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#超秘教ワーク #空に在り、空に笑う 【3/21(火・祝) 東京ワーク ~所感と解説~】 

2023/03/23

3/21(火・祝)東京にてワーク開催しました。

ワーク321 かべ 全体


頭頂のホワイトアウトのポイントを見つける。
頭頂ポイント


指一本で中心の空を見る。
壁と指2


「指一本の空」からの応用で、こんどは手の平で拳を握り、どれほど強く握っても握りきれない
中心の空白を見つけます。

この空白は、すべての現象、すべての瞬間、どこを切り取っても在るものです。


拳を握ったまま、空白の断続(連続ではない)だけにフォーカスしながら手を動かしていったとき
「あっ!」と声を上げて「わかった」方がいて嬉しく思いました。

お手伝いに来ていたリアル氏は、その瞬間その方の意識と同期してパチンと弾けて
「ヒャハハハハ!」と笑ってました。

↓ 限定公開ワーク動画 【実録!~「空」として在ること~】



サードアイを開き、全体と局所を同時に内部の目に映す。
壁と鏡


肉体の目から「内部の目」へシフトするとき、曖昧なイメージにならないように肉体感覚を利用しながら
段階的に移行させていく方法をとります。

「内部の目」は肉体的な座標でいうと松果体あたりにありますが(実体があるわけではない)通常は頭部
の中心の感覚がないため明確な位置が特定できません。


そのため、眼球⇒眼窩⇒蝶形骨⇒蝶形骨の裏側⇒内部の目の順にポイントをシフトしながら視覚の変化
を具体的に探っていきます。

このとき、上咽頭部は嗚咽する感覚のように上方向へえぐるように持ち上げ、盆の窪の空間を開けつつ
顎先と引き合い、鼻から吸った空気水平方向に引き込んで盆の窪の内側にぶつけるようにします
(実際に空気がぶつかるわけではない)。


肉体の目と内部の目で見る視覚には明確な違いがあるため、正しいバランスで頭部全体が引き合えて
いるかどうかチェックできます。

内部の目で見ている(映している)ときには、全体と局所が同時に鮮明に在るのです。


【今回のハイライト、超秘教ワークの一コマより】

(あまりに危険すぎるので詳細は割愛します 笑)

「すいません、血管プチッと逝きそうです!!」

「まさか、健康的に覚醒しようと思ってたの?」



このプロセスを経てやっと上記の「超秘教ワーク」が登場するのですが、ヒントだけ挙げると「握っても握りきれ
ない拳の中心の空」と同じものが、この内部の目自体なのです。

ただし、内部の目が単体で「浮いている」状態のときには、拳を握っている圧とは比較にならないほど
高圧な磁力(内部の目自体は磁力ではなく完全な空白であり、時空に属しません)が発生している
状態になります。


例えていうならば、頭部の中心に高いGのかかるジェットコースターがあるような感覚です。

このGにより頭部全体が中心から振動してきますが、振動に抵抗しようとせずに全体が引き合っている
肉体の構造をその場に置いておき(肉体の準備はこのためにあったのです)、拳の中心の空と同じ空白
に留まり続けると、カルマの引き合いで現象が発生する直前の発火と選択肢群を眺める現場に出会います。


ここで背骨を昇るエネルギーが頚椎から頭頂へ抜けきる前に内部の目の方向へヒュッと水平に引き込
まれた瞬間に、認識の癒着がバリッと音がするように剥がれるのです。


空間から直接ぶら下がる背骨を通す。
背骨を通す


「内部の目」の感覚がなんとなくつかめてきても「内部の目を意識してください」と言った瞬間に「肉体と
癒着した目」を動かして頭部の内側を見ようとしてしまうことがほとんどです。

そのため、マインドフルネスのような思考を観察する瞑想でも、純粋な気づきではなく肉体の目に癒着
した意識を都度都度動かしながら思考を追ってしまっているのです。

このときの眼球の動きと意識のベクトルを微細に観察してみてください(眼球の動きを観察するのに眼球
を動かしては本末転倒ですよね)。


といっても、眼球を固定しようとするのは違います。

眼球はもともとマイクロサッケードという生理運動が機能しているため、完全に止めることはできません。
⇒ Rubin's work ブログ参照 【直接知覚の世界とは? ~ 0.2秒の気づきの壁 ~】 

止めるのではなく「動きをまるごと置いて」おきます。

眼球の機能はそのままその場所に置いておき、まっすぐ前を見続けたまま、内部の目だけを単体で
起動させるのです。


また、エネルギーで説明すると曖昧なイメージに陥りがちなのであまり使用しないのですが、内部の目
の開発にはエネルギーを単体で認識できるほうが理解が速いということはいえるでしょう。

光のスペクトルをプリズムを通し各色単体で見るような「単体」感覚が認識の癒着を剥がすのに
役立つからです。


指の輪郭をたどり、時系列の予測と編集から自由な瞬間を見切る。
ワーク 指


~Rubin's work ツイッターより~

明晰な瞑想は常に、刻々と起こり続けるすべての瞬間を刻銘に記憶しているものです。
そこに曖昧さはありません。
「なんだかよくわからないままに気づいたら禅定に入っていた」というのは意識の粗さによって微細
な領域を見切ることができていないためです。

明晰な瞑想のひとつの目安として、例えば映画を集中して見終わった直後のように、瞑想中の
プロセスのコマのひとつひとつを一から順に正確に説明できるか、ということがあります。
願わくば、一回一回の瞑想に対して、このようなレポートをしていただきたいのです。

これは、瞑想で起こることを理性で記憶して説明することとは全く異なります。
頭の中の理性が落ちたところで内部の目に受動的に映され記録された映像のコマをひとつひとつ
そのまま見返してみればよいのです。

動的かつ受動的な集中力はシステマチックに発動するものです。
この集中力は羽根のように軽いにもかかわらずソリッドでダイナミックなもので、真空管に「ひゅっ」
と吸い込まれるような感覚を伴うものです。



瞼をとじたまま思考の動きと癒着した眼球の動きを観察するワークで、唐突に「富士山を思い出してください」
と言いました。

するとその瞬間、記憶から引っ張って来た富士山の画像をイメージした方がほとんどでしたが、
眼球の動きの観察から富士山の画像へフォーカスがシフトした瞬間がブラックボックスになっていて、
後から説明を求めても記憶が曖昧なのです。


明確な瞑想では、気づいた全ての現象の一部始終をフラッシュ記憶から引き出すように後から時系列
で説明できるものです。

この感覚は「記憶しておこう」と待ち構えて観る意識では起こりません。


人間の構造ではひとつの瞬間にはひとつの認識しかできないため、瞬間瞬間を見ていけば必ずパッと
切り替わる境界があるのですが、さらに細かくみていくと、切り替わりの瞬間の直前に空白があることに
気づきます。

この空白を見切るには、かなり集中力を高める必要がありますが、空白まで見えなくても、イメージの
切り替わりの瞬間にどこからどのように発生したのかを見ることは可能です。


ここが曖昧なとき、切り替わりの空白それ自体を見切るのではなく、もやもやした空白に一瞬「気絶」
しているのです。
⇒ 【用語解説】 「見切る」「気絶」「ホワイトアウト」「ブラックアウト」


この「気絶」の瞬間に雪崩れのように思考やイメージの連鎖が起こります。

ここで「気絶」しないためには、肉体の目と気づきの癒着を剥がし「内部の目」にシフトする必要があるのです。


丹田から風船を膨らませる。
バルーン2


リアル氏が今回のワークの感想と解説をブログ「リアルワールド」にアップしてくれました。

⇒「Rubin'sワークに参加してきた」身体ワークによる覚醒ポイントの発見

スクリーンショット 2023-03-23 211522

誤解されやすいのですが、あくまでも肉体をそこに「置いておく」ために「カチッと引き合う構造」から入る
のであって、身体ワーク自体が目的ではありません。

究極的には身体のバランスが崩れていても構わないのです。

なぜなら「それ」は座標に属さずどの瞬間にも在るからです。


とはいえ、肉体と同化している段階では意識は肉体のバランスに癒着しています。

「見る」ことが肉体に依存している限り意識を単体で扱うことは不可能なため、物理的なカタチの力学
を利用していったんエゴを置いておけるようにするのです。

ワークをはじめた数年前は、よりストイックに意識単体に直接アプローチしていたのですが、参加者さん
の状況を鑑みたときに身体をある程度つくったほうが速いということで、暫定的に現在の手法を取っています。


~リアルワールド・ブログより~

「意識の焦点を頭頂や手の中に再発見し、それこそがこの世界を認識・創造しているポイントであると
認識させるワーク。ここの部分が非常に高いサマタ(瞑想における集中力)を持って体感されると、
破壊的とも言えるほどの解放感と自在性に満たされる。」


上記にもあるように、もう少しで「カチッとはまりそう」な方に「あとは集中力とタイミングが揃えばいい
だけです」としばしばお伝えするのですが「一瞥体験」だけであれば何時間もぶっつづけに坐禅を組む
ほどの集中力は必要ありません。

それこそ一瞬でいいのです。


例えば、突発的な事故等に遭ったときに意図せずゾーン体験が起こることがありますが、一瞥体験
が起こる時も意図せず「カチッ」と入るのです。

そのため、身体構造をある程度整えて「それ」の手触りが顕われてくるようになったら、心身は心身に
任せ完全に自分自身の意図を忘れてしまうようにします。


そこに信頼が伴っているとき、今この瞬間か数年後か死の直前かの保証はなくても「それ」は
カチッと起こります。

極度の集中力は、むしろ一瞥体験後に必要になってくるものです。


一瞥が過ぎ去ったときに鮮明さと洞察と直観が消えてしまうのは、その人本来の集中力が人間
としての生において磨かれてこなかったからです。

ここから初めて、変態的なまでの集中力を再起動させ、一瞥を隠すものを一から見直していく
作業に取り組むことになります。


シネラリア
ワーク会場への道すがら出会った桂華。


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