【#死後の世界 #次元上昇 #100匹目の猿 覚醒からのつぶやき 66】

◆肉体は、母星の重力に見合った意志力と浮力しか体現し得ない。
◆肉体と同化していると、重力は体重と一体化した足枷のように
感じられるが、重力自体は「創造の磁力」とは比較にならないほど弱い力。
重力に逆らって飛ぶことはできるが、創造に逆らうことは不可能。
◆私が私であるための言い訳として、私という世界が展開し続ける。
◆100匹目の猿が同じ夢を見たとき、新たな仮想空間が確定する。
◆仮に次元上昇したければ「次元に固定されない意識」が前提となる。
だが、その意識においては結局のところ「上昇する次元」は存在しない。
◆次元「上昇」は、肉体次元の概念。
◆3次元的に表現するならば、すべての次元は「ここ」に「ある」。
◆「世界」は、箱でも球でも波でも粒でも紐でもない。
◆「確定」にもあらず「不確定」にもあらず。
◆ルートチャクラの危機感を煽って、文字通り「お尻に火をつける」
戦略を自ら望んでいる世界。
◆世界は、私たち自身の意識を正確無比に反映している。
◆創造に「好奇心」も「工夫」も不要。
◆進化の創意実験に踊らされない。
実験には目的も責任者も存在しない。
◆創意実験は、エイリアンでも闇の勢力でもない、
私たち自身が行っている。
◆踊らされず「踊り」としてあること。
◆「目の前の現」 >・・・<「目の後の実」
◆水平の分離に限界を感じると、垂直の分離に意義を創り始める。
◆重力に支配された肉を積み上げて立つのではなく、肉体の構造
をそのまま「置いて」おき、肉の中心の空を「通す」。
◆神格化されたものは、神ではない。
◆宗教の神は、神格化されている。
◆ある参加者さんが
「ある晩、ふと目が覚めたとき、飼っている猫が内部に触れて
(通って)『うわっ』と驚いた」
と言われました。
「驚いた」のは未だ猫と自分が僅かに離れているからですが、
肉体が完全に落ちるタイミングが揃えば早晩、「猫=自分」が存在
の中心で鮮烈に鳴くことを知るでしょう。
◆体は体のまま置いておく
私は私のまま置いておく
無も無のまま置いておく
空も空のまま置いておく
◆「わかって」から「わかる」のは「わたしの世界」で「わかってなかった」
のは「私」だけだったんだ、ということ。
世界は私を許し、見守っていてくれたのです。
◆「感覚」をたよりにするものは、覚醒ではない。
とはいえ感覚は「それ」が確定するまでの信頼の印として有難く
利用される。
◆「今」を占える人はいない。
◆かつて「胎児であった私」に「肉体として」アイデンティティの
実感を持てますか?
◆私たちはこの世に生まれ出て、この肉体に仮初めのアイデンティティ
を付与してきたが、「胎児であった私」を想起する時のアイデンティティ
の不在性こそ、肉体の実存であり「わたし」の実存なのだ。
◆そして「胎児であった私」も「成体となった私」も、変わらず見続けて
(俯瞰ではなく)在るものが「それ」なのだ。
注意:アイデンティティの不在性と生の尊厳は相反しない。
むしろ、尊厳そのものとなる。
◆「俯瞰」する視点(感覚)は、肉体ありき。
◆これは、幽体でも魂でも神仏であっても同じことなんですよ。
胎児を想起するときのようなアイデンティティ不在のまま、それらも在る。
「いや、魂にはアイデンティティの確信が持てる」
という人は多いかもしれないけど、それは肉体と同化した自我の
アイデンティティの延長にすぎないのです。
◆胎内記憶があったとしても「肉体としての」胎児そのものの記憶ではない。
胚発生の段階では、記憶する脳がない。
それは、生死を超えた意識の連続性において「見ているもの」の記憶だ。
◆この記憶の「再生」には、肉体として生まれ出た後、再帰的自己を
自覚可能な脳が必要となる。
そしてこの「見ているもの」もまた、すでに輪廻の内に取り込まれたものなのだ。
◆ロバート・モンローは、数多の体外離脱でハイヤーセルフや神のごとき
高次元の存在に出会い教えを請うていたが、至高体験の最中でもたびたび
生理的な尿意(!)によって肉体に引き戻されてしまっていたという。
ああ、人間の至高体験の儚さと、肉体の引力のしぶとさよ 笑
◆それにしても、そんなにすごい体験だったのなら、肉体のほうは
「垂れ流しておいてもいい」っていう諦念で捨て置けなかったのかね?笑
◆死者は、体外離脱のように生理的現象によって肉体に引き戻されることも
ないし、たとえ自ら肉体に戻りたいと思っても戻る肉体がない。
ある臨死体験者は「死ぬと時空を移動できるので、自分の葬式をやってるか
どうか見に行くといい」と言っていた。
「葬式をやっていたら、肉体は諦めろ」と 笑
◆ここで注目すべきは、現象すべては「意志」によって起こっているが、
それは個我の意志ではないということ。
肉体がなくなってしまえば「(この自分として)生き返りたい」という個我の
「顕在」願望によっては生き返れないが、放っておいても大我の「意志」に
よって再び受肉してしまう。
◆このとき、個我の「潜在」願望が受肉の引力に「利用(!)」されるのだ。
だから、解脱を掲げる修行体系は、個我の「潜在」願望を完全に「無化」しよう
というのである。
(最下層の「潜在」願望は我々自身にはコントロールできないので、顕在と潜在
の境界を「無化」するしかない。)
◆「全ては意識で出来ている」「意識で現象は動く」というけど、個我の
意識レベルでは、能動的な肉体の再生と受肉は不可能だということです。
ただし、大我の意志と個我の意志が通じていれば、見かけ上は能動的に
生まれ変わったような感覚は生じるでしょう。
◆個人的に「個我」「大我」という言葉は好みじゃないんですけどね。
その言葉自体に執着すると「無化」を妨げるから。
◆そういえば、最近亡くなった瀬戸内寂聴さんは生前、
「死後の世界があるかどうか、私が死んだら檀家さんが寝てるときに
足の指クイクイッと引っ張りに行くわよ」
って言ってたけど、どなたか引っ張られた方います?笑
◆っていうか、今こんなこと呟いたのも、寂聴さんが私の意識を
「引っ張った」からだよね 笑
◆寂聴さんとは縁もゆかりもないはずなんだけど。
祖母もそうだけど、意識に触れてくるタイプの人(霊?)っているよね~笑
知己の覚者の御母堂も、そのタイプだとか。
「あれどこにある?」と聞くと「タンスの引き出しよ」とか応えてくれるそう 笑
完全に私見だけど、比較的女性が多いのかな?
◆まあ、死後とか霊とかの話って面白いけど、全てわたしの意識の中の物語です。
物語は面白くないと見ないからね~
◆人間は、肉体を介して「苦痛」の内圧と外圧を反転させている。
内圧と外圧の反転は、体内においても起こっている。
内と外を無化しないかぎり、錯覚は起こり続ける。
◆空間座標は便利な概念だったが、これからの世界では、座標で概念
を動かしていると「間に合わない」だろうね。
◆願いが100%叶えば、現象は動かなくなる。
この世界は即時、100%願いが叶っている。
すなわち世界はまったく動いていないのです。
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