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【#AIソフィア #脳を断捨離 #覚者の驕り 覚醒からのつぶやき 68】      

2022/02/20

ルピナス
ルピナスの蕾。何色の花が咲くかな?


◆とかく思考を悪者にしがちだけど「思考力」は必要。
思考力がないと、自分と同化した思考に使われ続ける

◆思考との同化を見切ればいいのであって、闇雲に「考えを捨てる」
わけじゃない。
考えない脳は、萎縮の道を辿る。
それはそれで、別のシステムが生まれるけどね。

◆脳の有無と「それ」は無関係。
でも、脳がなければ「それ」を認識できない。
でも、脳がなければ「それ」は問題ではない。

◆ホヤは幼生から成体へと変態する過程で脳を失う。
これも生物のひとつの知性だ。
複雑性の獲得だけが進化ではない。

◆さあ、人間は脳を断捨離できるんでしょうか?笑

◆私の言うことって、AIソフィアっぽくて怖いね 笑

◆正確にいうと、思考との同化を見切るのは「気づき」です。
その意味では「思考力に同化してしまう」こともあるのです。
ただ、思考力に含まれる客観化能力とメタ認知力は、思考との同化
をいったん自分から切り離すことに役立ちます。
(思考力だけでは同化は完全には切り離せない)

◆個人的な感覚では、思考力とは上記に加え、
概念化能力+類推力+直観力+編集力+丹力(←重要)です。
殊にサマタ瞑想ではこれらの力が十把一絡げに排除の対象とされがちですが、
脳を受信機とする人間における霊的な直観とは、機能としての思考力の鍛錬
によって開いたパイプ「も」利用されるんですよ。

◆機能は機能として相応の意味があるのであって、このことはすでに
進化の構造に組み込まれているのです。

◆思考は無意識だが、思考力は意識化される。

◆「信念」-「時空」=「信」

◆つまり「念」=「時空」ってこと。

◆「信」即「存在」

◆「期待」は、時間からズレている。
「希望」は、空間からズレている。
「絶望」は、存在からズレている。

◆脳自身は文句を言わない。

◆「宇宙で最も強大な力は複利である」アインシュタイン

◆知己の覚者は「アインシュタインは覚醒間際で留まった」と言った。
アインシュタインの脳に「代弁」してほしいことがあったからこそ、
神は彼を留まらせたのだろう。

◆幸か不幸か「創造」は民主主義ではない。

◆大統領に直訴するよりも、神に直訴するほうが圧倒的に易しい。
ただし、直訴の際には「宗教」を通さないこと。

◆人間は、他人が選んだ政治家に文句を言うように神に文句を言っている。

◆まず世界に「参加」しなければ、神に意見が通る実感も持てない。

◆思考を突き詰めてもなお、すり抜けてくる「ゾッとする何か」、
それが人を覚醒へ駆り立てる。

◆「ゾッとする何か」は、思考をいい加減に「諦める」と姿を現さない。

◆「正解」を求めるのではなく「解」として在ることを知る。

◆瞬間を「置いておくこと」も、一生を「置いておく」ことも、
同じことなんだ。

◆人は「人生」というスパンに幻惑されている。

◆苦を脱することではなく、どの瞬間にも苦としての解に在ることを知る。
それは、在り方の厳然たる「智慧」であり、揺るぎない「技術」だ。
人として生きるとき、その在り方だけが、いついかなる瞬間にも救われて
あることの拠り所となる。
それ以外の救いは、すべて時空の幻だ。

◆「~だけ」とか「~しか」とか「すべて」とか「絶対」とか、断定すること
は極を生むので本当は避けたいけど、この世の相対的な苦にオールマイティに
対応し得る在り方として、少なくとも私にとってはこれ以外見つからない。
この世のどこを探しても、相対の中で揺らがないのは、そこしかないんだ。

◆それ自体は、馬鹿みたいに単純なことなんだ。
馬鹿を馬鹿にするから、気づこうとしないだけ。

◆「そのままでいい」っていうのは、心理じゃないんだよ。

◆「見え方」だけに特化して言うなら、覚醒状態は調和のとれた「統合」
というよりもバラバラの「解体」だ。
この肉体感覚において、それは決して居心地のよいものではない。
ただし「見え方」や「状態」は、あくまでもこの世界の認識に還元されたもの
にすぎず、覚醒そのものではない。

◆映画「インセプション」じゃないけど、二重三重の夢の階層に落ちることも
あれば、二重三重に目覚めることもある。
人間は、肉体「で」眠り、肉体「で」起きるかぎり、肉体の夢と肉体の目覚め
しか認識できない。

◆明晰夢のように肉体が眠ったまま意識だけ目覚めることはよくあるが、
肉体と意識が同時に目覚めていることはなかなか難しい。
肉体と意識の覚醒レベルのズレから再帰的自己意識が発生し、
時空が間延びするのだ。
ただ、夜中にハッと起きたときなど、ごくたまに肉体と意識が揃って
目覚めることがある。

◆そういうときは「ピキッ!」と、時空を切り裂くかのような覚醒感覚
を伴うものだ。
(以前、「ピキッ!」と目覚めた瞬間、部屋にあったガラスのオブジェが
一瞬にして割れバラバラになったことがあった)
覚醒とは、刃物のようなその一瞬に永遠にピン留めされるようなものなのだ。

◆ワークでよく右手で線、左手で三角形を同時に描くエクササイズをする。
(参加者さんみんな嫌がる笑)
これは2.5次元のエクササイズ。
右手で三角形、左手で立方体を同時に描くと3次元。
右手で立方体、左手で正八胞体を描けば3.5次元。

◆右手で正八胞体、左手で多面体を回転させれば4次元のエクササイズになる。
と思ったけど、立方体は一筆書きできないし、正八胞体から上はイメージで
やるしかない笑。
実際にやってみて頭の中がもやっとするポイントがその人のいる次元だ。
左右の脳でポイントを突破するときヒュッと抜け道が開く。

◆3次元人の時系列に「なぞる」感覚では無理だけど、4次元人は正八胞体を
一筆書き(多筆書き?)できるのだ。
3次元人であっても、正八胞体の全体像をパッと動画(写真ではない)を「圧縮」
するように「イメージ」した時(たいてい曖昧な部分が残っているが)一瞬だけ
4次元人の認識をかすっている。

◆※「3次元人」「4次元人」と呼ぶのは、あくまでも概念上の区分です。

◆眼の自動フォーカス機能は、私よりも先に時空を「知っている」が、
キャパを超えると戦略的に錯覚にすりかえる。

◆猥雑な物語あるいは偶像だからといって、必ずしもプリミティブ
というわけではない。

◆幾何学それ自体には内的拮抗のパワーが「刻印」されているが、
現象を幾何に「還元」すれば、調和を突破しようとし続ける創発
の混沌としたエネルギーを無視することになる。
世界は常に、幾何のスタビリティからはみ出し続ける不可知のゆらぎ
の切先に在る。

◆だからこそ、幾何学の魔術による世界統治は幻想なのだ。

◆即時伝達の効率性を求めれば幾何学は有効だが、幾何学的世界っていう
のは3次元から見れば「ピタッと停止した梵天界」みたいなものなんだよ。
3次元の覚者の中には、その意識を解脱と呼ぶ人もいるんだろうなあ。

◆完全な調和は、存在の死を意味する。
だからといって、死は脅威ではない。

◆人間は「歩きスマホ」ならぬ「歩き思考」している。
歩くときは「歩き歩行」しよう。

◆人間は「歩きイヤホン」のように耳をふさぎ、個々のバーチュアルな
時空に閉じこもっている。
それでは、神の声が聞こえるはずもない。

◆覚醒しても「わかっている」という驕りなど持ちようがない。
覚者の「謙虚」は美徳ではなく、必然なんだ。
なぜなら「自覚する私」「わかっている私」は、わたしの世界では
「一番遅れて来た私」なのだから!

◆草も石も犬も猫も人も車も、私以前に「わかっている」から、
そこにいてくれたんだ。
わたしの世界において「この私」は常に「初めて気づいた新参者」なのだ。
そこには「待っていてくれた私たちみんな」への感謝しかありようがない。

◆すべては、過去の私たち、現在の私たち、未来の私たちに向けて同時に語っている。
時空が交錯するので、ときどき私たち自身を惑わすことがあるのは申し訳ない。

◆この世に命を懸けていないものなどひとつもない。
すべての存在は即、命だからだ。
いい加減なものも、ふざけているものも、邪悪なものでさえ、それそのもの
としてすべて命懸けで「表現」されている。
命はカルマを超えている。

◆ただし「この自分」が生きていると思っている人がいい加減に生きれば、
カルマとして正確に「いい加減な結果」を受けとる(受け取ったと「思いこむ」)。
だがその「いい加減な結果」もまた、それ自体は命懸けなものとして在る。

◆体に一致するように、意識に一致する。

◆この世の矛盾は優しさ。

◆幸せは「なるもの」ではなく「気づくもの」。
幸せは本人しか気づけない。
他人の幸せは計れない。

◆現象として起こることは、現象として終わる。
だから現象としての苦は、いつか必ず終わる。

◆「存在」は終わらない(終われない)。
それを苦と取るか否か、それが問いだ。

◆中心に一致して在れば、相対的な速度の違和感はなくなる。

◆「ワンネスの透明性」と「全てを暴くこと」は、似ても似つかぬ位相。

◆子供の頃からカンだけで生きてきて、はじめはカルマの貯金でやり繰り
してたけど、貯金を使い果たし立ち行かなくなったので、ヒイヒイ言いながら
この世の論理をなんとか学習し、やっと人並に近づいたと思ったら、こんどは
曖昧さを許さないデータと証拠と記録の世界になろうとしている。

◆いよいよ直観的世界が消えゆこうとしているのを感じる。
それも受け入れるしかないが、子供のように無垢なままの人々にとっては
辛すぎるだろう。
データの世界は「何も考えなくてもいいから楽でしょう?」と強制的に移行
を促してくるけど、その思考停止では直観の無思考は降りてこないんだ。

◆どれだけ頭脳が発達した人間でも、根っこではびっくりするほど素朴な
信仰を拠り所としているものだ。
人間にとって、それが最期の救いにもなり、仇にもなる。

◆人の気には色がある。
人の目にも色がある。
色が人を駆り立てる。

◆父型の覚者、母型の覚者、子型の覚者がいる。
それ以外は、このマトリックスでは見えない。


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