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「マトリックスと恩寵の鍵」 【10/30 (土) 東京ワーク ~所感と解説~ その1】     

2021/11/01

緊急事態宣言が明け、10/30(土)東京にて4か月ぶりにワークを開催しました。

説明
今回なぜか女性の参加者さんが多かった!


【全体に気づく】

7時間におよぶ長丁場だと、どうしても疲れが出てきて、休憩時間中に部屋の空間
が「旅館の宴会の徹夜明け(和室なので 笑)」のような空気感になる一幕がありました。

女性原理のマトリックスにおける空間のテンションと密度は、あたかも女性の心理と生理
のように刻々と移り変わっていきます。

その流れとうねりを微細に読み取り、常に空間全体に気づいてあることで、いつの間
にかその場の空気に気絶し場に飲み込まれることがなくなっていきます。

この感覚はタントラ的な意味において、このマトリックスにおける恩寵の鍵なのです。


ちなみに以前、ツイッターでこのように呟いたことがあります。

◆気づきに気づいている人が2人以上いる空間は、ピーンと冴える。
1人以下だと、場の影響下にボーッと流され続ける。

◆気づきに気づいている人は場を超えた全体に気づいているので、
場のエネルギーのうねりに飲み込まれない。
だから、空気がパキっと澄む。
それは法悦ではなく、静謐なエネルギーだ。




【経営者と従業員の気づき】

この話が出た時、ある参加者さんが「(経営している店舗の)従業員が『全体』に気づいて
動くようになるにはどうしたらいいでしょうか?」と質問されました。

まず前提として、時給労働の従業員は基本的に「時給以上の働きをする義務はない」
というスタンスですから、経営者の思惑どおり全体を見て動こうとする人は稀なわけです。

「全体を見る」のは管理者の責任であって、それを経営者が強要すればパワハラと
取られてしまっても仕方ありません。

ただ、もし「この店が好きで、ずっと働きたい」と思うような環境が整っていれば、時給に
関係なく自覚的に全体を見て動く人が出てくるのではないでしょうか。

そのための環境づくりという点では、まず全体を見通せる経営者の自覚的な意識で空間を整え
(管理側の一方的な意識ではなく)従業員との信頼関係を築くことが先決ということになります。
(もちろん、この参加者さんは愛を持って日々そのための多大な努力をされていますが)

先に述べたように、従業員全員が自覚的に動くことは期待できなくても、全体に自覚的な人が
数人いれば空間は整うのです。



【創造の参画者】

これは、現象世界であっても同じことがいえます。

無自覚的・被害者的に「使われてる」意識の人の多くは、この世界において
「報酬以上の働きをする義務はない」というスタンスです。

だから全体を見ることもないし、自分のことだけを考えて一生を終えます。

「全体を見る」のは管理者(組織・制度・国、あるいは上位次元の存在や創造主)の責任なので、
管理に不満がありながらも自覚的に動こうとはしません。


しかし、全体の一部であることの自覚が生まれた「半覚醒者」は、被創造と創造のあいだの
意識で自覚的に動くようになります。

「この愛する世界で働きたい」という意識が生まれ、創造に参画している自覚があるからです。

そこには、この世界と自分自身への信頼があり、他者に対する責任転嫁はありません。

その意識を持った人は、常に全体を自分自身のこととして見ています。


実際、このような意識の人が世界に複数配置され、全体のテンションと密度を保っている
というスピリチュアル的な話を聞いたことがあるかもしれません。

そこまで大きな話ではなくても、少なくともこの私の意識の届く範囲の空間は、
他でもない私自身が気づいてあることで「そうであるべき」テンションが保たれるということです。


「創造の参画」といっても「世界を変えなくては」とか「世界を救わなくては」
などの大上段の強迫観念は必要ありません。

なぜなら、私たちはただ呼吸して在るだけで世界を創造しているからです。

各々がそのままであることによって、世界が保たれているということに
気づくだけでいいのです。


「自覚的に動く」というのはただ、私が私として在ることの一挙手一投足が今まさに
世界の創造に参画しているという強烈な気づきを持って動くということです。

たとえばいま私がイライラして「は~」とため息をつけば、そのとき「ため息としての世界」
がここに生まれ、安心して「ほっ」と一息つけば、そのとき「ほっと寛いだ世界」
がここに生まれるのです。

ため息の世界も、寛ぎの世界も、相対的なものであって良し悪しはないのですが
「半覚醒者」は創造と被創造のあいだにあってそのどちらかが選択されることを見かけ上
の能動感を伴って「目撃」します。


なぜ『半』覚醒者なのかといえば、完全な覚醒には能動感も受動感も創造者も
被創造者も善も悪も存在しないからです。

だから「この世界を愛し参画する創造者」とは常に「半覚醒者」でしかあり得ないのです。

そして「半覚醒者」は人間としてこの世界を愛するからこそ、人間にとっての幸せである
寛ぎと悦びの世界を「その人そのものとして」願うのです。



【真ん中を見る】

ボール


今回のワークでは「真ん中を見る」ことがメインテーマのひとつでした。

その一環でボールを使ったワーク(全員でひとつのボールを各自指一本で支える)を行ったのですが、
ボールを支えていると、全員の無意識の意志によってボールの中心が瞬間瞬間に決定され移動していきます。

このときボールを通して、無意識とはいえ各自の意志の方向性や思惑が伝わってくるのが面白かったです。

(ちなみに以前このワークを行ったときに参加者さんのひとりが「コックリさんみたいですね」と
言われたのですが、コックリさんだと中心は何者かに乗っ取られてますよね 笑)


例えば、前回と違って今回の参加メンバーの場合、なぜか何度もボールが天井方向に
高く上がっていってしまいました。

そこでも各自の思惑が直接伝わってきました。

ある人は無意識にボールが落ちないように意図していたり、ある人は全員の行きたい方向を
加速させていたり、ある人は加速を止めようとしていたりするのが、目をつぶっていても支えている
指一本でダイレクトにわかります。

この世界ではこのように、様々な人の無意識の思惑がその瞬間瞬間の関係性と中心を決定し、
現象が動いていっているのです。


~ボールのワーク 参照記事~ ⇒ 「壁抜けの術」 【3/28(日) 東京ワーク~所感と解説~】

今回、ワークで指一本の壁抜けならぬ「壁押し」をやりました。


指で壁を押したり押し戻されたりをしばらく繰り返していると、
物理的な押し引きの運動の中心に、不動の空白のようなものが
あることを発見します。

指と壁という概念をただそこに「置いて」おき、能動でも受動でも
ない中心と自分の中心を合わせて見続けていくと、相対的な動きに
左右されない何かが、生々しい感触で立ち顕われてくるのです。


集中力が途切れて、ある瞬間が切り取られたときには、そこは指と
壁の物理的な間の中心点なのですが、ひたすら中心を見続けていく
ときには、どこまでいっても座標のない空白です。(空白は空間では
ありません)


ある参加者さん(集中力に恵まれた方)は、見続けていくうちに「妙な
感覚になってくる」と漏らされました。

確かにそれは奇妙な感覚です。


自分がどこにいるかわからなくなって、中心がうねりを伴って次々に迫って
くるからです。

このうねりは一瞬一瞬、断続的な認識のゆらぎが引き起こすノイズであって、
中心自体はゆらぎません。


この一見、単純なことが実はすべてに通底しています。

物質・思考・感情・原子の区別なく、
どこを切り取っても無限にそれがあります。

壁の押し引きは、見かけ上は物理的な力学ですが、
力学を超えたそれが同時にあるのです。


この感覚を見た後に、参加者さん全員でひとつのボールを
人差し指一本で支えあってもらいました。

全員の押し引きがぴったり釣り合ったときには、ボールは
空中でピタッと止まります。


ボールの中心は各自の中心と一致して「そこでしかないところ」
に浮いています。

その時、中心はボールの形状と質量から解放されているのです。


そして、中心に一致している各自もその瞬間、解放されています。

次の瞬間、誰かの動きが連動して、全体とボールの位置が動きますが、
動きながらその中心は途切れなく顕われ続けます。


物理的なボールの中心は移動しますが、
解放されている中心には座標がないので移動しません。

移動しないといっても場所のないどこかに固定されているわけではなく、
無限に立ち顕われつつそこにずっとあり続けているのです。


これはまた、物理的なバランスの釣り合いも超えています。

例えば、誰かが態勢を崩してボールが床に落ちそうになっても、
そこにも中心が在り続けます。

ボールを支えてバランスをとっていたのは、ボールと自分と他者が
消える感覚を知るための仕掛けにすぎず、その感覚がつかめたときには、
物理的にボールに触れているか触れていないかは問題でなくなります。


こうして、映るものすべてがめくるめく中心の顕われとなるのです。




【即時決定される中心と世界】

また「真ん中を見る」ワークの応用で、一畳程度の大きさの布の周囲を全員で持ち、
刻々と全体のバランスが変化するとともに中心が決定されていく様子を感じとっていきました。

布


全員の意志が同じぐらいのレベルで釣り合っていれば、布はわずかに波打つ程度で中心も
それほど移動しません。(完全に釣り合った瞬間は、引っ張っている感覚自体がなくなります)

しばらく目をつぶって中心の決定と移動を感じとっていると、だんだん全体が引き合うゆらぎと
自分の中心が一致して、波に身を任せるような酩酊状態に入ってきます。
(現象世界は実際、布の膜のようにハートと裏表なくつながっています)

私は普段「うねりに気絶しない」ことを重要視していますが、ここではあえてうねりに酔い続ける
ことによって全体と共にある自分を体感していただきました。


例えばここでもし、誰かが全体を無視して突然布を強く引っ張れば「心地よさ」としてあったバランスは
一気に崩れるでしょう。

しかし崩れたら崩れたで、そこには決定された中心が生まれるのです。

そして、強いテンションはそれに見合う強いテンションと引き合い、新たなバランスの世界を生み出します。

それはエゴイスティックで粗雑な引っ張り合いですが、その瞬間の世界と、先の心地いい世界は、
すでに別の世界なのです。

布は途切れなく揺らいでいるように見えますが、中心と関係性は瞬間瞬間に決定され、そのどれもが、
ひとつの世界として独立しているのです。



【全体と局所~優しい世界】

さらに「真ん中を見る」ワークの応用で、全員で輪になって手をつなぎ、全体の引っ張り合いに委ね、
輪が移動していくのに任せました。


輪の形や引っ張り合いのテンションは刻々と変化していき、その都度、中心が決定されていきます。

つないでいる手から伝わってくる意志や方向性に身を任せていると、輪は生き物のように形を変えたり
回転したり交差したりしていきます。


ところが交差しようとしたある瞬間、一人の方の手が捩じれて動けなくなってしまいました。

このとき、それに気づいた全体が連動してその方の捩じれを解くように動くと、再び全体が
スムーズに流れ出しました。

これが、全体と局所の連動し協力しあった、優しい現象世界の縮図なのです。


~その2~に続きます。
⇒ 「3次元の直立と生の意志」 【10/30(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その2】


笑い



関連記事 ⇒ 「軸に消える」 【1/12 (日) 東京ワーク ~所感と解説~ その1】


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