【#啓示 #地球を卒業? #真空と恩寵 覚醒からのつぶやき 65】

御苑で雪だるま作り。賽の河原?
◆世界は「ガチャ」ガチャ。
◆カルマはガチャに非ず。
◆神にマルチタスクなし。
◆無限手先を読むために、
無限に分離する私たち。
◆覚醒とは、悦びのコスパが最強の状態。
◆臨在に色なし。
◆ワンネス体験は次元に依拠するが、
ワンネス自体は次元に属さない。
◆認識が次元を固定するとき、
矛盾の辻褄合わせで分離が派生する。
◆本来、次元は固定されていない。
次元の棲み分けは幻想。
◆真空に貼りつき、無音の運動に慄く。
◆無音のハートは、宇宙でただひとり震えて在る。
◆鼓膜は、振幅を「見る」。
◆神は振動にあらず。
◆「全方位のグラウンディング」=「無方位のフローティング」
◆底のある「存在感」から、底のない「存在」へ。
◆実体を密度で実感しない。
◆心身が世界にぶつかっている。
ぶつかったものだけ見ている。
◆時空をくぐり抜けようとしない。
◆「くぐり抜け」は、通過「偽」礼。
◆肉体と魂に刻印された「通過」の強迫観念に気づく。
◆「非感覚」≠「無感覚」
◆極論すれば、肉体・精神・魂・霊を問わず人間の問題は
ほぼ全て、相対的な速度と質量の調整のみで解決する。
逆に言えば、速度と質量の異なる位相を「ひとつの世界」に
押し込めようとするから、問題があるように見えているのだ。
◆寝入りばなに「神っぽい啓示」が聴こえるのに味を占め、
一生うとうとしているのが「宗教家」といわれる人々。
◆この世は睡眠学習。
学習成果は夢の中。
◆入浴中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、風呂場で閃いた。
「そうか、ずっと風呂入ってればいいんだ!」
◆睡眠中に閃く啓示を忘れてしまう、ムラナスルディン。
ある日、睡眠中に閃いた。
「そうか、ずっと眠ってればいいんだ!」
◆好き嫌いにプライドを持たない。
◆自分の好き嫌いを面白がる。
他人の好き嫌いも面白がる。
◆「ノンフィクション」というフィクション。
◆考えるのが「面倒臭い」人に、無思考は訪れない。
◆怠惰な脳ほど「勤勉に」思考し続ける。
◆囚われているのは思考ではなく、感覚と感情と記憶のキメラ。
◆「この世はジョーク」というけど、神自身は構造的に
ジョークは言わない(言えない)。
◆赤ちゃんは、ふざけない。
◆ギャル「神みw」
神み(かむろみ)「その『み』じゃない」
◆【明るい緑化運動】
「笑えば、草生える」
◆「インセンシティブな内容が含まれている
可能性のあるツイートです」
◆こんがらがった思考は、
知恵の輪みたいに立体的に外そう。
◆多次元の知恵の輪のほうが簡単。
なにも「交差」してないからね。
◆聖徳太子は一度に10人の聴聞は出来ても、
一度に10個の発話は出来ない。
ヒトの形態と物理的時空の限界。
◆10人の話を聞くのは難しいが、
10人の姿を見るのは易しい。
10人ひとりひとりを区別しなければ。
◆聖者は一言に含まれる倍音で対機説法する。
万人に響くので、言葉はシンプルになる。
◆それにつけても、私めの言葉の多さよ 笑
言いたいことは一音だけなんだけどねえ。
◆背骨を直立させて、存在にバンジージャンプする。
◆実際にバンジージャンプしてみると、
意図なき声が身体を貫く感覚がわかるよ。
それは「遺体から声が出る物理的珍現象」とは
似て非なる、生きた現象なんだ。
◆やることがないと寝てしまうのが人間。
やることがなくても起きているのが神。
◆「睡眠」という肉体現象が「目覚め」を複雑にしている。
だから、いったん肉体を置いておこうと言うのだ。
ただし「わかる」には、やはり肉体の目との一致が必要。
◆「愛」という言葉に気絶しない。
◆この世のタブーを解くには、肉体と神話の癒着を剥がすこと。
◆「神話」は、あくまでも「話」なんです。
◆「肉体のカタチで死にたい」という
「人間的」なプログラミングの呪縛。
◆魂という名の形状記憶。
◆「人間としての完全体」への野心と郷愁を解く。
◆「地球を卒業」っていえば聞こえはいいけど、
問題児が体よく放校される場合もあるからねえ。
学校っていうのは、勉強しなくても卒業できちゃうし。
◆「この世=学校」という発想は、新たなる時空の呪縛。
◆とはいえ「だるま落とし」は、地球でこそ。
「だるま」は「ダンマ」なんて高尚なこと言ってないで、
重力のあるうちに肉体という「だるま」を愚直に落とそう。
◆修行者に必要なのは「空白」をどこにも落とし込まない諦念。
◆空白は記録できない。
◆覚醒に「多角的視点」はない。
「多角」「視点」は、3次元的発想。
◆覚醒に「対偶・逆・裏」はない。
真偽がないからね。
◆波動の真ん中に浮かび上がる「線」は、時空の亡霊。
◆通過「点」は、実存し得ない。
◆「正しいこと」を言おうとしたことって一度もないな〜
◆【相手が区別できない感じ】
この世界ではやっぱり、体とモノがあったほうが
「どこにもぶつからない意識」には気づきやすいね。
力と意図でぶつからなければ、棒の延長の相手も力まず一体化
してるので「倒される」というより自然に「釣られる」。
◆【一筆書きの様なもの】
意図を外して、予備動作の力みと方向を相手に悟らせない。
実際に外せてるかどうか、目に見えるから分かりやすい。
武道だから「目的」は残ってるけどね。
◆【ワンネスポイント】
△「脳が」創造する。 ○「脳も」創造する。
△「脳は」投影装置。 ○「脳も」投影装置。
◆空間的な「ひとつづき」は、ワンネスではない。
◆「それは指一本でわかるんだよ」と言うと
「それじゃ何も変わらないじゃん」と言われる。
「変わること」に真実を求めるかぎり
「変わらないそれ」には気づけない。
◆「絶対的に混ざりけのない注意が、祈りである。」
シモーヌ・ヴェイユ
◆仏語だと
L'attention absolument sans mélange est prière.
英語だと
Absolutely unmixed attention is prayer.
どっちも”attention”だけど「注意」という訳が
引っかかる。
かといって「注視」でも「留意」でもないしなあ。
でも、ヴェイユのattentionの指し示すものは直に伝わってくる。
◆ヴェイユは「注意とは放棄である」と言う。
"attention"が指し示すものは、純粋な宗教体験の核心なんだよなあ。
◆「気づき」と「注意」は異なる。
注意はコーヒーをこぼさないように見張るが、
気づきはコーヒーをこぼすのを明晰に見ている。
◆ヴェイユの"attention”は、上記でいう「注意」と
「気づき」とも異なる。
◆「対象のない祈り」は、宇宙の軌跡とハートの空
が重なって意図が手放され続けている状態です。
この「祈りの原型」が起こることが、覚醒それ自体からの
コミットメントとなります。(Rubin’s workブログより)
◆ヴェイユのいう「注意」は「対象のない祈り」に近いんだ
けど、神を置くので「専心」の求心力みたいな感覚が加わる。
それはまさに「真空」がポイントなんだ。
◆「真空」と「恩寵」
ああ!貴方はそれを知っていたのですね!
◆「恩寵は、真空にしか入っていかない」
シモーヌ・ヴェイユ
◆真空は、比喩ではないんです。
実際に、真空を見るんです。
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