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【#アレシボ・メッセージ #非二元裁判 #イマジナリーフレンド 覚醒からのつぶやき 99】 

2023/01/31

白梅 紅梅
白梅と紅梅が開花。まもなく立春。


◆50年ぶりに「アレシボ・メッセージ」がアップデートされるとか。
地球外知的生命体へメッセージを送るとしたら、自分なら何のデータ
をどのような形で送るか考えてみよう。
それがそのまま、自分自身の「知的生命体」としてのレベルなのだ。

◆「知的」じゃない交信は起こってるけどね。

◆三角形の「あいだ」は固定されるが、三角錐の「あいだ」は浮く。
この世界では取りあえず、これだけ体で覚えて帰ってください。

◆四角錘は「あいだ」を地にひっぱり降ろそうとするね。

◆「攻略」ではなく「工夫」すること。

◆「空間的な開放感」はあっても「開放された空間」は存在しない。

◆スマホに夢中になって周囲の音も景色も忘れている時の没入感の
入口と出口に気づこう。
そこには、レイヤーの鮮烈な切り替わりがある。

◆電車の中は、首を落としスマホに没入する人だらけ。
それらを「引き」で観れば半覚者の疑似体験が可能。

◆鼻先を注視し続けると、チラチラ動く思考が見えるよ。
左右の目のバランスがピッタリの時は、鼻先が消える。

◆「わかる」と「わからない」の中心は同じ。

◆「わからない」に開き直るのでもなく「わかる」に居座るのでもない。

◆魚が「あいだ」を泳ぐように、背骨で「あいだ」を貫く。

◆針に糸を通すように、どこにも触れずに「あいだ」を貫く。

◆「あいだ」とは「白黒つけないこと」ではない。

◆「あいだ」と「あわい」のニュアンス。

◆「はざま」に乖離せず「あいだ」に放下する。

◆「曖昧な感覚」はあっても「曖昧な瞬間」はない。

◆曖昧な感覚を「表現」で胡麻化さない。

◆全員が表現そのものなら、表現に説明はいらない。

◆表現者と表現が一致した、生のアート。

◆表現は飽きても、覚醒は飽きない。

◆表現は尽きるが、直観は尽きない。

◆マインドフルネスとは「感」と「覚」のアイソレーションです。
「心」と「理」のアイソレーションはマインドフルネスに非ず。

◆アタマ・ハラ・ムネが混線すると、マインドとメンタルを混同する。

◆「世界観を壊す」という世界観。
「価値観を壊す」という価値観。

◆「無」を世界観にしない。

◆居座らず、居直らず、居る。

◆立ち入らず、立ち廻らず、立つ。

◆粋らず、生きる。
息まず、生きむ。

◆言葉で悟るには言葉を知り尽くしている必要がある。
身体で悟るには身体を知り尽くしている必要がある。
それらを知り尽くすには、宇宙ひとつが必要になる。
宇宙を待てないのなら、知り尽くす道を投げ捨てる。

◆思考は質量を持つ。
想念は容量を食う。

◆「すごい、まるで本物の世界みたい!」というけど、そもそもVRの
リアリティって、この3次元世界と同じ必要あるの?
進化という点だけ見れば、肉体感覚も思考様式も言葉も何もかも組み変え
たほうが効率的だろうに。

◆VRを通して改めて3次元の非効率に気づく者も増えるだろうが、
VR内でこそ二極化が起こるとも言える。(VR外には二極化などない)
VR内で人間が生産に携わらなくなれば、3次元世界は懐古趣味的な夢
として「趣味人」の仮想養老院と化す。

◆やがて何世代か夢に養われていくうちに、VR黎明期の記憶が
フラッシュバックする者が出てくる。
それは、今この私たちの記憶なのだ。
「この世界は仮想現実かもしれない」というメタ意識が、かつての
「今この私たち」の記憶から呼び起こされたように。

◆肉体の眠りを思考の夢から取り戻そう。
これだけでも生まれてきた価値がある。

◆思考の寝落ちの瞬間に、その人の全志向性が吸い付く。
だから、寝落ちの瞬間をつぶさに観察せよというのだ。

◆「思」が済めば「気」が済む。
「気」を「思」で動かさない。

◆「思」は考えなければ通り過ぎる。
「思」を考察し引き伸ばしている。

◆「想」は扱い注意。
「想」を念じない。

◆肉体を自分の小間使いにしない。

◆自分を自分の便利屋にしない。

◆存在感がなければ嫌われもしない。
嫌われたら、存在を愛でましょう。

◆「他者」とは「わたし」の時差。

◆「イマジナリーフレンド」と同化した自分。
「イマジナリーエネミー」と同化した自分。
「イマジナリーセルフ」の二重三重の交錯。

◆「ハイヤーセルフ」という名の「イマジナリーフレンド」
への逃避。

◆他者を「アウターチャイルド」として扱わない。

◆「知ろうとする者」が知らないだけ。

◆見ようとするから見たい世界が続く。

◆全部見ているのに見えていない。

◆全体を個別に見るから分岐する。

◆超人願望は、高性能広角レンズで全体を個別に見ようとする狂気。

◆【非二元裁判】
被告「私はいない」
判決「いない私を死刑に処す」

◆「見ん見ん禅」

◆分解と統合、どちらでもよい。
どちらも同じことなのだから。

◆ソースなき自己引用世界。

◆「目覚めた世界」を捏造しない。

◆「目覚めた世界」を目で見ない。

◆悟りに汎用性を求めない。
悟りの凡庸性を侮らない。

◆バランスの中心には足場がない。
エゴは完全なバランスを怖れる。

◆バランスの中心に浮くには、アンバランスに怯まないこと。

◆アンバランスはオフバランスの局所的現象。
オフバランスはオンバランスの遍在的現象。

◆私のオフバランスは、世界のオンバランス。

◆一瞬のバランスに、全信頼が集約する。

◆「自律した意志」は、拮抗するバランスの中心から浮き出る。

◆バランスをとる動きそのものに、バランスがある。

◆バランスの見性が、苦を無化する。

◆バランスをとろうとする時に、無意識に発動する支点を外す。

◆「支点・力点・作用点」をスコンと抜く。

◆物質世界は、バランスを学ぶ初級テキスト。

◆「この私」は世界の「出オチ」に気づかず、のこのこ出てくる。

◆悪魔のせいにしたいから悪魔がいる。
神のせいにしたいから神がいる。

◆悪魔って「狂い切った」者には興味がないんだよ。
これ、書いてるだけでものすごくゾッとするよね。
だからこそ「ニョンパ」は悪魔の虚を突けるんだ。

◆悪魔を欺くには、悪魔よりも「純度」が高ければよいのだ。
「存在」の純度という点では、人間は悪魔よりずっと不純。
ここでいう「存在の純度」とは、もちろん善悪とは無関係。
純度100%の存在には、「付け入る隙」が1mmもないのだ。

◆二元性とは単に認識の仕様であり「光と闇の戦い」など
後付けの物語にすぎない。
刷り込まれた物語への潜在的恐怖から、世界を呪術でがんじ
がらめにしてしまった。

◆神に「気絶」せず、神に「開く」。

◆意識を向けるというより「通す」。

◆概念も「開きつつ」使えばよい。

◆「聖なる気絶」と「俗なる気絶」がある。
優劣はないが、二次的現象は当然異なる。


寒桜
寒桜も咲いてます。大寒の贅沢!


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