fc2ブログ

【4/15(土)18:30~22:00「東京ワーク参加募集」(夜間開催)】     

2023/03/30

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ワーク321 頭頂ポイント


4/15(土) 18:30~22:00
※今回は夜間のみの開催となります。

募集締め切りました。次回は5/5(金・祝)開催予定です。
参加希望の方は、まずはメルマガご登録ください。(参加条件あり)


⇒ メルマガ登録はこちらから

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・遍在と局在の重ね合わせ
・方向から自由になった目
・開きつつ密度を高める秘伝
・意識単体の押し引きの間

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #強制覚醒 #トーラス #自我脱落 【2/25(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



※参加ご希望の方は、拙著 ⇒ 「Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


⇒ メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


***************

r.jpg
⇒ Amazon 販売ページはこちら



※ツイッター頻繁につぶやいてます※
@Rubins_work


⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク

#超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】 

2023/03/23

3/21(火・祝)東京にてワーク開催しました。

ワーク321 かべ 全体


頭頂のホワイトアウトのポイントを見つける。
頭頂ポイント


指一本で中心の空を見る。
壁と指2


「指一本の空」からの応用で、こんどは手の平で拳を握り、どれほど強く握っても握りきれない
中心の空白を見つけます。

この空白は、すべての現象、すべての瞬間、どこを切り取っても在るものです。


拳を握ったまま、空白の断続(連続ではない)だけにフォーカスしながら手を動かしていったとき
「あっ!」と声を上げて「わかった」方がいて嬉しく思いました。

お手伝いに来ていたリアル氏は、その瞬間その方の意識と同期してパチンと弾けて
「ヒャハハハハ!」と笑ってました。

↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



サードアイを開き、全体と局所を同時に内部の目に映す。
壁と鏡


肉体の目から「内部の目」へシフトするとき、曖昧なイメージにならないように肉体感覚を利用しながら
段階的に移行させていく方法をとります。

「内部の目」は肉体的な座標でいうと松果体あたりにありますが(実体があるわけではない)通常は頭部
の中心の感覚がないため明確な位置が特定できません。


そのため、眼球⇒眼窩⇒蝶形骨⇒蝶形骨の裏側⇒内部の目の順にポイントをシフトしながら視覚の変化
を具体的に探っていきます。

このとき、上咽頭部は嗚咽する感覚のように上方向へえぐるように持ち上げ、盆の窪の空間を開けつつ
顎先と引き合い、鼻から吸った空気水平方向に引き込んで盆の窪の内側にぶつけるようにします
(実際に空気がぶつかるわけではない)。


肉体の目と内部の目で見る視覚には明確な違いがあるため、正しいバランスで頭部全体が引き合えて
いるかどうかチェックできます。

内部の目で見ている(映している)ときには、全体と局所が同時に鮮明に在るのです。


【今回のハイライト、超秘教ワークの一コマより】

(あまりに危険すぎるので詳細は割愛します 笑)

「すいません、血管プチッと逝きそうです!!」

「まさか、健康的に覚醒しようと思ってたの?」



このプロセスを経てやっと上記の「超秘教ワーク」が登場するのですが、ヒントだけ挙げると「握っても握りきれ
ない拳の中心の空」と同じものが、この内部の目自体なのです。

ただし、内部の目が単体で「浮いている」状態のときには、拳を握っている圧とは比較にならないほど
高圧な磁力(内部の目自体は磁力ではなく完全な空白であり、時空に属しません)が発生している
状態になります。


例えていうならば、頭部の中心に高いGのかかるジェットコースターがあるような感覚です。

このGにより頭部全体が中心から振動してきますが、振動に抵抗しようとせずに全体が引き合っている
肉体の構造をその場に置いておき(肉体の準備はこのためにあったのです)、拳の中心の空と同じ空白
に留まり続けると、カルマの引き合いで現象が発生する直前の発火と選択肢群を眺める現場に出会います。


ここで背骨を昇るエネルギーが頚椎から頭頂へ抜けきる前に内部の目の方向へヒュッと水平に引き込
まれた瞬間に、認識の癒着がバリッと音がするように剥がれるのです。


空間から直接ぶら下がる背骨を通す。
背骨を通す


「内部の目」の感覚がなんとなくつかめてきても「内部の目を意識してください」と言った瞬間に「肉体と
癒着した目」を動かして頭部の内側を見ようとしてしまうことがほとんどです。

そのため、マインドフルネスのような思考を観察する瞑想でも、純粋な気づきではなく肉体の目に癒着
した意識を都度都度動かしながら思考を追ってしまっているのです。

このときの眼球の動きと意識のベクトルを微細に観察してみてください(眼球の動きを観察するのに眼球
を動かしては本末転倒ですよね)。


といっても、眼球を固定しようとするのは違います。

眼球はもともとマイクロサッケードという生理運動が機能しているため、完全に止めることはできません。
⇒ Rubin's work ブログ参照 【直接知覚の世界とは? ~ 0.2秒の気づきの壁 ~】 

止めるのではなく「動きをまるごと置いて」おきます。

眼球の機能はそのままその場所に置いておき、まっすぐ前を見続けたまま、内部の目だけを単体で
起動させるのです。


また、エネルギーで説明すると曖昧なイメージに陥りがちなのであまり使用しないのですが、内部の目
の開発にはエネルギーを単体で認識できるほうが理解が速いということはいえるでしょう。

光のスペクトルをプリズムを通し各色単体で見るような「単体」感覚が認識の癒着を剥がすのに
役立つからです。


指の輪郭をたどり、時系列の予測と編集から自由な瞬間を見切る。
ワーク 指


~Rubin's work ツイッターより~

明晰な瞑想は常に、刻々と起こり続けるすべての瞬間を刻銘に記憶しているものです。
そこに曖昧さはありません。
「なんだかよくわからないままに気づいたら禅定に入っていた」というのは意識の粗さによって微細
な領域を見切ることができていないためです。

明晰な瞑想のひとつの目安として、例えば映画を集中して見終わった直後のように、瞑想中の
プロセスのコマのひとつひとつを一から順に正確に説明できるか、ということがあります。
願わくば、一回一回の瞑想に対して、このようなレポートをしていただきたいのです。

これは、瞑想で起こることを理性で記憶して説明することとは全く異なります。
頭の中の理性が落ちたところで内部の目に受動的に映され記録された映像のコマをひとつひとつ
そのまま見返してみればよいのです。

動的かつ受動的な集中力はシステマチックに発動するものです。
この集中力は羽根のように軽いにもかかわらずソリッドでダイナミックなもので、真空管に「ひゅっ」
と吸い込まれるような感覚を伴うものです。



瞼をとじたまま思考の動きと癒着した眼球の動きを観察するワークで、唐突に「富士山を思い出してください」
と言いました。

するとその瞬間、記憶から引っ張って来た富士山の画像をイメージした方がほとんどでしたが、
眼球の動きの観察から富士山の画像へフォーカスがシフトした瞬間がブラックボックスになっていて、
後から説明を求めても記憶が曖昧なのです。


明確な瞑想では、気づいた全ての現象の一部始終をフラッシュ記憶から引き出すように後から時系列
で説明できるものです。

この感覚は「記憶しておこう」と待ち構えて観る意識では起こりません。


人間の構造ではひとつの瞬間にはひとつの認識しかできないため、瞬間瞬間を見ていけば必ずパッと
切り替わる境界があるのですが、さらに細かくみていくと、切り替わりの瞬間の直前に空白があることに
気づきます。

この空白を見切るには、かなり集中力を高める必要がありますが、空白まで見えなくても、イメージの
切り替わりの瞬間にどこからどのように発生したのかを見ることは可能です。


ここが曖昧なとき、切り替わりの空白それ自体を見切るのではなく、もやもやした空白に一瞬「気絶」
しているのです。
⇒ 【用語解説】 「見切る」「気絶」「ホワイトアウト」「ブラックアウト」


この「気絶」の瞬間に雪崩れのように思考やイメージの連鎖が起こります。

ここで「気絶」しないためには、肉体の目と気づきの癒着を剥がし「内部の目」にシフトする必要があるのです。


丹田から風船を膨らませる。
バルーン2


リアル氏が今回のワークの感想と解説をブログ「リアルワールド」にアップしてくれました。

⇒「Rubin'sワークに参加してきた」身体ワークによる覚醒ポイントの発見

スクリーンショット 2023-03-23 211522

誤解されやすいのですが、あくまでも肉体をそこに「置いておく」ために「カチッと引き合う構造」から入る
のであって、身体ワーク自体が目的ではありません。

究極的には身体のバランスが崩れていても構わないのです。

なぜなら「それ」は座標に属さずどの瞬間にも在るからです。


とはいえ、肉体と同化している段階では意識は肉体のバランスに癒着しています。

「見る」ことが肉体に依存している限り意識を単体で扱うことは不可能なため、物理的なカタチの力学
を利用していったんエゴを置いておけるようにするのです。

ワークをはじめた数年前は、よりストイックに意識単体に直接アプローチしていたのですが、参加者さん
の状況を鑑みたときに身体をある程度つくったほうが速いということで、暫定的に現在の手法を取っています。


~リアルワールド・ブログより~

「意識の焦点を頭頂や手の中に再発見し、それこそがこの世界を認識・創造しているポイントであると
認識させるワーク。ここの部分が非常に高いサマタ(瞑想における集中力)を持って体感されると、
破壊的とも言えるほどの解放感と自在性に満たされる。」


上記にもあるように、もう少しで「カチッとはまりそう」な方に「あとは集中力とタイミングが揃えばいい
だけです」としばしばお伝えするのですが「一瞥体験」だけであれば何時間もぶっつづけに坐禅を組む
ほどの集中力は必要ありません。

それこそ一瞬でいいのです。


例えば、突発的な事故等に遭ったときに意図せずゾーン体験が起こることがありますが、一瞥体験
が起こる時も意図せず「カチッ」と入るのです。

そのため、身体構造をある程度整えて「それ」の手触りが顕われてくるようになったら、心身は心身に
任せ完全に自分自身の意図を忘れてしまうようにします。


そこに信頼が伴っているとき、今この瞬間か数年後か死の直前かの保証はなくても「それ」は
カチッと起こります。

極度の集中力は、むしろ一瞥体験後に必要になってくるものです。


一瞥が過ぎ去ったときに鮮明さと洞察と直観が消えてしまうのは、その人本来の集中力が人間
としての生において磨かれてこなかったからです。

ここから初めて、変態的なまでの集中力を再起動させ、一瞥を隠すものを一から見直していく
作業に取り組むことになります。


シネラリア
ワーク会場への道すがら出会った桂華。


関連記事
⇒ #強制覚醒 #トーラス #自我脱落 【2/25(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
⇒ 【バクティ・タントラ・マザーの道】 秘教サークル「it会」と恩寵


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク

【用語解説】 「見切る」「気絶」「ホワイトアウト」「ブラックアウト」   

2023/03/16

Rubin’s work で頻出する用語についての質問をいただきましたので、回答をシェアします。

「見切る」「気絶」など独特な表現に聞こえると思いますが、体験に基づくリアリティにおいては、
個人的にそうとしか言いようがないのです。


【見切る】

通常の認識レベルで見逃している瞬間を、高いレベルの集中力と意識の動体視力のようなもので
極限まで気づき続けるということです。

通常の認識レベルの場合、見逃した瞬間と瞬間の空白を脳内補正・編集しているのですが、空白
の瞬間にこの世界が発生してしまうのです。

空白の瞬間を100%見ることは人間の認識では不可能ですが、極限まで見る(気づく)ことにより、
無意識に見逃していた思考に気づき、気づいた瞬間に無執着心で手放していくのです(気づき続け
つつ瞬間瞬間の引力をスパスパと自動的に「切る」ためには無執着心が最大のポイントです)

その意味では「見切る」には「最後の瞬間までやりきる」ということも含まれます。

なぜなら、通常の認識レベル・執着レベルでは最後に辿り着くまえに空白になってしまうためです。

ここで言う「最後」とは、人間が気づき得る認識レベルの極限という意味です。


~Rubin’s work ツイッターより~

◆瞑想では「いかなる状態にも居座らない」ということが非常に重要です。
瞑想は瞬間瞬間に生まれては消えていくものであり、世界を展開させる引力を瞬間瞬間
見切っていくものだからです。
それは何処にも摑まる物のない所で、どちらに転ぶかわからないバランスのあいだに
気づいていることです。

◆ひとつの瞬間にひとつの気づき、というのは3次元の限定された認識にすぎない。
この現象界において生滅智は明確な体験によって見切られるべきだが、それと同時に
「生まれては滅する」という直列的時間の幻想も見切る必要がある。

◆生滅智とは、存在していたものが滅していくのではなく、もともと実態のない幻の像が、
時系列で切り取られ消えていくのを直列的認識の極限で見切ること。
これにより諦念は確立するが、ここがゴールではない。
直列的認識の幻想自体が完全に見切れて初めて「普遍のそれ」が立ち顕れる。
瞑想の極限では、生滅の現象側の体験に圧倒されないことが肝要。



【気絶】

通常の認識レベルでは、先の「空白の瞬間」の一瞬前に気づきが落ちてしまうということです。

気づきが落ちる原因は、集中力の欠如、思考の偏り、カルマの磁力などです。

この世界は、必ずこの気づきが落ちた空白の瞬間に、自動的に采配されます。

「無自覚に拒否する」ことも気づきが落ちる原因のひとつです。

より心理的な意味で「自分が見たくないもの」を見まいという無意識の気づきのシャットダウンが起こるのです。

「意識がなくなる」ことも含まれますが、正確にいうと意識そのものはなくなりません。

なくなるのは意識を自覚する「気づき」です。


~Rubin’s work ツイッターより~

◆サードアイは、現象側の送受信機にすぎない。
「剥がれた」目は、肉体を超えたずっと奥にある。
水平に横たわるワームホールに吸い込まれきる直前に「浮いて」いる、というのが感覚的には近い。
現象発生のGに気絶せずにどこまでも遡っていけば、忽然とそれは顕われる。

◆この空白の瞬間に気づかないうちに、うっすらとした禅定という名のイメージに気絶してその間の
プロセスがブラックボックスとなっているのです。
「むこう側」へ潜り抜けるための禅定=集中力は、どこまでも途切れずに微細な領域を見続ける動的
かつ受動的な集中力です。



【ホワイトアウト】

文字通り、気絶する瞬間に真っ白になることです。

真っ白な状態は一瞬で消えることもあれば、意識的にそこにとどまることもできます。

「溶ける」というよりも「吸い込まれる」といったほうが感覚的には近いです。

脳がクラッとした瞬間のエクスタシーの次の瞬間のような感覚です。

気づきが鋭敏であれば、エクスタシーに気絶せず、吸い込まれ続ける瞬間をどこまでも追って
いくことができるでしょう。

ホワイトアウトは頭頂で起こり、丹田では起こりません。


~Rubin’s work ツイッターより~

◆盆の窪の周辺に空間をあける感覚と、意識の微細なベクトルの仕組みのコンビネーションの
感覚がつかめるようになると、強いエネルギーに意識をもっていかれてホワイトアウトすることなく、
エネルギーの発火の瞬間自体をピンポイントの目的に使えるようになります。

ホワイトアウトして気絶しないためには、これに加えて気づきのセンターが確立している必要があります。
気づきのセンターが自動的に働いているレベルまで確立していないと、高いエネルギー感覚を保ったまま
同時に中心で覚醒していることができません。



【ブラックアウト】

ブラックとは文字通り、自我が落ちた直後に現れる存在の暗闇(始原)です。

目の意識が落ち、自我と結びついた意志(上方向へのベクトル)がすとんと落ちた時に立ち顕われるものです。

目の意識が癒着したまま気づきを鋭敏にするだけではブラックアウトは起こりません。

なぜなら、癒着した気づきは光を伴うからです。

よく「気づき」=「光」といわれますが、これは目と癒着した気づきで見ているからです。

ある意味、この自分自身の気づきの光(フラッシュ)が世界を「見えるもの」にしているとも言えますが、
ブラックアウトした存在の始原は「見える」世界以前の状態です。

この状態を目が癒着した意識は相対的に「暗い」と感じますが、本当はそこは暗くも明るくもありません。

熟睡した状態ではこの始原に落ちてはいるのですが、そこに自覚はありません。


~Rubin’s work ツイッターより~

◆この起点の「始まりの始まりの始まりの始まり…」を無限にたどっていくと、人間としての認識の
限界のレベルに達した地点で、真空に吸い込まれるように意識はブラックアウトします。
このブラックアウトした地点から先を対象化することは不可能です。

◆女性はエクスタシーの落下感覚を潜在的に知っているが、落下しきってしまうとブラックアウトしてしまう。
それはそれで存在の安らぎだが、落下時に相反する背骨側のエネルギーを拮抗させれば、ひとつの
マトリックスが自己完結する。
ただし、それを見切るには内部の目が確立している必要がある。

◆瞑想に睡眠の仕組みを疑似的に利用することはあるが、人間の睡眠では完全にはブラックアウトできない。
肉体の目が邪魔して、存在に落ち切れないのだ。
死ですら、目に邪魔されて死に切れない!



関連記事 
⇒ 【内部の目と丹光 / ラマナ・マハルシと生きたままの死】 
⇒ 質疑応答 【禅とヴィパッサナーの相違と方便について】


Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために
r.jpg
⇒ Amazon 販売ページはこちら


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ 質疑応答

【#厭世修行 #エゴサーチ #因縁  覚醒からのつぶやき 101】   

2023/03/11
寒緋桜
台湾由来の寒緋桜。


◆138億年ひとりで宇宙を漂ってきて、初めて他者を見つけたとき、
声を掛けるか掛けないか、それが分かれ目です。

◆何度も何度も人間をやっていると、エラーを見つける熟練工のように、
直観的な違和感を覚えるようになる。
そこからが始まり。

◆答えはひとつだが、式が無数にある。
式の展開が、時空を引き伸ばすのだ。

◆「引き伸ばし」を「重ね合わせ」で待機する無欲のAI。
不穏だね~

◆理を解する。
知を覚する。
体を感ずる。
「~を~する」に当てはまらないものが「それ」

◆美への反抗は絶対的な美の幻想ありき。
ガキの甘えが通用しなくなった世界よ。

◆過剰な自信も、過剰な謙遜も、神への冒涜となる。

◆複雑さにプライドを持たず、単純でいる勇気を持とう。

◆社会階級に挫折して、宗教の階級に逃げ込む人の闇は深い。

◆挫折した秀才ほど、無執着にプライドを見出す。

◆苦行は、報酬系回路に取り憑かれた歪んだ快楽。

◆プライドは、軸をナナメにする。
自重で倒れるのを怖れ、つっかえ棒を探し続ける。

◆可知に気絶すれば慢心する。
不可知に気絶すれば盲信する。

◆信念にプライドを持たない。

◆好き嫌いにプライドを持たない。

◆自分の好き嫌いを面白がる。
他人の好き嫌いも面白がる。

◆思想のコンテクストを隠れ蓑に神を語り「いや、信じてるわけじゃ
ないけどね」とエクスキューズするのが、古風な知識層特有のプライド。

◆尊厳は、自己受容から発動する。

◆自我の自尊心は、条件付き。
無条件の自尊は、対象のない祈りから沸き起こる。

◆「自」なき「尊心」

◆生と死は、尊厳を強要する。

◆「生みたての自分」を尊敬する。
「死にたての自分」を祝福する。

◆許すは傲慢。
ただ認める。

◆ヒトガタであることに慢心しない。

◆自分自身をも蝕むプライドって、誰得なの?

◆XX星人という、新手のプライド。

◆「在る」を問う傲慢。

◆痛みが当たり前になってしまった私たちは、
無痛状態を覚醒と勘違いする。
本来、心身の無痛状態は存在のデフォルトであり、
覚醒そのものではない。

◆存在からズレた消失点は、肉体の目に向かって突き刺ささる。

◆肉体のない痛みこそ地獄。
そこには未だ痛みがある。

◆「垂直の神」と「水平の母」という、肉体ベースの局所的幻想。
高次元を持ち出さずとも(3次元だからこそ)、垂直も水平も
同一曲面に回収される。
だから「神性か現象か」を思い煩う必要などないのだ。

◆全てを網羅した表現は、無味無臭の水のように流れ去る。
この世の表現を選ぶならば、全存在に向ける必要はない。

◆レム睡眠の寝言に返答すると「早死に」するという迷信。
白昼夢の寝言に返答しあって「夢死に」している私たち。

◆人間の褌で相撲を取る。

◆「エゴサ」は「イドサ」

コンクリートと影

◆いわゆる「引き寄せ」では、力を「くっつける」方向ばかりを強調するが、
「くっつくこと」と「はなれること」と「ひっぱりあうこと」、この3つの力
が現象の本質です。
特に意識においては「ひっぱりあう」拮抗する力のあいだにいることが重要。

◆現世利益は「くっつくこと」、厭世修行は「はなれること」
を強調しすぎる。
「くっつくこと」「はなれること」「ひっぱりあうこと」は結局、
すべて連動している。
だから、全体から一部の運動を切り取り操作しても、一時的な
「配置換え」と、その「皺寄せの波及」が起こるのみ。

◆自分の知ってる自分を「自分」と呼んでいる。
自分の知らない自分を「他人」と呼んでいる。

◆「他人」は「他分」

◆思考の反芻は、胃に負担をかける。
妄牛の胃にも、妄想は消化できず。

◆「宇宙最弱の矛」vs.「宇宙最弱の盾」
無観客の消化試合を延々と繰り返す。

◆「保障のない安心」
「目的のない活力」
「実体のない実存」
神の掛け捨て保険。

◆ワンネスを「ひとつの視界」に押し込めない。

◆発したものは、跳ね返ってくるわけではない。
宇宙には跳ね返す輪郭など存在しないからだ。
幻想の輪郭が、幻想の因果を応報させている。

◆メタ認知が虚構を生み、虚構が嘘を正当化した。

◆ひとつのスクリーンに世界が映っているのではなく、
どこを切り取っても無限にスクリーンが出現するのだ。

◆スクリーンと映写機は分離していない。

◆単調な反復運動を繰り返していると催眠状態に酔ってくる。
私たちは、単調な生の反復運動の酔いに微睡んでいるのだ。

◆複雑に見える行動も、単調な反復運動を紛らわす強迫観念。

◆「絆」は分離意識を強化する。
「団結」は分離不安を扇動する。

◆「因縁をつける」って時空を股にかけた恐ろしい行為だよね。
私たちは日々、自分自身に因縁をつけながら生きているのだ。

◆「あなたの言葉は、あなた自身を刺している」と言われたことがある。
どうも苦言として呈されたらしいけど、これ以上の誉め言葉はないな。

◆One for one, All for all.

◆One を「ひとり」と訳さず。
Allを「みんな」と訳さず。

◆Nothing Nowhere All at Once 「ノンノン」絶賛非公開中!

◆『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』IMAXで鑑賞。
「この宇宙の君が最低レベルの存在だからこそ、別宇宙に分岐する最高レベル
の君が存在できる」
実も蓋もないけど、真実だね 笑

◆最大級に穿った見方をするならば「マザーか解脱か」が鍵なんだけど、
「あっち」に吸い込まれる力と「こっち」に留まる力が拮抗しているって
いうのは、実はものすごいことなんですよ。
実際それは「愛の力」なんて陳腐な言葉じゃ説明できないね。

◆マルチバースを呼び出すアルゴリズムがバカバカしい設定は素晴らしい!
でも、人間の思いつくバカバカしさで飛べる別宇宙には限界があるわね。

◆山で遭難し複数人で食物を分け合う時、どのように分配するかで
自我の成熟度と覚醒の成熟度が浮き彫りになる。
絶対的な正解がないと同時に、その分配は必ずしも倫理的・合理的
でないかもしれない。
このセンスは「あなたがあなたの世界をどのレべルでどのように
救いたいか」の縮図だ。

◆存続しようとするから飽きるのだ。
存在そのものには飽きようがない。
存続しようとするから苦しむのだ。
存在そのものには苦しみなどない。

◆光は光であり、闇は闇である。
光と闇が分裂したのではない。

◆光が光である時「それ」を光と呼ばず、
闇が闇である時「それ」を闇と呼ばず。

◆無は分裂しない。
有は分裂しない。

◆「>の・」と「V の・」は、ひとつ。

◆「←」と「↓」の向きを変えずに重ねるのです。

◆怨念は留まり、歓喜は留まらず。
歓喜に留まれば、怨念に転じる。

◆留まる者は、歓喜に遅れをとる。

◆母の理解と、母の解放。

◆腫物に触るように母の顔色を伺う世界。
母を未熟に貶めてきたのは私たちです。

◆父の尊厳を我の尊厳の拠り所にしない。

◆「無と空」「父と母」を重ね合わせられる人は稀。

◆イメージして創った軸は、まっすぐではない。
軸は、全てから均等に離れているときに自ずから通るもの。

◆人は完璧な「まっすぐ」をイメージできない。
直線が「まっすぐ」という世界線においては。

◆「他人軸100%」と「自分軸100%」は、結局どちらも
「無我」なんですよ。
本当に100%ならね。

◆存在するのに勇気はいらない。
存在確認に勇気を使っている。

◆受容が存在を確定する。
受容は覚悟に先立つ。

◆気づきを認識で一回一回確定してしまうと
「瞬間」を切り取るだけになってしまうよ。
「瞬間」そのものは、時空から切り取るものではないのだ。

◆気づきを確定するのではなく、気づかれた気づきに
撃ち抜かれた空白としてあること。

◆愛も光も苦も闇も、肉体感覚。

◆自分をコスプレすると胡散臭くなる。
自分をスピプレすると宗教臭くなる。

◆オリジナル不在のセルフコスプレイヤー。

◆ゲーム愛かキャラ愛か。

◆アタマは存在の最適解を求め続ける。
最適解を命題にすり替え、循環論法を繰り広げる。

◆創造主と技術者を混同してしまった宇宙。

◆創造主は逃げられず。
救世主は消えられず。

◆哲学はアタマの繰り出す安全牌。
結論を出す必要がないんだから。

◆命を削る哲学者は、削る命を捏造する。

◆「哲学的な生」などない。
「哲学的な死」などない。

◆存在は、存在者の「糧」に非ず。


チューリップA
春めく鬱金香。


関連記事
⇒ 【#アレシボ・メッセージ #非二元裁判 #イマジナリーフレンド 覚醒からのつぶやき 99】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ つぶやき

【3/21(火・祝)14:00~17:00 、17:30~20:30「東京ワーク参加募集」】 

2023/03/04

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ポーズ4 ポーズ5


◆3/21(火・祝) 14:00~17:00 、17:30~20:30
募集締め切りました。次回は4/15(土)18:30~22:00(夜間のみ)開催予定です。
参加希望の方は、まずはメルマガご登録ください(参加条件あり)。

⇒メルマガ登録はこちらから

※前半(基礎)と後半(実践)に分けて行います。

通しで受講していただくほうが理解と集中が深まりますが、
前半もしくは後半のみの参加も可です。
(初参加の方はなるべく前半から受講してください)

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・アイソレーションと重ね合わせ
・意識の動体視力の発動
・実存の中心から響くには
・ワンネスのハラ落ち超実践

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆ワーク開催にあたっては、以下のコロナウイルス
対策を行います。


・参加者間の十分な距離を確保
・息のあがる運動はしない
・参加者にマスク配布
・入場前の手洗い必須化
・入口での手指のアルコール除菌
・平熱以上の方の入場不可
・ワーク中の身体接触回避


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #強制覚醒 #トーラス #自我脱落 【2/25(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ 「固有受容覚を超えるとき」 【1/21(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


※参加ご希望の方は、拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。

⇒メルマガ登録はこちらから

追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


work9.jpg


***************

※ツイッター頻繁につぶやいてます※
@Rubins_work



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク