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【#ドリームキラー #AUM #レム睡眠  覚醒からのつぶやき 105】  

2023/06/28

夏至
夏至の日に


◆客観に厭世が混じってないか?
受容に欲世が混じってないか?

◆スピリチュアリズムは、魂をミーム化する。

◆全てを読めば、ウラは読めず。

◆既知あるあるに脊髄反射でイイネする気絶。

◆血生臭い坊主
気生臭い坊主

◆魔法にかかった「優しい世界」
麻酔にかかった「優しい病院」

◆参加不可避の宇宙同窓会。

◆知恵をつけても智慧は閃かない。

◆「引き寄せ」が「押し寄せ」になっている人々。

◆気づきという名の説明・解説・実況にハマる人。

◆光の反射を超えられる者は合わせ鏡から抜け出せる。
反射を見ていたら間に合わないのは明らかですよね。

◆信考心
信巧心
信巷心

◆「ドリームン・ドリームキラー」

◆過去の自分にも未来の自分にも、ひとつもアドバイスがないこと。

◆90分周期の「レム睡眠」
90年周期の「レム気絶」

◆器質性の「ガラパゴス形態」

◆それに「近づこう」とする人は、感覚を研ぎ澄ませば澄ますほど、
それとの距離が無限に拡がりつづけるジレンマに陥る。

◆感覚でも心理でも生理でもない。

◆ワンネスに忍び込む、生理的な郷愁を見切る。

◆「見る / 見られる」という創造の親密さを捨て置けるかどうか。

◆スピリットをレトリックで弄る虚無。

◆エゴの歯ぎしり
イドの意ぎしり

◆一瞥体験者は、マイ文法に気絶しやすい。

◆「至高状態」が、神秘を隠す。

◆波動の真ん中の「線」は、時空の亡霊。

◆波動を計測する目はどこにある?

◆生きても死んでも、情報量は変わらない。
起きても寝てても、情報量は変わらない。

◆情報量を処理量と混同し圧倒されている。

◆存在に情報格差も情報弱者もありません。

◆存在は「情報の運び屋」ではないのです。

◆存在を情報に換算する者は、神をSEの元締めと取違える。


葉


◆「AUM」が先か「三角間隙鋸歯状波」が先か。

◆これ、言葉遊びじゃないんだよ。
人間は思考するたび、無意識に声帯をごく微かに振動させている。
自分の思考に気づく前に、脳の信号が肺の空気を押し出し、声帯を振動させる。
このとき「三角間隙鋸歯状波」と呼ばれる「音無き振動」が起こる。

◆聞き取れる音として発声されるかどうかは、本人が意識的であれ無意識的であれ、
このずっと後の段階になる。
ちなみに「三角間隙鋸歯状波」を振動させない無数の思考群は、気づかれないまま
流れ去る。
(それらは気づかれていなくても「肉体ではないところ」をザザザザザ…!!!と振動
させている)

◆人が「無意識に声が出た」と言うとき、本当の無意識下ではすでに膨大な選択と
肉体反応が起こった後に気づいているのだ。
発声を伴わない、いわゆる「思考の声」として頭に響く音も、気づかれた段階では
全てのプロセスが終わっている。

◆よって、思考を見切ると同時に、思考と連動する振動を見切れば、思考が肉体と
して結晶化する前に手放せるようになる。
だからといって、声帯の動きを意図的に見張りつづければ、気づきのベクトルを
固定するので思考そのものに気づけなくなる。

◆さて私たちは、存在としての「AUM」の発声が先か、肉体(脳をふくむ)
としての「三角間隙鋸歯状波」の発声が先か、どうですか?

◆カラダの声を聞きすぎても、カラダの魔が忖度してくる。

◆カラダの魔は、進化を拝する。

◆オンタイムに在る人は「ほらね、いわんこっちゃない」
という後出しマウントをとらない。

◆それは量子ではなく面子もつれです。

◆「人間」から「人」への回帰。

◆無を死なんとせず、有を生きんとせず。

◆無なる一点を設定しない。

◆「無い」が先に在るのではない。
「在る」が先に無いのではない。

◆この星には外来語しかない!

◆就活の「お祈りメール」のように世界平和を祈る小乗者。

◆「他者」として顕われる覚者は悟っていない。
私たちは「悟った覚者」を認識できないのだ。

◆「自称覚者」は槍玉にあげられるが、
「他称覚者」は誰が判断しているのか。

◆トークショーを聴いて覚る可能性はゼロ。
「聴く」意識では「それ」は発動しないのだ。

◆経典を読んでいる最中に悟った者はいない。

◆完全に充足すればメッセージは降りてこない。
メッセージは常に不足領域を狙ってくるもの。

◆死ぬショックよりも生まれるショックのほうがPTSDになる。

◆「終末願望」は、肉体世界の集合無意識的PTSD。

◆「パラパラ漫画」に没入すると「ベトベトVR」が出現する。

◆「ひとつ」は「同時」でも「一致」でもない。

◆「ひとつ」は共有され得ない。

◆「共有」された世界は、常に分離している。

◆「共有」があるなら「共無」もあります。

◆愛は共有されない。
神は共有されない。
地獄は共有される。

◆「共有」は仮初めの地獄。
「共無」は仮初めの天国。

◆「方向感覚」は後付けで生まれる。

◆内と外を全部見るか全部見ないか。
結局、どちらでも消えるんだけどね。

◆顕微鏡の倍率を上げても、覗く目が同じままなら
真実は発見できない。

◆レーシックで視力が回復すると、これまで見えなかった
顔の毛穴にゾワゾワするという。
サマタが高まれば意識の解像度が上がり、これまで見えな
かったヴィジョンが顕われる。
このヴィジョンにゾワゾワするのなら、それは肉体に同化
したエゴが残っている証拠。


親水公園


関連記事
⇒ 【#アハ体験 #潜在空間 #デジャヴ  覚醒からのつぶやき 102】


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【7/16(日)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」】     

2023/06/24

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

バルーン2 ワーク 指



◆7/16(日) 18:30~22:00
※今回は夜間のみの開催となります。
募集締め切りました。

場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。


◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中の奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・定点のない気づきとは
・非連続の中心を貫くには
・バランスとオフバランス
・磁力に依存しない浮力


をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #「100%ある」状態 #無執着と自動状態 【6/17(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



※参加ご希望の方は、拙著 ⇒ 「Rubin ~ルビン~-覚 醒- 認識の転換のために」
をお読みのうえ、まずは以下のフォームからメルマガのご登録をお願いします。


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追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


※メルマガ登録されている方で万一、ワーク案内メールが届いていない方が
いらっしゃいましたら迷惑メールフォルダをご確認ください。


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#「100%ある」状態 #無執着と自動状態 【6/17(土) 東京ワーク ~所感と解説~】 

2023/06/18

6/17(土)東京にてワーク開催しました。

バルーン2
丹田の内圧で風船を膨らませる


【無執着と自動状態】

今回も、このワーク↓中に「あっ!」と気づいた方がいたのですが「一瞬後にもやもやっと
わからなくなってしまいました」と報告されました。

↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】


ここはしばしば探求者の陥るポイントで、「あっ!」の直後に「わかった!?」という思考と
「わかった瞬間を引き伸ばしたい」という欲が一瞬の間に起こり、明晰な気づきが隠れてしまうのです。

瞑想において「思考に巻き込まれず無執着であれ」というのは、まさにこの一瞬に陥らないように
するためであって、心理的な無執着自体が目的ではありません。

心理というより物理に近いレベルの無執着と鋭利な気づきと集中力によりこのポイントに陥らないように
なると「わかった!」思考が発生する以前の「あっ!」の「っ!」が高速で点滅する自動状態に入るようになります。

現象側の「あっ!」に引き込まれる磁力が断続的かつ超高速で切り捨てられていくとき、Gを伴う高圧の
中心にどこにも触れていないものの気配が立ち顕われてくるのです。


~Rubin's work ツイッターより~

◆無執着は、家ではなく鍵である。

◆真の無執着とは「未知なるもの」の徹底的な放念。
「未知に蓋をせず」完全に放念できるかどうかだ。

◆無執着とは、物理的な制限を超え、あらゆるものをそこに置いておくことだ。
「置いておく」ことは、場所に固定することではない。
すべてが完全に置いておかれた時、私と乖離するものはなくなる。
私のすべてが置いておかれたとき、何も残っていないそこに、世界がまるごと置き換わるからだ。

◆ポイントは「内部の目の確立」⇒「高度な一点集中(サマタ)」⇒
「気づき(ヴィパッサナー)の自動化」⇒「五感と集中対象の全開放」です。
このプロセスには前提として徹底した「無執着」が必須。

◆「砂鉄のように集積」させるのは、カルマの磁力です。
(一瞬の気絶から)気づいたときには、すでに現象の映像に入ってしまっているのです。
この磁力は、現象側の自意識で能動的に引き剥がすことは不可能です。
「すべては自動的に起こっている」というのは、このことを言っているのです。

◆能動的には不可能でも、その地点を見切り、境界に在ることは可能です。
「無執着」とは心理的な美徳などではなく、磁力に引っ張られないための構造的な前提です。

◆境界に在るとき(ただ在るだけでも異常な磁力の圧に「意識単体で」耐えなければならないのですが)、
現象側に放出されずにランダムな選択の場を眺めていることだけはできます。



【「ある」と「ない」】
ワーク 指2
指一本で空を見る(前回ワークより)


壁に指を押し当て接触面の圧を見ていくと、押しても押しきれない空白のポイントが見つかります。

このポイントは集中が高まった状態であっても、物理的な接触のブレと意識のゆらぎにより刻々と
変化していきます。


今回このワークである参加者さんが「『ある』と『ない』は表裏一体なんですね」といわれたのですが、
正確にいうと「『100%ある』と『100%ない』は裏表なく完全に同一」なのです。

私たちの二元的な認識においては『局部的にある』ことと『局部的にない』ことが、瞬間瞬間に時系列で
点滅しているのですが、通常は『局部的にある』瞬間だけをイメージでつなぎ合わせてこの世界を
『100%ある』ものと錯覚しています。

意識的な瞑想によってこの錯覚を見切ることは可能ですが、瞬間瞬間を時系列で追うかぎり、点滅の
速度があがったとしても「ある」と「ない」の分離は解消しません。

そして、分離した「ある」と「ない」の点滅が二元性の認識の限界を超えると「表裏一体」というイメージ
に気絶してしまうのです。


~Rubin's work ツイッターより~

◆全体と局部の差がないとき、局部と局部にもまた、差がないのだ。
差はなくとも違いはあるが、区別が認識として結晶化する直前の瞬間につどつど
張り付いているという感覚が近い。
例えば、ある文字から別の文字に視界が移行した瞬間、意味が切り替わる前に、
その瞬間の局部=全体になってしまう。

◆「いる」と「いない」は言葉の上では真逆だが、「いる状態」と「いない状態」のあいだ
には無限のグラデーションがある。
どこからが「いる」でどこからが「いない」のかは、その人の次元の主観的な感覚にすぎない。
確かなのは、覚醒においているとかいないとかを考える隙は一切ないということ。



【「100%ある」状態】

それでは真に「100%ある」状態とは何でしょうか?

それは、認識が「認識として」認識されていないとき、すでにあるのです。

逆にいえば、認識されたものは例外なく「局部的」なものなのです。


ただし「認識が(再帰的に)認識されていない状態」を「無自覚に気絶している状態」と混同しないこと。

認識が認識される以前に、明晰な意識が100%そこにあるのです。

そして、100%そこにあるとき「ある」「ない」の区別は認識し得ないのです。

「ある」と「ない」の時差がゼロの状態といってもいいかもしれません。

だから「ない」ことが先にあって、現象が「ある」ことが幻想だ、という発想は二元的な錯覚なのです。


~Rubin's work ツイッターより~

◆その一部始終を、目ではない何かではっきりと「見て」いるのです。
見ることと在ることが、完全に一体化して同時に起こっているのです。
それは言葉のうえでの「無」というものなどではなく、私がないからこそ確かに
「在る」としか言いようがないものです。

◆「私は在る」にしても「私は無い」にしても、語りの文法に気絶すれば、
むしろ分離を促すことになる。

◆押すことは、押されること
引くことは、引かれること
吸うことは、吸われること
吐くことは、吐かれること
両義性のあいだに在るとき、どの瞬間を切り取っても身体は存在しない。

◆「在る」を問う傲慢。



【「見え方」のシフト】

では、なぜ意識が「ある」のに「ない」ことが同一なのか?という疑問については、実際にこの自分という
認識が消えて「100%ある」意識を直接知るまではいくら説明しても理解不能としか言いようがありません。

実のところ、人間の認識形態においては自分が消えたとしても「100%ある(=ない)」状態にはなり得ません。

その意味では集中をどこまで研ぎ澄ませても局部的な理解にしか至らないのですが、それでも「これがそれだ」
と確定する明確なポイントは存在します。


ワークでは「内部の目」と呼ぶものを単体で機能させることで、カチッとはまったときの「見え方」を具体的に
体験していただきます。

この「見え方」は、突発的な一瞥体験のみではまず定着せず、仕組みの理解も起こりませんが、ポイントを
押さえれば誰でも体験し得るものです。

この「見え方」を体得するために、何十年も修行する必要はありません。

ここは賛否が分かれるところではあるでしょうが、経験上「まず体験しないことには、確定に到るための集中
を持続させる『信』が定まらない」事例を数多く見て来たことから、ワークではこのようなプロセスを踏んでいます。

このポイントを押さえると、先に述べた「物理的なレベルで勝手に起こる無執着状態」や「肉体との同化を解き、
身体をそこに置いておく感覚」が明確に理解できます。


~Rubin's work ブログより~

内部の目のバランスがカチッとはまっているときには逆に、フォーカスを動かそうとしても動かないのです。
これはいってみれば「心理的な無執着」ではなく「構造的な無執着」状態ということなのです。
思考に癒着した気づきのまま無執着であろうとすると、思考を対象物として切り離そうと努力しつつ
意図的な努力がさらに思考を発生させるイタチごっこに陥りますが(これが瞑想が進まない大きな理由のひとつ)
まずは構造的にニュートラルな無執着状態を体験した上で、そこからチラチラ顕われてくるズレを見切る
方法のほうが瞑想の進み方は圧倒的に速いのです。(これはこれで注意点はありますが)


【「それ」を見る目】

今回のワークでも、初参加の方が「あっ!」と理解された瞬間に立ち会うことができました。

その時その瞬間その方は「それ」を見る目になっていたのです。


道2 道1
ワークの道すがら


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⇒ #空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】  


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