【#悟りの料金 #パブロフの人 #無限チート秒 覚醒からのつぶやき 108】

この世は夢派「あかん、夢にしたら自分のことでない!」
◆願いが100%叶えば、現象は動かなくなる。
この世界は即時、100%願いが叶っている。
すなわち世界はまったく動いていないのです。
◆自分の夢だと思うから、叶ったり叶わなかったりするように見えている。
◆PlayStation「グランツーリスモ」のゲーマーが、現実世界のプロレーサー
になった実話を元にした映画『グランツーリスモ』(9月公開)。
昨今の「リアル⇒バーチャル」の流れの真逆を行く「バーチャル⇒リアル」
の「肉体への落とし込み」という発想が興味深い。
◆出世頭のヤン・マーデンボローをはじめ「GTアカデミー」で育成された
ゲーマーのうち、すでに20人以上がプロレーサーになったとか。
「GTアカデミー」での肉体訓練は海兵隊並みというが、今後さらにVRと
現実の区別がなくなっていけば「肉体への落とし込み」も容易になるのか否か?
◆不肖人間として「あっちの世界」から「こっちの世界」へ、動きと形の
落とし込みに四苦八苦してきた自分にとっては興味深い動向だ。
映画『グランツーリスモ』予告
◆知己の幽体離脱プロ?は「フィギュアの羽生結弦は上位次元にすでにある動き
をエーテル体を介して意識的に肉体に落とし込もうと戦ってきた人」と評していた。
確かにどのジャンルのトップアスリートも(さらにいえば全てのジャンルの
アーティストも)、多かれ少なかれこの感覚に近いものがあるだろう。
◆私自身は、自他未分の幼少期には夢の中で超人的な動きを繰り出していたが、
夢から覚めると肉体の愚鈍さに苛立ったものだ。
それでも、ストッパーとなる自我が発達していないうちは、現実世界でもふと
した瞬間に肉体が消え人並以上の速さで動けたり高く飛んだりできた。
◆体のない意識においては、ふっと意図しただけで背中を反り耳の後ろを足指
で掻いたりもできた。
夢と現実の区別がつかず、夢でできたことを現実でやってみて大怪我することも
しょっちゅうだった。
これが極まると「空を飛べる」と思って実際に飛び降りてしまう子供の悲劇が
起こる。
だって、夢の中では飛べてたんだから!
◆ただ、その頃の肉体を超えた動きはいつも無意識に起こるものであり、
アスリートのように意識的な「肉体への落とし込み」として仕組みを理解
しているわけではなかった。
それゆえ、自我が構築され肉体が枠にはまってくるにつれ出来る動きも限定
されてきて「できると思ったことができない」ジレンマで、逆に人並以上に
動きがぎこちなくなった。
◆(運動神経はよかったのでそれなりに動けたが、常に自分の中では肉体と意識
が一致せずギクシャクしていた)
そこから20年は、先の「バーチャル⇔リアル」の再構築に悪戦苦闘してきた。
(エーテル界以上がバーチャルで現実世界がリアルかどうかはさておき…
体験に基づく私見からすれば本当は階層分け自体に「リアル」もなにもないが)
◆そして、さんざん苦しんだ結果として瞑想に辿り着いた。
それにしても、映画の予告を見たとき直観的に「重要なポイントがある」と感じたが、
現実の文章への落とし込みに手間取ったあげく単なる独り語りになってしまった 笑

イルカに「イルカを消す方法」を聞くように
自分に「自分を消す方法」を聞き続けている。
◆↑年代限定のネタ 笑
◆怒っちゃいけないと思ってる人の怒りの不自然。
笑っちゃいけないと思ってる人の笑いの不自然。
泣いちゃいけないと思ってる人の泣きの不自然。
◆愛さなきゃいけないと思ってる人の愛情の不自然。
悟らなきゃいけないと思ってる人の悟りの不自然。
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◆上善如水
上悪如飴
◆善は効率のよい鍵だが「善だから鍵」なわけではない。
◆その人の発する「愛」という言葉に、臭みがあるかないか。
◆愛である赤ちゃんは、誰も愛していない。
◆世界を査読すると論文化する。
聖典を査読すると原理化する。
自分を査読すると捏造化する。
◆死者が生者を呪うのではない。
生者が死者を呪っているのだ。
◆法は法則に回収できず。
◆「恒星系」無期雇用派遣

バーガンディ色の向日葵「ムーランルージュ」
◆「持続性性喚起症候群(PSAS)」の人が、
しばしば自死を選ぶという示唆的な事実。
◆自分を粗末にすると「もったいない自分」がオバケになる。
◆覚者は慈悲から、阿修羅のような怒りの化身となることがある。
ひとつの修行法を学ぶときには、つまみ食いせずその方法に徹する必要がある。
だから、怒りによって相性のいい人を選別するということも起こる。
◆この慈悲の怒りが意識的に顕われるか無意識的に顕われるかは、
その覚者の受動と能動のバランスとカルマのプログラムによる。
そして本当の覚者であれば、導いた結果を気にしない。
◆教師としての役目をプログラムされた覚者は、ある意味、
人間としての存在につなぎ留められている。
だから、それに見合った無意識の部分が残されている。
無意識が残っていないと役目として地上で「使われる」ことが起こりえない。
◆信念・法脈・霊脈・体系・師匠をディスられるとキレはじめる教師を
しばしば見かけてきた。
知己の老子は「伝統的な道を行く者にとって、これが最期の煩悩なんだよ」
と教えてくれた。
◆キレるからといって必ずしもその教師が悟っていないわけではないが、
体系に「使われる気絶」を自覚しているか否かはひとつの判断ポイントになる。

目的なき時間に戦略不要。
◆無報酬の自業案件を引き受けてしまった私たち。
◆機械の体を手に入れるまで、自業アフィリエイトで食いつなぎますか?
◆「無間チート秒」
◆「気づき=自意識」の、厨二病マインドフルネス。
◆私たちは、時間を食いながら空間を吐いている。
◆「空」を意識のバッファと勘違いしている。
◆この星の魔術は、構造主義に留まっている。
◆前時代の魔術は、神話を固持せざるを得ず。
◆人智を超えた「聖なる同調圧力」からは、抵抗しても気絶しても逃れられない。
◆この宇宙でいちばん怖いのはこれ。
誰も究極の至福から逃れられない。

4年ぶりの盆踊り開催です。
◆自分で棚に入れたぼたもちを、忘れた頃に見つけ喜ぶ人間。
カピカピに乾いたぼたもちに、中るも八卦、中らぬも八卦。
◆お盆に呼ばれた霊たちは、ぼたもちを見て何をかいわんや。
◆覚醒に「棚からぼたもち」的発想は存在しないんですよ 笑
◆いい加減な世界を嘆くのはお門違い。
いい加減だからチャンスがあるのだ。
その意味で覚醒にはチャンスはない。
◆得しようと思えばさもしい。
徳つもうと思えばさかしい。
◆「アリとアリ」と「キリギリスとキリギリス」
◆「これが求めていた悟りか!」
というそれは、悟りではない。
求めた悟りは、悟りではない。
◆悟りとは「引き寄せ ⇔ 引き離し」の無化である。
◆「あなたは悟ってる」という人は、悟っていない。
◆「飼育係」の福音を聞くと脳汁を垂らすパブロフの人。

立秋に、涼風至らず。
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