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【#エンパス #ヴィギャン・バイラヴ・タントラ #レザレクションズ 覚醒からのつぶやき 62】

2021/12/26

カクタス
今年もクリスマスカクタスが咲いた
毎年ありがとう~


◆覚醒は「魂が震えながら祝っているけど、
それ自体に一切興味がない」状態。
この表現、我ながらピッタリすぎて笑っちゃう。

◆ここで魂の震えに自己陶酔してしまうと、
それを「持続」させたくなってしまうよ。

◆「興味がない」といっても、存在を見放してるわけじゃない。
ひとつであるところでは、見放すものがないんだから。
「興味」というのは、時空の「持続」なんだ。

◆人間としては「他人が何をしようがまったく興味がないんだけど、
他人の悦びが死ぬほど嬉しくて一緒に震えてる」って感じだよね。
これって、人として冷たいのか熱いのかわからないね笑

◆魂という概念は、粘度が高い。

◆人間としての覚醒って、感覚的には時空が「べたべたの餅」
から「歯切れのいい餅」になることだね笑
意識が形成している肉体って、硬度というより
「結合の粘度」が高いのよ。

◆人間の愛は、本能と欠乏感と興味に突き動かされた
「疑似恋愛」のようなもの。
ほとんど意識されない「空気のような関係性」のほうが、
ある意味ワンネス的。

◆人間として「額から」昇天すると
「後頭部」の神秘は隠されたまま。

◆「わからないこと」をアタマで補うと
「わかっていた」魂が分離する。
その魂の悲哀を、アタマは知らない。

◆半覚者は、使われていた思考から解放され、思考を使うようになるが、
阿羅漢は思考という道具も使わない。
「思考を永遠に使わない」ことを「それ自身で」決定できるのは、
阿羅漢だけなのだ。

◆意識的な死は、畏ろしい静寂に「!?」と刮目して在るのみだよ。

◆人は、概念としての「・」しか認識できない。
「・」そのものには、質量も中心もない。
だから「・」に没入することも一体化することも、疑似体験なんだよ。

◆ただ見ること自体の中心にあればいいだけ。
そのことに一切の努力はいらない(できない)。
今この瞬間、中心にない人など存在しないのだから。
これは本当に、当たり前のこととしか言いようがない。

◆瞑想に睡眠の仕組みを疑似的に利用することはあるが、
人間の睡眠では完全にはブラックアウトできない。
肉体の目が邪魔して、存在に落ち切れないのだ。
死ですら、目に邪魔されて死に切れない!

◆完全に起きられなければ、完全に寝ることもできない。
完全に生きられなければ、完全に死ぬこともできない。

◆明晰夢は眠ったまま起きているけど、起きたまま熟睡もできるんですよ。

◆「自然は真空を嫌う」アリストテレス
真空自体は、真空を嫌いようがない。
真空が自然を好むかどうかは、神に聞いてね笑

◆自我自身は気づいていませんが、人間は自我という幻想を保つことと、
自分と分離した対象物を設定すること自体に毎日毎日、莫大なエネルギー
を使ってクタクタに疲れています。
このことは自我を維持していたストッパーがはずれて脱落したときに
はっきりとわかります。

◆クタクタに疲労した自我は、生のルーティン化に気絶して休もうとする。
それがさらなる疲労の元になるとも知らずに。

◆自分自身と阿吽の呼吸であるとき、阿と吽の時差は最小となる。

◆人生を総括しない。

◆死に際で総括されるのは「人生」ではなく「生」だ。

◆「食べると重くなる」というのは、固形物にとらわれた感覚だ。
私たちは24時間、なにかしら固形物を胃腸に入れて消化し続けている。
その重さと熱を、自分だと勘違いしているのだ。
肉体が固形物を摂るとき、消化にかかる時間とその感覚の推移、
これが時空を生んでいるといっても過言ではない。

◆生体としての修行って、生理機能に振り回されず、消化・吸収・排出
の「ウラをかく」ことなんだよね。

◆心理的にも肉体的にも、病気にアイデンティティを持たせないこと。
病気は病気としてあることを、ただ認める。

◆巻き込まれている時にはいったん対象化するが、完全に認めるには
対象化せずに中心自体であること。

◆中心からズレているから巻き込まれるのだ。

◆「中心にある」ことは「同化」していることではない。
中心にあるとき、同化する対象はない。

◆生死がかかると本気になるプログラム。
バレちゃったら、そのコマンドはもう使えないね。
だからといって、思考で生死を軽んじるのは、生体として得策じゃないよ。

◆無執着は、心理だけでは決着がつかない。
「中心にあること」は物理に近いが、物理に胡坐をかいても
核心のスイッチが入らない。
やっぱり生死をかけるくらいの心理的な真剣味は必要になってくる。
人間のシステムって、面倒くさいのよ。

◆生まれ変わりの印に前世と同じところに痣があるとか、臨死体験者が
過去を見てきた記録として建造物に印をつけておく、などという話は
心情的にわからないでもない。

◆肉体の死を迎えて意識のフォーカスのチャンネルが変わるとき、前回
のチャンネルで理解したところから始められれば効率がいいので自分自身
にヒントを残しておきたいのだ。

◆ただ、そうそう思惑通りにいくものではなく、前回理解したところまで
辿り着くのに紆余曲折する場合があるが、紆余曲折の中に前世で取りこぼした
新しい発見があったりもする。

◆私自身、散りばめられたヒントに子供の頃から要所要所で出会ってきた。
(ヒントなしで唐突にフラッシュバックが起こり困惑することもしばしばあったが)
直線的時間で理解しようとするとオカルトにしか聞こえないが、
過去の私からのヒントも、未来の私からのヒントも、現在に散りばめられている。

◆時には積極的に直接呼びかけられることすらある。
また、現在の私が過去の私や未来の私に呼びかけることもできる。
例えば今、過去に直接呼びかけられたときの私の記憶を想起してみる。
すると、呼びかけた声は他ならぬ私自身だったことに気づく。
(これは声の響きと安心感の有無で判断できる)

◆また、現在の私が同じ声に呼びかけられるとき、未来の私がこちらに目を
向けていることが経験的に理解できる。
ただ、過去現在未来というのはあくまでも直線的時間における私の記憶の分裂だ。
私が私に呼びかける声がひとつのところにあるとき、時間は消える。

◆でも「そっちは危ないぞ!」って(現在の私が)話しかけても、過去の私は
たいてい聞く耳持たないんだよね~
たまに「ハッ」と気づかせられることもあるけど、だいたいその瞬間、
自分自身に気絶しちゃってるから。
人間を見守ってる天使の歯痒さが分るというものだよね 笑

◆過去の私に伝わらない時ってある意味、現在の私が過去の悪魔に「力負け」
するようなものなんだよな~
この感覚、伝わります?

◆二元の世界の他人とは、私の知らないことを知っていてくれる有難い存在。
だから全て知らなくても、世界は安心して私たち自身に任せておけるのだ。

◆この世界は全員バラバラのように見えても、全員の信念が「いっせいのせ!」
で揃ったから対面できているんですよ。
これは奇跡的なこと。

◆この次元で対面できている時点で、聖者も愚者も平等な「共同責任者」。

◆「創造主」の自覚から「創造」それ自体へ還る。
それは、主体でも客体でもないのだから。

◆この世界の奇跡はバグなので、あまり頻繁に起こるとシステムエンジニアが
異動になる。
奇跡が当たり前になると有り難みを忘れるので。

◆『マトリックス レザレクションズ』まだ見てないけど、
予告篇にあった「デジャヴはマトリックスがバグを起こした時に起こる」
って言葉はそのとおりよね。
でも、この原始的世界のバグ管理者は創造主じゃなくて下っ端の
エンジニアでしょう 笑

◆ヴィギャン・バイラヴ・タントラはOSHOの本で有名ですが、ヒンドゥー教
の聖典でシヴァとデヴィの対話からなる112の瞑想技法。
この聖典はシンプルながら非常にヴァイブレーションが高く読むだけで意識が
飛ぶほどなのですが、シヴァの意識が体得されていないと表面的な知識にとどま
ってしまいます。

◆「あくびをして涙がこぼれる、そのとき」
ヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラの113番目に加えてほしい。
「ギリギリまでガマンして出す、そのとき」
これも、番外に加えてほしい 笑

◆「刹那に生きる」ことは「刹那的に生きる」ことではない。

◆私たちは「進化の意志」に常に急かされている。
進化をサボるとすぐに「お上(神)」にバレるけど、実は現象の
「中心にある」とき最大限サボれるのだ!!
中心にあれば「やっているように見せかけて何もやっていない」からね。
これなら、日々の仕事でも上司にバレずにサボれるよ 笑

◆エンパスで辛いというけど、共感力が高いなら他人の幸せだけに
共感すればいい。
他人の不幸にだけ共感してしまうのは、軸とハラがブレてるから。
即効性があるのは、呼吸とともに肋間筋をストレッチし肋骨を上下に広げ、
太陽神経叢のハリとエネルギーを高めること。
肉体から変えたほうが速い。

◆覚醒体験の非個人性は、逆にその人の独自性を浮上させる。
なんらかの体験が起こったら、既存の言葉に当てはめずにしばらくの間、
それそのものに深くとどまってみよう。
そうすると、堰き止めていたエネルギーが溢れでてくる。

◆オリジナリティとユニークさは、その人自身の核心から生まれる。
個人的に人の覚醒レベルとか印可証明とかまったく興味ないけど、
あえて言えばこの点は判断のひとつになるかな。

◆リモートヴューイングでは自分の思考や判断が出るたび、
ペンを置いてリセットする。
思考を見切る訓練が甘いと、いつの間にか類推や編集が結果に
紛れ込んでくるのだ。
このペンもターゲットも目的もないのが、ヴィパッサナー瞑想の感覚に近い。

◆「自分が与え得るエネルギーと同等のエネルギーしか受け取れない」
というのは「自分=身体(のエネルギー)」という限定から来る発想だ。
身体との同化を外せば、この世界のあらゆる「等価交換」の限定は幻想
であると気づく。

◆人間は等価交換に隷属する。
悪魔は非等価交換に利する。
覚者は交換を無化する。
神は何も交換しえない。

◆私たちは、現実という名の水槽にアタマを突っ込んでいる。
水槽の中は安心だけど、感覚も動きもモゴモゴもっさり遅い。
水槽からアタマを出すと世界の全てが鮮明に迫ってくるが、
悲しいかな、私たちの脳は水の中じゃないと干乾びてしまう。

◆夢の中の動きは遅い。
夢から覚めてもやっぱり遅い。

◆肉体として実を結ぶものも結ばないものも、
肉体以前の私としてある。

◆17時になると町内放送で流れてくるドヴォルザーク「新世界」は、
歯医者の待合室に流れるヒーリングミュージックとはまた別種の怖さがある。
安き御手に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん
夢を見ん

◆2,800万円払って「5億年取り消しボタン」28回押したら、
神が闇鍋を仕込んでました。

◆源泉が曖昧な人間は、曖昧な存在意義を捏造し続ける。

◆太陽系的思考は、3以上を「たくさん」と呼ぶ原始人を笑えない。

◆身体を離れた祈りは存在するが、身体を離れたアートに祈りは宿らない。



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