【#法脈 #ゼロの発見 #他力本願 覚醒からのつぶやき 88】

秋桜の季節です。
◆信は自律して在るが、信仰には依存が忍び込む。
◆「従ってさえいればよい」という思考停止では信者にもなれない。
◆盲信とは、掃除もせずに開運グッズを置きまくる心理に近い。
◆真の「他力本願」ほど過酷なものはない。
◆占術は否定はしないが、その結果は(ほとんどの場合)
エゴの想定範囲にしかない。
預言や神託もしかり。
たとえそれらに真実が含まれていたとしても、エゴは自身の
理解可能な結果のみを受け取るからだ。
◆同じ神託を受けても、受け取る位相は異なるということ。
◆「あるがまま」という言葉を知ってしまった人は、ある意味不幸だ。
◆自分の信じる「あるがまま」に居座らない。
◆「あるがまま」を強調する人は、自身の「あるがまま」を疑っているのだ。
◆効果の出ない「ながらダイエット」のように四六時中
「~しながら」生きている。
◆アタマで「カタワレ」を探さない。
アタマは「カタワレ」を認めない。
ハートで「カタワレ」を探さない。
ハートに「カタワレ」は見えない。
ハラで「カタワレ」を探さない。
ハラは「カタワレ」を生むところ。
◆「金は人を変えてしまう」というけど、金が悪いわけじゃない。
金がないので抑えていた、その人本来の性質が浮上してきただけ。
◆ベーシックインカムを「一生遊んで暮らせる額」にすれば、
最後の審判なしで効率的に地球人の本性を暴けるよね。
◆本当はすでに意識は完全に自由なんだから、貧乏は貧乏の本性、
金持は金持の本性が炙り出されてるんだけどね。
◆裏口から極楽に入っても、極楽のシステムを理解できない。
◆ハラから沸き起こる存在の笑いは、表層筋を使いません。
◆肉体を通すと感情は昇華しきれない。
エクスタシーしかり。
◆腹筋は「笑い切る」ことを許さない。
◆肉体のない笑いは、炎のように一瞬で昇華する。
◆人間は成長期が終わると成長の代替を探し始める。
このマトリックスでの存在意義を保ち続けるために。
◆自説を揶揄されキレるのが野狐。
師匠を揶揄されキレるのが行者。
聖典を揶揄されキレるのが学者。
法脈を揶揄されキレるのが教師。
◆法脈を揶揄されキレる教師は、その瞬間「聖なる使命」
に気絶している。
◆「悪」の中心は「邪」ではない。
◆「成りたい私」と「在りたい私」の果てしないズレ。
◆覚醒は「心身の癒し」の延長にはない。
◆即席の癒しは、時に感性を愚鈍にする。
◆「物分かりの良さ」は、モノを超えれば仇となる。
◆自他未分の人ほど、独り言を声に出す。
◆一如の独り言は、ハラの底で蒸発する。
焼石に水を垂らしたように消えるのだ。
◆独り言の響く「位置」を観察する。
その位置に「私」を仮設している。
◆アタマの独り言は、全宇宙に漏れ伝わる。
◆すべての事象は、壮大な独り言である。
◆私たちの壮大な独り言は、信頼において消える。
◆肉体との同化は、世界を自他未分の有機物と錯覚させる。
◆自他未分のまま覚醒している状態もあるが、自覚は生じない。
◆パラレルにインプットするも、アンパラレルにアウトプットしている。
◆アタマを空っぽにするのに「空っぽなアタマ」をイメージしない。
◆宇宙・世界・空間・身体の「容れ物」感覚を外す。
◆立体は視覚ではなく運動でとらえる。
◆優しい邪推の世界。
◆気づきをリズムにしない。
◆ノリに乗らずにノリに為る。
◆「流れに逆らうな」というけれど、死んだ魚は流されて行き、
生きた魚は流れに乗る。
◆死んだ魚のように流されて行くのではなく、生きた魚のように
流れの中心に浮いてあること。
◆どうせ仮想現実だからといって「仮想的」に生きると、
疑似仮想現実に堕ちるというジレンマ。
◆瞬間の中心も、永遠の中心も、同じもの。
◆両端を探せば中心から遅れる。
◆「気持ちに体が追い付かない」というけれど
「気づきが体に追いついてない」のだ。
◆老体には老体の、完璧な速度というものがある。
体の中心にある時、その動きは遅くも速くもない。
◆自分の体の速度に学ぶ。
◆止まっている電車に乗っていて隣の電車が動き始めると、
乗っている電車が動き出した感覚がする。
隣の電車と並走していて乗っている電車が減速すると、
後ろに進んでいく感覚がする。
乗っている電車と同じ速度の電車が並走していると、
止まって見える。
◆【公案】電車の中で「熟睡している人」は、
動いているのか止まっているのか?
◆極論すれば、肉体・精神・魂・霊を問わず人間の問題はほぼ全て、
相対的な速度と質量の調整のみで解決する。
逆に言えば、速度と質量の異なる位相を「ひとつの世界」に押し込めよう
とするから、問題があるように見えているのだ。
◆世界を救う使命に駆り立てられる人は、救われるべき世界の時空を、
その人の認識速度で「引き伸ばしている」。
◆もともと「世」は時間、「界」は空間を意味していたが、なぜ
「世界」は銀河の片隅の世間話に成り下がったのか?
◆「ゼロ」の発見が、世界を概念に幽閉した。
◆必要なことだけ覚えてればいい?
じゃあ、全て忘れて大丈夫だね!
◆「80億人乗っても大丈夫!」
◆「もったいない」と「むさぼらない」のエコ意識の違い。
◆「ありのままのエゴ」は「ありのままの自己」を認めないが、
そのコト自体は「ありのまま」である。
◆物理的に打っても、物理的にしか強くならない。
◆打って強くなる精神力は、物理の一部。
◆「全て嘘」という言葉に惑わされない。
◆「全て」「必ず」「真の」という二元的ペテン。
◆「修行は時間がかかるもの」
「修行に時間はかからない」
どちらも時空に胡坐をかく。
◆小泉構文「A=A」を笑うが、私たちは「A」を見るときアタマで
「A=A」を反芻している。
◆悟りとは「A」を「A=A」から救うこと。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
◆「A=A」のコピーエラーは、密に分岐し続ける。
◆自然から式を読み取らなければ、自然は自然のままにある。
◆記号と文字の時空的密約を解除する。
◆記号は宇宙を論理に限定する。
◆高次元の式は、記号そのものが異なる。
「置き換え」の必要がないからだ。
◆運動を運動のまま、立体的に計算する。
◆高次元ほど、式と解の自由度は増す。
◆3次元の式は、次元で辻褄合わせする。
◆真偽不在のディベートを繰り返すうちに、
便宜上の真偽を信じてしまった人々。
◆「神秘和音」は「神秘的」に奏でる必要はない。
◆思考の虚は、世界の虚を構造的に見過ごす。
構造を見抜いた者が、虚を利用し始める。

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