fc2ブログ

【内部の目と丹光 / ラマナ・マハルシと生きたままの死】     

2022/12/31
冬至
冬至の日に


【丹光とイビキ】

先日、ワークの参加者さんが「最近、就寝時や歯科やサロンで横になっている時など、
自分ではハッキリ起きているのにイビキをかいていたと人に言われる」とおっしゃってました。

就寝時に試しにパートナーに動画を取ってもらったら、やはりイビキをかいていたそうなのですが、
意識は一晩中ずっと起きていて丹光(ニミッタ)を見続けているとのこと。


もともと体外離脱をする方なので明晰夢に似た状態とも言えますが、ワークでお伝えしている
「内部の目」を開発するにつれこの状態が頻繁に起こるようになったようです。

ただ、寝起き直前などには自分のイビキに気づくこともあるそうですが、現段階では熟睡しつつ丹光
を見ている時は一点集中(サマタ)状態なので、自分の肉体にはほとんど気づいていないのです。


それでも明晰夢状態とも異なり「現実に起きていた」と感じられるのは、内部の目が確立しつつあることにより
「一点集中と気づきの開放が同時並列的に起こるようになった」からです。


【一点集中と気づきの開放】

ただ、気づきの開放は未だ無意識で曖昧。

曖昧なのは単にテクニックの問題とも言えますが、現時点ではおそらくサマタをさらに練らなければ
意図的な開放と同時に集中が切れてしまうでしょう。


これはあるレベルに達した修行者が陥るジレンマですが、手前味噌ながら「内部の目」開発ワークには
「一点集中と開放の両立」といった相反する状態が成立するシステムを基礎段階から組み込んでいます。

そのため、この方のようにもともと集中力のある人ならば、リトリートなしでも核心へとショートカットできるのです。

ワークでは常々「内部の目が覚醒しながら寝落ちする」状態を認識転換プロセスの第一段階とお伝えして
きましたが、この方の体験は非常に素晴らしい成果といえます。


示唆的な話として、先日ワークで遠隔透視を試みると、この方はヴィジョンの見切りが思いのほか弱い
ということがありました。

丹光はハッキリと見えているのでヴィジョン視の素地はあるのですが、瞬間瞬間に現れては消えていく
ヴィジョンを見切るのは不得手なのです。

このことからも、一点集中のサマタは得意でもヴィパッサナーは不得意(というよりも、単に開放型の気づき
を経験的に知らないだけ)ということが分かります。

未開発ポイントが明らかになったことで、今後のプロセスは加速していくことでしょう。


【内部の目と覚醒のプロセス】

ポイントは「内部の目の確立」⇒「高度な一点集中(サマタ)」⇒「気づき(ヴィパッサナー)の自動化」⇒
「五感と集中対象の全開放」です。

このプロセスには前提として徹底した「無執着」が必須。


またその人のプログラムによっては、プロセスの途上で認識転換よりも先に「心身脱落」が起こる場合もありますが、
その場合でも後から認識転換を意識的に行う必要があります。

突発的な一瞥体験だけでは、構造の理解や認識の定着は起こりません。

このプロセスが正確に進めば、熟睡状態でなくても日常で目を開けたまま同じ状態が起こってくるようになるでしょう。


【生きたままの死】

ラマナ・マハルシの覚醒は「生きたままの死」によって起こりました。

パートナーのリアル氏(⇒「リアルワールド」ブログはこちら)の体験談「天空が頭になった日」では、
肉体を持つ次元でのひとつの到達点として起こる、目を開けたままの「死体に近い弛緩状態」について述べています。

体験談の弊害を恐れてかなり控え目に書いてますが、実際は常軌を逸した体験で通常の人間の意識に戻るまで
に半年かかったとのこと。


※以下「天空が頭になった日」より抜粋

その時・・・異次元、体がまったく別次元の感覚になった。

なんというか石? 置物? 自分の体というより、単なる置物のような感じになり、それと共に呼吸がもの凄く深くなった。

それまでも瞑想すると30秒~1分ぐらい呼吸が自然に停止したり、サイクルが長くなる事は普通にあった。

しかし、この時それとはまた別の感じに変化した。

それと共に包まれた。

なにか大きなものに包まれた。

また、胸が爆発する感じでバイブレーションが部屋いっぱいに拡がる。

それは物理的な圧力を持つほど、部屋一杯に満ちていた。

・・・翌朝、目がさめると自己が拡大していた。

朝、鳥の声を聞きながら右腕の手首にサティ(気づき)を入れていたが、鳥と手首の違いが無い。

言い方を変えると、今までは頭の中に「いる」感じがしていたが、実は自分の中に体があるという言い方が近いか。

まるで空間が自分で、その中に知覚する器官としての肉体があるという感じ。


物凄い開放感だった。

どんなに探しても頭と「私」がいなかった。

それと共に全てが私だった。

私自身が巨大な目として世界を創造していた。

物が物として存在する構造の秘密が知覚出来た。

例えば、椅子があるとする。

椅子が存在して、それを私が見ているというのが一般的知覚だが、そうではない。

椅子は私が作り出している。

正確には私となにかが化合した結果が、椅子という物質として顕現している。


自己が世界に拡がる(拡がっているのがわかる)だけでなく、自分の内側(意識)がどのような仕組みで
動いているかが目に見えるようにわかり始めた。

また、それと共に肉体も変化した。

瞬間的に体がフリーズするような深い瞑想状態に入れるようになったり、起きて活動している時
も熟眠状態のようないびきをかけるほど深い呼吸になったりする。

体の筋肉が深い弛緩状態になる。

通常、リラックスというのは快適や安心を意味する。

しかし、あまりに深いリラックスや弛緩は死に近づくというのが体感出来た。


それと共に圧倒的な何かに包まれていた。

結局、あの時、何か変化したというのは・・・「自分が瞑想しよう」 「サマタ力をあげよう」「自分が・・・」という
・・「自分が◯◯する」という、つかみにいく内的エネルギーが崩壊し、何かによって与えられた恩寵により、
完全にではないにしろ、一つの転機となる体験や認識が起こったという事だ。


・・・これが、この次元で「イビキをかきながら起きている」究極の状態。

リアル氏いわく、覚醒が極まったときは自身の体だったものが「空間にべたべたした水気のある肉の棒が
ぶらさがってて気持ち悪い」ものになった、と表現しています。

仕事(自営だからなんとかなった)をしていても体が死体のように弛緩しきったままイビキをかいて動いている
のを見ていたとのこと。

ここから先に導ける指導者に当時出会っていたら、きっとこの世界にはもう戻ってこなかったでしょう。


【内部の目と丹光と気づきのパターン・メモ】

①熟睡し夢として丹光を見ている(レム睡眠時の眼球運動あり。眼球運動にも丹光を見ていることににも気づいていない)

②明晰夢的に夢に気づきながら丹光を見ている(見ていることに気づいているが眼球運動には同化していて気づいていない)

③閉眼睡眠(丹光あり)+内部の目(立体意識)+五感開放型サティ(気づきに気づきつつ眼球運動にも気づいているが、
気づきの自動化が甘いため、対象を意図的に見ようとすると肉眼の「盲点」にひっかかり丹光は消えてしまう)

④開眼覚醒(丹光は随時)+内部の目(立体意識)+五感開放型サティ(気づきに気づきつつ眼球運動にも気づいている。
眼球運動と気づきが癒着していないので肉眼の「盲点」に気絶せず、対称への集中を保ったままフォーカスを自在に
変化させられる)

【補足・盲点と思考の関係/実際の盲点の見つけ方】
⇒【直接知覚の世界とは? ~ 0.2秒の気づきの壁 ~】



関連記事 
⇒ #魔女会 #ダウジング #遠隔透視  【12/25(日) 東京ワーク ~所感と解説~】
⇒ 質疑応答 【禅とヴィパッサナーの相違と方便について】


※ワーク参加ご希望の方は、メルマガ登録をお願いします。
⇒ ご登録フォームはこちら



⇒ Rubin's work 主催 AYA プロフィールはこちら

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
このエントリーをはてなブックマークに追加
comment (0) @ ワーク
【1/21(土)14:00~17:00 、17:30~20:30「東京ワーク参加募集」】    | 【#トロッコ問題 #エゴチェック #ヒーラー 覚醒からのつぶやき 96】     

comment

コメントを送る。

URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する