【#今に在る #覚醒と階層 #自分探し 覚醒からのつぶやき 42】

◆「思考から離れる」ことは
「脳を働かせない」ことではない。
◆「今に在る」とは、過去と未来を
考えないようにすることではない。
◆「思考さえなくなれば、今に在ることができる」
という観念を外す。
「今とは思考のない状態」と定義すれば、今を
「思考の有無」という二元性に限定することになる。
◆「今に在る」ことによって結果的に思考が
落ちるのであって、思考を無くしていく延長上
に無思考が獲得されるわけではない。
◆「かつて私であった者」にとっては
「今に在る」とは「今に在ってしまう!」
というべき衝撃を伴うものだ。
◆ニサルガダッタ・マハラジの
「無教育のタバコ売りなのに、
理路整然と真理を語っていてすごい」
という評され方も、論理至上の驕りを感じますね。
◆全ての現象の支点は、肉体の目が見ている
座標とは別の位相にある。
(3次元の便宜上、それを「裏」あるいは「奥」と呼ぶ)
◆泳ぎを知らない人間は水を怖れるが、
かつては誰もが羊水に浮いていた。
泳ぎは獲得されるのではなく、思い出されるのだ。
覚醒もそのようなものとしてある。
◆人は確証を得てから未知に首をつっこもう
とするが、確証のある未知はすでに未知ではない。
◆「名付け得ないもの」は、
曖昧なのではない。
名よりも実存が強烈に勝っているのだ。
◆世界は終わらないように設定されている。
始まりと終わりを無効にしないかぎりは。
◆真理は、闇を暴いた末にあるのではない。
◆「悟り」と「世界救済」と「次元上昇」は、
残念ながら無関係です。
◆確定されたものは、
すでに不確定を含んでいる。
現象とは、そういうもの。
◆現象とは、存在を決して
確定させないものなのです。
◆人生は「不滅」というファンタジーを探す旅。
◆信念はイカリのように降ろさず、
ブイのように浮かせる。
◆基礎代謝の主要項目に
「自我維持」を加えたほうがいいね。
自我は信じられないほどエネルギーを食うから。
◆顕微鏡の倍率を上げても、
覗く目が同じままなら、
真実は発見できない。
◆軽くするばかりが目覚めじゃないんだよ。
◆タイムラグのない祈りは、
世界をその場で昇華する。
◆写真や映像は、客観的世界
を写しているわけではない。
それらは人間のピントに合わせて
調整されたものだ。
◆軽さと高さを混同しない。
重さと低さを混同しない。
◆ワンネスって「つながり」
ではないんだよ。
つなぎ目がないんだから。
◆本来、意識に顕在も潜在もないんですよ。
その時そこに在るものが全てであって。
◆顕在と潜在は
「全てを知らなければならない私」
にとってのみ、問題になるのです。
◆私たちの探求は「見えてないもの」
に対する怖れと興味が突き動かすが、
それは認識構造の問題にすぎないのだ。
◆集合意識と呼ばれるものもまた、幻想だ。
集合意識を探っていけば、埋没した進化の歴史
と構造に触れるだろうが、それは時空における
私たちの「意味」を求めているに過ぎない。
探求は、存在の「意味」を求めることではないのだ。
◆覚醒には「階層」という発想はない。
◆階層は3次元の錯覚。
◆新たな知識は必要ない。
あらゆる思い込みを外すだけでよいのだ。
◆付け加えることだけが進化ではない。
◆「この私」の思いつく願いは、小さすぎる。
◆雰囲気に流されずに、雰囲気として在る。
◆ボーッとしていること自体は
「明瞭に」ボーッとしているのです。
「ボーッ」に流されている「この私」
が不明瞭なだけであって。
◆仏を擬人化しない。
◆自己同一性は、運動の惰性と記憶の捏造。
◆「何もしない」ことは「何もしないこと」
をやってしまっている。
◆思い込みで思い込みは外せないので、
思いもよらなかった思い込みを直観的に
あぶり出すために瞑想する。
そうすると、勝手に外れていく。
◆自分探しは終わらない。
探す自分がないから。
◆その自分軸は、世間軸です。
◆完全に軸そのものになったら、
何も認識されない。
◆軸が先にあるのではない。
軸は世界の関係性において立ち顕われる。
自立した軸は存在しえない。
たとえ神柱であっても。
◆地軸のように傾いているから、
自分が回っているように錯覚する。
◆全方向が、無我軸です。
◆自分の思考を、思考せずに察する。
◆ツボの痛キモチいい感覚は、
ツボの中心ではない。
自分探しは、痛キモチよさに
ハマりやすい。
◆処理しうる情報しか認識できない。
この世界は「認識できた」世界。
◆毎瞬毎瞬、情報と認識の乖離を空想
で埋め合わせてきたが、すでにアナログ的
な処理では間に合わなくなってきている。
◆情報は新たに取得されるのではなく、
仮想空間から「マイニング」される。
逆にいえば、マイニングするために未
だ見ぬ仮想空間が増設される。
◆情報のマイニング量とスピードが認識能力
を超えると「この」存在は、実態を結ぶ前に
空中分解する。
このカタチでないものが、
新たなマイナーとなるのだ。
◆効率だけで見れば、
情報に時空は必要なかった。
時空を介する情報伝達は、
非効率を楽しむ娯楽なのだ。
◆伝言ゲームのズレを遊んでいる。
◆コピーのエラーを遊んでいる。
◆投げた石は、地面に落ちた後も落ち続けている。
回っていたコマは、倒れた後も回り続けている。
この世界に、止まっているものはひとつもない。
◆摩擦による停止は、地上の錯覚。
◆輪廻は「この世界の法則において」
止まらない(止まれない)。
◆「現実」と呼んでいる世界のほうが、
デフォルメされた素朴な抽象画なんだ。
◆備忘録として、速記みたいに世界を記録している。
備忘録の目的を忘れて。
◆「主観」と「客観」の方向感覚を組み替える。
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