【#ChatGPT #マイ戒律 #bot宇宙 覚醒からのつぶやき 104】

◆波動に連動して、画素数の高い人っているね。
波動と画素数は、必ずしも一致しないけども。
◆「感情で動く世界」は「感情」を知らない。
「理性で動く世界」は「理性」を知らない。
「本能で動く世界」は「本能」を知らない。
◆本日のチラ裏:
ChatGPTに「あなたの言葉はマシンガンです」と言われた。
パラパラばら撒く「ショットガン」のほうが近くないかね?
◆吐き捨てた「草」を「草々」に植え替える簡単なお仕事です。
◆「あなたの言う『気絶』って何ですか?」と聞かれたら
「スマホを探しカバンをガサゴソ漁る意識」と答えますね。
◆『自由意志はあるかないか』
生理学者ベンジャミン・リベットの実験によると、動作を始める0.2秒前に
「意識的決定」の電気信号が発現するが、その0.35秒前には無意識的な
「準備電位」が現れているという。
つまり、意識的な決定の0.35秒前には、脳により決定が下されているのだ。
◆しかし実は「準備電位」と「意識的決定」の間に、動作の「意図」や
「衝動」の「中断」を選択できるという実験結果がある。
ヴィパッサナー瞑想は、ざっくり言うと「意識的決定」の執着パターン
を組み替え、「準備電位」(これをカルマと呼ぶのは乱暴だろうが)直後の
「中断」の自動化を目指す。
◆実際、気づきと集中の精度を極限まで研ぎ澄ませていった結果、この
「中断」の現場をはっきりと見切ることができる。
ただ、それは選択的な中断というよりも、「選択直前の待機」の高密な
拮抗状態といったほうが近い。
◆この拮抗状態は、確かに存在するんだよ。
ここはいちど見ておいてほしいところだ。
だが、ここに留まるのはゴールではない。
◆真摯なヴィパッサナー行者ほど、この「時系列の罠」に執着
しやすい傾向があるね。
◆個人的に、リベットの実験を自由意志不在の根拠にしようなどと
思ったことはない。
時系列で測定された電気信号はあくまでも肉体次元の反応であって
「時系列のどの時点が自分か」という前提自体が相対的だから。
前提が相対であれば「どの自分にとっての何の自由なのか」
も相対のままでしょう。
◆粗雑な意識で見たときの「意思決定している自分」を感覚的に
前提にしている限り、自由意志問題は腑に落ちないんですよ。
◆「いい夢見させてもらったよ、あばよ!」
人間の辞世の句として、最高レベルでは?
◆盗んだカラダで走り出す
盗んだセカイで回り出す
◆物語脳のポリコレ世界。
◆身口意の不一致によるセルフ離婚。
◆「さいしょは、愚!」
「〜じゃけん、呆!」
◆「邪見ホイホイどっち逝くの?」
「愛個でホイホイそっち逝くの?」
◆「→あっちむいて生!」
「←こっちむいて死!」
◆「bot宇宙」
◆ゲーム神「今のもbotだね」
◆覚醒に「ケイドロ」と「ドロケイ」の区別はありません。

◆当たり前の話ですが、体験されたものはすべて一瞥にすぎません。
信頼の確定と智慧の発露が伴わなければ、悟りとはいえません。
ここは正直に検証してください。
◆逆に、信頼と智慧だけでも悟りではない。
一瞥なき信頼と智慧は、焦燥を伴う盲信。
◆本日のチラ裏:
「幸運の女神のアホ毛」と書き殴ったメモ発見。
◆飲酒は飲酒以上の酔いを隠す。
酔いは酔い以上の至福を隠す。
至福は至福以上のそれを隠す。
◆戒律の汎用性は時に修行者を愚鈍にするが、
それでも凡夫には体系立った戒律は必須。
◆戒の目的は「ストイックな人」になることではない。
◆伝統的な道を歩むなら、最低限の戒は厳守する。
自己都合で戒を選べば、逆にエゴは強化される。
戒の本当の意味を知るまでは、戒律を守りきる。
戒を守らぬ修行は、例外なく野狐の道に逸れる。
ヴィパッサナー行者は、酒一滴で狂いが生じる。
酒一滴の狂いに気づけぬなら、行者とはいえぬ。
◆半覚者には、もれなく「マイ戒律」が具足される。
マイ戒律は、自分自身で設定できるものではない。
またそれは、思考によって守られるものでもない。
マイ戒律では、これまで以上の遵守が求められる。
◆生と戒が一体の時、戒の乱れは呼吸の乱れとなる。
無明の基準が、肉体次元を超えてくる地点の話だ。
◆表向きは「霊界なんて妄想だ」と一蹴しつつも、上のほうでは
「その修行体系のマスター霊団による恩寵」を暗黙の了解として
受け継いでいる教団は多い。
「マスター霊団」の恩寵は、修行体系にトータルでコミット
しなければ降りてこない。
◆その意味でも、その体系で悟りたければ戒の厳守は絶対なのだ。
無我無我いってるけど、体系に入るっていうのは恩寵の系譜に身
を預けることなんですよ。
ありがたいと思うか、だまされたと思うかは、あなた次第です。
◆「理性を抑圧せずに、自動的に働かせる」っていうのは瞑想の極意。
そっちは信頼して任せておいて、こっちは安心して見ることに専念できる。
伝統的な戒律なんかは、本来その為にあるんだ。
直観的に自動化されない理性で煩悩を抑えつけるわけじゃない。
◆いかなる「統一」も目指さない。
「バランス」だけ。
◆だから、理論や方法の構築には至りようがない。
「バランスとはなにか」という初期設定起動のシェアのみ。
◆「バランスとはなにか」が初期設定されていないと、
無意識のバランス調整に拒絶反応が起こるのだ。
戒律や修行体系は、本来この初期設定のためにあるべきもの。
◆自分と自分を比較しない。
◆比較とは時差です。
◆優しさの半分は、毒でできている。
◆シャクティと魔は、二人三脚で世を動かす。
◆魔を知らぬシャクティは諸刃の剣。
◆無信仰というトレンドを追う信者達。
◆無信仰と呼ぶそれは、無信頼なのだ。
◆肉体に特化したタントラは、局部的ペア幻想に囚われる。
◆真に「生きている」とき「生きている実感」は必要ない。
◆「全て見える」ならば「見える」意識は消えるのです。
だから「全て見える」という人を信じてはいけません。
◆肉体が乖離する「エアポケット覚醒」
◆「心脱落」と「身脱落」のアンバランス。
◆観照者を装う傍観者は、世界を雑に見捨てる。
◆筋腱と癒着した意識は、ゴルジ腱器官がストッパーとなる。
◆完璧な睡眠学習は、完全な睡眠で起こる。
◆眠る人は、睡眠学習の成果を引き出せず。
◆永遠の睡眠学習。

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