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【#アレシボ・メッセージ #非二元裁判 #イマジナリーフレンド 覚醒からのつぶやき 99】 

2023/01/31

白梅 紅梅
白梅と紅梅が開花。まもなく立春。


◆50年ぶりに「アレシボ・メッセージ」がアップデートされるとか。
地球外知的生命体へメッセージを送るとしたら、自分なら何のデータ
をどのような形で送るか考えてみよう。
それがそのまま、自分自身の「知的生命体」としてのレベルなのだ。

◆「知的」じゃない交信は起こってるけどね。

◆三角形の「あいだ」は固定されるが、三角錐の「あいだ」は浮く。
この世界では取りあえず、これだけ体で覚えて帰ってください。

◆四角錘は「あいだ」を地にひっぱり降ろそうとするね。

◆「攻略」ではなく「工夫」すること。

◆「空間的な開放感」はあっても「開放された空間」は存在しない。

◆スマホに夢中になって周囲の音も景色も忘れている時の没入感の
入口と出口に気づこう。
そこには、レイヤーの鮮烈な切り替わりがある。

◆電車の中は、首を落としスマホに没入する人だらけ。
それらを「引き」で観れば半覚者の疑似体験が可能。

◆鼻先を注視し続けると、チラチラ動く思考が見えるよ。
左右の目のバランスがピッタリの時は、鼻先が消える。

◆「わかる」と「わからない」の中心は同じ。

◆「わからない」に開き直るのでもなく「わかる」に居座るのでもない。

◆魚が「あいだ」を泳ぐように、背骨で「あいだ」を貫く。

◆針に糸を通すように、どこにも触れずに「あいだ」を貫く。

◆「あいだ」とは「白黒つけないこと」ではない。

◆「あいだ」と「あわい」のニュアンス。

◆「はざま」に乖離せず「あいだ」に放下する。

◆「曖昧な感覚」はあっても「曖昧な瞬間」はない。

◆曖昧な感覚を「表現」で胡麻化さない。

◆全員が表現そのものなら、表現に説明はいらない。

◆表現者と表現が一致した、生のアート。

◆表現は飽きても、覚醒は飽きない。

◆表現は尽きるが、直観は尽きない。

◆マインドフルネスとは「感」と「覚」のアイソレーションです。
「心」と「理」のアイソレーションはマインドフルネスに非ず。

◆アタマ・ハラ・ムネが混線すると、マインドとメンタルを混同する。

◆「世界観を壊す」という世界観。
「価値観を壊す」という価値観。

◆「無」を世界観にしない。

◆居座らず、居直らず、居る。

◆立ち入らず、立ち廻らず、立つ。

◆粋らず、生きる。
息まず、生きむ。

◆言葉で悟るには言葉を知り尽くしている必要がある。
身体で悟るには身体を知り尽くしている必要がある。
それらを知り尽くすには、宇宙ひとつが必要になる。
宇宙を待てないのなら、知り尽くす道を投げ捨てる。

◆思考は質量を持つ。
想念は容量を食う。

◆「すごい、まるで本物の世界みたい!」というけど、そもそもVRの
リアリティって、この3次元世界と同じ必要あるの?
進化という点だけ見れば、肉体感覚も思考様式も言葉も何もかも組み変え
たほうが効率的だろうに。

◆VRを通して改めて3次元の非効率に気づく者も増えるだろうが、
VR内でこそ二極化が起こるとも言える。(VR外には二極化などない)
VR内で人間が生産に携わらなくなれば、3次元世界は懐古趣味的な夢
として「趣味人」の仮想養老院と化す。

◆やがて何世代か夢に養われていくうちに、VR黎明期の記憶が
フラッシュバックする者が出てくる。
それは、今この私たちの記憶なのだ。
「この世界は仮想現実かもしれない」というメタ意識が、かつての
「今この私たち」の記憶から呼び起こされたように。

◆肉体の眠りを思考の夢から取り戻そう。
これだけでも生まれてきた価値がある。

◆思考の寝落ちの瞬間に、その人の全志向性が吸い付く。
だから、寝落ちの瞬間をつぶさに観察せよというのだ。

◆「思」が済めば「気」が済む。
「気」を「思」で動かさない。

◆「思」は考えなければ通り過ぎる。
「思」を考察し引き伸ばしている。

◆「想」は扱い注意。
「想」を念じない。

◆肉体を自分の小間使いにしない。

◆自分を自分の便利屋にしない。

◆存在感がなければ嫌われもしない。
嫌われたら、存在を愛でましょう。

◆「他者」とは「わたし」の時差。

◆「イマジナリーフレンド」と同化した自分。
「イマジナリーエネミー」と同化した自分。
「イマジナリーセルフ」の二重三重の交錯。

◆「ハイヤーセルフ」という名の「イマジナリーフレンド」
への逃避。

◆他者を「アウターチャイルド」として扱わない。

◆「知ろうとする者」が知らないだけ。

◆見ようとするから見たい世界が続く。

◆全部見ているのに見えていない。

◆全体を個別に見るから分岐する。

◆超人願望は、高性能広角レンズで全体を個別に見ようとする狂気。

◆【非二元裁判】
被告「私はいない」
判決「いない私を死刑に処す」

◆「見ん見ん禅」

◆分解と統合、どちらでもよい。
どちらも同じことなのだから。

◆ソースなき自己引用世界。

◆「目覚めた世界」を捏造しない。

◆「目覚めた世界」を目で見ない。

◆悟りに汎用性を求めない。
悟りの凡庸性を侮らない。

◆バランスの中心には足場がない。
エゴは完全なバランスを怖れる。

◆バランスの中心に浮くには、アンバランスに怯まないこと。

◆アンバランスはオフバランスの局所的現象。
オフバランスはオンバランスの遍在的現象。

◆私のオフバランスは、世界のオンバランス。

◆一瞬のバランスに、全信頼が集約する。

◆「自律した意志」は、拮抗するバランスの中心から浮き出る。

◆バランスをとる動きそのものに、バランスがある。

◆バランスの見性が、苦を無化する。

◆バランスをとろうとする時に、無意識に発動する支点を外す。

◆「支点・力点・作用点」をスコンと抜く。

◆物質世界は、バランスを学ぶ初級テキスト。

◆「この私」は世界の「出オチ」に気づかず、のこのこ出てくる。

◆悪魔のせいにしたいから悪魔がいる。
神のせいにしたいから神がいる。

◆悪魔って「狂い切った」者には興味がないんだよ。
これ、書いてるだけでものすごくゾッとするよね。
だからこそ「ニョンパ」は悪魔の虚を突けるんだ。

◆悪魔を欺くには、悪魔よりも「純度」が高ければよいのだ。
「存在」の純度という点では、人間は悪魔よりずっと不純。
ここでいう「存在の純度」とは、もちろん善悪とは無関係。
純度100%の存在には、「付け入る隙」が1mmもないのだ。

◆二元性とは単に認識の仕様であり「光と闇の戦い」など
後付けの物語にすぎない。
刷り込まれた物語への潜在的恐怖から、世界を呪術でがんじ
がらめにしてしまった。

◆神に「気絶」せず、神に「開く」。

◆意識を向けるというより「通す」。

◆概念も「開きつつ」使えばよい。

◆「聖なる気絶」と「俗なる気絶」がある。
優劣はないが、二次的現象は当然異なる。


寒桜
寒桜も咲いてます。大寒の贅沢!


関連記事
⇒ 【#トロッコ問題 #エゴチェック #ヒーラー 覚醒からのつぶやき 96】
⇒ 【#アハ体験 #潜在空間 #デジャヴ  覚醒からのつぶやき 102】
⇒ 【#徳のポイント #多様性 #確証バイアス  覚醒からのつぶやき 103】


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質疑応答 【禅とヴィパッサナーの相違と方便について】     

2023/01/27

ブログテーマとして質問をお寄せいただきましたのでシェアします。


【質 疑】

私はヴィパッサナーと禅の経験があり、どちらの良さも感じていますが、両者の違いについて
まだ十分感得できていない点もあります。ヴィパッサナーの経験のほうが浅いです。

たとえば、禅では、そのもの自体であること(なろうとするのではなく、原初の状態がそうという
だけのことですが)が説かれますが、ヴィパッサナーでは、肉体(の感覚?)や思考と一体化する
ことから離れるよう説かれることが多いようにも思います。

後者の教えは、一般的に人は肉体や思考を自分だと考えてしまっていることから、そこから
抜け出す方便として説かれているだけなのでしょうか?

現時点では自分には禅の方が合っている感じがしておりしますが、AYA様がおっしゃるところの
「気絶している」瞬間は、禅の方が多く起きているようにも思い、このあたりどうなっているのかな
と思い質問させていただきました。

AYA様は、それぞれの流派の文法を超えて解説してくださる力量があるように感じられましたので。


【応 答】

まず第一に「なぜそれを問うのか?」「なぜそれに興味を持つのか?」に気づいてください。

禅であれ上座部であれ「今まさにそれを問う自分の思考を見よ」という大前提に立ち戻ってください。

禅と上座部の表面的な方法論の違いについての解説は、巷にいくらでも転がっています。


問いに対してひとつだけお応えするならば「一体化」という概念にひっかかっている、ということが言えます。

「離れるから一体になる」「一体になるから離れる」この2つは同義なのです。

そのことは、誰かの解説によってではなく、ご自身の体験から検証していくべきことなのです。


私はいつも「伝統的な道を行くのであれば、あちこちつまみ食いしない」ことを強調しています。

仮にも縁のついた道の方便を疑うのは、発心が曖昧で核心に導かれていないからです。

方便が方便であったとしても、導かれているのであれば方便は正しく機能します。

逆にいえば、方便か方便でないかを正確に判断することは見性するまで不可能なのです。


問いの志向性を見るところ、おそらく「この道が正しい道なのかどうか」を誰か信用できる他者に
「保証」してもらいたい、という揺らぎがあります。

厳しい言い方になりますが、修行の揺らぎを方法論の綻びに転化したいのです。

もし私の解説から保証を得ようとしても、他者(=自分自身)を信用していないので、また疑問が起こるでしょう。


方法論のメリットを天秤にかけて保証を求める揺らぎを観察してください。

揺らぎが起こるのは、ひとつの修行法を「死ぬほど」やっていないからです。

保証はなくても発心に導かれているのならば、疑問が起こる前にやっているはずです。

まず、核心に触れるまでどちらかひとつに絞って死ぬほどやってみてください。


それぞれの道の見性の「認可」(まったくもって嫌らしい概念ですが)レベルには多少の違いがあれど、
どのプロセスにおいても具体的な核心に触れれば、先の「一体化」が方法論の垣根を超えて何を意味
しているのかがわかります。

それは具体的なものです。


まさにこの自分が悟るということにおいて、他人の保証や流派の違いに気をとられている暇はありません。

ひとつの核心に撃ち抜かれなければ、流派や方便の良し悪しなどわかりません。

そのためには、今これを問う自分自身が実際にどうか?だけが問題なのです。


発心が熟せば、自動的に「そうでしかない道」に導かれていきます。

不信のまま信用を探すのではなく、信が信として自律するのです。

そこに思考の入る隙などありません。


頭で考えず、直観と魂(あえて「無我」ではなく「魂」と言います)を剥き出しにして実存に
撃ち抜かれてください。


求めていた応えと異なり困惑されているとは思いますが、結果として最も重要なテーマを提供して
くださったことに感謝します。


関連記事 
⇒ 【内部の目と丹光 / ラマナ・マハルシと生きたままの死】 
⇒ 【用語解説】「見切る」「気絶」「ホワイトアウト」「ブラックアウト」


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「固有受容覚を超えるとき」 【1/21(土) 東京ワーク ~所感と解説~】   

2023/01/22

1/21(土)東京にてワーク開催しました。

ポーズ1

ポーズ4
<指一本で空に触れる>

ポーズ5
<腱の押し引きの「あいだ」に浮く>


【固有受容覚とボディイメージ】

基礎編では「プロプリオセクション(固有受容覚)」「前庭覚」「足底メカノレセプター」による
ボディイメージとバランスを見ていきました。

瞬間瞬間の自己イメージを呼び起こし姿勢を修正していくこれらの知覚は、五感にプラスして六感
(第六感とは異なる)ともいわれています。

固有受容覚は関節や筋肉の深部から身体の位置情報を割り出し、前庭覚は三半規管を通して抗重力感覚
や傾きや加速度を測り、メカノレセプターは主に親指・中足部・踵の裏から平衡感覚を脳へ伝達します。


※目をつぶった状態で、片足で何秒ぐらい立っていられるかチェックしてみましょう。

年齢にもよりますが、30秒以下の場合は感覚が鈍っているので強化したほうがバランスよく体軸
を通せるようになります。

強化方法としては、目をつぶって前後左右に歩いたりジャンプしたりスキップしたり、8の字を描きながら
歩いたり、バランスボードの上で片足立ちしたりするのもお勧めです。

バランスボード


【不立文字とミラーニューロン】

瞑想というと肉体や自己イメージから離れることだと思うかもしれませんが「何がどのように自己イメージを
つくっているのか」を、この心身構造を通していったん見ておくことは重要です。

曖昧なイメージは、曖昧にしか手放せません。

物理的な平衡感覚や体軸やイメージの発生や編集過程といった心身の仕組みをいったん明確に見ておくこと
で「それらではないもの」が浮かび上がり、心身は心身の構造としてそこに「置いておける」のです。

そこからやっと、本格的な瞑想が始まります。


これらの感覚はまた、他者の運動や心身を見てコピーする(例えばダンスであれば、振付師や教師の動きを
自分の心身と重ねて読み取り、自分の動きとしてアウトプットする能力)にも関係しています。

体験的には、コピーの際にミラーニューロンと連携するのではないかと予測していますが、覚醒の最終段階
(初期段階で意識的に使うことはある)においてはこのコピー機能は使用しません。

師から弟子に直接伝わる不立文字や、自他のないワンネス感覚は、ともするとこのコピー機能の産物と勘違い
されがちですが見当違いです。

そこに「コピーする対象物」は存在しないからです。


~Rubin's work ブログより~

※エネルギーの管を通すには、グラウンディングが必須。

グラウンディングのためには、足裏の感覚を鋭敏にする。

踵の押し出しとつま先の踏み込み、双方向の力の拮抗によって
土踏まずを浮かせた上で、背骨を積み上げる。

写真は、足裏の筋肉でティッシュを引き寄せ摘まみ上げる練習。


足裏ティッシュ

※上記の足裏と同じ感覚を手の平で再現しているところ。

手の平を床に置き、前方方向へ押し付けながら、指先の末節骨を曲げて逆方向に引っ張ると、
腱に拮抗状態の浮力のような感覚が生まれる。

この拮抗から生まれる浮力は、現象のどこをどのレベルで切り取っても存在する。


手のひら床


【内部の目とワンネス感覚】

今回も「内部の目」のワークを念入りに行いました。

「一点と全体が同時に映りながら、何一つ掴めない立体的な知覚」へ、身体と目と認識の構造を利用
しながらシフトしていったのですが、その状態にあるとき、ある簡単な仕掛けを使って「ゾッとするほど
奇妙なワンネス感覚」を体験していただきました。

⇒「内部の目」Rubin's work ブログより

「内部の目」から見ている立体的な知覚の領域では、自他を物理的に区別できないため、視界に自分
の手が入ってきても他人の手が入ってきても誰の手かを区別する思考が生まれないのです。

プロセスを正確に行えば、この状態までは比較的簡単に誰でも入ることができます。

このとき視界に「侵入」してきた「自分」の指と「他人」の指(ここでは意図的に区別して書きます)をくっつけ、
もう片方の「自分」の指で、くっつけた指を2本同時にゆっくり擦ってみます。

すると「自他の区別のない」視覚に加え、さらに「自他の区別のない」触覚がそこに顕われるのです。


ポイントとしては、触覚が加わっても内部の目で見ている感覚を抜かず、一点と全体を同時に見続けること。

もっと言えば、視覚と触覚の区別さえもないのです。

これは実際やってみるとわかりますが本当に奇妙な感覚で、参加者さんも「うわっ何コレ!ものすごくヘン!」
と声を上げていました。

それと同時に、ある意味ショッキングなワンネス感覚というものを具体的に感じとっていただけたようです。

「見る」ことのシフトにより「自分」だと思っていた知覚が根底から崩れてしまうのです。


【創出のダンス】

シフトした知覚の延長で、今度は2人組になって片手と片手を合わせて向かい合って立ちます。
(ニュートラルポジションとしての「立ち方」もポイントがあり、ワークで時間をかけて作っていきますがここでは割愛)

先と同じく視界には合わせた手と相手が入っていますが、そこに自他の区別はありません。

この視界のまま、合わせた手と手の「中心=空」に意識をフォーカス(区別がなくてもフォーカス機能はある)
します。(「中心=空」については、壁に指を押しながら中心を見ていくワークで事前に体感済)


このとき、手と手は押しながら引いているバランスの中心に浮いていますが、身体内部の圧や揺らぎ
によって手のバランスと中心も刻々と移ろいでいきます。

その移ろいを止めることなく見続けるとき、能動と受動の自他のないところで相手(便宜上こう呼ぶ)の内部感覚
が自分の感覚のように直接触れてきます。(先の「固定受容覚」「前庭覚」によって自他の境界なく読み取られる)


そのうち、自他のない内部感覚によって揺らぐ瞬間瞬間の中心に従って、自動的に動きが現れはじめるので、
それも止めずに動くに任せます。

すると、瞬間瞬間に規定される「予測できないけれども、それでしかない動き」がダイナミックなうねりとなって
創出されていきます。

この動きは、能動でも受動でもない、ソロでもデュオでもない、時空を超えた創出なのです。

ここでは手と手を合わせた状態ですが、極小から極大まで全ての事象がこのように創出されていきます。


【自意識とうねり】

ただ、知覚のシフトと中心の空が曖昧なままだと、自意識がチラチラ出てきてしまい、瞬間瞬間の中心に
任せきれないということが起こってきます。

自意識が出てきたら都度都度気づいていけばよいのですが、いったん動きに任せてうねりに酔ってしまう
というのも一つの手です。(普段は、この「うねりに無自覚に酔う(気絶する)」ことは推奨していません)

自意識の解消のために、活元運動などを利用することもあるのですが、それでもなかなかロックが
外れない方が多いですね。


瞑想は自意識を外さなければ起こりません。

瞑想によって自意識を外そうとするのでは「遅い」のです。

ここで言う「自意識」とは、身体と癒着した固定観念です。

身体の固定観念は、身体として外しておいてください。

(この「自意識」を外した状態は「無我」ではありません)


関連記事
⇒ #丹田(存在の座) 【11/7(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
⇒ #超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


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【#ダークマター #教外別伝 #アブダクション  覚醒からのつぶやき 97】  

2023/01/09

ガジュマル,jpg
うちのガジュマル、まだキジムナーこず。


◆本当に伝えたいことは、天使も悪魔も小声になる。

◆天使が通るとキーンとする。
悪魔が通るとギーンとする。

◆自然を式と解から救う。

◆「不自然な自然」
「自然な不自然」
どちらも「ありのまま」

◆単語帳が ”abandon” で止まったままの、ミニマル受験生。
単語帳が ”abundant” で止まったままの、スピリチュアル受験生。

◆不食で食う人。

◆「コスパ」と「タムパ」の進化と淘汰。

◆「セルフ・セルフィー・セルフィッシュ」

◆肉の記号化と魂の恣意性。

◆トーラスの「中」に入らない。

◆腹話の文法
頭話の文法
魂話の文法


水仙2
ぺちゃくちゃお喋りな水仙です。


◆「セブンイレブン・アブダクション」

◆意識にトレンドなし。

◆『Jkzifgnpgkeを『』に入れると『Jkzifgnpgke』になります』

◆ダークマターに「ぶつかる人」はいない。

◆退屈神は、退屈に大興奮(大退屈)する。

◆独りボケツッコミで、永遠に相方を探し求める。

◆「見ざる・聞かざる・言わざる」の「三位鼎談」

◆動きながら固まる泥人形。

◆「紅い古狐」と「碧の隠狸」

◆「毒茸の山」と「筍医の里」

◆幾何にピタゴラスイッチのピタッと感を強要しない。

◆アタマにとってハートは "UMA"
ハートにとってアタマは "UAP"

スマホ

◆「歩きメタバース」はもっと怖いよ 🥽

◆「歩きメタバース」というより「メタバース歩き」になるわね。

◆人間は「歩きスマホ」ならぬ「歩き思考」している。
歩くときは「歩き歩行」しよう。

◆鼻先も睫毛も眼鏡も忘れてるし、今これを見てるスマホの枠も
一瞬忘れてたでしょう?
これが「無意識型サマタ」の強制的な世界没入システムなんですよ。

◆「ほら!」歩きスマホしてなくても、いま視界の外側の世界が一
瞬消えてたでしょう?
この気絶に「ほら!」「ほら!」「ほら!」「ほら!」…と気づき続ける
ことなんですよ。

◆逆にいえば、視界が限定されているからこそ、世界が強制的に背景から
浮き出るのです。
だから、世界を五感で選択する私たちには「100%限定のない背景」は
「見えない」!
(その意味では、この世界におけるワンネスの知覚は未だ限定があるということ)

◆視覚健常者は視覚と気づきが癒着しているので、視覚障碍者より世界への
気絶度が高いとも言えるけど、本当は「無意識型世界没入システム」は視覚的
に見えている見えていないは無関係。

◆下位レイヤーにおける「見る」という言葉を「気づき」のメタファーとする
なら、盲目の人も世界を同じ器官(肉眼の神経ではない)で「見て」いるんです。
健常者と障碍者も生まれる前は同じものを「見ていた(触れていた)」んだから、
同じシステムで(見かけ上能動的に)世界を選び取ってるんですよ。

◆覚醒感覚に映る世界は解像度が高く鮮烈だが、覚醒自体は相対的な
「解像度」に左右されない。
もっと言えば、肉体の目が全盲でも関係ないし、さらに言えば、世界
が映っている必要すらない。

◆覚醒の「直接知覚」は「現実」の色彩と寸法を「正確に」写し取る
能力とは無関係。

◆何をもって「正確な現実」とするのか?

◆一度見ただけの景色を写真のように絵に描き起こせるサヴァン症候群の
人も、物質上では物質の目で見た物質の景色を映し撮ることしかできない。
覚醒は、映し撮られた一瞬の中に物質を超えたすべてを含むが、それは目
という機材と画素数の問題ではない。

◆「それ」はすでに私たちの中に「映っている」が、映っているものを
「見る」能力が覚醒なのではない。

◆目の機能を拡大していけば、素粒子の動きは見えるが、それらが動き回る
ための空間は謎のまま。
それは「時空込み」で唐突に出現するのだ。

◆なぜ現象がこのような見た目なのかという真実は、認識の次元が相対的で
ある限り永遠に解明できないが、どの次元においてもそれらが発現する現場
に立ち会うことだけは出来る。

◆サマタのヴィジョンは主観的に「現実世界」の解像度を超えているが、
解像度と解輝度が上がりすぎると、脳による認識は役目を終える。

◆肉体の目にとって、650万画素以上の解像度は識別不能。
「わ〜、まるで『現実』みたい!」と感動したいだけなら、TVは8Kまで
で充分ってこと。
それ以上を見たい人は、目のほうを転換してください。

◆人間の執着は「ほぼほぼ」物理現象。

◆同じ服を着続ける⇒仕事に集中できる
同じ体を着続ける⇒世界に集中できる
同じ魂を着続ける⇒輪廻に集中できる
同じ時を脱捨てる⇒解脱に集中できる

◆「不立文字」は、文字を外そうとして文字に囚われる。

◆「教外別伝」は、ミラーニューロンに依らず。

◆「脳内セルフ・ミラーリング地獄」

◆この世界は、メタ認知のハウリングでキーキー五月蝿い。

◆アタマの覚醒は、脳の再帰的構造によってループにはまりやすい。
ハウリングのように、自ら発した特定の音域を収音・増幅するからだ。
だから、アタマの覚醒だけは自覚的なテクニックを要するのだ。

◆逆位相で相殺するノイズキャンセリングの静けさは無ではない。
波形を操作してどうにかしようという「色気」は捨てましょう。

◆ここは「学び方を学ぶ」世界。
一周回って、これに尽きるね。

◆「ジェネリック世界」で間に合わせないこと。

◆とりあえず、本体と筐体の「代謝時差」ゼロで上がり。

◆計画どおりにいけば、計画どおりのまま。
計画が狂うおかげで、生まれ変われるだ。

◆半覚者は「計画」に執着する。
「参政者」の地位を捨てよう。


たかい
たかいたか~い!


◆キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
地球はもういちど、火星から戦士を調達する計画っぽいね。
…………ブウウーーーーーーンンンーーーーーーンンンン…………。

◆昔は洞窟に籠っていたので人畜無害だったが、処世術『も』長けた覚者
がわらわらと市井に出てきた為に「覚醒すれば世界が思い通りになる」
というエゴのロマンを刺激するようになった。
それもこれも「超計画的な功罪」なんだよね。

◆無意味なシンクロの頻発は、創造の計画から解放されてきた合図。
有意味なシンクロの頻発は、創造の参入を続行するか否かを問われている合図。

◆垂直の計画を、水平に投影した記録映画。
垂直も水平も幻。

◆死は、意識の停電。
突然の停電も、実は計画停電。

◆預言は「為政者」の保険。
預言は「運命」への無力感を、計画的に植え付ける。

◆自由意志がなくても、無我に無力感は伴わない。
無力感が伴うのは、この世の「為政者」の計画。


七草2
七草ならぬ八草です。侵入者は誰でしょう?

チャービル
君の名は。

粥
八草+五穀粥になりました。


関連記事
⇒ 【#カルマ解消 #エゴハック #テレポート  覚醒からのつぶやき 81】


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【1/21(土)14:00~17:00 、17:30~20:30「東京ワーク参加募集」】   

2023/01/06

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

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◆1/21(土) 14:00~17:00 、17:30~20:30
募集締め切りました。次回2/25(土)東京にて開催予定です。
参加希望の方は、メルマガご登録願います。(参加条件あり)

⇒メルマガ登録はこちらから

※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。

通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入るための軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・丹光(ニミッタ)の構造的位相
・ホワイトアウトと発火ポイント
・反転空間に触れてあること
・反転と消失点を無化するには
・固有受容覚から不立文字へ


をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #魔女会 #ダウジング #遠隔透視  【12/25(日) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #尾骨と自意識 #活元とクンダリーニ 【11/26(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その1】

⇒ #4-7-8呼吸法 #パチンコ覚醒? 【11/26(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その2】


※参加ご希望の方は、拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


⇒メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


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