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【#3つの覚醒 #魔術の世界 #タントラ  覚醒からのつぶやき 13】   

2020/12/10

カクタス
今年も咲いたクリスマスカクタス


◆類推と分類という自我の進化の特性をシャットダウンせずに
「置いて」おけるかどうかが瞑想の鍵です。

◆「置いておく」のはどこか?などと考えない。
物質にしろ思考にしろ、どのレベルで気づくかによって「置く」感覚は異なる。
最終的には距離と時差が消え、置いておくもの自体がなくなる。

◆「置いておく」ことは、場所に固定することではない。
無執着とは、物理的な制限を超え、あらゆるものをそこに置いておくことだ。
すべてが完全に置いておかれた時、私と乖離するものはなくなる。
私のすべてが置いておかれたとき、何も残っていないそこに、
世界がまるごと置き換わるからだ。

◆言葉と身体の癒着を触覚的に見切れるようになると、
思考に巻き込まれる前に気づけます。

◆球も中心も、先にイメージしないこと。
球が先にあるのではなく、どこにもくっつかないことによって同心球と
中心は瞬間瞬間に同時に決定されるのです。
すなわち宇宙も今、決定されます。
ただし、決定を外側から観測する者はいません。

◆繰り返しになりますが、宇宙が球であるのは3次元の直観にすぎません。
3次元においてどこにもくっつかないときの等間隔感が球の見かけを
予想させますが、あえていえば無数の観測が時空を超えて重なり
モゾモゾ動き続ける泡の集合体のようなものです。
これも現象側から切りとった輪郭にすぎません。

◆羽毛も石も、神も悪魔も、蛆虫も宇宙も、等しく今、爆発しています。
それらの出現は同じところから唐突に起こります。

◆未来という幻想へ向かう、身体前面に偏った意志のエネルギーを、
いったんハラに落としてから、尾てい骨から背骨をつたって頭頂までまっすぐ通そう。
前面に漏れ出していたエネルギーを、別の次元で再利用するのだ。

◆胃の辺りの肋骨の一部(5~7)が前に飛び出ている人(特に男性)を
多くみかけるが、未来という前方へ向かって意地や頑張りが空回り
していることが多い。 逆にここの間が縮こまり内側に巻き込んでいると
他人の気を受けやすくなる。

◆肋間筋を呼吸とともにストレッチするように上下にひっぱりあい、
肋骨全体をスッと下方向に収めると、気が昇りにくくなって意識が
すとんと丹田に落ちる。
そうするとあまり意識してこなかった肋骨の8~10の微細な意識が芽生えてくる。

◆肋骨は、前面からなだらかに上方向へカーブして各背骨につながっている。
この、上方向へのラインを前から後ろへひとつひとつ具体的に意識でなぞると、
後方斜め上方向への意識が芽生え、エネルギーが引きあがる。

◆この状態で、頭頂上方45㎝、斜め後ろ25㎝ぐらいのところから
全体を見渡すようにする。
この全体のラインが整うと今の意識に瞬時に居られるようになり、
思考の出方がまったく変わる。

◆3次元世界の便宜上、認識の覚醒、ハートの覚醒、存在の覚醒があり、
それぞれの体験の違いがしばしば混乱を招くが、それらの3つが垂直に
並んですとんと落ちるとき、肉体という幻想の必然と神秘を知る。
肉体はただの泥団子ではないのだ。

◆垂直のエネルギーに龍だの蛇だの名前をつけると、神話の世界に逆戻りする。
エネルギーはエネルギーそれ自体として扱い、自我と結びついた魅惑的な
実体を持たせようとしないこと。
どんなに神秘的に見えることでも、すべては具体的なバランスのもとで起こっている。

◆「自分で選択できる」という信念は、希望に満ちた想念世界を築くが、
それ自体がすでに起こってしまっている選択なのだ。
想念から想念へと逃げ回り続けると一見、軽くて楽しいが、存在の沼を置き去り
にしたまま、どんどん希薄になっていき、想念それ自体に幽閉される。

◆いちどでも選択の現場に立ち会えば、信念は吹き飛ぶ。
核分裂のようなエネルギーの中に飛び込んで、自分で選択できようはずもない。
だから、その目で見てきてほしいのだ。
こう言っているのも、私の選択ではない。

◆覚醒が今回はじめての方は、トラップに気をつけてください。
何回もひっかかってきた人は、今回はトラップが大掛かりなので気をつけてください。
それにひっかかって、物語側の綻びを見つけてやろうという
野望を持たないようにしてください。

◆ゴールがあるという幻想は捨てる。
死も悟りもゴールではない。
この果てしない世界で正気を保つには、完全に発想を切り替えるしかない。

◆家族を付属物と見ず、各人それぞれの宇宙を尊重し、自立しよう。
血ではなく、法を見るのだ。

◆「正確に」というのが曲者で、明確な体験が起こらないのは、正確にやって
いるつもりでも気づきに自身の認識パターンが付随しているからです。
認識パターンはカルマそのものの顕われで、瞑想の微細な領域まで、
あの手この手でどこまでもつきまとってきます。

◆ここは瞑想のトライ&エラーでパターンを見切って手放していくしかありません。
瞑想は体験を目指してしまうと体験が遠のきますが、 だからといっていつまでも
明確な体験がおこらず平行線をたどっているとしたら何かがズレているのです。
正確に行えば必ず自動的に運ばれていきます。

◆トライ&エラーで認識パターンを手放していくには、自己への信頼と、カルマの
理解と、ダンマへの信が必要です。
この3つがないと手放しているつもりが逆に、どんどんパターンを強化していってしまい、
瞑想は遅かれ早かれ頭打ちになります。

◆ただし、3つの信は頭での理解ではなく、自身の気づきの積み重ねから
体験的に確定していくことが重要です。

◆物の名前も、人の名前も、自分の名前も、神仏の名前も、世界のすべての名前を、
便宜上の記号として飄々と扱うことが、深刻にならずに生き切るコツ。
名前になる前の顕れだけを直接読み取り、名前にせずにそっと愛でる。

◆自我が芽生える前の子供時代は、みんな直接世界に触れていたし、
人目を気にすることも明日を思い煩うこともなかった。
名前のついた世界をいったん体験した上で、もう一度それを外して自我以前に帰る。
これは幼児退行ではなくて、新しい知性です。

◆「私という自己同一性」を未来へ向かって「反復記憶し続けなければならない」
という強迫観念が、この世でいちばんエネルギーを消費する動力です。

◆この世界は、潜在意識の魔術と顕在意識の魔術に支配されている。
何度も何度も生まれてきたけど、エネルギーに特定の名前をつけて、
魔術に使ったり信仰したりする原始的な世界が未だにまかり通っていることに、
その都度びっくりする。

◆いま目の前の物質に名前をつけて顕在化させているのも魔術。
これはある種の聖者の物質化のパフォーマンスと同じ原理。
わたしたちは自分で自分に術をかけたことを忘れている。
自身で魔術を解かなければ、信仰の争いと根源的な不安は決して絶えない。

◆個々の人間という分離意識が生まれた太古の昔、非力な人間が協力
しあって生きていくには呪術が必要だった。
呪術は、神=わたしたち自身から必然的に発生した。
呪術を用いて共通認識の地場を作り上げ、力を結集させていたのだ。

◆それがいつの間にか政治的な支配に利用されるようになり、
集団をコントロールするための魔術が進化していった。
政治的利用も、はじめはわたしたち公認の「許可」されたものだった。
選任された支配者は、覚醒から特定の目的物や方法を取り出す秘儀を授けられた。

◆しかしその中から、魂を売って当初の目的とは別の地場を形成しようとする者
たちが現れた。
元来のわたしたちの魂はあまりにも無垢だったため、それらの勢力の無知に
驚き憐れみはしたものの、放置してしまった。
それが今日ここに展開している魔術世界だ。

◆だが、それに対して武装して立ち向かおうとする必要はない。
すべては自作自演の幻だ。
今この一瞬に、自身が自身を縛ってきた魔術から目覚めればいいだけなのだ。

◆こういった内容は今世は管轄外と決めこんでいたつもりだったけど
(実はけっこうヤバい裏話もいちおう知っている)、なぜ今こんなことを呟いたのか
考えてみたら、「この人はわかってる人だな」と思っていた人が、昨今の世界情勢
のうねりに気絶して急に右往左往しはじめているのを散見するからです。

◆どうか正気を保ってください。
裏も表も、自分自身なのです。

◆中世の魔女裁判は、裁く側の魔術が漏れるのを恐れたヒステリックな粛清でしょう。
当時の魔術はどちらも素朴なものでしたが。
今はもっと怖いですね、逆に。
スピ系の魔法なんて毒にも薬にもならない可愛いもの。
これは陰謀論などではなく事実です。

◆こういった話は、あまり内容に踏み込むとエネルギーが捩じれて
汚染されてくるのでこの辺にしておきます。

◆認識の空中浮遊を体感する方法は世間にいろいろ出回っているが、
それらのほとんどは水切り石のように現象の表面だけを上滑りしていく仮想浮遊だ。
とりあえず夢の向こう岸まで渡り切れればよいのかもしれないが、たいていの場合、
川の途中でぽちゃんと落ちて沈む。
浮遊は表面ではなく中心で起こる。

◆時間は幻想なので、自分を変えるパラレルシフトに時間をかけなくていい、
というのはある意味真理なんだけど、基本ベースが解脱志向か現世志向かで
意味と結果が変ってきますね。(本当はそんな境界もないけど)

◆見落とされがちなのは、時間は幻想というとき、時間をかける・かけないという
尺度自体も幻想ということです。
だから時間をかけるのは泥臭くスマートじゃない、ということでは決してないのです。

◆私自身は過去世の呪縛で解脱志向にはまった経験から、時間をかけた修行も
幻想ということが今はわかるけど、「この私」の現世利益のための引き寄せ的
インスタントシフトもまた、自分にとって好ましい表層だけを渡り歩く虚しさと
本体からの乖離しかありません。

◆ここを勘違いして上滑りし続けると、脳内の報酬系の回路にハマって、
好ましくない状況が起こるとそれを無視してヒステリックに快楽を求めはじめます。
結局いちばん強いのは、どのような状況が起こっても受け入れ流していける、
変化と不動のバランスの真ん中に固定されずにあることです。

◆昔、とあるタントラの導師はこっそり「悪魔とは茶飲み友達」と語ってくれました。
この方は一線を画した本物の覚者です。
これを聞いて引き攣る人もいるだろうけど、まあ、二元の世で導くとはそういうことです。
悪魔崇拝とは全く違いますので、念のため。

◆至福意識が極まると、身体が高圧についていけなくなって、彼方で悲鳴をあげる。
その微かな瞬間の内に、怖れと罪悪感と退屈が紛れ込んで夢に引き戻す。
この生体の防衛反応を見切る。

◆「何も信じていない」という人は「信じていない」ということを信じている。
その人の生きる個人的世界は、その人が信じているものの総体だ。
信じているから今この時も、その人の世界が生まれ続ける。
信じることは、世界を組成する磁力なのだ。

◆個人的世界は信念を外せば崩れるが、非個人的世界を個人的な私が消す
のは不可能だ。
非個人的世界を創造しているのは、個人を超えた何者かの信念だからだ。
その信念の磁力にがっちり組み込まれた私たちはどうすればよいのか?
ただ、在ることと無いことのあいだで、世界の意味を無化するしかない。

◆須弥山を下から見上げれば、頂上は遥か高みにそびえていて、生きている
うちにとても辿り着けそうにないと圧倒されるが、ちょっとひっくり返して真上から
俯瞰すれば、頂上も裾野も同一平面上にあるように見える。

◆このように時空の視点を自在に転換させれば、肉体では辿り着けない
高みにも、意識だけでひょいっと跨げる。
意識を飛び越えさせたら、肉体も連動してある程度リミットを外せるようになる。

◆類推と分類と編集と記憶の機能がなければ、世界が一気に流入してきて脳がパンクし、
順序立てた処理が何一つできなくなる。
それらは自我がこの世で効率よく目的を果たすために獲得してきた機能だが、
覚醒体験では一時的にストッパーが解除される。

◆このとき、集中が高まっていれば認識のスピードが、流入のスピードを上回り、
怒涛の非連続的世界が展開していくのを目撃する。
いったん世界の様相を見切ったら、覚醒度を落として自我の機能とのバランスを
意識的に取り戻す必要がある。

◆ストッパーが外れたままでは心身が崩壊するからだ。
(たいていの場合、自然に落ち着いてくる) そして、体験は体験として明確にあっても、
本質は体験の現象面にはないことをはっきりと悟って、人間に復帰する。

◆変化と不変は裏表ではなく同じものです。 それを矛盾と感じるのは、
二元的な認識が動きを時間の流れのコマ送りでとらえるからです。
「変化し続けるという真理」が不変なのではなく、変化即不変なのです。

◆この世界の認識の正体を見破っても、次から次へと理解不能な新しい
認識形態が創造され続けます。
物理で仮定された世界は、わたしたちの認識の想定内で組み立てられるため、
次元を増やしたり小さく丸めたりして辻褄合わせされたものにすぎません。
境界線はありません。
認識の違いだけがあります。

◆創造に限界はありません。
固定化された進化の螺旋階段もありません。
あるように見えているのは、小さな私たちの想定内の幻です。
一切の制約のないところでは、創造主自身が無限に変化し続けるのでゴールはありません。
物理的な終焉はゴールではありません。

◆「なぜ覚醒を求めるのか」という問いに明確に答えられる人を見たことがない。
たいていの場合「覚醒という素晴らしい境地があるらしい、だから覚醒を求めています」
というトートロジーで、自身の源が結び付いていない。
この場合、覚醒体験に必要なエネルギーが十分に供給されない。

◆理由のわからない衝動が原動力であれば、それはそれで構わないが、
求め続けるうちに衝動に不純物(知識欲・プライド・達成欲・自己実現欲・承認欲求など)
が混じってくることが多い。
それに対し、衝動とともに自身への信頼(盲信ではない)が内側から沸き起こってくるなら、
純粋な動機が働いている。

◆大腿直筋の前面と鳩尾と喉とサードアイ前方に力が入っている人が多い。
これらの力みに無意識なままだと、身体前面の意識を強化し、未来へ向かって
前のめりに焦り続ける。
逆に、身体後面のハムストリングスや筋膜群が上下に引き伸ばされる痛みは、
心身が「今」にあるために確実に変容している証拠。

◆肉体の夢から覚めると、夢を見ていた肉体に戻る。
世界の夢から覚めると、夢を見ていた者の不在を知る。


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