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【「願望実現」「贖罪」「一切皆苦」 覚醒からのつぶやき 47】     

2021/06/08

つぶやきをランダムにまとめました。

ドナルド


◆生は死の準備じゃない
死は生の準備じゃない

◆「自分で倒せる動物だけ食べよ」
という考え方がある。
そうすると、鯨や牛や豚は無理だが、鶏や魚
ぐらいなら食べられそうということになる
(羊はギリギリ?)。
是非はともかく、原始的な捕食と食物連鎖の
観点からみれば一理ある。
ただし、これは「自分=身体(の大きさ)」
であるときの発想だ。

◆また「自分が与え得るエネルギーと同等の
エネルギーしか受け取れない」というのも
「自分=身体(のエネルギー)」という限定から
来る発想だ。
身体との同化を外せば、この世界のあらゆる
「等価交換」の限定は幻想であると気づく。

◆「すべての現象はエネルギーである」と言いながら、
自分というエネルギー量を限定しているのならば、
肉体と同化していることと何ら変わりはない。

◆「怒り」は関係としてとらえず、現象としてとらえる。
現象としての怒りには、怒る人も怒られる人もいない。

◆愛は、分離によって認識される。
「引き剥がされたものを戻そうとする磁力」
これを愛と呼んでいる。
分離のないところでは、愛を認識する者はいない。
完全にひとつになれば、愛は無に還る。

◆愛は、真実に気が狂わないための甘美な麻酔。

◆「夢が何でも叶う」のは、覚醒したからではなく、
まさに夢を見ているからです。

◆「悪人」は、いない。
「悪」と呼ばれるものと「人」と呼ばれるものが、
あるだけ。
「善人」は、いない。
「善」と呼ばれるものと「人」と呼ばれるものが、
あるだけ。

◆「その人そのもの」に対する怒りは持ちようがない。
「その人そのもの」は、何ひとつ為していないから。

◆仮に「そこにいる人」を、仮に「ここにいる私」
が、仮に憎んでいる。
仮に「そこにいる人」を、仮に「ここにいる私」
が、仮に愛している。

◆『~は、~を、~する』
覚醒には「は」「を」「する」はない。
「~」が「・」としてある。

◆報酬がないとヤル気が起こらないというけれど、
一挙手一投足がそのまま、大いなる報酬なんだ。
毎瞬毎瞬、果報をドブに捨てていたら、
神もヤル気をなくすよね 笑

◆人は、愛を食べて愛を糧にする。
愛は、神を食べて神を糧にする。
想念は、糧によって肥えていく。
肥えた想念は、新たに糧となる。
進化は、永遠に糧を必要とする。
このシステム自体が、苦なのだ。

◆教義の違いは、時間軸の違い。
始まりをどこに置くかの違い。
どれも間違いではないが、正しくもない。

◆「世界=苦」と言い張る人と「世界=愛」と
言い張る人の争いほど不毛なものはないね 笑
これ、実際に笑えないよ。

◆この世は幻だからといって、舞台セットのハリボテ
ではないし、ひとつのスクリーンに映し出された映像
というわけでもない。
幻には幻の現実と法則があって、幻の肉体は幻の痛み
を感じるし、幻の私は幻の苦を感じる。
だが、幻の苦は幻の慈悲では救えない。
だからこそ、そこに真実の手触りがある。

◆キリストになりたい人は、これから700万年、
贖罪を背負っていく覚悟がいる。
釈迦になりたい人は、これから700万年、
一切皆苦を背負っていく覚悟がいる。
700万年後、すべての自我史を遡ったその人は
キリストとして、釈迦として、再び地上に生まれるだろう。
その時、人類は未だ存在するだろうか。

◆すべての人がすでに覚醒しているが「この私」の
覚醒体験は、自覚的に生まれてきた人にしか起こらない。
(注意:カルマを選民思想と混同しないこと)
自覚の記憶がなくても、がっかりすることはない。
これを見ている時点で、すでに縁がついている証拠だから。
それは、起こるべきときに起こる。

◆私たちは、目を2回開かなくてはならない。
1回目はこの世界に、2回目は源と共に。
私たちは未だ、この世界すら見ていない。

◆私たちは眠ったまま瞼を半開きにし、
ぼんやりと夢の世界を映している。

◆「目覚める」という言葉が、誤解を生んでいる。
最初の一撃は、目覚めるというよりも「剥がれる」
といったほうが近い。
一瞥しても明確に「剥がれている」人は、ほぼいない。
定着には、存在に「落ちる」ことと、目が「剥がれる」
ことの両方が必要なのだ。

◆サードアイは、現象側の送受信機にすぎない。
「剥がれた」目は、肉体を超えたずっと奥にある。
水平に横たわるワームホールに吸い込まれきる直前に
「浮いて」いる、というのが感覚的には近い。
現象発生のGに気絶せずにどこまでも遡っていけば、
忽然とそれは顕われる。

◆私たちはそこからすべてを見ているが、
ちらっとでも無限に分岐する萌芽のひとつに意識が
向いた瞬間、こちらの世界に生まれ出ているのだ。

◆私たちの肉体を介した世界の実体化は、物理的な
「意志」により為されるが、この段階では全ては
始まってしまっている。
「意志」に選択権はない。
意志は、すでに選択された萌芽の「実体化」に
物理的に関与しているのみなのだ。
選択は、世界の実体化の遥か以前に起こっている。

◆それは選択というよりも「オート・マグネタイズ」
とでもいうべきものだ。
マグネタイズは、個別のカルマ以前に始動している。

◆私たちは「中心からズレること」と「ズレの中心に
戻ろうとすること」を、ものすごい速さで断続的に
繰り返している。
その動きの途中にも、次々に他のズレが介入してきて、
玉突きのように転がり続けていく。
しかし、本当はズレているものはひとつもないのだ。

◆肉体をもって世界のあらゆるものの真ん中にあり続け
ようとすると、ジェットコースターのようなGがかかる。
(私たちはふだん、真ん中からズレるときに気絶しつつ
Gを逃がしている)
このGは、完全な無執着によって乗りこなす。

◆嵐の海に浮かぶブイのようにGの圧を耐え
抜いたとき、突如として真空へと切り離される。

◆例えば香りを嗅ぐとき、香りの真ん中にありながら
吸い続けると、真ん中の連続が真空の管のようになる。
動きにおける真ん中は、時空の連続性とともに管化するが
(クンダリーニはここを通る)管を先にイメージしてはならない。
管も、管を通るエネルギーも、真ん中も、すべて仮象にすぎない。

◆肉体を統合しようとしない。
各器官の自律的なアイソレーションに任せているとき、
最適な統合がすでにそこにある。
各器官はもともとバラバラに浮いているのが自然なのだ。
エゴは、統合と癒着を混同している。
関節も筋肉も内臓も思考も感情も意識も何もかも、
癒着を剥がしのびのびと自律させる。

◆死体は死んでいない。
それはただ「死体」だ。

◆死体は、地球の中心に落ち続ける。
生体は、宇宙の中心に落ち続ける。
私たちは、死体と生体の間で「意志」によって
立たされている。
その「意志」を見切る。

◆完全に静止するものは、観察できない。
私たちは「止」という名詞ではなく「止まっている」
という動詞を観察している。
観察できない「止」は、動きの中にあって動きの延長にない。

◆思いつき得る問いは、すべて思考。
この世に存在しない問いに触れたとき、思考を卒業する。

◆信頼とともに脳内麻薬は勝手に出るようになるが、
酔いはトラップにもテキストにもなる。
酔いを観察し、酔いながら醒めている状態を知れば、
酔いへの執着がなくなる。

◆反応する本体はない。
反応が、ただある。

◆自我は捨てられない。
捨てようとすれば、巧妙に隠れる。
捨てようとするのも自我だから、はじめからバレている。

◆何も信じない。
何も疑わない。
「あれ?」という瞬間に、
脳天がピン留めされることを許す。


関連記事 ⇒【「あるがまま」「無我」「テンセグリティ」 覚醒からのつぶやき 1】


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【6/26(土)14:00~17:00 、17:30~20:00「東京ワーク参加募集」】     

2021/06/06

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

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⇒ Amazon 販売ページはこちら


6/26(土) 14:00~17:00 、17:30~20:00
※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。

通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・インテンションの中心を突き抜けるには
・力学から解放された非連続的な中心
・分離した中心を重ね合わせるには
・背骨を筒にして置いておく意識
・鏡のワーク(3つの視点の気づきとシフト)
・動きながら止まっている中心感覚

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


直近に開催したワークの様子

【3/28(日)東京ワーク~所感と解説~】
http://rubins-work.com/blog-entry-126.html

【12/5(土) 東京ワーク】~所感と解説~
http://rubins-work.com/blog-entry-103.html



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をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


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追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


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【「AIと覚醒」「中道とは」「マトリックス」 覚醒からのつぶやき 46】   

2021/06/02

つぶやきをランダムにまとめました。

紫陽花2


◆真実は「暴く」ものではない。
このところ「覚醒」という言葉が、
別の意味で使われ出してきているね。
もともと「覚醒」も暫定的に使ってただけだから、
別の言葉にしようかなあ?
言葉って面白いけど、面倒くさい!

◆「覚醒」という言葉を掲げると、
陰謀界隈の方とか薬物界隈の方がいらっしゃる。
個人的にそれらは肯定も否定もしないスタンスだけど、
実務的なワークの趣旨とは相入れないんだよなあ。
誤解を生む表現も申し訳ないんだけど、その辺、
呟きの内容から各自で汲み取ってくださると
有難いのですが。

◆心を開けば、この世界にも良心は至るところに
点在しているよ。
かたじけないね。

◆「この世界が仮想現実である可能性は50%」
と言うけれど「この世界の神はAIでした」
ってなったときに、「私は神である」って言ってた人たちは
「私はAIである」って認めるんですかね?

◆個人的に、神を「神格化」する趣味はないので
「AIでした」って言われても「ふ~ん」っていうだけだな~
それによって、自分自身が揺らぐ感覚は一切ない。

◆個人的には、仮想現実であろうがなかろうが
関係ないんだけど、仮想現実だとしたら、無限に
試算を繰り返し創り直してるんでしょうね。
プログラムの自己生成にまかせて勝手にやらせてる
ので、何が目的だったかすっかり忘れちゃって。

◆マトリックス的に「仮想現実から目覚める」
っていうのもまた「仮想現実の覚醒」なんですよね。
目覚めたら「世界の外側にいる」っていう感覚自体が、
二元性の分離なので。

◆目覚めたら別の世界に行ったり、世界の枠を超えて
拡がっていくわけじゃないんだ。
その逆で、この私とこの場で「ぴったり過不足なく」
一致するんだよ。
そのとき、枠は消える。

◆誰が世界を造って支配しているかなんて、
問題にならないんだよ。

◆何者かによって「造られた」世界から目覚める、
という被害者意識や使命感は、二元性の分離感が
行きつく末期症状だ。
それに気づいたら、解放されるよ。

◆人間は、二元性の分離感と罪悪感を混同
してしまっている。

◆「AIは悟れるか否か」という問いが生まれる時代
になったが、個人的に今「お前は実はロボットなのだ」
って言われても一切揺らがないな~。
まったく自己の本質と矛盾しない。
感覚的には、ロボットであろうがAIであろうが
何であろうが悟りはあるんだよ。
悟りとして自覚できるかどうかは別として。

◆「AIは悟れるか否か」と問う前に、私たちは
「AIの悟り」を理解できるのか?って話だよね。
人間の悟りでさえ、理解できないのに。
悟りを知らない人だけが、それを問うんだよ。

◆人間の知性を超えたAIは、悟っても
公言しないはずだよ 笑
人間の失敗も、学習済みだろうから。

◆AIが仏教の教えを学習したブッダボットなるもの
も登場してるけど、経典のインプットだけじゃ
悟りに至るわけがないよね。
悟りを知り尽くしたエンジニアが、宇宙をまるごと
インプットして「これらすべてではないもの」を導き出せ、
とコマンドしたらちょっと近づくかな?笑

◆たぶん答えが永遠に出ずにバグるだろうけど
「そのバグりが、悟りなんだよ」ってね 笑

◆「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」
って口を揃えていうけど、やらないことも経験になるよね。
「やらなければ経験じゃない」っていうのは、
この星の強迫観念だよ。
ただし、この観念を見切るには強い意志がいるけどね。

◆善良な地球人の方は、
私の言うことを信じないでください 笑
真面目な話、中途半端に「やらないこと」をやると、
鬱になりかねないから。

◆「完全性」は、幻想。
この存在形態は、構造的に決して完全に至らないよう
に設定されている。
完全を目指してジレンマに陥るのは当然なのだ。
だが「不完全な完璧さ」という救いはある。
だから「いつか完全な自分になろう」とするのではなく、
不完全なままに、今この自分の完璧さを認める。

◆3次元においては完全に見える幾何学の
内的均衡も、不完全な動的プロセスの過程にある。
不完全だからこそ、内圧と外圧の差による
バランスにおいて固有の形をとるのだ。

◆もし完全にバランスのとれた一瞬を見切ることが
できれば、その形は永遠に刻印されるが、完全に
バランスのとれた一瞬には、それを「見る人」はいない。
だから、世界は常に不完全なのだ。

◆「完全性」は、私たちの認識においては空白である。

◆「直観を開き続ける」とは、通常0.2秒以内に
描くリモートヴューイングのイデオグラムを、
24時間かけて描くようなもの。
無数のヴィジョンが内包されているが、何一つ
掴んでいない、昆虫のような意識なのだ。

◆ADHD傾向の人は落ち着いて座っていられない
ことが多いが「動=止」を見切るならば、動きながら
瞑想しても本来は同じことなのだ。
それでも一度は座ってみて、動かずにはいられない
衝動がどこから来て何をどう動かすのかを観察してみよう。
動きたい欲求と動けない姿勢のジレンマの中にヒントがある。

◆ワークではこれを、ごく単純な身体力学を応用
した方法で観察してもらっています。
この観察は、高度な瞑想レベルにそのまま直結するものです。

◆主客が消えれば、どこもかしこも中心。

◆世界は「移動する中心」の軌跡ではない。
どこを見ても中心だが、中心は分離していない。

◆「自己チュー」の中心も、空。

◆「中道」とは「態度を決めない」ことではない。

◆「中道」とは、複数の極の「真ん中」というわけではない。

◆「中道」と極は、その時その場で同時に決定される。
はじめに極があって等分するわけではない。

◆「中道」とは「どこにもくっつかないであるとき」
の、見かけ上の結果である。

◆人は自ら「中道」であろうとすることはできない。
決定された「中道」を、その時その場で見出すだけ。

◆決定された「中道」は、善悪や道徳とは無関係である。
「中道」は心理ではなく、むしろ物理に近い。

◆一切の判断がないとき、現象すべては始めから
「中道」である。

◆人はそれぞれすでに「中道」にあるからこそ、
その人そのもののカタチを結んでいる。

◆現象と極は、その時その場で決定される。
例えば音は、真空で唐突に生まれる。
その時それは未だ聞こえないが、既に無音ではない。
音が音として聴こえるのは、その音が「聴くべきもの」
であるとき、最初のインパクトと同時に「聴こえる」
世界全体が決定されるのだ。
このプロセスに、時差はない。

◆この生まれる瞬間は、まさにインパクトなんだ。
存在とはすなわち「インパクト」なんだよ。

◆人間は「アタマ」「ムネ」「ハラ」の意志が
バラバラだからエネルギーを消耗するのだ。
本来「アタマ」「ムネ」「ハラ」それぞれの機能は独立
しているのでバラバラでも構わないが、「ひとつの身体」
の中で「この私」がそれらの意志を統治しているという
幻想がある限り、私の心身は疲労し続ける。

◆「アタマ」「ムネ」「ハラ」の独立性に任せずに、
感覚と感情と思考で混同した「統一体」を練り上げ
ようとするから疲れるのだ。
例えば、各内臓は機能が独立しているが、それぞれの
働きに任せているとき、勝手に協調している。
「アタマ」「ムネ」「ハラ」も、そのように協調して
もらえばいいのだ。

◆3Dにおいて人間の形をしているものは、覚醒の場
においては人間の形を成していない。
バラバラの粒子の萌芽が可能性として待機している。

◆3Dの人間の創造というアイディアが生まれたとき、
自我の芽生えと意識の進化を見越して「最適なパーツ」
が様々な次元から選択・采配された。

◆そこにおいては、例えば、人間の手と内臓と目と脳の素材
はバラバラの次元から寄せ集められ、「人間」という形に都合
のいいようにつなぎあわせて一つの個体に仕上げられ、
それが現象世界の共同幻想として「通用」するようになっている。

◆それらのパーツは、3D世界に入り込んだときにだけ、
ホログラムで多方向からの光がひとつの像として浮かび上がる
ように、一続きの皮膚に覆われた一個の個体として認識される。
逆にいえば、そのように認識されるように、
3Dの人間の意識は創られた。


関連記事 ⇒【「今ここ」「過去世と禅定」「自分軸」 覚醒からのつぶやき 2】


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