「日常の神秘と観察方法」 【質疑応答】

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<質 問>
「今まで精神世界サイトや本などで、あるがままとか今ここのとらえ方が間違いということが、わかりました。
読んでいると、なんかとても普通の日常では、覚醒は無理かな?と感想をもちましたが、
最後の方に日常全てのことにすでに神秘が顕れていることを知り、注意深く観察することで、
覚醒が向こうから触れてきている瞬間をつかんでほしいとありましたので、注意深く観察することから、
始めようと思いますが、今の瞬間している動作に注意深くすることと、思考を観察するということに意識していれば、
よいという意味でしょうか?」
<応 答>
よくいわれている「いまここ」「あるがまま」のとらえ方は間違っているわけではなく、時空の感覚の位相が異なっているために生じる違いになります。
観察についてですが、日常で起こっていることを観察するとき、基本的には一瞬一瞬、五感に触れてきたことすべてを見ていきます。
(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚・思考・感情・動作すべて)
観察するといっても、能動的に観察対象を探すのではなく、受動的にその瞬間に触れてきた感覚に気づいていきます。
また、すべてを見るといってもすべての感覚をまんべんなく見なくてはならないということでもありません。
あくまでも、その瞬間に自分が気づいた感覚だけを淡々と見ていきます。
(結果として、人によって気づく対象や感覚に偏りがあるはずです)
通常の場合、一瞬一瞬明確に気づいていることは稀で、気づかないまま何十秒も思考に巻き込まれていたり、様々な事象が起こっているのに気づかずにひとつの感覚に巻き込まれてとらわれている状態にあります。
まずは見過ごしていた感覚に意識的になって気づきの鋭敏さを養うことが重要になってきます。
最初のうちは思考や感情や好悪の感覚が意識を占有していることが多いので、それらが浮かんできたらひとつひとつ観察します。
ただし、観察するときに「これは良い」「これは良くない」という判断をなるべくしないでただ「今こういう思考が浮かんだ」「今こういう感情が起こった」という事実だけを見ます。
慣れてくると、思考と思考の間に様々な感覚が触れてきていることに気づいてきます。
気づいたらそれらをまた、判断をしないでただ観ます。
「観察する」ということは、内容を分析したり判断したりすることではなく、瞬間瞬間に触れてくる感覚やそれに対する反応を見切っていくということです。
そして自分の反応のパターンを知り、いかにこれまで思考に巻き込まれて様々なことを見過ごしてきたかという事実に気づくことです。
注意点としては、思考を観察しているつもりが「思考について考えてしまっている状態」にいつの間に巻き込まれていたりするので、思考に巻き込まれた状態に気づいたらいったんその思考内容から離れて「いま思考が起こった」という事実だけを確認します。
また、いままで無意識に行っていた動作も注意深く観察してみます。
たとえば食事のときに皿から口まで食べ物を運ぶ間に起こっている様々な事象は、無意識に食欲にまかせて食べているときには気づかずにいつのまに口に入っていたりしますが、細かく観察すると1秒の間にも「箸で食べ物に触れた感触」「箸で食べ物をつまんだ圧力」「食べ物を持ち上げた重さ」「箸を上にあげる速度」「箸を上げるときに曲がった肘の感覚」「手を上にあげていくときの筋肉の感覚」「食べ物が口に近づいてくるときの口内の唾液の感触」「口を開く感覚」「家族の会話が聞こえる」「食べ物が唇に触れた感触」・・・等々、細かく分割していけば無限の事象が発生しているわけです。
それらのすべてを細かく見て行かなくてはならないわけではありませんが、気づきの鋭敏さのそれぞれのレベルに応じて、その瞬間、五感や意識に触れてきたことをただ見ていきます。
本来は、ネガティブな思考であれポジティブな思考であれニュートラルな事象であれ、すべて生じていることは覚醒の顕れであり、すべての事象が認識された瞬間に現象世界が顕れては消えていっているのであって、そのこと自体がすでに覚醒の証明なのですが、現象世界が顕れていることを当たり前だと思ってしまっているために目の前に顕れている神秘に気づかずに思考に巻き込まれ続けている状態になっています。
まずはその無意識の状態に気づいてすべてのことに意識的になることによって、思考と思考のあいだの隙間に気づき、そのときに起こっている様々な現象に気づいていきます。
事象が気づかれる瞬間というのはまさに現象が生み出され、世界が生み出される瞬間なのです。
そのことに気づいたとき、今まさにこの自分が世界と覚醒のポータルとしてあり現象の生成に立ち会っているという驚きと感動が生じるはずです。
結論をいってしまうと、無限に切れ目のない気づきの連続が、いま目の前に顕れている世界そのものなのです。
気づいていることに気づいていないだけで、気づいた結果としての総体が、目の前にあたかも脳から飛び出して外にあるかのように「世界」として見られているのです。
エゴは思考に巻き込まれている状態が自分だと勘違いしているので、思考を客観的に観察して思考以外の事象に気づいていくことを最初は嫌がりますが、徐々に観察する意識が定着してくると、思考と思考の隙間であらゆる事象がハートに直接響いてくるようになってきます。
長くなりましたが、最初はあまり気負わずにやってみていただけたらと思います。
もし思考に巻き込まれてしまったとしても自分の不注意を責めず、巻き込まれたことに気づいた段階で毎回リセットして新たに気づいていけば問題ありません。
最初は根気がいるかもしれませんが、観察する意識を定着させることは必ず一生の宝物になると思います。
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