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#カシナ瞑想 #疑似金縛り 【1/20(土) 東京ワーク ~所感と解説~】  

2024/01/21

1/20(土)東京にてワーク開催しました。


【内部の目と奥行き】

シール

内部の目のワークで使っている直径5ミリのシール。

このシールを目線の高さに貼り、肉体の目から内部の目への具体的な転換のプロセスを辿ります。

プロセスを正確に辿るとシールが鮮明に輝きつつ立体的に浮かび上がり、内部の目で直接触れて
いるような感覚が起こります。


今回の参加者さんはこの状態の見え方のとき「壁の向こう側に奥行きが生まれたようです」
と報告されました。

肉体の平面的な目で見ると視線は壁で止まりますが、内部の目に映っているときには全てが立体的な
自分の内側に入っているように感じるものです。(これは「3次元」のワンネス感覚です)

ここで見える(感じる)壁の向こう側の奥行きをそっくりそのまま反転させたものが、内部の目の裏側に
控える奥行きなのです。


【カシナの座標】

黒点

次に、上図の中心の黒点が目線の高さになるように壁に貼ります。

内部の目に映して見ると、先のシールのように黒点が立体的に浮かび上がってきますが、同時に
青い円の周囲にオレンジと金色の中間のような色が見えてくるでしょう。

内部の目の構造がカチッとはまっているときには黒点が鮮明に見えつつ周囲の色も同時に鮮明に
見えるようになります。

ここで注意するのは、周囲に見える光のようなものに興味を向けず、ただ映っていることをそのまま
見るということです。


カシナ瞑想のように円盤を対象にしてサマタ強化を目的にする場合は、黒点と青い円を内部の目に
映している状態のまま瞼を閉じ、眼窩の空間の辺り(眼球と松果体の間)に残像を浮かせておき
(外への投射と内への引き込みのベクトルの拮抗する「あいだ」に浮かせておく)対象に集中し続ける
と残像の輪郭がくっきりしつつ色が浮かび上がってきます。

このとき内部の目の機能は自動的に働いていますが、集中対象は「見る」というよりも意識で直接
触れているようにします。


この浮いている座標がポイントで、間違いやすいのは眼球の外の虚空に浮かせた対象物をサードアイ
を前方に押し出しながら見てしまうことです。

この位置の場合、眼圧により対象が発光するようには見えますが、肉体の目と気づきが癒着し集中は
肉体の粗雑なレベルに留まります。


【ニミッタとヴィパッサナー】

カシナの残像を浮かせておくとき、サードアイは前方と後方の押し引きの「あいだ」にふわっと開いて
いるようにしておきます。

集中が高まってくると丹光(ニミッタ)の発火が起こってきますが、ヴィジョンの位相は意図的にカシナを
置いている位相とは異なり、座標のない虚空にランダムに顕われます。

ニミッタのヴィジョンは非常に鮮明ですが、カニカサマーディの手前で見切られる創造の選択肢群とも異なり、
すでに創造された現象の記憶の余剰エネルギーの放出のようなものです。


カシナのサマタを応用してヴィパッサナーへ移行させるなら、内部の目に映っている中央の黒点が肉体の目
のサッケード運動に伴いチラチラと動くズレを意識の触覚で見切っていきます。

見ているうちに集中が高まり瞬間瞬間の気づきが高速化すると、集中対象の黒点が内部の目に磁石のよう
に吸い付いては発火して消える断続的な瞬間が起こってきます。


この状態になったとき、千載一遇のチャンスでクンダリーニが昇ってくればエネルギーを水平に引き込み
認識転換が確定するのですが、それが起こらない場合はカシナの黒点への集中の意図をフッと解き放ち、
集中対象を全方位に一気に拡散させます。

すると、五感に触れてくるありとあらゆる現象が怒涛のごとく瞬間瞬間に顕われては消えていくのを見るでしょう。

それは、肉体の概念的な消失やイメージによるフェードアウトではなく、ほとんど物理的に肉体がバラバラ
になっていくような衝撃を伴うものです。


【「区別」と「判別」】

壁に手

内部の目で見ていたシールの位置に、こんどは自分の手を置いてみます。

このとき手の形や色は鮮明に映っていても、それが誰の手かわからないという状態が起こります。

自分の肉体を即物的に切り捨てている感覚ではなく、非常に生々しい何かがそこに確かに存在する
のにそれが誰の手だかわからないのです。


さらに、この手の上に誰かの手を重ねたとき、それぞれの色や形の違いは認識できますが、やはり
それらが誰の手かはわからないのです。

誰の手かはわからないけれど、それらは局所と全体が同時に際立ちつつ、全て「わたし」の中に
直接入っています。

これが「区別」はあっても「判別」がない世界の具体的な見え方です。


【内的拮抗と疑似金縛り】

腱が力学的に拮抗状態にある手の平を内部の目に映すと、動かそうと思っても動かせない疑似金縛り
状態のようになります。

瞑想の初期段階で集中が深まると同じような現象が起こりますが、そのときも身体内部には力学的な
拮抗が働いており固定されているわけではありません。

この疑似金縛り状態のとき、動かない手を「動かそう」とする意志とエネルギーがどこからどのように
生まれてくるのかを観察してみましょう。

どこまでも微細に辿っていけば、意志とエネルギーの源に出会うでしょう。


手の中の蘭


関連記事
⇒ #空と五感 #エネルギー酔い 【5/5(金・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】


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【#ヴィパッサナーかタントラか #有身見 #慈悲の瞑想と盲点】  

2024/01/03

先日、ワーク参加にあたってレポートをご提出いただいた方へ以下の回答をお送りしました。

この方は日本の伝統仏教宗派で得度された後、ヴィパッサナー瞑想に出会い修行されています。

同じような境遇の方の参考になればと思い、ご本人の承諾を得たうえでシェアさせていただきます。
(個人を特定できるような箇所は編集してあります)

しずく


○○様

参加お申込みありがとうございます。


ヴィパッサナー瞑想を本格的に極めるならばミャンマーもしくはスリランカで得度されることをお勧めいたしますが、
ご存じのとおり同じヴィパッサナーでも方法や師との相性により修行の進み方がまったく違ってくることがあるでしょう。
(個人的な感覚ではアナパナは本来の目的と外れて肉体、特に頭部エネルギーに作用しやすく、修行法としては
人により向き不向きがあります)

私自身は出家していないので現地で修行した知人から聞いた話ですが、寺や師の選択を誤ると極端な話、今生を
無駄にすることも(長いスパンで見れば本当は無駄などないのですが)あるといいます。

また昨今のインスタント修行とは異なり、本来の解脱を目指す修行においてはサマタ瞑想を完璧に納めてからでないと
ヴィパッサナー瞑想に移行させないものと聞き及んでいます。
(サマタ瞑想は前世でどこまで進めたかによってすでにレベルが決まっています)


それをふまえ、禅を修行された○○様がもし未だご自身の境地に納得されていないのであれば、本格的な解脱の修行
に入る前に「未だ見ぬ方法の選択肢」への色目(未練)を完全に捨てるための前段階として今回のご縁があったものと
推測いたします。

レポートを拝見し、僭越ながら私見を述べさせていただきますと、○○様はサマタ力もあり素晴らしい体験をされている
と思われますが、ヴィパッサナー瞑想の肝は体験を極限まで捨てていくことにあります。

その点で、○○様の体験は素晴らしいものではありますが、ヴィパッサナー瞑想の観点から言いますと有身見(得度も
していない者ですので用語を持ち出すのは差し出がましいですが)を見切る直前の段階に興味を惹かれ足踏みされて
いるように察せられました。


その理由のひとつとして、○○様のレポートに以下の言葉があります。

>咄嗟にこんな窮屈なハリボテの身体の外に出たいと思いましたが、なぜだかいつでも出られるからいいやと思い、
今度は自分の身体の中の方へ目を向けました。

ここで引っかかるのは、○○様が「身体の外」「身体の中」という言葉を使われていることです。


もし有身見が完全に見切られているならば「外/中」という言葉は使わないはずなのです。
(また、外と中があるから「空間」という言葉を使われているのです)

もちろん「この肉体は私ではない」ことを悟るとき、体験としては内と外という感覚は伴うでしょうが、そこに無執着
に成り切れずに留まってしまうのはおそらく○○様の肉体が「肉体それ自体」としてカチッと一致しておらず、肉体
の枠がズレたままカルマ的な現象の表出口となってしまっているのです。
(あまり概念は使いたくないのですが、肉体とアストラル体にズレがあるともいえます)

そのため、もしかしたらご本人にとっては不本意な回り道になるかもしれませんが、瞑想時の激痛や振り回される
現象というものを解消し先へ進むには、いったん肉体レベルから現世をやり直す必要も覚悟に入れていただきたいのです。


また、ご自身でもおっしゃっているように、ご自身がご自身の肉体に対してサイコパスになってしまっているのです。

これはヴィパッサナー行者にありがちなことで、無執着を概念的に実践しようとして先を急ぎ、肉体を十把一絡げ
に粗末に捨てようとしてしまうことから起こります。


ヴィパッサナー瞑想にとって慈悲は最も重要なものであり、慈悲なしには突破できない地点がありますが、一番
難しいのは「自分自身に対しての慈悲が発動するかどうか」なのです。

そしてそれは、自身の肉体に「無執着」という名の「無頓着(無視)」であるかぎり発動しません。

それもそのはずで、第一に自身の心身への慈悲がなければ、肉体に苦しむ他者の痛みへの共感も生まれず本当
の慈悲など発動しようがないでしょう。


実のところ、私自身も子供のころから肉体を嫌い、肉体を俯瞰しサイコパス的に切捨てようとしていました。

これは、前世で中途半端に終わった頭でっかちな修行の名残であると認識しています。
(もしかしたら○○様も過去世回帰でこのようなイメージがあるかもしれません)


慈悲の瞑想はシステム的に非常に上手くできているので、本人が慈悲がわからなくてもある程度実践すれば、
修行系譜から脈々と受け継がれたエネルギー場が自動的に呼び起こされてしまうというのも、修行者にとって
盲点になっているといえます。

愛という言葉も概念であって単純に「愛=慈悲」ではありませんが、もしも人間として自然に沸き起こるこの世界
の現象が愛しいという感覚が抜け落ちているのであれば(カルマ的な修行の最終段階で生まれながらに完全に
無執着な阿羅漢のような人もいるでしょうけども)二元性のこの世界を人間として何生かかけてやり直す必要も
視野に入れていただきたいのです。


現地の寺でも、しばしば僧侶が瞑想が進まず断腸の想いであえて還俗し、世間での人生(自分自身や家族という
現象世界でもっとも基本の愛を知る人生)をやり直すという話を聞きます。

本格的に解脱に取り組めば取り組むほど、何が不足しているのかが自らわかるからです。

逆にいえば本格的に取り組んだからこそ、悟るのはこの自分ではないので(中途半端な段階で「悟るのは自分
ではない」と言うのは違います)何生かかっても時空を超越しており問題ないことを彼らは知っているのです。


本来、ヴィパッサナー(テーラワーダ)はそれ自体で素晴らしく完成されたシステムであり、ヴィパッサナーに
取り組むのならば自己判断であれこれ方法を取り入れるような余所見はしないほうがよいのです。

それでも、ヴィパッサナーを本格的に取り組んでみると自身に必要なことは自ずからわかってきます。

私自身に足りなかったのは、二元性の世界の理解と自分自身への愛でした。

空と松


ワーク参加条件をいろいろ掲げているのは、自身を鑑みたとき、この肉体をもっていちどは世界をきちんと体験
したうえでないと、結局さきほどの僧侶のようにいずれ頭打ちになりやり直すことになると理解したうえでのことです。

これは修行者のカルマによって(あるいは性別によっても)異なりますが、私自身は二元性の世界をタントリック
な側面からエネルギー的に理解する道を選び(選ばされ)、欠けていたパズルのピースがカチッとはまりました。

今思えば、そのために女性という性を選んできたといっても過言ではありません。


○○様のカルマもすでに決まっており、どう転んでも進むべき道を進まれるのは間違いないのですが、もし二元性
のタントリックな理解が必要であれば、いったん積み上げた全てが崩れ去るというリスクもあります。

ヴィパッサナーの師から見れば当然「外道に堕ちた」と言われる可能性もあるのです。

そのリスクを今生で絶対に取れとは私からは申し上げられません。


ヴィパッサナーの道を純粋に進んで極めた暁には○○様にとって「これでよい」という境地に至る可能性もあるでしょう。
(変な話、私がもし○○様の慈母神的な存在であれば、ヴィパッサナー一本に絞っていただくほうが安心ではあります。
なぜなら二元性のマトリックスの母性というものは子の「悟り」は願えども「解脱」となると「慈悲ゆえ」に望まないからです!!
これがタントラというものです)

ただ、○○様は禅の修行をされていたこともあり、本来の禅は(見かけ上のマッチョな修行に反して)タントリックな道
とも親和性があるはずなのです。


私は個人的には、愛の理解は二元性の理解抜きには至らないという見地です。

先に申し上げたとおり、もし○○様がヴィパッサナーだけでなく他の方法に興味があるのでしたら、それを無理やり
止めることはできません。

ただ、もし瞑想が進むならなんでもいいから取り入れたいというお考えでしたら、逆にこの先、エゴがさまざまな誘惑
に揺らぐことになるでしょう。


以上、僭越ながらレポートを拝読した感想を率直に述べさせていただきました。

これを読まれて、もしかしたら感情が揺れたり怒りが沸き起こってくることもあるかもしれませんが、それでも参加
されたいということでしたら一度参加されてみて下さい。


ワーク自体は初心者様もいらっしゃり、その時々により様々なレベルでお伝えしています。

本格的な修行を期待されていると拍子抜けされると思いますが、カルマ的に熟している場合ですとワークのある一瞬
だけでカチッとピースがはまることも起こり得ます。

○○様にはハートの感覚と対象のない祈りについてお伝えしたいと感じますが、その時の流れによって内容は流動的
に変化します。


つきましては二度手間になりお手数ですが、ワーク参加要項につきましてはこれを読まれたうえで参加意志のご回答
を再度いただいてからお送りしたいと思います。

これは私個人の判断を超えて、もっと大きな流れの中で意志確認を促されていると感じるからです。

それではよろしくお願いいたします。

AYA


関連記事 
⇒ 質疑応答 【禅とヴィパッサナーの相違と方便について】


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comment (2) @ 質疑応答

【1/20(土)18:30~22:00「東京ワーク参加募集」(夜間開催)】  

2024/01/01

*****  Rubin’s work  東京ワーク開催日時のお知らせです。

ワーク20231216


◆1/20(土) 18:30~22:00
※今回は夜間のみの開催となります。
募集締め切りました。次回は東京にて、2/24(土)18:30~22:00 開催予定です。
参加ご希望の方は、まずはメルマガ登録をお願いします。



場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。

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◆今回は、

【基礎】
・一瞬で集中に入る軸と姿勢
・どこにも居座らない座法
・呼吸の秘伝的ライン
・丹田のポイントと集中奥義
・対象のない祈り
・内部の目へのシフト

【実践】
・慣性を逆手にとる
・ダイブ&スキャン
・非解剖学的ワープ
・動的願望超越法

をテーマにワークを行なっていく予定です。
(内容は参加者さんの状況によって変更となる場合があります)


◆直近に開催したワークの様子

⇒ #反重力浮遊とワープ航法 【12/16(土) 東京ワーク ~所感と解説~】

⇒ #肉体と意識、4つのライン 【11/25(土) 東京ワーク ~所感と解説~】


◆限定ワーク動画

【実録!~「空」として在ること~】


【拮抗するポイントで空に浮くには】



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追って参加条件等の詳細をご連絡いたします。


※参加者一人一人の身体とエネルギーを見ていくため少人数性となっております。
参加希望の方が多い場合は先着順とさせていただく場合がありますことをご了承願います。


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笑い

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