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【#善と悪 #無色界 #徳とは  覚醒からのつぶやき 43】     

2021/05/22

薔薇333


◆「変化」は「連続」しない。

◆変化するものを見ているのではなく
「変化した」という感覚を見ている。

◆瞬間は積み重ならない。

◆「0.1秒」も瞬間。
「100年」も瞬間。

◆3次元の言語体系は、時空を無駄に食う。

◆言葉を使うために、時空を並べている。

◆言葉の配列は、物理的な領域を実際に動かす。
禍々しい言霊的な意味ではなく。

◆言葉の配列と発声は、作用の位相が異なる。

◆直列的でない差異を利用する時空もある。

◆この時空は都市伝説。

◆時間を前後に並べて進むシステムって、
オカルトにもほどがあるでしょう。

◆日常に退屈するほうが不思議だよ。
神秘なんか探さなくても、毎瞬、
このシステムにびっくりするよ!

◆見たいものを見るというよりも、
見えるものを見ている。

◆搭載された機能が、願望を引き起こす。
願望それ自体は、創発しない。

◆「物理的に」時空を超えようとするのは、
ナンセンス 笑

◆だからといって「霊的に」超えようとする
こともまた、物理に気絶しているのです。

◆「肉体を超える」「物質を超える」という
発想自体が、物理脳。

◆「高次元」は物理脳の逃げ道。

◆次元というのは、宇宙を語るための
辻褄合わせなんですよ。

◆昔は神と悪魔が仲良く役割分担してて分かり
やすかったけど、メタ的に半覚醒しだすと
「あれ、いま神と悪魔どっちだっけ?」
って混乱してくるものだから注意しよう。
ここだけの話だよ。

◆神を念じれば、もれなく悪魔が
セットでついてくる。

◆「ピンクの象のことを考えるな」と言われると、
ピンクの象のことばかり考えてしまうように、
何かを超えようとすればするほど、
超える「べき」ものが追ってくる。

◆メタ認知は神の気配を察するが、
神の目には永遠に「追いつかない」。

◆メタ<メタ<メタ<メタ...と、自己言及を
繰り返し続けて、精神に異常をきたす
ギャグ漫画家は多いという。
無限後退は、後退し続ける覚悟がいる。
後退を世界にフィードバックしてしまうと、
多層に分岐した夢と現の立ち位置が錯綜する。

◆善を「自分の内」に取り込み、悪を
「自分の外」に投げ捨てると、世界がゴミ箱
みたいに臭ってくるようになる。

◆ここは、錯覚の非効率よりも
生存の有利を採用した世界。

◆「抽象化」という概念を外す。

◆覚醒は、世界を抽象化することではない。

◆善悪のオセロゲームを終わらせないために、
盤のマス目を増やし続けている。

◆ゲーム中のオセロの盤を、透明にして裏側
から見てみると、勝ち負けが逆転するよ。

◆この世界は、立体の辺を時系列
でなぞる所要時間の所産です。

◆限定された認識が、世界を遅く遠くする。

◆無限は、時空を拡げない。
有限は、時空を拡げざるを得ない。

◆忘却機能は、時空を滞らせない
ためのアイディア。

◆頭蓋骨をそこに置いたまま、
アタマの圧を解放しよう。

◆アタマの中で、蛍光灯がピキピキとラップ音
を鳴らすような興奮状態は、覚醒ではありません。
ここを勘違いして開くと、危険です。

◆サマタのヴィジョンは主観的に「現実世界」
の解像度を超えているが、解像度と解輝度が
上がりすぎると、脳による認識は役目を終える。

◆肉体の目にとって、650万画素以上の解像度は識別不能。
「わ〜、まるで『現実』みたい!」と感動したいだけなら、
TVは8Kまでで充分ってこと。
それ以上を見たい人は、目のほうを転換してください。

◆肉体の目が耐えられない輝度は、
目をそこに置いたまま内部の目に光を「逃がす」。
例えば、太陽も内部の目に映せばよいが、
置いておいた肉体の目は焼けるので悪しからず。

◆名付けることで安心して気絶している。
名以外を見なくていいと決め込むから。

◆聖者って、イヤイヤこの世界に派遣
された方がけっこう多いんだよね 笑
本人(いずれも本物の覚者)から直接、
話を聞いただけでも3人知ってる。
「絶対、行きたくない」とダダをこねながら
地球に来た方、「早く帰りたい」と言って身体
を離れた方、「ずっとコタツで寝てたい」
といって引きこもってる方など。

◆無色界から出たくないっていうのが
本音なんだな。
そりゃそうだ。

◆この辺は物語化して語ってるけど、
私たちが私たちの中から聖者を引っ張り
出して来てるんだよ。
それは、私たち自身の止むにやまれない
想いなんだ。

◆そろそろニュータイプの聖者が引っ張り
出されそうですね。
聖者というカタチを取らずに。

◆私たちの「救われたい」という想いが、
聖者をカタチにする。
そのカタチは、私たちの理解力の「半歩先」
ぐらいに調整される。
奇跡が「大衆的」な俗悪さに寄るのも、そのためだ。

◆今この話を聞いて、私たちの中の
「聖者帯域」がザワザワしております 笑

◆瞑想では悪者にされがちだけど、理性も本来、
直観的に機能して助けてくれるもの。
瞑想が進むと、理性と感性のバランスが自動的
に調整されて、自身への信頼が回復する。

◆私たちに備わった「自動的に調整する機能」
を再発見すると、感謝が沸き起こってくる。

◆この「自動的な調整」に逆らうから、
苦しいんだ。

◆「理性を抑圧せずに、自動的に働かせる」
っていうのは瞑想の極意。
そっちは信頼して任せておいて、こっちは
安心して見ることに専念できる。
伝統的な戒律なんかは、本来その為にある。
直観的に自動化されない理性で煩悩を
抑えつけるわけじゃない。

◆理性と思考は、くっつきやすいけど別モノです。

◆「今を生きる」とは「今を死ぬ」ことと同義。

◆「片づける人生」と「散らかす人生」がある。

◆伏線を回収しながら、伏線を張っている。

◆オンタイムの行為には「思考の声」がない。

◆思考はあってもいい。
思考の解説に気づく。
行為を解説しない。

◆思考は思考の餌。
感情は感情の餌。

◆瞑想とかしなくていいから、ひたすら何も
しない日っていうのが、月に一度はあるといいね。
徹底的に、何もしない。
そうすると、何かしようと動く意志に気づく。

◆何もしないと鬱っぽくなるのは、
行為の衝動と自分を同一視しているから。

◆逆に、ひたすら自分の欲求を満たす日
というのも、意図的に設けてみる。
表面的に満たされた気にならないよう、
中途半端にやらないこと。
そうすると、物理的に満たされる欲求と、
根源的に満たされない欲求が見極められる。

◆「普通」の人は、このことを日常に気絶しながら、
一生のスパンでやってるんだよ。
それで、死ぬ前に気づく人と、死んでから気づく人と、
死んでも気づかない人がいる。
これを、ショートカットする。

◆これをやるのに、一切の遠慮はいらないんだよ。
ただ、こういった時間を確保できるかどうかって
いうのは、徳の為すところなんだよなあ。
徳という言葉は誤解を生みやすいので、
あまり使いたくないんだけど。

◆徳っていうのは、優劣じゃないんだ。
徳は因果であって、
すなわち時間の幻想なんだけどね。

◆気づきのラベリングが、
行為の実況放送にならないように。


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