⇒ #尾骨と自意識 #活元とクンダリーニ 【11/26(土) 東京ワーク ~所感と解説~ その1】
からの続きです。

「仙骨と尾骨の意識をつくる飛び道具」
【自意識だけを落とす秘伝】
尾骨のエネルギーを体感していただいたうえで「内部の目の裏から自意識だけを寝落ちさせる」という
秘伝?ワークを行いました。
私たちは熟睡しているときには自意識の活動が低下していますが、完全に寝てしまうと気づきも一緒に
落ちてしまいます。
「内部の目」が覚醒しつつ自意識が落ちている状態を両立させるため、まず「内部の目」(松果体の位置。
肉体器官の松果体そのものではない)をその場所に置いておいたまま、単純に寝落ちできるかどうか試みました。
今回は最近話題の「4-7-8呼吸法」(アンドリュー・ワイル博士発案の最速寝落ち法)を利用しました。
寝落ちの感覚が確認できたら、こんどは「内部の目」の裏側に沿ってスルッと落ちる感覚を確かめてもらいました。
このとき、内部の目も同時に落ちそうになりますが、これを防ぐために尾骨から上ってきたエネルギーを利用し、
その場に「浮かせて」おくように置いておきます。
上っていくエネルギーに支えられて浮いている内部の目と、スルッと落ちる自意識(がくっついたエネルギーの圧)
の接点がすれ違う感覚は、2つの極の磁石を無理やりくっつけて生まれる浮力と離れようとする瞬間にすべり
落ちる感覚に似ています。
この感覚はイメージというより物理に近い具体的なものです。
ただ、内部の目を浮かせておく感覚が自動化されていないうちは、意図的にそこに置き続けようとするため
頭部に気が上った不眠症のような過緊張状態になりがちです。
この点は、気づきが自動化するまでは意図的にやっていくしかないのですが、対処法としては内部の目に
集中する意識を多少緩め、すべり落とす自意識を肉体の丹田を通り抜けて足の下辺りまで落とすイメージ
で行ってください。
【寝落ちと純粋意識】
この「丹田を通り抜けて落とす」ワークも別に行ったのですが、ある参加者さんはこのワークを数回行っただけで
欠伸が出てきて寝落ちしそうになったと報告されました。
具体的には、丹田呼吸を行った後、丹田の位置をさらに肉体を超えた下方に設定し、そこから呼吸を起していった
のですが、この方法だと構造的に重力を利用しつつ肉体の枠を超えた深いところまで自意識を落とせるのです。
ただ、内部の目も一緒に落ちてしまうと意識がブラックアウトして熟睡状態に入ってしまいます。
またある参加者さんは、内部の目を保ちつつ寝落ちする瞑想を行っていたところ、ある朝目覚めると、肉体は
完全に寝ていたのに覚めた意識(気づき)が在り続ける体験をしたとの報告をしてくれました。
この状態は明晰夢のように夢の中で目覚めている状態(明晰夢で「覚めている」状態は、現実で肉体的に
起きている意識と近いものです)とも異なり、より純粋な遍在する意識そのものだったのです。
先の寝落ちするワークを行うと、スルッと交叉する瞬間にこの純粋な意識を垣間見ることが起こりやすくなってきます。
【ゾーンと未知の瞑想】
ある参加者さんより「仕事で製図しているときは、周囲の音が耳に入らないぐらい集中できるが、瞑想になると
集中できない」との質問がありました。
現象世界において、ゾーンのような集中状態を経験していることは瞑想においても有利に働きますが、瞑想に
なると集中できないのは仕事と違ってそこに「目的」「対象」「意味」がないためエゴの興味が続かないからです。
ゾーン状態では自意識は低下し、余計な五感を遮断して対象に気づいていますが、そこには未だ「見ている自分」
と「対象物」があるのです。
また、仕事やスポーツでゾーンに入る場合には、導入として「無意識に動けるレベルで習得した技術」が
ベースになっています。
例えば、野球でバッターがゾーン状態に入るときには、止まって見える球を自動的にバットで打つのをただ
眺めているといいますが、そこには長年習得した技術やボールを打つという目的が存在し、自動化したそれら
を無意識に「任せておける」という自分自身の経験への信頼があるのです。
ゾーン体験者は「目的」や「技術」の習得・進化がベースとなっている瞑想においては(興味が本当にあれば)集中力
を発揮するというアドバンテージがあるのですが、その先のレベルの「対象や目的のない」純粋な瞑想になると、
とたんに集中対象を失ったエゴが対象を探したり寝てしまったりします。(純粋な瞑想の興味の源泉となるのが「発心」です)
純粋な瞑想では、既知の技術や目的や経験への信頼ではなく、未知を成り立たせている存在それ自体への信頼
が必要なのです。
既知の自分への信頼から、未知の自己への信頼へのシフトが瞑想の肝です。
【パチンコ覚醒と瞑想の意義】
例えばパチンコ中毒者であっても、パチンコ中にはある種のゾーン状態に入っていることもあり得ますが、
そこには粗い興奮と利得の劣情が混在し、パチンコ店から出たとたんに反動で心はますます彷徨い始めるでしょう。
その意味では、人は誰でもある一定の条件下ではゾーン状態を経験しているとも言えますが、そもそも瞑想とは
「条件によって乱高下する心の状態からの脱却」なのであって、ゾーンとはあくまでもそのプロセスの途上に起こる
状態にすぎないのです。
覚醒に時空は存在しないため、誰でも覚醒に触れている瞬間はあるのですが、そのとき「覚醒している人」は
存在しないのです。
だから、善悪を超えたところではパチンコ覚醒も瞬間的にはあるとも言えますが「パチンコしている人」が持続する
個人として覚醒しているわけではないということです。
ただ、ゾーン状態といっても様々なレベルがあり、現象世界においても突発的に未知のゾーンに触れることはあります。
私自身は、偶発的な事故によりストッパーが外れた経験があり、自分の意志とは関係なく強制的に視覚以外の五感
が遮断されたのですが、瞑想とはこの状態に意識的に入るものだといえます。(ちなみに、五感が遮断される状態は
サマタでありヴィパッサナーではありません)
その意味では、対象のない純粋な瞑想であっても「目的」は発生しているのであり、最終的には瞑想それ自体も落ちる
必要があるのです。
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