「世界は進化している?」 【ワークのお知らせと質疑応答】
この会は「it」(=「それ」、「神」「宇宙意識」などを便宜上、指示代名詞で置き換えたもの)のダイレクトな体感を分かち合いましょうという、かなりストレートな趣旨の会で、「it」という講座の参加者対象で2ヶ月に1回開催しています。
その会に拙著「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」を読んでくださった方がいらして、質問を受けました。
ひとつめは「世界全体としては結局、進化していっているのですか?」
というご質問でした。
ふたつめは「実際にルビンの壺の絵を眺めてみたが、本文に書かれていた『あいだ』がよくわからない」
とのご質問でした。
ひとつめのご質問者は
「みんなの意識が進化して愛ある世界になっていってほしい」
という希望をお持ちのとても純粋な方です。
それにお答えするにあたって前提として
「全体としてはなにも変わりません。はじめからおわりまですでにこのままで、まったく変わりません。でも、世界を切り取る認識と読み取り方は進化するし変わります。認識が変わることによって、変わらずにあった全体性の中から今よりも進化した側面を読み取ることができます。それを『進化した世界』と呼ぶことは可能です。進化した世界は『ある認識においては』存在することができます」
と答えたうえで、
「もちろん、愛ある世界に『も』なりますよ」
と断言しました。
なぜでしょうか?
直列的な時空を超えたところでは、すでに世界ははじまっておわっており、すべての進化の可能性の萌芽を包括した場としてあります。
そこにおいては、人間にとってわかりやすくいうと、例えば「愛ある世界」と「愛のない世界」の可能性の両方が、一瞬という「点」として認識される以前の意味の排除された状態で、エネルギーとしてアイドリングしているのです。
この「場」に認識が触れた瞬間、人間が「愛ある世界」と呼んでいるエネルギーのものに引き合えば「愛ある世界」というタイムラインが現象世界として出現します。
この「場」にはこのような無数のタイムラインの可能性が同時並列的にあって認識の瞬間を待っています。
(ここが直観的に理解しづらく難しいところだと思います)
こうして人間の3Dの認識で瞬間瞬間に今が切り取られ見かけ上直列的なタイムラインとして並べられたものが「世界」と呼ばれているものです。
いま認識されるこの世界は、いまこの認識レベルで切り取られた世界なのです。
しかし次の瞬間、別の認識レベルで世界が切り取られた時、それはすでに別の世界なのです。
よって進化した認識で一瞬でも全体から愛が切り取られたとき、そこはすでに今よりも進化した愛の世界なのですが(直列的時空の感覚では「でも私がいま愛を感じていても世界にはこの瞬間飢餓に苦しんでいる人もいるので愛の世界ではない」と感じるでしょうが)、次の瞬間に愛でない状態が切り取られたとき、それは愛でない世界がふたたび出現したのです。
愛の世界とそうでない世界は、瞬間瞬間に全体から読み取られ、分岐していきます。
無数の分岐が同時に起こり同時に消滅していきます。
人間は、瞬間瞬間の分岐に気づかず世界を地続きの連続体だと思って生きています。
この分岐のうち、あなたの意識が進化した認識(この場合は愛の状態)によって起こり、それが見かけ上持続するとき、あなたの世界は愛の世界になります。
それは、「愛でない人がいるうちは私の世界は愛にならない」「世界の全員が愛にならないと愛の世界が訪れない」ということではありません。
分離した人がいないとき、あなたが愛であれば世界は即座に愛の分岐世界のタイムライン(パラレルワールドといってもいい)に入るでしょう。
世界はどの瞬間でもこのように切り取られる状態にあるのです。
あなたが進化のスパイラルにいれば世界は進化していくものとして切り取られるし、退化する側にフォーカスすればそのような世界が出現するでしょう。
ただし、どちらの世界が切り取られようとも、全体は何も変わりません。
現象世界において認識の見かけ上の進化と退化があるだけなのです。
(本当はそれすらもなく、進化や退化にフォーカスさせられるエネルギーが発生しているだけなのですが)
現象世界は固定していません。
それは読み取られる認識レベルによって切り取られ流転しつづけます。
全体はなにもかわりません。
この人間の現象世界というひとつのものが固定されてあるわけではなく、切り取られた数だけ世界が派生しては消滅していくのです。
そのひとつひとつの無数のシナリオは運命やカルマとよばれ、それぞれにフォーカスされた意識の担当者が見かけ上の自己同一性をもって、その運命を過去から未来へ向って生きているように錯覚しています。
・・・「こんなややこしい話なんかいらないから、愛ある世界をフィーリングで感じていたい」
というのももっともな話です。
もしそれが望みで四六時中、愛を感じていられたならば、この厳しい現象世界においてそのようなタイムラインに居続けることができるあなたは本当に幸せな人だと思います。
しかし、愛を感じながらもどこかで
「でもいまこの瞬間、世界中には愛のない人がいて争いが絶えないから、愛のない人たちを何とかしないと世界が救われない」
と、ちらっとでも頭をよぎったりハートがチクっと傷んだりしたのならば、それはその瞬間、あなた自身が世界を分離したのです。
かといって、そのことに罪悪感を抱く必要はありません。
二元的な現象世界において愛のエネルギーが一方に集約すれば、もう一方でバランスをとるために愛でないエネルギーも集約するものだからです。
だから、現象世界における愛は永遠に、愛でないものとの表裏一体から逃れられません。
こんなことをいってしまったら身も蓋もないと思うかもしれません。
しかし、もしあなたが現象世界における愛のなかでチクっとした痛みを感じたとしたら、それは世界の仕組みに気づくための恩寵だともいえます。
そこからはじめて、愛とはなにかという問いが湧き起こってくるからです。
ふたつめのご質問については、言葉で説明しようとすると少しややこしい話になってきますので、実際にワークを行いながら体感していけたらと思います。
関連記事 ⇒「気づきのポイント」 「身体と意識の境界線」 【質疑応答】
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定員に達したため今回の募集は締切りました。
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場所は東京都中央区、参加費は無料です。
内容については大筋で考えている流れはあるのですが、参加者さんの状況をみながら即興的に進めていこうと思っています。
大まかにいうと認識/身体/意識のそれぞれの側面からシンプルにアプローチしていく予定です。
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