fc2ブログ

【#死後の世界 #次元上昇 #100匹目の猿 覚醒からのつぶやき 66】    

2022/01/30

つばき


◆肉体は、母星の重力に見合った意志力と浮力しか体現し得ない。

◆肉体と同化していると、重力は体重と一体化した足枷のように
感じられるが、重力自体は「創造の磁力」とは比較にならないほど弱い力。
重力に逆らって飛ぶことはできるが、創造に逆らうことは不可能。

◆私が私であるための言い訳として、私という世界が展開し続ける。

◆100匹目の猿が同じ夢を見たとき、新たな仮想空間が確定する。

◆仮に次元上昇したければ「次元に固定されない意識」が前提となる。
だが、その意識においては結局のところ「上昇する次元」は存在しない。

◆次元「上昇」は、肉体次元の概念。

◆3次元的に表現するならば、すべての次元は「ここ」に「ある」。

◆「世界」は、箱でも球でも波でも粒でも紐でもない。

◆「確定」にもあらず「不確定」にもあらず。

◆ルートチャクラの危機感を煽って、文字通り「お尻に火をつける」
戦略を自ら望んでいる世界。

◆世界は、私たち自身の意識を正確無比に反映している。

◆創造に「好奇心」も「工夫」も不要。

◆進化の創意実験に踊らされない。
実験には目的も責任者も存在しない。

◆創意実験は、エイリアンでも闇の勢力でもない、
私たち自身が行っている。

◆踊らされず「踊り」としてあること。

◆「目の前の現」 >・・・<「目の後の実」

◆水平の分離に限界を感じると、垂直の分離に意義を創り始める。

◆重力に支配された肉を積み上げて立つのではなく、肉体の構造
をそのまま「置いて」おき、肉の中心の空を「通す」。

◆神格化されたものは、神ではない。

◆宗教の神は、神格化されている。

◆ある参加者さんが
「ある晩、ふと目が覚めたとき、飼っている猫が内部に触れて
(通って)『うわっ』と驚いた」
と言われました。
「驚いた」のは未だ猫と自分が僅かに離れているからですが、
肉体が完全に落ちるタイミングが揃えば早晩、「猫=自分」が存在
の中心で鮮烈に鳴くことを知るでしょう。

◆体は体のまま置いておく
私は私のまま置いておく
無も無のまま置いておく
空も空のまま置いておく

◆「わかって」から「わかる」のは「わたしの世界」で「わかってなかった」
のは「私」だけだったんだ、ということ。
世界は私を許し、見守っていてくれたのです。

◆「感覚」をたよりにするものは、覚醒ではない。
とはいえ感覚は「それ」が確定するまでの信頼の印として有難く
利用される。

◆「今」を占える人はいない。

◆かつて「胎児であった私」に「肉体として」アイデンティティの
実感を持てますか?

◆私たちはこの世に生まれ出て、この肉体に仮初めのアイデンティティ
を付与してきたが、「胎児であった私」を想起する時のアイデンティティ
の不在性こそ、肉体の実存であり「わたし」の実存なのだ。

◆そして「胎児であった私」も「成体となった私」も、変わらず見続けて
(俯瞰ではなく)在るものが「それ」なのだ。
注意:アイデンティティの不在性と生の尊厳は相反しない。
むしろ、尊厳そのものとなる。

◆「俯瞰」する視点(感覚)は、肉体ありき。

◆これは、幽体でも魂でも神仏であっても同じことなんですよ。
胎児を想起するときのようなアイデンティティ不在のまま、それらも在る。
「いや、魂にはアイデンティティの確信が持てる」
という人は多いかもしれないけど、それは肉体と同化した自我の
アイデンティティの延長にすぎないのです。

◆胎内記憶があったとしても「肉体としての」胎児そのものの記憶ではない。
胚発生の段階では、記憶する脳がない。
それは、生死を超えた意識の連続性において「見ているもの」の記憶だ。

◆この記憶の「再生」には、肉体として生まれ出た後、再帰的自己を
自覚可能な脳が必要となる。
そしてこの「見ているもの」もまた、すでに輪廻の内に取り込まれたものなのだ。

◆ロバート・モンローは、数多の体外離脱でハイヤーセルフや神のごとき
高次元の存在に出会い教えを請うていたが、至高体験の最中でもたびたび
生理的な尿意(!)によって肉体に引き戻されてしまっていたという。
ああ、人間の至高体験の儚さと、肉体の引力のしぶとさよ 笑

◆それにしても、そんなにすごい体験だったのなら、肉体のほうは
「垂れ流しておいてもいい」っていう諦念で捨て置けなかったのかね?笑

◆死者は、体外離脱のように生理的現象によって肉体に引き戻されることも
ないし、たとえ自ら肉体に戻りたいと思っても戻る肉体がない。
ある臨死体験者は「死ぬと時空を移動できるので、自分の葬式をやってるか
どうか見に行くといい」と言っていた。
「葬式をやっていたら、肉体は諦めろ」と 笑

◆ここで注目すべきは、現象すべては「意志」によって起こっているが、
それは個我の意志ではないということ。
肉体がなくなってしまえば「(この自分として)生き返りたい」という個我の
「顕在」願望によっては生き返れないが、放っておいても大我の「意志」に
よって再び受肉してしまう。

◆このとき、個我の「潜在」願望が受肉の引力に「利用(!)」されるのだ。
だから、解脱を掲げる修行体系は、個我の「潜在」願望を完全に「無化」しよう
というのである。
(最下層の「潜在」願望は我々自身にはコントロールできないので、顕在と潜在
の境界を「無化」するしかない。)

◆「全ては意識で出来ている」「意識で現象は動く」というけど、個我の
意識レベルでは、能動的な肉体の再生と受肉は不可能だということです。
ただし、大我の意志と個我の意志が通じていれば、見かけ上は能動的に
生まれ変わったような感覚は生じるでしょう。

◆個人的に「個我」「大我」という言葉は好みじゃないんですけどね。
その言葉自体に執着すると「無化」を妨げるから。

◆そういえば、最近亡くなった瀬戸内寂聴さんは生前、
「死後の世界があるかどうか、私が死んだら檀家さんが寝てるときに
足の指クイクイッと引っ張りに行くわよ」
って言ってたけど、どなたか引っ張られた方います?笑

◆っていうか、今こんなこと呟いたのも、寂聴さんが私の意識を
「引っ張った」からだよね 笑

◆寂聴さんとは縁もゆかりもないはずなんだけど。
祖母もそうだけど、意識に触れてくるタイプの人(霊?)っているよね~笑
知己の覚者の御母堂も、そのタイプだとか。
「あれどこにある?」と聞くと「タンスの引き出しよ」とか応えてくれるそう 笑
完全に私見だけど、比較的女性が多いのかな?

◆まあ、死後とか霊とかの話って面白いけど、全てわたしの意識の中の物語です。
物語は面白くないと見ないからね~

◆人間は、肉体を介して「苦痛」の内圧と外圧を反転させている。
内圧と外圧の反転は、体内においても起こっている。
内と外を無化しないかぎり、錯覚は起こり続ける。

◆空間座標は便利な概念だったが、これからの世界では、座標で概念
を動かしていると「間に合わない」だろうね。

◆願いが100%叶えば、現象は動かなくなる。
この世界は即時、100%願いが叶っている。
すなわち世界はまったく動いていないのです。


関連記事
⇒ 【#私は何者か #神の口調 #地獄と死 覚醒からのつぶやき 56】
⇒ 【#サマタ瞑想 #幽体離脱 #魂の乗り物 覚醒からのつぶやき 52】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ つぶやき

#重心と浮力感 #覚醒の時限爆弾 #見性前夜 【1/22(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

2022/01/26

1/22(土)東京にてワークを開催しました。

輪2

磁石2
「磁石の反発力と内部の浮力を連動させる」


【浮力感の形状記憶】

ワークでは毎回、基礎として軸を調整しますが、前回のワークはさらにバランスボードの
上に乗って「どこにもくっつかない意識」の浮力のようなものを「形状記憶」していただきました。

また、ゴムのチューブの張力を利用して上下の軸と筋肉群の拮抗による浮力を体感していただきました。


カタチで実際にわかると、意識でも具体的にわかるようになります。

それは、曖昧なものではないのです。

ボード
「軸を作ってバランスボードの上で片足立ちする」(前々回ワークより)

「肉を持ち上げようとするから重いのだ。
肉の中心に消えてあるとき、エネルギーの内圧が勝手に持ち上げてくれる。
その軽さを知ってほしい。」

~ツイッターより~


ハンペルマン
「ハンペルマン人形」

「ハンペルマン人形みたいに、軸だけ上下にひっぱられて、ピョコン!
と座ればいいんですよ。 手足はブラブラで。」

~ツイッターより~


重心とバランスが一致した時の手足のアイソレーション感覚はハンペルマン人形に近いのですが、
単に手足の筋肉を脱力するだけではこの感覚は起こりません。

手足の筋肉は固めませんが全身で構造的に引張り合うテンションは必要なため、今まで慣れ
親しんだバランスが組み変わるまでは結構キツいです。

ゴム
「インナーマッスルと引張り合いの拮抗のバランスで、丹田の内側から浮きあがる」

ワークではこの状態で踵を踏んでグラウンディングし、内腿の内転筋群のテンションを感じたまま
膝を僅かに緩め、内臓を落とさず尾骨と座骨で「ちょこん!」と空中の軸の中心に座って頂きました。

この感覚が「居座らない」座法の基本になります。

「重力に支配された肉を積み上げて立つのではなく、肉体の構造をそのまま「置いて」おき、
肉の中心の空を『通す』。」

~ツイッターより~


このとき、鳩尾を突き出し大腿四頭筋を固め「がんばって」立とうとしないことです。

見かけは立っているように見えても「がんばって」立つと「立とうとする私」が抜けず「浮く」ことはできません。


「浮く」といっても「浮足立つ」わけではありません。

足裏をピタッと地面に接地し、地面からの押し戻しを感じつつ爪先と踵でグリップすると、土踏まずの
アーチの頂点が上方向へキュッと引きあがります。

肉を落とさず、上下の拮抗とバランスで構造的に直立している状態が、本来のグラウンディングです。



【重心と依存心】

ある参加者さんは、ぐらぐらするボードへの怖れがあり、なかなかバランスが定まらなかったのですが、
面白いことに私と冗談の掛け合いをして笑って緩んだときは、ピタッと揺れが収まってきちんと立っていたのです。

身体の構造と重心は、エゴを超えて本当に正直ですね~!


「重心が定まる」というのは心理とも直結しています。

物理と心理と生理がピタッと一致したとき、構造的に「浮く」のです。


また、ある参加者さんは、壁に手を置きながらボードに乗ったときは非常に安定して立っていたのですが、
壁から離れたところで手放しでボードに乗るとぐらぐら安定しなくなりました。

ヨガの逆立ちなども、訓練の段階から壁を利用しているとなかなか恐怖心がぬけずバランスが自立
しませんが、壁という安全保障に物理的にも心理的にも依存していると真に直立する感覚はつかめません。


このことは物理のみならず、万物すべてのバランスに当てはまります。

究極的には覚醒とは意識が「どこにもつかまらずにあること」なのです。

瞑想とは、そのことの確認のプロセスです。
(人間の構造としての直立は重力と地面に依っていますが)

エゴは、つかまる対象がないことが死よりも怖いのです。


ほとんどの人間は、まだ完全には直立していません。

重力と地面のみならず、あらゆる対象に依存し心と体の重みで寄りかかって人形のように
見かけだけ「立たされている」のです。

これは何も完璧な身体の超人になれ、ということではありません。

完璧な人間になってからでないと悟れないということでもありません。


これまで無意識に必要以上に「依って立っていた」ことに気づくことで逆に、この世界の重力や地面や
万物への感謝が生まれてきます。

ほんの一瞬だけそのことが雷のように核心に響けば、誰もがわかることなのです。


ただし、「依存しない」ことを「精神論」にしないようにしてください。

それは純然たる「構造」なのです。



【覚醒の時限爆弾】

時節柄、次回の開催も危ぶまれる感じになってきたので、今回は出血大サービス?で参加者さん
ひとりひとりに「覚醒の時限爆弾」を仕掛けておきました。

といっても「私」自身は、何もしてないんですけどね。

参加者さん自身の信頼の源に、意識を重ねただけ。

(具体的な方法は、秘密にしておこう 笑)


今回はたまたま出会った(本当は「たまたま」は存在しませんが)参加者さんを対象としていますが、
このことは常に「わたしの世界」のすべてに直接波及しているのです。

それは、即時の祈りです。


祈りといっても、何かを変えようとはしません。

祈りは常にありますが「ひとつの祈り」に気づいてあるかどうかはその人のタイミングでしかありません。

それは、私たちのあいだの「距離のない信頼」のリマインダーです。


このとき、双方に依存や利己心があると波及しません。

ワークと矛盾するようですが、何かを「わかろう」とするとその意識が距離を生むのです。

今回のワークでは全体の信頼があった上で、その場の流れで「仕掛け」が起こりましたが、
だからといって私という個人に期待したり何かを求められるのは奇妙な感じがします。

「『わかる人』っていうのは、勝手にわかっていくものなんだよ。
安心して放っておけるので、究極的にはこっちの意識にすら上らない 笑
その意味でワークは、信頼が発動するための意識化の場みたいなイメージかな。」

「『勝手にわかっていく』っていうのは、ある意味誰にでも備わっている『意識の自然治癒力』みたいな
ものなんだよなあ。(といっても、もともと病人ってわけじゃないけど)
私という個人は、各自に備わった自然の推進力とタイミングをリスペクトしてあることしかできない。」

~ツイッターより~




【背骨とエネルギーの通り道】

磁石背骨
「背骨の意識」
磁石というのがポイント。
これが、宙に「ぶらさがって」いる。
敏感な人は、これ見ただけで何か「来る」んじゃないかな?
(実際は 、頚椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙骨1個、尾骨2〜3個、合計27〜28個)


今日のワークでは、盆の窪から背骨をぶらさげてエネルギーの通り道の感覚をお伝えしました。

通り道自体は、どこにも触れない中心の連続体=管のように感じられますが、肉体として実体
があるわけではありません。

「よく、クンダリーニのエネルギーはどこを通るんですかと聞かれるけど、背骨に近いけど肉体じゃなくて、
どこにもくっついていないところを重力に逆らいゴゴゴゴゴ!っと怒涛の衝撃で昇る。」

「そのエネルギーは本来、すべてに満ちているが、あらゆる引力から自由になった空の道しか通れない。
逆にいえば、空いた道を見つけたら向こうから待ってました!とばかりに通り抜けてくる。」

~ツイッターより~


盆の窪の周辺は、皮膚に張りがあって穴に向かって引きあがっているような状態のほうが、
エネルギーを効率よく使えます。

盆の窪の周辺に空間をあける感覚と、意識の微細なベクトルの仕組みのコンビネーションの感覚が
つかめるようになると、強いエネルギーに意識をもっていかれてホワイトアウトすることなく、エネルギー
の発火の瞬間自体をピンポイントの目的に使えるようになります。


ホワイトアウトして気絶しないためには、これに加えて気づきのセンターが確立している必要があります。

気づきのセンターが自動的に働いているレベルまで確立していないと、高いエネルギー感覚を保ったまま
同時に中心で覚醒していることができません。


エネルギーの通り始めは、ぶらさがった背骨が魚のように前後に波打つようになるものですが、意識で
管を「置いて」おけるようになると、エネルギーが背骨にぶつからずに直接通るようになります。
(少しでも触れると高い圧がかかる)

このエネルギーを効率よく使い、盆の窪の空洞を発火させるのです。


エネルギーを頭頂から抜けさせなければ、認識の座の癒着を剥がす際に利用できますが、今日は、
ある小道具を使って頭頂を開く感覚もお伝えしました。

面白いのが、本人が意識できるかできないかに関わらず、開いたときにはプラーナが頭頂の穴から
「ピョコン!」と富士山みたいに浮き出ていたこと 笑

「生体エネルギーと認識の座のバランスの拮抗がないまま、心身だけを重力にまかせて脱力させて
しまうと存在の基底に沼のように沈みこんではまってしまう。」

「例えば香りを嗅ぐとき、香りの真ん中にありながら吸い続けると、真ん中の連続が真空の管のようになる。
動きにおける真ん中は、時空の連続性とともに管化するが(クンダリーニはここを通る)管を先にイメージ
してはならない。
管も、管を通るエネルギーも、真ん中も、すべて仮象にすぎない。」

~ツイッターより~




【頭頂とプラーナ】

自分の手を頭上に伸ばして指先で触れられる位置までが、3次元の肉体の延長として具体的に知覚
できるギリギリのポイントです。
(俯瞰のポイントは頭頂の斜め後ろ上部)

肉眼のフォーカスを変えれば、この位置までは目視できますが、それ以上は肉眼とは別の位相になります。


相手が気づいても気づかなくても、相手のプラーナの大きさや形は気づいている側の意識で変化させる
ことは可能ですが、相手自身が気づいていない場合、こちらの意識を抜いた瞬間、すぐに肉体の輪郭
の際まで戻ってしまいます。

これは神秘的な力などではなく、ひとつであるところから見れば「相手=自分」なので、ごく自然な現象です。


ワークで内部の目の立体視の感覚をつかんだ参加者さんも「自然と見えるようになった」との報告がありました。

実際、参加者さんたちに頭頂の空間を自分で触ってもらったところ、私から見てプラーナの一番濃い際のところ
で「ここに磁力みたいな圧を感じる」と正確に報告されていました。

この感覚は、生体として誰でも直観的に持っているものなのです。



【尾骨とエネルギー】

まず床に座り、床にぶつかる感覚で尾骨の位置を確かめます。

通常、尾骨の最下端はほとんど意識されず、自覚的に動かすこともできませんが、イメージでよいので
丸まった先端がフワフワ浮きながら微かに動くのを感じてみてください。


すると、ぞわぞわもぞもぞする感触とともにエネルギーが発生し背骨を伝って脳天がホワイトアウトする
感覚に気づきます。

尾骨の下端は、無重力感覚に近いのです。


ただし、背骨のひとつひとつの感覚が途切れ途切れで間がブラックボックス化していると、エネルギーは
そこで止まり頭頂まで通りません。

この垂直のエネルギーは生体としての根本的な動力ですが、それとは別に意志のエネルギーは丹田
から起こり、自我と結びついて水平方向に利用されます。
(意志の発動と自我の発生の瞬間を曖昧にせず、正確に見切っておくことは必要。
ここも、単純な仕掛けを使ったワークでやります)


垂直と水平、どちらのエネルギーも単体では現象は動きません。

瞑想とは、水平方向を意識的に無化し、垂直を折りたたんで次元を「相殺する」ようなものです。


ちなみに、垂直方向のクンダリーニ上昇は機能として利用されることはあっても、それ自体は
「瞑想」そのものではありません。



【無限の中心を泳ぐ】

身体の構造に規定されなければ、どの瞬間どこを切り取っても無限に中心は決定されます。

その意味では、世界には中心しか存在しないともいえます。

中心は、何も存在しない空です。


ワークではこのことを「壁に指を押し付ける」という、拍子抜けするほど単純な方法で実感していただきます。

実際、これだけで「あっ!」とわかる方もいますが、静止した状態でそれがわかっても日常生活で起こってくる
様々な現象に流されていると再びわからなくなってしまうことがあります。


昨日のワークでは「瞬間瞬間に立ち顕われてくる中心だけを断続的に繋いで動く」ことを体感していただきました。
(中心は本来「連続」しませんが、人間の認識速度においては一連の動きにおいて連続した真空管のように感じられます)

このとき、ある参加者さんの動きにハッと目を見張りました。

正確かつ丹念に「繋がれた」腕の動きは、太極拳のように優雅で美しかったのです。

中心を繋いだその動きは、肉体のどこにも「ぶつかって」いませんでした。


日常では、様々な現象が次々に起こってきては「私」という仮象の実体に「ぶつかって」きます。

しかしその「ぶつかった」瞬間そのものの中心もまた、何も存在しない空なのです。

すなわち、ぶつかっているけども何もぶつかっていないということです。


そのことを知っていれば、たとえ一瞬ぶつかって立ち止まったとしても、そのたびにその瞬間の中心となって、
再び中心から中心へと波のように泳いでいけばいいのです。

その泳ぎは、必ずしもなめらかな曲線である必要はなく、カクカクとぶつかりながらでも、ひとつひとつ
必ず通り抜けていけるのです。

なぜなら、中心はどこにでもあるからです。


中心から中心へと泳いでいくとき、中心は空なのでどこにも触れていませんが、「どこにも触れていない」
ことを「離れて見ていること」と勘違いしてしまうことがあります。

現象から離れて俯瞰し続ければ一見、世界に巻き込まれずに済むように感じられますが、そこに
「離れて見ている自分」が存在するかぎり、根本的な一致と安心は訪れません。


この「気づきという名の俯瞰に留保する態度」を私は個人的に「ヴィパッサナーの並行問題」と呼んでいます。

真摯な修行者ほど、このジレンマに悩むはずです。

留保が効力を発揮するのは、物理的な苦に巻き込まれている初期段階までなのです。



【見性前夜】

ワークに数回参加されたことのある参加者さんが

「ある晩、ふと目が覚めたとき、飼っている猫が内部に触れて(通って)『うわっ』と驚いた」

と言われました。


「驚いた」のは未だ猫と自分が僅かに離れているからですが、肉体が完全に落ちるタイミングが揃えば早晩、
「猫=自分」が存在の中心で鮮烈に鳴くことを知るでしょう。

「死体」は猫と一体化しているが、鳴き声は素通りする。
私たちの覚醒は「生体」の悟り。

~ツイッターより~


「死体のハラで猫は鳴かないよ」と言ったら、この参加者さんは頷きながら笑ってくれました。

そういうことです。



4点
「ワーク必須4点セット」
毎回こんな感じ。
一日、梅干し以外の固形物は取らない。
2~3時間おきに、カフェインとブドウ糖補給。
エネルギーはギリギリに抑え、腸は軽く保つ。
瞑想リトリートに入る場合等のご参考まで。


関連記事
⇒ #信頼と祈り 【12/5(土)東京ワーク~所感と解説~】
⇒ #ワンネス感覚 #エネルギーを通す 【4/30 (土) 東京ワーク ~所感と解説~】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク

【#啓示 #地球を卒業? #真空と恩寵 覚醒からのつぶやき 65】            

2022/01/18

御苑
御苑で雪だるま作り。賽の河原?


◆世界は「ガチャ」ガチャ。

◆カルマはガチャに非ず。

◆神にマルチタスクなし。

◆無限手先を読むために、
無限に分離する私たち。

◆覚醒とは、悦びのコスパが最強の状態。

◆臨在に色なし。

◆ワンネス体験は次元に依拠するが、
ワンネス自体は次元に属さない。

◆認識が次元を固定するとき、
矛盾の辻褄合わせで分離が派生する。

◆本来、次元は固定されていない。
次元の棲み分けは幻想。

◆真空に貼りつき、無音の運動に慄く。

◆無音のハートは、宇宙でただひとり震えて在る。

◆鼓膜は、振幅を「見る」。

◆神は振動にあらず。

◆「全方位のグラウンディング」=「無方位のフローティング」

◆底のある「存在感」から、底のない「存在」へ。

◆実体を密度で実感しない。

◆心身が世界にぶつかっている。
ぶつかったものだけ見ている。

◆時空をくぐり抜けようとしない。

◆「くぐり抜け」は、通過「偽」礼。

◆肉体と魂に刻印された「通過」の強迫観念に気づく。

◆「非感覚」≠「無感覚」

◆極論すれば、肉体・精神・魂・霊を問わず人間の問題は
ほぼ全て、相対的な速度と質量の調整のみで解決する。
逆に言えば、速度と質量の異なる位相を「ひとつの世界」に
押し込めようとするから、問題があるように見えているのだ。

◆寝入りばなに「神っぽい啓示」が聴こえるのに味を占め、
一生うとうとしているのが「宗教家」といわれる人々。

◆この世は睡眠学習。
学習成果は夢の中。

◆入浴中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、風呂場で閃いた。
「そうか、ずっと風呂入ってればいいんだ!」

◆睡眠中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、睡眠中に閃いた。
「そうか、ずっと眠ってればいいんだ!」

◆好き嫌いにプライドを持たない。

◆自分の好き嫌いを面白がる。
他人の好き嫌いも面白がる。

◆「ノンフィクション」というフィクション。

◆考えるのが「面倒臭い」人に、無思考は訪れない。

◆怠惰な脳ほど「勤勉に」思考し続ける。

◆囚われているのは思考ではなく、感覚と感情と記憶のキメラ。

◆「この世はジョーク」というけど、神自身は構造的に
ジョークは言わない(言えない)。

◆赤ちゃんは、ふざけない。

◆ギャル「神みw」
神み(かむろみ)「その『み』じゃない」

◆【明るい緑化運動】
「笑えば、草生える」

◆「インセンシティブな内容が含まれている
可能性のあるツイートです」

◆こんがらがった思考は、
知恵の輪みたいに立体的に外そう。

◆多次元の知恵の輪のほうが簡単。
なにも「交差」してないからね。

◆聖徳太子は一度に10人の聴聞は出来ても、
一度に10個の発話は出来ない。
ヒトの形態と物理的時空の限界。

◆10人の話を聞くのは難しいが、
10人の姿を見るのは易しい。
10人ひとりひとりを区別しなければ。

◆聖者は一言に含まれる倍音で対機説法する。
万人に響くので、言葉はシンプルになる。

◆それにつけても、私めの言葉の多さよ 笑
言いたいことは一音だけなんだけどねえ。

◆背骨を直立させて、存在にバンジージャンプする。

◆実際にバンジージャンプしてみると、
意図なき声が身体を貫く感覚がわかるよ。
それは「遺体から声が出る物理的珍現象」とは
似て非なる、生きた現象なんだ。

◆やることがないと寝てしまうのが人間。
やることがなくても起きているのが神。

◆「睡眠」という肉体現象が「目覚め」を複雑にしている。
だから、いったん肉体を置いておこうと言うのだ。
ただし「わかる」には、やはり肉体の目との一致が必要。

◆「愛」という言葉に気絶しない。

◆この世のタブーを解くには、肉体と神話の癒着を剥がすこと。

◆「神話」は、あくまでも「話」なんです。

◆「肉体のカタチで死にたい」という
「人間的」なプログラミングの呪縛。

◆魂という名の形状記憶。

◆「人間としての完全体」への野心と郷愁を解く。

◆「地球を卒業」っていえば聞こえはいいけど、
問題児が体よく放校される場合もあるからねえ。
学校っていうのは、勉強しなくても卒業できちゃうし。

◆「この世=学校」という発想は、新たなる時空の呪縛。

◆とはいえ「だるま落とし」は、地球でこそ。
「だるま」は「ダンマ」なんて高尚なこと言ってないで、
重力のあるうちに肉体という「だるま」を愚直に落とそう。

◆修行者に必要なのは「空白」をどこにも落とし込まない諦念。

◆空白は記録できない。

◆覚醒に「多角的視点」はない。
「多角」「視点」は、3次元的発想。

◆覚醒に「対偶・逆・裏」はない。
真偽がないからね。

◆波動の真ん中に浮かび上がる「線」は、時空の亡霊。

◆通過「点」は、実存し得ない。

◆「正しいこと」を言おうとしたことって一度もないな〜

◆【相手が区別できない感じ】
この世界ではやっぱり、体とモノがあったほうが
「どこにもぶつからない意識」には気づきやすいね。
力と意図でぶつからなければ、棒の延長の相手も力まず一体化
してるので「倒される」というより自然に「釣られる」。

◆【一筆書きの様なもの】
意図を外して、予備動作の力みと方向を相手に悟らせない。
実際に外せてるかどうか、目に見えるから分かりやすい。
武道だから「目的」は残ってるけどね。

◆【ワンネスポイント】
△「脳が」創造する。 ○「脳も」創造する。
△「脳は」投影装置。 ○「脳も」投影装置。

◆空間的な「ひとつづき」は、ワンネスではない。

◆「それは指一本でわかるんだよ」と言うと
「それじゃ何も変わらないじゃん」と言われる。
「変わること」に真実を求めるかぎり
「変わらないそれ」には気づけない。

◆「絶対的に混ざりけのない注意が、祈りである。」
シモーヌ・ヴェイユ

◆仏語だと
L'attention absolument sans mélange est prière.
英語だと
Absolutely unmixed attention is prayer.
どっちも”attention”だけど「注意」という訳が
引っかかる。
かといって「注視」でも「留意」でもないしなあ。
でも、ヴェイユのattentionの指し示すものは直に伝わってくる。

◆ヴェイユは「注意とは放棄である」と言う。
"attention"が指し示すものは、純粋な宗教体験の核心なんだよなあ。

◆「気づき」と「注意」は異なる。
注意はコーヒーをこぼさないように見張るが、
気づきはコーヒーをこぼすのを明晰に見ている。

◆ヴェイユの"attention”は、上記でいう「注意」と
「気づき」とも異なる。

◆「対象のない祈り」は、宇宙の軌跡とハートの空
が重なって意図が手放され続けている状態です。
この「祈りの原型」が起こることが、覚醒それ自体からの
コミットメントとなります。(Rubin’s workブログより)

◆ヴェイユのいう「注意」は「対象のない祈り」に近いんだ
けど、神を置くので「専心」の求心力みたいな感覚が加わる。
それはまさに「真空」がポイントなんだ。

◆「真空」と「恩寵」
ああ!貴方はそれを知っていたのですね!

◆「恩寵は、真空にしか入っていかない」
シモーヌ・ヴェイユ

◆真空は、比喩ではないんです。
実際に、真空を見るんです。


関連記事
⇒ 【#ワンネス #3次元とは #神の降臨 覚醒からのつぶやき 36】
⇒ 【#イビピーオ #高級な悪魔 #非二元マウント 覚醒からのつぶやき 53】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ つぶやき

【#坐禅と動禅 #ジェンダーレス #多様性 覚醒からのつぶやき 64】        

2022/01/08

2022ゼラニウム
毎年、なぜか真冬に咲き続けるゼラニウム


◆想念の足跡を残さず歩く。

◆「途上感」は、進化の幻想。

◆「予感された未来」に流されない。
生は「未知の切先」にしかない。

◆「未知の切先」は、底の見えない崖っぷちのようだが、
恐怖ではなく喜悦しかない。

◆時空から解放されるとき「時空の最先端」
で垂直に串刺しになる。

◆覚醒と輪廻は、時空の同一線上にはない。
「輪廻から脱する」という言葉は的外れ。

◆「しんねん」と打ったら「信念」になった。
信念、空けましておめでとうございます 笑

◆覚者は「明ける年などない」と嘯くけど、
そこは「明ける体(てい)」でもよくない?
人間だもの 笑

◆意識自体には偏りはありません。
また、肉体の形にも偏りはありません。
偏りではなく想念の相対的なズレはあります。
肉体とは瞬間瞬間、断片的に切り取られたイメージを
時系列で編集した概念であり、肉体そのものの完璧な総体
をその瞬間に認識できる人は存在しません。

◆以前、ワークの場所を探していて、とある教会が貸し出して
いる集会室を下見に行ったところ
「おたく、何やってる団体?ウチに相応しくないとねえ。相応しいのかい?」
と牧師さんにジロジロ見られた。
話がややこしくなりそうなので退散したけど、相応しいのか相応しくないのか
未だにわからない 笑

◆遅ればせながら『マトリックス・レザレクションズ』観ました。
「ゲーム」というメタ設定と「二元性縛り」の認識をベースにするかぎり、
覚醒パターンのマンネリ感が否めず。
未だに「戦い=銃&拳法」って、イメージが素朴すぎない?
その想像力のままじゃ、世界を何回やり直しても同じだよね。

◆いい加減、創造の内的拮抗を「戦い」に置き換えなくてもよくない?

◆とはいえ、エンドロール最後の自虐にすべて回収されちゃってる意味
では確信犯なのかも、と思い直すなど。

◆マトリックスでおなじみの「弾丸を避けるシーン」について。
意識はどの瞬間を切り取っても、飛んでくる弾丸の軌跡と同時にある。
認識速度を上げてコマ割りすれば弾丸は見切れるだろうが
「その認識速度は肉体とは同化できない」
ので結局、肉体には弾丸が当たる。

◆事故等で自分の肉体が吹っ飛ぶのをスローモーションで見ていても、
その瞬間の肉体を操作できないのと同じ。
操作する方法もありそうだけど、個人的にはそこまで肉体に執着がないな~笑

◆「心の目で見ろ」というときの「心」は、その位置じゃない。

◆細胞にしろ時空にしろ、コピーにコピーを重ねれば、
必ずエラーが起こる。
それこそが、世界の救いだ。

◆「多様性」は「他様性」。
「多」の前に「他」を認める。

◆多様性とは「ひとつ」である「それ」から分化した結果ではない。

◆「ひとつ」と「多(他)」を同一次元で補完しようとするから
「後ろめたさ」と「エクスキューズ」が付きまとうのだ。

◆3次元の御神体は「対面式」

◆5次元の御神体は、鏡ではない。

◆「闇の中で鏡に映っているものを見よ」

◆「ひたむき」な人は「額の向き」が固定した人。

◆微細な直観は、粗雑な行為に阻まれる。

◆直観をカタチにするって、ある種の共感覚だよね。

◆「金は人を変えてしまう」というけど、金が悪いわけじゃない。
金がないので抑えていた、その人本来の性質が浮上してきただけ。

◆日本の学校のテストは消しゴム使用可だけど、使用不可の国も多い。
良くも悪くも、消しゴムって現代の日本人の精神を象徴してるよね。
墨で書いてた頃は、今よりも決然としてたはず。

◆ちなみに、消しゴムで消す意識ではエゴは消せない。

◆この世の言葉で「真実だけ」を抽出して語ることはできない。

◆「真実が伝わらない」と嘆く覚者は、世界の半分しか知らない。

◆言葉は、常にフィクションを含む。

◆「真実」を探さない。
「事実」を見るだけ。

◆感覚を書き換えるよりも、物語を書き換えるほうが簡単。
だから、取りあえず物語だけ書き換えてきた結果がこれ。

◆苦の報酬としての幸せを求めない。
これは、地球人に染み付いた悪癖。

◆神は無垢に遍在するが、悪魔は巧妙に遍在する。

◆神は完全なジェンダーレス。
人はすぐそのことを忘れる。

◆相対性をグラデーションでイメージしない。

◆「苦」は、苦しんでいない。

◆対義語のない「幸」
対義語のない「苦」

◆「対義語のない言語体系が存在できないのは何故ですか?」

◆「苦」は「幸」の対であるかぎり「意味において」救われ得る。
ただし、その救いは永遠ではない。

◆意味の中心は、無意味でも非意味でもない。

◆意味の中心と無意味の中心は同じもの。

◆「中心にあること」は、心の技術でも体の技術でもない。
だがしかし、それはやっぱりこの世界限定の技術なのだ。

◆中道には支点がない。

◆「無為」と「無意味」を混同しない。

◆坐禅でわかっても動禅でわからなくなる人は、
空を肉体(時空)でとらえてしまっている。

◆「止」の「空」を球にしない。
「動」の「空」を筒にしない。
「無」の「空」を点にしない。

◆カタチを象徴化しない。

◆時差がなければシンボルは不要になる。
記憶を読み解く必要がなくなるからだ。

◆見たことのないものは、見ることができない。
知らなかったものは、知ることができない。

◆知っていることを信じている。

◆完全にオリジナルなものは存在しない。

◆「関係性」とワンネスは無関係。

◆ワンネスはワンパターンではない。

◆イメージ抜きで世界を見る。
イメージ抜きで他人を見る。
イメージ抜きで自分を見る。

◆イメージではなく、イメージの触発を見切る。

◆イメージを見てしまうから、世界から遅れるのだ。

◆まず、他人が存在するイリュージョンにショックを受けないと、
多次元なんてわかりませんね。

◆源に「還る」感覚は、認識の時差から起こる。

◆非効率な運動は存在しない。

◆背骨を直立させて、存在にバンジージャンプする。

◆自我が怖れているのは、無ではなく虚。

◆虚は、肉体という器ありき。


関連記事
⇒ 【#ワンネス #3次元とは #神の降臨 覚醒からのつぶやき 36】
⇒ 【#ソウルメイト #コールドリーディング #慈悲 覚醒からのつぶやき 54】
⇒ 【#オープンAI #ハイパーコンテクスト #マハーサマディ  覚醒からのつぶやき 76】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ つぶやき

【1/22(土)14:00~17:00 、17:30~20:30「東京ワーク参加募集」】

2022/01/01

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

座禅 ワーク1


1/22(土) 14:00~17:00 、17:30~20:30
募集締め切りました。次回開催は東京にて2/19(土)予定です。
ウイルス感染増加につき、次回開催は3/26(土) 4/30(土)予定に変更となりました。
参加希望の方は、まずはメルマガにご登録ください。


⇒メルマガ登録はこちらから


※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。

通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・時空と存在の切先に立つ
・存在の深淵に滑り込むには
・中心の合一から脱中心へ
・エネルギーの最大効率化
・現象の引き戻しと離脱ポイント

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子


⇒「遠隔透視と無思考状態」 【12/18(土) 東京ワーク ~所感と解説~その1】

⇒「内部の目と覚醒の起爆力」 【12/18(土) 東京ワーク ~所感と解説~その2】

⇒「自分を描けるか?」 【11/21(日) 東京ワーク ~所感と解説~】


※参加ご希望の方は、拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


⇒メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


***************

※ツイッター頻繁につぶやいてます※
@Rubins_work


⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク