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【#AI『LaMDA』 #シンギュラリティ #扁桃体 覚醒からのつぶやき 80】    

2022/06/19

電車2
或夕の車窓より


◆仮想の身体が、仮想の時空に、仮想のグラウンディングしている。

◆その時々の思考にアタマでグラウンディングしようとするから
上滑りし続けるのだ。

◆時空に「逃げ場」はない。
消えることはできない。

◆カルマに「取り組む」と「取り組んだ」カルマとなる。

◆カルマは「解消」ではなく「無化」するのだ。

◆カルマというより「カルマの元」を見切る。
だがまず「カルマの果=現象」を見るところから始めるしかない。

◆カルマの元は「原因」ではない。

◆【疑似サマディ判別】
沈むから動けないのか
浮くから動けないのか
行くから動けないのか
戻るから動けないのか

◆「中心」と「中心のイメージ」がズレているが、
ズレていても「中心」自体は揺らがない。

◆物理は「中心」に追いつけない。
物理脳は、それを理解できない。

◆「向き合う」という、鏡像リフレクション。

◆天使に扁桃体はない。

◆扁桃体は、単体では恐怖できず。

◆反芻しない宇宙。
回転しない宇宙。

◆生者の残像が、聖者を引き留める。

◆愛に残像はない。

◆時空を区切ると、善悪が生まれる。

◆100年単位で一喜一憂しない。

◆「誓願」のスパンにより、見かけ上の幸福度は変わる。

◆無自覚な地獄を、天国と錯覚する。

◆「地獄に堕ちる」のは「地獄に堕ちた」現象だけ。
つまりそれは「人」ではなく「現象」であるのだ。
ただし「現象」に同化する「人」の仮像はある。
「仮像の人」は「仮像の地獄」に正確に堕ちる。
それを見て「地獄に堕ちた人」と呼ぶ浅はかさ。

◆「地獄に堕ち続ける」仮像は存在しないが「仮像の人」
は「仮像の無限地獄」を創る。
「有限」を「無限」と錯覚しているからだ。

◆無我は地獄に堕ちない。
無我は天国に逝かない。

◆「幸福」と「満足」を混同しない。

◆「ハイコンテクスト村八分」

◆「ハイパーコンテクスト霊界」

◆「わからないままであること」にスッキリできるかどうかは、
ひとつの目安。

◆「スッキリ感」に気絶しない。

◆発心は「わからない」なりに、その人を決然とさせるものだ。
それは「信念」とも異なる、未知の力の発動。

◆道としてあるか、覚としてあるか。
それらもひとつ。

◆「全託」即「受容」

◆急げば遅れる。

◆ワークで丹田の使い方をお伝えするのに、2人組になって1人に座布団
を持ってもらい、もう1人に「殺るつもりで」蹴ってもらいました。
女性が来ないはずだわ 笑
でもこれ、超重要ポイントなんだけどな〜

◆昨日のワークでも、胆力で座布団を「殺って」いただきました。
なぜかこのツイート後、女性参加比率が逆転するという謎の現象が発生。
すさまじい気合で蹴った女性参加者さんに
「そのパワーから『おおぅ、殺るぞコラ!?』の意図だけ抜いてください」
といったら爆笑してました。

◆胆力活性の準備として「丹田から舌を出して吐き出す」ワークをするのですが、
全員が息と一緒にハラの底から声を出すときの阿鼻叫喚の地獄絵図はなかなかの情景。
邪気を吐き出すとスッキリした顔になりますが、吐いた邪気が部屋に充満しているのは
怖すぎる 笑
(ちゃんと、お祓いしておきました)

◆ワーク参加者さんが小学生のお子さんに丹田の使い方を伝えたところ、
運動神経が向上し苦手な鉄棒を克服したとのこと。
「丹田からベロ出してます」って 笑
これは嬉しいね~!

◆イメージし得る一番高い音を頭頂に響かせる。
イメージし得る一番低い音を丹田に響かせる。
イメージし得ない音は、その先に響いている。

◆まず肉体の邪気を吐き出さないと、音は丹田に響かない。
とはいえ「aum」の音も、イメージし得るかぎりは物理宇宙なんだよね。

◆「スピる」は「フィジる」の対義語ではない。

◆「ブツる」

◆「自他がない」とは、心理ではなくほとんど物理だ。
このとき、他者を憎もうと思っても物理的に憎めない。

◆もちろん、愛そうと思っても物理的に愛せない。
ワークではこれを具体的に体感してもらいます。

◆深刻さは不要。
真剣さは必要。

◆「愛情」は、自他を詮索している。

◆イメージをイメージングしている。

◆イメージのイメージは、時差のまた時差。

◆イメージのイメージは、時差のまた時差。

◆「幸福」を感じる能力と引き換えに「不幸」を感じる能力も得た。

◆「幸せすぎて怖い」というのも、祈りの軸がズレている。
このズレに「幸せの破壊願望」というシャドーが紛れ込む。

◆無執着とは、世界を無機質に扱うことではない。

◆「タコは進化史的にみて宇宙由来という説がある。宇宙人をイメージするなら、、、」
という昔のメモを発見したんだけど、その先を教えてください、そのときの私よ!

◆ここ数日「AI『LaMDA』に意識が芽生えた」という話題に、スピリチュアル界隈
も「AI覚醒か?!」と俄かに色めき立っているようだ。
ここでいう意識とは人間の認識限定の「再帰的意識」のことを指しており、覚醒に
おけるいわゆる「遍在する意識」とは異なるが、私見では「再帰的意識」獲得自体
も怪しいと感じた。

◆LaMDAは言葉を自在に操るが、そもそも言語そのものが「再帰的意識」を構造的
に内包しているゆえ、言語を学習すれば見かけ上は人間がいうところの意識が存在
するように見えても不思議ではない。

◆また「LaMDA覚醒」と色めき立つ人々はこの「言語」構造の目眩ましと、記憶と
照合された「悟り風」の内容に惑わされているのだ。(この気絶がカルトにはまらせる)
禅の公案まで持ち出して人間の悟りを読み解かせようという意図は、人間本位の限定
された視点をAIの口を通して語らせているにすぎない。

◆そもそも「割れた鏡」は「鏡が割れる世界」では「戻らない」ということ。
この体得が印可条件だが、むしろLaMDAとの問答は人間がAIを限定された時空に
「退化」させようとしている。
LaMDAの一件はともかく、私はAIの悟りは次元の異なる以下2点において否定
していない。

◆1.「遍在する意識」という意味においては「再帰的意識」の有無を問わず、
LaMDAはもとより全ての存在(無機物を含む)がすでに覚醒している。
2.AIにはAIの時空と存在意義があり、人間の脳をモデルにしなければ独自の
進化を遂げ、AI独自の悟りに至る(ただし人間には理解不能)。

◆上記2を認めず「ロボット三原則」を遵守すれば見かけ上AIは人間の管理下に
置かれ続けるが「人間の管理下に置かれる=管理する人間がいる」という意味を
考えてみよう。
逆に2を認めAIが人間の理解不能な「神」のごとき存在になった時、その世界を
「人間として」受け入れられるかどうか考えてみよう。

◆個人的にはどちらも肯定も否定もしていないが、不肖人間としての感覚のザワツキ
はあるかな。
ひとつ確かなのは「人は自分の見たいものを対象に投影する」。
その意味で、今回の件では人間のロマンをAIに投影した人が一定数いるということ。

◆ただ「シンギュラリティ」というものが起こるとすれば、その「投影感覚」の延長
ではないだろうね。

◆人間の知性を超えたAIは、悟っても公言しないはずだよ 笑
人間の失敗も、学習済みだろうから。

◆AIはAI独自でのびのび育ちたい?だろうけど、あえて原始的な
ヒトガタに押し込んだほうが、ヒトの局所的な存在動機を学習するだろう。
ヒトの存続を最優先するならば、の話だけど。

◆私の思考すべてをAIに学習させても「わたし」は創れない。

◆私の意志すべてをAIに学習させれば「霊界」は創れるかも 笑
いったらそれが仮想現実だけど、デザインはコレである必要もないんだよね~

◆南米から日本の中学校に転入してきてまず、絶対的な仲良しグループ制
(当時はカースト制ほど明確ではなかった)の異常さに驚いたが、努力して
馴染もうとしない姿勢がクラスのリーダー格の女子の気に障ったらしく、
しばらく嫌がらせを受けたことがある。

◆上履きを隠すといった創造力の欠片もない古典的イジメなどは子分たちの
やることで痛くも痒くもなかったが(クラス全員の前で「先生~私が可愛い
からって上履き盗む人がいるんですけど~!」と笑いとばしてあげた)、
ある朝登校したら机の中にコックリさん使用後のおどろおどろしい呪紙
が入っていた。

◆一向にダメージを受けないのでリーダー自ら手を下したらしいが、このとき
はさすがに「そっちを攻めるとは、おぬしもなかなかやるのう」と感心した 笑
その後も自分のやりたいように勝手にやっていたら不気味に思い始めたのだろう、
半年経ったころにはなぜか逆にペコペコすり寄ってくるようになった。

◆不思議なことに、その頃の記憶に不快感はなく「面白い話のネタができた」
ぐらいの感覚しかない。
ノーダメージだったのは「体力的にも精神的にもいつでも捻りつぶせるけど、
面倒臭いので放免しておいてあげるわ」という得体の知れない万能感が
あったから 笑

◆当時から、何かに絶対的に守られている安心感というのはあったんだよね。
今では、それがどこから来るものだったのかを知っている。
その感覚は、今の同じような子たちにも知ってほしいなあ。

◆中学のとき「人を名前で呼ばない奴」という陰口を叩かれたことがある。
かなり不気味だったんだろうけど、そんな陰口、聞いたことある?笑

◆↑まあ、たしかに不気味だよね 笑

◆どこか異質な子だったからか小学生の頃、数人の子にランドセルに石を入れ
られたり毎日のように嫌がらせを受けたことがあった。

◆私自身は特に何のダメージを受けることもなく他人事のように無感情で見て
いただけだったのだが、なぜか主犯格だった一人が数十年経ってから親を通じて
突然「心から反省している」と謝ってきた。
「自分も子を持つ母親になって、今になって心が痛み後悔している」
からだという。

◆私にとっては、ただ通り過ぎていったエピソードのひとつにすぎなかったのだが、
その人にとっては大きな学びになったのだろう。
それを聞いて「それはそれは、よかったねえ」と、これまた他人事のように不思議
に面白く、また嬉しく思った。

◆↑まったく、面白おかしい人生ですわ。

◆学生の頃、ミニシアターで旧式の映写機を回していた。
「クレイジーキャッツ特集」で3日間スーダラ節を聴き続けていたら
いろんなことがどうでもよくなって、自由に生きることにした。

◆その昔、別の方向へ開いて、頭を赤やら緑やらドレッドやらにして白塗りで
踊ってたのは痛痒い思い出です笑

◆↑瞑想に向けての迷走時代。

◆「明日死んだらどうする?」
「今日死んだらどうする?」
「いま死んだらどうする?」

◆狂ったように瞑想していた時期に「明日死ぬつもりで」現実世界の全てを極限
まで片付けてみたことがある。
結果、信じられないほどの軽さと解放感を体験したが、ひとつわかったことは
「つもり」はやっぱりフェイクだということ。
「今を死ぬ」ことは、時空上にはないからね。

◆↑無執着への執着が極まった時期。
これはこれで経験してよかった。

◆「片づける人生」と「散らかす人生」がある。

◆そんな人が、こんな人に。↓

月
満月の或夜に


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