【#ブラックホール #仙人と覚者 #エコロジー 覚醒からのつぶやき 20】

◆「眠っているから夢を見ている」のではない。
眠っている連続した本体は存在しない。
眠りと夢が同時に生滅しているのだ。
◆「夢を見ている上位次元の私」が目覚めるのではないのです。
「起きたら私がいる」という、肉体の睡眠と夢の概念にとらわれないでください。
◆目が先にあって世界を読み取るのではない。
世界が先にあって目が読み取るのでもない。
世界と目は同時に発生する。
◆開いた目は、瞑る定め。
◆ブツ切れの刹那は、認識の手前で、磁石にくっつく砂鉄のように
集積し、見かけ上の連続性を生み出します。
砂の一粒一粒には、まったく連続性はありません。
磁力が、似た性質の砂をくっつけ、認識がそれを直列的に「押し出す」のです。
◆重心=中心と錯覚しないこと。
◆削減と収縮を進める「エシカルな」世界。
シナリオどおりに進んでいく。
シナリオを書いたのは、私たちの呪い。
◆裏と表は融合しない。
不毛な格闘はやめる。
裏と表を生むのは私。
◆私たちは、歩くブラックホール。
◆私が私の顔を直接見ることができないように、
私は私自身の存在を直接見ることはできない。
直接見ることができない空白が、神秘の源泉。
◆平面の反射から立体の反射へ。
◆表も裏もない、即時全方向の反射と反復。
どの瞬間にも、無限にわたしが映っている。
全部のわたしを全部のわたしが見ている。
すべてが自覚していて、どの自覚もわたし。
わたしはどこにでもいる。
そんな世界がある。
◆3次元の認識のデフォルメは、あまりにも素朴。
素朴さを象徴で補おうとするから魔術と宗教が蔓延る。
◆この世界はどの瞬間を切り取っても、めくるめく無限の
複雑さを内包している。
すべてが見えてしまうと、ひとつの瞬間に永遠に入り込んで
しまうので、ごく表面しか見えないように調整されている。
だから、複雑性を見ようとするのではなく、
構造とエネルギーに内部から直接触れよう。
◆円環の世界では、生まれてくる子供は、私たちより先輩。
そのことを思い出せば、円環の利点も生かされる。
◆口に食物を入れるのと、手に食物を乗せるのは、
食物が視界から消えるか消えないかだけの違い。
◆認識できない世界は存在できない。
この世界は、認識できている世界。
当たり前だけど、忘れていること。
◆嬉しい時には嬉しさが時差なくある。
悲しい時には悲しさが時差なくある。
その時、嬉しい人も悲しい人もいない。
◆私たちは、世界をギリギリで保っている表面張力です。
◆目玉の裏を浮かせてみよう。
◆「生」を「生きる」と動詞にしない。
「死」を「死ぬ」と動詞にしない。
◆生死を裏表にしない。
◆上を見ろと言われて上を見る弟子は、体を切り落とされる。
上を見ろと言われて下を見る弟子は、頭を切り落とされる。
上を見ろと言われて師を見る弟子は、心を切り落とされる。
◆私たちは、仙人になる前から霞を食べて生きている。
◆地球の山は、宇宙の谷。
宇宙の山は、地球の谷。
◆覚者の姿をしたものは、象徴です。
私たちは決して「覚者本人」に出会うことはできません。
◆象徴としての覚者、あるいは高次元の存在といわれるもの
に出会えるのは、私たちの認識の「象徴化能力」が進化したからです。
ただし、能力が進化しても、それそのものを見ることはできないのです。
象徴化されたものはいかに神秘的であれ、私たちの認識の許容範囲を超えません。
◆覚者は何も表現しません。
表現する者がいないからです。
表現されたものは、読み取る者が創ります。
◆表現は常に二元性によって顕われます。
いかに聖なる表現であっても、邪悪な内圧とセットで流通します。
象徴としての覚者はそのことを自覚しつつ二元性を「使う役割」を担います。
自覚なく表現する者は「半覚者」です。
また、役割の途上で内圧に気絶してしまう者は、もともと覚醒していません。
◆人は水平の差別を脱しようとして、垂直の進化を求めますが、
そこでもふたたび垂直の差別を設定します。
差別は「進化し続ける」という強迫観念から、自ら設定しているのです。
水平と垂直の交点に消えて在るとき、どの座標においても即時に
強迫観念から解放されうることを思い出してください。
◆望まれた聖性には限界があります。
願望が、世界の限界を設定します。
◆世界は望まれたとおりに創られます。
根源的な望みは「動き続けること」です。
そのため一見、望ましくない現象も起こり続けます。
天変地異や戦争も、潜在的な願望が創り出します。
創造力の幼い私たちは「動き続けるため」に、
それらの選択肢しかないと思い込んでいます。
◆現象として現れてしまったものをモグラ叩きのように叩き続けても、
ひとりひとりが根本的な原理を自らの内に発見しないかぎり、
世界はこのままです。
創造は、天変地異や戦争や疫病といった刺激によってではなく、
別次元の原理によっても為されうるのです。
◆世界平和やエコロジーといった理念も、すでにこの世界の原理
に取り込まれています。
自分の発想や感覚だと思っているものすべては
「そのように行動するように」仕組まれたものです。
「自然な感性」は、すでに不自然なのです。
そのことを前提としたうえで自らの立ち位置を自覚する必要があります。
◆「わたし」というひとつの在り方を体験的に理解しないかぎり
「私」の突破口を、象徴と上位次元に求め続ける。
◆過去の歴史は「今」創られます。
そのことを知れば、私たちのルーツも組み変わり得ます。
私たち自身が、存在を過去の神話に縛り付けているのです。
◆閉じた瞬間から、開いた瞬間へ。
◆「それ」とは、収縮と開放の「あいだ」です。
「あいだ」は「間」ではありません。
◆思考の正誤よりも、情念の粘度に気づいてください。
◆たとえば、東京から大阪へ行くとき「大阪はひとつ」ではないのです。
すでに大阪に行った無数の私から、ひとつの大阪が今、決定されます。
同じく、ひとつの私も今、決定されます。
◆覚醒の悟りは「~だから~だ」という構文には当てはまりません。
それはただ「~」なのです。
◆ハミガキするとき、ハブラシを固定して歯のほうを動かしてみてください。
ハブラシは私を、そのように感じているのです。
これが悟りです。
◆あらゆる怖れは、無知からくる。
無知を思考で補えば、怖れに鈍感になる。
鈍感な私は、無知に気づけない。
◆私と「ぶつかる」ものが物体、「ぶつからない」ものが空間
だと認識しているかぎり、肉体は私を手放しません。
◆私が存続させたいのは、肉体ではなく個我体です。
粗末にされた肉体は、悲鳴をあげています。
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