【#ソウルメイト #コールドリーディング #慈悲 覚醒からのつぶやき 54】

◆選択肢は「目の前」じゃなくて「目の裏」にあるんだよ。
結局それは選べないんだけどね。
◆何も期待しないが、軽視もしない。
執着はしないが、無視もしない。
それが、この世界への最大の尊重だ。
◆「期待しないこと」は「諦め」ではないよ。
一切の期待がないとき、自律したエネルギーが
沸々と沸き起こってくる。
◆「ソウルメイト」の対義語って「ボディメイト」なのかな?
即物的すぎるね 笑
◆「肉体」意識の誕生には、潜在的に「吸引の圧」
がトラウマとして組み込まれているんだよ。
そのトラウマが「産道の圧」と「母体との切り離し」
という物語のトラウマにすり替わってしまうんだ。
誕生を逆に辿れば、すり替わりの瞬間を見切ることができる。
◆「肉体の誕生」とは、素朴な信仰だ。
◆「神秘」への畏れには、未知に打ち勝とうとする
野心が隠れている。
◆死は「無音だから静か」ってわけじゃないんだ。
肉体は衰弱していくので見かけ上は静かに見えるけど、
肉体から解放された死は圧倒的なパワーそのものだ。
それは、爆音の響きを聴く直前の音圧みたいなもの。
ただし「死後の意識=覚醒」というわけではない。
◆お経は死者への道案内サービスだけど、皮肉なことに
お経に耳を傾けると、またフワッと生まれてきちゃうよね。
◆自由意志はないけど、存在の自律はある。
◆「私は神だ!」という私はいるけど「神は私だ!」
という神はいない。
◆「生まれも死にもしない」という事実を、永遠性に
気絶せずプラグマティックに見切ろう。
◆人は永遠性に「想いを馳せる」とき、
知覚の限界に自ら閉じこもっている。
知り得ないことを陳腐なイメージに還元してしまうか、
神秘の靄に気絶してしまうからだ。
◆創造の「意志」は「意図」する前に動いてしまっている。
◆論理的な狂気が一番やっかいだよね。
論理は論理だけで成立してしまうから。
内的な根拠は存在しなくても、構造の強度は組みあがる。
◆とはいえ、真に論理的な思考など、
そうそうお目にかかれない。
論理的に見える主張も、単純な好悪に突き動かされてる
ことがほとんどだから。
◆「わかる」は動きの中にしかない。
◆自己は、拡大も縮小もしない。
◆そろそろ、覚醒「感覚」から解き放たれよう。
◆幸福と進化を混同しない。
不幸と停滞を混同しない。
◆進化は、使命ではなく生理です。
◆世界とは、主体不在の「反応」です。
◆是非はともかく「コールドリーディング」って、
この世だからこそ学べる楽しい技術だよね。
◆カルマを「脅し」に使うのは、
直列的時空のネガティブな対機説法。
だからといって「因果に無責任になれ」
と言ってるわけじゃないよ。
◆理由のある幸せは、必ず過ぎ去る。
理由のある不幸も、必ず過ぎ去る。
◆人間は割り切れない計算を諦めるが、
AIは永遠に諦めない。
どちらが「正気」かは、それこそ割り切れない。
◆円周率3世代を笑う、円周率3.14世代 笑
◆永遠において、円周率は完結している。
◆「聖地」と呼ばれる場所をいろいろ見てきたけど、
完全にフラットな聖地って見たことないね。
陰影がないと人は畏れとしての
「神聖さ」を読み取れないから。
◆「完全なフラットさ」は知覚できないけど、
誰もが直接知っているものなんだよ。
◆「概念を創る人」は全体を把握しているが
「概念を使う人」は部分に気絶している。
◆「知ることができる」ことを知らなければ、
知ることができない。
◆人智は脆弱な陣地。
◆この世はイリュージョンだが、だからといって
世界が嘘だというわけではない。
◆騙す者も騙される者もいない。
「騙されているのではないか?」
という恐れの投影だけがある。
◆何も信じられなくなった時、救ってくれるのは
「今まさにここにある」という事実だけだよ。
だけど、疑心暗鬼になると事実から逃げるという、
逆のことをしてしまうんだよね。
◆私たちは常に、
事実からタイムスリップしつづけている。
◆「今ここにあること」を「停滞すること」
と勘違いするので、エゴは嫌がるのだ。
「ここ」は、停滞なんかじゃなくて最速なんだけどね。
◆「リアリティ」はすでにバーチャルなので、
VRは「バーチャル(バーチャル)リアリティ」だ。
◆reality ≠ fact ≠ truth
◆realityを信じてfactを探しtruthを夢見る私たち。
◆矛盾はリアルの証。
◆「開いていること」と「人間的なフランクさ」
は、必ずしもリンクしない。
◆思考・感情・生理に還元されない、存在の
生々しい「覚(かく)」というべきものがある。
それに、撃ち抜かれているかどうか。
◆すべての思考は、例外なく血肉を伴っている。
◆思考は血肉を必要とするが、
血肉は思考を必要としない。
血肉が必要とするのは、意志だ。
◆試練は乗り越えるのではなく、中心で撃ち抜く。
◆脳が生んだ神は「神らしさ」を演出する。
◆神の「期待」に応えようとすると罪悪感が生まれる。
◆神は私たちを「試す」などというケチなことはしない。
◆「神ごと」とは「人ごと」である。
◆神は、いかなる語り口調も持たない。
◆人型と重力は、神に「足を向ける」
ことをタブーにする。
◆タブーは破るのではなく、ただ見切る。
◆神は、上にも下にもいない。
◆「物分かりのよさ」は、往々にして修行を
習業にしてしまう。
◆「打てば響く」人は、打ってから響いている。
◆覚醒は正解を求めることではない。
◆「それ」は唐突かつ孤高の発見であって、
予感された正解に寄せていく感覚とは真逆。
◆「摂理=正解」ではない。
◆覚醒において、等号と不等号の区別はない。
◆唯一神の盲信は、無知な単品ダイエットに似ている。
◆信じる者は「信じる範囲内でのみ」
救われたり救われなかったりする。
◆記号にも象徴にも置き換えられないものが、
世界のテンションを保っている。
◆目玉の動きを目玉の裏側から見るとき、
目玉は見えないという単純な事実を見る。
◆信を念じない。
◆探す者は、探される者。
◆彷徨う私は、私の宇宙のお尋ね者。
◆在るものは消えることができるが、
無いものは消えることができない。
◆消えたものは、無くなったわけではない。
◆無には気づけない。
有の不在に気づいているだけ。
◆「不在」は感覚。
◆「不在」の不在感に気絶しない。
◆「在る」に気づこうとすると、
私という存在感に気絶してしまう。
◆「選択権」なき選択の清潔さを知ろう。
◆世界と対面するかぎり、
世界は世界に気づけない。
◆自分の顔が見えない代わりに、
世界の顔を見ている。
◆鏡の記憶を忘れて、顔の不在に気づこう。
◆自分の顔は、近くて遠いUMA。
◆顔が自分の象徴だと勘違いしている私たちは、
顔の存在を証明してくれる相手を探し続ける。
◆私たちは本来「顔無し」というより
「首無し」なんだよ。
◆高飛び込みのように、ノースプラッシュで
シュパッと中心で揮発する。
◆感性に淫する前の直観を見切る。
◆間延びした感性よりは、
概念化された言葉のほうがマシ。
◆自分自身の臭いがわからないように、
世界自身の臭いがわからなくなっている。
◆自分自身と慣れ合わない。
◆「自分っぽさ」に気絶しない。
◆「自分らしさ」は「らしさ」に留まる。
◆夢のような夢。
◆「世界」は「世界」の暗喩。
◆クラインのマトリョーシカ。
◆承認される欲求と承認する欲求の需要と供給
のバランスが崩れた世界には、神が必要だった。
◆私たちの生は、メロディとリズムが分離している。
◆私たちは「綺麗な死体」になるために
生きているのではない。
◆意地は生死を硬くする。
◆世界とは「不完全な死」の残像です。
◆「誕生時刻」も「死亡時刻」も、永遠に計れない。
◆意図的に「手離し」された思念は、
宇宙ゴミとなって漂い続ける。
◆思考は、世界の虫食い穴。
◆慈悲は行為ではない。
◆慈悲とは、不動の「眼差し」である。
◆想念が、慈悲の「化身」を生む。
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