【#イビピーオ #高級な悪魔 #非二元マウント 覚醒からのつぶやき 53】


不忍池のクラシックな浄土感。
◆「神秘」は「不思議」ではない。
◆自分自身と一致するとき「不思議」な感覚はない。
◆自己の「不明瞭さ」を「不思議さ」に転化しない。
◆不思議さへの気絶は思考停止、
不明瞭さへの気絶は感性停止。
◆明瞭さは「思考の収まり具合」とは無関係。
◆誤差の修正のたびに、ひとつの宇宙が生まれる。
◆この宇宙の等式は、あの宇宙の不等式。
◆アタマだけを白紙にしない。
◆ムネは形と動きを区別しない。
◆ハラ「これ。」
ムネ「これ!」
アタマ「これ?」
◆アタマ・ムネ・ハラの覚醒には固有の色
があるが、覚醒そのものには色がない。
◆色を見る遥か以前に、顕われては消える。
◆このマトリックスのマザーは、
深度のない闇を包んでいる。
◆肉体の目は光源に眩む。
◆目が眩むと本体が見えない。
高級な悪魔は眩しいものだよ。
◆目に映る光に惑わされない。
◆神が遍在すれば、悪魔も遍在する。
局在する悪魔は、目眩まし要員にすぎない。
◆「次元=世界」ではない。
◆例えば「高次元はお金の存在しない世界」
という表現の、素っ頓狂な二重三重の誤謬
に気づいてください。
◆「非二元」という、ノンスタイル風スタイル
のスタイリスト。
◆「私はいない」「という私はいない」
「という私はいない」「という私はいない」(永遠に続く)
非二元論者は、後出しジャンケンした方が
二元的マウントを取れます。
◆「我が我に殺られるのを恐れ、
我が生んだ我を食らうサトゥルヌス」
◆覚醒の刻は一瞬だが、
一瞬の覚醒はインスタントではない。
◆時空が展開しないとき、疑惑は共感へシフトする。
◆感動するほど美味しい物って、口に入れた瞬間、
舌の上でふわっと宙に浮く。
むこうからも、こっちからも、くっつかない。
そのとき、味覚は食欲と切り離されてるんだよね。
◆「多視点」は、幻想。
ひとつの実体を、それぞれが多角的に
見ているわけではない。
◆私たちは常に、自身の「顔の向き」に囚われている。
たとえ目を瞑っていても。
◆他人の「顔の向き」に囚われない。
こっちを向いていてもいなくても、
私に注目していてもいなくても、同じことなのだ。
◆私は私のセルフ・インフルエンサー。
◆「悟り」に、プロもアマもない。
◆「明日死んだらどうする?」
「今日死んだらどうする?」
「いま死んだらどうする?」
◆「明日生きたらどうする?」
「今日生きたらどうする?」
「いま生きたらどうする?」
◆狂ったように瞑想していた時期に「明日死ぬつもりで」
現実世界の全てを極限まで片付けてみたことがある。
結果、信じられないほどの軽さと解放感を体験したが、
ひとつわかったことは「つもり」はやっぱりフェイクだということ。
「今を死ぬ」ことは、時空上にはないからね。
◆パートナーが「ハラを殴ってみ?」と言うので殴ったら、
拳が当たった瞬間、ウナギイヌのように「ヌルッ」と変態した。
ニヤニヤしながら曰く
「システマ式を体得したのでオレは無敵だ!」とのこと。
なるほど、次は本気で殺りますよ?
◆冗談はさておき、拳を避けずに受け入れ、インパクト
の瞬間に脱力してダメージを逃がすのがコツらしい。
これは、肉体だけじゃなくて精神的な打撃にも使えるよね。
◆音を「聴いて」しまえば、賛美歌でさえ喧しいが、
音に「為って」しまえば、デスメタルでさえ鎮かだ。
◆何もしないと、何かしたくなる。
何もしたくなければ、何かしようとしない。
そうすれば、また何かしたくなるってこと。
◆この世には「無自覚な祈り」と「自覚的な祈り」しかない。
◆閃きは思考に還元されるが、思考は閃きを隠すジレンマ。
◆輪廻で引き継ぐのは「内容」ではなく「構造」です。
ただし内容の世界では、構造は内容に隠れています。
◆人生を誰かに見せる作品にしようとするから気が重くなる。
誰もいないんだから、瞬間瞬間に完結する即興でいいんだよ。
◆空間を引き伸ばしながら、隙間を埋めようとする矛盾の世界。
◆隙間と空虚を同一視しない。
◆時空は時空を消せない。
◆私たちは、話法のトリックにひっかかっている。
◆バカリズムが「すべらない話」で、
「試しに部屋でズボン履いたままオシッコしてみたら、
禁じられていた何かが解放されスッキリしたが、無意識の
ストッパーが外れて毎晩オネショをするようになってしまった」
と言っていた。
◆私は小学生になってもオネショしていたが、
特に罪悪感もなかった。
ある日、親戚宅でオネショして叔母に
「オシッコじゃないよね、汗かいたんだよね」と笑いながら
言われ急に恥ずかしくなり、それ以来ピタッと止まった。
それと同時に、大らかな自他未分の世界も閉ざされてしまった。
◆「垂れ流し」は、動物的本能とは逆行している。
野生動物は敵に襲われないよう、排泄をコントロールする。
自他未分の私は「生き延びる」という本能の圧力を知らなかった。
その圧力は、皮肉にも「人間らしさ」を獲得するための通過儀礼なのだ。
◆全てが「それそのもの」にぴったりグラウンディングしている。
グラウンディングできてないと思い込んでいるのは、思考だけ。
◆構造的な苦に同化するかぎり、精神は未病状態であり続ける。
◆自分を受け入れれば自分自身に近づくが、
受け入れる自分がいるかぎり、そこには距離がある。
◆快と善を混同しない
好と善を混同しない
不快と悪を混同しない
嫌と悪を混同しない
◆アナログ時計でもデジタル時計でも、秒をしばらく
見続けていると、速くなったり遅くなったりするような
生理的違和感が生じる。
主観的時間は常に揺らいでいるが「客観的時間」という
共通認識により、強制的に補正される。
だが、主観的時間も客観的時間も相対でしかない。
◆オリンピックでもパラリンピックでもない、第三の
「Xリンピック」が生まれそうな気配を感じるんです。
伝われ〜〜
◆「一なるもの」は、1ではない。
◆「永遠」は、∞ではない。
◆「あるがまま」って、自分にも他人にも
わざわざ言い聞かすもんじゃないよね。
◆「そのままでいいんだよ」って、
誰が誰に言えば納得するんだろうね。
◆あるマスターは、弟子が
「死ぬときは、慈悲の瞑想をしながら逝きたい」と言うと
「とんでもない!妄想のまま死ぬつもりか!」と一喝した。
そういうことです。
◆高次元の凡庸さもあれば、低次元の非凡さもある。
◆全ての組み合わせの試算は、既に終わっています。
◆「この私」は、脳内バラバラ屍体です。
◆世界はテンションで成り立つが、
どの中心にもテンションはない。
◆神話も数も色も完了形も再帰も左右も挨拶も
感謝も謝罪も備蓄も儀式も鬱病も自殺も心配も
比較も存在しない、アマゾンのピダハン族。
彼らを象徴する言葉「イビピーオ」の「直接知覚」は、
経験領域の境界線を二元的にとらえてしまうと
理解できない。
◆現象が「現れる」ことも「消える」ことも
「イビピーオ」である時、限定された知覚以前の
存在のリアルな手触りがそこにある。
それは唐突にその時起こり「いつ」「どこから」来た
(去った)かは問題にならない。
始まりのない彼らに創造神はいないが、精霊は
「現実」に見聞きするものとして存在する。
◆また、夢で体験したことも現実であり、
他人と自分の夢の境界線はない。
彼らにとって「そこにあるリアルな手触り」
だけが全てなのだ。
◆だからといって、私たちは彼らのように
ジャングルに住まなくてはならないわけではない。
イビピーオ的感性は一見、彼らの原始的な社会に
由来しているように見えるが、イビピーオの本質は、
社会や知覚の限定性に依らない。
◆13歳の頃、100km四方文明人の存在しない
アマゾン支流を小さな船で下ったことがある。
ピラニアが泳ぎ、ホエザルの声が響き渡るジャングル
の間を抜けていくと突然、川岸にインディオの小さな
集落が現れ、裸体の人たちがこちらを見ていた。
◆私にとってそれは鮮烈なイビピーオであり、
また、彼らにとってもイビピーオだったろう。
彼らは船が通り過ぎるまで、じっと立ちすくんでいた。
夕刻が迫ったころ、エンジンから異音がして
川の真ん中で船が止まった。
水草が絡まったのだという。
◆真っ暗になっていくジャングルの中、船頭が
オールを持ち出して手動で漕ぎ始めたときは、
別の意味で衝撃的なイビピーオだった 笑
(このとき、銃で野生のカピバラを仕留めて焼いて食べた。
日本の動物園のカピバラを見て「あれ食べたよ」と言うと、
鬼畜を見るような顔をされる)
◆「有識者」は「ピダハンの境地は悟りではない」
ってドヤるけど、ピダハンにとって悟りなんて
「イビピーオ」じゃないよね 笑
◆「悟り脳」は、闇が深い。
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