【#バタフライエフェクト #犀の角と鹿の角 #タルパ 覚醒からのつぶやき 83】

今年も、鬼灯がやってきた!
◆昔、浅草ほおずき市で売り子のお姉さんに「いくら?」
と聞いたら「野暮だねぇ!」と怒られたっけ。
◆「粋」「野暮」「気障」は、暗黙知と形式知の綱渡り。
◆「体外離脱体験」
①被験者の胸を棒で突く
②被験者の背後のカメラに向かって①と同じタイミングで棒を突く
③被験者はゴーグルを付け②の映像を見つづける
④被験者は自分の背後に浮いて自分を見ているように感じはじめる
https://www.youtube.com/watch?v=ee4-grU_6vs
◆「身体縮小体験」
被験者は自分の体が人形サイズになったように感じはじめる
以上、カロリンスカ研究所・神経科学者Henrik Ehrsson氏の実験より
https://www.youtube.com/watch?v=uhRbAjdEiGw
◆もしやこれで「インスタント・タルパ」創れる?
※危険ですので、専門家の下で行ってください!
◆人形に同化した自分をさらに背後から見ると、
人形から体脱してることになるのかな?
もう、なにがなんだか 笑
◆この実験、人形には同化するけどヒトガタでないモノへの
同化は「ほぼ」起きないという。(たまには起こるかも?)
ちなみに、ワンネスは世界との「同化」ではないよ。
「世界は私の身体」というのは、肉体ありきだから。
◆「体内体験では一人称の視点からの見え方が決定的に重要だ」
「つまり、われわれは眼がある場所に自己が置かれていると感じるのだ」
「体全体を自分のものだとみなすのに十分な感覚を作り出すには、複数の感覚
の信号と運動系の信号を一人称視点で整合させるだけでよい」
Henrik Ehrsson氏
◆Ehrsson氏は「体外離脱体験者」からしばしば怒りの手紙を受け取るそうだが、
重要なのは体外離脱が「本当か本当でないか」(臨死体験が本当か本当でないかと
同じく)という話ではなく、事実として人間にはそうした体験(錯覚)が起こると
いうことだ。
◆怖ろしい話だが、もし赤ちゃんをこの実験のように育てたらまったく別の認識を
持つ生き物になるだろう。
だがこのことはVRゴーグルが普及すれば、あながち絵空事でもない。
今現在の認識も錯覚によって成り立っているが、錯覚が共通認識になればそれは
錯覚と呼ばれなくなるのだ。
◆「ラバーハンドイリュージョン」
身体錯覚の古典的認知実験
https://www.youtube.com/watch?v=ASM12lpDDy0
◆これは映像のように自分の手を隠し、ゴム手袋の手を目の前に置き、自分の手
とゴムの手を同時に筆で撫でているうちに、見ているほうのゴムの手を自分の手
のように錯覚しはじめ、あたかも手袋が自分の手として触覚や痛覚があるかのよう
に感じ始めるという実験です。
◆この実験からわかるのは、この身体が自分のものであるという認知は絶対的な
ものではなくいかに揺らぎやすいかということです。
逆にいえば、これが自分の手であると認識(錯覚)するための脳の固有のパターン
回路がいかに強固かということもいえます。
◆ある特定の条件のもとでは、皮膚にも骨にも神経にもつながっていない切り離さ
れた物体を自身の手として認識するような認知パターンが組み込まれているのです。
脳のパターン回路と認識の関係を知ることは身体の幻想を見抜く手助けになります。
◆結局、言いたいことはこれ。
錯覚から「幻想を見抜く」。
そして「錯覚は組換え可」。
◆錯覚を用いた「幻術」は「現実」を創る。
◆脳の認知パターンを利用していわゆる幻肢の痛みを軽減したり脳梗塞などで
失われた神経回路を脳を「だます」ことで回復するという治療法もあります。
「脳の中の幽霊」の著者、V.S.ラマチャンドラン博士が考案した装置
「ミラーボックス」1:28~
https://www.youtube.com/watch?v=gc3CmS8_vUI
◆「頭頂側頭接合部」に刺激を与えると、体を離れ自分自身を見下ろしている
感覚が得られるという。
いわゆる体外離脱もまた、この部位が刺激されイメージとしての自分をリアル
に見下ろす。
そのとき見ている自分の姿も、脳内に刷り込まれたイメージなのだ。
◆臨死体験が生前なのか死後なのかという議論は、肉体と時空を超えた見地から
見ればまったくもって無意味です。
意識はひとつですが、ひとつであるからこそ生前・死後にかかわらず「入る
(入ってしまう)」出入口とプロセスは同じなのです。
◆瞑想は「取り組む」ものじゃないよ。
◆坐禅は、足を組んでも気を組まない。
◆写真を「巨匠画家風」に加工するアプリ。
ふと「写真をフォトリアリズム風に加工するのに必要なコマンドは何?」
と思ったけど「写真を超写真にせよ」って、もうこれ公案だ 笑
その前に、フォトリアリズムの「巨匠」って誰?
https://ja.cre8tiveai.com/ep
◆AIは未だ、ハイパーリアリズムが隠蔽する「キッチュな情念」
を読み取れない。
◆次回、7/17(日)ワークのテーマ「【実践】生贄の祈りを葬り去る」
我ながら怖すぎる 笑
◆手放しする手がない。
◆手先だけで放さない。
◆思考は手で握れない。
◆「手放し」と「足放し」は、地上波のワンクール。
◆「放す」と「捨てる」を混同しない。
◆「放した私」を時空に捨てない。
◆意図的に「手放し」された思念は、宇宙ゴミとなって漂い続ける。
◆「シフト」のたびに、自身を分離する。
「シフト」は、根本解決にはならない。
◆意識と視点を混同している。
◆意識はアップデートしない。
◆突破口は「共感」のナナメ上にあり。
◆鹿の角のようにただ皆で走っている。
◆鹿の角のような阿弥陀久慈の迷宮界。
◆鹿の角のように歩めば独りでも惑う。
◆人生観 ⇒ セーフ
人生訓 ⇒ アウト
◆人生観は顕教
人死観は密教
◆位相が違えば、敵か味方か判別できない。
この世界では、しばしば悪魔が神となる。
◆神はバタフライエフェクトの全プロセスを瞬時に辿れる。
◆【一瞥体験チェック】
「~だから~だ」で説明できるかできないか。
説明できるならば、それは「それ」ではない。
◆覚醒に理屈はないが「理屈のない煩悩」と混同しない。
◆「理屈のない愛情」は「理屈のない煩悩」によって起こる。
◆説明しないとわからないなら、説明しかわからない。
◆人から説明を貪らない。
◆説明は理解の回路を限定する。
◆独り言の響く「位置」を観察する。
その位置に「私」を仮設している。
◆精神世界には、仮設の「私」が額の斜め前方にある人が多い。
そこは、無執着を装って乖離したエゴの「安全地帯」なのだ。
◆このタイプは、発話するときに額を前方空間に押し付けるように
傾け、架空の私を安全地帯に固形化しようとする。
私見では、ハラをつくった修行僧であってもしばしば見受けられた。
◆このタイプの無意識を指摘するのは、私自身にこの傾向があったから。
ここに気づかないと「一致」が起こらないのだ。
◆架空の「私」を呼び出すために、時空にワンクッションおいている。
◆コールドリーディングをサイキックリーディングより下に見るのは、
スピリチュアリストの驕り。
◆コールドリーディングのスペシャリストは、アスペクトにスピリット
が宿ることを知っている。
◆存在は、叫ばなくても聞こえている。
◆自己主張は、自分の耳に届いてない。
◆耳が遠いほど、自己主張の声を張る。
◆生を釈明しない。
◆距離は距離のままでいい。
時空は時空のままでいい。
◆「一周回って戻る」という、三次元の悪夢。
この悪夢に、既知の安心感を求め続けている。
◆蟻を一匹殺せば、個に集約されていた内圧が解ける。
その瞬間、宇宙全体のバランスの組み換えが起こる。
「生き物を殺すな」という真意の一大事を知ること。
◆「負荷をかけ続けないと呆ける」という、構造的な苦。
◆「この私」と「この私」を繋ぐ、莫大なエネルギー漏費。
◆離人と無私を混同しない。
◆慈悲は愛情の上位互換ではない。
◆進化に組み込まれた慈悲は、進化においてのみ役目を果たす。
◆娘を労災で亡くした母は「命より大切な仕事などあるでしょうか」
と訴えたが、この世界では根源的に命そのものがエネルギー循環
という「仕事」に組み込まれている。
◆先天的に「仕事」という強迫観念が染み付いているので
(ある目的により「植え付けられた」ともいう)命を役割
としての「仕事」に換算してしまうのだ。
◆つまり、この世界では「よく仕事(循環)した人」が
「命を全うした人」ということになっている。
(スピリチュアリストは「仕事」を「使命」に置き換え、
苦の構造を見て見ぬふりをする)
◆働きたくないから高次元へシフトしたい?
天使は人間よりこき使われるけどいいの?
◆働き蟻や蜂は、女王の「奴隷」ではない。
◆エネルギー循環という観念から見れば、天使や蜂も奴隷のようだが、
人間が名付けた「働き蜂」には仕事という観念はない。
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