1/22(土)東京にてワークを開催しました。


「磁石の反発力と内部の浮力を連動させる」
【浮力感の形状記憶】
ワークでは毎回、基礎として軸を調整しますが、前回のワークはさらにバランスボードの
上に乗って「どこにもくっつかない意識」の浮力のようなものを「形状記憶」していただきました。
また、ゴムのチューブの張力を利用して上下の軸と筋肉群の拮抗による浮力を体感していただきました。
カタチで実際にわかると、意識でも具体的にわかるようになります。
それは、曖昧なものではないのです。

「軸を作ってバランスボードの上で片足立ちする」(前々回ワークより)
「肉を持ち上げようとするから重いのだ。
肉の中心に消えてあるとき、エネルギーの内圧が勝手に持ち上げてくれる。
その軽さを知ってほしい。」
~ツイッターより~

「ハンペルマン人形」
「ハンペルマン人形みたいに、軸だけ上下にひっぱられて、ピョコン!
と座ればいいんですよ。 手足はブラブラで。」
~ツイッターより~
重心とバランスが一致した時の手足のアイソレーション感覚はハンペルマン人形に近いのですが、
単に手足の筋肉を脱力するだけではこの感覚は起こりません。
手足の筋肉は固めませんが全身で構造的に引張り合うテンションは必要なため、今まで慣れ
親しんだバランスが組み変わるまでは結構キツいです。

「インナーマッスルと引張り合いの拮抗のバランスで、丹田の内側から浮きあがる」
ワークではこの状態で踵を踏んでグラウンディングし、内腿の内転筋群のテンションを感じたまま
膝を僅かに緩め、内臓を落とさず尾骨と座骨で「ちょこん!」と空中の軸の中心に座って頂きました。
この感覚が「居座らない」座法の基本になります。
「重力に支配された肉を積み上げて立つのではなく、肉体の構造をそのまま「置いて」おき、
肉の中心の空を『通す』。」
~ツイッターより~
このとき、鳩尾を突き出し大腿四頭筋を固め「がんばって」立とうとしないことです。
見かけは立っているように見えても「がんばって」立つと「立とうとする私」が抜けず「浮く」ことはできません。
「浮く」といっても「浮足立つ」わけではありません。
足裏をピタッと地面に接地し、地面からの押し戻しを感じつつ爪先と踵でグリップすると、土踏まずの
アーチの頂点が上方向へキュッと引きあがります。
肉を落とさず、上下の拮抗とバランスで構造的に直立している状態が、本来のグラウンディングです。
【重心と依存心】
ある参加者さんは、ぐらぐらするボードへの怖れがあり、なかなかバランスが定まらなかったのですが、
面白いことに私と冗談の掛け合いをして笑って緩んだときは、ピタッと揺れが収まってきちんと立っていたのです。
身体の構造と重心は、エゴを超えて本当に正直ですね~!
「重心が定まる」というのは心理とも直結しています。
物理と心理と生理がピタッと一致したとき、構造的に「浮く」のです。
また、ある参加者さんは、壁に手を置きながらボードに乗ったときは非常に安定して立っていたのですが、
壁から離れたところで手放しでボードに乗るとぐらぐら安定しなくなりました。
ヨガの逆立ちなども、訓練の段階から壁を利用しているとなかなか恐怖心がぬけずバランスが自立
しませんが、壁という安全保障に物理的にも心理的にも依存していると真に直立する感覚はつかめません。
このことは物理のみならず、万物すべてのバランスに当てはまります。
究極的には覚醒とは意識が「どこにもつかまらずにあること」なのです。
瞑想とは、そのことの確認のプロセスです。
(人間の構造としての直立は重力と地面に依っていますが)
エゴは、つかまる対象がないことが死よりも怖いのです。
ほとんどの人間は、まだ完全には直立していません。
重力と地面のみならず、あらゆる対象に依存し心と体の重みで寄りかかって人形のように
見かけだけ「立たされている」のです。
これは何も完璧な身体の超人になれ、ということではありません。
完璧な人間になってからでないと悟れないということでもありません。
これまで無意識に必要以上に「依って立っていた」ことに気づくことで逆に、この世界の重力や地面や
万物への感謝が生まれてきます。
ほんの一瞬だけそのことが雷のように核心に響けば、誰もがわかることなのです。
ただし、「依存しない」ことを「精神論」にしないようにしてください。
それは純然たる「構造」なのです。
【覚醒の時限爆弾】
時節柄、次回の開催も危ぶまれる感じになってきたので、今回は出血大サービス?で参加者さん
ひとりひとりに「覚醒の時限爆弾」を仕掛けておきました。
といっても「私」自身は、何もしてないんですけどね。
参加者さん自身の信頼の源に、意識を重ねただけ。
(具体的な方法は、秘密にしておこう 笑)
今回はたまたま出会った(本当は「たまたま」は存在しませんが)参加者さんを対象としていますが、
このことは常に「わたしの世界」のすべてに直接波及しているのです。
それは、即時の祈りです。
祈りといっても、何かを変えようとはしません。
祈りは常にありますが「ひとつの祈り」に気づいてあるかどうかはその人のタイミングでしかありません。
それは、私たちのあいだの「距離のない信頼」のリマインダーです。
このとき、双方に依存や利己心があると波及しません。
ワークと矛盾するようですが、何かを「わかろう」とするとその意識が距離を生むのです。
今回のワークでは全体の信頼があった上で、その場の流れで「仕掛け」が起こりましたが、
だからといって私という個人に期待したり何かを求められるのは奇妙な感じがします。
「『わかる人』っていうのは、勝手にわかっていくものなんだよ。
安心して放っておけるので、究極的にはこっちの意識にすら上らない 笑
その意味でワークは、信頼が発動するための意識化の場みたいなイメージかな。」
「『勝手にわかっていく』っていうのは、ある意味誰にでも備わっている『意識の自然治癒力』みたいな
ものなんだよなあ。(といっても、もともと病人ってわけじゃないけど)
私という個人は、各自に備わった自然の推進力とタイミングをリスペクトしてあることしかできない。」
~ツイッターより~
【背骨とエネルギーの通り道】

「背骨の意識」
磁石というのがポイント。
これが、宙に「ぶらさがって」いる。
敏感な人は、これ見ただけで何か「来る」んじゃないかな?
(実際は 、頚椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙骨1個、尾骨2〜3個、合計27〜28個)
今日のワークでは、盆の窪から背骨をぶらさげてエネルギーの通り道の感覚をお伝えしました。
通り道自体は、どこにも触れない中心の連続体=管のように感じられますが、肉体として実体
があるわけではありません。
「よく、クンダリーニのエネルギーはどこを通るんですかと聞かれるけど、背骨に近いけど肉体じゃなくて、
どこにもくっついていないところを重力に逆らいゴゴゴゴゴ!っと怒涛の衝撃で昇る。」
「そのエネルギーは本来、すべてに満ちているが、あらゆる引力から自由になった空の道しか通れない。
逆にいえば、空いた道を見つけたら向こうから待ってました!とばかりに通り抜けてくる。」
~ツイッターより~
盆の窪の周辺は、皮膚に張りがあって穴に向かって引きあがっているような状態のほうが、
エネルギーを効率よく使えます。
盆の窪の周辺に空間をあける感覚と、意識の微細なベクトルの仕組みのコンビネーションの感覚が
つかめるようになると、強いエネルギーに意識をもっていかれてホワイトアウトすることなく、エネルギー
の発火の瞬間自体をピンポイントの目的に使えるようになります。
ホワイトアウトして気絶しないためには、これに加えて気づきのセンターが確立している必要があります。
気づきのセンターが自動的に働いているレベルまで確立していないと、高いエネルギー感覚を保ったまま
同時に中心で覚醒していることができません。
エネルギーの通り始めは、ぶらさがった背骨が魚のように前後に波打つようになるものですが、意識で
管を「置いて」おけるようになると、エネルギーが背骨にぶつからずに直接通るようになります。
(少しでも触れると高い圧がかかる)
このエネルギーを効率よく使い、盆の窪の空洞を発火させるのです。
エネルギーを頭頂から抜けさせなければ、認識の座の癒着を剥がす際に利用できますが、今日は、
ある小道具を使って頭頂を開く感覚もお伝えしました。
面白いのが、本人が意識できるかできないかに関わらず、開いたときにはプラーナが頭頂の穴から
「ピョコン!」と富士山みたいに浮き出ていたこと 笑
「生体エネルギーと認識の座のバランスの拮抗がないまま、心身だけを重力にまかせて脱力させて
しまうと存在の基底に沼のように沈みこんではまってしまう。」
「例えば香りを嗅ぐとき、香りの真ん中にありながら吸い続けると、真ん中の連続が真空の管のようになる。
動きにおける真ん中は、時空の連続性とともに管化するが(クンダリーニはここを通る)管を先にイメージ
してはならない。
管も、管を通るエネルギーも、真ん中も、すべて仮象にすぎない。」
~ツイッターより~
【頭頂とプラーナ】
自分の手を頭上に伸ばして指先で触れられる位置までが、3次元の肉体の延長として具体的に知覚
できるギリギリのポイントです。
(俯瞰のポイントは頭頂の斜め後ろ上部)
肉眼のフォーカスを変えれば、この位置までは目視できますが、それ以上は肉眼とは別の位相になります。
相手が気づいても気づかなくても、相手のプラーナの大きさや形は気づいている側の意識で変化させる
ことは可能ですが、相手自身が気づいていない場合、こちらの意識を抜いた瞬間、すぐに肉体の輪郭
の際まで戻ってしまいます。
これは神秘的な力などではなく、ひとつであるところから見れば「相手=自分」なので、ごく自然な現象です。
ワークで内部の目の立体視の感覚をつかんだ参加者さんも「自然と見えるようになった」との報告がありました。
実際、参加者さんたちに頭頂の空間を自分で触ってもらったところ、私から見てプラーナの一番濃い際のところ
で「ここに磁力みたいな圧を感じる」と正確に報告されていました。
この感覚は、生体として誰でも直観的に持っているものなのです。
【尾骨とエネルギー】
まず床に座り、床にぶつかる感覚で尾骨の位置を確かめます。
通常、尾骨の最下端はほとんど意識されず、自覚的に動かすこともできませんが、イメージでよいので
丸まった先端がフワフワ浮きながら微かに動くのを感じてみてください。
すると、ぞわぞわもぞもぞする感触とともにエネルギーが発生し背骨を伝って脳天がホワイトアウトする
感覚に気づきます。
尾骨の下端は、無重力感覚に近いのです。
ただし、背骨のひとつひとつの感覚が途切れ途切れで間がブラックボックス化していると、エネルギーは
そこで止まり頭頂まで通りません。
この垂直のエネルギーは生体としての根本的な動力ですが、それとは別に意志のエネルギーは丹田
から起こり、自我と結びついて水平方向に利用されます。
(意志の発動と自我の発生の瞬間を曖昧にせず、正確に見切っておくことは必要。
ここも、単純な仕掛けを使ったワークでやります)
垂直と水平、どちらのエネルギーも単体では現象は動きません。
瞑想とは、水平方向を意識的に無化し、垂直を折りたたんで次元を「相殺する」ようなものです。
ちなみに、垂直方向のクンダリーニ上昇は機能として利用されることはあっても、それ自体は
「瞑想」そのものではありません。
【無限の中心を泳ぐ】
身体の構造に規定されなければ、どの瞬間どこを切り取っても無限に中心は決定されます。
その意味では、世界には中心しか存在しないともいえます。
中心は、何も存在しない空です。
ワークではこのことを「壁に指を押し付ける」という、拍子抜けするほど単純な方法で実感していただきます。
実際、これだけで「あっ!」とわかる方もいますが、静止した状態でそれがわかっても日常生活で起こってくる
様々な現象に流されていると再びわからなくなってしまうことがあります。
昨日のワークでは「瞬間瞬間に立ち顕われてくる中心だけを断続的に繋いで動く」ことを体感していただきました。
(中心は本来「連続」しませんが、人間の認識速度においては一連の動きにおいて連続した真空管のように感じられます)
このとき、ある参加者さんの動きにハッと目を見張りました。
正確かつ丹念に「繋がれた」腕の動きは、太極拳のように優雅で美しかったのです。
中心を繋いだその動きは、肉体のどこにも「ぶつかって」いませんでした。
日常では、様々な現象が次々に起こってきては「私」という仮象の実体に「ぶつかって」きます。
しかしその「ぶつかった」瞬間そのものの中心もまた、何も存在しない空なのです。
すなわち、ぶつかっているけども何もぶつかっていないということです。
そのことを知っていれば、たとえ一瞬ぶつかって立ち止まったとしても、そのたびにその瞬間の中心となって、
再び中心から中心へと波のように泳いでいけばいいのです。
その泳ぎは、必ずしもなめらかな曲線である必要はなく、カクカクとぶつかりながらでも、ひとつひとつ
必ず通り抜けていけるのです。
なぜなら、中心はどこにでもあるからです。
中心から中心へと泳いでいくとき、中心は空なのでどこにも触れていませんが、「どこにも触れていない」
ことを「離れて見ていること」と勘違いしてしまうことがあります。
現象から離れて俯瞰し続ければ一見、世界に巻き込まれずに済むように感じられますが、そこに
「離れて見ている自分」が存在するかぎり、根本的な一致と安心は訪れません。
この「気づきという名の俯瞰に留保する態度」を私は個人的に「ヴィパッサナーの並行問題」と呼んでいます。
真摯な修行者ほど、このジレンマに悩むはずです。
留保が効力を発揮するのは、物理的な苦に巻き込まれている初期段階までなのです。
【見性前夜】
ワークに数回参加されたことのある参加者さんが
「ある晩、ふと目が覚めたとき、飼っている猫が内部に触れて(通って)『うわっ』と驚いた」
と言われました。
「驚いた」のは未だ猫と自分が僅かに離れているからですが、肉体が完全に落ちるタイミングが揃えば早晩、
「猫=自分」が存在の中心で鮮烈に鳴くことを知るでしょう。
「死体」は猫と一体化しているが、鳴き声は素通りする。
私たちの覚醒は「生体」の悟り。
~ツイッターより~
「死体のハラで猫は鳴かないよ」と言ったら、この参加者さんは頷きながら笑ってくれました。
そういうことです。

「ワーク必須4点セット」
毎回こんな感じ。
一日、梅干し以外の固形物は取らない。
2~3時間おきに、カフェインとブドウ糖補給。
エネルギーはギリギリに抑え、腸は軽く保つ。
瞑想リトリートに入る場合等のご参考まで。
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