる。

◆「自分自身を知る」というときの「知る」
は、既に「遅い」のだ。
「自分自身=自分自身」という自明だけがあるとき、
時差がなくなる。

◆私たちは「知る」目的のために、自分自身を
他人のように媒体にしてしまっている。

◆「頓悟か漸悟か」という好奇心それ自体が、
時間の囚われであると知る。

◆自分の見たヴィジョンが「スピリチュアル的にみて何なのか」
を知りたがるが「スピリチュアル的」なイメージは神であれ天使
であれ「スピリチュアル」そのものではないのだ。
そもそも他者の解釈が必要な時点で、
それはスピリチュアルではない。

◆「見えたものはすべて『それ』ではない」
と事実を伝えると、熱心だった人もほとんど去っていく。
熱心であればあるほど、その傾向が強い。
何に熱心だったかが、あぶり出されてしまったのだ。
ただし、それはその人にとって決して悪いことじゃない。

◆「それそのもの」を言い表すことができないので
「それではないもの」の錯覚を指摘するしかないのだが、
指摘を否定ととらえて拒絶反応を起こす人は多い。
スピリチュアル的なエゴが強ければ強いほど、その傾向にある。

◆人間は、思考でアタマが便秘している。

◆自然を見るとき「自然」を見ない。
その「自然」は「不自然」です。

◆自然は自身を「自然」と知らない。

◆写実は「写実」というデフォルメです。

◆自責の念も他責の念も「行為」に対する冒涜。
行為の瞬間には、一切の責任の余地はない。

◆自分を責めるときも、他人を責めるときも、
それは目的と結果を分離し、観念としての自分と他人
を責めているだけなのだ。
いかなる行為にも、それを為す「人」はいない。

◆自己同一性の強迫観念は「メンテナンス」を義務化する。
「メンテナンス」という発想が、エネルギーを消費する。

◆呼吸が止まっても、呼吸はある。
死者は、初めて呼吸に触れる。
物理的な内臓の動きと空気圧を、呼吸と錯覚していたのだ。

◆世界の「質量」は私たちが決めている。
もともと、世界に決まった質量はない。

◆私たちの「世界」は穴だらけ。
一度たりとも、完全な姿を見た人はいない。

◆概念は、世界の虫食い穴。

◆忘却の世界に産まれるにあたって「それ」を
「忘れてはいけない」という潜在的欲求が、
備忘録としての象徴世界を存続させ続ける。
備忘録はあまりにも細分化され、何のための記録
だったのかを既に忘れてしまっている。

◆目覚まし時計で起こされた日は、
直観力が著しく落ちるね。
惰性で眠り続けても落ちるけど。
これは、覚醒のプロセスも同じなんだよ。
強制覚醒は、不自然な歪みを残す。
睡眠も覚醒も、起きるべきときに自然に起きるのがベスト。

◆人生において「意味のあることを為さねばならない」
という強迫観念が、日々のタイムスケジュールを管理し、
肉体的な睡眠と起床を強制的なものにする。
これでは、直観が働きようがないよ。

◆むしろ、神は自明なのだ。
神の臨在に驚くよりも、目の前で今、
コーヒーがこぼれたことに刮目する。

◆既知の再現は退屈だが、退屈よりも未知への
怖れが勝ってしまっているために、既知にすがっている。
退屈しのぎに、安全圏内で仮想の未知を消費している。

◆未知を怖れるけれども、未知の鮮烈さはむしろ
「懐かしい」ものなんだ。


関連記事 ⇒【「自称覚者」「陰謀論」「桃水雲渓」 覚醒からのつぶやき 3】


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【「悟りと煩悩」「右脳開発の悲劇」「弥勒菩薩」 覚醒からのつぶやき 44】     

2021/05/27

つぶやきをランダムにまとめました。

紫陽花
 まもなく梅雨入り


◆「覚醒あるある」を語ったところで
「それがどうした」って話だけど、
実際それは「それがどうした」というべき
「何でもないもの」なんですよ。
だって「あなたは息してる」って言われても
「それがどうした」ってなるでしょう?

◆「神聖」という概念は、
世界を禍々しいものに見たてる。
夢というよりもまず、魔術から目覚めよう。

◆「わかる」も超えていく。
「わかる」は、背景と模様を分離することだから。
ほら、漢字でまさに「分かる」って書くでしょう?
そういうことなんだ。

◆『分』かっていることは、わかっていればいい。
『解』かったり『判』ったりしなくても。

◆幻想が悪いわけじゃない。
進化し続ける幻想は「どこにも辿り着かない」
という意味で私たちにとって虚しいだけであって。
でも、幻想に目的地はないけど、これも完璧な
必然で起こっているんだ。
「必然=意味」ではない。
「幻想=無い」でもない。
「幻想を見ている『こと ≠ 者』」は在る。

◆命が無限のとき、目的は消える。

◆つい今しがた、爆音がした。
家の目の前で衝突事故が起こったのだ。
即座に、数名の通行人がテキパキと通報・怪我人
への声掛け・交通整理などを役割分担していた。
それを見た私は今、これを書いている。
すべてが完璧だ。

◆人間は、アタマで概念を転換できるようになった。
3次元では、立体を回転させればいいからだ。
次は、ハートの転換にチャレンジ。
これは立体じゃ上手くいかないけど、さあどうする?
ちなみに、ハラは転換しないよ。

◆悟りっていうのは、
煩悩がなくなるんじゃないんだ。
逆に、極小から極大まで全ての煩悩が同時に
あって、どれも選びようがない状態なのよ。

◆「悟り」という言葉がなくなったら困る人は、
悟りが目的になってしまっている。

◆固定された言語体系が、
世界の足枷になっている。

◆この世界の言葉は、順列の幻術なんだよ。
文字が並べられる時、肉を引き千切られる
ような産声があがるんだ。

◆数式は順列を超えるが、解は順列にもどる。

◆収支を一生で合わせない。
一瞬で合っている。

◆「可哀想な人」を創って憐れむのは、
慈悲ではない。

◆好悪は主観だけど、相性は事実。
エネルギーだから当たり前。

◆盲信は仮初めの強さを生むが、
自分自身からはどんどん乖離していく。

弥勒菩薩は煩悩すべてを請け負って
今この時も臨在していますからね。
胸が熱くなりますよね。
それは時空を超えた私たち自身なんですよ。

◆全ての存在が私たち自身なんだけど、
ありがちなのは、突発的に覚醒した勢いで
「私が弥勒であり、救世主なのだ!」
と主張し始めること。
でも全体が「私=弥勒=救世主」という役割
に分離した途端、ひとつであった弥勒は
私たちから離れてしまうんですよ。

◆何かに成ろうとしなくても、それぞれが
ただ私自身であるということで、すでに
全体であるということです。

◆救う者と救われる者の分離がなくなった時、
弥勒は役割から解放される。

◆貨幣がなくなっても、肉体がなくなっても、
寿命がなくなっても、進化の階層が存在する限り
「労働」は続く。
世界は「存続するための労働(奉仕)」によって
成立しているからだ。
ただし、そこに「労働者」がいないとき
「労働=苦」でも「奉仕=喜」でもなくなる。

◆この世界では見かけ上「奉仕するもの」
と「奉仕されるもの」が分離している。

◆生体にとって好ましい調和だけが
覚醒というわけではない。

◆「私は在る」にしても「私は無い」にしても、
語りの文法に気絶すれば、
むしろ分離を促すことになる。

◆この世界の文法で覚醒を語るには、
全存在個別の『超』対機説法が必要となる。

◆人間を擬人化しない。
世界を擬世化しない。
神仏を擬神化しない。

◆「動=止」であるとき、
生のままの世界に触れる。

◆動きを時間でとらえなければ、
動きは無限の停止としてある。

◆「これ!」とムネで触れた瞬間
「これ?」とアタマに戻ってしまうジレンマ。

◆主観と客観は地続きのグラデーション。
グラデーションの間に気絶の谷がある。
◆アタマの中で、蛍光灯がピキピキとラップ音
を鳴らすような興奮状態は、覚醒ではありません。
ここを勘違いして開くと、危険です。

◆知る人ぞ知るサイキックの知人から聞いた話。
幼少から右脳開発教室に通っていた子が、
人格形成前に開いてはいけない部位を開いてしまった。
モノに手を触れずに支離滅裂に動かしたり、
気に食わないことがあると鎌鼬のように離れた人の
皮膚をピッと切ったりするようになった。

◆困り果てた親に泣きつかれたが、名うての
サイキックでも危険すぎて手出しができなかったという。
頭がアンバランスに大きくて目がギラギラと冷たく光り、
まるでグレイのような様相だったとか。
こういう悲劇もあるという事例。

◆「選択する自分」は、すでに「選択された自分」です。

◆すべての選択肢が怖ろしい勢いで通り過ぎている。
選択は光速で起こり続ける。
自分の意志など、入り込む隙があろうはずがない。
「この自分」は、すべてのお膳立てが整った後に
のっそりと顕われる。
あまりにも遅くて笑えるほどだ。
それなのに「自分」が先にあると思っている。

◆発達障害の人はタスクの順番が組み立てられず、
全て同時に手をつけてしまうが、それは障害という
よりも、時系列の世界に身体操作が馴染まないと
いうだけだろう。
実際、順番に事を進めていかなければならない
この次元のもどかしさといったらない。
仕事が遅いというよりも、世界のほうが遅いんだよ。

◆思想のコンテクストを隠れ蓑に神を語り
「いや、信じてるわけじゃないけどね」と
エクスキューズするのが、古風な知識層特有のプライド。

◆禅は「エクスキューズ」の隠れ蓑になりやすい。

◆幼い子供や、認知症の人や、心神喪失の人や、
無知な人など、自分自身をコントロールする術を
知らない人の罪を怒っても仕方がない。
そこに「怒られるべき自覚のある人」が存在しないからだ。
つまり、この世界には「半覚醒」している人以外に
「怒られるべき人」は存在しないということになる。

◆半覚醒している人は、神に怒られるんですよ。
それはけっこう、キツいです。
それでも目覚めたいですか?

◆「頓悟か漸悟か」ってやたら知りたがるけど、
それを知ったからって何だというのか。

◆願望は叶ったり叶わなかったりするが
「自分自身でありますように」という願いだけは必ず叶う。
叶わないわけがない。
全存在が、自分自身でありますように。

◆ツイッター始めてから、もうすぐ一年。
我ながら膨大な数つぶやいてきたのに驚くけど、
言いたいこと一つだけ選ぶとすればこれかな。

◆その人が本当に願うべき祈りは、
必ずゾーンに入るものだよ。
自分自身と一致するから。
この状態が、祈りの基準。

◆祈りのゾーンっていうのは、
ワクワクでもギラギラでもないんだ。


◆自分自身とズレた渇望から祈らない。

◆「割り切れる」という感覚は二元的。

◆スッキリと割り切れて整理された感覚の
「気絶」もある。

◆割り切れないものを二元的感覚で割り切ろう
とする時に、繰り越し続ける「端数の展開図」
がこの世界。

◆「無選択」という態度も「選択」されたもの。

◆全存在が、この世界の「フォロワー=フォロイー」

◆大型トラックの運転手は、普通車の運転手
よりも広い車幅感覚を持つが、だからといって
普通の人よりも覚醒しているわけではない。
「空間(自分)が拡がる」感覚は、覚醒体験の
一端を占めることはあっても、身体性の延長に
基づくかぎり覚醒そのものではない。

◆「死んだら、この自分は消える」と思いを巡らせ
一喜一憂するのは、無知からくる不遜としか
言いようがない。
「この自分」ごときの死が、意識を終わらせられる
とでもいうのだろうか。

◆肉体の死後に、客観的世界が存続するわけではない。
「死者はどこかに旅立ち、この私が世界に残る」という
感覚は、見かけ上の肉体の死から類推された錯覚だ。

◆目の前の一部始終のどこをとっても「答え」しか
ないのに、目をつぶってアタマの中で答えを探している。

◆「今」の辻褄合わせのために、過去と未来が
「今」において毎瞬毎瞬、捏造される。
だが、それが捏造と気づかれることはない。
まさに「辻褄が合っている」からだ。

◆「辻褄」というのは時間の前後で合っている
のではなく「辻褄が合っている」という見せかけ
の感覚がただその瞬間にあるだけなんだ。

◆タイム「ライン」という実体はないのだ。
強いて言えば、パラレル「ドット」かな?
これも概念だけど。

◆覚醒と「見える能力」は、フェーズが異なる。
構造が「見えすぎてしまう人」は、
世界に奉仕する宿命を負う。

◆100%象徴化されると、
象徴がまるごと「現実」となる。

◆概念化は、理性よりも魔性に近い。

◆「在ると信じていること」として、
そのとおりに在る。

◆体を押すのも、物を押すのも、空気を押すのも、
思考を押すのも、意識を押すのも、
押している中心は同じもの。

◆180度の関係性から、360度の関係性へ。
360度の関係性から、0度の関係性へ。

◆郷愁の方向を錯覚して、世界のほうに
飛び込んで気絶してしまう。
それが、郷愁が渇愛に変わる瞬間だ。


関連記事 ⇒【「呼吸の秘伝とアナパナ」「サードアイ」 覚醒からのつぶやき 4】


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【「善と悪」「無色界」「徳とは」 覚醒からのつぶやき 43】     

2021/05/22

つぶやきをランダムにまとめました。

薔薇333


◆「変化」は「連続」しない。

◆変化するものを見ているのではなく
「変化した」という感覚を見ている。

◆瞬間は積み重ならない。

◆「0.1秒」も瞬間。
「100年」も瞬間。

◆3次元の言語体系は、時空を無駄に食う。

◆言葉を使うために、時空を並べている。

◆言葉の配列は、物理的な領域を実際に動かす。
禍々しい言霊的な意味ではなく。

◆言葉の配列と発声は、作用の位相が異なる。

◆直列的でない差異を利用する時空もある。

◆この時空は都市伝説。

◆時間を前後に並べて進むシステムって、
オカルトにもほどがあるでしょう。

◆日常に退屈するほうが不思議だよ。
神秘なんか探さなくても、毎瞬、
このシステムにびっくりするよ!

◆見たいものを見るというよりも、
見えるものを見ている。

◆搭載された機能が、願望を引き起こす。
願望それ自体は、創発しない。

◆「物理的に」時空を超えようとするのは、
ナンセンス 笑

◆だからといって「霊的に」超えようとする
こともまた、物理に気絶しているのです。

◆「肉体を超える」「物質を超える」という
発想自体が、物理脳。

◆「高次元」は物理脳の逃げ道。

◆次元というのは、宇宙を語るための
辻褄合わせなんですよ。

◆昔は神と悪魔が仲良く役割分担してて分かり
やすかったけど、メタ的に半覚醒しだすと
「あれ、いま神と悪魔どっちだっけ?」
って混乱してくるものだから注意しよう。
ここだけの話だよ。

◆神を念じれば、もれなく悪魔が
セットでついてくる。

◆「ピンクの象のことを考えるな」と言われると、
ピンクの象のことばかり考えてしまうように、
何かを超えようとすればするほど、
超える「べき」ものが追ってくる。

◆メタ認知は神の気配を察するが、
神の目には永遠に「追いつかない」。

◆メタ<メタ<メタ<メタ...と、自己言及を
繰り返し続けて、精神に異常をきたす
ギャグ漫画家は多いという。
無限後退は、後退し続ける覚悟がいる。
後退を世界にフィードバックしてしまうと、
多層に分岐した夢と現の立ち位置が錯綜する。

◆善を「自分の内」に取り込み、悪を
「自分の外」に投げ捨てると、世界がゴミ箱
みたいに臭ってくるようになる。

◆ここは、錯覚の非効率よりも
生存の有利を採用した世界。

◆「抽象化」という概念を外す。

◆覚醒は、世界を抽象化することではない。

◆善悪のオセロゲームを終わらせないために、
盤のマス目を増やし続けている。

◆ゲーム中のオセロの盤を、透明にして裏側
から見てみると、勝ち負けが逆転するよ。

◆この世界は、立体の辺を時系列
でなぞる所要時間の所産です。

◆限定された認識が、世界を遅く遠くする。

◆無限は、時空を拡げない。
有限は、時空を拡げざるを得ない。

◆忘却機能は、時空を滞らせない
ためのアイディア。

◆頭蓋骨をそこに置いたまま、
アタマの圧を解放しよう。

◆アタマの中で、蛍光灯がピキピキとラップ音
を鳴らすような興奮状態は、覚醒ではありません。
ここを勘違いして開くと、危険です。

◆サマタのヴィジョンは主観的に「現実世界」
の解像度を超えているが、解像度と解輝度が
上がりすぎると、脳による認識は役目を終える。

◆肉体の目にとって、650万画素以上の解像度は識別不能。
「わ〜、まるで『現実』みたい!」と感動したいだけなら、
TVは8Kまでで充分ってこと。
それ以上を見たい人は、目のほうを転換してください。

◆肉体の目が耐えられない輝度は、
目をそこに置いたまま内部の目に光を「逃がす」。
例えば、太陽も内部の目に映せばよいが、
置いておいた肉体の目は焼けるので悪しからず。

◆名付けることで安心して気絶している。
名以外を見なくていいと決め込むから。

◆聖者って、イヤイヤこの世界に派遣
された方がけっこう多いんだよね 笑
本人(いずれも本物の覚者)から直接、
話を聞いただけでも3人知ってる。
「絶対、行きたくない」とダダをこねながら
地球に来た方、「早く帰りたい」と言って身体
を離れた方、「ずっとコタツで寝てたい」
といって引きこもってる方など。

◆無色界から出たくないっていうのが
本音なんだな。
そりゃそうだ。

◆この辺は物語化して語ってるけど、
私たちが私たちの中から聖者を引っ張り
出して来てるんだよ。
それは、私たち自身の止むにやまれない
想いなんだ。

◆そろそろニュータイプの聖者が引っ張り
出されそうですね。
聖者というカタチを取らずに。

◆私たちの「救われたい」という想いが、
聖者をカタチにする。
そのカタチは、私たちの理解力の「半歩先」
ぐらいに調整される。
奇跡が「大衆的」な俗悪さに寄るのも、そのためだ。

◆今この話を聞いて、私たちの中の
「聖者帯域」がザワザワしております 笑

◆瞑想では悪者にされがちだけど、理性も本来、
直観的に機能して助けてくれるもの。
瞑想が進むと、理性と感性のバランスが自動的
に調整されて、自身への信頼が回復する。

◆私たちに備わった「自動的に調整する機能」
を再発見すると、感謝が沸き起こってくる。

◆この「自動的な調整」に逆らうから、
苦しいんだ。

◆「理性を抑圧せずに、自動的に働かせる」
っていうのは瞑想の極意。
そっちは信頼して任せておいて、こっちは
安心して見ることに専念できる。
伝統的な戒律なんかは、本来その為にある。
直観的に自動化されない理性で煩悩を
抑えつけるわけじゃない。

◆理性と思考は、くっつきやすいけど別モノです。

◆「今を生きる」とは「今を死ぬ」ことと同義。

◆「片づける人生」と「散らかす人生」がある。

◆伏線を回収しながら、伏線を張っている。

◆オンタイムの行為には「思考の声」がない。

◆思考はあってもいい。
思考の解説に気づく。
行為を解説しない。

◆思考は思考の餌。
感情は感情の餌。

◆瞑想とかしなくていいから、ひたすら何も
しない日っていうのが、月に一度はあるといいね。
徹底的に、何もしない。
そうすると、何かしようと動く意志に気づく。

◆何もしないと鬱っぽくなるのは、
行為の衝動と自分を同一視しているから。

◆逆に、ひたすら自分の欲求を満たす日
というのも、意図的に設けてみる。
表面的に満たされた気にならないよう、
中途半端にやらないこと。
そうすると、物理的に満たされる欲求と、
根源的に満たされない欲求が見極められる。

◆「普通」の人は、このことを日常に気絶しながら、
一生のスパンでやってるんだよ。
それで、死ぬ前に気づく人と、死んでから気づく人と、
死んでも気づかない人がいる。
これを、ショートカットする。

◆これをやるのに、一切の遠慮はいらないんだよ。
ただ、こういった時間を確保できるかどうかって
いうのは、徳の為すところなんだよなあ。
徳という言葉は誤解を生みやすいので、
あまり使いたくないんだけど。

◆徳っていうのは、優劣じゃないんだ。
徳は因果であって、
すなわち時間の幻想なんだけどね。

◆気づきのラベリングが、
行為の実況放送にならないように。


関連記事 ⇒【「内と外」「承認欲求」「今の衝撃」 覚醒からのつぶやき 5】


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【「今に在る」「覚醒と階層」「自分探し」 覚醒からのつぶやき 42】    

2021/05/19

つぶやきをランダムにまとめました。

カラー


◆「思考から離れる」ことは
「脳を働かせない」ことではない。

◆「今に在る」とは、過去と未来を
考えないようにすることではない。

◆「思考さえなくなれば、今に在ることができる」
という観念を外す。
「今とは思考のない状態」と定義すれば、今を
「思考の有無」という二元性に限定することになる。

◆「今に在る」ことによって結果的に思考が
落ちるのであって、思考を無くしていく延長上
に無思考が獲得されるわけではない。

◆「かつて私であった者」にとっては
「今に在る」とは「今に在ってしまう!」
というべき衝撃を伴うものだ。

◆ニサルガダッタ・マハラジの
「無教育のタバコ売りなのに、
理路整然と真理を語っていてすごい」
という評され方も、論理至上の驕りを感じますね。

◆全ての現象の支点は、肉体の目が見ている
座標とは別の位相にある。
(3次元の便宜上、それを「裏」あるいは「奥」と呼ぶ)

◆泳ぎを知らない人間は水を怖れるが、
かつては誰もが羊水に浮いていた。
泳ぎは獲得されるのではなく、思い出されるのだ。
覚醒もそのようなものとしてある。

◆人は確証を得てから未知に首をつっこもう
とするが、確証のある未知はすでに未知ではない。

◆「名付け得ないもの」は、
曖昧なのではない。
名よりも実存が強烈に勝っているのだ。

◆世界は終わらないように設定されている。
始まりと終わりを無効にしないかぎりは。

◆真理は、闇を暴いた末にあるのではない。

◆「悟り」と「世界救済」と「次元上昇」は、
残念ながら無関係です。

◆確定されたものは、
すでに不確定を含んでいる。
現象とは、そういうもの。

◆現象とは、存在を決して
確定させないものなのです。

◆人生は「不滅」というファンタジーを探す旅。

◆信念はイカリのように降ろさず、
ブイのように浮かせる。

◆基礎代謝の主要項目に
「自我維持」を加えたほうがいいね。
自我は信じられないほどエネルギーを食うから。

◆顕微鏡の倍率を上げても、
覗く目が同じままなら、
真実は発見できない。

◆軽くするばかりが目覚めじゃないんだよ。

◆タイムラグのない祈りは、
世界をその場で昇華する。

◆写真や映像は、客観的世界
を写しているわけではない。
それらは人間のピントに合わせて
調整されたものだ。

◆軽さと高さを混同しない。
重さと低さを混同しない。

◆ワンネスって「つながり」
ではないんだよ。
つなぎ目がないんだから。

◆本来、意識に顕在も潜在もないんですよ。
その時そこに在るものが全てであって。

◆顕在と潜在は
「全てを知らなければならない私」
にとってのみ、問題になるのです。

◆私たちの探求は「見えてないもの」
に対する怖れと興味が突き動かすが、
それは認識構造の問題にすぎないのだ。

◆集合意識と呼ばれるものもまた、幻想だ。
集合意識を探っていけば、埋没した進化の歴史
と構造に触れるだろうが、それは時空における
私たちの「意味」を求めているに過ぎない。
探求は、存在の「意味」を求めることではないのだ。

◆覚醒には「階層」という発想はない。

◆階層は3次元の錯覚。

◆新たな知識は必要ない。
あらゆる思い込みを外すだけでよいのだ。

◆付け加えることだけが進化ではない。

◆「この私」の思いつく願いは、小さすぎる。

◆雰囲気に流されずに、雰囲気として在る。

◆ボーッとしていること自体は
「明瞭に」ボーッとしているのです。
「ボーッ」に流されている「この私」
が不明瞭なだけであって。

◆仏を擬人化しない。

◆自己同一性は、運動の惰性と記憶の捏造。

◆「何もしない」ことは「何もしないこと」
をやってしまっている。

◆思い込みで思い込みは外せないので、
思いもよらなかった思い込みを直観的に
あぶり出すために瞑想する。
そうすると、勝手に外れていく。

◆自分探しは終わらない。
探す自分がないから。

◆その自分軸は、世間軸です。

◆完全に軸そのものになったら、
何も認識されない。

◆軸が先にあるのではない。
軸は世界の関係性において立ち顕われる。
自立した軸は存在しえない。
たとえ神柱であっても。

◆地軸のように傾いているから、
自分が回っているように錯覚する。

◆全方向が、無我軸です。

◆自分の思考を、思考せずに察する。

◆ツボの痛キモチいい感覚は、
ツボの中心ではない。
自分探しは、痛キモチよさに
ハマりやすい。

◆処理しうる情報しか認識できない。
この世界は「認識できた」世界。

◆毎瞬毎瞬、情報と認識の乖離を空想
で埋め合わせてきたが、すでにアナログ的
な処理では間に合わなくなってきている。

◆情報は新たに取得されるのではなく、
仮想空間から「マイニング」される。
逆にいえば、マイニングするために未
だ見ぬ仮想空間が増設される。

◆情報のマイニング量とスピードが認識能力
を超えると「この」存在は、実態を結ぶ前に
空中分解する。
このカタチでないものが、
新たなマイナーとなるのだ。

◆効率だけで見れば、
情報に時空は必要なかった。
時空を介する情報伝達は、
非効率を楽しむ娯楽なのだ。

◆伝言ゲームのズレを遊んでいる。

◆コピーのエラーを遊んでいる。

◆投げた石は、地面に落ちた後も落ち続けている。
回っていたコマは、倒れた後も回り続けている。
この世界に、止まっているものはひとつもない。

◆摩擦による停止は、地上の錯覚。

◆輪廻は「この世界の法則において」
止まらない(止まれない)。

◆「現実」と呼んでいる世界のほうが、
デフォルメされた素朴な抽象画なんだ。

◆備忘録として、速記みたいに世界を記録している。
備忘録の目的を忘れて。

◆「主観」と「客観」の方向感覚を組み替える。


関連記事 ⇒【「タイムラグ」「ミクロとマクロ」「概念の死」 覚醒からのつぶやき 6】


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【「生と死」「二極化?」「中心とは」 覚醒からのつぶやき 41】    

2021/05/15

つぶやきをランダムにまとめました。

ミニバラ


◆視点は「ここ」と同時に顕れる。

◆わたしには、対面する顔がない。

◆他者の目は、
わたしの中で私の死角を照らす。

◆世界をDNA視点で繋げない。

◆真理と陰謀は、全く関係のない話。
なぜそんなにまで翻弄されるのか。

◆平面的な言葉から立体的な言葉へ。

◆全ての現象の中心に消失点を見る。

◆気づきは目で入れない。

◆目視と気づきを混同しない。

◆気づきを確認ツールにしない。

◆夢の中の私たちは不眠症。

◆不滅と不眠を混同しない。

◆気づきと五感を混同しない。
気づいた五感を引き伸ばさない。

◆全方位等価の気づきは、
必然的に真ん中に浮く。

◆中心は対象化できない。

◆世界が先にあるのでも、
私が先にあるのでもない。
世界=私が同時に弾ける瞬間だけがある。

◆意味を忌み嫌うのは、
潔癖な修行者あるある。
意味が意味そのものとしてある時、
意味もまた意味として空なのだ。
ここにおいて、世界という物語が
二元性を超えて包括される。

◆意味を勘違いして、物語の象徴性
を呪術的に扱わないこと。

◆生と生の実感がズレているから
彷徨い続ける。

◆眠っているのは、
起きている存在があってこそ。

◆ひとたび起きた存在は、
全員が起きるまで見守り続ける宿命。

◆起きたり眠ったりしない存在は、
存在の意図を知らなかった。

◆存在の意志は目的が生まれる前に
昇華する。

◆私たちは、意志の昇華から弾け飛んだ
余熱で生きている。

◆昇華の中心で起きていることを発見する。

◆眠っている夢はあるが、
眠っている人はいない。

◆寝ているものに罪はないが、
悪夢は繰り返す。

◆世界という巨大な夢に圧倒されない。
小さな夢からでも目覚められる。
夢の大きさ自体が幻なのだから。

◆目覚めを架空の神秘にしない。

◆誰が起きるか調べてから起きよう
としても、永遠にわからない。

◆昇華されなかった意志は、
時空に漏れ出す。

◆完結しなかったインパクトが、
分散する。

◆最初のインパクトは皆で「共有」
はできないんだ。
ひとつだから。

◆この世界でそれを「共有」
しようとするのは的外れなのだ。
共有しようとすればするほど
ズレが認識される。
インパクトとして在る以外にない。

◆言葉とは、ズレを認識させるツールだ。
逆に言えば、
ズレがあるから言葉が認識される。

◆この世界の覚醒は、例外なく
「一瞥」です。

◆地球の文法は、肉体懐古趣味。

◆私の中には未だ、
皆さんがいて話しかけている。

◆話しかける私は、いつか
信頼において消えるだろう。

◆世界がパラレルに分岐し続けている
ように見えるのは、そうでないと
私たちの整合性が保てないからなんだ。

◆分岐した世界を捨てながら
進化するわけじゃないんだよ。

◆二極化って発想は、二元の極み。
極っていうだけに、慈悲の対極。

◆実態のない世界に落とし前を
つけようとしても、暖簾に腕押し。
そもそも、暖簾も腕も実態がないから。

◆実態のない世界には、責任者はいない。
世界に怒りを向けても仕方がない。

◆私たちは、架空の世界の
架空の責任者を求めてきた。
架空の恐れが生んだ架空の救世主が、
顕れては消えていく。

◆神は責任者じゃないんだよ。
責任って人間の発想だから。


関連記事 ⇒【「UFOと言語学」「因果の重ね合わせ」「サマタ力」 覚醒からのつぶやき 7】


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【「タントラとマザー」「偶像と幾何学」「セクシャリティ」 覚醒からのつぶやき 40】   

2021/05/11

つぶやきをランダムにまとめました。

カーネーション2
母の日に


◆否定は自己肯定への渇望。

◆人類は産道に引っかかっている。

◆肉体を纏おうか纏うまいか、
迷いながら窒息している。

◆無意識に纏ったその肉体は、
口のうまい販売員に断る間もなく着せられた、
タンスの肥やしのようなもの。

◆産みの苦しみは、肉体の幻想です。

◆産道は、記憶忘却装置。

◆自ら産道を通ってくるが、
存在とは本来、唐突に出現するもの。

◆塊に圧縮するために、産道という
アイディアを選択しているだけ。

◆産道は、母への畏敬の念を強制的に刻印する。

◆産道を持たない母も在る。

◆↑これ、タントラ的にタブーかなと一瞬躊躇
したけど、マザーは最高潮に悦んでました。

◆タントラのマザーは、子のレベルに応じて
褒めたり叱ったりするので、褒められたから
といって絶対的真理とは限らないんだけどね。

◆だからこそ、マザーについてあまり
話しすぎると怒られるんだよなあ。
その人にはその人のタイミングがあるから。

◆マザーは、私たちの想像の及ばないほど
ブッ飛んだ存在なのだ。
マザーの目を盗むことは不可能。

◆母の慈愛を、肉体に還元しない。

◆父と母を、肉体から解放する。

◆父と母は、私の肉体が産んでいるのだ。

◆生と死は、尊厳を強要する。

◆苦と快楽はワンセット。
苦から快楽を解放し、快楽から苦を解放する。

◆苦から解放する道と、快楽から解放する道があるが、
それぞれがそれぞれに気絶してしまっている。

◆エネルギー的な相性の良し悪しを、
カタチのせいにしない。

◆自己暗示が下手な人ほど、覚醒に近い。
世界は壮大な自己暗示だから。

◆「グローバルヴィレッジ」
訳して「村世界」

◆認識の村宇宙に閉じこもっている。

◆「わからない」と嘆く前に、
わかるためのスペースを開ける。

◆世界に興味を持つと、世界は悦ぶ。
それが、世界存続の原動力だから。
是非はともかく、事実としての話。

◆セクシャリティと無意識に連動した
世界観に気づこう。

◆世界を両性的に扱っても、中性的に扱っても、
無性的に扱っても、二元性は超えられない。

◆この世界は、未だ女性的に扱うことで
恩寵が得られるマトリックス。
これまで育んでもらったことに感謝を示した
うえで、二元性のタブーと呪縛を解く。

◆タントリックな創造の領域を切り捨てて解脱
を目指しても、必ず足止めを食らうことになる。

◆タントラは二元性の原理だから、
エソテリックなこういう話のほうが
スッと入っていく人も多いのかも。
実際、わかりやすい恩寵が来るし。

◆対象のない祈りっていうのは、
二元性を否定も肯定もせず、
根源的に包括しているんだよね。

◆この心身をもって、心身になるんだから、
当たり前といえば当たり前。
これ以上にシンプルな道はないね。

◆偶像をバカにする人も、
幾何学や数学は信じていたりする。
どちらも同じカタチの魔術なんだけどねえ。

◆偶像でも幾何学でも数学でも物理でも、
カタチの象徴だけ利用して、
核心部分は気絶している。
逆にいえば、あえて気絶できる余白を残して、
神秘を穢さないようにしているんだ。

◆世界の動きに連動して一喜一憂するのは、
野生動物的な感覚であって、
ワンネスではないね。

◆『BEASTARS』じゃないけど、
人間も原始脳を搭載している限り、
ある程度の規範は必要だよね。
突発的な覚醒体験で原始脳が垂れ流し
になってしまう人がいるけど、
解放するのはそこじゃないんだ。

◆死に際に沸き起こる一世一代の念を、
毎瞬の死においても捧げよう。

◆枠と本体がズレているとき、
枠と本体が認識される。
枠と本体がズレていないとき、
枠も本体も認識されない。
本来、枠は存在しないが、
枠の設定を外すには、
まず枠とのズレに気づく。

◆身体も想念も、そこにただ置いて
おけばよいだけだが、「身体の置き方」
と「想念の置き方」のテンションは異なる。

◆自己と世界のテンションのズレが、
素材の質量を分化させる。

◆中心に目を浮かせる。

◆存在に、垂直に触れる。

◆死んだらチャラ?
とんでもない!
生きないとチャラにならない!!

◆チャラにするために産まれたのに、
新たにカルマを創って死んでいく。

◆現象だけを見てチャラにしようと
してもキリがないよ。
構造的にチャラにしないと。


関連記事 ⇒【「天国と地獄」「相対性」「進化の過程」 覚醒からのつぶやき 8】


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【「カルマの昇華」「輪廻は惰性?」「メタファー」 覚醒からのつぶやき 39】    

2021/05/08

つぶやきをランダムにまとめました。

TUBOMIE0nqFaLVUAI2Prn.jpg
花菖蒲の蕾


◆想念が肉体を固形物に見立てる。

◆「肉体が先か、想念が先か」という
問い自体が、時間の幻想。

◆この世界は
「細かい時間と粗い時間」
「近い時間と遠い時間」
と呼ぶべきものから成る。

◆魂という概念は、粘度が高い。

◆個体として在ることの物理的緊張は、
遠慮なく分散しよう。
これは、仕組まれた物理次元の愛なのだ。

◆下心は世界と密通する。

◆世界の裏を知りたいのは、
自分に裏があるから。

◆実際のところ、この認識形態のままウラオモテ
がなくなったら正気を保てないけどいいの?

◆皆やたらと急ぐけど、プロセスをすっ飛ばす
とカルマの昇華はキツくなりますね。
カルマに囚われていたらの話ですが。

◆魂って売れるもんじゃないけど、貸せるね。
恐ろしいことに。

◆貸し借りは総量の決まったママゴトですけどね。

◆この世の速度は、時系列の順番。

◆速いものほど過去に在る。

◆「人間だから間違いはある」
=「存在だから間違いはない」

◆「存在だもの」

◆こんがらがった思考は、
知恵の輪みたいに立体的に外そう。

◆思考は一本の糸じゃなくて、
ブツ切れの点だから、
本来は絡まりようがないんだけどね。

◆純粋な存在は、
何も訴えかけてこない。

◆純粋な存在は、
気づこうとする必要がない。

◆存続する意識は、
この世の存在感覚では測れない。

◆対面できる神は、この世のもの。

◆この認識においては、世界を回転させるか
私を回転させるか、どちらかしかなかったのだ。

◆鏡は、対面のメタファー。

◆この世界では、対面が抜け落ちた状態
をワンネスと呼ぶ。
転換のインパクトはあるが、
構造としては素朴。

◆「なぜ?」の延長に真理はない。

◆「なぜ?」が起こったら「?」に放下する。

◆放下は、明瞭な思考停止。
放棄は、不明瞭な思考停止。

◆人間を擬人化して見るのをやめてみよう。
そうすると、生のままの存在が迫ってくる。

◆この世に無機質なモノは存在しない。

◆マスターたちは、自我を否定しよう
としているのではない。
想念を中心にチューニングしようとしているだけ
なのだが、自我はそれを否定されたように捉える。

◆この感覚がマスターとツーカーになると、
一気に進むんだよね。

◆師匠と弟子は、一緒に料理するような関係。

◆24時間「起き抜け」の意識で自分と出会おう。

◆今は再生できない
今は再製できない

◆進化は、今を済世しようと足掻き続ける。

◆今は瞬間ではない。

◆今に留まろうとする意図は、今を押しのける。

◆時空の爆発を孕むエネルギーの空白は、
すでに現象世界の話です。

◆時空は未来にも過去にも進んでいる。

◆「進む」感覚を定点から外そう。

◆肉体を超えることは、
肉体を捨てることではない。

◆肉体の重みは、最大のヒント。

◆動きを止めずに「止まった動き」
として在ること。

◆今は、急げば急ぐほど間に合わない。

◆興味本位に「問い」を増やさない。

◆解決を急がない。
全て解決している。

◆輪廻は「問いの衝動」の惰性。

◆人間は、格納された記憶を
物理に還元しないと不安な生きもの。

◆感情を生きがいにしない。

◆感情は享受してもよいが、
再現しようとしない。

◆うつろうものは、うつろいとして愛でる。

◆苦しみは、無理矢理とどめようとする反作用。

◆人間の苦はアタマの便秘。

◆「進む」のではなく「弾む」のです。

◆世界を「筒のように」通り抜ける。


関連記事 ⇒【「祈りと慈悲」「パラレルワールド」「バクティ」 覚醒からのつぶやき 9】


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【「ハートの中心」「輪廻のトリガー」「空白のチャンス」 覚醒からのつぶやき 38】  

2021/05/05

つぶやきをランダムにまとめました。

黄色5


◆カタチはそのカタチに見合った
記憶しか引き出せない。

◆カタチが固定されているのではない。
固定された認識に同化しているのだ。

◆「実体感」は姿勢ひとつで
変化してしまう曖昧なもの。

◆中心に浮いているとき、
全ての可能性が同時に重なっている。

◆幻から「離れる」というスタンスは、
まさに二元性の錯覚。

◆ひとつのスクリーンに世界が映っているのではなく、
どこを切り取っても無限にスクリーンが出現するのだ。

◆スクリーンの例えは、認識の座だけに
特化している点に注意。

◆前後の分離を上下に落とす。

◆アタマのてっぺんで宇宙にグラウンディングする。

◆足の裏で銀河の中心を見る。

◆ハラに自分を飲み込んで、ひっくり返す。

◆ハートの中心に、世界の網目を回収する。

◆静寂の音は、耳には響かない。

◆無は均質ではない。

◆私たちは全員、アタマに座標のない
ブラックホールを内蔵しています。

◆アタマのブラックホールを気絶せずに
通り抜けられる人間は存在しません。
そこは認識の出入口ですが、
存在の出入口ではありません。

◆アタマを落とせば「どこでもドア」
のような出入口は、どこにでもある。

◆出入口という発想は二元側の認識ですが、
その肉体において、いったん確認しておいてください。

◆私たちは、火を怖れる動物のように、
存在の深淵を畏れている。

◆宇宙を背負おうとするから、存在を畏れるのだ。
本当は、拍子抜けするほどフラットなのに。

◆生は、実体のない畏れに縛られている。
畏れは、かつて自分自身にかけた呪い。

◆私たちは、一瞬前の記憶を繰り越し続けている。

◆人生は、記憶の断続。
輪廻は、存在の断続。

◆記憶は「決定」の後に割り振られる。
連続した記憶はない。

◆死の瞬間に記憶が繰り越されるから、
輪廻が起こる。
「死」と「生」が最期の瞬間に一致すれば、
そこで完結する。

◆輪廻のトリガーは、想念のタイムラグ。

◆死の最期の想念は、コントロールできない。
今生がその一点に集約される。

◆肉体を伴わない「解脱」は常に起こっているが、
最期に肉体が一致することは極めて稀。

◆「それ」とは、生と死の完全な一致である。

◆私たちの肉体は、地球を軽々と支えている。

◆私たちは、見かけ上の引力と遠心力に
振り回されている。

◆肉体で時空に居座ろうとしてしまうと、
中心からズレ続ける。

◆「アレッ?」っていうズレは、チャンス!

◆「アレッ?」の空白に、後頭部で重なればいいよ。
慌てて前頭部で前のめりに補正しようとしない。

◆夢は後頭部から目覚めよう。

◆「我にかえる」ときの我と自我が
ごちゃごちゃになってるのだ。

◆ピッタリだと思ってることがズレてて、
ズレてると思ってることがピッタリだったりする。

◆自我は完璧さを畏れる。
完璧さは、創造の終焉だから。

◆この目で見ようとしなければ、
創造は始まりも終わりもしない。

◆いま電車乗ってるけど、
体を運ぶってクラシックな呪術感 笑

◆覚醒では、円と球に相関関係はないんだよ。
クレイジーだね 笑

◆だからこそ、地球を「丸くする想い」
は愛おしいんだ。

◆カタチは想いだから。

◆3次元人も、夢のスタンド使いだよね。
物質を現前させてるんだから。

◆私たちは「肉体」と「肉体感覚」を混同している。
「肉体」は本来、ニュートラルなもの。

◆肉体を超越するのではなく、
肉体幻想を見切ればよいのです。

◆この世の全てが満たされていても
「それ」を求めますか?

◆目と心は、同時に転換します。
一枚の葉を見ないようにしてもダメです。
森全体を引いて見てもダメです。
肉体の目を動かさず、
内部の目に明確に映すのです。
転換を知れば、葉も森も心を動かさず
同様に見ることができます。

◆「何ものにも囚われない」ということは、
心理的なアプローチだけだと、なかなか転換しません。
囚われている心で、囚われから離れようと
しているからです。
内部の目は具体的に転換させられるものです。

◆何が何に囚われているのかを、まず明確にする。
それはもう、心理というより物理なのです。

◆目に関しては、単純に「使い方」を
知らないだけと言っても過言ではないです。
自我のフォーカスが慣れ親しんだ
その見え方だけではないのです。
それを修行と称する気合や精神論で矯正しよう
とするのは、文字通りピントがズレていると
言わざるを得ないです。

◆目の使い方と自我の定点観測は密接に連動
していますが、定点を心理的にズラそうとしても、
全体は肉体の目にぼんやりと映っている
レベルに留まります。
構造を知らずに定点幻想だけを切り捨てようと
してもなかなか具体的なシフトは起こりません。


関連記事 ⇒【「夢の物理」「ゲシュタルト崩壊」「経典」 覚醒からのつぶやき 10】


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