【#八正道 #三点法 #御神体 覚醒からのつぶやき 49】

◆人は、聖者がおどけて失敗談を語るとき、
かしこまった緊張が解けてクスクス笑う。
その特有な笑いには「聖者も人間なんだ」という安堵
と共に「ありのまま」という名の怠惰と卑屈が潜んでいる。
この「人間村」の共犯的な目くばせに気づかせるため、
意図的に語る聖者もいれば無意識に語る聖者もいる。
◆無意識タイプの聖者って怖いよ~
無意識に巻き込んで、無意識を炙り出してくるから。
神社の御神体の鏡みたいなものだね。
無意識に気づかない人は「聖者って言うけど、
たいしたことないな」と離れていくだけだけど、
それすらも無意識に影響されてるからね~
◆その意味で「〇〇にご利益がある」と謳っている
神社っていうのは、初心者向けなんだよね。
この世的な目的と結果のモデルを、分かりやすく
提示してくれる。
本来の神は、自我の願望を超えた無意識に作用してくる。
そのレベルの神は御神体を持たないけど、
それも未だこの世の神。
◆御神体のない神は、ガソリン車のように
音を立てては近づいてこないよ。
電気自動車のように音もなく来て、気づかないまま
轢かれてるから気をつけて 笑
注意深い人は轢かれる直前に、気配で気づくけどね。
◆「自由でありたい」と願うとき、自由でない世界
を憎悪したり蔑視したりしない。
「自由であること」は、世界の不自由さによって
相対的に実感できるのだから、むしろ感謝する。
◆世界の不条理を受け入れることは、自分自身の
分離した不条理を受け入れ、浄化されること。
自由はここにある。
◆まだらに「半覚醒」すると、創造に参画し自由意志
を獲得したかのように錯覚することがある。
この段階は、再び世界に放流されるか、覚醒に還るかの境界だ。
伝統的な修行を「古い」と軽視する昨今の流れもあるが、
本当の凄みは、この段階に必要な抑止力と推進力を自動的に
発揮させるシステムにある。
◆この世界の「見る」という動詞は、気づきの
二次的な確認作業のことを指している。
「見る」ことは、常にタイムラグを含んでいる。
このタイムラグが、時空なのだ。
◆この世で実務的にやるべきことを放置していたら、
最悪の立ち行かない状況に陥った経験が幾度かある。
それと同時に、精神的にやりたいことだけをやり続けた
結果、自動的に導かれてきた絶対的な信頼がある。
これが不肖人間として半世紀間、どちらも徹底的に
やってみた結果です。
◆個人的な結論として、この世の実務的なことは
面倒臭くてもさっさと片付けたほうが楽かな 笑
◆父性と母性のマトリックスは、私たちに生まれ
ながらのコンプレックスを植え付けるが、骨の髄まで
マトリックスの申し子である私たちは外側へ
離脱することはできない。
離脱できないからには、自身の内に父性と母性を見出し、
マトリックスそのものを存在の源へ還すしかないのだ。
◆幻想は幻想でも、仮の幻想というものはない。
この幻想も今、本番なのだ。
◆思考で思考を見張らない。
◆「思考」というラベリングに気絶しない。
◆無執着は、家ではなく鍵である。
◆悪魔には悪魔の悟りがある。
そこにも完璧な均衡がある。
悟りは善悪に無関係なのだ。
◆八正道は、涅槃がゴールの信念体系の暗証鍵。
宇宙には無数の信念体系があり、
それぞれの暗証鍵が設定されている。
◆目覚めるのは「突き抜けた凡人」
◆「境地」は常に、この世の解釈。
◆わかっていることがわかる。
問いも答えも存在しない。
◆「意味がない」ことは「無意味」ではない。
◆意味を切り捨てれば、無意味に囚われる。
◆意味と無意味を分離しない。
◆神の「子」であるかぎり「親と子」
の時系列からは逃れられない。
だが、逃れる必要のある人間は
「この世には」存在しない。
◆すべてから離れているものは、すべての中心に
浮いているが、特定された「浮いているもの」
は「それ」ではない。
◆『70億人のビリー・ミリガン』
◆現象は捨てられない。
私の中を移動するだけ。
◆極限まで捨て続ければ、捨てるという
概念は無効になる。
移動させるための時空が消えるからだ。
◆現象すべてに、すべての次元の私がいる。
◆非二元は、自己言及のモラトリアム。
◆他人の言葉で動かしてもらおうと期待しない。
◆言葉を離れる前にまず、自分自身
の言葉と一致する。
そこに、現象世界のすべてがある。
◆爆発の中心は、爆発に巻き込まれない。
たとえそれが、宇宙の爆発であっても。
◆「ひとつ」は、拡がりでも点でもない。
◆全員、今このとき同時に産まれているんだよ。
◆この自然は、ここの自然。
◆「ありのまま=自然」というわけではない。
◆この世は、連想&伝言ゲーム。
◆ストレスとその克服という奴隷属性は、
太古に組み込まれた進化の原動力。
だが、完全にストレスフリーになった時、
虚無に陥らず自立した構造にシフトできるかどうかは、
存在としての成熟度が試される。
◆未知への畏れが、神をオカルトに堕とす。
◆隠されているものを暴きたいという自我の強迫観念は、
支配-被支配の構造に巧妙に利用されてきた。
常に猜疑心を煽りつつ、決して核心に辿り着かないように
仕組まれている。
構造から自由になりたければ、自分自身の内に隠し場所を
つくらないことだ。
◆「わからないもの」は隠れているのではなく
「わからないこと」として白日の下にある。
◆「わからないこと」=「わからなくてはならないこと」
ではない。
◆自我は自分自身を「理解」するため、
過去を辻褄の合うように書き換える。
辻褄合わせするたびに、
自分自身を欺き信念を強化する。
◆人類史は、書き換えの歴史。
今この時も、書き換えている。
◆三点法から∞点法へ。
◆腕を叩く音と床を叩く音、
響きは異なっても中心は同じ。
◆「知っていた」ことは思い出すのではなく、
いま知る。
◆「知っていること」に、時間はいらない。
時間を介せば「知っているつもり」になる。
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