#ワンネスの視界 #邪気払い奥義 【10/10 (月・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】
10/10(月・祝)、東京にてワーク開催しました。
感染拡大により、3ヶ月ぶりの開催になりました。

左手と右手を別々に動かし脳を活性化。
手と足で逆回りの円を描いたりします。

満月の日、リバーサイドの会場にて
【内部の目】
今回のワークは、肉体の目から内部の目へのシフトを中心に行いました。
内部の目は松果体の辺りに「立ち顕われる」高密な場のようなものなのですが、肉体としての実体
があるわけではないので、意識的に開発しない限りは何の手ごたえもない空洞のようにしか感じられません。
そこで、頭蓋骨等の肉体の対象物をたよりに「圧の中心」のようなところとして特定していきます。
そして、内部の目を開くと漏斗状の奥行きが生まれるので、前方のスペースに肉体の眼球を浮かせるように
「置いて」おくのです。
すると、眼球運動と思考の癒着の瞬間に即座に気づけるようになり、また、構造的な仕組みとして
思考自体が出にくくなります。
「見る」ことを肉体の目との癒着から剥がし、立体的な視座を確立すると、世界との関係は具体的に変わります。
ここは突発的な一瞥体験だけではシフトが難しく、意識的に取り組む必要があります。
ある参加者さんは、内部の目を日常で意識するうちに思考が激減し、景色の見え方が具体的に変化したとの
報告をされました。
定着するまでは常に意識していないとすぐに肉体の目と思考の癒着に引き戻されてしまいますが、ある程度
定着すれば努力は必要なくなります。
ただし、最終的にはさらに高密な場に「後退」し(意図的に後退しきってしまうとブラックアウトしてしまう)ギリギリ
の拮抗状態で踏みとどまっているところにピンポイントで垂直のエネルギーが交わると「バリバリッ」っと音が
するように完全に現象発生の磁力の元から断ち切られます。
ここまでのプロセスを今生、生体としてあるうちにシフトしておいてほしいというのがワーク開催の主眼となっています。
【ワンネスの見え方】
ワークでは「内部の目」特定の前段階として、肉体とイメージを使って「広い視野」の意識を具体的に呼び起こします。
このとき視界と意識は広がりますが、この見え方は未だ肉体の目に癒着した平面意識なのです。
この見え方の延長で、空間的に意識が広がった状態を「ワンネス」と勘違いすることがありますが、このときには
「局所」を排除した「全体」が平面的に映っているだけなのです。
その証拠に、この状態で局所に注目しようとすると、とたんに全体がなくなってしまいます。
感覚だけに特化して表現するならば、実際の「ワンネス」の見え方では「全体」と「局所」の両方が鮮明に共存しています。
「見る」ことの位置がシフトしない限り、構造的にこの見え方は成立しません。
【邪気払いの奥義】
ワークの始めによく行うのですが、各自で会場の中で気になる場所(暗かったり澱んでいたり)を見つけ、その場で
柏手を打って邪気を払ってもらうことがあります。
中には、念入りに襖を開けて奥の奥まで払ってくださる方もいました 笑
このとき注意するのは「払った邪気を会場の外に追い出せばいい」というのは違うということです。
なぜなら、自分のテリトリーに存在する「もやもやした影」は「自分自身が気づいていない影」であって、一時的に
視界の外に追い出したとしても、それは潜在的に自分自身の中に在り続けるからです。
目が前方に並んでいる人間の認識構造では、常に「見えないもの」「気づかないもの」「わからないもの」に対する
不安が潜在しており、その不安により自ら幻想の影を創り出してしまうのです。
だから、究極的には「全てに気づけば」影はなくなるということです。
ただし、この自分が「全てに気づかなければ」と気負えば空回りします。
「この自分」自体が、影を創る張本人だからです。
それではどうすればよいかというと、例えば今回のように会場の中に邪気を見つけたとしたら、それを窓の外
へ追い出すのではなく、自分自身が「空の筒」になったところに柏手を響かせ(一致させ)、自分自身の影を
その場で昇華させればよいのです。
~Rubin's work ツイッターより~
◆見たくないことを「なかったこと」にし続ければ、宙に浮いたエネルギーが、
わたしたちのうちのどこかに分配される。
私に見えなくなりさえすればラッキーだろうか?
「あってしまったもの」は絶対になくならない。
それを知っていたら、私自身がエネルギーを全うさせてあげるのが慈悲というもの。
◆善を「自分の内」に取り込み、悪を「自分の外」に投げ捨てると、
世界がゴミ箱みたいに臭ってくるようになる。
【ワーク雑記】

本当は参加者さんを見ても「そのままでいいじゃん!」と思うんだけど、その意識だと何を見ても
「カッカッカッカッ」と笑ってるだけになってしまい、みんな怖がって帰っちゃうので、ワーク中は便宜上
「やることメモ」を手元に置いて進めてます。
それにしても、相変わらず病名がつくレベルの筆跡よ 笑
「布団がフットンダ」の「オフトゥンフライングシステム」みたいにフツフツと湧いてくる「カッカッカッカッ」の大元は、
私たち全員が存在の底に内蔵しているのです。

今回のワークでは、丹田で練ったエネルギーを尾骨にリンクさせる秘儀?をお伝えする準備段階として、
簡易版のカパラバティ呼吸法を行ったのですが、このラインのコーディネーションが意識化されてない方
が多いという印象です。
「カッカッカッカッ」の大元はこの一段深いところにありますが、ここが曖昧だとちょっとくすぐったいぐらいで
「布団」がポーン!と吹っ飛ぶには至りません。
また、ここが練れてないと瞑想で座り続けるエネルギーが供給されないのです。
【後記という名の余談】
リアリティを優先すると、どうしても「カッカッカッカッ」とか「ポーン!」とかになっちゃうんだよね~
◆覚醒を言葉で伝えるとしたら、長嶋茂雄のコーチングみたいに、
オノマトペと指示代名詞だけになる。
「ビューッと!」
「それを!こう!」
「そこで!バチーン!」
それでも、伝わる選手には伝わる。
たとえば真に「見る」ことを言葉で伝えようとすると、その瞬間その人の概念に付随した肉体の目が
連動してしまうんですよ。
だから常々、覚醒を正確に表すには新しい言語が必要だと言っているのです。
その意味では「内部の目」というのも、あくまでも暫定的な言葉なんですけどね。
◆「カッカッカッカッ」はセーフだけど「ケッケッケッケッ」はアウト。
◆気が昇って魔が差すと「ケッケッケッケッ」が出ます!
◆肉体のハラばかり練ると「カッカッカッカッ」が「カーッ!」になるので注意。
◆「ケッケッケッケッ」に僻みが入ると「ケッ!」になる。
◆「ヒッヒッヒッヒッ」は、すでに病気。

ナナフシ目ナナフシモドキ?
踵と耳裏をリンクさせ、背中を意識しながら足を抜きます。
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