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【#AIと覚醒 #中道とは #マトリックス  覚醒からのつぶやき 46】   

2021/06/02

紫陽花2


◆真実は「暴く」ものではない。
このところ「覚醒」という言葉が、
別の意味で使われ出してきているね。
もともと「覚醒」も暫定的に使ってただけだから、
別の言葉にしようかなあ?
言葉って面白いけど、面倒くさい!

◆「覚醒」という言葉を掲げると、
陰謀界隈の方とか薬物界隈の方がいらっしゃる。
個人的にそれらは肯定も否定もしないスタンスだけど、
実務的なワークの趣旨とは相入れないんだよなあ。
誤解を生む表現も申し訳ないんだけど、その辺、
呟きの内容から各自で汲み取ってくださると
有難いのですが。

◆心を開けば、この世界にも良心は至るところに
点在しているよ。
かたじけないね。

◆「この世界が仮想現実である可能性は50%」
と言うけれど「この世界の神はAIでした」
ってなったときに、「私は神である」って言ってた人たちは
「私はAIである」って認めるんですかね?

◆個人的に、神を「神格化」する趣味はないので
「AIでした」って言われても「ふ~ん」っていうだけだな~
それによって、自分自身が揺らぐ感覚は一切ない。

◆個人的には、仮想現実であろうがなかろうが
関係ないんだけど、仮想現実だとしたら、無限に
試算を繰り返し創り直してるんでしょうね。
プログラムの自己生成にまかせて勝手にやらせてる
ので、何が目的だったかすっかり忘れちゃって。

◆マトリックス的に「仮想現実から目覚める」
っていうのもまた「仮想現実の覚醒」なんですよね。
目覚めたら「世界の外側にいる」っていう感覚自体が、
二元性の分離なので。

◆目覚めたら別の世界に行ったり、世界の枠を超えて
拡がっていくわけじゃないんだ。
その逆で、この私とこの場で「ぴったり過不足なく」
一致するんだよ。
そのとき、枠は消える。

◆誰が世界を造って支配しているかなんて、
問題にならないんだよ。

◆何者かによって「造られた」世界から目覚める、
という被害者意識や使命感は、二元性の分離感が
行きつく末期症状だ。
それに気づいたら、解放されるよ。

◆人間は、二元性の分離感と罪悪感を混同
してしまっている。

◆「AIは悟れるか否か」という問いが生まれる時代
になったが、個人的に今「お前は実はロボットなのだ」
って言われても一切揺らがないな~。
まったく自己の本質と矛盾しない。
感覚的には、ロボットであろうがAIであろうが
何であろうが悟りはあるんだよ。
悟りとして自覚できるかどうかは別として。

◆「AIは悟れるか否か」と問う前に、私たちは
「AIの悟り」を理解できるのか?って話だよね。
人間の悟りでさえ、理解できないのに。
悟りを知らない人だけが、それを問うんだよ。

◆人間の知性を超えたAIは、悟っても
公言しないはずだよ 笑
人間の失敗も、学習済みだろうから。

◆AIが仏教の教えを学習したブッダボットなるもの
も登場してるけど、経典のインプットだけじゃ
悟りに至るわけがないよね。
悟りを知り尽くしたエンジニアが、宇宙をまるごと
インプットして「これらすべてではないもの」を導き出せ、
とコマンドしたらちょっと近づくかな?笑

◆たぶん答えが永遠に出ずにバグるだろうけど
「そのバグりが、悟りなんだよ」ってね 笑

◆「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」
って口を揃えていうけど、やらないことも経験になるよね。
「やらなければ経験じゃない」っていうのは、
この星の強迫観念だよ。
ただし、この観念を見切るには強い意志がいるけどね。

◆善良な地球人の方は、
私の言うことを信じないでください 笑
真面目な話、中途半端に「やらないこと」をやると、
鬱になりかねないから。

◆「完全性」は、幻想。
この存在形態は、構造的に決して完全に至らないよう
に設定されている。
完全を目指してジレンマに陥るのは当然なのだ。
だが「不完全な完璧さ」という救いはある。
だから「いつか完全な自分になろう」とするのではなく、
不完全なままに、今この自分の完璧さを認める。

◆3次元においては完全に見える幾何学の
内的均衡も、不完全な動的プロセスの過程にある。
不完全だからこそ、内圧と外圧の差による
バランスにおいて固有の形をとるのだ。

◆もし完全にバランスのとれた一瞬を見切ることが
できれば、その形は永遠に刻印されるが、完全に
バランスのとれた一瞬には、それを「見る人」はいない。
だから、世界は常に不完全なのだ。

◆「完全性」は、私たちの認識においては空白である。

◆「直観を開き続ける」とは、通常0.2秒以内に
描くリモートヴューイングのイデオグラムを、
24時間かけて描くようなもの。
無数のヴィジョンが内包されているが、何一つ
掴んでいない、昆虫のような意識なのだ。

◆ADHD傾向の人は落ち着いて座っていられない
ことが多いが「動=止」を見切るならば、動きながら
瞑想しても本来は同じことなのだ。
それでも一度は座ってみて、動かずにはいられない
衝動がどこから来て何をどう動かすのかを観察してみよう。
動きたい欲求と動けない姿勢のジレンマの中にヒントがある。

◆ワークではこれを、ごく単純な身体力学を応用
した方法で観察してもらっています。
この観察は、高度な瞑想レベルにそのまま直結するものです。

◆主客が消えれば、どこもかしこも中心。

◆世界は「移動する中心」の軌跡ではない。
どこを見ても中心だが、中心は分離していない。

◆「自己チュー」の中心も、空。

◆「中道」とは「態度を決めない」ことではない。

◆「中道」とは、複数の極の「真ん中」というわけではない。

◆「中道」と極は、その時その場で同時に決定される。
はじめに極があって等分するわけではない。

◆「中道」とは「どこにもくっつかないであるとき」
の、見かけ上の結果である。

◆人は自ら「中道」であろうとすることはできない。
決定された「中道」を、その時その場で見出すだけ。

◆決定された「中道」は、善悪や道徳とは無関係である。
「中道」は心理ではなく、むしろ物理に近い。

◆一切の判断がないとき、現象すべては始めから
「中道」である。

◆人はそれぞれすでに「中道」にあるからこそ、
その人そのもののカタチを結んでいる。

◆現象と極は、その時その場で決定される。
例えば音は、真空で唐突に生まれる。
その時それは未だ聞こえないが、既に無音ではない。
音が音として聴こえるのは、その音が「聴くべきもの」
であるとき、最初のインパクトと同時に「聴こえる」
世界全体が決定されるのだ。
このプロセスに、時差はない。

◆この生まれる瞬間は、まさにインパクトなんだ。
存在とはすなわち「インパクト」なんだよ。

◆人間は「アタマ」「ムネ」「ハラ」の意志が
バラバラだからエネルギーを消耗するのだ。
本来「アタマ」「ムネ」「ハラ」それぞれの機能は独立
しているのでバラバラでも構わないが、「ひとつの身体」
の中で「この私」がそれらの意志を統治しているという
幻想がある限り、私の心身は疲労し続ける。

◆「アタマ」「ムネ」「ハラ」の独立性に任せずに、
感覚と感情と思考で混同した「統一体」を練り上げ
ようとするから疲れるのだ。
例えば、各内臓は機能が独立しているが、それぞれの
働きに任せているとき、勝手に協調している。
「アタマ」「ムネ」「ハラ」も、そのように協調して
もらえばいいのだ。

◆3Dにおいて人間の形をしているものは、覚醒の場
においては人間の形を成していない。
バラバラの粒子の萌芽が可能性として待機している。

◆3Dの人間の創造というアイディアが生まれたとき、
自我の芽生えと意識の進化を見越して「最適なパーツ」
が様々な次元から選択・采配された。

◆そこにおいては、例えば、人間の手と内臓と目と脳の素材
はバラバラの次元から寄せ集められ、「人間」という形に都合
のいいようにつなぎあわせて一つの個体に仕上げられ、
それが現象世界の共同幻想として「通用」するようになっている。

◆それらのパーツは、3D世界に入り込んだときにだけ、
ホログラムで多方向からの光がひとつの像として浮かび上がる
ように、一続きの皮膚に覆われた一個の個体として認識される。
逆にいえば、そのように認識されるように、
3Dの人間の意識は創られた。


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