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【#私は何者か #神の口調 #地獄と死  覚醒からのつぶやき 56】    

2021/08/22

夏



◆外側の現実に「起きる」のではなく、
その場で目を開けたまま「覚める」。

◆「覚めている」というよりも「覚めてしまっている」

◆完全に成就した存在は、過不足なくぴったり収まって
いるので、誰の目にも留まらず遍在している。

◆人類が理性でねじ伏せた「暗闇への本能的恐怖」
は手を変え品を変え、今なお薄っすらとした不安を
呼び起こし続けている。

◆この物語は「ぜったいに動くなよ?」と言われたのに、
耐え切れず動いてしまった者たちのドタバタ回収劇。

◆シンクロを「構築」に使うか「解体」に使うかが、
分かれ道です。

◆スマホに夢中になって周囲の音も景色も忘れている時
の没入感の入口と出口に気づこう。
そこには、レイヤーの鮮烈な切り替わりがある。

◆「私は何者か」という問いは、何者かであろうとする
私の欠乏感から起こる。

◆「何者でもないこと」は、諦めの所産ではない。

◆サマディとは、極限まで圧縮された力を
拡大鏡で覗き続ける作業です。
ただし、サマディ自体は状態であって覚醒ではありません。

◆「ダルマさんが転んだ」
振り向いた時にはもう、666体のダルマが通り去った後だった。

◆神は「~しろ」「~するな」と命令しない。
私に命令しているのは、私自身。

◆「~しろ」「~するな」
心の声にしろ、思考にしろ、直観にしろ、チャネリングにしろ、
その声色や口調が誰のものかを見極める。
それらはほぼ100%、自分の声と記憶から引っ張ってきた
誰かの声とのミックスなのだ。

◆直観は言葉の配列に変換されたとたん、
自分自身の声が混入する。

◆瞑想の極限では、ビリビリした波動に様々な声
が混線してくる。
それらは核心に直接触れてくるが、いかなる甘い言葉
にも脅しにも耳を傾けないという強い意志が必要になる。
「悪魔との対話」は、比喩ではない。
しかし、悪魔と対話が成り立つのはブッダのみなのだ。

◆不可知の何者かによって「裁かれる」という、
刷り込まれた強迫観念を解く。

◆スピリチュアルという名の同調圧力は
「進化する」という存在意義を保つため、
ヒステリックに階層にこだわる。

◆階層を展開するなら、足元の地獄を踏み台に
していることだけは忘れないでほしい。

◆覚醒のトリガーというものはない。
引金をひく初めから終わりまで、
途切れなく覚醒だからだ。

◆石が当たって悟るのではなく
「当たる石」として悟りがある。

◆永遠は、天国にも地獄にもなる。

◆「死んだら終わり」と理性で割り切っている人は
「生の一回性」を時間軸上で擬似シミュレートし
(なんという矛盾!)今ここにある苦を紛らわそうと
している。

◆逆に「生まれ変わって、ずっと生きられる〜!」
とはしゃいでいる人も、時間軸上で輪廻の生を
永遠と勘違いしている。

◆都合のいい時だけ神を呼び出していると、
都合のいい神しか来なくなる。

◆理性に信念を持っているというより、理性で
食いしばった歯の実感を信じて生きているんだね。
ボロボロの歯と共に朽ちるつもりなの?

◆宇宙に自分一人しかいないとき、言葉は生まれますか?

◆私たちの想念のかくれんぼスキルなんて、自分が目つぶって
隠れてるつもりなだけで、全方向丸見えだからね。

◆二元かくれんぼは、素朴すぎる。

◆現象の複雑性と構造の複雑性は、比例しない。

◆存在は、情報の運び屋ではない。

◆情報・機能・生産に還元されないものを発見する。

◆「非合理な合理性」vs.「合理的な非合理」
の勢力分布図。

◆時空は体が打刻する。
肉体は私が刻印する。

◆「貶されたくないが、褒められはしたい」
というのは、虫のいい話。
ひとつとして在るとき、自分自身を評価する
者はいないのだから。

◆神は、ベビーシッターではない。
マザーも本来、シッターではなかった。

◆「私はわたし」という台詞にト書きを加えていったら、
ト書きが宇宙になってしまった。

◆質量が歪みきる前に創造が羽ばたき、
世界をギリギリ引っ張り上げている。

◆都度都度、世界は書き換わるが、
上書きによってではない。

◆肉を形成できなかった想念群は、
気配のまま背景に隠れる。

◆記憶の圧縮と解凍のコントロールを、
魔術として受け継いできた世界。

◆パートナー曰く
「地獄と死のつぶやき多いよね」
モチロンソウヨ!
それ以上にリアルなことって、この世にあります?

◆「天国」のつぶやきは、4つしかありませんでした 笑

◆今は亡き、極北の野狐は言った。
「(堕ち切った)底辺は崩れない」。
虚実混交の人だったが「地獄の発心」とでも
言うべき生々しいインパクトだけは残した。

◆こんなのあった 笑
『魁!!男塾』より「地獄禅」
数人が1本のロープでつながれ、
頭上に硫酸の入ったカップをのせて行う座禅。
ひとりが動けば全員が硫酸をかぶる、
一蓮托生のまさに地獄の修行。

◆そういえば、茶碗を頭にのせて
座禅する人もいたっけ…
え、まさか元ネタ?!

◆信者でもないし今となっては無粋な話になるけど、
ホワイトアウトのポイントは、茶碗が乗る位置よりも
2~3センチ後ろにあります。
本当のポイントに茶碗を乗せても落っこちるよ。
乗っかる位置だと、妄想にハマるでしょうね。
単純に、前頭筋が下がるでしょ。

◆目的はちょっと違うんだけど、
私も頭にビー玉のせるワークやってます 笑
自画自賛するけど、なかなかいいですよ、これ。

◆Bhagavān(ヴァガヴァン:神)の Pāpa(パーパ:罪)
サンスクリット語で統一すると、なにやら不穏な気配に!

◆ちなみに「タリラリラ~ン」は、ターラー菩薩の真言
「tare tuttare ture svaha」らしいよ?

◆魂を肝に隠すと、人の間になる。

◆心理と物理に還元された苦は、解決できる。
解決不能な苦に触れたとき、発心が起こる。

◆「苦」は「苦しみ」を超えている。

◆地球人全員、なんらかのマイノリティ。

◆空(くう)は、画素に置き換えられない。
置き換えを目指す瞑想は早晩、行き詰る。

◆「インプット」「アウトプット」という
発想から自由になる。
世界はただ「プット」されている。

◆両手の先ギリギリの、もやもやした境界を見る。
両目の端ギリギリの、もやもやした境界を見る。
視角の角ギリギリの、もやもやした境界を見る。
肉と想念ギリギリの、もやもやした境界を見る。
私と他者ギリギリの、もやもやした境界を見る。
それら全ての、もやもやへ気絶する境界を見る。

◆「いち、に、さん!」で起きずに
「!んさ、に、ちい」で還ろう。

◆「生きがい」は「生」そのものではない。

◆「悟り」を生きがいにしない。

◆さっき、ベランダのサンダル履いたら
「ジジジジジジ!!」と蝉が飛び出した。
足裏で「セミファイナル」を感じる晩夏。


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