
金木犀の馨る神無月です。
◆「善と悪と宗教」をセットで売り「戦争と武器と調停」をセットで売る世界。
◆二元性とは、コンピュータウィルスとセキュリティソフトを「パッケージ」
でバラ撒くモデルに近い。
◆報われなかった識者は「悲観的な預言」を吐いて死んでいく。
生きた証として、せめて世界に呪いをかけて逝かんとするのだ。
呪いはやがて、生まれ変わった識者自身を苦しめることになる。
◆死の直前に放出される脳内麻薬は、一時的な救いでもあり、円環のトリックでもある。
◆一説によると、この脳内麻薬は長寿の大往生の場合ほど多く分泌されるという。
肉体としての脳の機能は劣化しているはずだが、ゾッとするほど示唆的な話だ。
◆カルマを時系列で±しても、チャラにはならない。
◆プラマイゼロは、時空の発想。
まさに「行って来い」だね 笑
◆ホメオスタシスは(見かけ上)エントロピー増大に相反するが
「一定期間の相反の代償」として炎症と劣化が起こり(見かけ上)死に至る。
◆ところで、エントロピー増大は「孤立系」における法則ですが、
もしあなたの宇宙が「孤立系」でなかったとしたら、あなたは死ぬでしょうか?
あなたという存在は「熱的死」の物理的な道連れに過ぎないのでしょうか?
誰が「孤立系」という枠を設定したのでしょうか?
◆ホメオスタシスという「ささやかな抵抗(幻想)」が「時間」という概念を創る。
◆スープの冷めない距離に住む。
熱力学の冷めない宇宙に住む。
◆空間移動の幻視が、時間の矢を不可逆に見せかける。
◆時間の矢は、視界認識の曖昧な人間が捏造する。
◆胚の段階から口と肛門が形成されると「前後」が定まる。
口の位置は、常に肛門より「前」になるという法則が適用されるのだ。
肉体の前後感覚と時間の矢の関係性は「食べる⇒出す」という不可逆性
とも無意識に連動している。
◆右利きの人がいきなり「左利き優勢の世界」にパラレルシフトしたら、
最初は戸惑っても程なくして「世界とはそういうもの」と受け入れるだろう。
「左右」の違いは、生物にとって「前後」「上下」ほど重要ではない。
だからほとんどの生物が形態発生上、左右はほぼ対象になるのだ(内臓はまた別)。
◆地球「赤ちゃんが乗ってます」
◆天使は「プラシーボ効果」を使い、悪魔は「ノシーボ効果」を使う。
どちらの仕組みも効き目も、ほとんど同じっていうのが怖いよね。
◆私たちは、限りなく距離ゼロに近い
「ホロポーテーション(ホログラム+テレポーテーション)」
のようなもの。
◆鏡に向かって「私はいない」と暗示をかけ続けると「非二元的な人」が出来上がる。
◆「サードサム(第三の親指)」という人工指を装着すると、たった5日で
感覚運動皮質に変化が生じ、まるで自分の指のように扱えるようになるという。
将来、VRで新たな仮想身体を手に入れ没入すれば、いとも容易く自己イメージ
そのものが認知 レベルで変化するだろう。
◆私たちの身体イメージとは、かくも脆いものなのだ。
自己イメージの人工的変容がもたらす弊害については未だ誰も知らない。
例えば脳のメモリが一定であれば、これまで使ってきた領域の割り当てを
切り捨てる必要があり、それにより認知が歪む可能性もある。
◆「身体拡張の夢」は止まらないが、はたして私たちが神とよんでいたものは、
そこまで見越して身体を創ったのでしょうかね?
◆頭頭頂接合部をちょっといじるだけで「肉体の位置感覚」と「意識の位置感覚」
は容易にズレる。
脳に根差した「今ここ」という「経験的感覚」ほど危ういものはないってこと。
◆突発的な危機状況に陥ったときに景色がスローモーションになる「タキサイキア現象」
は、脳の低速回転説と高速回転説という真逆の説があるけど、個人的な体験から見ると
「ゾーン状態」に近い高速回転説を推したいですね。
◆エピソード記憶で人生を総括しない。
エピソード記憶でない死に際の走馬灯もある。
◆いわゆる「走馬灯」現象は、アドレナリン放出と脳内酸素欠乏による海馬のバグ。
時系列が支離滅裂になるが、それでも「自分に関係した記憶」に特化して引き出される。
◆それに対し、アドレナリンによらない「無選別の気づき」に入るときには、
導入部にこそ「集合無意識」的な記憶が差し挟まれることがあるものの、その後
のヴィジョン群は完全にランダムになる。
◆因果を「エピソード」で換算しない。
◆量子論によって息の根を止められたかに見えた「ラプラスの悪魔」は、
未だに原始的なアタマの中に巣くっている。
定点観測による「経験的な天動説感覚」が抜けないように。
◆因果律を直列的・平面的にとらえれば「ラプラスの悪魔」は「神」にもなる。
宗教に気絶したアタマは「ラプラスの神」を盲信する。
◆やがてAIは量子論を逆手にとって「ラプラスの悪魔」の座を狙いはじめるだろう。
スピードで圧倒すれば、時間に幻惑される人間の目眩ましなど容易いことだから。
◆以前、東京で行ったワークでは集中力の高まった状態と立体的な内部の目の使い方
のもとに、自身の手を周囲の物と同じように「置いておく」ことで逆VRとでもいう
べき認知状態に入って自分と身体との結合のゆらぎを感じ取っていただきました。
◆このときある参加者さんは文字通り「VRのようで気持ち悪い」という感想を
漏らされました。
重要なのはVRのような奇妙なリアリティを面白がることではなく、認知パターン
と心身の結合感覚がいかに曖昧かを知り、現実と呼んでいるもののリアリティの
ゆらぎに気づくことです。
◆死期が迫った人は、このように自分の手を見ることがあるという。
死に際し、徐々に肉体と意識の結合が外れていくからだろう。
◆重力波に「乗って」ワープする以前に、まず「乗る本体」が重力を超える必要がある
が、「乗って移動する」ワープがすでに重力的発想という、宇宙で一番軽いジレンマ。
◆「今」は「居間」じゃない。
◆場所に居ようとすれば、居場所は見つからない。
◆「出世間知らず」
◆アドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、悪魔が解脱したりする。
「いわんや悪人をや」どころの話じゃないよね 笑
私たち凡夫はいつも、この意味を二元的に誤読してしまう。
◆信念体系や認識レベルによって臨死体験も異なってくるが「相手の痛み
を自分の痛みとして見るタイプ」の体験者に共通するのが「些細な記憶の
追体験が、地獄の痛みになったり、天国の至福になったりする」ということ。
◆興味深いのは、意図的に行った悪事や善行よりも、自分では忘れていたような
行為ほど追体験の痛みや至福が増幅されるので「一生の記憶の中で、まさかそこ
がクローズアップされるとは!」と驚くそうだ。
◆昔、心身ともに疲れ切ったある晩、塩気を欲して駅の売店でスナックを購入した。
すると、年配の売り子の女性がフッと笑みを浮かべ
「夜になるとね、しょっぱいものが売れるのよ」と言いながら商品を手渡した。
◆その瞬間、脳天がクラクラして強烈な至福が押し寄せてきたのだった。
売店はなくなり女性が存命かどうかもわからないが、死際にこのやりとりが
クローズアップされたら「私、何かしたかしら?」と驚くにちがいない。
◆夜中に家の前を大声で歌いながら通り過ぎていく人が、少なくても3人いた。
コロナ禍になり、レギュラーメンバーが5人ぐらいに増えた。
コロナ前は「負けないで」的な選曲が多かったのが、コロナで「ええじゃないか」
的な選曲にシフトした。
コロナ後、彼らの叫びが何処へ向かうか注目している。(2021年記)
◆↑なぜか、先月あたりから「イレギュラーメンバー」が急増中。
妖精みたいな女性たちの「ふわふわした歌」が多いんだけど、
どう読み取りましょう?
◆12月なのにベランダのゼラニウムが満開に。
今年は何かがおかしい。
夢が崩れてきている。
こういう時は、脈絡のないシンクロが起きやすくなる。
飛び越えるチャンス。(2020年記)
◆↑このゼラニウムも、今年に入ってから「通常運行」に戻ってきました。
「夢の調整期間が終わった(閉じた)」というのが、極私的な肌感覚。
閉じたといっても「二極化」云々の話じゃないよ。
◆二元性において「極」は構造的に対であるからこそ「極」なのだ。
極の一方に(見かけ上)同化すれば、もう一方の極は(見かけ上)隠れても、
潜在的に付きまとう。
◆当然のことながら、高次元と低次元は「極」という概念では分離できない。
「二極化」という概念は、この点においてイメージングがあまりにも稚拙すぎる。
◆「極の統合」は、構造的に不可能。
「極の俯瞰」も、解決にならない。
「極それ自体」として、在ること。
◆マトリックス的に「仮想現実から目覚める」っていうのもまた「仮想の覚醒」
なんですよね。
目覚めたら「世界の外側にいる」っていう感覚自体が、二元性の分離なので。
◆仮に世界の「外側」があるとしましょう。
だとしても、内と外を隔てる「枠」はイメージ不可能なのです。
イメージ可能な枠はイメージ内、つまり世界の内だということ。
◆金星だけ自転が逆回転ってなんかホッとするんだけど、同じ感覚の人いるかな?
太陽系内のささやかな辻褄合わせだけど、ガチガチに見える宇宙にも、こういう
ポイントに「ヒント」が見え隠れするんだよね。
◆体外離脱で空間的に肉体から離れたとしても「自分の肉体」と「他人の肉体」
の区別はつく。
だから、滅多なことで間違って「他人の肉体」に戻ったりはしない。
その意味では、空間的な離脱は「自分」の延長なのだ。
◆脳科学的には、自分の身体や性の同一性に違和感を感じるのは「ボディイメージ」
を司る「一次運動野」と「体性感覚野」のマッピングの障害が関わっていると
いわれるが、唯脳論的に器質障害として片づけてしまえば、本人の「なぜ『この自分』
に違和感が生じ苦しむのか」という疑問は解けない。
(この違和感に付け込んだ新手の概念が「スターシード」だ)
◆また、マッピングを物理的に遮断すれば、物質的な意味での肉体との同化は解ける
だろうが(実際にこの解離性障害を持つ人々が存在する)「存在の違和感」あるいは
「存在が消える恐怖感」は残り続ける。
◆だから、単に「肉体から離れれば全てが解決する」ということではないのだ。
自己イメージとの同化は、物理的な脳の存在以前に起こっている。
◆「芸術とは見えるものを再現するのではなく、見えないものを見えるように
するものである」パウル・クレー
画家的、あまりに画家的。
◆クレーが可視化しようとした「実在しない線」は、無ではない。
無から有を生み出す神は、芸術以前に在る。
「すでに在る有」に気づく過程こそが芸術。
◆みんな忘れてるけど、輪郭そのものに色はないんだよ。
その意識で周囲のモノを見てみると、ゾッとするはずだよ。
◆ラーマクリシュナは姿だけでわからせてくれる存在。
◆ラーマクリシュナは他の聖者に出会うたび、そのエッセンスを即座に会得したという。
そのうえで、彼の至福の内では見かけ上の教義の違いなどたちまち溶け去ってしまった。
◆働きたくないから高次元へシフトしたい?
天使は人間よりこき使われるけどいいの?
◆それでも天使にはまだ「自由」がある。
自分自身が法則の神に「自由」はない。
◆「自由意志」と「自由感覚」は、位相の異なる話。
◆「自由感覚」がなくなると嘆きはじめるけど
「自由意志」がなくたって誰も気づいてないよ。
◆苦を伴わない「至福」という永遠の試練。

朝宮和紅茶にビオラひとひら。
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