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【「非重力」「神の姿」「カルマの磁力」 覚醒からのつぶやき 12】       

2020/11/26

つぶやきをランダムにまとめました。

薔薇
   新宿御苑の秋の薔薇


◆世界を一周すると自分の背中に再会する。
背中側から自分自身にそっと入って重なる。
すると過去現在未来の自分がひとつになる。
でも時間をかけずもっと簡単な方法がある。
今すぐその場で自転して軸に消えればいい。

◆意識は「非重力」であることを皆すっかり忘れてしまって、
重力のバランスをグラグラとりながら、全体でUFOみたいに
あっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしている。
ちなみに反重力は重力ありきで、覚醒ではない。

◆覚醒感覚を持った人はたくさんいるけど、すぐにこの世界を
擬人化した物語に回収してしまうのがもったいないなと思う。
知りたい人が「ひと」だからしょうがないけど、いま一度、
ダイレクトにそれ自体を抽出する感覚を思い出してほしい。

◆覚醒を擬人化すると、世界が魔術に転ぶ。

◆神は目に見えないぐらいが丁度いい。
四六時中、目の前にいたらプレッシャーでしょうがないからね。

◆神の姿は、コーンフレークかコーンフレークとちがうか、
想像している時が一番楽しいのです。

◆魂という響きは、すでに物質の粘性を持つ。

◆光はすでに生まれてしまったものだけど、
露光せずに在るものも、ある。

◆全員が無知でなくなる日が来ることを願う「愛の人」もまた、
この世界を残存させ続けるのです。

◆人を殺すことも自分を殺すことも不可能。
肉体を殺すことは可能に見えても。

◆回転という概念も、方向に囚われています。

◆グルは物質世界の魔術の素養が必要で、特定の通路使用
の権限を「与えられている」が、それは覚醒そのものとはまた
別のフェーズと心得る。

◆子供の瑞々しい感性は、認識のサビに気づかせてくれる。
あらゆる固定化は覚醒を覆う。
生命の新陳代謝は、認識の新陳代謝のためにある。

◆人を救うのは不遜な態度だ。 認識の空白で、ただ祈るだけ。

◆私は弱いので、わたしは私を見守る。 私が強くなろうとすれば、
わたしは遠いところからそっと悲しむ。

◆時空の直列的な連結を俯瞰して組み替える魔術は、空間を箱と
とらえる認識が完全に転換しなければ扱えない。
だが、仮に空間を組み替えても、自分という磁力の定点がある限り、
構造は引き継がれる。
だから、魔術を諦めて自分が消えてしまったほうが速い。

◆過去生は全員が共有している架空の場。
全部繋がっている。

◆単に苦を無効にするだけなら、この瞬間に個が消えれば終わる。
ただそれは、あくまでも個の覚醒だ。
何度もここに戻ってくるのは、それが何かを訴えてくるからだ。
それは二元性に還元できない何かだ。 それを概念化すれば、
たちまち魔術に逆戻りする。
だからただ、お任せするしかない。

◆カルマの磁力を人工的に組み替えた魔術的な契約は、
幾何学的なロックを解かなければ未来永劫つづく。
(ただしこの組み替えは見かけ上の幻影)
神話や支配・被支配の構造は、魔術的な組み換えの応酬
による勢力分布から成る。
魔術は幻想だが、幻想に生きる限り、鍵を知る者が力を握り続ける。

◆神話的に語るならば、わたしたちはこの魔術的世界の認識に
足止めされてきたが、見方によっては「足止めする者」は善でも
あり悪でもある。
夢から覚めるには、善と悪を包括する神のごときパワーを身に
つけるか、あるいは今この場で幻想を見切るかだが、どちらが
容易かは自明だろう。

◆意識の座標の片隅に、ミイラ取りがミイラになってしまった覚者
たちの墓場がある。
救済の請願と引き換えに、この世界の魔術に踏み込みすぎてしまったのだ。

◆日本語をはじめて聞く外国語のように聞いたり、目の前の
モノを用途と名前がわからないまま見たりする認識は奇妙だが、
概念のフィルターを介さない、直接的な親密さと鮮烈さがある。
そこに曖昧さはなく、脳の特定の部位を切り離して浮かせておくような
具体的な感覚がある。

◆この状態を意図的に訓練してつくることもできるだろうが、
そこにある直接的な親密さが実存と溶け合わなければ、
VRのゴーグルを付けたような人工的な立体感と薄っぺらい
シミュラークルの世界像に漂うだけだ。

◆仮想現実が世界の実態、という共通認識が確定したら
「はじめにコードありき」ってVR聖書も書き換えるのかな?

◆現実現実っていうけど、宗教原理で動いてる世界って
非現実感の極み。
完全に狂ってる。

◆分離の根本的な不安から、人は存在を保証してくれる何かを
信じずには生きていけない。
肉体も自我も物質も「在る(在ってほしい)」という信念の磁力で結実している。
この構造の延長でどのような高次の知識を仕入れたとしても、
壮大な「宇宙宗教」に永遠に取り込まれ、利用され続ける。

◆だからといって、宇宙宗教に立ち向かおうとするのは、もっと狂っている。
たった今、その信念を手放せばいいだけ。
なにも信じない。
狂信を手放しても、信頼は残るので大丈夫。

◆7歳の頃、近所の子と喧嘩して30㎝四方のアスファルトの
塊を頭にぶつけられ、一瞬のホワイトアウトの後、
カシャッ、カシャッ、カシャッ…とシャッターを切るように
意識がカメラになってゆっくり傾いていった。

◆おそらくほんの2~3秒のことだったのだろうが、
その間、五感がシャットダウンして無音の中でただ周囲の景色
を断続的に切り取っていた。
そのまま倒れて斜めのアングルの地面を見ていたら、無音の真空
の彼方からキャーキャー叫ぶ声がだんだん大きくなってきて、
誰かが側にいるのを感じた。

◆視界上方向にドロっとした感触を感じ、カメラのフレームの中に
他人のものみたいな手をのばしたら、ヌルっとした何かに触れ、
ぼたぼた血が流れているのに気づいた。
その瞬間、五感の一部がもどって、ワーッ!と悲鳴をあげている
子供たちの声が全方向から押し寄せてきた。

◆まだ状況がつかめないまま、ふらふらと立ち上がって、アスファルト
を投げた子のほうを向いてニヤっと笑ったように思う。
頭から血を大量に流して笑っている図はホラーそのものだったのだろう、
その子は顔面蒼白で立ち尽くしていた。

◆それから道路にぼたぼた血の海をつくりながら家に向かった。
子供たちは興奮しながらも恐ろしさで遠くのほうからついてきた。
玄関に入って母親の悲鳴を聞いた瞬間、どくどくとした痛みが
襲ってきて、はじめてウワーーーッと泣き叫んだ。

◆ひとつ言えるのは、もしこのとき死んでいても、その瞬間は
まったく痛くも怖くもないし、なんの想いもないということ。
死とともに肉眼の機能が途絶えれば視界はフレームアウトする
だろうが、そこにはこの世界と連続した意識が確かにある。
この体験の意味を理解したのは、それから25年後だった。

◆この世界には、100人いれば100通りの「現実」があるが、
その人の中に嘘があるかないかは、ひとつしかない。

◆ゲームクリアしたければ、アバターの肉体をねぎらってあげてください。

◆ゲームに気づいたアバターが、こっちに視線を合わせてきたら、
味方を名乗って、メタゲームの始まりを告げましょう。

◆アバターの一挙手一投足をコントロールすると大変なので、
自我と現実感を与えて自由っぽくやらせてる。

◆漫画家がよく「描いてるうちにキャラが勝手に動いて暴走し始める」
というけど、創造の神も、そういう風にちょっと面食らいながらわたしたちを
見ている。

◆魂が肉体の痛みと連動するシステム実装は、この世界面だけの
レアなプロトコル。
その痛痒さの麻薬的に幻惑され、何度もプレイボタンを押してしまう私たち。

◆わたしたちは愛を肉体の切なさに還元したがる生きもの。
還元された愛はDNAに刻まれて、肉体を再生させる甘美なトラップ。

◆生と死の面の切り替えゲームをクリアしたら、継ぎ目のない回転体
のゲームに入ります。
このゲームはステージの切り替えがないので、恐怖もないかわりに
難易度は桁違いに上がります。
その前にゲームを降りてもいいのです。

◆悟った瞬間、経典を師匠に投げつけたという話がありますが、
あえてパフォーマンスでやってくれてるのです。
投げても投げなくてもどっちでもいいんだから。

◆痛みは地上の郷愁。
忘れても懲りずにまた味わいたくなる。
自傷行為のように、仮初めのリアリティを確かめるために。

◆事実だけを伝えればいいのに、神やら仏やら像やらを持ち出して
「怖くないよ、信じてごらん」とか誘うから、いつまでたってもUMAを
探すみたいな不信感が消えないのだ。
(自戒の意味もこめて笑)

◆なぜ思考を「掴む」「手放す」と表現するのでしょうか?
それは言語に組み込まれた肉体感覚を無意識に適用しているからです。
思考は物質と同じくエネルギーです。
この理解は、気づきの質を変化させます。

◆この世界の奇跡はバグなので、あまり頻繁に起こるとシステムエンジニア
が異動になる。
奇跡が当たり前になると有り難みを忘れるので。

◆鏡は自分自身を映すというが、映すという発想自体が落ちない
と自他が分離し続ける。
世界を映された幻影と見切ることは必要だが、幻影を切り離すと
いう発想は自他の区別を強化する。
映す/映されるという二元化のあいだに世界をまるごと入れてしまおう。

◆認可制の悟りは狂気の沙汰。

◆人生も自分も宇宙も、今の爆発の中では塵より軽い。

◆「それ」は私が満足するかしないかの問題ではないのです。

◆「今」をストップウォッチで測らない。

◆刹那と劫は「今」の希釈と圧縮です。

◆理性は楷書  覚醒は草書

◆覚醒を語るには、絶対音感ならぬ絶対語感が必要。
ただし、気づきには絶対五感は不要。

◆あらゆる順番が組み変わっても、結局おなじことなのです。

◆この世界は、膨大な順番の試算です。

◆認識されたすべてのものは、信念体系の屍です。

◆いま語っているこれも屍です。

◆認識の屍は、愛の遺物です。 敬意を持って葬います。

◆「今」という言葉の齟齬に騙されないでください。
今は時間差の補正ではないのです。

◆気づき云々より、まず気を確かに持ってください。
身体を離れる前に、まず身体に為ってください。

◆パートナーの知り合いが、仕事中に机の下でカウンターを
持ってマントラを唱えていたそうです。
私が経営者でもグルでも、即刻クビにします。
今の仕事の中に真理を見出してください。

◆円環も3次元に展開された概念です。

◆文字のカドって脳内の肉体マップを確定してくるんですよね。
骨の角にハマる感覚。 まあ、正中線で書くから当たり前なんだけど。
私は脳内バラバラ屍体です。

◆人間は魔の2歳児。
自我のイヤイヤ期。

◆究極的には重力もひとつの信念体系。
ほとんどの人が、意識も重力に規定されていることを自覚していない。
重力の物理的な力は思いのほか強くないし、意識だけなら信念の解除
で解放されうる。
だからといって空中浮遊を目指すのは本筋ではない。
肉体を浮かせること自体が重力的発想だからだ。

◆信念体系の解除には、肉体の空中浮遊は不要だが、認識の
空中浮遊は必要。
それは、重力に規定されたこの世界のあらゆるものに「くっつかない」
無限後退の末に、ベリッと音がして剥がれ落ちる。
すると、今まで私を世界にくっつけていた磁力が、幻だったことを知る。

◆認識の空中浮遊を体感する方法は世間にいろいろ出回っているが、
それらのほとんどは水切り石のように現象の表面だけを上滑りして
いく仮想浮遊だ。
とりあえず夢の向こう岸まで渡り切れればよいのかもしれないが、
たいていの場合、川の途中でぽちゃんと落ちて沈む。
浮遊は表面ではなく中心で起こる。

◆とかく自我を悪者にしがちだけど、個人的に自我の過剰な
人は嫌いじゃないです。
自我を保つにはパワーがいるので、強烈な自我を持つ人はそのぶん
エネルギー量が多い。
そのエネルギーのベクトルをほんのちょっと転換すればドカンと
花火が打ち上がる。
自我の弓をギリギリまで引くと反動力になる。

◆自我は最終的に使えるものになるが、それを道の途中で
自我に気づかせるとグレて反抗してくる。
自我は思春期の少年少女のように扱う。
成熟した自我は稀だが、なくはない。
ただし、どんなに老成した修行者でも、道においては例外なく
少年少女の自我になる。
それに気づかないのは単に老化。

◆三島由紀夫は「俺には無意識がない」と嘘ぶいたけど、
100%意識化されたら、世界は停止する。 世界は気絶の瞬間、采配される。

◆自分自身に「ありがとう」と言えるかどうかチェックしよう。
そこに恥ずかしさや嘘くささが含まれていないか観察する。
心の底から「ありがとう」と言えたら、過去現在未来のわたし
がいつでも助けてくれるようになる。

◆自分自身への感謝は、対象のない祈りの軸で起こる。
感謝と軸が、一体化して至福に溶けていく。

◆「何も考えずそれそのものになれ」と言われますが、
機能としての理性は必要です。
まっとうな理性を育てたうえで、機能の構造を物理的に抽出し、
そこに「置いておく」のです。
人間の機能で不要なものはひとつもありません。
すべて、あるべきように組み込まれた構造です。

◆「学校の勉強など何の役にも立たない」と言うけれど、
学校の是非はともかく、勉強は内容そのものというよりもそれを
解くときの思考の筋肉を物理的に鍛えるという意味はある。
数学や哲学は日常に直接関係なくても、思考を立体的にし、
脳内の知恵の輪を解くような閃きの感覚を育てる。

◆この感覚を知っていると、瞑想における意識それ自体にも
応用できる。
思考も機能として必要なのだ。
思考を悪者にして見ないようにし続けると、あるべき機能の退化
とともに、意識もぼんやり不明瞭になる。

◆ちょっと計算してみたんだけど、たとえば60秒の動画を300倍速
で聴くと、たぶんRVのエニアグラムを書く意識と同じになる。
これは、認識のギリギリのライン。 瞑想もこのラインでやります。

◆無限倍速はもはや神の領域 笑 でも時空の仕組みを完璧に理解
してたら、絶対に不可能というわけでもないと思う。

◆思考というのは一見、質量がないようでいて、実は物理的な感触を持つ。
この身体と同化した認識においては、物質の密度と不可分なのだ。
思考の癖は物理的な形状記憶そのもので、ちょっと修正してもすぐに戻る。
だから、根本的に認識を変えるしかないのだ。

◆覚醒とは、宇宙の仕組みを解明することではなく、
すべての次元を貫く「在り方」に再会し、信頼が確定することである。


関連記事 ⇒【「愛と情念」「悟りというアイディア」「自尊心」 覚醒からのつぶやき 37】


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