【#生殖とタブー #直接知覚 #宇宙の公理 覚醒からのつぶやき 15】

◆神聖という幻想は、陶酔と恐れを分離させる。
神は自らを神聖であるなどと考えない。
◆「中心」という「独裁的」な定点は、重力の発生と同時に規定される。
定点と重力と重心は、この世界では常にセットでその都度、瞬時に発生する。
◆これはもう、逃れようのない構造のように思うかもしれないが、
3点セットを決定しているのは他でもない、この私自身なのだ。
なぜか? 『わたしは私を生み出したい』からだ!
私自身を支配する定点を外すには、この構造と意志を、
私の中心で思い出すしかない。
◆そして、この「独裁的」な中心が、限定された神の幻想を
生んでいることに気づこう。
◆生殖に基づいた性別は、二元性のなかでも、3次元に限定
された局所的な幻想にすぎない。
しかし、肉体に同化した原始的な認識は、生殖活動に神秘と
畏れを「組み込まれ」、創造の源と生殖の源を同一視してしまった。
これは人類史(という幻想)の呪いともいえる。
◆古来より、生殖の融合エネルギーは覚醒に利用されてきたが、
呪いを解けば、誰でもそのエッセンスだけを構造的に抽出し使うことは
可能なのだ。
ただし、呪いの被害者として権利を主張しつつ、概念的な性的志向と
刹那的な快楽に気絶し続ければ、呪いを継続させる同じ穴の貉となる。
◆なぜこれまで、肉体を増殖させてきたのか?
なぜ今また、肉体を削減する方向へ向かっているのか?
そこに通底する二元性の深い闇に、各々が自らの体験から一考すべき時がきた。
◆覚醒体験というのは、本来不要なショック療法なのです。
もともと誰だって知ってるんだから。
◆まず目の前の色と形をはっきり見てショックを受けること。
そこに答えが全部ある。
◆赤ちゃんは何も知らないけれど、すべてを知っているものの顕われ。
誰もが、かつては赤ちゃんだった。
◆すべてを知らなくてはならないという私を手放せば、
すべてを知っていたものへと還る。
◆宇宙には音がなかった。
「・・・・」というところにいたら、突然「ピキッ」と亀裂が走って
「響き」がはじまった。
響きはピキピキピキピキ、瞬く間に樹形に拡がっていった。
ピキピキは、はじめは鮮烈な目覚めの音だった。
◆すぐさま速いところと遅いところと高い音と低い音が分かれていって、
それぞれの音楽が生まれた。
それぞれの音楽を聴くひとも分かれていったが、はじめのピキピキは、
それぞれの音楽の中心にいつもある。
そのことを知らないひとはいない。
◆ガチャガチャしたゲームセンターから出たときの一瞬の無音、
世界というゲームから降りる瞬間はこの感覚。
この落差を客体化する前に、中心にシュっと収めればいいのです。
◆パチンコ屋の自動ドアの前を通りすぎるとき、店内の淀んだ空気と
気違いじみた音が、一瞬の白昼夢のように全身に襲いかかる。
静寂から見た世界も、このような狂乱の夢だ。
この世界は、あまりにもうるさい。
◆「それ」の直観はあまりにも速く軽すぎて、すぐに通りすぎていってしまうが、
すでに知っていることだから本来、形にする必要もない。
あえてこの世界にピン止めするには、形・色・音・字に一瞬で結晶化するしかない。
◆そのとき、至福の内圧と肉体が響きあって、どうしても出たくて
しょうがないというものだけが、形となって表現される。
◆転換された視点からもたらされる至福は、常にこちら側に溢れでてこようとする。
それを知らせて奮い立たせようという意思があるからだ。
◆至福は希望となるが、希望を夢みているだけでは、それは常に
夢のままとしてある。
そこで苦しくても、この世界をいったん請け負う覚悟が問われる。
覚悟が決まると、怒涛の恩寵が雪崩れ込んでくる。
◆世界は包み、包まれるものだが、そこに膜はない。
◆わたしたちがこの世界で至福を至福として体験できるのは、
至福の内圧を発散しきれない肉体との抵抗と摩擦があるおかげなのです。
発散しきれてしまえば、それはそれとしてあるだけで、
至福と呼ばれるものもないのです。
◆至福にとっては、それを100%表現しきれない肉体は苦痛です。
それでも至福は、それ自体としてある安らぎを捨ててまで、
それを伝えてこようとする意志を持たされています。
◆人並以上にちゃらんぽらんで眠りこけてきた私が、
こんなこと促されて言ってるんだから、
やっぱり今回は分かれ目なんでしょうね。
みなさんは、もっとうまく乗っかっていけますよ。
というか、私が足をひっぱってたんでしょうね。
すみませんでした。
◆12月なのにベランダのゼラニウムが満開に。
今年は何かがおかしい。
夢が崩れてきている。
こういう時は、脈絡のないシンクロが起きやすくなる。
飛び超えるチャンス。
◆今の世界は悲惨なように見えるけど、視点を変えれば
決して悪い状態ではない。
物語に巻き込まれるかどうかが試されている。
本当にチャンスなのだ。
気を確かに保っていこう。
◆いまさらだけど文字にするときには「私」と「わたし」の表記を
使い分けています。
意味がわかっている人には、どっちでも関係ないけどね。
でもたまに文字数で仕方なく「私」にするときがある笑
◆先人たちが開いてくれた回路を軽いノリで享受できる今は有難
すぎて恐縮する。
悲痛な苦行で迷路のゴールを見つけてくれた。
迷路をショートカットできるのは、わたしたち全体がつながっている信頼があってこそ。
それを忘れて軽薄に回路を自己実現に利用すれば、もとの黙阿弥、それ以下に落ちる。
◆次元というのは本当は分かれてあるわけではないのです。
次元というアイディアは、数学に例えるならば、シンプルな式に辿り着くための
演算の過程みたいなものです。
ただ「ひとつであること」を知るためには、まずは3次元の固定観念は
外さなければなりません。
ここが勘違いしやすいところです。
◆まだ今は「それ」の表現がうまいかどうかで人が集まってくる時代だが、
そのうち誰もが当たり前に「それ」の視点から生きるようになる。
そうしたら「それ」を教える人なんていらなくなる。
それが健全な世界。
私もそこへ向かって信頼を100%にしていきたい。
◆【直接知覚とは 1.】
「花そのもの」とは何でしょうか?
分離された存在である私たちは、ひとつの花を見るときも、
それぞれの知識・言語・文化・身体によって規定されたフィルターを通して、
すでに意味の付随されたものを見ています。
◆客観的に花を見ようとして、写真や映像で写し撮ったとしても、
撮る人の意図や機材の性能・フィルター・ピント・解析度の違いによって、
決してひとつの絶対的な花が提示されることはありません。
それはすなわち「像を結んだものはすべて相対的なものである」ということです。
◆それでは、「花を直接知る」とはどのようなことでしょうか?
相対的な像は、時間の経過の中でそれを観測する視点の差異によって
無限に分岐されますが、時間とそれを観測する者が存在しないとき、
それはそれそのものとしてすでに在るのです。
◆【直接知覚とは 2.】
ある瞬間に切り取られた像は、次の瞬間に観測されればすでに相対的
なものとなりますが、時間の流れの中にない瞬間そのものには相対はありません。
その瞬間、それは相対から完全に自由なのです。
◆そのとき、その花の色や形がどのようなものであっても花それ自体の
本質とは無関係です。
なぜならそこには、前後で比較する相対的視点がないからです。
◆すなわち、私たちが「花」と呼んでいたものの色や形は相対的属性
にすぎなかったのであり、絶対的なそれそのものは、常に観測される以前
に存在していたということになるのです。
◆【直接知覚とは 3.】
では、そのことを「この私」が直接知るにはどうしたらよいでしょうか?
それは、この私という視点を外してその瞬間に在ることしかありません。
そのとき、花と私を区別するものもなくなります。
◆花とも私とも呼ぶことのできない直接的な存在が、在る/無いの区別の
前に「浮いて」います。
それは在るとも無いとも規定できないので私の乏しいボキャブラリーでは
「浮いている」という表現しかできません。
それを表現する言葉が地球上には存在しないからです。
◆私たちがそれを認識できるのは常に一瞬後の手触りと真空の直観に
よってしかありません。
それでも、それは、鮮烈な触覚をもって迫ってきます。
なぜなら、在るという本質は、わたしの本質そのものであり、そのことに
触れて思い出すときに、わたしの核心に直接響いて震えるからです。
◆【直接知覚とは 4.】
これは哲学的な存在論の話などではありません。
直接的なわたしたち自身の話です。
哲学は思考という自ら課した限定によって「語り得ぬものについては沈黙
しなくてはならない」という地点で常に堂々巡りする運命です。
◆「それ」の直接知覚においてはこの「語り得ぬもの」の沈黙の先に触れられるのです。
そこには限界がありません。
ただし、その「触れられたもの」は、哲学とは異なる次元でまた「語り得ぬもの」
であることを圧倒的な至福をもって発見するのです。
◆もちろん、至福もまた相対的な感覚です。
しかし、ここでそもそもなぜこのような話が問題になるのかと考えたとき、
それは常に私自身の救済という個人的な衝動に基づいていたという
原点に立ち戻ります。
◆この衝動を利己的で幼稚なものであると笑い飛ばすことができる
人間は一人もいません。
そのことに素直になってください。
そして本当は、それが相対的であろうと絶対的であろうとそんなことは問題ではなく、
私が救われれば即、全体が救われるのです。
◆中心は常に変化し、ある瞬間の中心と次の瞬間の中心は別個の
世界に属します。
瞬間瞬間で世界全体のバランスが同時に組み変わり続けるのです。
連続した自己同一性を保ちたい自我は、事象の連続性の中に自己の実在
を見出そうとします。
しかし、連続する事象も、連続する自己も、存在しないのです。
◆定点に居続けたい自我は、一瞬前の定点を連続させようとするため、
今この瞬間の事象の認識に間に合わず、間に合わなかった空白を捏造した
イメージで編集します。 3次元の重心に規定された身体は、中心のバランス
を常に測っています。
中心がズレると連続性を保つため自動的にバランスを補正します。
◆しかし本当は、身体という連続した実体も存在しないのです。
実体のない身体と同化した自我は、連続する世界という幻想を、
あやういバランスの綱渡りで生み続けていきます。
◆幻想は幻想としてあってもかまいませんが、それを存続させたい
という想いが、実体のない自我の苦しみを生んでいるのです。
苦しみの正体を見抜くには、闇雲に執着や世界を否定するのではなく、
何が問題なのかを構造的に理解する必要があります。
◆自分の中の重苦しくて見たくない部分を無視して、ワクワクする
刹那的な引き寄せばかり志向し続けると、自分自身がどんどん分離していく。
完全に無我と時間の幻想を見切れていればそれも可能だろうが、
そうでなければ、暗い影を抑圧していないかは正直に見つめよう。
◆覚悟をもって自身の見たくない闇を見、正体が暴かれたときに
起こる信じられない軽さと安堵は、エゴの望みで引き寄せられた
小さな快楽などの比ではない。
◆注意すべきは、自分の闇を他人の闇に転化しないこと。
他人の闇を暴こうとすれば、自分の闇がさらに深まる。
自分の闇を暴けば、世界の光と闇の分離もなくなる。
◆肉体との同化が完全に見切れていなければ、魔法によって
奇跡を手に入れようとしても、肉体に刻印された記憶が引き戻す。
この世界に肉体の同化から完全に離れている人はいない。
◆電車の空席に座るときは、瞬間的に隣の人の正中線を見ている。
正中線のズレている人は、必ず寝ると寄っかかってくるから笑
(ズレてない人のほうが珍しいが)
電車では瞑想状態に入りやすいので、私の隣に座った人はつられて
高確率で寝てしまうのだ。
◆隣の人の呼吸は大抵、とても浅くて胸呼吸している。
隣にいるとどこに意識があるかわかる。
私の1回の呼吸の間に3回ぐらい呼吸している人が多い。
生涯の呼吸の回数で寿命が決まるという研究もあるので、
もっと意識をハラに落とさないと早死してしまうよ〜!
◆理不尽なことが起こったら、それがいかに理不尽に見えても、
自分の中に浄化されていないものがないかどうかチェックする。
この時、自分を責めることなく、ただありのままの事実を見るようにする。
事実を受けとめきれなければ、その時はそれでかまわない。
◆この姿勢で見続けていることによって、起こってくる事象のパターンが
見つかるようになる。
人生何十年か生きていると、大小合わせて数回以上は同じパターンが
繰り返し起こっていることに気づく。
すると「またお会いしましたね」と戦友に再会したような余裕が前回よりも
少しだけ生まれる。
◆気づきがより繊細になっていくと、このサイクルが加速していき、浄化が進む。
◆ワークでは今のところ取り上げてないけど、この辺は反応パターンが変わるまで
徹底的にやったほうがいいです。
あんまり厳しく言うと鬱陶しいだろうけど、やるしかないんですよ、実際。
本気でやったら変わります。
◆進化を焦って高次元の軽さだけを目指しがちだが、高次元はすべて
の下位次元を経験し包括しているからこそ軽いのだ。
表面的な軽さだけを切り離せば、分離した次元が常に取り残され重く沈殿していく。
平面的な軽さではなく、立体的な軽さを目指そう。
立体的な包括は、無我と慈悲によって成される。
◆ぶっちゃけ、小難しい悟りの話をしてるよりも、能天気な女子高生が
キャッキャ笑ってるほうが瞬発的な波動は高いんですよね。
まあ、自覚がなければ進化もないとはいえ。
正しいか正しくないかに執着して泥のように重い人を見かけますが、
常にこの瞬間の状態自体に気づいていなければ本末転倒ですね。
◆自我は「意味」で育つ。
自己は「構造」で開く。
◆「世間」という幻想は、創造力と直観を隠す。
「世界」という幻想は、信頼と安らぎを隠す。
◆私たちは、動くお地蔵さんのようなもの。
ひとりひとりが、その時その場で小さな祈りの姿で見守っている。
◆自己肯定感の自己は無限。
自己否定感の自己は有限。
◆人を疑いだすとキリがないが、どの人も「それ」であることは疑いようがない。
◆神自身に他者はいない。
よって、神には責任も罪悪感もない。
だから、神を恨んでもしょうがない。
◆責め合いたいから生まれてくる世界と、愛で合いたいから生まれてくる世界がある。
それぞれの世界が、それぞれの願いどおり生まれてくる。
◆ひとつの瞬間はすべての過去現在未来を含む。
この瞬間が救われれば、ひとつの宇宙が完結する。
◆世界の悲劇を終わらす前に、私の悲劇を終わらせよう。
◆蜂の社会には、一定数のまったく働かない個体がいる。
女王蜂は、働かない蜂によっても生かされている。
人間の社会も、そのぐらい寛容でいい。
◆宇宙の神秘にのめりこむと、真理の半分が隠される。
◆だからといって、宇宙の神秘を妄想と鼻で笑えば、
半分どころか全ての真理が隠される。
◆神秘の語呂合わせと数合わせにハマると、宇宙の頭数合わせに使われる。
◆宇宙に潜む、公理・定理・原理・相似・幾何・数式・物理・象徴・
図形・次元・陰陽・数秘・言語・波動・身体・重力・天体・運動、
その他ありとあらゆる神秘の相関は、こちらの世界に引きとめて
おくために創られた、荘厳な知育玩具です。
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