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【#スターシップ #炎上生法 #ルーティン 覚醒からのつぶやき 85】     

2022/07/30

初雪草3
夏が旬の「初雪草」
花言葉は「好奇心」
英名だと「幽霊草」
乳液に強毒性あり。
やっぱり夏が旬だ!


◆凡夫の「記憶力」
覚者の「忘却力」

◆「自分軸」という名の「自分自苦」

◆「自分軸」は自分が消えるところにある。
自分のイメージする自分軸を自分で作れば、
自分軸自体にがんじがらめになる。

◆完全に自分軸そのものになったら、
何も認識されない。

◆その自分軸は、世間軸です。

◆「あってもなくてもいい」とき「あってもいい」をとるか
「なくてもいい」をとるか「あってもなくてもいい」をとるか、
それが私たちの分かれ道。

◆100%思い通りになっても100%思い通りにならなくても
同じ理解に至るが、99%になったとたん疑いはじめる。

◆「五感」も「一感」も「百感」も、違いはない。

◆覚醒体験は「無感」でも「六感」でもない。

◆「世界の行方」と「自己の行方」を同一視しない。

◆「私の世界」を統治しない。

◆「創造主」とは「創造」が前提の「主」であるということ。

◆「主」は、君臨を余儀なくされる。

◆「この私」は、世界の特級呪物。

◆「俯瞰」は視点の暫定措置。

◆全方位俯瞰は、空に収まる。

◆空間に麻痺し、時間に気絶する。

◆言語同様、認識の「リエゾン(連結)」「アシミレーション(同化)」
「フラッピング(弾化)」「リダクション(脱落)」「ウィークニング(弱化)」
に気づこう。

◆「真我」に対して「偽我」があるわけではない。

◆「真我」は「我の真」ではない。

◆「真我」は「我」の上位次元にない。

◆「真我」と「潜在意識」は無関係。

◆「潜在意識」は二元性の幻想。

◆覚醒に顕在意識と潜在意識の区別はない。

◆個人的に「真我」という言葉は使わない。
誤解を招きやすいので。

◆「虚」と「無」を混同しない。

◆「この私」は世界の「出オチ」に気づいていない。

◆記憶の圧縮と解凍で、飛び飛びにフリーズしている。

◆「複雑=混沌」ではない。

◆「複雑=雑然」ではない。

◆複雑性そのものは、シンプルなパターン。

◆世界の混沌とアタマの混乱を同一視しない。

◆3つまでしか数えられない原始人は「頭が悪い」わけではない。

◆原始人は、4つ以上のものを見て混乱するわけではない。

◆「一なるもの」は単一ではない。

◆「いまここ」を念仏にしない。

◆「さっきそこ」が「いまここ」を唱えている。

◆「いまここ」の迷子「いまどこ」

◆「いまここ」教の弊害。

◆「バカ」は愛しい。
「バカな人」は哀しい。

◆「バカな人」にならない。
ただ「バカ」であること。

◆人は数に叡智を見る。
神は数に自然を見る。

◆大乗は、衆生をどこかへ「運ぶ」わけではない。
植え付けられた「スターシップ」幻想を解こう。

◆「直観」は「時間短縮」のツールではない。

◆「直観」と「スピード」は比例しない。

◆「0.1秒の直観」も「1億年の直観」も同じだが、思考は1億年を
「1億年かけて」長考してしまう。

◆人は1秒を「1秒」に当てはめる。
だから、個々のリズムが狂うのだ。

◆「世界をわかりたい」期待か「自分をわかりたい」期待か。
「世界がわからない」後悔か「自分がわからない」後悔か。

◆名もなき者にも名前はある。
そこに矛盾などない。

◆当然、名もなき著名人もいる。

◆「何者でもない者」を「何業者でもない者」と混同しない。

◆自なき「尊心」

◆蜻蛉が浮くように
水黽が浮くように
ただ浮いている。

◆肉で浮こうと藻掻かない。

◆「実感」を固形化しない。

◆「この私」は「どの私」を愛すべきか探し続ける。
「どの私」なる問いは「この私」を分割していく。

◆愛に指示代名詞はない。

◆私は「生みたての自分」を尊敬する。
私は「死にたての自分」を祝福する。

◆過去をやり直したいと思ったことは一度もない。
未来を選び直したいと思ったことは一度もない。
過去と未来に対して、触手が1ミリも動かない。

◆「共感」は求めない。
「感」だけがある。
「理解」は求めない。
「解」だけがある。

◆疑似進化は「時空の超越」ではなく「時空の効率」を求めている。

◆疑似進化は、心身を利己的に形骸化させる。

◆「規則正しさ」は、均一ではない。

◆“123123123”という、宇宙Aがある。
“948925375”という、宇宙Bがある。
有限の存在に、Bの法則は見えない。

◆呼吸はルーティンではない。
鼓動はルーティンではない。

◆生死はルーティンではない。
生滅はルーティンではない。

◆圧縮と誕生はセットだが、誕生に爆発は必ずしも必要ではない。

◆圧縮を緊張で代替しない。

◆緊張を生の起爆剤にしない。

◆「ストレスをかけると進化する」「使わないと退化する」
システムからの解放。

◆「モノを見る目」と「コトを見る目」の癒着を剥がす。

◆ウラを見る人は、鼻は利くが目は悪い。
そして、耳はまったく聴こえていない。

◆「ウラを知る人」と「ウラを見る人」は、目の奥行きが異なる。

◆「世界のウラ」と「自己のウラ」を混同しない。

◆「ウラオモテ」は完全なる肉体感覚。

◆二元性は「超える」というより「抜ける」。

◆「抜けた」目の奥に「ウラ」はない!

◆「他人」とは、意識が物質化したもの。
肉体のない死人でさえ物質化している。

◆幽霊は、肉体に属する。

◆「他人がいる感覚」の源は「自分がいる感覚」の源と同一。

◆「自他」という「炎上生法」


関連記事
⇒ 【#スピリチュアル用語 #アセンション #自由意志  覚醒からのつぶやき 32】


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#ウラ丹田 #水平呼吸 #祈りの型  【7/17(日) 東京ワーク ~所感と解説~】   

2022/07/24

7/17(日)東京にてワーク開催しました。

今回は集中しすぎて、全体写真撮り忘れ!


↓ ワークで使用した小道具たち


【ソフトボール】
ボール2個

まず身体の軸と空間の位置関係を明確に認識したうえで、全員で円になってボールを
投げたり転がしたりしました。

投げるほうも受けるほうも相手の肉の幅や動作を見るのではなく、空間全体に気づきつつ
自他ともに空間にぶら下がる軸そのものになるのがポイント。

アタマで相手の動きを予測し、肉体を準備していては遅いのです。

軸そのものになったとき、相手の軸が即自分の軸となり、ボールがどの方向にどのスピードで
飛んでくるのかが全体の中で気づかれています。

軸から軸へとボールが飛び交い床を転がるとき、そこには幾何の軌跡と呼吸のリズムだけがあります。


【メトロノーム】
メトロノーム

「カチ、カチ、カチ、カチ…」という一定のリズムを聞き続けていると、無意識に次の「カチ」
を予測して待ってしまうようになります。

予測モードになると「カチ」と「カチ」の間の余韻に気絶し、今この瞬間の「カチ」を100%味わう
ことができなくなってしまいます。

今ここにある「カチ」の中心そのものとして在るとき、次の「カチ」が来るか来ないかという予測
は完全に脱落し、その時その時の「カチ」が毎回新鮮なインパクトとしてただ在るようになります。

このとき「カチ、カチ、カチ」という規則的に刻む客観的な時間は存在しません。

ただしこれは「カチ」と「カチ」の間の余韻を排除するということではありません。

たまたま「カチ」の中心がその瞬間のインパクトとして顕われたということであって、余韻そのもの
にも無限にインパクトが存在するのです。

「カチ」と名づけられたものと「余韻」と名づけられたものは、それを聞き分け名づける者がいない
ときには完全に等価です。


【カッター】
カッター

今回のハイライトは「祈りの型」の体得で、皆さん一人一人が生贄として差し出した喉と首と心臓
にカッターの刃を当てていった瞬間。

本当は、真剣でやりたいのですが。(真剣斬り体験したことあるけど、ゾクゾク感がレベチ)

ここだけ聞くとヤバい団体ですね 笑

これにより、原始的な祈りの型と心構えから「対象のない祈り」に到るまでのプロセスをお伝えしました。


【アルミホイル】
アルミ

エクスタシーの快と不快の表裏一体感のデモとして、アルミホイルを噛んだときの「ガルバニー電流」
現象を例に挙げたのですが、アルミホイルを配って「唇で挟むだけでいいですよ」といったのに、思いっきり
口の中に入れて噛んだ方がいて「うへ!!」っと悶絶してました。(「旧銀歯世代」限定デモ)

今回は、刃を急所に当てたり、アルミホイルを噛んだり、尾てい骨をムズムズさせて飛んだり、
生理的にゾワゾワくる回となりました 笑


【ビー玉】
ビー玉

ワークでは毎回、このビー玉が八面六臂の活躍をしてくれます。

ある時は丹田に触れ、ある時は頭頂を開け、ある時は空を貫く。

物理世界の攻略は、モノに教えてもらうのが一番確実なのです。

あたま
物質の境界から頭頂を開く(以前のワークより)


↓その他のメニュー


【ウラ丹田】
傾き
↑奥に立てかけている机を使用

各自で重い机を持ち上げて丹田にエネルギーが集約する瞬間を観察しました。

机をズラッと並べて重量上げ選手みたいに持ち上げてる図は、なかなか異様でしたね 笑

ここから、エネルギーの集約の「ウラ」に意識をすとんと落とす、という微細な領域へと続きます。


【水平呼吸】

呼吸の秘伝ラインの実践。

口蓋をストレッチする感覚をつかむために「オエッとえずいた時に持ち上がる箇所を水平に
引っ張ります」といったら、皆一斉にオエオエする地獄絵図に 笑

上咽頭に呼吸がぶつかる感覚と盆の窪を開く感覚と頭上のポイントをつなげることで、瞬間的に
サマディに入りやすくなります。

出来る方は合気あげでこの感覚を使ってみてください。

横のラインの呼吸の感覚がつかめると呼吸と共に肋骨と筋膜が内部から風船が膨らむように
押し広げられてきます。


【その他小道具類】
ふうせん

他にワークでよく登場する小道具は、輪ゴム・爪楊枝・釣り糸など。

定期的にゴム風船を仕入れにいきます。

丹田造るのにいいんです、これが。


磁石背骨
磁石も登場。背骨のデモ。


関連記事
⇒ #サードアイの空 #丹田強化 #脳梁連結  【6/12(日) 東京ワーク ~所感と解説~】
⇒ #ワンネスの視界 #邪気払い奥義 【10/10 (月・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


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【#シュリ・チンモイ #マカバ #しくじり先生  覚醒からのつぶやき 84】  

2022/07/20

ひまわり_2
向日葵を生けました。
太陽神経叢のお手本!


◆エンパスで辛いというけど、共感力が高いなら他人の幸せだけ
に共感すればいい。
他人の不幸にだけ共感してしまうのは、軸とハラがブレてるから。
即効性があるのは、呼吸とともに肋間筋をストレッチし肋骨を上下に広げ、
太陽神経叢のハリとエネルギーを高めること。
肉体から変えたほうが速い。

◆舞台に携わっていた頃、完璧にフラットな明るさを求め
「もっと明るく、影をゼロに!」と叫んで、照明さんに
「ムリ!」とキレられた 笑
目に囚われる前に私たちが知っていた、太陽より数万倍明るい光
を表現したかったのだ。

◆某スピリチュアリストは子供の頃「人のオーラや世界の光が眩しくて
カタチが見えなかった」と自慢!?してたけど、それって真暗闇の地獄
から来たって言ってるようなものだよね。
肉体の目で見るこのアストラル界は、かつて知っていた光よりも
ずっとずっと暗い夢だよ。

◆かく言う私も、かつて地獄にいたことがある。
6歳の頃、製鉄所の溶鉱炉をのぞき込んだとき、理屈抜きに
魂の底から泣き叫んで止まらなくなった。

◆肉体の目で見る色と形は、暗い。
目が潰れないように、眩しすぎる光は隠されている。

◆肉体の目が耐えられない輝度は、目をそこに置いたまま内部の目
に光を「逃がす」。
例えば、太陽光も内部の目に映せばよいが、置いておいた肉体の目
は焼けるので悪しからず。

◆真摯な修行者にとって「苦難」はチャンスだが「チャンス!」
とほくそ笑むと「ほう、まだ足りないのか」と、さらなる苦難が課せられる。
キリストは苦難をもって奇跡を成したけど、十字架の上で「チャンス!」
なんて考えもしなかったでしょう。

◆世に出回る有象無象のマニュアルに毒され、苦難をチャンスの対価と
高を括っていたらそこまでなんだよ。

◆「この世は遊び」というなら、保険をかけずに遊び倒せばいい。

◆アリモノの遊園地で遊んでもダメ。
自分で一から遊園地を創って遊ぶ。

◆保険をかけると本気が作動しない。

◆【攻略法】
✕ 抜ける
○ 収まる

◆浮足では、飛べない。

◆ジャンプするときには、地面を踏み込んでから反発で飛び上がる。
その、飛び上がる直前の、足の裏が未だ地面に付いているときの感覚
で立禅や座禅しよう。
ただし、飛び上がってしまうと気だけ昇って重力で落ちるだけなので、
身体は地面にぴったり付けておく。
これが、どこにも居座らない状態だ。

◆この世の仮暮らしにも、家賃は発生する。

◆皮肉にも、修行によって世界を自ら分離し続けてしまうことがある。
悟りという本番を目指してこの世を「仮に」生きていると、どこにも
グラウンディングできなくなった不安定な心身にますます引っ張られ、
目指す世界と仮の世界が分離していく。

◆浮足立って仮に生きていると「本番」はいつまで経っても訪れない。
本番とは、その瞬間の実在の一致なのだから。

◆死んでからしばらくすると幽霊は自分の顔を忘れてしまうという。
鏡に姿が映らないので、顔のイメージを思い出せなくなるのだ。
顔のイメージが消えると、急速に自己イメージが薄れていき、
存在を保てなくなり跡形もなく消え去ってしまう。

◆1歳のとき喘息の発作で死にかけたが、病院のベッドと医者の措置を
部屋の左上から見下ろしているヴィジョンが記憶に刻まれている。
面白いのは、鏡像段階前で自己イメージが未確立だったため、自分の顔も
体もぼんやりしていたこと。
ぼんやりしているのに「そこに自分がいる」ということはわかる。

◆逆にいえば、顔と全身を見下ろす体外離脱は肉体と自己イメージ
ありきなのだ。

◆「それって、あなたの感想ですよね?」という「わたしの感想」。

◆「隔我掻痒」地獄

◆見えるから経験するのではない。
経験するから見えるようになる。

◆気づきは、気づきに気づけない。
気づいた気づきは、気づきではない。

◆「気づき」と「気づく」は、似て非なるもの。

◆気づきを未来に押し出さない。
気づきを過去に押し引かない。

◆気づきと眼圧をセットにしない。

◆強かに気づこうとしない。

◆この世の覚者は「しくじり先生」なんですよ。

◆「しくじり」を忘れない人だけが教師になる。

◆好き嫌いの判断には、しばしば魔が差す。
だから好きなことだけしていても、好きな結果になる保障はない。
もし好きなことを貫くのなら、その覚悟はいる。

◆甘いものを食べ続ければ、糖尿病になる。
その結果は「覚悟」に値するものですか?

◆好きに食べてはいけないのではない。
覚悟に値するのかどうかということ。

◆無知は因果を見ず、運命を嘆く。

◆「目視可能なUFO」って、むしろ文明レベルが近すぎるよね。

◆「乗り物に乗ってくる者」は、身体に依存している。

◆その意味では、乗り物としての「神輿」も「マカバ」も、
身体性の延長にある。

◆「地球人全員に見えるUFO」は、疑いましょう。

◆もちろん「全員に見える神」は、言わずもがな。

◆この世の目的は便宜だが、便宜の行為は乖離する。

◆問わずにいられないなら、まず問いの所在を明らかにする。

◆「イメージの展開」が、時空を食う。

◆「時間どおり」では、時空は一致せず。

◆「事実」は、約束事。

◆「変化」は、非連続。

◆「変化」と「不変」のエネルギーを一致させる。

◆「変化」と「落差」の無意識の連結を見切る。

◆「落差」感覚は、重力と身体ありき。

◆バイオリズムは、重力ありき。

◆自我で造ったハラは、自我分のパワーしか出ない。

◆ハラだけ練ると「威勢のいい死体」が出来上がる。

◆脳の進化は、客体化した自我フェチを生んだ。

◆「納得」を貪らない。

◆「そうか!」の快感に流れない。

◆”sukha” にスカッとしない(ダンマギャグ)

◆「ワーク会場に来るのに切符を券売機で購入したら、200円のおつりの
はずが400円戻って来た。何回計算しても多いので狐につままれた気分です」
という参加者さんがいた。
こういう時は文字どおり狐につままれている場合があるので
「差額はコンビニ募金箱にでも入れておいてください」と助言した。

◆意識のシフトに取り組むときには、良くも悪くも奇妙な出来事が
起こりやすくなる。
この時を「待ってました」とばかり「狐」に化けた魔が差すのだ。
今回はおつり程度の些細なレベルだが、奇妙な体験やシンクロが起こり始める
と、往々にして過大な意味を与え、エゴが肥大しはじめるので注意しよう。

◆アスリート出身のシュリ・チンモイは、弟子がクタクタになり倒れる
まで走らせた。
その意図は、わからなくもない。
42.195km完走した直後に「悟りとはなんぞ?」などと問う者はいないだろう。
倒れてもまだ問いが残っているならば、はじめてそれに取り組めばいい。

◆瞑想は、最小のエネルギーで最大のマラソンに挑む「覚醒ハック」だが、
この世で一度は肉体として走りきってみなければ、その意味が理解できない。

◆悪魔は「狂い切った」者には興味がないんだよ。
これ、書いてるだけでものすごくゾッとするよね。
だからこそ「ニョンパ」は悪魔の虚を突けるんだ。

◆「無欲」欲
「無欲」慢

◆「無我」我
「無我」慢


関連記事
⇒ 【#カルマ解消 #エゴハック #テレポート  覚醒からのつぶやき 81】


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【#バタフライエフェクト #犀の角と鹿の角 #タルパ 覚醒からのつぶやき 83】  

2022/07/13

鬼灯2022
今年も、鬼灯がやってきた!

◆昔、浅草ほおずき市で売り子のお姉さんに「いくら?」
と聞いたら「野暮だねぇ!」と怒られたっけ。

◆「粋」「野暮」「気障」は、暗黙知と形式知の綱渡り。

◆「体外離脱体験」
①被験者の胸を棒で突く
②被験者の背後のカメラに向かって①と同じタイミングで棒を突く
③被験者はゴーグルを付け②の映像を見つづける
④被験者は自分の背後に浮いて自分を見ているように感じはじめる
https://www.youtube.com/watch?v=ee4-grU_6vs

◆「身体縮小体験」
被験者は自分の体が人形サイズになったように感じはじめる
以上、カロリンスカ研究所・神経科学者Henrik Ehrsson氏の実験より
https://www.youtube.com/watch?v=uhRbAjdEiGw

◆もしやこれで「インスタント・タルパ」創れる?
※危険ですので、専門家の下で行ってください!

◆人形に同化した自分をさらに背後から見ると、
人形から体脱してることになるのかな?
もう、なにがなんだか 笑

◆この実験、人形には同化するけどヒトガタでないモノへの
同化は「ほぼ」起きないという。(たまには起こるかも?)
ちなみに、ワンネスは世界との「同化」ではないよ。
「世界は私の身体」というのは、肉体ありきだから。

◆「体内体験では一人称の視点からの見え方が決定的に重要だ」
「つまり、われわれは眼がある場所に自己が置かれていると感じるのだ」
「体全体を自分のものだとみなすのに十分な感覚を作り出すには、複数の感覚
の信号と運動系の信号を一人称視点で整合させるだけでよい」
Henrik Ehrsson氏

◆Ehrsson氏は「体外離脱体験者」からしばしば怒りの手紙を受け取るそうだが、
重要なのは体外離脱が「本当か本当でないか」(臨死体験が本当か本当でないかと
同じく)という話ではなく、事実として人間にはそうした体験(錯覚)が起こると
いうことだ。

◆怖ろしい話だが、もし赤ちゃんをこの実験のように育てたらまったく別の認識を
持つ生き物になるだろう。
だがこのことはVRゴーグルが普及すれば、あながち絵空事でもない。
今現在の認識も錯覚によって成り立っているが、錯覚が共通認識になればそれは
錯覚と呼ばれなくなるのだ。

◆「ラバーハンドイリュージョン」
身体錯覚の古典的認知実験
https://www.youtube.com/watch?v=ASM12lpDDy0

◆これは映像のように自分の手を隠し、ゴム手袋の手を目の前に置き、自分の手
とゴムの手を同時に筆で撫でているうちに、見ているほうのゴムの手を自分の手
のように錯覚しはじめ、あたかも手袋が自分の手として触覚や痛覚があるかのよう
に感じ始めるという実験です。

◆この実験からわかるのは、この身体が自分のものであるという認知は絶対的な
ものではなくいかに揺らぎやすいかということです。
逆にいえば、これが自分の手であると認識(錯覚)するための脳の固有のパターン
回路がいかに強固かということもいえます。

◆ある特定の条件のもとでは、皮膚にも骨にも神経にもつながっていない切り離さ
れた物体を自身の手として認識するような認知パターンが組み込まれているのです。
脳のパターン回路と認識の関係を知ることは身体の幻想を見抜く手助けになります。

◆結局、言いたいことはこれ。
錯覚から「幻想を見抜く」。
そして「錯覚は組換え可」。

◆錯覚を用いた「幻術」は「現実」を創る。

◆脳の認知パターンを利用していわゆる幻肢の痛みを軽減したり脳梗塞などで
失われた神経回路を脳を「だます」ことで回復するという治療法もあります。
「脳の中の幽霊」の著者、V.S.ラマチャンドラン博士が考案した装置
「ミラーボックス」1:28~
https://www.youtube.com/watch?v=gc3CmS8_vUI

◆「頭頂側頭接合部」に刺激を与えると、体を離れ自分自身を見下ろしている
感覚が得られるという。
いわゆる体外離脱もまた、この部位が刺激されイメージとしての自分をリアル
に見下ろす。
そのとき見ている自分の姿も、脳内に刷り込まれたイメージなのだ。

◆臨死体験が生前なのか死後なのかという議論は、肉体と時空を超えた見地から
見ればまったくもって無意味です。
意識はひとつですが、ひとつであるからこそ生前・死後にかかわらず「入る
(入ってしまう)」出入口とプロセスは同じなのです。

◆瞑想は「取り組む」ものじゃないよ。

◆坐禅は、足を組んでも気を組まない。

◆写真を「巨匠画家風」に加工するアプリ。
ふと「写真をフォトリアリズム風に加工するのに必要なコマンドは何?」
と思ったけど「写真を超写真にせよ」って、もうこれ公案だ 笑
その前に、フォトリアリズムの「巨匠」って誰?
https://ja.cre8tiveai.com/ep

◆AIは未だ、ハイパーリアリズムが隠蔽する「キッチュな情念」
を読み取れない。

◆次回、7/17(日)ワークのテーマ「【実践】生贄の祈りを葬り去る」
我ながら怖すぎる 笑

◆手放しする手がない。

◆手先だけで放さない。

◆思考は手で握れない。

◆「手放し」と「足放し」は、地上波のワンクール。

◆「放す」と「捨てる」を混同しない。

◆「放した私」を時空に捨てない。

◆意図的に「手放し」された思念は、宇宙ゴミとなって漂い続ける。

◆「シフト」のたびに、自身を分離する。
「シフト」は、根本解決にはならない。

◆意識と視点を混同している。

◆意識はアップデートしない。

◆突破口は「共感」のナナメ上にあり。

◆鹿の角のようにただ皆で走っている。

◆鹿の角のような阿弥陀久慈の迷宮界。

◆鹿の角のように歩めば独りでも惑う。

◆人生観 ⇒ セーフ
人生訓 ⇒ アウト

◆人生観は顕教
人死観は密教

◆位相が違えば、敵か味方か判別できない。
この世界では、しばしば悪魔が神となる。

◆神はバタフライエフェクトの全プロセスを瞬時に辿れる。

◆【一瞥体験チェック】
「~だから~だ」で説明できるかできないか。
説明できるならば、それは「それ」ではない。

◆覚醒に理屈はないが「理屈のない煩悩」と混同しない。

◆「理屈のない愛情」は「理屈のない煩悩」によって起こる。

◆説明しないとわからないなら、説明しかわからない。

◆人から説明を貪らない。

◆説明は理解の回路を限定する。

◆独り言の響く「位置」を観察する。
その位置に「私」を仮設している。

◆精神世界には、仮設の「私」が額の斜め前方にある人が多い。
そこは、無執着を装って乖離したエゴの「安全地帯」なのだ。

◆このタイプは、発話するときに額を前方空間に押し付けるように
傾け、架空の私を安全地帯に固形化しようとする。
私見では、ハラをつくった修行僧であってもしばしば見受けられた。

◆このタイプの無意識を指摘するのは、私自身にこの傾向があったから。
ここに気づかないと「一致」が起こらないのだ。

◆架空の「私」を呼び出すために、時空にワンクッションおいている。

◆コールドリーディングをサイキックリーディングより下に見るのは、
スピリチュアリストの驕り。

◆コールドリーディングのスペシャリストは、アスペクトにスピリット
が宿ることを知っている。

◆存在は、叫ばなくても聞こえている。

◆自己主張は、自分の耳に届いてない。

◆耳が遠いほど、自己主張の声を張る。

◆生を釈明しない。

◆距離は距離のままでいい。
時空は時空のままでいい。

◆「一周回って戻る」という、三次元の悪夢。
この悪夢に、既知の安心感を求め続けている。

◆蟻を一匹殺せば、個に集約されていた内圧が解ける。
その瞬間、宇宙全体のバランスの組み換えが起こる。
「生き物を殺すな」という真意の一大事を知ること。

◆「負荷をかけ続けないと呆ける」という、構造的な苦。

◆「この私」と「この私」を繋ぐ、莫大なエネルギー漏費。

◆離人と無私を混同しない。

◆慈悲は愛情の上位互換ではない。

◆進化に組み込まれた慈悲は、進化においてのみ役目を果たす。

◆娘を労災で亡くした母は「命より大切な仕事などあるでしょうか」
と訴えたが、この世界では根源的に命そのものがエネルギー循環
という「仕事」に組み込まれている。

◆先天的に「仕事」という強迫観念が染み付いているので
(ある目的により「植え付けられた」ともいう)命を役割
としての「仕事」に換算してしまうのだ。

◆つまり、この世界では「よく仕事(循環)した人」が
「命を全うした人」ということになっている。
(スピリチュアリストは「仕事」を「使命」に置き換え、
苦の構造を見て見ぬふりをする)

◆働きたくないから高次元へシフトしたい?
天使は人間よりこき使われるけどいいの?

◆働き蟻や蜂は、女王の「奴隷」ではない。

◆エネルギー循環という観念から見れば、天使や蜂も奴隷のようだが、
人間が名付けた「働き蜂」には仕事という観念はない。


関連記事 
⇒ 【#魂の合格 #高次の自己 #発心とは 覚醒からのつぶやき 70】
⇒ 【#タイムマシン #クエーサー #先延ばし癖  覚醒からのつぶやき 86】


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【#ベガ星人 #ダイラタント流体 #活発なゾンビ 覚醒からのつぶやき 82】   

2022/07/09

夢の島

◆↑ 「夢の島」で撮った花。
かつての異臭漂うゴミの埋め立て地にも、花は無邪気に咲く。
東京湾には、関東大震災の瓦礫で埋め立てられた地が点在するが、
いまや家族や恋人たちが無邪気に遊んでいる。
歴史の汚物と死体の上に住まう私たちだけど、今このとき無邪気
に咲いていい。

◆治さない
正さない
気づくだけ

◆気づきと注意は異なる。
注意はコーヒーをこぼさないように見張るが、
気づきはコーヒーをこぼすのを明晰に見ている。

◆「気づき」という名の「注意」で事象を切り捨てるのは瞑想ではない。

◆世界が「映像」に見えるのは3次元だけ。

◆肉体を魂の「乗り物」と見なしているかぎり、乗り捨てられた
肉体は魂を探して、ゾンビのように何度も蘇る。

◆「活発なゾンビ」はタチが悪い。

◆ビットで効率を測らない。

◆エゴは「効率」を見誤る。

◆創造のマトリックスは「生産効率」が第一義。
これは、構造的に当たり前といえば当たり前。
「生産効率」は機械論ではなくむしろ有機的。

◆「生産」で「存在効率」は測れない。

◆「存在効率」はすべての存在にとって自明。

◆覚醒とは、押しても引いても鳴らない非常ボタンを見つけること。

◆物理の「硬さ」って、ライターの着火スイッチの硬さみたいなものだよね。
子供の誤用防止?
伝われ~~

◆妄想を排除しようとして、イマジネーションの発火ポイントを
物理的に閉じてしまうのは、カタブツの修行者あるある。
「イマジネーションポイント」(←明確にある)を開いたまま、
イマジネーションに流されなければいいだけ。

◆逆にいえば、自分を信じてないから固く閉じないと流されると怖れているのだ。
まず、この怖れを見るところからはじめよう。
とはいえ、発火ポイントは鍵にもなるし仇にもなるのは悩ましいところではある。

◆肉体って「ダイラタント流体」みたいなものだよね。
ほら、片栗粉とか波打ち際の砂みたいな現象のやつ。

◆某覚者は「次の地球では、ほとんどの子供が前世を覚えたまま生まれてくる」
という。
個人的にこの感覚には共鳴するものがある。
ここで感じてみてほしいのは、つまり次の子供たちの前世は今世の私たちだということ。
そう考えると、もうすでに「それ」は始まってるんですよ。

◆まあ、これは覚醒それ自体というよりもこっちの時空の話だけど。
ただ「覚えている」ためには、今使っている記憶回路とは別のシステムを起動
させる必要がある。
記憶のメカニズムが異なるんだよ。

◆昨今「覚醒」って言葉はいろんなレベルで使われるけど、この覚者がいう覚醒は、
次につなぐための回路を自覚的に開いておくという意味合いが強いんだろうね。

◆生まれ変わりの印に前世と同じところに痣があるとか、臨死体験者が過去を
見てきた記録として建造物に印をつけておく、などという話は心情的にわから
ないでもない。

◆肉体の死を迎えて意識のフォーカスのチャンネルが変わるとき、前回の
チャンネルで理解したところから始められれば効率がいいので自分自身に
ヒントを残しておきたいのだ。

◆ただ、そうそう思い通りにいくものではなく、前回理解したところまで
辿り着くのに紆余曲折する場合があるが、紆余曲折の中に前世で取りこぼした
新しい発見があったりもする。

◆この私の物理世界では、自分で仕掛けた記憶のトリガーがあちこちに
散らかっちゃってる状態。
死に際に慌ててマーキングしたみたいな 笑
だから、思わぬところから一瞥が来るので面白いといえば面白いんだけど、
次はちょっと整理しておこうかな~
「取出し方」がわかれば、物理である必要もないし。

◆「神格化」という「格ゲー」。

◆「格ゲー廃人」は宗教に縋る。

◆人格とか霊格とかいう、格戦争。

◆赤ちゃんは、自分が可愛いと思ってない。

◆毎朝目覚めると、パンツを履くように肉体を履く。
この星ではパンツを履いてないと猥褻扱いされるので。

◆無限に選択可能だからこそ迷った挙句、既成の「肉体服」を着てしまう。
それが、私たちの「ユニバーサル・クロージング」略して「ユニクロ」だ。

◆身体の輪郭は、ハンガーで服を掛けておくように、物理的にも心理的にも
押しても引いてもいない「あいだ」にひょいっと引っ掛けておけばよい。

◆生は「往って来い」
死は「逝って来い」
相場師たちの戯れ。

◆「存在」は完全無料。
「タダより怖いものはない」と思いこんでるエゴは「存在」の裏を勘ぐる。

◆「存在」を価値に換算しない。

◆「存在」に駆け引きなし。

◆私たちは、火を怖れる動物のように、存在の深淵を畏れている。

◆世界の動きに連動して一喜一憂するのは、野生動物的な感覚であって、
ワンネスではないね。

◆存在に言い訳はいらない。
モノも植物も動物も、自身が在ることを言い訳したりしない。
言い訳してもしなくてもかまわないが、どちらが自然の状態かは明らかだ。

◆動物的直観から、捕食本能を無化する。

◆動物は、世界に気絶していない。
覚醒しながら、自覚できないだけ。
人間は、世界に気絶している。
覚醒しながら、自覚を自覚できないだけ。

◆野生動物は笑わない。
家畜化すると笑いを覚える。

◆人間とは、自らを擬人化する生物。
動物「擬人化しないでくれる?」
神「擬神化しないでくれる?」

◆七夕の願い事は、中国の「乞巧奠(きこうでん)」
という風習に由来している。
織姫にあやかり機織りや裁縫の上達を願った。
織姫はこと座のベガ、彦星はわし座のアルタイル。
つまり地球人は毎年、ベガ星人に願い事をしているのだ。
「モテますように」とか願われてもねえ。

◆ベガ星人って浮気性らしいけど、彦星だいじょうぶ?笑

◆全人類、満員電車では傘の軸を正中線に沿わせますように。

◆↑1年経つけど、まだ叶ってません。

◆所謂「モノ派」って結局「コト派」だよね。

◆「モノ」自体を「提示」することは不可能。

◆神は低次元を要する。

◆覚醒のフィードバックは、トップダウンでもボトムアップでもない。

◆「存在」をエネルギーに換算しない。
換算すれば「生産」に取り込まれる。

◆「存在」は情報ではない。

◆「伝わる」ものは全て情報。
すなわち「存在」ではない。

◆解釈は「解釈の世界」にしかない。

◆アタマとムネとハラは交わらない。

◆意識にアタマ・ムネ・ハラはない。

◆ワンネスは関係性ではない。

◆「深淵」こそ、肉体感覚。

◆重力は神秘を「肉体的深淵」に落とし込む。

◆肉体は物理的深淵を無と勘違いする。

◆肉体意識は、深淵を「足のつかないプール」のように怖れている。

◆「怖れ」なのに「畏れ」と見栄をはる。

◆音は酔わない。

◆時空は創造の余剰エネルギー。

◆余剰は常に波形。

◆神はプログラマーではない。

◆プログラマーは、ほぼ類人。
寿司のレシピぐらいの感覚。

◆悪魔はハッカーではない。

◆コード解読は覚醒と無関係。

◆美を崇めていたのに、美で崇められようとし、美に祟られたのです。

◆「そう」⇒「そうだ!」⇒「そうだそうだ!」(狂度順)

◆筋肉は筋繊維の破壊と修復で肥大する。
エゴも自意識の破壊と修復で肥大する。
無意識に筋肉群と同化しているからだ。

◆時空の敵は、時空にしかいない。

◆「世界」は、箱でも球でも波でも粒でも紐でもない。


神田3
排気ガスの中で咲いていた花。


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【#カルマ解消 #エゴハック #テレポート  覚醒からのつぶやき 81】    

2022/07/04

花壇3
ゴシック調!


◆「無駄」は、有限の幻想。

◆「今どこにいるか」わからないのに「どこから来て、どこへ行くのか」知りたがる。

◆「在る」を問う傲慢。

◆意識と宇宙を混同しない。

◆直観から連想を削ぎ落す。

◆連想に日和らない。

◆時空は人神を妖魔にする。

◆むしろ皆さん、無意識にテレポートしすぎなんですよ!

◆修行を稽古にしない。
スピを趣味にしない。

◆悟りを憧憬にしない。

◆信は軽い。
念は軽い。
信念は重い。

◆認識は肉体よりも遅い。

◆体と体は一体化しない。
心と心は一心化しない。
人と人は一人化しない。

◆破滅に頼らない。

◆滅しても消えない。
生じても現れない。

◆過去現在未来を水平から垂直にして落とす。

◆癒しを求めるのは、単に疲れているから。
疲れが癒されても、なお求めるかどうか。

◆毎日毎日、不要不急の記憶でメモリがパンクしている。

◆記憶と忘却に囚われた、私から私へのリマインド地獄。

◆記憶と忘却から自由になる。

◆「知っている」ことは、記憶不要。

◆リマインドのシンボル世界。

◆シンボルは、記憶の刻印。
刻印は、魔術のはじまり。

◆時空は体が打刻する。
肉体は私が刻印する。

◆人まかせ?
運まかせ?
神まかせ?
まかせるものなし。

◆テンポが合わないなら、テンポになればいい。

◆ライフハック
バースハック
デッドハック

◆道の99%は「エゴハック」

◆カタチあるものが崩れるのではない。
刻々と崩れゆくものがカタチなのだ。

◆カタチがカタチを制定する。

◆枠のない幾何は、永久機関となる。

◆幾何学それ自体には内的拮抗のパワーが「刻印」されているが、現象を
幾何に「還元」すれば、調和を突破しようとし続ける創発の混沌とした
エネルギーを無視することになる。
世界は常に、幾何のスタビリティからはみ出し続ける不可知のゆらぎの
切先に在る。

◆だからこそ、幾何学の魔術による世界統治は幻想なのだ。

◆即時伝達の効率性を求めれば幾何学は有効だが、幾何学的世界っていう
のは3次元から見れば「ピタッと停止した梵天界」みたいなものなんだよ。
3次元の覚者の中には、その意識を解脱と呼ぶ人もいるんだろうなあ。

◆偶像でも幾何学でも数学でも物理でも、カタチの象徴だけ利用して、
核心部分は気絶している。
逆にいえば、あえて気絶できる余白を残して、神秘を穢さないように
しているんだ。

◆3次元においては完全に見える幾何学の内的均衡も、不完全な動的プロセス
の過程にある。
不完全だからこそ、内圧と外圧の差によるバランスにおいて固有の形をとるのだ。

◆幾何は、運動として捉える。
ただし、軌跡は追わないこと。

◆偶像をバカにする人も、幾何学や数学は信じていたりする。
どちらも同じカタチの魔術なんだけどねえ。

◆毎秒毎秒、自分を探し続けている。
手近という理由で肉体に飛びつく。

◆自分と自分を比べて卑下している。

◆自を分けない。

◆人生何十年か生きていると、大小合わせて数回以上は同じパターンが繰り返し
起こっていることに気づく。
すると「またお会いしましたね」と戦友に再会したような余裕が、前回よりも
少しだけ生まれる。

◆「カルマ解消」という言葉は誤解を招きやすいので好みではないが、
パターンに気づけば来世に持ち越さずに浄化される。
ただ、浄化の際には往々にして痛みを伴う。

◆生まれ変わりの記憶を持つ子供たちの一部は「反省部屋」と呼ばれる、
真暗闇で孤独な中間世の記憶を持っている。
「反省部屋」は真暗闇だが、前世や今世で出会った人々とのやりとりや感情、
今ここで起こっている世界の出来事を痛いほど直接知覚できる。

◆私は今世で「存在の座」にすとんと落下したときに、生きたままこの
「部屋」を見た。
そこでは、世界を直接中心で知覚できるが、自らが世界に関わることはできない。
たとえば家族に話かけようにも、手足も口も眼も鼻も耳もないからだ。

◆人間にとってはこの状態は「反省部屋」かもしれないが、人生に未練が
なければただただそこに存在するのみだ。
ほとんどの人間には、その暗闇の孤独が耐えられないだろう。
その暗闇自体には、一切の動きがないが、どの瞬間の知覚も中心にある。

◆地獄とは、過去の自分の行いを相手側の立場で追体験する痛みの場だといわれる。
(臨死体験者も同じようなことをいっている)
個人的には地獄よりも虚空の「反省部屋」といったほうが体験的にしっくりくる。

◆「地獄のプレワンネス」ともいうべき世界では、時空を超え自他が一体化して
いるからこそ相手の痛みが直接自分の痛みになる。
(完全にワンネスであれば痛みも痛みとしてあるだけだが、カルマに取り込まれた
「この私」が残っていれば苦痛として請け負う)

◆「カルマ解消」は、その痛みを現世で請け負う覚悟が問われる。
とはいえ覚悟が定まれば、痛みよりも浄化の悦びのほうが勝る。

◆見たくないことを「なかったこと」にし続ければ、宙に浮いたエネルギーが、
わたしたちのうちのどこかに分配される。
私に見えなくなりさえすればラッキーだろうか?
「あってしまったもの」は絶対になくならない。
それを知っていたら、私自身がエネルギーを全うさせてあげるのが慈悲というもの。

◆パターンに気づかないままであれば、現世はなんとか逃げ切れるかもしれないが、
それはラッキーどころかとんでもなく恐ろしい話だ。

◆カルマの時空に囚われていなければ、カルマ解消自体が単なる幻想なのだが
「カルマなどないのでこの自分さえラッキーならよい」という考えの人こそ、
無意識にカルマに取り込まれ続けていく。
宗教臭い「脅し」と感じるかもしれないが、体験的にこのことを理解しないかぎり
修行は意味をなさない。

◆古の説法でも、ほとんど悟りに近かった人が一瞬の迷いで地獄に
堕ちる話がある。
その場合は「プレワンネス」の意識で自覚的に「反省」できる。
だが無自覚に堕ちれば、自他が分れたまま「地獄」のイメージを創り、
訳も分からず苦しむ。

◆古典的な地獄絵図は自らが創る。
地獄の意味を知らないからだ。

◆地獄は比喩ではないが、イメージでもない。

◆地獄では、一輪の花に救われる。
それを知るために、ここに来る。


夢の島
「夢の島」にて


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⇒ 【#オープンAI #ハイパーコンテクスト #マハーサマディ  覚醒からのつぶやき 76】


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【7/17(日)14:00~17:00 、17:30~20:30「東京ワーク参加募集」】     

2022/07/02

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ぬ


◆7/17(日) 14:00~17:00 、17:30~20:30
定員に達したため締切りました。
次回は8/13(土)10/10(日)開催予定です。
参加希望の方は、メルマガご登録ください。

⇒メルマガ登録はこちらから

※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。

通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・レガートの中心で即今を見る
・触覚ホログラムとイマジナリーボディ
・生贄の祈りを葬り去る
・カタチの連続性からのシフト
・テレポーテーションを切る

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #サードアイの空 #丹田強化 #脳梁連結  【6/12(日) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #ゾーンと臨死体験 #全身麻酔と内部の目 【5/21(土) 東京ワーク ~所感と解説~その2】

⇒ #サードアイと丹光 #ゴーグルと入れ子の夢 【5/21(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


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をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


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※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


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