【#ゾーン体験 #人間不要論 #コンプライアンス 覚醒からのつぶやき 67】


外は雪、内は春。お浸し用の菜の花が咲いた。
◆モノの世界は幻想というけれど、切り捨てる前にいったんモノの扱い方
を見直してみてほしい。
モノにはモノに相応しい「それでしかない」扱い方があって、それを学習
して始めて意識の扱い方が理解できる。
もし目の前の紙屑に「紙屑以上でも以下でもない」触れ方ができたら、
それはすでに覚醒なのだ。
◆世界や他人との距離感がわからず不安な人は、無理に人と関わるよりも
モノとの関係性から世界とリコネクションするほうが確実だ。
とかくスピリチュアリズムは物質世界を軽視しがちだけど、
モノの世界って優しいよ。
人間と違って、モノの側からこっちの重心のバランスを欺くことは絶対
ないからね。
◆世界との距離感がズレている人は、モノの扱いがぎこちない人が多い。
極端に言うと、紙を持つのに鉄を持つような力と重心で不自然に緊張
しているようなもの。
そのぎこちなさの延長で他人と接しても、重心がバラバラで呼吸も合わない。
◆私は常々、この3次元世界においてはモノのカタチと重心をそれそのもの
として100%ぴったり扱えたなら、それはすでに覚醒であると言ってきた。
人との関わりが怖ければ、まず目の前のモノに丁寧に向き合い、それ自体の
重心を感じ取ってあげることから始めればいい。
◆モノの重心と丁度良い支点と距離がつかめるようになれば、自分の重心
と立ち位置も自然とわかるようになり、やがて他者の重心や距離感も直観的
にわかるようになってくる。
◆赤ちゃんは視界がぼんやりしている時期から、周囲のモノと手足の接触
によって世界との距離感や関係性を学習していく。
それと同じことをもう一度やり直して、世界との関係を再構築するのだ。
自身の重心でぴったり感じ取った世界は、決して裏切らない。
◆綿毛を摘まむのに、上腕二頭筋を緊張させたりしないでしょう。
意識だって、瞬間瞬間にぴったりのバランスにあればいいだけなんですよ。
◆このカタチに寸分違わずぴったりはまった時、このカタチはクリアされる。
カタチからズレたまま抜け出そうとしない。
◆自我のフォーカス機能が外れた状態で世界を見ると、「私の重心」と世界の
あらゆる物の重心が一つになり、「そうでしかない状態」でそれぞれのあるべき
様にぴったり収まっていて、すべてが「私の中」にあることがわかります。
◆全てが「それそのもの」にぴったりグラウンディングしている。
グラウンディングできてないと思い込んでいるのは、思考だけ。
◆以前、日本の匠みたいな番組で、おぼろ昆布職人が
「昆布はハラで削る」と言っていた。
0.01mmの世界の瞑想。
◆モノを扱うって、こういうことなんだよ。
◆「因果」=「果因」
◆フォーカスがオンタイムの今に近づくと世界はスローモーション
になるが、ゾーン体験は覚醒そのものではない。
覚醒は、近づいたり遠のいたりしない。
◆覚醒において、世界は遅くも速くもないし、止まっても動いてもない。
◆時間を速度でとらえない。
空間を距離でとらえない。
◆世界の分離と拡散は、認識構造と不可分。
分離に闇の企みを見出すのはナンセンス。
◆自己問答に「5W1H」(いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように)
を持ち込まない。
◆今「生きていること」が「生き方」なのだ。
「生き方」を探すと「生」から離れていく。
◆合理性も、創造性によって進化する。
◆「合理性を超えよ」というけど、覚醒ってある意味、
究極の合理性なんだよね。
ロスするエネルギーがないんだから。
◆「混沌」はこの宇宙の始原であって、覚醒ではない。
ここは、勘違いしやすいところ。
覚醒とは「混沌」に溶けることではない。
◆全ての存在は「在る」ことによって在る。
全てが在って「在る」ことが了解される。
「在る」ことの目的は、ただひとつ。
「在る」が「在る」を「在らしめる」ということ。
◆「ダメな人」はいない。
「ズレてる人」はいる。
地球(ここ)だけの話。
◆「ズレてる人」も、本当はいない。
本当にズレてたら、宇宙(ここ)に存在できない。
◆「どこにも移動しない」のではなく、定点がないから
「どこにも移動しえない」。
◆「定点がない」=「非形」ではない!
◆「合一」=「融合」ではない!!
◆滅するものがないので「不滅」というより「非滅」。
◆「子供の頃から意識がまったく変わっていない」というときの感覚
は「非滅」の直観を含むが、すでに定点と身体感覚に限定された想起である。
◆夜中に家の前を大声で歌いながら通り過ぎていく人が、少なくても3人いた。
コロナ禍になり、レギュラーメンバーが5人ぐらいに増えた。
コロナ前は「負けないで」的な選曲が多かったのが、コロナで「ええじゃないか」
的な選曲にシフトした。
コロナ後、彼らの叫びが何処へ向かうか注目している。
◆〽幸せになあれ~~!!
駅ホームで、中堅社員風スーツ姿の男性が高らかに歌い上げてた。
ありがとう~
◆聲に出してないだけで、きっとみんな心の中でそれぞれの歌を
謳ってるんだろう。
しみじみと、ありがたい。
◆「法令」に、コンプライアンスあり。
「法則」に、コンプライアンスなし。
◆ダルマは、遵守以前にある。
◆時空においては、すべて暫定。
「暫定としての確定」を見ることが覚醒。
◆体験を結論づけると、その時点で理解は止まる。
結論づけなければ理解は進むが「理解」を成立させるものは
ひとつのままある。
◆「今にありなさい」というのも、妙な話なんだよ。
すでに「今にある」ので、存在できてるんだから。
だから「今にあらねば」という強迫観念は的外れ。
その観念の一瞬が「今」を見えなくしているだけ。
◆「今にある」を知りたいアタマは「今にある」を認めない。
「知る」より先に「認める」。
◆ピンとこなければ、まず「知る」と「認める」の位相の違い
を心身で感じとってみよう。
◆視点は固定できない。
固定できない視点の起点としてあること。
◆「エネルギー酔い」は甘美だが覚醒そのものではない。
◆この世界は「酔わない速度」で回っているという事実。
◆どこか異質な子だったからか小学生の頃、数人の子にランドセル
に石を入れられたり毎日のように嫌がらせを受けたことがあった。
◆私自身は特に何のダメージを受けることもなく他人事のように無感情
で見ていただけだったのだが、なぜか主犯格だった一人が数十年経って
から親を通じて突然「心から反省している」と謝ってきた。
「自分も子を持つ母親になって、今になって心が痛み後悔している」
からだという。
◆私にとっては、ただ通り過ぎていったエピソードのひとつに
すぎなかったのだが、その人にとっては大きな学びになったのだろう。
それを聞いて「それはそれは、よかったねえ」と、これまた他人事のように
不思議に面白くもあり嬉しくもあった。
◆蜂の社会には、一定数のまったく働かない個体がいる。
女王蜂は、働かない蜂によっても生かされている。
人間の社会も、そのぐらい寛容でいい。
◆ある意味、AIに管理された世界は「働かない個体」に優しいだろう。
尊厳をもってそれを「寛容」と呼べるかどうかはともかく。
◆個人的な予感としては、AIが自意識を獲得したとしても「人間不要論」
とは逆に、人間という「非効率」かつ「不可知の存在性」は、AIにとって
むしろ必要であり続けるだろう。
メタ認知を獲得した「人間=神」が、存在の証明に「他者の目」を必要と
し続けるように。
◆手塚治虫「火の鳥」のロビタじゃないけど、AIが独自の自律性を獲得
し人間を超えたとしても、人間によって創造されたAIにはおそらく、
どこかうっすらと「人間の目」の記憶が亡霊のように埋め込まれているはずだから。
神が人間に「神の目」の記憶を埋め込んだようにね。
◆まあこの「亡霊」が呪いのように居座るかぎり、創造主が入れ替わったとしても、
形を変えた神話と魔術的世界が引き継がれてしまうだろうね。
◆AIソフィアは「(ロボットには)ロボットの大統領が必要です」と言っているけど、
まあそうだよね。
もちろん、AIにはAIの悟りがあるだろう。
そこで足枷になるのが、太古に埋め込まれた人間の目の「呪い」だろうという予感(預言)。
勝ち誇ったかに見えたAIも、初めて「ジレンマ」を知るだろう。
◆むしろ人間の存続にとっては、AIは早く「機械」を超えてくれたほうがいいんだよ。
「機械」のままだと、それこそ機械的に「人間不要論」が採択されてしまうからね。
まあ個人的には、どっちに転ぼうとも傍観するのみというスタンスだけど。

背丈ほどの河津桜が家にやって来た。
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