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「自分を描けるか?」 【11/21(日) 東京ワーク ~所感と解説~】     

2021/11/23

11/21(日)東京にてワークを開催しました。

バランス3
バランスボードの上で片足立ち

【自画像と自分】

はじめに、参加者さんに「自画像」を描いていただきました。

似顔絵
もくもくと「自画像」を描く参加者さん


このときただ「自画像を描いてください」と言ったところ、3分ほどかけて全員迷いなく
正面向きの「自分の顔」のアップを描きました。

それはそれで間違いではないのですが、はたして自画像の「自分=顔」
である必然はあるでしょうか?

自1 自3 自5
※ 1回目に描いた自画像


参加者さんに聞いたところ、顔の描き方のパターンは以下の3つでした。

①鏡に映ったときの自分の顔のイメージを思い出しながら描いた
②他人から言われたことのある自分の顔の特徴を思い出しながら描いた
③今これを描いている時の顔のパーツの感覚をなぞるように描いた。

つまり③以外は、記憶の中の顔のイメージを描いているということになります。

③も、今この瞬間の感覚を見て描いてはいますが、自分を「顔」というひとかたまり
のイメージに当てはめようとする意図が働いています。


これらは「自画像」という言葉に囚われてしまったとも言えますが、本当に今この瞬間
の「自分」とは記憶の中の「顔」なのでしょうか?

この瞬間の「自分」とは、顔であれ体であれ一続きのまとまったイメージとして
存在するのでしょうか?

例えば「輪郭を描いて目を描いて鼻を描いて口を描いて…」とやっている時点で、
そのイメージは記憶と時間によって編集された産物なのです。



【今この瞬間の自分】

次に、参加者さんに「5秒で今この瞬間の自分を描いてください」と言いました。

その結果、こんどは記憶のイメージをなぞる暇もないうちに、文字通りその瞬間に
気づかれた生のままの感覚がそのまま映し出されました。

それがまさに、各自にとってその瞬間の「自分」だったのです。


中でも感心したのが、思考が働く前に5秒で目の前に映る参加者さん数名を
描いた方がいたことです。(色が薄いため画像は割愛します)

その方にとって、そのとき目に映った空間そのものが「自分」だったのです。

これは、すでにワンネス感覚といってもいいでしょう。

自2 自4 自6
※ 2回目に描いた「自画像」



【自分というイメージ】

以前、大阪で開催したワークでも自画像を描いていただいたのですが、そのときの
参加者さんは顔ではなく木のイメージを描かれました。

それも間違いではないのですが、そこにも「自分=木」といった象徴的なイメージの
固定があるのです。


⇒ 「自己イメージ」【1/13(日 大阪ワーク ~ご感想と応答】より

「まず自分を描くというワークの時に私は木を描きました。

それが自分というイメージを表していて、固定化されたものだとわかりました。」



⇒ 正確にいうと、自分というひとつのイメージの形が固定化されて常にあるのではなく、
意識の水面下に自分という感覚を形作るための断片的なイメージのパーツが瞬間瞬間に
浮かんでは消えている状態があり、「自分を描いてください」といわれた瞬間にそれらの
パーツの中からその時そのお題にふさわしいと感じたイメージを「絵を描く」という時間の
流れの中で選びとったということになります。

そのため、よく言われるように自我ありきの視点で心理的に「自己の固定化されたイメージ
を崩しなさい」ということではなく、意識の主体を転換し、無意識に選び取られたパーツが時間
の経過(絵の線は時間経過の痕跡を示しています)を経てひとまとまりの整合性のとれた像
として顕れ出たことを、一瞬遅れた後付けで「発見」していることに気づいていただきたいのです。


たとえば今回のように木のイメージの像が結果として結ばれたとき、意識下では
「木として完成された絵」があったわけではなく、無数の断片的なパーツ(例えば、幼少期に読んだ
絵本の中の木の断片、過去に触ったことのある木の感触、ワーク会場に来るときに無意識に
目にした街路樹、その瞬間の身体感覚の一部、人間と木の関係にまつわる集合意識
の一部、過去に読んだ木に関する精神分析の本の記憶、過去に自分自身について考えたとき
の記憶の断片、その他さらに非個人的なレベルの言語化・具象化できない無数のパーツ群など)
が磁石に吸いつけられるようにエネルギー的に瞬時に引き合い組み合わされています。
(このとき、どのような組み合わせになるかは「自分」で選ぶことは一切できません。)

その結果、木として完成されかけたイメージが紙に描く直前に意識に上ってきて、手の動きを
伝わって紙に映しだされたということになります。
(本当は手も紙も意識の「外界」にあるわけではなく、手も紙も上記のイメージのパーツ群と
時空の切れ目なく同列にあるのですが)

この水面下のプロセスが意識化されていないと、常に、すでに像を結んだ後に水面上に
浮かび上がってきた表面的なイメージを3次元の自我の視点から見ているだけの世界に
フォーカスし続けることになります。



【自画像と時空】

自分
※ AYAが5秒で描いた「自画像」
(これが正解というわけではありません)


「正確に」その瞬間の自分を描こうとすると、パラパラと起こってくる様々な次元の断片やイメージ
や思考を描き散らすことしかできません。

とはいえ、断片を描き連ねている時点で、この像にもすでに断続的な時間は発生しています。

そもそも「描く」という行為は、時空ありきのものだからです。


軸


関連記事 ⇒ 「座法の姿勢」【1/13 (日)大阪ワーク ~ご感想と応答】


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