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「壁抜けの術」 【3/28(日) 東京ワーク ~所感と解説~】     

2021/04/03

3/28(日)東京にてワークを開催しました。

緊急事態宣言後、3か月ぶりの再開です。


ワーク3
「視点と気づきのシフト」で使った鏡


以前、ツイッターでこんなことをつぶやきました。

~~~~~~~

◆【壁抜けの方法】

①壁を指で押します
②限界まで押し続けます
③押している中心を見ます
④中心に意識を合わせます
⑤中心の空になります

これで壁を抜けました!

※体は別途、運んでください。

~~~~~~~

冗談に見えるかもしれませんが、実はここに本質がすべてある
といっても過言ではないのです。


今回、ワークで指一本の壁抜けならぬ「壁押し」をやりました。


指で壁を押したり押し戻されたりをしばらく繰り返していると、
物理的な押し引きの運動の中心に、不動の空白のようなものが
あることを発見します。

指と壁という概念をただそこに「置いて」おき、能動でも受動でも
ない中心と自分の中心を合わせて見続けていくと、相対的な動きに
左右されない何かが、生々しい感触で立ち顕われてくるのです。


集中力が途切れて、ある瞬間が切り取られたときには、そこは指と
壁の物理的な間の中心点なのですが、ひたすら中心を見続けていく
ときには、どこまでいっても座標のない空白です。(空白は空間では
ありません)


ある参加者さん(集中力に恵まれた方)は、見続けていくうちに「妙な
感覚になってくる」と漏らされました。

確かにそれは奇妙な感覚です。


自分がどこにいるかわからなくなって、中心がうねりを伴って次々に迫って
くるからです。

このうねりは一瞬一瞬、断続的な認識のゆらぎが引き起こすノイズであって、
中心自体はゆらぎません。


この一見、単純なことが実はすべてに通底しています。

物質・思考・感情・原子の区別なく、
どこを切り取っても無限にそれがあります。

壁の押し引きは、見かけ上は物理的な力学ですが、
力学を超えたそれが同時にあるのです。


この感覚を見た後に、参加者さん全員でひとつのボールを
人差し指一本で支えあってもらいました。

全員の押し引きがぴったり釣り合ったときには、ボールは
空中でピタッと止まります。


ボールの中心は各自の中心と一致して「そこでしかないところ」
に浮いています。

その時、中心はボールの形状と質量から解放されているのです。


そして、中心に一致している各自もその瞬間、解放されています。

次の瞬間、誰かの動きが連動して、全体とボールの位置が動きますが、
動きながらその中心は途切れなく顕われ続けます。


物理的なボールの中心は移動しますが、
解放されている中心には座標がないので移動しません。

移動しないといっても場所のないどこかに固定されているわけではなく、
無限に立ち顕われつつそこにずっとあり続けているのです。


これはまた、物理的なバランスの釣り合いも超えています。

例えば、誰かが態勢を崩してボールが床に落ちそうになっても、
そこにも中心が在り続けます。

ボールを支えてバランスをとっていたのは、ボールと自分と他者が
消える感覚を知るための仕掛けにすぎず、その感覚がつかめたときには、
物理的にボールに触れているか触れていないかは問題でなくなります。


こうして、映るものすべてがめくるめく中心の顕われとなるのです。


ここで最初の壁抜けの話に戻ります。

私の中心と壁の中心が一致しているとき、そこには境界がありません。

身体を運ばなくても、瞬時に抜けてしまっているのです。


「肉体が壁を通り抜けるのを見ないと壁抜けと認めない」というならば、
その時点でその人は自身を肉体の中に閉じ込めてしまっているということになります。

詭弁のように聞こえるかもしれませんが、肉体を超えたそれは、
壁抜けを確かに見ているのです。


それは、曖昧なイメージではなく、鮮烈なリアリティです。


関連記事 ⇒ 「自我と認識パターン」 【東京ワーク開催 ~所感】

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