【#自己愛と他己愛 #シンクロ #神話 覚醒からのつぶやき 34】

◆花は、来年も咲けるかどうか心配しない。
◆「わかる/わからない」
という分別を落とせというけども、
落ちた中心で触れるものが明確にある。
それは、生きているからこそ響くもので、
神秘的というより具体的なものなのだ。
「生きることに意味はない」なんて、
頭で斜に構えてる場合じゃないよ。
◆自己愛と他己愛の質量は比例する。
◆自分自身に緊張して、
世界を直接味わえなくなっている。
◆創造は見られた瞬間、緊張してカタチになる。
◆無意味なシンクロの頻発は、
創造の意図から解放されてきた合図。
◆中心は摩擦と抵抗から自由。
◆自己嫌悪は記憶の病。
◆肉体の目による自他の監視は幻想。
◆恥は驕り。
◆現象への怒りは、認識と記憶システムへの怒り。
◆悟りは無難なアイディア。
◆間に合っているのに、間に合わせようとするから、
間に合わない。
◆世界と社会を混同しない。
世界と自分を混同しない。
◆全ての事象は時限爆弾として配置されているが、
自分で仕掛けたことを忘れている。
◆気づかないうちにホコリが溜まってしまった
部屋の一角のような世界。
気づけばホコリは一瞬で拭き取れる。
◆見ることは、工夫できない。
◆「わかりたい」というエゴイスティックな願望のために、
この世界は必要だったのです。
◆知識は、答え合わせ。
◆「透明」も、イメージです。
◆「仕組み」を知ることは副産物であって、
覚醒そのものではありません。
◆この宇宙は、私がいるかぎり閉じた系。
◆予測は生の鮮烈さを隠す。
◆意図の初動はセーフ。
意図の惰性はアウト。
◆悩みは悩みを解決できない。
◆毎瞬毎瞬、須弥山が垂直に立ち上がる。
◆どこにも掴まらないと、
自動的に真ん中に浮く。
◆認識の粗さが、空間という背景の錯覚を生む。
◆苦は構造。
痛みは主観。
◆痛みの中心は無痛。
◆進化に期待し続けるのは、
進化に追いついていないから。
進化はこの私に常に起こっている。
◆私自身に追いつくには、
その場で回転してみればいい。
◆3次元の神話は、上位次元の超訳。
唐突な展開に違和感を感じる箇所は、
この次元に無理やり訳した苦慮の跡。
◆超訳しきれない文法は「奇跡」
と呼んでお茶を濁している。
◆超訳は正確な文法を意図的に無視する。
◆超訳された偶像と、意訳された偶像と、
誤訳された偶像がある。
直訳された偶像は、ない。
◆思考は私を誤訳する。
◆仏はプリミティブな超訳。
◆超訳して言うならば、私の一挙手一投足
のどの瞬間にも無限の仏が生滅している。
◆「どこを見ても仏」というのは、
心理的な意味じゃないんですよ。
◆仏の時空は、画像のコマ送りでは認識不可能。
◆いま語っているこれも、全て超訳です。
◆誤訳された私は、
誤訳された時空に取り残される。
◆誤りは、誤りという正しい現象。
◆人間の気づきには、
重力と内臓と体壁が付帯している。
◆純粋な気づきに気づこうとするのではなく、
不純な気づきに気づき続けることで
「不純でないもの」が浮き上がってくる。
◆ヒトガタをイメージで描かない。
◆ヒトガタというイメージに慢心しない。
◆存在のインパクトから見れば、
思考などホコリのようなもの。
思考に支配されているのは、笑い話にもならない。
◆物理次元に囚われているのは、
常に物理からズレているからという皮肉。
◆物理からの一定領域のズレが、
人間と呼ばれているもの。
◆真実から隠れるために、分身を無限に増やして
責任を分散してきた私たち。
◆真実が怖いのは、全てが明るみに出たら
存在できなくなると錯覚してるから。
◆意志は思考にくっつかなければニュートラル。
この感覚を具体的に知ることが肝。
◆ニュートラルな意志は一瞬で昇華されるが、
消去はできない。
◆物理次元の全てのものは意志から起こるが、
私たちがイメージする唯識論とは異なる。
なぜなら、私たちは私を離れた純粋な意志を
イメージできないから。
◆戦いの原始的なエネルギーは創造に「利用しやすい」
ので、自ら敵を生成し続けるように仕組まれてきた。
創造には、善悪はない。
利用できるエネルギーが使われる。
無自覚な私たちは、創造の餌なのだ。
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