【#空海とルーミー #念写 #ゲノム編集 覚醒からのつぶやき 112】

「時空転生柿之絵図」
◆パラレルを俯瞰で見た瞬間、それはパラレルでなくなる。
◆自己同一性の自認を記憶に頼るから肉体が固形化するのです。
◆肉と肉を肉の記憶でつなぐと「肉圧」が肉を肉団子にする。
◆意識の圧と方向と連鎖を極限まで観察すること。
◆観察しながら観察を考察している者に気づく。

◆映像を見ながら映像を反芻している刹那の無意識に気づく。
◆記憶を取り出す瞬間の、一瞬空白になる気絶に気づく。
◆一瞬の空白を「この私」という同一性に取り込まない。
◆覚醒とは原始的生理機能への回帰ではない。
◆私的に「ゲノム=自分」という感覚が皆無なので「ゲノムデータは個人情報か否か」
という議論に興味が持てないが、優性思想や差別が起こり得る「個ありきの野蛮な世界」
においては、とりあえず個人情報と見なしておいたほうが無難とはいえるだろう。
◆ゲノム編集で理想的な生体だけを創っても、
理想的な世界が出来上がるわけではない。
ヒトの理想が「理」「想」であるかぎり。
海外で話題。日本初開催のぼーっとする大会が。。。。
— 進撃のJapan (@roketdan2) November 4, 2023
pic.twitter.com/yrvk6Cf4JD
◆↑ 話題の「ぼーっとする大会」
見る限り、全員ぼーっとしたときに不幸そうな顏になっている。
ぼーっとしたときに、その人のストレス度合いが如実に出るね。
脳を休めたときの無意識の第一次反応がこの顔だということだ。
ストレスがなければ、ぼーっとしてもこういう顔にはならない。
◆↓ ちなみに、先週ちょうどこの場所行ったけど、ここはぼーっと
出来るような磁場じゃないのよ。
そりゃ、病院で強制的にぼーっとさせられたような顔にもなるわね。


◆ラーマクリシュナが優勝。
「ぼーっ」は、これです。↓

◆表面だけを脱力すると、内面の虚無がダダ漏れになるのです。
◆ボーッとしていること自体は「明瞭に」ボーッとしているのです。
「ボーッ」に流されている「この私」が不明瞭なだけであって。
◆「わかってる人」に「わかってる」と言ってもらいたくて
「わかってる人」を仕立て上げる。
◆就寝時に受動的に見る夢は肉体疲労を軽減させるが、
明晰夢で能動的に見る(動かす)夢は肉体を消耗させる。
現実世界も、これと同じことなんですよ。
やっている自分がいると消耗するのです。
◆ある意味、夢を現実のように「配列」するのがカルマの物理的側面。
(カルマ自体は物理以前にあります)
「現実」と呼ぶものは、その人にとっての「配列」なのです。

◆リニア思考は、記憶が改ざんされる。
◆フラッシュメモリをノンリニアで浮かせておくこと。
◆あるがままの最終指南
「飛んでみな、飛ぶぞ」
◆肉体との同化が想像力を有限に留めている。
有限の果てを探しても無限は見つからない。
有限の果てですら想像力が及ばないからだ。
想像力の及ばないことを無限と呼んでいる。
◆働かないと鬱になる人は、仕事のない次元に生まれ変わる布石が脆弱。
「蛇の回転」は有名な錯視図ですが、じっと見続けていると図が動き始めます。
— Rubin's work @覚醒・瞑想・気づきのワーク (@Rubins_work) November 18, 2021
なぜ動きはじめるかというと私たちは普段、外界の一点を止まって見ているときも実は高速(0.01~0.3秒程度)で眼球が動き続けていて、この運動(サッケード)による眼球の揺れを画像の動きとして認識してしまうからです。 pic.twitter.com/oElD3daeXN
◆↑ 【ヘビの動きと「目」の位相】
① 二次元で不動⇒肉眼(眼圧高)
② 不規則に動く⇒肉眼と酩酊の間
③ 規則的に動く⇒酩酊(眼圧低)サマタ
④ 断続的に動く⇒肉眼のヴィパッサナー
⑤ 三次元で不動⇒内部の目の自律
①と⑤を混同しない。
②を「現実」と呼ぶ。
③と④は覚醒でない。
⑤は悟りではない。
◆肉眼の癒着したヴィジョンは、生まれる瞬間がブラックボックスのまま。
◆夢現の境界で「錯視」されたヴィジョン(ニミッタ)の動きを止めず、
座標を固定したまま内部の目の裏側を意図的に閉じ、明晰夢的に肉体感覚
をスライドして座標に一致させ、肉体の目だけを開けばあら不思議、その
ヴィジョンの世界に入ってしまってるんですよ!
◆アタマの出産
ムネの出産
ハラの出産
◆私たちはどこからでも生まれてくるが、
肉体の出産というメタファーは重力と落下を要する。
◆頭の経験値
胸の経験値
肚の経験値
◆全ての可能性を経験したい私たちは、想像力の及ばない
ブラックボックスをカルマガチャに一任してしまう。
(ガチャに見えるのは人間側からだけ)
自ら気絶して一任したのに、ガチャに文句を言っている。

花とダーラヘスト。
◆肉体は、意識が創る。
全パーツを100%意識できればその通りの姿形で生まれるだろうが、
一分の隙なく意識化できる人間など存在しない。
逆に、100%意識化できるようになったなら、姿形を選ぼうなどと
思わなくなるだろう。
◆この肉体は、この私ではないわたしが100%意識した結果。
◆この自分で選べないからこそ、選ばれているということです。
◆「多次元人」という存在を仮定するならば、ひとつの視点でひとつの
次元を選択しないからこそ多次元が同時に選択され得るということなのです。
次元が上がれば思い通りに選択可能になるというのは3次元的エゴの妄想であって、
逆に次元が上がるほどに個の選択は不可となり可能性は無限となるのです。
◆この「多次元人」の選択なき選択の意識は、3次元人から見れば「無我」
に近いように感じられますが、可能性を可能性のままに置いておく意志もまた、
すでに能動的な計らいなのです。
◆3次元人においては「選択=視点の固定」となり「視点の固定=個我の苦の発生」
となります。
「多次元人」においては視点の固定がないため、個我の苦からは自由といえますが、
それだけでは悟りではないということです。
◆ひとつのベクトルが選択されるときの気絶と、すべてのベクトルが選択されるとき
の気絶、その違いを明確に観ること。

◆「一方位瞬間定」の気絶から「全方位瞬間定」の直観へ。
◆無私に走ると、無我を無視するようになる。
◆思考はひとつにならない。
一つに統べようと目論む。
◆七宝・香積・天音・軟酥・甘露の恍惚の相対を見切っていくと、
別次元の共感覚が育ってくる。
「あなたには翼があるのに、なぜ地面を這い回っているのか」
— リアル (@koji_tokyo) November 9, 2023
by スーフィズムの神秘家 ジャラール・ウッディーン・ルーミー
◆20年前トルコのコンヤを訪れたが、ルーミー霊廟の波動は非常に微細
で霞に包まれているようだった。
日本で似たエネルギーを感じたのは、空海が所持していたとされる秘宝
の金念珠の実物を見たときだ。
念珠には、空海が今なお座禅を続けているといわれる高野山奥の院の波動
とは別種の霊妙さがあった。
◆空海と金といえば...ムニャムニャ…おっと、誰か来たようだ。
◆パワースポットの波動は均一ではないね。
かならず波動の低い磁場が点在している。
だからこそ「パワー」スポットなんだよ。
◆磁場の奥に潜む禁忌スポットは、微かに風邪の引き始めのような感覚があるもの。
エネルギーの一律的なうねりに飲み込まれず、気づきを研ぎ澄ませて察知しよう。
共感覚的に表現するならば「冷たい青カビ」のような色と温度と臭いがあるのだ。
◆人臭や人欲に侵されたパワースポットは、さらに臭いと欲のパワーを呼び寄せる。
◆聖地と呼ばれる場所をいろいろ見てきたけど、
完全にフラットな聖地って見たことないね。
陰影がないと人は畏れとしての「神聖さ」を読み取れないから。
◆「完全なフラットさ」は知覚できないけど、誰もが直接知っているものなんだよ。

◆「有頂天」に忍び込む色を識別する。
◆相対を知らなければ相対を無化できない。
相対の世で五感を磨き相対を見切るのだ。
◆臭い人が臭い世に気づけないのは、臭い世界で鼻が麻痺してしまったから。
まずは麻痺に気づき、相対を見切るツールとして好悪の感覚を正常化する。
ただし、好悪感覚を維持したままだと微細な波動は見切れなくなってくる。
◆自覚的に相対を学んだら、相対を等価に見ていくフェーズに移行する。
等価から外れる瞬間を見切る時、相対を学んだ感覚が生きてくるのだ。


『筑波山を念写する人』 #地味ハロウィン
◆均一なリズムに気絶しない。
均一であってはいけないということではない。
インパクトとインパクトの間を無自覚に「待たない」ようにするのだ。
心身一如において気づきが極まると、リズムに乗りつつインパクトの
瞬間に鮮烈に在ることが可能になる。
◆試しに、一定のリズム(心拍のBPM推奨)で手を叩き続けてみよう。
体の惰性に任せていると、音と動きに酔ってくるだろう。
その状態から意図的に手を止めてみると、意図と動きと意識がバラバラ
になるような瞬間と、次の一手を「待ってしまっている」感覚の惰性が
見切れるようになる。
◆この惰性が、リズムへの無自覚な気絶なのだ。
この感覚を見切れるようになれば、リズムを能動的に続けようが止めようが、
受動的に続けようが止めようが、気づきは鮮烈なままあるようになる。
◆意図的な修行は能動的に「止める」刹那を意識のショックとして利用、
次の位相に移行させる。
心地よいリズムに浸っていては、そのリズムを心地よいと感じる位相に
しかいられないからね。
◆感覚を世界の文法に組み込もうとすると取り逃がすものが出てくる。
そのことを知るには文法から攻略していく手もあるが、それだけで
一生を費やすことになる。
それを承知で自覚的に生まれてくる人たちには頭の下がる想いだ。

「DALL-E 3」作『坐禅中に居眠りする小坊主』
◆「見る闇」と「触れる闇」と「在る闇」の違いを知る。
◆「肉体の目の闇」と「内部の目の闇」と「存在の目の闇」の深度の違いを知る。
◆人為的に創った漆黒の闇に置かれたとき、肉体の目の闇と内部の目の闇は
「ほぼ」一致するように感じられるが深度が異なる。
この深度に、五感を超えた新たな共感覚で触れるのだ。
◆存在の始原は「暗闇」ではない。
◆熟睡しているときの闇は暗く(黒く)ないという事実を、
直観的に反芻してみてほしい。
◆生は♫ 死は♪ 今を切り裂くリズムになろう。
◆思考は♪♪を♬♬にする。
伝われ~~

『ピンクッション』という名の花
◆意識にぶら下がる肉体
意識に引っ掛かる肉体
意識を通り抜ける肉体
◆頭を張った演技
頭当たりの演技
◆慈悲で引っ張り上げることと、慈悲で引っ張り上げられることは
「この私」という一点において貫通している。
◆果てしない螺旋構造を縦に昇っていこうとするから気が遠くなるのであって、
横の隙間からちょっと飛び出して蚊取り線香みたいにぺちゃんこにして渦の中心
に消えちゃえばいいんですよ。
◆ぺちゃんこの蚊取り線香(今風にいえばディスク)までは直観できても、
直観した円盤を俯瞰でイメージしちゃうと3次元の元の木阿弥なのよ。
時空に円盤を浮かべるなってこと。

グラジオラスの花言葉は「記憶」「忘却」。
剣のような花姿から「戦争の記憶の忘却」の願いが込められたという。


「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」
もみじはまだまだ、これから。
#七十二候
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