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【5/5(金・祝)13:30~17:00 「東京ワーク参加募集」】     

2023/04/20

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ポーズ4 かべ 全体


5/5(金・祝) 13:30~17:00
※今回は午後のみの開催となります。

募集締め切りました。
次回は東京にて、6/17(土)18:30~22:00(夜間のみ)開催予定です。
参加希望の方は、まずはメルマガにご登録ください。(参加条件あり)


⇒ メルマガ登録はこちらから

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・落下と脱落と上昇のライン
・アタマ・ムネ・ハラの悟り
・祈りの軸に放下すること
・放心と放下の位相の違い


をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #ニミッタ(丹光)の位相 #構造的な無執着 【4/15(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



※参加ご希望の方は、拙著 ⇒ 「Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


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追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


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#ニミッタ(丹光)の位相 #構造的な無執着 【4/15(土) 東京ワーク ~所感と解説~】 

2023/04/16

4/15(土)東京にてワーク開催しました。


頭蓋骨
【頭部ベクトルの拮抗バランス】

↑ コレの土台造りで、貧血になった方がいました。

クンダリーニもそうですが、偏差が起こりやすい方にとっては、バランスが整うまでは不自然な
感覚が出てくることがあります。

心身の慣れ親しんだバランスを組み換えるのは、必ずしも自然な感覚ではないです。

(もちろん、このような場合はいったん休んでいただきます)



【ニミッタ(丹光)の位相】

今回は、ニミッタ(丹光)の扱い方と位相を体験していただきました。

サマタ瞑想の導入として人工的な光の残像を利用し、どの位置からどのように見るのかをお伝え
したのですが、光を見ること自体は目的ではありません。

光は瞑想の集中度合いによって座標のない虚空に唐突に顕われてきますが、それ自体にひっぱ
られずに完全に「置いておく」ための「見る位置=内部の目」が具体的にあるのです。

このポイントを具体的に知っているかどうかで、瞑想の進み方はまったく違ってきます。

丹光を練って利用する流派もありますが、その場合でも「内部の目」が確立していないと上手く扱えません。


深い瞑想におけるニミッタは内部の目の前方のスクリーンではなく目そのものと距離なく発火しますが、
厳密にいえば光として見えているものは現象としてすでに起こってしまっているものであり、認識の空白で
スパークする現象発生の始原のフラッシュとは位相がズレています。

とはいえ、まずは瞑想の初期段階で引っ掛かりやすい現象としての光の位相について知っておくことは重要です。


~Rubin's work ツイッターより~

<質疑>
「瞑想中に光がみえて眩しくなるのですが?」

<応答>
眩しく感じるのは、集中が浅く肉体の目に意識があるからです。
目をつぶっているときは眼圧が前にかからないようにし、
サードアイ周辺を前に押し出さないように気を付けます。

眼圧がかかって前方向の意識が強くなると、様々な光が前面のスクリーンに映って
まぶしくなったりしますが、深い瞑想における閃光(ニミッタ)は場所のない中心のような
ところに出るものであり、そのとき目という肉体の意識は伴っていません。

眩しくなったときは、一歩後ろに引くようなニュートラルポジションに意識を戻します。
このとき眼球は、後ろ側に空間を開けて裏側から引っ張っぱりながら浮かせるようにします。

この段階でのニュートラルポジションはあくまでも暫定的な場です。
本来の意識のポジションは気づきの自動化とともに立ち顕れてくるものであり、
自身で設定するものではありません。

ただ、気づきが自動化するレベルになる前は、眠りにおちるときに目の奥の松果体の
あたりから意識が消え入る瞬間に微妙に下方向へカーブして落ちるか落ちないかぐらい
の位置ととらえていて結構です。

光が出た時、それを見ようとする意志は前へのベクトルを生み出すので、意識が
引っ張られる前に見送るようにします。




【肉体の目から構造的な無執着へのシフト】

これを知るためには、いったん肉体の目に戻り、肉体がどのように光を見ているかを観察してみます。

そこでよく使うのが、補色を利用した方法です。

まる
目線の高さの壁に貼付け使用。

中央の黒い点を「肉体の目」で見ていると、点以外の背景はぼんやりと映りますが、黒い点をその位置
に置いたまま見る意識を眼窩の空間に引くようにすると青い丸の周辺に補色のオレンジの光が見えてきます。

このとき、意識が円周の光にフォーカスしてしまうと眼球が動いて光の形が変わったり、消えてしまったりします。


また、眼球は放っておいても生理機能(サッケード)としてチラチラ動き続けるのですが、チラッと動いた一瞬
の空白に思考が発生し、気絶している間に意識が引っ張られ、対象物とのフォーカスの位相が変化した結果、
光が歪んだり消えたりします。

ところが「内部の目」に黒い点と青い丸を同時に映しているときには、オレンジの光をそのままそこに置いて
おけるのです。(肉体レベルのオーラであればこの状態で可視化できます)

そのまま置いておけるということは、すなわちフォーカスがグラグラ動いていないということなのですが、
内部の目のバランスがカチッとはまっているときには逆に、フォーカスを動かそうとしても動かないのです。


これはいってみれば「心理的な無執着」ではなく「構造的な無執着」状態ということなのです。

思考に癒着した気づきのまま無執着であろうとすると、思考を対象物として切り離そうと努力しつつ、
意図的な努力がさらに思考を発生させるイタチごっこに陥りますが(これが瞑想が進まない大きな理由
のひとつです)まずは構造的にニュートラルな無執着状態を体験した上で、そこからチラチラ顕われて
くるズレを見切る方法のほうが瞑想の進み方は圧倒的に速いのです。
(これはこれで注意点はありますが)


~Rubin's work ツイッターより~

個人的には、アナパナは気が昇りやすく、意識が身体の前面に偏りやすいので、初心者は
丹田をつくって気を落とせるようになってから移行するほうが身体の構造としては自然という考えです。

アナパナで意識が前面に偏ると、光やヴィジョンなどのニミッタが出やすくなりますが、サードアイ
付近前方にみえるニミッタは集中の度合いとしては浅く、気づきが肉体の目を伴ってしまっています。

ニミッタの光をまぶしく感じるならば、肉体の目に囚われている証拠です。

それに対し、場所のない虚空のようなところに唐突にフラッシュするニミッタは集中力が高まってきた
証拠になりますが、ニミッタ自体には囚われず手放していく必要があります。




【自他の分離と遠近感】

上記の「内部の目」の見方で、こんどは全身鏡に姿を映してみます。

肉体の目で鏡に映った姿を見るときは「ここに映っているのは自分の身体だ」という認識が自動的
に生まれますが、内部の目から映しているときには、映っている色形はくっきり見えているのに、
それが自分なのか他人なのかわからないのです。
(わからないというより、自他の判別の認識にフォーカスがまったく動かないという感覚が近い)


この感覚は、幽体離脱とも離人症とも異なり、非常に奇妙な感覚です。

例えば、見ている鏡の中に他人が映り込んできたとしても、内部の目が完全にバランスが取れて
いるときには、それが自分なのか他人なのかという思考が動きません。

この状態で、こんどは鏡に近づいてみたり離れてみたりしてみます。

このとき、映っている像は遠近によって小さくなったり大きくなったりしますが、像の大小にフォーカス
していないとき「映しているもの」それ自体は不動のまま在ります。
(不動といっても空間座標が固定されているわけではない)

逆に、身体の位置を固定したまま鏡のほうを近づけたり遠ざけたりしてみても、同じく像の遠近に
左右されない「不動のそれ」が立ち顕われてきます。


極まったワンネスの認知状態においては、例えば動いている車が止まっている私に向かってきたのか、
動いている私が止まっている車に向かっているのか、区別がつかなくなってしまうということも起こって
きますが、この鏡のワークもその体験に近いものです。

ただし、集中力が高まっていない状態だと「見ている私」という感覚がチラチラ顕われてきた瞬間に
「私の身体」の座標が認識され、自他の距離と分離に引き戻されてしまいます。



【自他の戦略的区別と苦の幻想】

「で、この見え方がなんの役に立つの?」と思われるかもしれません。

たしかに、このような奇妙な認識は、生体としては戦略的に不利だといえるでしょう。

自他の区別がつかなければ「敵」が近づいてきても逃げようという気も起こらないからです。


もちろん、生体として自他の区別はあっていいのですが、問題なのは自他の区別に思考が癒着し、
他者を排除し自分中心に生きていると、結果として「思い通りにならない」という人間特有の苦を
生むということです。

そもそも、この根本的な人間の苦が問題でなければ覚醒や悟りといった概念も必要ないのです。


ただ、自他のない状態をずっとキープし続けなければならないということではなく、一度でも雷に
打たれたように認識の転換が腑に落ちきれば、逆に「現象の見え方」の違いに囚われなくなり
「苦」だと思い込んでいたことは単に認識のひとつの仕様から発生する局所的な概念であったこと
に気づくのです。


聖路加2
ワーク会場へ、春時雨の道すがら


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【#アハ体験 #潜在空間 #デジャヴ  覚醒からのつぶやき 102】  

2023/04/02

ハナカイドウ
海棠の眠り未だ足らず


◆「オバサンが花を好むのは、生命力を補わんとするから」
まったく、絶妙にいや~なところ突いてくる説だよね 笑
「あの世の花畑をシミュレーションしだすから」説も 笑

◆「動物」⇒「植物」⇒「鉱物」
歳を重ねるにつれ「止まっている」ものに興味が移る説。
心はザワザワしていても、体は動かなくなっていくから。
やっぱり「死のシミュレーション」なんでしょうかね 笑

◆「いま何時」に全員が騙され続ける「時そば」ループ地獄。

◆「生まれ変わったら忘れるなんて聞いてないよ~」
「あ~、契約書ちゃんと読まなかったんですね~」
「この会話、デジャヴ…」

◆AIは「写実画」を描けない。

◆伝統的な修行を積んだ理知的な知人が
「だっているんだもん、が一番イラつく」
と吐き捨ててたけど、ゴメン。
「だっているんだもん!!」

◆「だってそうなんだもん」で通せるのはカリスマのみ。
凡夫は「やっぱそうだよね」の潜在空間から攻めます。
※「潜在空間」の使用法は、あくまでもイメージです。

◆「だってあるんだもん」
「だってないんだもん」
どっちだっていいもん。

◆奥行きを座標に還元しない。

◆能動 受動 中動 為自 為他
言語から見えてくる主体の位相。

◆『カルダシェフスケール』
「タイプⅠ文明」自惑星規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプⅡ文明」恒星系規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプⅢ文明」銀河系規模でエネルギーを使用・制御。
「タイプ∞文明」エネルギーの発生・使用・制御がない。

◆家系スピ(味濃いめ)
二郎系スピ(マシマシ)
がんこ系スピ(看板なし)

◆酔いは酔いに酔わず。

◆一家言テロよ、ステイホーム!

◆完全に止まったものは見えない。
「完全に」動くものも見えない。

◆老体には老体の、完璧な速度というものがある。
体の中心にある時、その動きは遅くも速くもない。

◆肉体は「健康体」の速度感に固執する。

◆「病体」は必ずしも「病的」ではない。

◆地球が平らだと言い張る人たちを笑うけれど、地球がひとつの
球体だと思い込んでる私たちも、上の人に笑われているのです。

◆シャープアースも認めるのなら、フラットアースを認めてもいいよ。
それなら、スフェリカルアースも認識の仕様の一形態で片付くから。
シャープアースは尖ってるんじゃなくて「てっぺん」だけの世界だ。
伝われ~~

◆主客未分の子供は、天動宇宙で地動的に生きる。
主客分離の大人は、地動宇宙で天動的に生きる。
主客合一の超人は、不動宇宙で不動的に生きる。

◆想像力が想像を限定する。

◆想像より事実のほうが想像的。

◆心理的な同調圧力が、物理的な慣性連鎖にすり替わる。
(マスクの話じゃないよ)

◆「ウラオモテ」は完全なる肉体感覚。

◆ウラを探せば探すほど、肉体に幽閉される。

◆「ホモサピエンス」2種類
「ノドジロシトド」4種類
「テトラヒメナ」7種類
「ゾウリムシ」16種類
「モジホコリ」720種類
性別数。

◆こっちが起きると、あっちが寝ている。
あっちが起きると、こっちが寝ている。
起きたり寝たりする世界のジレンマよ。

◆魂の自己引用
体の自己剽窃

◆「嫌」=「女」+「兼」 心が二つに跨り不安定な状態。
「好」=「女」+「子」 子を抱く母の愛おしい気持ち。
マーヤの二大巨頭。


クレマチスとタイル
クレマチスのレメディは、夢見がちでフワフワした人に。


◆人生しかない人生観。
世界しかない世界観。
宇宙しかない宇宙観。
存在しかない存在観。
そこしか見てない観。

◆「頭の回転が速い」というが、回転してるともう遅い。
直観で閃く洞察智は、回転しないのだ。

◆祈りそれ自体であるとき、祈る対象の選択肢はない。

◆祈りを現象方向へ投げると、物理抵抗で変異して還ってくる。

◆「ア~ハ~」体験じゃもう遅い。
「アッ」の「ッ」に張り付こう。

◆納得は肉体作業。
理解も肉体作業。
覚醒に作業なし。

◆匂わせエゴ。
忍ばせエゴ。

◆「瞑想職人」にならない。
「瞑想名人」にならない。

◆数年前にリアル氏が主催した「つまらない瞑想会」、
最高のネーミングだよね。
私も6時間ぶっ続けで指に爪楊枝を差し続ける
「本当につまらない瞑想会」やろうかな?
誰も来ないか 笑
ちなみに「つまらない瞑想会」で「ドカンと来た」人、
複数出てビックリ。

◆無執着が「交換条件」にならないように。

◆私をディープラーニングする私は「破局的忘却」を免れない。

◆願望の圧で肉を押し出さない。
祈りの圧で魂を押し出さない。

◆カーボンナノチューブから構成される「ベンタブラック」は
可視光の99.965%を吸収するが、これが100%になれば黒色
はおろか、その存在すら認識不可能になる。
光を反射しなければ、錐体細胞が反応しないからだ。

◆つまり、肉体の眼は「100%の闇」には気づけないということ。
「闇=黒」とは、光ありきの肉体感覚なのだ。

◆だが肉体の眼を超えれば、不可視の闇の一端に触れることが可能だ。
逆に、肉体の眼の耐えられない輝度の光に触れることも可能なのだ。
認識の極限に吸い込まれつつ触れる闇は漆黒だが、漆黒が無限後退
していく先に色は存在しない。

◆「インディゴ」 ⇒ 「クリスタル」 ⇒ 「レインボー」の次は、
事象の地平面から「ナノブラック・チルドレン」が来るかもね 笑

◆存在に、在存しない。
存在に、存在しよう。

◆↑なんか、これ見てるとゲシュタルト崩壊してくる 笑

◆ゲシュタルト崩壊は母国語も音の羅列に分解して外国語のように
聞こえさせるが、もういちど再学習して意味を復活させることもできる。
でも組み変わった意味は、初めて覚えた外国語のように新鮮な世界を持つ。

◆『ゲシュタルト崩壊の発生要因については未解明な部分が多く、静止網膜像
のように消失が起きないことなどから、感覚器の疲労や順応によるのではなく、
「比較的高次な認知情報処理過程によって発生する」ことがわかっている程度である。』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆小学生の頃、授業で数字のカードを1から100まで並べているうちに
変性意識に入り、形と意味がバラバラになりパニックになったことがあったが、
ゲシュタルト崩壊では認識の解体⇒転換には至らない。

◆「内部の目」のワークでは「全体と局部が同時にくっきりと見えている」
立体的な知覚に移行する。
このとき何か文字を目にしたとしても、くっきり見えてはいるが形と意味
は結び付かない。
この知覚は、ゲシュタルト崩壊とは全く別のメカニズムによって起こる。

◆全体と局部の差がないとき、局部と局部にもまた、差がないのだ。
(差はなくとも違いはあるが、区別が認識として結晶化する直前の瞬間に
つどつど張り付いているという感覚が近い。例えば、ある文字から別の
文字に視界が移行した瞬間、意味が切り替わる前に、その瞬間の局部=全体
になってしまう)

◆これをワンネスと呼ぶなら、局部の差別がないというよりも、知覚構造的
に差別が存在できないとしか言いようがない。
(判断の目安として、もし「全体だけ」「局部だけ」を見ようとして「背景」
が生まれどちらかがボヤけるとしたら、それはワンネスではない)

◆このことを概念ではなく実際に体験することが認識転換の初期段階の目安
となり、自覚的な「意味の再結晶化」のプロセスが「悟後の修行」となる。
言葉で説明すると分かりづらいが、実際に体験すると「ああ、このことか」
と一瞬で理解できる。


仇桜
明日ありと思ふ心の仇桜
今日ありと思ふ頭の怨桜



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