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#水平のワンネス/垂直のワンネス 【4/20(土) 東京ワーク ~所感と解説~】  

2024/04/21

4/20(土)東京にてワーク開催しました。

鏡


【水平のワンネス/垂直のワンネス】

ワークも回を重ねるごとに進化してきましたが、内部の目と水平方向(現象界)のワンネス感覚を具体的に
体感できる方が増えてきたので、今回はいよいよ次の段階の「垂直方向のワンネス」と「3つのセンターの
分離の無化」をお伝えすることになりました。

その意味では、今回は記念すべき日であったともいえます。


水平方向のワンネスも、内部の目が完全に確立しないうちはまだ肉体の目と認識が癒着していますが、
構造的に正確な位置を意識できされすれば、ある程度癒着があっても立体的な3次元視(水平のワンネス
は3次元のものです)の体感は可能です。

事実、これまでいらした参加者さんのほぼ100%がこの視覚を実際に体感できていました。


ただ、水平方向のワンネスではアタマ・ムネ・ハラそれぞれのセンターの覚醒感覚の違いが残り続けます。

もちろん、人間の認識においては一つの瞬間に一つの認識しかないため、ある瞬間においてはそれら3つ
のセンターは分離しているわけではないのですが、サマタが完璧に完成しないかぎり肉体感覚の揺らぎと
ともに、それらの覚醒感覚は時系列で顕われては消えていく繰り返しで、統合にはいたりません。
(3つのセンターのうち1つの覚醒に特化した一瞥体験だけでは、この揺らぎの仕組みを見切ることは難しいでしょう)

水平方向のワンネスにおいても垂直の軸を利用して「この私」が消えていることが前提なのですが、このときの
垂直の軸にはまだ上下の「高さ」があり、そこに消えることは肉体構造を利用した暫定措置なのです。

そこで次の垂直方向のワンネスが必要になってくるのですが、この段階では水平方向のワンネスの立体視覚
をより厳密に磨きあげ、肉体の目と認識の癒着を外さなければ成立しません。


【消失点とブラックボックス】

そのため、まずは基本の「内部の目の確立」と「3次元視の確定」と「水平(3次元)のワンネス体験」を順を追っ
て具体的にワークしていったのですが(このワークについては過去にも詳細に解説してきたので割愛)、垂直
方向のワンネスへの移行へあたり新たに加わったワークがあります。

これまでにも、内部の目の裏側(厳密にいえば座標があるわけではないので裏ではない)のブラックホールに
吸い込まれるような「消失点」とその奥の「見ることのできない」ブラックボックスの領域については度々触れて
きましたが、今回はそのブラックボックスの領域に反転して映し出される「もうひとつの現象界」を「消失点の内圧
で気絶せずに」具体的に「見る」方法を新たにお伝えしました。

「見ることができない」のに「見る」とは矛盾しているようですが、その矛盾は先に述べたように「見る」ことが
肉体の目の視覚と癒着している限りは解消しません。


シール

そこで、肉体の目の無意識の癒着を実感していただくために、まず内部の目から壁に貼った直径5mmの丸い
シールを見て(映して)もらい、その視覚の状態のまま瞼を閉じシールを見つづけます。

瞼を閉じているのでシールが視えないじゃないか、と思うかもしれませんが、シールを見ていた時の視覚と眼球
をそのままそこに置いておくと、肉体の視覚としては瞼の裏側しか映っていませんが、シールの実体感は依然
として見えていた時のままそこにあるのです。

この感覚は、シールの「イメージ」を創ってイマジネーションで視ることとは全く異なります。

瞼を閉じても開いても、具体的にそれはそこにある(感覚的には触れているといったほうが近い)のです。

このとき「見る」ことは、自分の外側にある(と錯覚している)対象物とそれにフォーカスする肉体の目との癒着から
はじめて解放され、純粋な認識(ただし、まだ純粋な気づきそれ自体ではない)として再発見されるのです。


この体感が得られたところで、こんどは眼を開けたままシールを内部の目から見てみます。

すると、純粋な認識を体感した新たな視覚は、肉体の目の癒着なしで純粋にシールを内部の目に映すことができる
ようになっています。

ある参加者さんはこの感覚を「シールが内部の目に直接吸い付いているようです」と表現されましたが、この段階
においては「自分」の外と内という境界がすでになくなっており、この見え方はすでに水平方向のワンネスの一瞥
といってもよいでしょう。


ただ、このときの内部の目の感覚はまだ「表側」に限定されており「裏側」は依然としてブラックボックスのままなのです。

ブラックボックスのまま内部の目の裏側へ回り込もうとするとき、プロセスを誤魔化さずに正確にたどれば、必ず内部の
目それ自体の高密度な内圧に気絶することになります。
(逆にいえば、適当に誤魔化してイメージで裏側へ飛んでもそこは表の認識で見た表の世界のままです。これは物理的
な表裏の話ではなく、座標のない認識の構造的な裏表の話なのです)


【肉体の目の癒着と感覚の後方転写】

そこで、裏ワザとしてこの肉体構造を利用することにしましょう。

まず先のように内部の目にシールを写します。

シールが吸い付いてくる内部の目の「表側」が実感できたら表の奥の消失点の「手触り(これを私はよく「意触り」
と表現します)」を感じ取ります。(意図的に「見よう」とするとそれは消えてしまいます)

さらに、消失点へ吸い込まれていった奥に広がる「見ることのできない」ブラックボックスのもやもやした「何か」の
気配を微かながらに感じ取ります。


ここでいったんその気配を置いておき、こんどは具体的に肉体の背面を意識化します。

これまでも説明を重ねてきましたが、眼球が前方方向に並んでいる人間の意識は常に肉体の前面に偏っています。

認識と肉体の目が癒着しているため、前面の視野と自意識が癒着しているのです。

この意識をいったん背骨側へ戻し(このワークは別途、基礎として毎回行っています)さらに視野を外れた背面の空間
を意識化します。
(背面の意識化には、両手で紐の端と端を持って腕を伸ばし、前面から頭頂を通って背面まで空間をなぞるようにします。
このとき視野から外れた瞬間に意識を変えないようにするのがポイント)

ある参加者さんは「前面から背面まで同じ密度のエネルギーの圧が感じられるようになりました」と言われましたが、
私は「手足で触れられる空間の範囲までが肉体」と定義しており、その感覚はまったく自然な道理なのです。


さて、物理的な肉体の背面が意識化できたところで、先の内部の目に映ったシールの見え方に戻ります。

この見え方は、前述のとおり内部の目の表側の現象であり、見かけ上のシールは肉体の「(見かけ上の)外側」の壁
に貼ってあります。

この(見かけ上の)外側にある壁とシールの視野全体を写している感覚を、そっくりそのまま肉体の背面に転写します。

もちろん、背面は視覚としては見えないのですが、前方の壁とシールを見ているときの内部感覚をそのまま後方へ
転写するのです。

これは前面の感覚が確立していないと難しいかもしれないので最初はイメージで補完しても構いません。
(このとき生きてくるのが、前述した「瞼を閉じても開けてもシールはそこにある」という体験です)

すると、外側から見た構造としては内部の目の消失点(・)の表(>)と裏(<)に同じ現象世界●が反転してあること
になります。(図で表すと●>・<● 構造としては「アインシュタイン-ローゼン橋」に近い)

このとき、背面の意識は未だ弱い(肉体の目の癒着が完全に外れていない)ので、裏の意識は表より曖昧だと思いますが、
多少訓練すれば表裏が同等の感覚に近づいてきます。


ただ、先に述べたとおり、この感覚は未だ肉体構造に依っています。

そのため、裏側の内部の目の感覚が強化できたら、転写したイメージを表側と同じように(肉体の目の癒着を剥がして)
内部の目の裏側に引き込みます。

このとき難しいのは、表側が視覚を頼りに引き込めたのに対して裏側は「感覚」だけを頼りに引き込まなくてはならない
ことです。
(この辺りから、文字で読んでいるだけでは珍紛漢紛になってくるかもしれませんが、ワーク参加者さんは何のことを
言っているか理解できるはずです。3次元の二元性モデルにおいては取りあえず裏表2方向だけ抑えればよいので、
実際にやってみるとそれほど複雑な話ではありません)

この「感覚」を具体的にするには、表側の立体視を精密に磨くしかないのです。

感覚が具体的になれば、イメージで補完した曖昧な部分が明確になり、転写したイメージ(感覚)が内部の目の裏側
に引き込まれ、表と等間隔の見かけ上の座標にカチッとはまるはずです。


【暗闇ワークと量子もつれ】

ワークではここまでのプロセスを明るい照明の部屋で目を開けて行い、その後、照明を消して真暗な部屋で同じこと
を行いました。

視覚情報が肉体の目と癒着しないという意味では、ある意味暗いほうが感覚を表裏同等に転写しやすいとも
いえるでしょう。

まず、壁に貼ったシールを内部の目に引き込み、裏側にも反転させた状態で照明を消すのですが、消えた瞬間に
肉体の目の瞳孔の変化に引っ張られて内部の目から意識が外れないようにします。

すると、前方の暗闇と後方のブラックボックスの暗闇(ブラックといっても本当は黒でも暗闇でもないのですが、ここ
ではひとまず暗闇とします)の境界がイメージを超えて地続きになるので、表の感覚をそのまま裏へ転写し、内部
の目の裏に感覚を引き込みます。

裏表の感覚が同等になったうえで試みとして、体軸を中心に肉体を回転させてみました。

体軸に自分という感覚が消えているとき、表裏の反転したイメージ(現象)の「前後」という概念は無化されます。

3次元の認識の私たちは、常に上記のように表と裏の現象世界の真ん中にありながら、前方の視野側に偏った
視覚にとらわれ(盲目の人であっても視覚に代替された五感を同じように使って方向を割り出しています)裏の
ブラックボックスには無意識なままです。

それが、3次元の立体視を獲得することによって前後の奥行きが意識化されると(裏表の世界は本当は同じところ
にあって分離していない)見かけ上反転した世界が立ち顕われてきます。

この反転した2つの世界こそが「量子もつれ」よろしく(この言葉自体は単なる概念にすぎないことに注意。明確な
体験なしに物理用語を乱用するスピリチュアルは信用しないこと)、消失点の高圧の気絶(=ワームホールモデル
でいうところの「ワープ」)を経由した二元性の幻視の源であるといっても過言ではありません。

(ちなみに、前時代的なプラトンの洞窟のアナロジーの影のモデルや、近時代的な映写機とスクリーンの映像の
モデルによる二元性の解説は、個人的な体感としては片手落ちと言わざるを得ません。なぜならば、影や映写機
を投影している者は誰なのか?という疑問が残り続けるからです。それらの解説者は往々にしてその「誰か」を
短絡的に「本来の私」と置き換えがちですが、映写機を回している「誰か」はすでに認識可能な表側の現象世界
に含まれるのです。そもそも、映写機とフィルムというアナロジーは時系列ありきの話です。体感的には表と裏と
ワームホールの出現に時差はなく、突如として全体の構造が同時に発生します。それは本当に唐突な瞬間です。
ただ、それが「客観的事実(本来そんなものは存在しませんが)」として「同時」かどうかを証明する術は3次元人
にはありません。その意味では量子が唐突に顕われたり消えたりする現象にも似ていますが、短絡的にそれを
認識の解説に転用するのは浅薄でしょう。また、唐突に出現する瞬間のスパークを真空から突然起こるビッグバン
モデルで説明すればエゴは満足するかもしれませんが、そういう類のエゴは、ビッグバンという現象自体が怪しく
なってきた昨今、新たな学説が生まれれば軽薄に信念を乗り換えていき、自身の実存としては結局どこにも辿り
着かないでしょう。客観的事実が幻想であるならば、最終的に重要なのはシンプルに「その人自身がどうか?」
ということしかないのです)


サクラ


【暫定的な無我感覚】

ここまで来ると「では、2つの分離した世界をどのように統合するのか?」という新たな疑問が起こるかもしれません。

前述のように、裏表の世界はもともと分離はしておらずひとつのところにあるのですが、それを分離して見ているのは
私たちの認識仕様にすぎないのです。
(といってもほとんどの人間は片側だけしか見ておらず、分離していること自体にも気づいていない)


この一つの解決案として、水平方向のワンネスにおいては先の「回転(自転)」して軸に消える、という方法があります。
(スーフィズムなどはこの回転を利用しますが、前提として神という二元的な存在を立てているので、構造的に
「恍惚(酩酊)」という忘我のシステムに踏みとどまらなくてはならない必然があります)


ただ、先に述べたように、水平方向のワンネスで利用される軸には上下の「高さ」があり、見かけ上はこの私が軸に
消えていても上の果てと下の果てはブラックボックス(というより感覚的に表現するとホワイトボックス?)のままなのです。

それはいわば、暫定的な「無我感覚」を上下に引き伸ばして確定を保留し続けているようなものです。

曖昧な領域を保留できるのは、まさに肉体感覚ありきゆえで、肉体のとどかない領域を無化ではなく無視することで
「無我」を肉体レベルで代替しているといってもよいでしょう。
(今回は準備運動として別途、ハラの底の果てしなく深い奥から個人を超えた「地獄」を吐き出すワークを行いましたが、
ハラの奥から声を出してくださいと言ったところ、声が肉体と癒着しているため、肉体の限界までしか深度を掘り下げ
られないといったことが見受けられました)


【垂直の無我感覚】

ここでやっと最初の話に戻ります。

水平方向のワンネスは、上記の理由から3次元の肉体に留まり続けるのであればそこで完結しても構わないのですが、
肉体由来の暫定的な無我感覚の保留を突破したいのであれば、次の垂直方向のワンネスの体感が必要になってくるのです。

ここで改めて生きてくるのが、水平方向のワンネスの表裏を同時に見て(触れて)いる感覚です。

ここから先は、今回のワークでは時間切れで導入を匂わせるだけになってしまいましたが、ヒントだけいうと水平の裏表
の感覚を(ある意味シンプルに)90度回転させて垂直にし、上下を水平の時と同じように見れば(触れれば)よいのです。

シンプルといえばシンプルですが、実際にやってみると肉体の目が完全に剥がれていないと「上下に垂直に見る」という
感覚は具体的に起こりません。


この感覚は、一般の人であっても例えば「お腹が痛い」といってお腹の感覚を見るときに、一瞬だけ無意識に垂直に目
を落としてお腹そのものを見ていることがあります。

ただ、本人はそのことを自覚していません。

ヴィパッサナー瞑想のマハーシメソッドなどではサマタの導入としてお腹の膨らみ縮みの感覚を見ていきますが、垂直
に見る目が確立していないと腹部というイメージを「外側」から見ることと「内側」から見ることを無意識にごちゃ混ぜに
してしまい、それにより集中がなかなか深まらないといったことが起こります。


今回のワークでは導入としてアタマの認識に特化し、水平の壁に貼っていたシールの感覚を天井に貼ったシールに
置き換えて垂直感覚の手触り(意触り)だけ体感していただきましたが、この段階ではまだ水平方向の意識が勝って
いるため、アタマ・ムネ・ハラの3つのセンターは縦に分離して並んだままです。

次回からはアタマに引き続き、ムネとハラの垂直方向のワンネス感覚もそれぞれ体感していただいたうえで、3つの
センターの分離を自意識とともに重ねて落とし、垂直方向の無我と存在のスパークの体験までをワンセットにして
いこうと思います。

(水平垂直という概念は3次元ありきなので、最終的には肉体感覚を落とすとともに水平垂直への囚われも外していきます)


ここまで文字で読んできて「これらの感覚を即物的に知ることに何の意味があるのか」「魂に何も響いてこない」と疑問
や苛立ちを感じた方もいるかもしれません。

これはもう実際に体感してみていただくしかないのですが、カチッと構造にはまったときの意識状態を知れば、どのような
心理的アプローチやスピリチュアル的アプローチにもない具体的な「エゴ感覚による苦の幻想」の激減(消滅はしません)
を即座に実感できるはずです。


チューリップ


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